『全障連』№9
◇『全障連』(全国機関誌)目次
全障連№9(1979・12・20)
全障連第四回大会の総括・・・・・・・・・・・・・・・全障連全国事務局(p1-p2)
全障連第四回大会 1979・8・11~12(明治大学和泉校舎)
・養護学校義務化に全力を注いだが阻止できなかった。
・養護学校の他に赤堀さん、狭山裁判、三里塚などの抑圧化強まる中での統一が求められる。
・課題
「その実態はまだまだ統一性に欠けており、特に全国青い芝の会の脱退、あるいは運動の波及がかちとられていない県などが若干のこされており、全障連の斗いのいっそうの拡大が求められています。」(p2)
・今後
「第四回大会は、厚生省の本年十月一日より行おうとする(私たちの闘いにより十二がつ一にまでのばした)新tない障害者全国実態調査に反対する決議を採択し、各地で、あるいは厚生省斗争を決起することを確認しました。」(p2)
・来年の大会は仙台
各分科会の報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(p3-7)
第一分科会=交通
去年に出来た運輸省の車いすのバス乗車に関する見解という全国統一基準ができたがそれに対する問題点が出された
①いろんな条件が付きかえって乗車しにくくなった
その条件とは、
介護人を1人つける
安全ベルトを着ける
→車いすに乗ったままで安全であるという認識のもとにこれらの新条件をはねつけていく方向
②交通労組、労働省への働きかけ
→労働者の意識の変革。障害者の問題を解決しないで労働者の問題は解決しないという方向で説得する。
第二分科会=生活
①ヘルパー制度の問題(東京から)
・家族のための制度であって本人のための制度になっていない。
・ヘルパーの人数を増やすことが必要
②福祉電話獲得の闘争(大阪から)
③制度の地域格差の問題
④運動内における女性差別の問題
⑤健全者と障害者の関係について
「石川(青い芝の会―作成者)からは健全者と障害者の関係について、障害者の位置(社会の優生、能力主義、生産主義の中の)を健全者に提起し、そして、健全者は何をやっているのかをつ希求する中で関わりをつくること。門真障害者の会からは、介護料、介護人、ホームヘルパー、住宅問題、単身居入居の問題が出された。次に大阪青い芝の会から在宅訪問活動を基盤として生活要求を受け入れていく提案がなされた。」(p5)
→秋には生活小委を中心に厚生省との闘争を行うことを確認
具体的には、
・障害者自身の自由な判断で選択できる介護者の社会的保障
・ヘルパーの増員
・男性ヘルパーの増員
・介護料の増額
全障連生活小委の基本方針
①各地で生活に関してどのような闘いが行われているか情報を集約する
②生活の自立、介護の保障、年金など、どういう要求問題があるのか整理する
③各地の取り組みの中で、地域住民への働きかけ、福祉労働者への働きかけを追求する。同時に、養護学校義務化阻止共闘会議に集う教師や多くの労働者に対し、ホームヘルパー年金、諸手当、収入認定、介護料特別基準のしめつけ、重度障害者の福祉手当打ち切りなど地方自治体との闘いを追求し、共に闘うよう呼びかける
第三分科会=教育
①文部省闘争の進め方
・組織での実践、就学闘争や障害者の自立といった下からの積み上げによってすすめていく。これ受けて全障連が闘争の準備をしていく
・組織作り、特に教師の組織を強化していかなければならない。
・文部省への結集は全障連大会の一割にも満たないのはどうしてか
・金井さんの闘争で逮捕された会員の取り戻し
②各地の就学闘争
・梅谷さん、金井さんの闘いは地域の子供たちとの生活があって始めて勝利が見える。
「とりわけ、梅谷さんの所ですが、学校外で、「尚司君と遊ぼう会」が作られていますが、こういう形で子たちの組織を作っていくことが、必要であろう。」(p6)
③各層の組織化
・地域での運動の強化
・尼崎、大阪西成の、東京西多摩からレポート
「基本的な確認としては『選択権』ということがいわれているが、この「選択権」は個人の問題として考えられているのではないか。それに対して「選択権」という場合、総合教育、普通教育を保障するということで考えていくということだと思います。「選択権」というふうに固定化した場合、結局個人に限定されてしまうといえる。」(p6)
・
「解放教育、保育研究会を全障連が提起しているわけですが、特にこういう組織作りを強化していかなければならないという確認を行っています」
第四分科会=労働
①軽度障害者の労働権奪回
・大久保製ビン
・東京の遠藤さん
・片平闘争
(詳細はこの会報からは不明)
②共同作業所に関して
・大阪のワークメイツ(重度障害者による共同作業所の建設の試み)
・大阪解放作業所
・国分寺の共同作業所づくり
・徳島での養豚
・ワッパの会
・カンガルー(ワッパの会から離れて革製品を扱う)
第五分科会=施設
「福祉労働者の参加は多かったが大体少数者に発言が限られていて,甲山学園,福田会,富士愛育園の斗いが報告されただけだった。」(p9)
「しかし,今大会において福祉施設はすべて解体されなくてはならないという考え方ではなく,障害者があたりまえに生きるために,地域においてであろうが,施設においてであろうが,それぞれの場所で立ち上がる必要があるという考え方が出された。」(p9)
第六分科会=赤堀闘争
赤堀さんの自白調書に対する議論
「赤堀斗争,島田事件について学習会,実調などを組織化し,裁判斗争の方針として煮詰め上げていこうということが確認されました。」(p9)
「赤堀差別裁判糾弾斗争を障害者解放闘争としてうち固め,赤堀さんを生きて奪い返す全国総決起集会に結集しよう」・・・・・・全障連赤堀小委委員会(p12-13)
11月25日の全国斗争への呼びかけ
「77年3月11日静岡地裁は赤堀裁判を百も承知で,第四次再審請求でつきつけた全ての無実の証しを隠蔽し,握りつぶして「精薄の赤堀のいうことはあてにならない」「自白」の矛盾(犯行順序の食い違い等)を認めながらもそれは「赤堀の記憶違い」「殺ったという大筋においては間違いない」とまさしく,「赤堀=精薄=殺人犯」という差別に基づいてのみ第四次再犯請求の棄却決定を打ち出したのだ。」(p12)
ビッグコミックオリジナル糾弾の闘い 経過報告・・・・・・・・・・・・・全障連関東ブロック事務局(p14-17)
全障連関東ブロック 1979・10・28 ビックコミックオリジナル糾弾会(50名)
ビッグコミックオリジナル17号『夜光虫100話=児心音異常』(9月5日発行)
資料① 全障連 八木下浩一「障害児殺しは現実に行われている!」
「障害者としては、どんなに寝た切りでも、「植物人間」といわれても、力によって殺されることはあってはなりません。このマンガはいかに親がかわいそうか、医者がさも良いことをしたか、おもしろおかしく書かれています。」(p15)
大阪糾弾集会の報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(p15)
1979・10・4 東淀川勤労者センター(約200名参加)
①出版社全体の責任であること
②編集者、関係者差別意識、編集姿勢の変革
③今後障害者差別を許さない立場からの劇画を企画編集すること
を確認
資料② 全障連からの公開質問状
「いやむしろ『障害者は役に立たない』『やっかい者』『施設にでも入れ』と言う社会的風潮を隔離=抹殺へと助長するものであると考え、(中略)この問題を正しく解決するために次の三点を要求いたします。」
一障害者差別を助長する9月5日号を早急に回収してください
二原作者と構成画作者と私達の話し合いの機会を作っていただきたい
三謝罪文を掲載するとともに、今後、この様なことがないように編集活動をおこなっていただきたい。(p16)
資料③ ビッグコミックからの回答書(作成者要約)
・回収に応じる
・謝罪文掲載は、読売、朝日、毎日、産経
・同マンガを連載中止、このため討論への作者の出席は許してほしい。
資料④ 回答書(9月10日の会合を受けてのもの―作成者)
※ほぼ資料③と同様の内容
盲・ろう・養護学校義務制粉砕!
文部省球団闘争を継続させ金井(東京)梅谷(奈良)就学闘争を勝利させよう・・・・・・・・・・全障連教育小委(p18-19)
4日 東京学芸大学において意思統一の集会
5日 文部省に対して交渉申し入れ書を読み上げ、交渉を要求するも、「今日はあえません」と対応される
てんこうするまでがんばる!金井康治君の転校をめぐって・・・・・支援する会事務局(p20-21)
・7月8日『赤旗』において教育委員会、学校で暴力を振るっていると報道される
・7月16日 学校教員署名で「学校現場はこんなに困っている」というビラがまかれる
・9月18日 小学校PTAからの「陳情」と町連会からだされた「請願」区議会が採択
※共産党との対立深まる
心の中 恋愛・差別・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊藤ミツコ(p22-23)
エッセイ
全障連第三回大会報告集の発行断念の報告とおわび・・・・・・・・・・・・・・・・・全障連全国事務局・全国出版部(p23-24)
「経過を説明いたしますと、七八年八月の大会後、この報告集を関東出版部の責任で発行することが、決定されていましたが、関東ブロックの結束ができず何度も出版部再建案が出されつつも果たせないままになりました。」(p23)
*作成:廣野 俊輔