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『全障連』36


last update:20110406

 ◇『全障連』(全国機関誌)目次

全障連36(1984・3・17)

赤堀差別裁判糾弾闘争 3.4 全国総決起集会に結集しよう・・・・・・・・・・・・・・(1-2)(記録者要約)

1983年5月23日 差し戻し決定
審理日程:1983年11月29日・1983年12月20日・1984年2月17日・1984年3月19日・1984年4月23日

・凶器は石ではなく、デッチあげだという事がわかっている。
・また足跡が赤堀さんのものではないという事がわかっている。
・また犯行日は検察の主張とは異なる事がわかかっている。

以上にも関わらず、1977年3月21日棄却決定の「自白と客観的事実が食い違うのは、精薄である赤堀のせい」という差別性を裁判は引き継いでおり、検察も新たな核策をする可能性がある。
 
ヴァンサンカン 婦人画報社の差別徹底糾弾・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(3-4)

「政府―自民党は、昨年の優生保護法改悪策動(経済的理由で中絶することを禁止する―経済的条項削除)に失敗し、その総括をもって新たな策動を作りだしています。その総括とは、経済的条項の削除をあきらめたのではなく、あくまでこれに固執しながら、反対運動をとこむような改悪案をとりこむような改悪案を作らねばならないとし、「全面的」改悪をねらってきたのです(3)。」

『自民党は、昨年五月に「優生保護法等検討小員会・中間報告」を出しています。この内容は、経済的条項を削除することと、その一方、反対運動をとりくむべく「母子保健対策、「望まない妊娠」そのものの防止・避妊方法の指導普及・性教育の適切な実施・働く有子婦人対策」などをあげています。しかも現行優生保護法の立法趣旨が「根底に人口政策や民族の逆淘汰の防止といった思想が存在する」と認め、これを肯定しているのです。(3-4)』

「まさに、十年前の「経済的条項削除」「障害児抹殺」の二本柱を、それこそ改悪の本当のねらいですが、形を変え、色を変えてまたぞろしかけてきたと言えます(4)。」

「ヴァンサンカンの差別記事こそは差別者の意図に沿って、きれいな言葉でつけいって、イデオロギー攻撃をかけているのです。私たちはヴァンサンカン―婦人画報社への徹底糾弾闘争を、私たちのもつ思想性をかけて闘いぬきたいと考えます(4)。」


今こそ正念場=保安処分新設・精神衛生実態調査阻止闘争・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(5-6)

中止発表・・・・・・・・・・・・・・・・・神奈川、滋賀、東京

正式決定を出さず実施できない状態・・・・・・・・・・・・・・・・・北海道・大阪・埼玉・徳島・愛知など12道府県(1984年1月26日現在)

厚生省→二次調査を行おうとしている。また締め切りを2月15日の締め切りを、3月末に延ばそうとしている。

1983年10月 「治療処分執行法」(仮)を法相が発表。

『これは「精神障害者」を犯罪を犯す危険な者と決めつけ、処分を言い渡されたら最後、永久に隔離し、更に、これまで治療処分の対象を放火、殺人、傷害等六罪種に限ると言ってきたことについても限定をなくし全てを対象にするという恐るべきものである。(6)


石川重朗君を飯田東小へ 3.20全国総決起集会 3月連続行動へ結集しよう!・・・・・・・・・・・・・・・・・・石川重朗君の小学校転校を実現する会(7-8)

・訪問指導の実態

「みかんとコップの識別、小さな玉を穴のあいた箱に一個ずつ入れる作業など、各種の訓練が行われた。重朗君と二人の教師以外にはだれもいない教室で、約一時間にわたり授業は続いた(7)。」

・健常児との関係を切る教育委員会

1983年12月26日 第二回交渉において 

「その内容は『重朗君個人の身辺処理能力、言語理解能力、運動移動能力、感覚探索手指操作能力』の報告であった。重朗君の地域での人間関係づくりのために訪問指導はどうあればいいのかという視点にもとづいた「訪問指導の評価」は何ら示されなかった。」(7)

「また盲学校は、他児とのふれあいの評価を示されなかったため追求した所、『子どもたちが逃げて行った一緒にやる雰囲気ではなかった。見学していた。』等の例をあげ、ふれあいが持てなかったことを明らかにした。これでは、やろうともしないでやれなかったと言っているに等しい。」(7-8)


1984年1月12日第三回交渉の際、二月に予定されているマラソン大会への参加を要請したところ担任の山嶋教諭は『重朗君は集団に参加する段階ではない。段階を無視してやると拒否反応を起こす』といって参加を拒否した。自分がやりたくないというならありそうなことだが、参加の拒否を重朗君のせいにするのは、実に卑劣なやり方である。(8)



林裕孝君の保育所入所を実現する会全国の支援を得て結成される・・・・・・・・・・・・(8-9)
・林君は1984年2月末日が来年度入所決定限度
・1984年2月30日に「林裕孝君の保育所入所を実現する会結成集会」(参加者100名)

支援・賛同団体
全障連
兵庫青い芝の会
障害児を普通学校へ全国連絡会
しよう会
がっこの会
子問研
障害者問題を考える兵庫県連絡会
自治労兵庫本部
神戸市職労衛生支部
など30団体

神戸市行政 福祉事務所の差別を根底からゆさぶる闘い
※全障連からみた問題の整理

@福祉事務所長の保育所入所措置県があいまいで、責任を誰がとるのか明らかではない。
A障害児保育を、健常児中心の保育体制に「なじむ」子どもに限っている。
B専門委員会は密室でずさんな判定をしている。



闘いの報告
東海ブロック 東海地区障害児教育講演集会の報告 石川闘争に連帯しブロック再建に着手

1983年12月18日 名古屋市総合社会福祉会館にて二日市安さん(障害児を普通学校へ全国連絡会議世話人)
この集会は石川sンの全国キャラバンの一つ。

講演の内容は、「長崎訴訟」や岐阜県高山市で盲学校から地域の学校へ転校を勝ち取った水口さんの闘いなど。

東京第三回全国障害者職よこせ行動と障害者の連帯集会の報告

1983年11月11日・12日視労協・全障連・障害連におよる『全国障害者職よこせ集会』

スローガン(11)
一、現行の身体障害者雇用促進法の抜本的な見直しと法定雇用率の大幅な引き上げ

一、雇用率未達成企業への罰則の強化と強力な行政指導の実施
一、障害者雇用の際の最賃法適用除外の撤廃
一、各地の共同作業所の管轄を厚生省から労働省へと移行させ、財政的な援助を行うとともに、雇用関係を確立すること。



丸八真綿差別事件糾弾闘争の成果報告(大阪)
「82年7月に発覚した、丸八真綿差別事件の糾弾会は、83年11月27日で合計4会にわたる糾弾会を行い丸八側の『企業の責任を果たす』の約束をもって糾弾会を終えた。」(11)

「丸八真綿事件は丸八がもっていた「販売禁止地区一覧表」というリストの中に近畿一円の被差別部落があり「販売禁止対象」として、外国人・母子家庭・視覚障害者・「精神障害者」・清掃衛生業というふうに在日外国人(糾弾の中で在日朝鮮人だと明らかになる)・女性・障害者・在日朝鮮人・職業とまさに差別のダイジェスト版ともいえる「リスト」である(11)。

この事件に対して部落解放同盟・民族差別と闘う連絡会・大阪市従業員組合・全障連が糾弾。

第一回糾弾会(82年12月13日)作成者は小さい頃父母から同和地区は怖いとして教えられていたこと、それに加えて低所得者が多く不良債権が生じやすいと考えたことが明らかになった。

第二回糾弾会(83年2月5日)全障連の楠氏視覚障害者に領収書・契約書と偽って白紙を渡し、障害者をだましていると指摘。

第三回糾弾会 新たなリストの発覚。また社内教育がなされていないことが発覚。

第四回糾弾会(11月25日)全社員の社長名による文書の発布を約束

その後丸八では障害者雇用を上げるなどの取り組みを始めた。



近況 障害者に新たな分断と差別をもちこむ生活保護費おさえこみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(13-15)
今回の「生活保護費のおさえこみ」はこの線(社会連帯による相互扶助の強調―記録者)に沿って、年金制度の一元化―基礎年金制度を確立する一方、生活保護費の国家負担を減らす意図をもっています。したがって、実際、現実に働く権利を奪われながら地域で自立した生活を送っている多くの仲間は生活保護を受けているわけですが、この仲間が決定的な差別扱いを受けることになります。すなわちこれまで最も厳しい現実の中から立ち上がり、障害者解放運動に参加あるいは運動をきり拓き「最低の文化的生活」(―実際には生活すら困難)な中で常に運動の先頭で闘い、大切な仲間に対し、まっ先に生活そのものを奪わんとする攻撃をかけてきたのです。(13)


*作成:廣野 俊輔 
UP:20110406 REV:
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