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『フィールドワークの物語――エスノグラフィーの文章作法』

Van Maanen, John 1988 Tales of the Field: On Writing Ethnography,Chicago: The University of Chicago Press,173+xvip.
=19990120 森川 渉 訳,現代書館,284p.

last update: 20110218

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■Van Maanen, John 1988 Tales of the Field: On Writing Ethnography,Chicago: The University of Chicago Press,173p. ISBN-10: 0226849627 ISBN-13: 978-0226849621 [amazon][kinokuniya] n08 s
=19990120 森川 渉 訳 『フィールドワークの物語――エスノグラフィーの文章作法』,現代書館,284p. ISBN-10: 4768467474 ISBN-13: 978-4768467473 \3360 [amazon][kinokuniya] ※ n08 s

■内容

・訳書の帯より
フィールドワークってなに?
エスノグラフィーってなに?
今や猫も杓子もフィールドワーク.でも,ただ出かけりゃいいってもんじゃない.「リアル」をきちんと書き留めるための文章作法の数々.現場と記述の関係の背後にある隠された約束ごとが今,明るみに出された!

■目次

序章 5

第一章 フィールドワーク・文化・エスノグラフィー 19
 記述と部族 20
 エスノグラフィーの制約 24
 予告 29

第二章 文化を追い求めて 38
 フィールドワークの実践 39
 似て非なるもの――共通点と相違点 51
 今日のエスノグラフィー 54
 エスノグラフィーの読者 57
 同業者の読者 60
 社会科学系の読者 65
 一般の読者 68
 新たな領域を求めて…… 71

第三章 写実的物語 89
 経験に基づく著者(性) 90
 典型的形式 94
 現地の人々の視点 96
 解釈の全能性 99
 写実的物語の実例 103
 制帽野郎ハリー,七時まで男ジョージ,自分でやれよフレッド,そして,永遠の業火に焼かれる外出嫌いのエドワード 110
 写実的物語のパースペクティヴ 118

第四章 告白隊の物語 132
 人格化された著者(性) 135
 フィールドワーカーの視点 138
 自然さ 141
 告白体の物語の実例 145
 ジョニーは銃をとる 147
 告白体の物語のパースペクティヴ 159

第五章 印象派の物語 173
 テクストへの同化 176
 断片的な知識 177
 人物造型 178
 劇的な創作 179
 印象派の物語の実例 181
 銃を持った男と犬を連れた男,そして身震いする男 186
 印象派の物語のパースペクティヴ 199
 結論 203

第六章 フィールドワーク・文化・エスノグラフィー再訪 213
 フィールドワークから生まれるその他の物語 217
 批判的物語 217
 形式主義的物語 221
 文学的物語 224
 ジョイント形式の物語 232
 とりあえずのおわりに…… 234

参考文献 268
「エスノグラフィー」というもの言いについて――この本を手にとってくれた人への若干の解説(大月隆寛) 269
訳者あとがき 281

■引用

太字見出しは作成者による
人類学的伝統のフィールドワークと社会学的伝統のフィードワークの相違

エスノグラフィーの方法についての議論で考慮すべきこと
だが、今や私はこれらの問題を、エスノグラフィー的冒険にとって正真正銘中心的な問題、フィールドで遭遇するどんな問題とも同じくらい、中心的で重大な問題だと考えている。ある意味では、こうした文章作法の問題を考えてみるということは、方法についての因習的な概念――見かけ上の真実性や本当らしさという過小評価されてきた基準だけでなく、信頼性や有効性といった過大評価されてきた基準を含めて――を、真剣にかつ体系的に、前向きにも後ろ向きにも洗い直して再編成することなのだ。現在、私は少なくとも次のように考えている。エスノグラフィーの方法についての議論は、(1)文化と行動様式(観察される者)の仮定上の関係、(2)フィールドワーカー(観察する者)の体験、(3)観察者と被観察者を結びつけるべく選択された文化表現のスタイル(物語)、(4)物語の積極的な再構築に関わる読者の役割(読者)、以上の四点を明示的に考慮しなければならない。(p.9)

フィールドワークの求めるもの
フィールドワークは、多少とも限定された特定の集団の環境・問題・背景・言語・儀式そして社会的関係などを、調査者ができるだけじかに分かち持つことを求める。共有というこうした手段によって、研究対象である社会的世界についての、豊かで具体的な、複雑でそれ故に真実味あふれた報告が可能になるという信念である。フィールドワークはそのとき、目的達成のための手段となる。(p.22)

本書の目的
 私が本書で示そうと試みたのは、エスノグラフィーにおいてフィールドワークと文化に参加するということは、現地の人と友達になり、正気と健康を保ちつつ、次第に後方地帯に入り込み、フィールドでいいメモを取って拾い集めた結果を単に書き上げるという作業よりも、はるかに多くのことを伴うのだ、という事実である。社会科学者の間には、一つのかなり根強い確信がある。それは、エスノグラフィーの問題とは要するに、「接近」とか「親密さ」の問題であって、鋭い耳と目を持って根気よく記録するかどうかにかかっている、という確信だ。しかし、問題はそう単純ではない。なぜなら、文化あるいは文化的実践は「書くこと」によって創造される(すなわち、文化は手で触れることができない無形物であり、言語に移されることによってのみ、存在できる)のと同様に、書くことそのものを決定するからである。そのように考えないかぎり、エスノグラフィーは無味乾燥な単なる「方法」に還元されてしまうだろう。(p.28)

本書での「物語tales」
 私はエスノグラフィーを指し示す言葉として<物語>というくだけた語を使用しているが、この使い方は読者にとってはいくぶん奇妙に思われるかもしれない。私はフィールドワーク関係のあらゆる著述が持っている、表象的な、もっと正確に言えば、再現的な特質を強調するために、かなり意識的にこの語を使用している。<物語>とは、フィールドワークの報告に本来備わっている物語的性格に対して、そしてまた、エスノグラフィーを構成する際に著者によってなされる避けがたい選択に対して注意を促す意図を持った言葉である。もちろんこう言ったからといって、エスノグラフィーが単なる作り話であるとか、あるいは世界全体は引用符にくくられなければならぬなどというわけではない。私の言いたいのはただ、書くということは書き手が何かを行う何かであり、少なくとも書かれた内容とは切り離された一回限りの行為であるということなのだ。体験されたものとしての世界と、テクストで伝達された世界の間には直接的な対応はない。それは観察する者と観察される者との間に直接的な対応がないのと同じことだ。(pp.30-31)

社会学のヒエラルキー
 社会学者たちは、身分階級制度と作業の分割化を発展させてきた。そこで頂点に位置するのは社会理論家たちであり、彼らは、他の人々が小さな慎ましい調査現場で実験し、修正を施せるように、広い概念的モデルを組み立てる。これらのモデルは、いくつもの文化領域にまたがった思考・行動パターンを説明し、予見するものとされている。ところで、フィールドワーカーたちは、彼らが担当する非常に限定された文化領域に対して、そうしたパターンを当てはめることがなかなかできない。なんとかできたとしても、それは、その現場に特有の唯一のパターンに見えてしまう。そういうわけで、もっと大きな問題に関心のある社会学にとって、フィールドワーカーは、せいぜい「周辺的な貢献者」でしかない。もちろん、事態はそういつも型通りなわけではない。社会学の枠内にも、高い名誉ある地位に達したフィールドワーカーはかなりたくさんいる。しかし、概して、地位や名誉は「フィールドの理論家」の方へと流れて行き、「フィールドの作業者」のほうにはやって来ないのである。(p.50)

文学の受容理論
 本節では、読者の反応あるいは読者の受容理論について簡単に触れておいた。この幅広い分野の入門書としては、イーザーとフィッシュの二人がそれぞれ良質のものを提供している。その中で二人は、なぜある種の批評家がその焦点を作家から読者へ、作家が練り上げたテクストから結びつきの緩い読者の「解釈共同体」へと移行させつつあるのか、その理由を明確な理由で説明している。これは、非常に見込みのある論理展開である。というのも、与えられたあるモノの意味は、そのモノの象徴的な所有者とそのモノを体験した人々の認識のカテゴリーとの相互作用からしか生み出されないということが示されているからだ。したがって、本、芝居、車、衣服、それに法定通貨といったものの意味は、そのモノ自体ばかりでなく、そうしたモノに出会い、それらを使用する集団に支えられた文化的理解によっても変化するわけだ。(p.83)

リアリズム物語
 エスノグラフィーの中で、特に重要で、一般に馴染みも深く、広く普及し人気のある、世間に認知された形式――それは、一つの文化についての写実的レポートである。扱われる文化は、一つの社会であろうと、職業、共同体、民族的飛び地、あるいは、共通の利害を持った小さな集団であろうと何でも構わない。著作集や学問的論文、記事、または記事(か本)のさらに小さな一部などの形で発表された場合、通常、一人の著者が三人称の醒めたようすでこの写実的物語を物語る。そこで示されるのは、その文化の成員の活動状況、その文化の種々の特徴の理論的適用範囲、そしてたいていの場合、そもそもこの作品がなぜ企画されたのかについての煮え切らない説明である。その結果、著者自らが真正さの太鼓判を押す記述が生まれ、観察された(ないしは、ほぼ観察された)特定の限定的な文化行為に対する一つの説明が生まれる。本書で議論の対象となるすべてのエスノグラフィー形式の中でも、写実的物語はテクストによって伝達される文化の再現=表象の真正さを最も強く前面に押し出す。(pp.89-90)

 エスノグラフィーにおけるリアリズムの最も際立った特徴は、おそらく、テクストの決定稿のほとんどの部分から、ほぼ完全に著者の存在が消えているという点であろう。テクストに見ることができるのは、対象文化の成員が話すこと、行うこと、そしておそらくは、考えることだけである。フィールドワーカーは、データの収集作業を終えた後、主としてエスノグラフィー的実践の尊敬すべきイメージとイデオロギーが正当化してくれる安定した記述的物語の背後に、たやすくその姿を消し去ってしまう。写実的物語の周囲にあるのは、誠実さという一つの見せかけである。<中略>皮肉にも、エスノグラフィーから「私」(観察者)を抜き去ることで、語り手の著者としての権威=著者性は明らかに高まり、その結果、読者は個人的な主観性が骨抜きにされるのではと心配するようになる。(pp.90-91)

エスノグラフィー的シネマヴェリテ
 写実的物語は、エスノグラフィー的シネマヴェリテでは決してない。映画のいわゆるシネマヴェリテでは、カメラはそれが記録するシーンを自ら生み出すために使われる。写実的著作においては、好奇心の旺盛な傍観者としてのフィールドワーカーの存在が、調査の現場で目撃されたこと(あるいは隠されていること)と何か関係しているのではと思わせるようなほのめかしは、いかなるものも戦略的に軽視されるか、あるいは完全に回避されるのである。エスノグラフィーの映画的作品を扱ったもので、この音大を提起している興味深い論考がハイダーにある。(p.129)

メタ・ヒストリー
 私が使用するメタ・ヒストリーなる語は、ホワイトと彼のメタ・ヒストリー分析に由来している。ホワイトの指摘によると、十九世紀の多くの社会史は、啓蒙主義と結びついた合理主義的伝統を克服するために書かれた。そうした努力の中で、ロマンス、悲劇、笑劇、喜劇といったもののメタファーが、レトリック装置として使用されたのである。これと同じように、社会理論家はゲームや社会ドラマのイメージを使うことで、多くの解釈理論家があまりにも決定論的な世界観であるとみなしているものに対して反応できるはずである。カナリー/コズィッキの著作も参照されたい。(p.131)

告白体物語と著者
 作者=フィールドワーカーは、告白体の物語の中では、いつでもすぐ手の届くところにいる。作家=フィールドワーカーが書くものは、特にその仕事がどのようにして生まれ出てきたのか明らかにしようとする。そのためには、人格化された著者としての権威=著者性が必要になってくる。ある文化に遍在していはいるが具体性に欠ける声(たとえば、「警察がXする」というような声)は、もはや聞こえてこない。その代わり、ある人間がその場にいる(たとえば、「私は警察がXするのを見た」というように)。(p.135)

印象派の物語
 印象派の物語は、単にフィールドワークを「する人」やフィールドワークによって「成されたこと」よりも、むしろフィールドワークを「するという行為そのもの」を提示する。そこでは、著者がこれは特に注目すべきだと、したがって何らかの形で報告すべきだとみなしたある時期が、劇的な形式の中で再構築される。物語はしばしば、文化理解の本質とフィールドワーカーの研究者としての役割の分析にも手を伸ばす。内省的、瞑想的なさまざまなテーマが物語から展開され、フィールドワーカーが決めたいくつもの方向に沿って引き延ばされていくこともある。物語本体、すなわち印象主義者の語る物語は、文化を明らかにしてそれを再現する方法であるとともに、フィールドワーカーと文化の両方を揃って考察するために、フィールドワーカーの文化の理解の仕方自体を明らかにして再現する方法でもある。印象派の著作は、主体と客体の両方を絶えず視界に収めようと努める。認識論的目的は、したがって、「知る人」と「知られる人」を結びつけることである。(p.175)

印象派の物語はその著者を、出来事が起こった時点、すなわち出来事がまだ理解(あるいは混乱)を生み出していない時点まで、時間を遡って連れ戻す。しかし、物語世界の中で重要なのは、発生した時点での出来事に対するフィールドワーカーの「解釈」である。(p.180)

三つのスタイルの関係
 もちろん、私がここまで提示してきたエスノグラフィーの三つのスタイルを、リアリズムから告白体へ、印象派へと、いわば進化論的発展に当てはめて見るのはたやすい。こうした見方にも少しばかりの真実はあるだろう。しかし、それはほんのひとかけらの真実にすぎない。三つの形式は同時に、並行して存在しているのである。そこには時間継起的な関係はない。リアリズムがエスノグラフィーの舞台から姿を消す気配はいっこうになく、極端で厄介な因習的作法の一部に修正が加えられただけの話だ。フィールドワーク報告におけるリアリズムは、有意義でどこに出しても恥ずかしくない、立派な目的を相変わらず持っているのである。(p.215)

批判的な物語
 今日のフィールドワーク研究は、特に社会学でそうなのだが、以前より大きな社会的、政治的、象徴的、経済的問題に光を当てる立場に、戦略上立つことがよくある。産業社会においては、つまり、実質的にすべての社会ということだが、一つの集団の生活状況を的確に把握するにはフィールドワークだけで十分だと主張することがますます難しくなっている。事実、エスノグラフィーへの批判の多くは、その偏狭な、非現実的な、限定されたヴィジョンとみなされているものに対して向けられてきた。すべての集団が政治経済状況の中で生き残りをかけて必死になっているというのに、それに対してエスノグラフィーが完全に目を閉ざしているのは何事かというわけだ。批判的物語の語り手の中には、フィールドワークの、手法としての比類なき力量を正当に評価する向きも見られるが、その一方で、もっと綿密な注意を払って研究対象となる集団を選択する必要があるとの声も上っている。こうした声を根拠になっているのは、もっと大きな問題、特に資本主義社会における政治的、経済的仕組みに関わる問題に向き合うことで、集団が露呈させる風貌はかなり違ってくるはずだという考え方である。(pp.217-218)

繰り返すが、批判的物語の特徴は、フィールドワークを行う文化を意識的に、戦略的に選択することにある。(p.219)

形式主義的物語
 批判的物語の語り手と同様に、エスノグラフィーの形式主義者も理論を組み立て、それを検証し一般化しようと、あるいは少なくとも理論を開陳しようと躍起になっている。フィールドワークを設定した土地の政治経済にはさほど関心を示さない形式主義的物語の語り手たちは、エスノメソドロジー・記号論・シンボリック相互作用論・会話分析・エスノセマンティック・社会言語学・エスノサイエンス・さまざまな形式の構造主義といったレッテルの下に、エスノグラフィーに対してより狭い押しつけている。分析の目的はいろいろだが、総じて帰納的、推論的論理を通じての一般化という展開を含んでいる。人間・場所・行動・信仰体系についての記述は限定され、特定の研究対象でない場合は行動すらも限定される。そのような記述や行動は、目下批評中のテクスト化されたデータにコンテクストを与えるだけのために、形式主義的物語に入り込むのである。形式主義者はエスノグラフィー業界のスペシャリストであり、現在、出世しようと躍起になっている。(pp.221-222)

ジョイント形式の物語
 クリフォードは、フィールドワークのテクスト化における対話的でポリフォニックな著者性=権威と呼ばれるものが普及しつつあるとして、その証拠をいくつか示している。この様式は、人類学者の間のトレンドとクリフォードがみなすもの、すなわち、二人の著者(フィードワーカーと対象者)のジョイント形式によるテクストの生産に関係している。こうしたテクストにおいては、すべての文化記述のとりとめのない性質や、フィールドワーカーと対象者に共通した性質が読者に示される。<中略>そこでは、著者は対象者が自分自身の物語を語るためのスペースを空けてやり、彼が自分の物語を語っている間、フィールドワーカーは必要以上の口出しもせず、悪意をもって翻訳し直したりもできない。インフォーマントが自身の所属する集団に対してちょっとした「エスノグラフィー的繊細さ」の備わった洗練された教養の持主であれば、ジョイント形式の物語はもっと実際的になるかもしれない。(p.232)

■書評・紹介

◆Ravinow, P, 1989, "Works & Lives, The Anthropologist as Author, by Clifford Ceertz. Palo Alto: Stanford University Press, 1988, 157 pp., NPL. Tales of the Field, On Writing Ethnography, by John Van Maanen. Chicago: University of Chicago Press, 1988, 192 pp., $7.95.," Symbolic Interaction, 12(1): 171. ISSN: 01956086
◆Cassell, J, 1990, "Van Maanen, John. Tales of the Field: On Writing Ethnography. Chicago: The University of Chicago Press, 1988. xvi+173pp. Paperback $7.95.," Journal of Nervous & Mental Disease, 178(12): 764-5. ISSN: 00223018
◆Hammar, L, 1991, "Tales of the Field: On Writing Ethnography. John van Maanen," American Ethnologist, 18(2): 379-80. ISSN: 00940496

■言及

◆佐藤郁也,20021101,『組織と経営について知るための実践フィールドワーク入門』有斐閣. ISBN-10: 4641161682 ISBN-13: 978-4641161689 \2415 [amazon][kinokuniya] ※ s
◆Richardson, L, 2004, "Writing," Lewis-Beck, M S, A Bryman & T F Liao eds., The Sage Encyclopedia of Social Science Research Methods, Thousand Oaks, London & New Delhi: Sage, 1197-8. ISBN-10: 0761923632 ISBN-13: 978-0761923633 [amazon][kinokuniya]


*作成:篠木 涼
UP: 20080629 REV: 20110218(藤原 信行
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