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『発達障害は少年事件を引き起こさない――「関係の貧困」と「個人責任化」のゆくえ』

高岡 健 20090404 明石書店,203p.


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高岡 健 20090404 『発達障害は少年事件を引き起こさない――「関係の貧困」と「個人責任化」のゆくえ』,明石書店,203p. ISBN-10: 4750329657 ISBN-13: 978-4750329659 1680 [amazon][kinokuniya] ※ m.

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内容(「BOOK」データベースより)
視えざる何かへ復讐をする少年。厳罰化と加害者バッシングをもって復讐する“社会一般人”。絶望を抱いた加害少年に対する“社会一般人”からの絶対的な絶望―復讐と絶望の連鎖を断ち切ることはできるのか。少年事件の構造と普遍性を明らかにし、その「原点」に迫る。

視えざる何かへ復讐をする少年。
厳罰化と加害者バッシングをもって復讐する“社会一般人”。
絶望を抱いた加害少年に対する“社会一般人”からの絶対的な絶望―復讐と絶望の連鎖を断ち切ることはできるのか。
少年事件の構造と普遍性を明らかにし、その「原点」に迫る。

2000年代に頻発した少年による“不可解な凶悪事件”の数々。事件の背景を精緻に解明することなく、問題は個人の責任に帰され、少年法の厳罰化へと向かっていった。事件の背後にある「関係の貧困」の本質と「個人責任化」の正体をあぶりだす刺激的な論考。

■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

高岡 健 精神科医。1953年、徳島県生まれ。岐阜大学医学部卒。岐阜赤十字病院精神科部長などを経て、岐阜大学医学部准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次

 まえがき

序章 二〇世紀の少年事件と二一世紀の少年事件
 永山則夫事件(1)
 永山則夫事件(2)
 『無知の涙』
 サレジオ高校事件(1)
 サレジオ高校事件(2)
 二一世紀へ至る軌跡(1)
 二一世紀へ至る軌跡(2)
 関係の貧困

第一部 両親殺害の構造

第一章 板橋事件――父親殺害の帰趨
 板橋事件と「改正」少年法
 一審判決(1)
 一審判決(2)
 板橋事件の背景
 父親殺害はなぜ起こったか(1)
 父親殺害はなぜ起こったか(2)
 母親殺害はなぜ起こったか(1)
 母親殺害はなぜ起こったか(2)
 なぜ激発物破裂を起こしたか
 なぜ草津温泉へ向かったのか
 二審判決
 父親殺害の彼岸

第二章 大阪姉妹刺殺事件――母親殺害の反復
 二つの殺人事件
 Yの両親(1)
 Yの両親(2)
 小学校時代
 中学校時代
 母親を代理する女性
 母親殺害
 母親殺害はなぜ起こったか
 姉妹殺害へ
 母親殺しの反復としての姉妹殺害(1)
 母親殺しの反復としての姉妹殺害(2)

第三章 父親殺害と母親殺害の構造――少年が大人になる時
 再び父親殺害について
 犀星の『幼年時代』(1)
 犀星の『幼年時代』(2)
 ライウス・コンプレックス
 『歩いても歩いても』の父親
 再び母親殺害について
 『灰色猫のフィルム』(1)
 『灰色猫のフィルム』(2)
 反復の構造(1)
 反復の構造(2)
 エレクトラ・コンプレックス
 父親殺害と母親殺害の水準

第二部 発達障害は少年事件を引き起こさない

第四章 寝屋川市教職員殺傷事件――居場所の剥奪
 犯罪と広汎性発達障害(1)
 犯罪と広汎性発達障害(2)
 出身小学校への襲撃
 家裁から地裁へ
 地裁から高裁へ
 高裁判決(1)
 高裁判決(2)
 「妄想」とバレンタインデー
 事件が教えるもの

第五章 伊豆の国市タリウム事件――関係の貧困
 タリウムを母親に摂取させる
 精神鑑定から家裁審判へ
 家裁決定
 『毒殺日記』(1)
 『毒殺日記』(2)
 C子のブログ(1)
 C子のブログ(2)
 C子のブログ(3)
 「発達上の問題」と「後天的人格のゆがみ」

第六章 奈良医師宅放火事件――父親支配の呪縛
 放火による継母殺害
 少年の生育史
 再び放火事件について
 父親の手記
 奈良家裁の決定(1)
 奈良家裁の決定(2)
 父親の第二の手記(1)
 父親の第二の手記(2)
 調書漏示事件

第七章 会津若松事件と八戸事件――子棄ての構造
 会津若松事件
 会津若松事件の背景
 Eの父親
 家裁会津若松支部の決定(1)
 家裁会津若松支部の決定(2)
 八戸事件
 どう考えるべきか
 青森家裁の決定
 会津若松事件と八戸事件の比較

終章 少年事件の原点
 両親殺害の外面と内面
 少年事件の内包構造(1)
 少年事件の内包構造(2)
 少年事件の原点(1)
 少年事件の原点(2)
 秋葉原事件(1)
 秋葉原事件(2)
 秋葉原事件(3)
 少年事件の行方

 あとがき

■引用

終章 少年事件の原点

 「一九六〇年代以降を支えた、終身雇用・年功序列・企業内組合を三種の神器とする、企業資本主義の思想は、新自由主義が席巻する時代に無効化した。そして経済的格差のどこに位置しているかを問わず、あらゆる階層で関係の貧困を産みだしていった。いま、世界同時不況が進行するにつれて、社会は一層の、関係の貧困に覆われるだろう。なぜなら、かつての企業資本主義への信奉が、次世代の若者を苦しめたように、敗北した新自由主義の残滓が、現在の少年たちを苦しめつづけるからである。そして、関係の貧困が広まる一方である限り、少年事<0199<件は後を絶たないだろう。
 私たちは、いま一度、原点に立ち戻るしかない。支配度が限りなく小さい父親を、少年が観念の上で殺害していくこと。そして、受容度が限りなく大きい母親が、自然死に近い形で去っていくこと。それが原点であり、すべての少年は原点を通過することによって大人になっていくと、私たちは考えてきた。以上が、少年事件を内面から抑止する、考え方の全てだ。
 少年事件を外面から抑止する方法は、右に記した考え方から、自動的に導かれることになる。企業資本主義も新自由主義も、伝えるべき教育思想としては、すでに失効している。したがって、それらを家庭内に持ち込んでも、少年たちの心に届くはずもない。逆に、学校価値を廃棄し、少年たちにとっての居場所を確保しつづけることだけが、少年たちの心を育む。以上こそが、個人責任化と真っ向から対立する、外面の抑止力にほかならない。」(高岡[2009:199-200]) *本文の終わり

 「あとがき

 さまざまな期待と批判をないまぜにして、裁判員制度が開始されようとしている。少年事件も、この制度の例外ではない。
 それどころか、検察官送致が行なわれ、成人と同じ裁判所に立たされた少年は、自らの内面を詳細に、裁判官ばかりか裁判員に対しても伝えるよう、強いられることになる。家庭裁判所が掲げる「懇切を旨としてなごやかに」(少年法)という建前――この建前すら、たびかさなる少年法「改正」により、危うくなっている――が、成人の裁判所では通用しないからだ。
 ましてや、事件直後の少年は、自らの内面を語りうる言葉を、ほとんどの場合、持ちえていない。だからこそ、視えない何かに対しての復讐や絶望を、事件という形で現したのだから――。
 そのとき、裁判員たちは、はたして自らの注意を、少年の内面へと向けることが出来るだろうか。それとも、ただ〈社会一般人〉を装った復讐と、〈社会一般人〉ゆえの無関心に基づく絶望を、投げかけるだけに終わるのだろうか。このこと一つとっても、少年事件に闇があるとするなら、それは心を閉ざした〈社会一般人〉という仮構の中にこそある、というしかない。
 少年は時代の矛盾を背負うがゆえに、つねに時代の先端を体現する存在だ。だから、少年に対する「まなざし」は、そのまなざしの持ち主が、時代の先端をとらえようとしているか否かによって、規定される。
 時代に背を向けるなら、少年へのまなざしは曇るし、時代に正面から立ち向かうなら、少年へのまなざしは真剣さを帯びることになるだろう。それは、温かい心といった綺麗事とは、根底的に異なる現実だ。
 少年も大人も、現在という時代の中で苦しんでいる。そこに倫理が生まれるとすれば、それは本書の最後で私たちが確認した、少年事件に対する内面の抑止力と外面の抑止力をおいて、ほかにはありえないのである。[…]」(高岡[2009:201-202])

■言及

◆立岩 真也 2008- 「身体の現代」,『みすず』2008-7(562)より連載 資料,

◆立岩 真也 20140825 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p. ISBN-10: 4622078457 ISBN-13: 978-4622078456 3700+ [amazon][kinokuniya] ※


UP:20090602 REV:20140825
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