『新版 荒れ野の40年――ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説』
Weizsacker, Richard von 19850508
Rede von Bundesprasident Richard von Weizsacker bei der Gedenkveranstaltung im Plenarsaal des Deutschen Bundestages zum
40. Jahrestag des Endes des Zweiten Weltkrieges in Europa
=19860200 → 20091006,永井清彦訳 岩波書店(岩波ブックレット767),63p.
last update:20150201
■Weizsacker, Richard von 19850508
Rede von Bundesprasident Richard von Weizsacker bei der Gedenkveranstaltung im Plenarsaal des Deutschen Bundestages zum
40. Jahrestag des Endes des Zweiten Weltkrieges in Europa
=19860200 → 20091006,永井清彦訳 『新版 荒れ野の40年――ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説』,岩波書店(岩波ブックレット767),63p.
ISBN-10: 400009467X ISBN-13: 978-4000094672 \500+税
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■内容
「若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。敵対するのではなく、
たがいに手をとり合って生きていくことを学んでほしい。われわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい…」
第二次大戦後40年を迎えたドイツで、対立を超え、寛容を求め、歴史に学ぶことを訴えた伝説的な演説があった――。好評既刊の解説をリニューアル。
■著者略歴
ヴァイツゼッカー,リヒャルト・フォン
1920年生まれ。ベルリン、オックスフォード、ゲッティンゲンの各大学に学ぶ。在学中に第二次世界大戦でドイツ国防軍に従軍。戦後、復学したのち、実業界に入り、
ドイツ福音派信徒大会で議長をつとめ、69年に連邦議会議員、1981年には西ベルリン市長となる。
1984年から2期10年間のドイツ連邦共和国大統領在任中に悲願のドイツ統一を実現。2015年1月31日、逝去。94歳。
永井清彦
1935年生まれ。東京大学卒業後、朝日新聞社、ドイツ海外放送、タイム・ライフ社をへて、桃山学院大学・共立女子大学教授などを歴任。
■目次
ヴァイツゼッカー大統領演説全文
解説――若い人への手紙 永井清彦
■引用
良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。
戦いが終わり、筆舌に尽くしがたい大虐殺(ホロコースト)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、
と言い張った人は余りにも多かったのであります。
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。
人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、
その人たちは今日、一人びと>011>り自分がどう関わり合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。
今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自らが手を下してはいけない行為について自らの罪を告白することはできません。
ドイツ人であるというだけの理由で、粗布の質素な服を身にまとって悔い改めるのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。
しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けなければなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております。
心に刻み続けることがなぜかくも重要なのかを理解するため、老幼たがいに助け合わなければなりません。また助け合えるのであります。
問題は過去を克服する★3 ことではありません。さようなことができるわけがありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。
しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻み続けるでしょう。われわれは人間として心からの和解(フェアゼーヌング)★4 を求めております。(pp.10-11)
★3 過去を克服する=「克服する」と訳したドイツ語の bewaltigen は「ケリをつける」「終わりにしてしまう」という意味と、
これとはほとんど反対の「内面的に十分に理解して自分のものとする」の両義がある。「過去の克服」という場合、多くは後者を意味する。
しかしここでは大統領は、前者の意味で使っている。
★4 原語の Versohnung を「心からの和解」と訳した。原語は★10の Suhne という語を含み、キリスト教の言葉としては神との和解、神による赦しを意味する。
世俗、日常の「和解」では済まない。
★10 「行動・贖いの証し」。原語は Aktion Suhnezeichen. 五〇年代から活躍しているプロテスタント系の団体。イスラエルなどで無償の奉仕をつづけるほか、
平和活動でも重要な役割を果してきた。
ここで「贖い」と訳した Suhne について、この団体は「物質面での補償、弁償とは無縁で……この言葉は、われわれが歴史の経験に学び、過ちを告白し、
考え方を転換し、誤った道から立ち直り、そして新しい道を捜さねばならないことを意味している」と説明している。
大統領演説に題名はない。『世界』編集長だった安江良介が「荒れ野の40年」と名付けた。大統領が演説で繰り返し言及した旧約聖書の
「40年」と戦後ドイツの「40年」を重ね合せた。(51p.)
■書評・紹介
■言及
◇Richard von Weizsacker (1920 - 2015)
◇
Rede von Bundesprasident Richard von Weizsacker bei der Gedenkveranstaltung im Plenarsaal des Deutschen Bundestages zum
40. Jahrestag des Endes des Zweiten Weltkrieges in Europa
■訃報
「訃報:ワイツゼッカー統一ドイツ初代大統領=94歳」『毎日新聞』2015年01月31日
◇「過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる」
【ベルリン篠田航一】ドイツ元大統領のリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏が1月31日、死去した。94歳だった。第二次世界大戦終結から40周年の1985年5月8日、
連邦議会の演説で「過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる」と、歴史を直視する重要性を説き、国内外に大きな反響を呼んだ。
20年、独南部シュツットガルト生まれ。ゲッティンゲン大学などで法学や歴史学を専攻。39年9月のポーランド侵攻に従軍し、同じ連隊にいた兄を失った。
戦後、化学会社経営、キリスト教団体幹部などを経て69年にキリスト教民主同盟の連邦議会議員に初当選。その後、81年に西ベルリン市長、84年に西独大統領。
東欧諸国との和解や東西ドイツ統一に貢献し、90〜94年に統一ドイツの初代大統領を務めた。
2009年1月、シュミット元西独首相らと共に、オバマ米大統領の「核兵器のない世界」に賛同する共同論文を独紙に執筆するなど、大統領退任後も精力的に活動した。
リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー元ドイツ大統領=ベルリン市内の元大統領の事務所で2010年2月9日、小谷守彦撮影(拡大写真)
http://mainichi.jp/select/news/20150201k0000m030052000c.html
「ワイツゼッカー氏死去 元ドイツ大統領 戦争責任直視促す演説」『東京新聞』2015年2月1日朝刊
ドイツ大統領府は三十一日、元ドイツ大統領のリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏が死去したと発表した。九十四歳だった。
ドイツの戦争責任やユダヤ人迫害の歴史と向き合うよう国民に求め、「ドイツの良心」とも評された。ガウク大統領はメッセージの中で
「過去と立ち向かうドイツの立場を世界中で代弁してきた」と死を悼んだ。
一九八五年五月、「荒れ野の四十年」と題したドイツ敗戦四十周年の連邦議会演説で発した「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」との言葉は有名だ。
ドイツ国民が犯した罪と歴史を直視しなければナチス・ドイツが迫害したユダヤ人や近隣諸国との真の「和解」はできないとの訴えで、国内外で大きな反響を呼んだ。
九〇年十月の東西ドイツ統一でも「統一することとは、分断を学ぶこと」と演説し、過去を真摯に振り返ることの大切さを主張した。
戦後五十年の九五年夏には、本紙の招きで来日。記念講演で「過去を否定する人は過去を繰り返す危険を冒している」と訴えた。
二〇年、南部シュツットガルトで貴族の家に生まれた。第二次大戦に従軍し、ポーランド戦線で一緒に戦っていた次兄は戦死した。
戦後のニュルンベルクの戦犯裁判でナチスの外務次官だった父親の弁護に加わった。
中道右派のキリスト教民主同盟(CDU)に入党し、連邦議会議員(六九〜八一年)、西ベルリン市長(八一〜八四年)をへて、八四年に連邦大統領就任。
党派を超えて国民から広く信頼を集め、八九年には史上初めて無投票で再選され、東西ドイツ統一を挟んで大統領を務めた。
九四年の退任後も、欧州委員会から「三賢人」の一人に任命されて欧州連合(EU)の機構改革を提言するなど活躍した。(ベルリン支局長・宮本隆彦)
戦後50年の1995年、来日して本紙と会見するワイツゼッカー氏=金沢市で(写真)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2015020102000123.html
*作成:北村 健太郎