『安全・領土・人口:コレージュ・ド・フランス講義 1977-1978年度(ミシェル・フーコー講義集成7)』
Foucault, Michel 2004 Securité, Territoire, Population: cours au Collège de France (1977-1978), Gallimard/Le Seuil
=20070625 高桑 和巳訳 『安全・領土・人口:コレージュ・ド・フランス講義 1977-1978年度(ミシェル・フーコー講義集成7)』, 筑摩書房 541p.
last update:20101210
■Foucault, Michel 2004 Securité, Territoire, Population: cours au Collège de France (1977-1978), Gallimard/Le Seuil
=20070625 高桑 和巳訳 『安全・領土・人口:コレージュ・ド・フランス講義 1977-1978年度(ミシェル・フーコー講義集成7)』, 筑摩書房 541p. ISBN-10: 4480790470 ISBN-13: 978-4480790477 \5500+税 [amazon]/[kinokuniya] ※
■内容
◇一九七八年一月十一日…3
講義全体の見通し。生権力の研究
権力メカニズムの分析に関する五つの命題
法システム・規律メカニズム・安全装置。その二つの例。(a)盗みの処罰、(b)癩病・ペスト・天然痘の取り扱い
安全装置の一般的特徴(一)。安全空間
都市の例
十六―十七世紀における都市空間の整備の三つの例。
(a)アレクサンドル・ル・メートル『首都論』(一六八二年)、(b)リシュリュー、(c)ナント
◇一九七八年一月十八日…37
安全装置の一般的特徴(二)。出来事との関係。統治術、偶然の取り扱い
十七―十八世紀における食糧難の問題
重商主義者から重農主義者へ
出来事の取り扱いが安全装置と規律メカニズムでどのように異なるか
新たな統治的合理性と「人口」の出現
自由主義に関する結論。統治イデオロギー・統治技術としての自由
◇一九七八年一月二十五日…69
安全装置の一般的特徴(三)。正常化
規範化と正常化
疫病(天然痘)の例と十八世紀における接種キャンペーン
新たな概念(事例・リスク・危険/危機)の出現
規律における正常化の諸形式、安全における正常化の諸形式
人口の統治という新たな政治的テクノロジーの設置
重商主義者における人口問題、重農主義者における人口問題
さまざまな知における変容操作子としての人口。富の分析から政治経済学へ、博物学から生物学へ、一般文法から歴史的文献学へ
◇一九七八年二月一日…109
十六世紀における「統治」の問題
多様な統治実践(自己統治、魂の統治、子どもの統治など)
国家統治に特有の問題
統治に関する文献にとっての反発点としてのマキャヴェッリ『君主論』
十九世紀までの『君主論』受容小史
君主の単なる巧みさとは区別されるものとしての統治術
新たな統治術の例。ギヨーム・ド・ラ・ペリエール『政治の鑑』(一五五五年)
統治の目的は導くべき「物事」である
さまざまな戦術が優先されることによる法の後退
この統治術の作動に対して十八世紀まで見られた歴史的・制度的な障害
統治術の障害解除にあたって本質的要因として働いた人口問題
統治-人ロ-政治経済学という三角形
方法上の問い。「統治性」の歴史を作りあげようという企図。国家の問題に対する過大評価。
◇一九七八年二月八日…143
なぜ統治性を研究するのか?
国家と人口の問題
企図全体の喚起。分析を以下の三点に関して移動させること。(a)制度、(b)機能、(c)対象
今年度の講義の論点
「統治」概念の歴史のためのいくつかの要素。十三―十五世紀にこの概念がもっていた意味の拡がり人間たちの統治という考えかた。その諸源泉。(a)キリスト教以前の東方、またキリスト教の東方における司牧的権力の組織。(b)良心の指導
司牧の第一の素描。司牧特有の諸特徴。
(a)動いている人の群れに対して行使される。(b)群れの救済を目標とする、根本的に善行を旨とする権力である。(c)個人化する権力である。全体にかつ個別に(オムネス・エト・シングラテイム)。牧者の逆説
キリスト教会による司牧の制度化
◇一九七八年二月十五日…169
司牧の分析(続き)
ギリシアの文献や思考における牧者と群れの関係に関する問題。ホメロス、ピュタゴラス派の伝承。古典的な政治学の文献(イソクラテス、デモステネス)では牧者の隠喩は稀少である
重大な例外としてのプラトン『政治家』。プラトンの他の著作(『クリティアス』『法律』『国家』)におけるこの隠喩の使われかた。牧者たる行政官という考えかたに対して『政治家』でなされている批判。医師・農民・体操教師・教育家に適用される司牧の隠喩
人間たちの統治のモデルとしての司牧の歴史は西洋においてはキリスト教と切り離せない。十八世紀までの司牧の変容と危機。司牧の歴史の必要性
「魂の統治」のいくつかの特徴。包括的で、教会組織と外延を同じくし、政治的権力と区別される西洋における政治的権力と司牧的権力のあいだの関係に関する問題。ロシアの伝統との比較
◇一九七八年二月二十二日…203
司牧の分析(終わり)
東方やヘブライの伝承に対してキリスト教的司牧がもつ特有性
人間たちを統治する術。統治性の歴史における統治術の役割
三―四世紀におけるキリスト教的司牧の主要な諸特徴(ヨアンネス・クリュソストモス、キュプリアヌス、アンブロシウス、グレゴリウス・マグヌス、カッシアヌ
ス、ベネディクトゥス)。(一)救済との関係。功徳と罪過のエコノミー。(a)分析的責任の原則。(b)網羅的・瞬間的転移の原則。(c)犠牲的反転の原則。(d)交互的対応の原則。(二)法との関係。羊と羊を導く者とのあいだの全面的依存関係の樹立。個的で最終的目的のない関係。ギリシアにおけるアパテイアとキリスト教におけるアパテイアの違い。(三)真理との関係。隠された真理なるものの生産。司牧的教育と良心の指導
結論。個人化に特有の諸様態の出現をしるしづける、まったく新しい形式の権力。主体の歴史にとってその新しい権力がもつ重要性
◇一九七八年三月一日…237
「操行」概念
司牧の危機
司牧の領域における操行上の反乱
近代において政治的制度の境界で起こる抵抗の形式の移動。軍、秘密結社、医学の例
語彙の問題。「操行上の反乱」「服従拒否」「反体制」「反操行」
司牧に対する反操行。歴史の喚起。(a)修徳主義、(b)共同体、(c)神秘主義、
(d)聖書、(e)終末論的信仰
結論。権力行使の様態一般の分析において「司牧的権力」概念を参照することが目指すと
◇一九七八年三月八日…283
魂の司牧制から人間たちの政治的統治へ
この変容の一般的文脈。十六世紀における司牧の危機、操行上の蜂起。プロテスタントによる宗教改革とそれに対する反宗教改革。その他の要因
際立っている二つの現象。公私両面においてなされる宗教的司牧の強化、操行に関する問いの増加
主権の行使に固有な統治的理性
トマス・アクィナスとの比較
宇宙論的神学的な連続体の断絶
統治術に関する問い
歴史における知解可能性に関する指摘
国家理性
(一)。新しいもの、スキャンダルの対象
国家理性をめぐる論争の三つの焦点。マキャヴェッリ、「政治家」、「国家」
◇一九七八年三月十五日
国家理性(二)。十七世紀における国家理性の定義、その主要な特徴
国家理性が含意する新たな歴史的時間性のモデル
司牧的統治と異なる、国家理性に特有の特徴。(一)救済の問題。クーデタの理論(ノーデ)。必要性、暴力、演劇性
(二)服従の問題。ベイコン。謀反の問題。ベイコンとマキャヴェッリ
の違い
(三)真理の問題。君主の賢明さから国家の認識へ。統計学の誕生。秘密の問題
国家の問題が出現する反射プリズム
この新たな問題設定において「人口」という要素が存在してもいるし欠如してもいること
◇一九七八年三月二十二日…355
国家理性(三)
知解可能性の原則としての、また目標としての国家
この統治的理性の機能。(a)理論的テクストにおいて。国家維持の理論。(b)政治的実践において。諸国家間の競合関係
ヴェストファーレン条約、ローマ帝国の終わり
政治的理性の新たな要素としての力
政治と力学
この新たな統治術を特徴づける第一のテクノロジー的総体としての外交的・軍事的システム
その目標としての、ヨーロッパの均衡の探求。ヨーロッパとは何か?「バランス」という考えかた
その道具。(a)戦争、(b)外交、(c)恒常的軍事装置の設置
◇一九七八年三月二十九日…387
国家理性にしたがう新たな統治術に特徴的なテクノロジー的集合の第二。内政。この単語が十六世紀までもっていた伝統的な意味。十七-十八世紀におけるその
新たな意味。国力の善用の確保を可能にする計算・技術
ヨーロッパの均衡システムと内政のあいだにある三つの関係
イタリア、ドイツ、フランスにおいて状況が異なること
テュルケ・ド・マイエルヌ『貴族民主主義的君主制』
人間たちの活動の制御という国力の構成要素
内政の対象。(一)市民の数、(二)生活必需品、(三)健康、(四)職、(五)人間たちの共存と流通
人口の生と安楽に対する管理術としての内政
◇一九七八年四月五日…415
内政(続き)
ドゥラマール
内政が練りあげられる場としての都市。内政と都市の統制化。領土の都市化。内政と重商主義的問題設定との関係
市場都市の出現
内政の方法。内政と司法の違い。本質的に統制的なタイプの権力。統制化と規律
穀物の問題への復帰
食糧難の問題を出発点としてなされる
内政国家批判。穀物価格、人口、国家の役割に関する経済学者の説
新たな統治性の誕生。政治家の統治性と経済学者の統治性国家理性の変容。(一)社会の
自然性、(二)権力と知のあいだの新たな関係、(三)人口の引き受け(公衆衛生、人口学など)、(四)国家介入の新たな形式、(五)自由のありかた
新たな統治術の諸要素。経済的実践、人口管理、自由に関する法権利と自由の尊重、抑止的機能をもつ内政〔警察〕
この統治性に関する反操行の諸形式
全体の結論
講義要旨 447
講義の位置づけ 453
解説 499
索引
■1978年1月11日 pp3-36
指標
1 権力メカニズムの分析は、権力とは何かというような理論の端緒ではなく、実際の権力に関する理論の端緒で ある。権力とはいくつもの手続からなる総
体
と
考え
ることで、権力メカニズムの分析は権力に関する理論の端 緒となる。
2 権力は権力自体に拠って立つものではなく、権力自体を出発点として手に入れられるものではない。
権力メカニズムはさまざまな生産関係、例えば家族関係や性的関係などにとってもともと内属的な部分をなす のであって、諸関係と権力メカニズムは、
互い
に互
いの原因にして結果であるという循環的な関係にある。
3 これら権力メカニズムの分析により、特定の社会の包括的分析といったものへと向かうこと(そのような分析 の端緒を開くこと)を可能にする。
権力メカニズムの分析は、歴史学や社会学、経済学にも属さず、哲学としての真理の政治学である。
4 「さまざまな意味あいからして、命令形で口にされる言説のようなものによって下支えされたりしているだけの 理論的言説や分析などは存在しな
い。」
(p5)
○ 美的な言説としての命令形
「これを愛せ、あれを嫌え、これは良い、あれは悪い、これに賛成しろ、あれに反対しろ」
美的な次元での選択にしか基礎が見当たらないもの
○ 軽々しい言説としての命令形
「これこれに対してしかじかのやりかたで闘え」
なんらかの教育制度を出発点として発せられ、さらにはただ一枚の紙の上で発せられるにすぎないもの。 なすべきことに関する次元は現実の力
場の内部
にしか現
れえないもので、そのような言説の内部ではい かなるやり方でも制御できず、効力を持たせられないもの
○ 戦術的な言説としての条件法的な命令形
「闘争をしたければこれこれがかぎとなるポイント、これこれが力線、これこれが錠前、これこれがドアの開 かなくなっているところだ」
⇒ 戦術上の標識にすぎない命令形
「戦術的な意味で、効果的な分析をおこなうにはどのような現実の力場を評定すべきかということが 問題です。しかしともか
く、
これこそがま
さしく闘
争と真理のなす循環、つまりまさに哲学実践のなす 循環です」(p6)
5 政治は絶対にやらない
闘争と真理の関係は、長期的に哲学が展開されたため、磨耗し、劇場化され意味や効果を消失している
「安全・領土・人口」
「安全」という単語はどのような意味にとればいいのか?
規律とセキュリティとの比較を通して「安全」について考察する。
三つの時代としての法・規律・セキュリティ
法:中世から17世紀-18世紀まで:法メカニズム
許可と禁止という二項分割を備え、禁止と処罰の組み合わせが備わっている。
規律:近代で18世紀:規律メカニズム
① 監視・制御・まなざし・碁盤割りで、これにより、盗みをはたらくよりも前に、盗まないかどうかといったことを評 定できるようになる。
② 罰がスペクタクルなものではなく、拘禁といった実践になる。強制労働・道徳化・強制といった収容技術によっ て罪人が作り変えられていく。
セキュリティ:現代で20世紀:安全メカニズム
犯罪発生を統計学的に測定。犯罪の発生率の平均を増加・減少させるシステムの模索。
犯罪とそれへの予防(事前・事後的予防策)をコストとして標定し、それの比較から犯罪抑止の実践を模索。
この安全装置の特徴として
① 当該の現象(犯罪行為)を、一連の蓋然的な出来事の内部に挿入するようになる。
② この現象に対する権力の対応が何らかの計算のなかに挿入されるようになる。
③ 許可と禁止というに分割を設定する代わりに、最適とみなされる平均値が定められ、これを超えてはならない という許容の限界が定められるようにな
る。
これら三つの要素は、時系列順に登場しそれ以前の要素が消滅するようなものではなく、これらは一連の複合的な建造物である。このなかで変化するのは統治技
術と、その3つ(法・規律・セキュリティ)のメカニズムの相関システム。
非行の抑止にかかるコストと非行によって生じるコストのあいだエコノミーというか経済的関係ということが根本の原因となり、この問題設定が規律的技術にお
いて非常なインフレを惹き起こした。
⇒ 安全メカニズムが設置されるようになる。
三つの時代を表す事象
ライ病:法的
ライ病に罹っている者と罹っていない者の二項的分割をもたらし、罹っている者を排除。
ペスト:規律的
ペストが発生している地域や都市を文字どおり碁盤割りにし、人々に対して統制。
天然痘:セキュリティ的
天然痘に罹っている人の割合・傾向や、その人の病状・死亡率・後遺症の測定、摂取を受ける場合のリス ク算出など人口一般における統計学上
の効果を
測定。
「つまり、私たちの社会において、権力の一般エコノミーは安全という次元のものになりつつあるといえるのか?つまり私がここでやりたいのは、いわば安全テ
クノロジーの歴史を作るということであって、安全社会なるものを実際云々できるか評定するということなのです。ともかく、この安全社会という名で私が知り
たいのはただ、安全テクノロジーという形を取る(というか、安全テクノロジーによってともかくも支配されている)権力の何らかの一般的エコノミーが実際に
あるかということなのです」(p14)
安全装置の一般的特徴
1安全空間
2偶然の取り扱い
3安全に特有の正常化の形式
4安全技術と人口とのあいだの相関関係
1 安全空間
主権が行使されるのは領土の境界内・規律は諸個人・安全は人口となるように思われるが、そうではなく、主権は領土内の人の群れに向けられ、規律も人の群れ
にたいして行使される。
規律と人の群れ
規律の空間として、学校・軍・監獄においてもその規律は人の群れを管理・組織するやりかた、その群れの定着点や調整点(側面的・水平的な行程や垂直的・ピ
ラミッド的な行程、位階など)を定めるやりかたである。
個人とは、規律を打ち立てる出発点となる第一の資材であるというよりはるかに、規律が人の群れを切りさばくやり方。規律とは、人の群れがあるところで、こ
れを個人化する方法なのです。つまり結局、主権も規律も、そしてもちろん安全も、人の群れと関わりをもたざるをえない
主権と規律と安全によって空間の取り扱いがどのように異なっているのか。
事例として:都市という空間
17世紀における都市の特徴
① 法的・行政的な特有性によって本質的に特徴付けられていた。都市を領土のなかのそれ以外の広がり、空
間から切り離し、非常に特異な仕方でしるし
づ
けて
いた。
② 第二に、壁で囲まれ押し込められた空間の内部に閉じ込められているという特徴。
③ 田園地帯に対する経済的・社会的な異質性を特徴としていた。
⇒ 17-18世紀に、行政国家の発展にともなって多くの問題が惹起
問題
① 都市の持つ法的な特有性が解決困難な問題を提起
② 通商の増大による都市人口の増大によって、これまでの都市空間が窮屈になってきた。軍事技術の発達 も同じ問題を提起
③ 都市とその周辺とのあいだの恒常的な経済交換の必要性[によって]、都市の閉じ込め・枠へのはめこみ が問題[となった]。
⇒ 都市をこの空間的・法的・行政的・経済的な枠へのはめこみからの解放、都市を流通空間のなかに置きなお すことが問題となった。
◆ 主権の事例:アレクサンドル・ル・メートルの『首都論』
国には首都は必要か?その首都はどのようなものであるべきか?
国家は三つの要素、三つの階級からなる
身分:農民・職人・第三身分(主権者ならびに主権者のために働く士官)
⇒ 国は、これら三つの要素に関して建造物のようなものでなければならない。
○ 建造物の基盤:大地の下にある見えないものは農民を指し、
○ 建造物の共有部分・公共部分: 職人、
○ 高貴な部分、
住居部分や応接のための部分:主権者のために働く士官と主権者
領土:基礎(農民)=田園地帯
共有部分(職人)=小都市
高貴な部分(士官ならびに主権者)=首都
首都と残りの領土の関係は幾何学的なものであるべきで、円形が望ましく、その円の中心に首都が位置すべき。領土の端にあったのでは、首都は必要な機能のす
べてを行使することができなくなる。首都は情報や財が集中する場所となるだけでなく、情報を発信し伝播させ、財を再分配する場所でなければならない。故に
円の中心が望ましい。
主権と本質的にかかわるものとして都市を定義・考察している。主権という枠組みを通して都市的機能(経済的・道徳的・行政的)が位置づけられていく。主権
と政治的有効性を空間的配分につなぐ。良い主権者とは、領土の内部にうまく位置している者であり、主権者への服従という水準できちんと治められている領土
とは空間的配置の良い領土であるということ。主権国家・領土国家・通商国家を重ね合わせ、留めあわせ、相互強化するように都市を機能させること。
首都が、領土に対して行使される主権に関する諸関係とのかねあいで考察されている。
◆ 規律の事例:フランスの都市のリシュリュー:何もないところから都市を建設。
古代ローマの陣形の形式(軍の規律化が行われた時期と同時期)
陣形の形式に合わせて建設されたこのような都市のばあい、ともかくも都市はまず、都市よりも大きなもの(領土)から出発してではなく、都市より小さいもの
から出発して考えられている。都市よりも小さいもの、いわば建築上のモジュールである幾何学的な図形、つまり正方形だとか長方形だとかいったもので、それ
がさらに十字形によって他の正方形や長方形へと区分されていく。
⇒ 幾何学的な図形から都市を建設
リシュリューの場合は対象性という原則を単に働かせているのではなく、うまく計算された非対称性によって枠づけられ、機能的なものとなっている。通商が行
われる区画においては、道の仕切りが細かく設定されており、住居区は仕切りが大きく、道も大きい。
⇒ 空間における人の群れの規律的な取り扱いが見られる。空虚な閉じた空間が構成されており、その内部では人工的な人の群れが構築されることになる。
これは、三つの原則にしたがって組織される。
① 位階化、
② 権力関係の正確な交流、
③ この配分に特有の機能上の諸効果――通商を確保する、居住地区を確保すること
ル・メートルの『首都論』のばあいは、問題は領土を首都化することであったが、それに対し、ここでは、空間を建築化することが問題になる。リシュリューの
場合、規律と建築の次元に属するもの。
◆ 安全の事例:18世紀のナントの都市整備:ナントは通商で発展した都市
ナントの課題
① すし詰め状態を解きほぐして経済的・行政的な新しい機能のために場所を作ること
② 周囲の田園地帯との関係を調整すること、
③ 発展による街の拡大を予見すること
ルソーという建築家
大通り兼遊歩道に心臓のイメージを重ねている ⇒ 流通を問題視
都市は、流通の完璧な動因であるために、血液の循環を確保する心臓と同じ形をする必要がある。
都市を横断する軸と大きめの道をいくつか貫通させ、四つの機能を確保する。
1:衛星・換気、病気の元となる瘴気がたまる空気溜まりをすべて取り除く、衛星機能。
2:都市内部での通商を確保すること。
3:都市外の道につながる道路のネットワークを作って、税関検査の必要性を放棄することなく都市外の商品がき ちんと届いて配達されるようにすること。
4:監視を可能にすること。田園地帯からやってくる、乞食、浮浪者、非行者、犯罪者、泥棒、人殺しといった流浪
の人口の監視・取り締まり。これらの者達の
流入による安全低下への対策として監視
⇒ 問題となっていた流通を組織すること。
危険なものを取り除くこと、良い流通と悪い流通をわけること、悪い流通を減少させて良い流通を最大化
すること。流通が都市の消費に関わる事柄の
ため、外部世界と都市の通商にかかわる事柄のために、外 部との通路を整備すること。
また、都市の今後の発展の可能性を見据えて、都市の再整備が考えられた。埠頭を用いた通商の大問題として、都市の今後の発展の可能性だった。
⇒ 都市が発展の過程にあるものとして認識された。これから起こりうる事柄・出来事・要素に対応するために、 流通の要所を考察。
この計画案が重要である理由
①
規律は空虚で人工的な空間のなかで働くものであり、その空間の位置から構築される。それに対し安全は、 すでにある物質的な所与に頼る。安全は所与
を
扱
う。
②
安全は、単にプラスの価値をもつ要素を最大化し、それをできるだけうまく流通させ、逆に危険で不都合なも の(盗みや疾病)を最小化するということ
が
問題
化。扱われるのは自然的な所与だけではなく、量を蓋然性 としてあつかう。
③ 多機能性が都市の機能性の正当性として現出。多様な機能を整備においては設置する必要がある。
④
未来を扱う。正確に制御されておらず制御もできない、正確に計測されてもおらず計測できない未来を考慮 に入れること。動いていく不定の諸要素に関
わる問
題
で、不定の出来事を管理するために、蓋然性の見積 もりによって制御可能なものにする。
⇒ これらが安全メカニズムを本質的に特徴付けるもの
○ 主権:領土を首都化し、統治の座という主要な問題をたてる。
○ 規律:空間を建築化し、諸要素の位階的・機能的な配分を本質的問題として扱う
○ 安全:出来事やありうべき諸要素を応じて環境を整備する。そこで扱われる諸要素は、多価的・可変的な枠 において調整されるべきもの
安全に固有の空間は、ありうべき一連の出来事を参照させる。その空間は一時的・偶然的なものを参照させ、その一時的・偶然的なものは、所与の空間の中に書
き込まれるべきとされる。
偶然的な諸要素が展開される空間とは、環境と呼ばれているもの。安全装置は、この環境概念が形成・分離される以前に環境に働きかけ、環境を製造・組織・整
備している。そして結果と原因の循環が作られる境位である。
ゆえに、環境とはつまり、流通がなされるところということになる。
安全においては、結果の循環という現象にねらい定められている。
⇒ 介入の場として環境がある。
安全では、到達の対象が法権利の主体としての諸個人や諸組織の群れとしての諸個人ではなく、人口が到達の対象となる。自らが身を置く物質性に根底的・本質
的・生物学的に結びつくという形でのみ存在するような個人の群れで、この環境なるものによって到達が目指される場においてこそ、このような個人・人口・グ
ループによって生産されうるさまざまな出来事が相互作用を起こす。そしてさらにそのようなものの周囲で、ほとんど自然的なタイプの出来事が生産される
(p26)
都市によって立てられるこの技術的な問題とともに、人工的環境の内部に人という種の[自然性]という問題が闖入してくるのが見られます。
モオーの「出生」
主権者はもはや、自らの政治的主権の地理的局限から出発して領土に対して権力を行使するものではない。主権者は、ある自然〔本性〕に関わりのある何かであ
る。あるいはむしろ主権者はある相互作用に関わりのある何か、地理的・風土的・物理的な環境が人という種に間断なく絡みつくことに関わりのある何か。主権
者はこの先、物理的諸要素という意味での自然が、人という種の本性という意味での自然に干渉する結節点、環境が自然にとっての規定力を持つようになる結節
点において権力を行使すべきものとなります。主権者の介入はその点に対して行われるようになり、主権者が人という種の在り様を変えたいときはその変更は環
境に働きかけることによってなされる。
⇒ 環境へと向かうある企図の出現、環境へと向かうある政治的技術の出現。
■1978年1月18日 pp37-67
今回の講義の目的
安全装置についての分析。空間や領土に対するこの企図・構造化がどのような権力の一般的エコノミーの内部に位置するかを知る必要がある。
空間や環境との関係ではなく、統治と出来事の関係、出来事という問題を扱う。
食糧難を事例
食糧難の定義
18世紀後半のある経済学者の食糧難の定義
「国民を存続させるのに必要な量の穀物が現に不充分であること」
食糧難とはある不足状態であって、その不足状態にはその不足状態自体をさらに導くプロセスを生むという特有性がある。このプロセスは、他の何らかのメカニ
ズムによって止められなければ不測状態を延長・激化させる。
不足状態により価格が上昇、価格の上昇に伴い不足している物の保有者は、価格がさらに上昇するようにそ れをストック・占有しておこうとする。
食糧難は17世紀-18世紀のフランス政府にとって、回避すべき出来事の典型。
理由として
食糧難という現象による帰結は、都市環境において即座に現れる。食糧難は都市環境に出現し、そしてその ほぼ直後に高い蓋然性で反乱が発生。反乱は
政府
に
とっては回避すべき大きな出来事。
政治哲学的な位置づけとしての食糧難
◆ 運・不運としての食糧難:ギリシア-ローマ的
第一に食糧難とは純然たる不運です。明白な要因は天候不順・早跋・霜・湿度過多など、人の手の打ちよ うのないものだからです。政治的・道
徳
的・宇宙
論的な
一大概念としての不運がある。政治の責任者は不 運なるものをもてあそんでいた。
◆ 人間の悪い本性としての食糧難
悪い本性が食糧難という現象と結びつくのは、食糧難が罰として出現するため。人間の悪い本性がそれ 自体、食糧難に対して影響を及ぼし、
食
糧難を
惹き起こす
原理の一つとして現れる。
人間の貪欲さ――儲けたいという欲求、もっと儲けたいという欲望、利己主義――が、商品のストック・占 有・売り絞りといった現象を惹き起
こし、そ
れが食糧
難という現象を激化させる。
反食糧難のメカニズム
17-18世紀フランス社会のような社会を統治し政治的経済的に管理する技術において食糧難に抗してなに がなされることになったか?
⇒ 食糧難に抗してある一大システムとして、法システムと規律システム
○ 統制のシステム
本質的に食糧難を妨害しようとする法システム・統制システム。食糧難がまったく起こりえないようにするシ ステム。価格制限・流通制限・耕作
地が法に
よって
制限され、価格・ストック・輸入・耕作など、さまざまなもの が制限の対象となる。
○ 強制のシステム
ある特定の作物栽培の禁止・独占保有の禁止。農民のあげる利潤が最小になるということ、都市の人々に 与えるべき賃金が最小になる。
穀物の売価・農民の利潤・人々の買値・賃金などを低く抑えるこの調整は重商主義的なもので、これが17世紀初頭から18世紀初頭までヨーロッパを大体にお
いて支配していた。
反食糧難システムというのは本質上、起こりかねない出来事に狙いを定めたシステムであり、そのシステムは、起こるかもしれないその出来事が現実のなかに書
き込まれてしまう前にあらかじめ妨害しようとするということ。
⇒ 失敗
理由
① 農民の破産という効果を惹き起こした。物価価格を最低に維持すると、穀物が豊富に収穫されたときでも農 民は破産してしまう。穀物が豊富に収穫され
ると
価格は下がり、そうすると結局農民にとっての麦の価格がそ の収入を売るために行った投資を下回ってしまう。したがって儲けはゼロに近づき、農民にとっ
ては
生産コス トを下回ってしまうことさえある。
② 農民が麦の豊作の年にも収穫から十分な利潤を上げられないとすると、その次は必然的にわずかな播種で きなくなるということ。農民が上げる利潤が少
なけ
ればもちろん、広い耕作地に播種することができなくなる。 播種が乏しくなると、その帰結として食糧難が出現すること。価格をできるだけ低く抑えよう
と
する
この政策に よって人々は絶えず食糧難にさらされる。
⇒ 18世紀にこのシステムを解除するためになにがなされたか?
重農主義という経済思想・経済分析の創設的行為の内部において、穀物通商・穀物流通の自由主義原則 が経済的統治の根本的原則として打ち立て
ら
れはじ
める。
その理論的帰結は、一国において獲得可能な唯 一の純生産は農業生産があるとして考えられた。
⇒ そこで起こったのはじつは、統治技術の一大変化であって、その局面は安全装置と呼ぶものの設置を成り 立たせる諸要素の一つ。
自由な穀物流通という原則は、権力テクノロジーが設置される一エピソードとして、また安全装置の技術が配置される一エピソードとしてよむことができる。
◆ イギリスでの穀物通商の自由化
自由な穀物流通の発想は17世紀末にイギリスで思いつかれていたが修正もされていた。
① 良い時期には豊作だということ自体が麦ないし穀物一般の価格を暴落させかねないが、輸出を自由化すれ
ばこの価格が暴落せず維持されるはずで、価
格維持
のために輸出は許可されるのみならず、報奨金システ ムによって助成される。
輸出の自由に対して修正・補助物が設けられる。
②
良い時期においては、イギリスでは麦が過度に輸入されるということを回避するために輸入税が定められ、輸
入品によって麦が余って価格が下落してしまうとい
うことにはならないようする。
この二つの措置によって良価が得られていた。
◆ フランスの穀物通商の自由化
18世紀のフランスもイギリスのモデルを参照していた。
30年にわたり、穀物の自由という問題が政治上・理論上の最重要問題のひとつとなる。
三つの段階に分けられる。
○ 第一段階:1754年以前。
そのころは従来の法・規律システムが完全に働いており、それによって否定的帰結が生じ、イギリスのモデ ルにほぼ沿った体制が採用される。
つまり相対的な自由は認められたが、その自由は矯正された。
○ 第二段階:1754年から1764年まで
重農主義者の登場。
穀物の自由を訴える一大議論が理論的・政治的な舞台でなされた。
○ 第三段階:1763年5月の勅令と1764年8月の勅令
この二つの勅令によっていくつかの制限はあるにせよ、穀物取引のほぼ全面的な自由が打ち立てられた。 基本的に重農主義者の勝利。
1764年の9月に、穀物の自由、不作によって価格が急速に上昇し、穀物の自由の撤回が議論された。重農
主義者が守勢にまわった議論で、この時期多くの重
農主義者のテクスト・企画・計画・説明が散見される。
アベイユのテクスト分析:1963年『穀物通商の本性における一卸売商の書簡』
① 法・規律システムにおいては何としても回避しなければならないとされた不足・高価という悪が生じたが、これ
を悪とはならないこと。現象は善でも悪
でも
ないこと。
② 道徳的見地から形容することをやめること。
⇒ あるがままの自然な現象として捉えること。
ここには以下のことが含意されている。
分析の主要な標的は市場ではなく、あらたに分析対象として穀物の来歴がある。つまり、分析の単位は市場 だけでなく、最初から最後まで、穀物こそが
分析
の単
位となる。土地の質、耕作への配慮、感想・暑さ・湿気と いった気候条件、そして最後にもちろん豊作や不作か、市場に出される量、このようなことが相互
作用
を見せ るメカニズム・法則に関わってくる。
⇒ この穀物という現実に、一つの装置を接続しようという試みがなされる。
かつての法・規律システムはこの変動が起こるのを回避すべく強制や禁止がはたらくが、この装置では、このような変動の現実自体に接続し、現実に属する他の
諸要素とこの減少を関連付けることで、この現象からいわばいささかも現実性を奪わないまま、この現象を妨害しないままに少しずつ補正し、ブレーキをかけ、
最終的には制限し、最終段階で取り消す。言い換えればこの作業は、豊作/不作、高価/安価の変動というこの現実の脅威自体において行われる。あらかじめ妨
害してしまおうとはせずに、この現実しっかりと足を踏みしめることで、ある装置が設置されることになる。
⇒この装置は現実自体として認められ受け入れられた現実、プラスにもマイナスにも評価されない、単に自然と
して単に自然として認められた現実に接続され
る
もの。
変動する現実に接続して現実を調節することを可能にするこの装置はどのようなものか?
⇒ 可能な限り安価を目指すのではなく、その反対に穀物価格が上昇するのを認可し、優遇しさえする。この穀
物上昇を、いささか人工的な方法によって
確
保す
ることもできる。輸出を報奨金によって助成したり、輸入に
課税して圧力をかけたりするイギリスのような方法を用いて、穀物価格を上昇させることができる。
⇒ 自由主義的な解決
結果:食糧難は穀物が完全にゼロになってしまうということではない。人口にとって必要な食糧が完全にゼロにな
るということではない。実際にそのよ
う
なこと
もない。
⇒ 食糧難は空想の産物。
食糧難は非常に早い段階で告知される。不作とわかった時点からすでに、いくつかの現象・変動が起こるようになる。すぐに価格が上昇が起こる。売り手たちが
即座に次のように考えて、計算する。価格上昇は放置し、通商が自由であることが重要で、その自由による売り手・買い手の関係、さらには他国からの輸出・輸
入の関係が作用し、問題が収束する。
⇒ この上昇こそが低下を生む機能において、食糧難は、食糧難に向かうその運動の現実から出発して取り消 されていく。
⇒ このように市場のメカニズムを構想することは、現に起こっていることの分析であるとともに、起こるべきこと のプログラミングでもある。
このプログラムを作り上げる条件として、分析の拡大の必要性があった。
拡大の三つの側面
第一に、生産の側にまで分析が拡大される必要があった。生産に関わる最初の行為から最後の利潤にいた るまでの全サイクルを考慮しなけれ
ば
ならな
い。全
体を
考慮にいれ、取り扱い、発展するにまかせな ければならない。
第二に、市場の側にまでも分析が拡大される必要があった。唯一つの市場だけでなく、穀物の世界市場を考 慮しなければならず、それを穀物
が売りに出され
う
るあらゆる市場と関係付けなければならない。
第三に、そこで実際に活躍する者達の側にも分析の拡大が必要とされた。もはやかつてのように命令的な規 則を課すのではなく、むしろ彼ら
がどのように行
動す
るか、それはなぜか、価格上昇を前にして穀物 を売り渋るとき彼らが行う計算はどのようなものか、またその反対に通商の自由があるとわかって
い るがどれほど
の量の穀物が国外から入ってくるのかわからず、今後穀物価格は上昇するのか下降 するのかと逡巡するときに彼らがおこなう計算はどのような
も
のなのかといっ
たことを評定・理解・認 識しなければならない。
この経済学ないし政治経済学的分析は、生産の契機を統合し、世界市場を統合し、そして最後に人口・生産者・消費者の経済的な振る舞いを統合する。
それまでの構想(安全装置以前)の災禍や食糧難は、個人的でもあり集団的でもある現象で、人々が飢えると、同じように人口全体が飢え国民全体が飢えるとさ
れていた。この出来事のいわば直接的連帯・一体性こそがまさにかつての災禍の特徴だった。
⇒ 政治経済学的プログラムにおいて食糧難や災禍はどうなったか?
プログラムの条件としての食糧難
このシステムは、「なすがままにする」「なるがままにする」「物事をなるがままに放置する」という意味での「なる」 といったものを手段にしている。
価格上昇が放置され、これこれの市場において高価-不足というこの現象の創造・展開が放置される。おのず と展開するという自由を与えられたこの現象こ
そ
が、まさに自己ブレーキ・自己制御を導くことになる。これに より食糧難がなくなる。
⇒ しかし、このプログラムを機能させるには条件がある。
一部の人や一部の市場において、何らかの不足・高価、麦を買うにあたっての何らかの困難さ、つまりは何ら かの飢餓があるという条件が必要。人々が
飢餓
で死
ぬということも十分にありうる。しかし、じつはそのような 人々を飢餓で死ぬままに放置することこそが食糧難を空想の産物にすることを可能にし、これが
食糧
難とい う一体性をもつ災禍として起こるというかつてのシステムで見られたことを妨害することを可能にする。食糧難 という出来事は以下のように二分
され
る。
災禍としての食糧難は消滅するが、諸個人を死なせる食糧不足のほうは消滅しない。のみならず、それは消 滅してはならない。
⇒ 二つの水準の現象がある。
集団的水準と個人的水準の基準ではなく、人口の水準と個人の群れという水準がある。
権力知の内部自体(テクノロジーと経済的管理の内部自体)において、人口という適切な水準と、適切でない水準のあいだでの切断が行われるというこ
と。
最終
的目標は人口となり、人口は目標として適切であり、それに対して諸個人、一連の個人、諸個人のグループ、個人の群れの方は、目標として適切ではないこ
とに
なる。後者はただ、人口の水準において何かを獲得するための道具・中継ぎ・条件としてのみ適切であるにすぎない。
○ 人口
新しい集団対象として政治的主体としての人口。人口は対象としても姿を現す。しかじかの効果を獲得するために、この人口に向けて、人口の上へとメカニズム
が導かれる。人口は主体としても姿を現す。これこれのしかたで自己操導するように求められる当の主体は人口である。諸現象は人口との関係で配置され、いく
つかの水準はとどめ置かれるけれども、また別の水準はとどめ置かれない。
○ 人民
人々がしかるべく自己操導すれば、災禍としての食糧難は空想の産物になる。人々がしかるべく自己操導しなければ、すべてが止まり食糧難になる。
⇒ 自己操導しない者が人口に属していないことになる。
では、自己操導しない者とは何か。
○ 人民:人民とは、人口を対象としてなされるこの管理に対して、人口という水準自体において、あたかも自分
が人口というこの集団的対象・集団
的主
体の一
部でないかのように振舞う者のこと、自分がその外部 に身を置いているかのように振舞う者のことである。
人民こそ、自分が人口であることを拒否する者として、システムを狂わせる者達。
このアベイユの分析の特徴を考察
法律をめぐるある思考と近いもの。自国の法律を受け入れる個人はすべて社会契約に署名しこれを受け入れており、その個人は自分自身の振る舞いを通じて契
約
を各瞬間に更新している。またその反対に、法律を犯すものは社会契約を破っており、自国にありながら異国人となり、その結果として刑法に属し、その刑法に
よって彼は処罰・追放され、いわば殺される。社会契約によって創造される集団的主体に対し、非行者はこの契約を破り、この集団的主体の外部に落ちこぼれ
る。
⇒ ここでも、人口という概念の素描の端緒において目にとまるのは二分割。
人民なる者は、全般的に人口に対してなされる調整に抵抗する者として現れ、人口が存在するために (自己維持し、存続し、最適の水準
に
存続するた
め
に)用い
られるこの装置から逃れようとする者として 現れる。
⇒ 人民/人口という対立した考え方。
人民が社会契約の集団的主体と対象関係にあるように見えるけれども、それが実はいかに非対称かというこ と。〔また〕人口と人民のあいだの関係
が、服従
する
主体/非行者という対立とは似ていないことや、人口とい う集団的主体がそれ自体、社会契約の構成・創造する集団的主体とは非常に異なっている。
ともかく、安全装置をより詳細に知るためには規律メカニズムと比較する必要がある。
○ 規律:
① 求心的である。規律はある空間を分離し、ある切片を定める限りにおいて機能する。規律は集中させ、中
心を定め、閉じ込める。事実規律の第一の身振
りは一つ
の空間を縁取るという身振りであり、その空間 のなかで規律権力や規律の権力メカニズムが充分に、限界なく働くことになる。
② あらゆるものを統制する。規律は何も逃さない。規律は物事を放任しないだけではない。最も些細な事柄
であっても放置してはならないというのが規律
の原則。
規律に対する違犯は、それがいかに些細であって も(些細であればあるほど)指摘されなければならない。妨害することを機能としている。
③ 割り振る。規律は、許可・禁止という法典に従って事象を割り振る。許可・禁止の領域の内部で、禁止さ
れるものや許可されるものが正確に特定・規定
される。
法システムにおけると特定・規定の運動はつね
に、またいっそう明確に、妨害・禁止すべき事柄こそが問題だということが含まれており、無秩序という視 点を採
用することで、よりいっそう繊細な分析が行われ、秩序が打ち立てられているということ。
⇒ 秩序とは残り物で、禁止や妨害した後に残るもので、この否定的な思考が法典の特徴。
規律メカニズムは禁止や妨害に関わるのではなく、すべきことに関わる。
法システムは許可されていることが確定されていない。規律的な統御システムでは、確定されているのは しなければいけないことで、それ以外
の残りは
確定され
ず、禁じられている。
④ 法は想像的なものにおいて働く。法はなされるかもしれないこと、なされてはならないことのすべてを想像 するから――法は想像することに
よって自ら
を定式化しうるから――です。
規律はいわば現実を補足するものにおいて働く。規律的空間の内部に行使されるのは、命令や義務 という、この現実を補足するもの。
現実がありのままであり、執拗で打ち勝ちがたいものであればそれだけ、人工的・拘束的なものになる。
○ 安全装置:
①
遠心的である。たえず新たな要素が統合され、生産者・買い手・消費者・輸入業者・輸出業者の行う生産・ 心理学・振る舞い・行動の仕方が統合され、
世界市場
が統合される。しだいに大きくなる回路を組織する こと、その回路がおのずと発展するのを放置すること。
② 放任する。すべてを放任するのではなく、放任が不可欠である水準がある。例えば食糧難では、価格の 上昇、穀物の不足、人々が飢えるに任
せるが、食糧難
という全般的な災禍は起こるがままに放置されはし ない。安全の方は、細部に依拠するということを機能としているけども、細部は善とも悪とも評価さ
れず、 必
然的不可避なプロセス、広い意味での自然的なプロセスとして受け取られる。
⇒ そのありのままの細部は適切とみなされるわけではない。
細部への依拠によって獲得が目指されるのは、人口の水準に位置しているがゆえに適切とみなされ る何ものかである。
③ 安全装置は妨害も義務の視点も採用されていない。物事が起こる点が捉えられるようになることが重要。 物事を、物事の本性という水準でとら
えるこ
と、物事を、実際的現実という水準で捉えること。この現実を 出発点とし、これに依拠し、これを働かせ、その現実の諸要素を相互に働かせること
で、安全メカ
ニズム は機能することになる。安全は、ある現実に応答することを機能し、その向かう先である現実自体を無効 化、むしろ制限しブレーキ
をかけ調整する。
④ 安全は、現実において働こうとする。
特有の分析、処置によって、現実の諸要素を互いに働かせる。
政治は、人間を指導するにはおよばないとする考え方。現実と現実自体との戯れのなかに身を置くこと、 が政治思想としてあること。
自由主義との関連
政治的技術は現実と現実自身との戯れから決して離れてはならないというこの根本原則=公準が自由主義と呼ばれるものの一般原則と深く結びついている。
人々を放任すること、事物を起こるに任せること、物事をなるにまかせ、放任し、放置すること。
① 自由というイデオロギーや自由の要求が近代的・資本主義的な形式を発展させた要素
穀物流通などについて自由主義的な措置の設置において第一に目指され求められたのではないか
② 18世紀の自由主義イデオロギーや自由主義政策の設置を理解するのに、自由の規律的技術を重石として いたことを理解する必要がある。
統治技術でもある自由は、権力テクノロジーの変異・変容の内部で理解される必要がある。自由とは安全 装置の設置と相関関係にあるものに他な
らない。安全装
置は自由が与えられることで機能する。人物の付 帯した特権ではなく、運動・移動の可能性、人々や事物の流通プロセスのこと。
「自由」という単語は、流通の自由、流通能力という広い意味で理解し、安全装置の設置の一つの側面・様 相・次元として理解する必要がある。
人間たちの統治、何よりもまず人間たちの自由のことを考える事物の管理、このような考えはすべて相関的。
権力の物理学――自分は自然の境位における物理的活動であって、各人の自由を通じ、各人の自由に依拠してのみ働きうる調整であると考える権力――ここには
根本的な何かがある。これはイデオロギーではなく、何よりもまず第一に権力テクノロジーである。
■1978年1月25日、pp69-108
第一講、規律と安全のあいだの区別を捉えるにはどうしたらよいか?空間配分に関して規律と安全がどのように
互いに異なる取り扱いや整備を行うか。
第二講、出来事と呼べるものについて、規律と安全がそれぞれどのように互いに異なる取り扱いをするかを示そ
うとした。
第三講、正常化と呼べるものに対して規律と安全がそれぞれどのように異なる取り扱いをするかを示す。
正常化に関する重要な点
第一に、法と規範の間に根本的な関係があること。
ただし、その規範性(法に内属的な、もしかすると法を基礎付けているかもしれない規範性)を、私たち
がここで正常化の手続き・手法・技術といった名で評定しようとしているものとを混同できない。
ここでは、正常化の諸技術が、法システムから出発してどのように展開されるかを示す。
○ 規律
規律では、規律は正常化をおこなう。
規律の正常化の特有な点は何か。
① 規律は分析し解体する。規律はさまざまな個人・場・時間・身振り・行為・操作を解体する。規律はこれら
を諸要素へと解体する。近くのための最小限の要素、手を加えるのに充分な要素を打ちたてようとする。
② 規律は解体した諸要素を決まった目的に合わせて分類する。目指す結果を得るためになすべき最良の 身振りは何かを考察。
③ 規律は最適な連続・配列を打ち立てる。
④ 規律は斬新的調教と恒常的制御の手法を定め、そこから出発して正常と異常の分割を行う。
⇒ 規律的正常化は、まずモデル(定められた結果に合わせて構築された最適のモデル)を立て、そのモデ ルに適合するように人々・身振り・行為を
操作する。正常とはこのモデルとその操作に適合するもので、 異常とはそれに適合しないもの。
⇒ 規律的正常化においては正常・異常ではなく、規範こそが根本的。立てられている規範に対してこそ、正
常・異常を規定・標定することが可能となる。正常に対して規範がまず存在する。規律的正常化が最終的
な正常・異常の分割にいたるのは規範を出発点としている。
ゆえに規律的正常化においておこっていることは正常化というより規範化である。
○ 安全装置
正常化はどのようになされているのか。
今回は疫病、例は天然痘:18世紀の風土病として天然痘。
理由
① 18世紀において非常な広がりをみせた風土病で、非常に高い死亡率を示した現象。
② 天然痘は非常に強力な疫病的爆発を見せた風土病であること。
③ 天然痘は特権的な例。当時の医学実践において突飛な技術を手にした。
その技術の4つの例
① 完全に予防的。
② 確実な、ほとんど全面的な成功を収めるもの。
③ 原則として大した物質的・経済的困難もなく人口全体に一般化することが可能。
④ 重要な点で、当時のいかなる医学理論とも完全に異質であったこと。
天然痘接種や牛痘接種の実践と成功は、当時の医学合理性において考えられないもの。接種す
ることで治ったという経験主義であった。
これらの医学実践は当時において考えられない技術だった。医学内政と呼べるものの次元でなにが起こったか?
天然痘の二つの支え
天然痘のシステムは、二つのもの支えによって西ヨーロッパの人口・統治の現実的実践の中に書き込まれる
ことができた。
二つの支え
① 天然痘接種・牛痘接種が確実かつ一般化可能だったことで、この現象が蓋然性の計算との関連で考えられ
ることができたということ。蓋然性の計算には統計学に関する道具が役立った。その医学実践は数学的な
支えを用いることができた。
② 天然痘接種・牛痘接種が他の安全メカニズムに統合されていた。
例えば、食糧難を例とした安全メカニズム。
天然痘接種が天然痘を妨害するどころか、接種された個人において天然痘自体を惹き起こす、ということ。
⇒ しかし条件として、接種の時点で疾病が起こらなくなりうるということが条件。接種によって全面的・完全な疾
病を惹き起こすことはない。人工的に接種されたこの小さな疾病が最初にあることで、天然痘へのありうべき 罹患を予防することができる。
⇒ ここに安全メカニズムが典型的な形がみられる。食糧難にみられる安全メカニズムと同じ(共通点)ものがみ られる。
この二つの支えが新技術を受容可能なものにした。
安全装置が一般に拡張するための重要な諸要素
① 天然痘が「支配的疾病」という概念で把握されなくなっていくということ。
支配的疾病:一種の実質的疾病というか、しかじかの国・都市・風土・グループ・地域・生きかたと一体をなし
ている疾病のこと。ある病気とある場所、ある病気とある人々との間の一体的・包括的な関係
において定義され特徴付けられていたもの。
成功・失敗に関する数量的分析が天然痘について行われ、死や感染の可能性が計算されるようになると、
疾病は支配的疾病が場所・環境と取り結ぶ一体的関係において現れることをやめ、時間や空間のなかで区
切られるようになる人口なるもののなかに事例の分布として現れることになる。
⇒ ここで事例[症例]という概念が登場する。
事例とは個人的な例ではなく、疾病という集団的現象を個人化するやり方、諸現象を集団化するやり方、個別的な諸現象を手段的領域の内部に統合するやり方。
② 事実の出現がある。事例という概念において、集団的水準・個別的水準で捉えられうるものだとすると、各々
個人について痘瘡に罹るリスクが個人にどのようなものかが標定できることになる。つまり個人にとって年齢
(時間)や住む場所(場所)がわかれば、年齢層(時間)や都市や職業(場所)がわかれば罹患率や死亡率が
どのくらいになるかを特定できるようになる。
数量的分析により、場所や時間の枠組みでリスクがどの程度かを定めることが可能となる。
⇒ リスクという概念の登場
③ リスクの計算によって、リスクがすべての個人にとってどの年齢でも、どのような条件でも、どのような場所・
環境においても同じではないということが示される。程度の差はあるにせよ、リスクがあることが示される。
⇒ リスクの概念により高リスクの地帯と低リスクの地帯が出現する。リスクによって危険なものが標定でき るようになる。
⇒ 危険という概念の登場
④ 疾病という一般的範疇と異なるところで、暴走・加速・増殖といった現象が標定できるようになる。特定の時
点・場所における疾病の増殖が、事例を増殖させるということを惹き起こす。その増殖が他の事例を増殖さ
せ、この増殖が傾斜をもった坂道を転がり落ちるように進み、人口メカニズムか自然的なメカニズムにより減
少が食い止められなければ停止しない。この暴走現象が規則的に起こり、また規則的に収まるもので、ここ に危機というという概念の登場。
危機とは循環的な暴走現象のことで、これを食い止めるのは上位のメカニズム(この減少にブレーキをかけ
る自然的な上位のメカニズム)、あるいは人工的介入が必要。
⇒ 危機という概念の登場
⇒ 事例・リスク・危険・危機という新しい概念。
これらの介入の形式は目標を立てない。疾病の見られるすべての主体において疾病をなくすとか、疾病に 罹っている主体が罹っていない主体と
接触することを妨害するという目標が立てられていない。
ライ病と天然痘との比較
◆ ライ病の場合
① 疾病を病人において取り扱うこと(治療可能であることを条件)。
② 疾病にかかっていない人を隔離することで感染をなくす。
◆ 天然痘の場合
① 疾病にかかっている人とかかっていない人を分割しない。両方を含む全体(要するに人口)を不連続性
や断絶なしに考慮すること。この人口における蓋然的な罹病率・死亡率を標定すること。正常な罹病率・ 死亡率という考え方がある。
② 正常といわれる罹病率・死亡率に対して、より細やかな分析への到達が試みられるということ。それに
よって、互いに異なるいくつもの正常性をいわばばらばらに扱うことを可能にすること。
それぞれの年齢・地方・都市・地区・職業において、痘瘡に罹患した事例や痘瘡に起因する死亡事例の正常 な分布が得られるということになる。
まず包括的な正常カーブがあり、そして正常とみなされるさまざまな異なるカーブがある。
技術は、最も不都合で逸脱した正常性を、一般的な正常カーブに近づけようとする。
予防医学が働くのは、互いに異なるいくつもの正常性のあいだでの操作、いくつかの正常性をばらばらに扱
い、これこれの正常性をしかじかの正常性にひきつけるという操作の水準において。
⇒ 規律とは逆のシステムとして安全メカニズム
● 規律
規律は規範を出発点としており、正常と異常の区別は、規範によってまず調教が行使された後でのこと。
● 安全
安全は正常と異常の標定であり、さまざまな正常カーブの標定である。正常化の操作は、このさまざまな 正常性の分布においてある正常性を
別の正常性と作用させ、最も不都合な正常性を最も都合の良い正 常性に近づけるもの。
⇒ 安全では、正常から出発して、他の正常な分布よりさらに正常とみなされる分布を用いるということ。ここでの
規範とは、互いに異なるさまざまな正常性の内部に見られる作用で、正常が先にあり、規範はそこから演鐸
される。正常性に関するこのような研究を出発点としてこそ規範は定められ、操作的な役割を果たす。
⇒ 問題はもはや規範化ではなく、むしろ厳密な意味で正常化こそが問題となる。
都市・食糧難・疫病、ないし街路・穀物・感染の問題の共通点
共通点
① すべて都市自体という現象に結びついている。
食糧難と穀物は市場都市の問題、市場都市の場は都市の場としての都市。
感染と疫病の問題は発生地としての問題、都市は瘴気と死の場としての都市。
⇒ 安全メカニズムの中心に都市の問題がある。
安全テクノロジーの複雑な素描は、都市によって経済的・政治的な問題、新しくもあり特有でもある統治技術の
問題。
16世紀において本質的に領土的な権力システムの内部では、都市はつねに一つの例外であった。都市は つねに、封建制から出発して発展した権
力の特
徴である大組織・大権力メカニズムに対して一つの自立区 域を表していた。
⇒ 都市が権力の中心的メカニズムの内部に統合されたという現象は、17世紀と19世紀
初頭のあいだに起こったことに特徴的な転倒。
この問題には新たな権力メカニズムによって対応する必要があった。
そのメカニズムが安全メカニズムで、都市という事実と主権の正当性をすり合わせなければならなかった。都市に対して主権を行使するにはどうすればよいか。
そのために一大変容が必要だった。
② 流通がある。
ここでの流通とは、移動・交換・接触・拡散・形式・配分形式といった、非常に広い意味での流通のこと。
主権と領土の問題
かつての主権の伝統的問題はつねに、新たな領土を征服すること、あるいはその反対に征服済みの領土
を保持しておくという事。問題になっていたのはまさに領土の安寧、領土に君臨する主権者の安寧とでも呼 べるもの。
マキャヴェッリの問題はある時代の終わりをしるしづける。
特定の領土において主権者の権力が脅威にさらされないためには、自分にのしかかってくる脅威を確実に
引き離すための技術に関する議論。君主の領土的権力という現実において君主の安寧を考えることがマ
キャヴェッリの君主の問題。
⇒ マキャヴェッリの問題は君主とその領土の問題となった時期の頂点をしるしづけた。
領土と君主の問題とはまったく別の問題として安全の問題がある。領土を定めたりしるしづけたりせずに、流通をなすがままに放置し、流通を制御し、良い流通
と悪い流通をふるいにかけ、流通がつねに動くように、つねに移動するように、ある点から別の点へと絶えず移っていくようにはからいつつ、この流通に内在す
る危険性をなくす、そのことが問題となる。
⇒ 君主とその領土の安寧が問題ではなく、人口の安全(人口を統治する者達の安全)が問題となる。
③ 上位の意志(主権者の意志)とそれに服従する意志との間の従属関係を働かせることがない。
ここで問題なのは、現実の諸要素を働かせあうということ。諸個人が主権者に対してもつ全面的な服従を確 保するような主権者と臣民という関係軸
には、安全メカニズムは接続されるべきとはされないこと。
現実的な諸要素を重ね合わせることで、不都合な現象を徐々になくすという形式をとる。現象に対して否と いう法を課すのではなく、いわば受容
可能な範囲に現象を局限することが問題となる。安全メカニズムは主 権者と臣民のなす軸においてでもなく、禁止という形式において、働かない。
④ あるものの意志をまた別なものの意志へとできるだけ均質・連続的・網羅的なしかたで反映するという傾向
はもっていない。問題となるのは、統治者たちの行動が必要充分であるような何らかの水準を出現させるこ と。
ある統治行動にとって適切な水準とは、臣民達の実際上かつ逐一の全体性ではなく、人口と、人口現象・人 口に固有のプロセスである。
◆ 一望監視と主権
一望監視はある意味で近代的だが、古風でもあり、それにおいては中心に誰かを、監視の原則を置い て、それによってこの誰かに、権力機
械の内部に[位置する]諸個人すべてに対していわば主権を行使さ せるということがなされる。一望監視は最も古い主権者の見る夢。私の臣民はだれも
逃れてはならない、 わたしのいかなる臣民のいかなる身振りもわたしの知らぬところであってはならないという夢である。
⇒ 一望監視の中心点こそ完璧な主権者。
◆ 安全装置
諸個人に対する網羅的監視という形式によって各人をいわばあらゆる瞬間にいわばあらゆる行為につい て主権者の眼前に置こうという考えで
[はなく]、正確には個人的現象ではないような特有の現象を統治 (及び統治者)にとって適切なものとするメカニズムの総体。
そこに諸個人がいないわけではなく、そこでの個人化のプロセスは特有のもの。
集団的なものと個人的なものとの関係、社会体の全体と要素への断片化との関係が人口と呼ばれるものにおいて働くことになる。
人口の統治は、諸個人の振る舞いの最も細かい細部に至るまで統治をおこなっていた主権の行使とはまったく違うもの。ここにあるのは互いにまったく異なる二
つの権力エコノミー。
人口「ポピュラシオン」
何らかの大きな災厄の後に――すさまじい数の人間が迅速に死んでしまった劇的な大契機の後に――、人 のいなくなった領土にふたたび人がいるよ
うになる運動のこと。
人口という問題が立てられたのは、人間にかかわる大いなる災いによって生じた無人状態・無人化に対してであった。死亡表は大きな災厄によって人が減ったと
きに、その原因を知るためだけに作られた。
人口問題はその実体的なプラスの側面・一般的側面では捉えられていなかった。人口とは何か、人を増やせるのはどのようにしてかといった問いが立てられるの
は、劇的な死亡率との関係においてであった。
○ 主権者(主権者)
人口という概念の実体的なプラスの価値。
人口は主権者の力の一要因・一要素として現れていた。主権者が強力であるには、広大な領土に君臨する
こと、国庫の豊潤さ、人口の多さがあった。人口が多いことは、都市に人が多いこと、市場がにぎわっている
ことによって明かになっていた。人口は補足的な条件が充たされることで主権者の力を特徴付けた。
第一は、人口が服従的であること。
第二に、人口が熱心で、仕事や活動を好むこと。
これにより主権者は裕福たりうる。
事態が変容するのは17世紀。
○ 重商主義の登場(規律的)
統治に関する諸問題の新しい立てかたが登場する。
17世紀の重商主義者たちにとって人口はもはや単に主権者の力の紋章に記されることを可能にする実体 的なプラスの特徴としてではなく、人
口が、国力と主権者の力の力学の内部で現れる。つまり他のすべて の要素を条件づける要素として人口が現れる。
⇒ なぜか?
人口が農業のための人手をまかなうことになり、人口は豊作を保証する。人口が多ければ、耕作者も多く
なり、耕作地も多くなり、豊作にもなり、それにより穀物などの農業生産物が安価になる。人口は手工業の 人手もまかなう。
⇒ 人口は、輸入品にできるだけ頼らず、外国の資本を頼らない統治技術の要素として現れる。人口が国力の
力学において根本的な要素だというのは、人口が可能な労働力の競合を国内自体で確保することで、低賃
金が確保される。低賃金であれば、生産商品の価格も下がり、それを輸出する可能性が増し、それにより国
力が新たに確保される。国力自体に影響を及ぼす新たな原則として人口が現れる。
⇒ 人口がこのようにして国家の富や力の基盤になるということは、人口が一大統制統治によって枠づけられて いる限りにおいてのみなされうる。
人口の国外移住を妨害し、国内への移住者を呼び寄せ、出生を助成する。さらにこの装置はどのようなものが有用かつ輸出可能な生産物かを定義づけ、生産すべ
き対象、生産手段、賃金を定め、さらには怠惰や浮浪を禁止するようになる。
この一大装置は人口を原則とみなし、それをいわば国力と国富の根幹とし、この人口がしかるべきしかた・場所・目的で働くことを確保するようになる。人口が
生産力として結びつくようにするために規律メカニズムがあり、それは重商主義者たちの思考・企図・政治的実践の内部で一体をなしていた。
○ 重農主義の登場(安全的)
18世紀以降、人口は本質的・根本的に生産力であるものとはみなされなくなる。重農主義者は反人口主義 的であった。
実際には重商主義と重農主義の違いは人口の取り扱いの仕方
○ 重商主義や官房学の人口は、富の基礎であり、統制システムに枠づけられていなければならないもの。 人口という問題を本質的に主権者と臣民と
いう軸で考慮。
人々は法権利の主体、法に服する臣民、統制的な枠付けを被りうる臣民としてそこにいたったのであっ て、主権者の意志と人々の服従させ
られた意志との関係にこそ位置づけられていた。
○ 重農主義者たちとともに、人口は法権利の主体を集めたものとして現れることをやめるようになった。人 口は法や勅令などを介して主権者の意志
に従わなければならない服従した意志達の集まりとして現れる ことをやめる。人口はあるプロセスの集合とみなされるようになり、その集合はその自
然的な部分おい て、自然的な部分から出発して管理されるべきものとなる。
人口の自然性
人口が、臣民という法的・政治的概念からではなく、いわば管理や統治の技術的・政治的対象として知覚され ることになるのは何によってか?
⇒ 人口の自然性とは何か?
統治技術・政治的対象としての人口
人口は領土に住んでいる諸個人の単なる総和ではなく、主権者の再生産への意志の単なる結果でもない。 人々を優遇したり設計したりしうる主権者
の意志に対置されるものではない。
人口とは風土・環境・流通活動・法・慣習・教育・道徳・宗教・倫理的価値などの一連の変数に依存している 所与。
⇒ それらの変数がある以上は、人口は主権者の行動を素通りにするような透明なものではありえず、人
口と主権者の間の関係は単に服従か拒否か、服従か反乱かといった次元のものではなくなる。人口が
依存している変数は、法という形をとる主権者の意志まかせの直接的な行動から、大きく人口を逃れさ
せるもの。
人口に対して「これこれをしろ」と言うにしても、人口がそれをするだろうということを保証するものは何もな く、それどころか人口がそれをで
きるということを保証するものさえ何もありはしない。
法の限界とは、主権者と臣民のあいだの関係だけを考慮する限りは臣民の不服従であり、主権者に対して臣民が反対して立てる「否」。
しかし、統治と人口の関係になると、主権者や統治によって決定されることの限界は、必ずしも、その相手である人々による拒否ではない。
人口の自然性の特徴
① 人口は本性的な現象として現れる。
本性的な現象は、勅令によって自由に変化させることはできないが、人口は手の届かない、直接触れること
のできない本性とはならない。その逆。人口という事実のなかで標定されるこの自然性は、変容の動因・技 術に絶えず手の届くもの。
⇒ しかしその変容の動因・技術は説明され考察されたものであり、分析的で計算されたもの、計算をおこなう
ものであることが条件。しかじかの事柄に対して働きかけができることが重要であり、その事柄に計算・分
析・考察を加え、その事柄が人口に対して働きかけることができることが重要。
直接触れることができる人口の自然性なるものが、権力手法の組織化・合理化において非常に重要な変異をもたらした当のもの。
② 人口の自然性は、人口が少なくともある限界内では、その振る舞いを正確に予見することができないという 点に現れるといえる。
しかし一つの定数はあるとされる。人口を全体として捉えると、どの行動の原動力は一つに絞られる。
⇒ それは欲望。
欲望が、権力・統治の諸技術の内部に改めて姿を現す。欲望とは、あらゆる個人がそれによって行動す るところの当のもの。欲望に反して
は人は何もできない。
ある一定の限界内で、いくつかの関係付けや連結によって欲望の働きを放任すれば、全体としては人口の一般的な利を生産することになる。
⇒ 欲望という個人にとっての利の追求で、欲望はその自発的な戯れこそがじじつ何らかの利を生む。人口
自体にとっては何らかの利となるものが生産される。
⇒ 欲望の戯れによって集団的な利が生産されるということ、これが人口の自然性をしるしづけるとともに、人
口を管理するために用いる諸手段の持つありうべき人工性をしるしづけるもの。
人口を管理するにあたって人口の欲望の自然性(欲望による集団的な利の自発的生産)を出発点とする考えかたは、統治や主権の行使に関するかつての倫理的・
法的な構想とはまったく対極にあるもの。
○ 主権者とは、あらゆる個人の欲望に否ということができる者で、そこでの問題は、諸個人の欲望に対
して立てられるこの「否」がいかにして正当なものたりえ、諸個人の意志自体を基礎としうるものであり うるかということが大きな問題。
○ 安全の自然性において、欲の限界や自分を愛するという意味での自己愛の限界などが問題なのでは
なく、この自己愛・欲望を刺激し優遇して、それが必然的に生産するべき有利な諸効果を生産できる
ようにはからうあらゆることが問題となる。
⇒ 一大功利主義哲学の母型。
功利主義哲学が人口の統治という当時の新製品を下支えする理論的道具。
③ 人口の自然性は諸現象の恒常性において現れる。
不規則であるはずの諸現象を、観察しまなざしを向け、表にまとめることで、その規則性を把握する。
人口とは諸要素からなるひとつの集合だが、その内部では偶発的事故に至るまでの定数や規則性が認められうる。そこではまた、万人の利益を規則的に生産す
る、欲望の普遍的なものが標定でき、この集合に関してはそれが依存するいくつかの変数が標定できる。
⇒ つまり一つの自然が権力諸技術の領域に入ってきた。
自然の上に、この自然に抗して法や主権者があり、主権者に対する服従関係があるなどというものではない。ここでの人口の自然〔本性〕とは、自然の内部で、
自然の助けによって、その自然について、よく考えられた統治の手続きを主権者が展開すべきというもの。
人口とは、それぞれの立場や置かれた場や財産や任務や役務によってさまざまに異なる法権利の主体の集まりとはまったく違うもの、それは諸要素からなる集合
で、それらの要素は一方では生きたものたちの一般的体制のなかに沈みこみ、他方では諸変容が接触するにあたって必要とする表面を提供する。その諸変容は権
威的ではあるけれども、よく考えられ計算されたもの。
人口が他の生き物のあいだに沈み込むこの次元は、人間が「人類」と呼ばれることをやめ「ヒトという種」と呼ばれ始めるときに現れ、裁可されることになる次
元のこと。ここから人間は原初的な生物学的枠組みの中に姿を現すことになる。
人口と公衆
人口とはヒトという種のことであり、他方では公衆と呼ばれるもの。公衆とは18世紀において重要な概念となる
ものであるが、人口をその臆見・行動のしかた・振る舞い・慣習・恐れ・先入見・要求といった観点から捉えられ たもの。
⇒ これに働きかけるには教育・キャンペーン・信念が必要となる。
人口とはヒトという種による生物学的な根づけから、公衆によって提供される接触表面に至るまで拡がるあら ゆるもののことである。
種から公衆に至るまで、ここには新たな現実の一大領域がある。この現実は権力メカニズムにとって適切な諸要素であるという意味で新しい。この空間の内部
で、この空間について、人は行動しなければならなくなる。
統治
統治が規則に対して行使しはじめる特権、統治と君臨のこの逆転、このことは絶対的なしかたで人口に結びついていると思われる。安全メカニズム‐人口‐統治
という一連のものと、政治と呼ばれるものの領域が開かれたこと、このようなことをすべてを分析せねばならない。
人口という新しいものの出現があり、それによって大量の法的・政治的・技術的な問題が打ち立てられた。これとはまったく異なる一連の領域(知と呼ばれうる
だろう〔一連の〕のもの)をとりあげると、気付くのは、この一連の知において人口というこの同じ問題が現れているということ。
博物学から生物学へ、富の分析から政治経済学へ、一般文法から歴史文献学へと移行をおこなった変容の操作子を探すには、またそのようにしてこれらかつての
システムを揺さぶり、かつてのあらゆる知を生命や労働や生産の科学へ、言語の科学へと引き倒した当の操作子を探すには、人口の側で探さなければならない。
人口の重要性を理解した指導的な諸階級がこの方向に博物学を向かわせると生物学者になり、文法学者を向かわせると文献学者になり、財政学者に向かわせると
経済学者になったというようなことではない。そのような形式においてではなく、権力の諸技術とその対象とのあいだの絶え間ない働きがあり、それが現実的な
ものにおいて、人口および人口に特有の諸現象を現実の領域として徐々に切り出したのだということ、そして、人口が権力の諸技術の相関物として構成されたこ
とを出発点としてこそ、さまざまなありうべき知にとっての対象の領域が開かれえた。そしてひるがえって、人口が近代の権力メカニズムの特権的な相関物とし
て自らを構成・継続・維持しえたのは、このような知が絶えず新たな対象を切り出したということ。
そこから、帰結すること
人間という主題設定――人間を生き物として、労働する個人として、語る主体として分析する人文科学を通じてなされる主題設定は――は、権力の相関物とし
て、また知の対象としての人口の出現から出発して理解しなければならないということ。
人間――19世紀のいわゆる人文科学から出発して思考され定義されたような人間、19世紀の人文主義において考察されたような人間――はつまるところ、人
口の一つの形象に他ならない。
さらにいえば、権力の問題が主権の理論において定式化されたとすれば、主権を前にしては人間は存在しえず、存在しえたのはただ法権利の主体という法的概念
だけだったということになるが、その反対に、主権に向き合うものとしてではなく、統治や統治術と向き合うものとして人口があったとすると、人間と人口の関
係はちょうど、法権利の主体と主権者の関係に等しいということができる。
■1978年2月1日pp109-142
統治という問題
16世紀なかばから18世紀末まで「統治」が問題とされた。
「統治」の問題は16世紀に突如として出現
「統治」の問題が、君主への忠告という形にも政治学という形にもなっておらず、君主への忠告と政治学論 文の間に統治術なるものとして登場
する。
多様な面で「統治」の問題が姿を現すようになる。例えば、
① 自己統治
16世紀のストア主義への回帰において、自己統治が問題となった。
② 魂の統治、操行の統治
司牧性の問題。
③ 子供の統治
④ 君主による国家統治
どのように自己統治するか、どのように統治されるか、どのように他の者達を統治するのか?誰に統治されるのを受容すべきか、最良の統治者であるにはどうす
ればよいか、これらの問題は16世紀に非常に特徴的なもの。
これらの問題は二つのプロセスの交差点に出現。
① 封建的な諸構造を解体して領土的・行政的・植民的な大国家を整備・設置するというプロセス。
= 国家による集中化の運動
② 宗教改革によってなされた問い直しの運動、現世にあって精神的に救済へと導かれたいという人びとによる その救済の欲しかたを問い直す運動のこと。
= 宗教的反体制の拡散した運動
16世紀における統治の問題が示す支配的特徴は、統治一般が全般的に問題設定されるということ。
国家統治の定義に関する諸点の指摘
いくつかの統治に関するテクストをマキャヴェッリの『君主論』に対置して考えることで、統治の定義に関する 諸点を指摘する。
16世紀から18世紀までつねに反発点として『君主論』があり、さまざまな統治に関する文献が、この出発点 に対して、この点[に]対立す
る形で、この点[を]棄却する形で、統治に関する文献全体は自らを位置づけ ていた。
⇒ 『君主論』以降に書かれ、これを批判し棄却したあらゆるテクストとこのテクストがどのように関係を持った かを辿りなおすことで国家統治の定
義に関する諸点を指摘することができる。
マキャヴェッリの『君主論』
同世代、その直後の世代において称賛され、また18世紀末にも称賛された。19世紀初頭のドイツ・イタリア にも再登場。その再登場の文脈と
してナポレオン、またフランス革命がある。
フランス革命の問題として、
① 主権者が国家に対して行使する主権はどのようにして、またどのような条件で維持されうるかとい う問題。
② クラウゼヴィッツとともに政治と戦略の関係という問題も出現。国際関係の知解可能性の原則、合
理化の原則として、力関係(および力関係の計算)が政治的な重要性を持つようになった。
③ イタリアとドイツの領土の統一性という問題でもある。というのも、イタリアの領土の統一性がどのよ
うな条件で定義されうるかを論じた者としてマキャヴェッリがいた。
しかし16世紀から18世紀末までの間は、膨大な反マキャヴェッリ文献があった。
これらの反マキャヴェッリ文献を実体的なプラスの価値をもつものとして扱う。
マキャヴェッリの『君主論』における君主
① 君主は自分の領国に対して単数性・外在性・超越性という関係にある。
マキャヴェッリの君主が自分の領国を受け取るのは継承、獲得、あるいは征服によってですが、いず れの場合であれ、君主は領国の
一部ではなく、領国に対しては外部に在るとされる。
君主を領国に結びつけるのは暴力や伝統といったものであり、また、他の君主達との条約による示 談、共謀、合意によって打ち立
てられる結び付き。
⇒ 君主と領国の間には根本的・本質的・自然的・法的な帰属関係はない。君主が外在する超越的なもの だということが原則。
② 君主と領国の関係が外在的なものであるために、その関係が脆弱なものであり絶えず脅かされるもので あるということ。
外部からは、その領国を取ろう(取り戻そう)とする敵たちに脅かされ、内部からも脅かされる。なぜな ら、臣民達にはその君主を
領国の首長たることを受け入れる自明な理由、ア・プリオリな理由、直接的 な理由がない。
③ ①と②の理由から、君主の権力の行使の目標は、自国の維持・強化・保護することでなければならなくな る。
領国とは、自分の所有するもの、自分が継承・獲得した領土、服従している臣民達との間に君主が持 つ関係であるため、保護すべきも
のとなる。
⇒ マキャヴェッリの統治術が目標とすべきなのは、君主が自分の領国との間に持つこの脆弱な結び付き を保持すること。
マキャヴェッリの二つの分析様態
① さまざまな危険を評定することが問題となる。
危険はどこから来るか、危険はどのようなものか、危険は互いに比較するとどのような強弱があるか、 最も大きな危険とは何か、最も
小さな危険とは何か?
② 力関係を操作する術。
この術によって君主は、臣民・領土との結び付きとしての領国が保護されるように計らうことができる。
反マキャヴェッリの論考から透けて見えてくる『君主論』は、本質的に、自国の領土を保持する君主の巧みさに関する論考として現れる。
⇒ 君主の巧みさやノウハウに関する論考の代わりになる、新たな統治術を立てようとした。自国の領国を保守
するにたくみであるということは、統治術を所有しているということではない。統治術とは、これとはまったく別 のもの。
反マキャヴェッリのテクスト
ギョーム・ド・ラ・ペリエールのテクスト
1555年『政治の檻 さまざまな統治のしかたを含む』
ラ・ペリエールの「統治する」や「統治者」という単語は何を指しているか?
「統治者と呼ばれうるのは帝王、皇帝、領主、行政官、高位聖職者、判事、その他これに類する者たちであ る」。じじつ、ラ・ペリエールをはじめ
とする統治術を扱う人々は、「家を統治する」「魂をと統治する」「子供を 統治する」「地方を統治する」「修道院・修道会を統治する」「家族を統治す
る」とも言うことを絶えず指摘する ようになる。
ここには、二つの重要な政治的含意がある。
① 統治者、統治する人びと、統治という実践は多様な実践だということ。
統治は、一家の父、修道院長、子供や弟子に対する教育者といった、多くの人が行うこととして捉えら れた。君主の国家に対する統治
はその一つの様相にすぎない。
② これらの統治はすべて社会自体ないし国家の内部にあること。
一家の父が家族を統治するのも修道院長が修道院を統治するのも国家の内部においてのことであ る。つまり、統治形式は複数あり、
統治実践は国家に対して内在的である。
⇒ 国家統治が内在的であることは、マキャヴェッリの君主の持つ超越的単数性とはラディカルに対立する。
⇒ これらの多様な統治形式の中にも、評定すべき特殊な統治形式はある。
フランソワ・ド・ラ・ル・ヴァイエのテクスト
統治の三つのタイプ
① 自己統治……道徳に属する。
② 家族の統治……経済に属する。
③ 国家の統治……政治に属する。
政治と経済は異なり、道徳とも等しくないとされているが、道徳・経済・政治が(とくに経済と政治が)本 質的には連続していると
いうことが、これらの統治術によって参照され、つねに公準として立てられてい るということ。
国家を統治できるようになりたいと思うものは、まず自らを自己統治できなければならない。また別の 水準では、自分の家族・財
産・領地を統治できなければならない。そして最後に国家を統治するに至 る。この下から上へという線が、当時において君主の教育において重要
であった。
上から下へもあった。国家がきちんと統治されているなら、一家の父は自分の家族・富・財産・所有物 をきちんと統治できるし、諸個
人もしかるべき自分を導く。この上から下への統治は国家の良い統治を 個人の操行や家族の管理に至るまで響き渡らせる。
⇒ これがこの時期に「内政」とよばれたもの。
君主の教育法はさまざまな統治形式の、下から上へという連続性を確保し、内政は上から下へという連続性 を確保する。
連続性の本質的な要素としての経済
この連続性の本質的な部分・中心的な要素として家族の統治=経済。
⇒ どのようにして国家の管理の内部に経済を導入するか?家族の統治の仕方を国家の管理の内部にどの ようにして導入するのか?
16世紀18世紀の課題としてあった。例:ルソーの「政治経済学」の定義
国家を統治することは経済を作動させること、国家全体という水準で一つの経済を作動させること。
その特徴的な文言として、
① 18世紀のケネーの「経済的統治」
「統治」の本質自体の主要な対象が「経済」というものになっていく。経済という単語は16世紀において統 治の一形式を表していた。
18世紀になると経済が現実の水準をさすようになり、それは統治が一連の 複雑なプロセスを通じて介入する領域になる。
② ラ・ペリエールの文言
「統治とは物事の正しい処置であり、その物事をふさわしい目的まで操動するという任務を人は負う」。
ここでの「統治」が関与する「物事」とは何か?
○ マキャヴェッリにおける権力がかかわる対象の総体の特徴として、①領土、②臣民であった。
領土こそが領国の基礎、主権の基礎。
○ ラ・ペリエールの場合、領土を参照にしていない。統治されるのは領土ではなく、物事であった。
ここでの物事とは、富や資源や食料といった事物と関係の結びつき・からみ合いを持つ限りで
の人間、領土。国境をもち、質・風土・旱魃・豊穣を備えた領土、ここでの人間は、風習・慣習・
行動の仕方・考え方といった物事とかかわっており、さらに、飢饉・疫病・死といった事故や不幸 と関係する物事。
⇒ 全般的管理のすべてが統治を特徴付けている。人間と事物からなる複合体としての物事を管
理することが統治の主要な要素であって、領土や土地所有権は二次的な要素でしかない。
この統治の考え方は17・18世紀にも登場。
③ 統治の目的についての文言(先ほどのラ・ペリエールの文言を参照)
万人の共通善・万人の救済
プーフェンドルフの文言
「彼らに[つまり主権者達に]主権者としての権威が授けられたのはただ、彼らがそれを用いて公益を もたらし維持するためだから
である。[……]国家にとって有利なことでないかぎり、主権者は何も自分 自身に有利にはからってはならない」。
○ 法学者・神学者が唱える共通善・万人の救済
すべての臣民が法に従い、割り振られた任務を行い、与えられた職を実践し、打ち立てられている 秩序を尊重する限りにおい
て、共通善や万人の救済が存在する。
⇒ 公共善とは、本質的に法への服従を意味する。
主権者の法への服従、絶対的主権者たる神の法への服従。
⇒ この循環(善は法への服従、法への服従は善)性は、マキャヴェッリの主権者の目標である領国の
関係を維持することとほとんど同じ。
⇒ 人は相変わらず、この主権の循環、領国の循環の中にいる。
○ ラ・ペリエールの場合
統治の目的は、共通善という形式ではなく、「ふさわしい目的」へと操導されるということ。
含意として、特有の目的が複数あるということ。
富の生産・食料の供給・人口の増加などが統治の目標となり、これら別々の目標に到達するため
に行われるのが統治。主権においては法への服従という目標を達成するのは法自体であった。し
かし、統治においては、法は目標を達成するための戦術の一つでしかない。
⇒ 法の後退
統治の目的は、統治が導く当の対象である物事の中にある。統治の目的は、統治によって導かれるプ ロセスの完成・最適化・強化のなか
に求められるべきもの。
④ ラ・ペリエールは統治者の条件に「忍耐、智恵、勤勉さ」を挙げている。
真の統治者は怒りや剣によって統治するのではなく、忍耐によって統治すべし。統治者にとって本質的 なものは、殺害権や自分の力を引
き立たせる権利ではなく忍耐。
⇒ 針がないことに実体的なプラスの価値とはどのようなものか?
⇒ 知恵と勤勉さ
○ 智恵とは人間の法や神の法を知ることではなく、統治者にとって必要となる智恵のこと、つまり物事
についての認識、到達可能な諸目標についての認識。目標に到達するために用いるべき「処置」こ そが、統治者の智恵。
○ 勤勉とは、「自分は統治される側の者たちに奉仕するべく存在し行動するのだ」と考える限りにおい
てのみ主権者は統治すべきだとするもの。
統治と現実との結びつき
統治術は政治理論家の関心ごとだけでなく、現実のものなかにもその相関物を評定することができる。
① 16世紀からみられる領土的君主制の行政装置の発展との結びつき。(統治諸装置の出現、統治を 中継するものの出現)
② さまざまな所与、さまざまな次元、国力のさまざまな要因についての国家の認識とのむすびつき、国
家の学としての「統計学」との結びつき。
③ 重農主義・官房学とのつながり。
重農主義や・官房学は統計学によって獲得される認識に応じて権力の行使を合理化する努力であ
り、それは国力や国の富の増加させる方法に関する一つの学説でもあった。
統治術はただ哲学者や君主の助言者が考えたことにとどまらず、行政的君主制の装置がその装置と相関 関係にある知の諸形式とともに実際に設置さ
れつつあった。
⇒ しかし、18世紀まで統治術は行政的君主制の内部だけに適応され、充分な規模と一貫性をもちえなかった。
その理由として、
① 30年戦争
② 農民・都市民による数々の大暴動
③ 財政危機・食糧危機
⇒ 統治術が展開され、考察され、規模が獲得され大きくなりえたのは、軍事・経済・政治的な要請が なかった時期だけ。
統治術が拡大しなかった理論的要因
主権の諸制度が根本的制度として据えられており、権力の行使が主権の行使として考察されていたた め。
その事例として重商主義
重商主義は、国家に関する知を構成し、統治の諸戦術のために利用可能たりうる国家に関する知 が構成された最初の契機。
⇒ しかし重商主義は主権者の力を目標としていたために、失敗した。
国が富むためではなく、主権者が富を処置できるには、主権者が国庫を持つには、政策を実行 するために必要な軍を
作るにはどうすればいいかが問われていた。
主権者が手にしている道具(法・王令・統制)を用いて、統治をしようとした。
⇒ 統治術のあらゆる可能性を主権という枠組みのなかで用いようとしたことが、統治術の障害となった。
統治術は一般的形式と折り合いをつけようとするか、さもなければ家族の統治というあの申し分のない
モデルに無理やり自分を押し込めた。
統治者が家族を統治するように明確・綿密に国家を統治するにはどうしたらよいか。この考え方に縛ら
れていたために、統治術は固有の次元を見いだせずにいた。
⇒ この障害は何によって解除されたか?
人口拡大にともなう通貨の流通の増大、その流通に伴う農業生産の拡大といった循環的プロセスによっ て解除。
より明確には、人口問題の出現
人口問題
統治に関する問題が主権という法的な枠組みの外で思考・考察・計算されることが可能となったのは、人口 という特有の問題が知覚されるように
なったから。
⇒ 統計学がその障害を取り除く主要な技術上の要因としてある。
⇒ 人口モデルによって家族モデルを決定的に引き離し、それにともない経済という概念の中心を家族以外の 領域へと移動させた。
人口には固有の規則性があることを統計学が発見。
また、人口には集合のあり方に固有の効果があることを発見。統計学は人口に固有の現象を数量化す ることを可能にし、家族という小さな
枠組みには還元できない人口ならではの特有性を出現させた。
⇒ 統治モデルとしての家族の消滅。
⇒ 家族の消滅にともない、人口内部の要素としての家族、人口を統治するための根本的な中継点としての家 族の出現。
人口の下位の水準としての家族
戦術としての家族モデルではなく、戦術の道具としての家族
さらに、人口が統治の最終目標として現れた。
統治の目標とは、人口の境遇を改善すること、人口の富・寿命・健康を増大させること。これらの目標はい わば人口という領域にとって内在的な
ものであるが、この目標を獲得するために統治が手にする道具が人 口。
[人口は]統治を前にして、自分が何を欲しているかを意識しているものとして、そしてまた統治が自分に何 をさせているのかには無意識なものと
して[現れる]。
人口を構成する個々人の意識としての利、人口の利としての利。人口を構成する者たちの利がどのようなも のであれ、これらの利が人口の統治の根
本的な標的・道具となる。
統治の観察・考察の対象としての人口
これにより統治に関する知の構成が、広い意味での人口をめぐるあらゆるプロセスに関する知の構成と絶 対的な仕方で結びつく。
⇒ 政治経済学の登場
人口・領土・富のあいだの関係からなる連続的で多様なネットワークを捉えることで構成された学。
主権の諸構造によって支配されている体制から統治の諸技術によって支配されている体制への移行 が18世紀になされた。
統治術が政治学になることで主権が問題にされなくなったわけではなく、逆に主権は先鋭した問題となった。
昔のように主権を主軸に統治を考えるのではなく、統治を主軸に主権を考える必要がでてきたため、国 家を特徴付ける主権にどのような法
的形式・制度的形式・法的基礎を与えるかが議論された。
その事例として、
ルソーの『百科全書』と『社会契約論』
○ 『百科全書』の「政治経済学」の項
「経済」という単語は本質上、家族の財産に対する一家の父の管理を表している。しかし今日では、 経済は家族についての経
済を意味していない。
⇒ 「経済」「政治経済学」がまったく新しい意味を持っていることを銘記。
○ 『社会契約論』
「自然」「契約」「一般意志」といった概念を用いてどのように統治術の一般原則(主権という法的原 則と統治術を定義し特
徴付けることを可能にする諸要素との両方に場所を与えるような原則)をも たらすことができるかが考察されている。
規律と統治
18世紀に規律もまた重要な役割を持っていた。
人口を管理するために規律が重要なものとしてあった。
人口を管理するとは、単にさまざまな現象のなす集団的な集積物を管理するということでも、単にそれを包 括的結果の水準で管理するということ
でもない。人口を管理するとは人口を深く繊細に、細部にわたって管 理するということ。
⇒ 主権社会の代わりに規律社会が登場したと考えるのではなく、主権・規律・統治的管理という三角形があり、
主権的管理の標的には人口、主権的管理の本質的メカニズムに安全メカニズムがある。
⇒ ここには三つの深い歴史的な結びつきのある運動がある。
三つの運動
第一に、主権の定数だったいくつかのものを、統治に関する良い選択という今や主要なものとなった問 題の背後へと引き倒す運動。
第二に、人口を一つの所与として、介入するための領域として、統治技術の目的として出現させる運動。
第三に、経済を現実にかかわる特有の領域として取り出し、政治経済学を学として、またこの現実にか かわる領域において統治が用いる
介入の技術として取り出す運動。
⇒ これら三つの運動は、それぞれ統治・人口・政治経済学にあたるもの。
18世紀以降この三つが堅固なまとまりをなしており、今日までそれが続いている。
「統治」の言葉から言いたいこと
① 「統治性」とは、人口を主要な標的とし、政治経済学を知の主要な形式とし、安全装置を本質的な技術的道 具とするあの特有の権力の形式を行使す
ることを可能にする諸制度・手続き・分析・考察・計算・戦術、これ らからなる全体であるということ。
② 「統治性」とは、西洋において相当に前から、「統治」と呼べるタイプの権力を主権や規律といった他のあらゆ るタイプの権力より絶えず優位に操導
してきている傾向、力線のこと。これは一方では、統治に特有のさま ざまな装置を発展させ、[他方では]さまざまな知をも発展させたもの。
③ 「統治性」とは、中世における司法国家が徐々に「統治性化」されたプロセスをさすものではなければならな い。
近年、国家の誕生・歴史・前進・権力・濫用に執着して論じる傾向にあるが、そうした国家の過大評価は、二つの形式を持つ。
第一は直接的・感情的・悲劇的な形式で、冷たい怪物としての国家。
第二に国家をいくつかの機能へと縮減する分析。
⇒ 国家を他のものからそのような機能へと縮減するというこの役割は、国家を攻撃すべき標的として絶対的に本質的なものにしてしまう。
ところが、国家はこのような単一性・個体性・厳密な機能性を今はもっておらず、歴史上そのような単一性・個体性・機能性・重要性を持ったことなどなおさら
ない。つまるところ国家とは混成的現実、神話化された抽象にすぎない。そのような国家の重要性は、人が信じているよりもはるかに縮減されたものなのかもし
れない。つまり私たちの近現代史において重要なのは社会の国家化ではない。重要なのはむしろ、国家の「統治性化」とでも呼べるようなもの。
私たちは18世紀に発見された「統治」の時代に生きている。
国家の統治性化は、統治性の諸問題や統治の諸技術が実際に現実において唯一の政治的懸案となり、政治的闘争・戦闘の唯一の現実的空間となったにせよ、国家
の統治性化はともかくも国家の延命を可能にする現象だった。
統治に関する諸戦術こそが、国家に属するべきものと属するべきでないもの、公的なものと私的なもの、国家的なものと非国家的なものを各瞬間に定義すること
を可能にする。このことは、延命中の国家、限界に至っている国家を理解するには、統治性の一般的な諸戦術を出発点とする以外にない。
統治性という現象の設置に関するいくつかの事柄
西洋における権力の大いなる諸形式・諸エコノミーを三つに復元することができる。
○ 司法国家――封建的なタイプの領土性において誕生し、法――慣習法と成文法――からなる社会に対応。
これにはあらゆる関与や係争のゲームが付帯している。
○ 行政国家――国境を旨とするタイプの領土性から誕生。封建的ではない15世紀から16世紀の国家。統制と 規律からなる社会に対
応。
○ 統治国家――本質的には領土性によっても、占拠している地表によっても定義されず、これを定義するのは 群集。人口からなるこの
群集には量感・濃度があり、これには彼らが広がっている領土も付帯 しているが、この領土は一構成要素にしか過ぎない。本質的に人口
にかかわり、経済的な知 の道具立てを参照・利用するこの統治国家は、安全装置によって制御されている社会に対
応。
統治性はどのようにして誕生したのか?
① キリスト教的司牧制という古風なモデルを出発点としてその誕生を考察
② 外交的・軍事的なモデルに依拠してどのように誕生したかを考察
③ 統治性が一般性を獲得できたことが、非常に特殊な一連の道具があったことを考察
その道具は統治術と同時代に形成され、17・18世紀に「内政」と呼ばれたもの
司牧制、新しい外交的・軍事的技術、内政、この三つの大いなる支点を出発することで、西洋の歴史において根本的な国家の統治性化という現象が起こりえた。
■1978年2月8日 pp143-167
「統治性」「統治する」について
「統治する」とは「君臨する」と同じではない。「指揮する」とも「法をなす」とも違う。主権者である、封建君主 である、領主である、判事で
ある、将軍である、地主である、師である、教師であるといったことではない。
⇒ 統治を知るには統治がカヴァーするタイプの権力関係を分析する必要がある。
16世紀に目指されていた権力関係、17世紀の重商主義の理論と実践において目指されていた権力関 係、「経済的統治」という重農主
義の教説において目指されている権力関係。
問い
① なぜ「統治性」を研究するのか。
⇒ 国家と人口の問題を扱うため。
② 国家と人口を「統治性」につなげて考察する理由は何か。
規律の外部に向かう三つの移動
① 個々の制度の外に出ること、制度という問題設定から中心を移動させること
例:精神医学
精神病院とは何かということを(その所与・構造・制度的密度を)出発点として、その内部構造を見 いだし、各部品の論理
的必然性を評定したり、どのような医学権力がそこで組織されるのかを示し たり、これこれの精神医学的な知がどのようにしてそこで展開され
るのかを示したりすることはでき る。
⇒ しかし、外部から手続きを進めることもできる。
精神医学的秩序が他の領域にわたって浸透している状況があるということは、精神医学的秩序を出発 点として考えることで、その秩序
を強化・具体化・濃密化するための社会諸制度の権力の政治的諸関 係の一端を知ることができる。
精神医学的秩序が社会全体に狙いを定めたまったく包括的な企図において分節化されている以 上、制度としての病院を理
解するには精神医学的秩序という外的・一般的なものを出発点にしな ければならない。精神医学制度がどのようにして精神医学的秩序を具体
化・強化・濃密化するの かを示すこともできる。精神医学的秩序がどのようにして子供の教育、貧民の扶助、労働者の援
助制度などにもかかわるさまざまな技術からなる総体を連携させているかを示すこともできる。
⇒ このような方法は個々の制度の背後にまわりこみ、大まかに権力テクノロジーと呼べるもの(制度の背 後にあるもの、制度より大きなも
の)を見いだそうとする。
それによって、このような分析は、系統的つながりを旨とする発生論的分析の代わりに系譜学的分析を 立てることを可能にしてくれる。
つまり方法上の原則の第一として、個々の制度の外に出て、その代わりに権力テクノロジーという包括的な 視点を立てること。
② 外部への移行の第二は、機能に関するもの
例:監獄
あらかじめ見積もられた諸機能(監獄の理想的機能として定義されたもの、そのような機能を行使す る最適なやり方)を出発点と
して、監獄によって現実に確保された諸機能がどのようなものだったか を調べる。つまりプラスとマイナス(目標とされたことと実際に到達さ
れたこと)からなる機能本位の収 支表を作成することができる。
⇒ しかし、このような機能的視点から外に出て、監獄を権力の一般的エコノミーの中におきなおすことが問 題。監獄の歴史は、監獄の機能上
の欠陥さえも支えとするさまざまな戦略・戦術のなかに書き込まれて いる。
つまり、機能という内部的な視点の代わりに戦略・戦術という外部的な視点を立てるということ。
③ 中心を移動させる第3のやり方は、対象に関するもの。
規律という視点を採るということは、心的疾患であれ非行であれセクシュアリティであれ、できあい の対象を手にするの
を拒否するということ。すでに所与となっている対象を基準にして制度・実践・ 知を計るのを拒否するということ。
そうではなく、知の諸対象のなす真理の領域がそれら動的なテクノロジーを通じて構成される運動を捉える ことが問題。
⇒ これら三つの移行性を考察する際に採用されている視点は、権力関係を個々の制度から切り離して テクノロジーという[視角から]
分析をおこなうもの、機能から切り離して戦略に関する分析においてこれ を捉えなおすもの、研究対象の特権から切り外して知の領域・対象の構成
という観点からこれを置きな おそうとするもの。
この外に出ようとするこの規律の3つの運動が、国家とどのように関連しているのか?
⇒ 諸制度から外に出ることは容易ではあるが、国家の外に出ることは可能か?
局所的な定まった個々の制度に対して、規律という観点は包括的なものだったけれども、そのような包括 的な観点は国家に対して存在するの
か?
個々の制度の外に出ることで復元しようとしたあの一般的な権力テクノロジーは結局、まさに国家という包 括的制度・全体化的制度に属するも
のではないか?
病院・監獄・家族といったそれぞれに局所的・局部的・局点的な制度からは脱したのはいいとしても、単に また別の一つの制度に差し向けられ
てしまうのではないか?
つまり、個々の制度分析からは脱したにせよ、また別なタイプの制度分析(制度分析のまた別の帯域・水 準)には入るよう要求されないわけで
はないのではないか?
つまり、まさしく国家という水準に入るよう要求されてしまうのではないか?
つまるところ、人を閉じ込めるというのは国家の行う操作の典型、大まかに言えば国家の行動に属するこ との典型ではないか?
結局のところ、規律メカニズムを一般的・局所的に作動させる責任は国家にあるのではないか?
⇒ 上記の分析がたどりつく制度外的一般性・非機能的一般性・非対称的一般性によって、全体化をおこなう 国家という制度が私たちの前に姿を現
すということもありうるのではないか。
講義の論点
近代国家を一般的な権力テクノロジーのなかに置きなおし、その権力テクノロジーこそが近代国家の変異・発 展・機能を確保したとすることはできる
か?
精神医学にとっての隔離技術、刑罰にとっての規律的技術、医学制度にとっての生政治のように、国家に とっての「統治性」といったものを語るこ
とはできるのか?
以上がこの講義の論点
統治という概念
統治の歴史
まず、統治が政治的な意味や国家にかかわる意味をもっていない時期に評定する。
「統治する」(グーグルネ)
13世紀‐15世紀
さまざまな意味をカヴァーする概念
○ 物質的・物理的・空間的な意味。これこれの道に沿って導く、前進させるといった意味、さらには自分 で前進するという意味。
○ 道徳的な次元に属する意味。「統治する」は「誰かを操導する」という意味にもなる。魂の統治という精 神的な意味、療法を課すとい
う意味、「話をする」「会談する」という意味、性的交渉を意味する。
⇒ 16世紀以前は広い意味をカヴァー
空間における移動・運動を指す、食料調達を指す、一個人に与える治療や一個人に対して確保する救済 を指す、指揮・命令の行使を指す。自分
や他者、他者の身体に対して行使しうる支配を指す、交流や循環 的プロセス、一個人から他者へと移行する交換プロセスを指す。
⇒ 国家なるものが統治されるなどという意味を持っていなかった。
統治の対象が人。
人間が統治されるものだという考えは、ギリシアの考え方ではなく、ローマの考え方でもない。
例:『オイディプス王』
ポリスを担う王の隠喩として操舵者。統治される対象は都市。統治の対象は諸個人ではない。間接 的な統治を受けるものとして
人間がいて、この船への乗り込みということを媒介・中継ぎとしてこそ統 治されている。
⇒ 人間たちの統治という考え方の起源は東方。
人間の統治の二つの形
1 司牧的なタイプの権力という考えかた・組織という形
2 良心の指導や魂の指導という形
司牧的権力の考え方
王・神・首長が人間たちに対する牧者であり、人間たちは牧者に対する群れであるというのは、地中海の東 方全域で頻繁に見られるテーマ。
エジプト・アッシリア・メソポタミア・ヘブライに見られる。
王は実際に、儀礼的な仕方で、人間たちの牧者であると表現されている。
司牧はヘブライにおいて発展・強化される。
司牧的権力の特有性
ヘブライ人においては牧者と群れの関係は本質的・根本的に宗教関係であるという特有性。
神と民の関係
ヘブライの王は1人も、はっきりと牧者として位置づけられていない。
牧者という用語は神のために取り置かれている。
司牧的関係とは、完全な実定的な形式においては、本質的には神と人間たちの関係だということ、それは宗 教的なタイプの関係であり、その原則・基
礎・完成は神が民に行使する権力の中にある。
司牧の権力はどのように特徴付けられるのか?
① 牧者の権力は、領土に対して行使される権力ではない。
定義上、群れに対して行使される権力、より正確に言えば、ある点から別の点へと移動・運動している 群れに対して行使される権力。
○ ギリシアの神
領土的な神、城壁の内側の神であり、何らかの特権的な場をもっている。都市を護るために城壁 の上に現れる。
○ ヘブライの神
歩く神、移動する神、彷徨する神。民が移動するときこそ最も存在感が強まり、目に見えるものと なる。民の彷徨・移動
において、神が民の先頭に立ち、民に従うべき彷徨の道を示すときにこそ 最も存在感が強まり、目に見えるものとなる。
⇒ 都市から離れるとき、城壁を出たところに現れる。
② 司牧的権力は根本的に善行を旨とする権力。
○ ギリシアの思考
善行は権力を特徴付ける他の多くの特徴と並ぶ一つの構成要素にすぎない。権力は善行性に よっても特徴付けられる
が、全能性によって、富によって、権力を取り巻くあらゆる象徴の輝きに よっても特徴付けられる。
○ 司牧的権力
その全体が善行性によって定義付けられる。善をなすという以外の存在理由はない。司牧的権力 にとっての目標において
本質的となるのは群れの救済。司牧的権力というこの問題設定において は、群れに対して確保すべきとされる救済には非常に明確な意味があ
る。
救済の意味
① 食料の確保、牧者とは、手ずから養う者。
② 気配りの権力、司牧的権力は、群れに気を配り、群れの個々人に気を配り、羊が苦しまないよ うに見守り、はぐれ
る羊はもちろん探しにいき、傷ついた羊は手当てする。
⇒ 牧者の権力は扶養の義務・任務にはっきりと現れる。
司牧的権力は力や優位の顕示ではなく、その熱心さ、献身、限りのない専心によってはっきりと 現れる。
⇒ 牧者とは見守る者
あらゆる不幸なことが起こらないか警戒するということ。牧者は群れを見守り、群れを脅威に さらしかねな
い不幸を、それがたった一頭に及ぶものであっても遠ざける。
牧者の負っているものは重荷・苦痛の側で定義されるもの、牧者の配慮はすべて、他の者たちへと 向けられる配慮であり、けっ
して自分へと向けられる配慮ではない。悪い牧者とは自分の利益のみを 考えるもの。
司牧的権力の特徴は献身的なもので、いわば移行的なもの。牧者は群れに奉仕し、自分と放牧の間の仲 立ちとして食料と救済を用いなければな
らない。
③ 個人化を行う権力
つまり、牧者はたしかに群れ全体を導いているが、牧者が群れを導くことができるのはとりもなおさず、 群れから逃げる羊が一頭もい
ないため。
牧者の逆説
1 全体かつ個別に目を配らなければならない。
2 群れのために牧者が犠牲になるという問題
群れの全体のために牧者自身が犠牲になったり、群れ全体が一頭の羊のために犠牲になったり するという問題において、
逆説はさらに強烈になる。
群れの救済のためには自分自身を犠牲にすることも受け入れる、しかし他方、それぞれの羊を救 済しなければならないの
だから、一頭の羊を救済するためには群れ全体を疎かにすることを余儀 なくされるという状況に置かれるのではないか?
モーセとは、はぐれた一頭の羊を救済しに行くために群れ全体を捨てることを実際に受け入 れた人。犠牲に
することを受け入れたということで象徴的に救済された。
⇒ 全体のために一つを犠牲にすること、一つのために全体を犠牲にすること。
⇒ 司牧的権力とは領土に対してではなく、群れに対して行使される権力。ある目標に向けて導く権力、そ の目標に向けて仲立ちとして働く
権力。
目的づけられた権力であり、それが行使される当の者たち自身を目的とし、ポリス・領土・国家・主権者 といったいわば上位のタイプの
単位を目的としない。
また、逆説的な等価性において全員と各人とを同時に目標とする権力であり、全体が形成する上位の単 位を目的とはしない権力である。
ギリシア-ローマの思考とは完璧に異質な司牧的権力というこの考え方が西洋世界に導入されたのはキリスト教会を中継ぎしにしてのこと。司牧的権力に関する
これらのテーマすべてを明確なメカニズムへ、定まった制度へと凝固させたのはキリスト教会であり、特有的かつ自立的な司牧的権力を現実に組織したのはキリ
スト教会であり、ローマ帝国の内部にその装置を植え付け、あるタイプの権力をローマ帝国の核心において組織したのはキリスト教会。
西洋にかくも特徴的な権力形式、諸文明の歴史においてかくも独特なこの権力形式は牧羊の側、牧羊とみなされた政治の側で誕生した(あるいは少なくともそれ
をモデルにした)もの。
■1978年2月15日、pp169-201
統治性と関係のある司牧を見定めることを可能にする標識の素描
牧者と群れの関係
エジプト、アッシリア、ヘブライの文献にも見られ、重要なテーマ。
ギリシア人において、牧者と群れの関係はさほど重要なテーマではないと思われる。
ギリシア
牧者と群れの関係
主権者と臣民・市民との関係を指すものとして存在している。
その実例
① ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』
王を「民の牧者」という儀礼上の名称で指している例が多く散見できる。
1968年のリュディガー・シュミットの文献からもこの表現の実例が見ることができる。また『ベーオウルフ』 の古英語詩からも見るこ
とができる。
② ピュタゴラス派
伝統的な語源解釈にみられる表現。
「法(ノモス)は牧者(ノメウス)に由来する」という表現。
牧者とは、食糧を配分し、群れを導き、良い方法を指し示し、どのように羊をかけあわせれば良い 仔が生まれるかをいうも
のである限りにおいて法をなす者。
⇒ 群れに対して法をなす牧者の機能
ゼウスに対するノミウスという名称はここに由来する。ゼウスは牧者たる神
「行政官」を牧者と位置づける表現。
行政官とは何よりもまず人を愛するもの(ピラントロポス)(管轄下の者を愛し、服従している人間た ちを愛する者、利己主
義的ではない者)だとされた。行政官は何よりもまず「管轄下の者たちのた めに」作られている。
⇒ 行政官(ポリスにおいて決定する者)は本質的には牧者であるという基本的テーマを維持した一貫
性・持続性を持った伝統。
しかし、これは、限定的な伝統ではある。
③ 政治学の語彙
二つの説
① グルッペの説
牧者の隠喩はギリシア人にはほとんど見られず、例外は当方の影響(より明確にはヘブライから の影響)がありえた部分
のみに見られる。
牧者が良い行政官のモデルとして現されているテクストは、ピュタゴラス派に限定されたもの。
② ドゥラットの『ピュタゴラス派の政治』
政治的モデル・政治的人物としての牧者というテーマはありふれたもので受容性の低いテーマ。
『イソクラテスの目録』には、「ポイメーン」という単語の用例も「ノメウス」という用例も載っていな い。羊飼いや
牧者という表現はまったく見られない。行政官の義務の数々が牧者の隠喩なしで語 られている。牧者の隠喩は稀なもの。
⇒ 牧者の隠喩を用いている例外的な文献としてプラトンの『国家』『クリティアス』『政治家』『法律』。『政治家』以 外のテクストを取り上げる。
3通りの用例
① 人類に対する神々の権力の示す特有・十全・幸福な様相を指す用法
神々はもともと人類の羊飼い、牧者である。神々こそが[人間たちを]養い、導き、食糧を与え、操行の 一般諸原則を与え、幸福と安
楽に目を光らせた。『クリティアス』、『政治家』に見られる用法。
② 行政官の用法
行政官が牧者としてみなされる。しかし、この牧者たる行政官はポリスの創設者とも、ポリスに本質的 な法を与えた者ともみなされ
ることはない。牧者たる行政官は従属的な行政官。ポリスの主権者ないし 立法者たる者の間にいる者としての行政官。
⇒ 牧者によって表されるのはポリスにおける権力なるものの政治的機能や本質自体であるというより、 単に側面的機能。『政治家』で
は「補助的」機能と呼ばれている。
③ 行政官の用法に対する否定としての用法
『政治家』のテクストでは、ポリスにおける特定の行政官をではなく行政官なるもの自体を特徴づけるこ とはできるか、これを牧者の
群れに対する行動・権力というモデルを出発点にして分析することはでき るかという問題にしていて、政治は実際、牧者と群れの関係という形式に
対応しうるかを根本的な問い としていた。
⇒ テクストでは、政治を牧者と群れの関係に対応するかどうかに関しては「否」と回答。
プラトンの批判
政治家とは何か
⇒ 政治家としての行動を実際にしかるべく行使することを可能にする特有の認識、固有の術によって定義 づけられる。
政治家を特徴づけるその術・認識とは、命令・指令する術。
命令するとは何か?
自分で下す命令を命ずること:政治家
誰か別のものが下す命令を命ずること:伝令官、占者など
命令する対象は何か?
生命のあるもの:政治家
生命のないもの:建築家
生き物に対する命令の仕方
個人
群れ:政治家
⇒ 群れをなす生き物に対して命令を下すとは何か?
⇒ その群れの牧者
⇒ つまり政治家とは人間たちの牧者であり、ポリスの住民によって構成される生き物の群れを見守る 牧者である。
⇒ どうすればこのテーマから脱することができるか?
4段階で展開
① 粗雑かつ単純な区分に基づく方法を再検討すること。
一方にあらゆる動物、他方に人間というように対置することにどのような意味があるのか。
⇒ プラトンは、この区分に否定的。区分は実際に半々になるように、半分ずつ等価になるように行わな ければならない。
行政とは群れを見守るものであるというテーマについては、野生の動物と穏やかな家畜動物とを区 別する必要がある。
人間は後者になり、家畜動物には水棲と陸棲に区分され、さらには翼を持つものと足で歩くものに、
角を持つものと持たないもの、足先が割れているものと割れていないものに、異種交配ができるもの とできないものに区分。
⇒ 区分はこのようにして下位区分へと小さく見えなくなる。行政官=牧者という等式を不変とし、この関
係がかかわる対象にさまざまな変数を入れると、あらゆる動物の分類を手にすることができる。
しかし、命令するという術は一体何かという根本的な問いについて答えてくれない。
② ゆえに牧者であることがどのようなことであるかに眼差しを向けなける。
⇒ つまり、分析においてそれまで不変のものと認められてきたものを変動させるということ。
牧者とは何か?
1:群れの中にあって1人の牧者であるということ。
2:牧者は多くのことをするもの
食糧を手に入れ、若い羊の世話をし、病気や怪我の羊を治療、道を引き連れていくこと、生殖 のことなど、1人の
牧者がさまざまに異なる機能を果たす。
⇒ 王は直接、食糧を調達しないし、病を治療しない。このことから牧者の単独性・単一性の原則が崩れ る。誰もが牧者になりうる。
③ では、政治家の本質自体をどのようにして捉えなせば良いか?
『政治家』の神話。
世界がまずは正しい方向に(ともかくも幸福の方向、自然な方向に)回っているが、その時期が終わ りに来ると正反対の方向に周
り、困難な時代の運動になるという考え方。
クロノスの時代
クロノスの時代の人間の牧者は神であったが、困難な時代になると神は人間の牧者をやめ、 間接的に人間にかか
わるようになる。そこで、人間たちは政治や政治家を必要とする。しか し、政治家は他の人間たちの上位にいるわけではないため、牧
者とはみなされない。
③ では政治家の役割をどのように定義づければよいか?
織物工
政治とは織物工の術と同じように、補助的・準備的ないくつかの行動から出発してのみ、またそれら の助けがあってのみ展開で
きるもの。
織物工:羊毛は刈り取られる必要があり、毛糸になっていなければならない。
政治家:戦争をする、裁判所でよい判決を下す、修辞術によって議会を説得するなど。
⇒ 政治家は教育によって形成された良い諸要素を互いに結びつけ、互いに対立する気質を折り合わ
せ結びつける。それにあたって用いられるのは、人々が共有している共通の臆見という杼。
「このすばらしい織物の襞の中に、国家のあらゆる住民が(奴隷も自由人も)織り込まれる」
⇒ プラトンにとって司牧というテーマがあまり重要ではない活動にしか見られない。司牧というテーマはポリスに
は必要であるけど、政治的なものの次元に対しては従属的なものに過ぎない活動(例えば医師や農民や体 操教師や教育化の活動)である。
政治家は、政治家に特有・固有の活動を踏まえると、牧者とはいえない。命令するという王の術は、司牧から
出発して定義することはできない。ピュタゴラス派はこれをポリス全体という規模で価値を持たせようとすると いう誤りを犯している。
ギシリアの古典的な政治学の語彙には牧者というテーマが見当たらない。またこのテーマはプラトンによって批判されている。政治に関するギリシアの思考・考
察が牧者というテーマに対する価値付けと相容れないという、かなり明白なしるし。
司牧テーマに対する価値付けは東方の人々やヘブライ人には見られるが、古代世界にはこのテーマの支えとなる諸形式があり、それが「キリスト教」とともに司
牧という形式が広まることを可能にしたのではないか?
牧者のテーマはポリスよりも小共同体に目を向けなければならない。また良心の指導の諸形式にも目を向ける必要がある。それには牧者というテーマの明示的な
設置までは言わずとも、少なくともいくつかの布置・技術・考察ではある。次いで、それらが当方から輸入された司牧というテーマのギリシア世界全体への伝播
を可能にした。
牧羊という形式を出発とする権力の実体的分析が見いだされるのは政治思想の側ではない。
キリスト教と司牧
司牧はキリスト教とともに始まる。
司牧という統治は限られたグループという規模やポリスや国家という規模でではなく、人類全体という規模で なされるものと主張されている。救済
を口実として現実の生において人間たちを日常的に統治し、それを人 類規模で行うと主張する宗教、これこそが教会なるもの。
一宗教が教会として制度化されることによって、他のどこにも見当たらないような権力装置が形成。この権 力装置は、紀元後2、3世紀ごろから
18世紀に至るまでの15世紀間にわたって展開・洗練され続けた。司牧 的権力は、一宗教が教会として組織されたということと深く結びついており、そ
の15世紀の間に移動・転移・ 変形され、さまざまな形式に合うように統合されてきた。
この権力は廃絶されることなく、依然として私たちはこの権力の中を乗り越えていない。司牧的権力は不変で固定的なものではない。その時代ごとに変遷してき
た。
⇒ その契機として宗教的闘争
グノーシスをめぐる甚大な論争、宗教改革。
これらはすべて人間たちを統治する権利を実際にもっているのは誰か、誰がこの権力をもってお り、そのものは誰からそれ
を受け継ぎ、どのように行使するのか各人煮の押されている自律の余白 はどのくらいか、この権力を行使する者たちの資格はどのようなもの
か、これこれの者たちがしかじ かの者たちに対して及ぼす制御はどのようなものか、こうしたことが問題として議論された。
宗教改革は司牧をめぐる闘争
13世紀にはじまり大まかに言って17-18世紀に安定化する一連の騒乱・反乱から生じたものは、司牧的権 力の途方もない強化。
そこから生じた司牧の大変な強化は二つのタイプがある。
① プロテスタント・タイプ
位階的にはより柔軟であるだけにより仔細な司牧がなされる
② 司牧をめぐる反乱
統治される権利、どのように誰によって統治されるのかを知る権利をめぐる反乱はすべて、実際には 司牧的権力の徹底的な再組織
化に結びついている。
しかし、これらは司牧に反対する革命ではない。歴史から司牧を決定的に追い出す深い革命は起こって いない。
司牧に対するこれまでの考察。
教会の制度史、教義や信仰や宗教的表象についての歴史、実際の宗教実践の歴史に関する研究はあ る。しかし、用いられていた諸技術の歴
史、司牧技術に関する考察の歴史、司牧技術の発展・適用の歴 史、その洗練の歴史、司牧の行使に結びついている人が誰であるのかの各種分析の歴史
といった研究 はない。
しかし、司牧について膨大な考察があった。
人を統治する司牧技術を「術中の術(テクネー・テクノーン)」「知中の知(エピステーメー・エピステーモー ン)」と定義した最初の人
はナジアンゾスのグレゴリオス。
18世紀まで「術中の術(アルス・アルテイウム)」「魂の統率(レギメン・アニマルム)」という伝統的な形で 反響。
「術中の術」とは、「魂の統率」「魂の統治」のこと
グレゴリオス以前は「術中の術」「術中の術」「知中の知」とは、哲学を指していた。17・18世紀の「術中の 術」は司牧制であり哲学
ではなかった。この15世紀の間、人々に対して統治技術として考察されてきた。
知中の知の特徴
ヘブライ
すべてが司牧という形で展開している。
神は牧者であり、ユダヤの民の彷徨は群れの彷徨。
二つのことを指摘
① 牧者と群れの関係は、神と人間との多様かつ複合的な、絶え間ない諸関係のみせる様相の一つにすぎ ない。
② ヘブライ人にとって厳密な意味での司牧制はなかった。
人間に対して牧者であるように位置づけられたものもいなかった。
王は人間たちの牧者として表現されていない(ダビデを除いて)
王が牧者として表現されるのは、その王の不注意を告発し、いかに彼らが悪い牧者であるかを示す 時だけ。王はプラスの価値をも
つ実体的・直接的な形で牧者として表現されることはない。神以外に は牧者はいない。
キリスト教
牧者というテーマが他のテーマから自律化し、神と人間たちの関係を示す単なる一次元・一局面ではなく なる。
① 根本的・本質的な関係となり、他のさまざまな関係と同列に並ぶのではなく、他の関係を全て包み込む 関係となる。
② それ自体の法・規則・技術・手法をそなえた司牧において制度化されるタイプの関係となる。
司牧は自律的なもの、包括的なもの、特有のものとなる。
キリストも牧者であるが、使徒たちも牧者である。司教たちも牧者。
⇒ 誰が牧者になりうるのかが問題となった。
主任司祭が牧者とみなせるかが問題となったこと。
ウィクリフ、プロテスタント教会、ジャンセニストは主任司祭を牧者とみなしたが、教会は牧者とみ なさなかった。
⇒ 教会の組織全体が、キリストから教区司祭や司教にいたるまで、司牧制という姿をとっている。
宗教権力とは司牧的権力のこと。
③ 政治的な権力から判然と分かれてきたという特徴。
宗教権力が諸個人の魂を引き受けることだけを勤めてきたわけではない。魂の操行がある介入を含 意している限りにおいて。
日常的な操行やさまざまな生の管理、また財産・富・物事に対してなされる恒常的介入。諸個人を対象 とするだけでなく、集団をも対
象とする。司祭は諸個人だけでなく、都市も、さらには世界全体を引き受 けねばならない。
⇒ 二つの指摘
① 司牧的権力が政治的権力と同じように機能しないこと。
教会の司牧的権力と政治的権力の間には一連の相互作用・支持関係・中継ぎ関係があり、一連の衝 突はあったが、司牧的権力はその形
式、機能のタイプ、内的テクノロジーを見ると政治的権力とは異な るもの。
② 政治的権力と司牧的権力という二つのタイプの権力がそれぞれに固有の特徴や相貌を保ったというの は一体どのようになされてか?
キリスト教的司牧と皇帝的権力(王の権力)の間に区別、異質性があるという特徴。
⇒ 東方には見られない。
例 アラン・ブザンソン『生け贄にされたロシア皇帝』
君主政に固有のいくつかの宗教的テーマを展開。キリストに関係するテーマがかつてのロシア社 会において(さらには近
現代社会において)、実際の政治的主権にどれほど見られるものか、実 際に組織立てられているとまでは言わずとも、少なくとも生きら
れ、知覚され、深く感じられてきた かを示している。
ゴーゴリのテクスト
ゴーゴリはツァーとは何かを定義しようとして、ロシア帝国の将来を喚起して見せている。帝国が 完璧な形式に到達
し、主権者と民達の間の政治的関係・支配的関係が要請する感情が強烈さ を獲得する日が将来。
⇒ ツァーがキリスト的主権者のイメージ、喚起がある。
西洋の主権者はカエサルであって、キリストではない。西洋の牧者はカエサルではなく、キリスト。
*作成:大谷 通高;更新:箱田 徹