『ここに問題が――老人の医療と福祉』
中川 晶輝 19840425 同時代社,206p. ASIN: B000J727AU 1890
■中川 晶輝 19840425 『ここに問題が――老人の医療と福祉』,同時代社,206p. ASIN: B000J727AU 1890
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【中川晶輝[ナカガワ アキテル]】
1917年2月25日松山市にて出生。1942年9月東京慈恵会医科大学卒業。1942年12月北京同仁医院(眼科)勤務。1945年8月北京仁民医院(眼科)に留用。同時に日本人戦犯拘置所に一日おきに往診。1947年11月帰国。1948年3月衣笠病院眼科勤務。1953年2月白十字会村山療養園(現東京白十字病院・結核科)勤務。1972年7月特別養護老人ホーム白十字ホーム園長就任。1989年3月園長退任。引き続き専任医師として勤務。1993年7月白十字ホーム退職。キリスト者平和の会委員、安保反対キリスト者平和会議事務局長、日本友和会理事長及び理事、白十字会理事、アルヴィン学院理事、友愛の灯協会会長、全国老人福祉問題研究会会長などを歴任。日本基督教団信濃町教会会員
■引用
「まず七五年七月に大蔵省が無料化制度への批判を公にしたのにつづいて、翌七六年大平首相は「老人医療費有料化を進める」と言明、七八年の小沢私案、七九年の橋本試案、と歴代の厚相が有料化へ向けて次つぎとアド・バルーンをあげ、八〇年五月には野呂厚相が社会制度審議会に対し、「老人保健医療制度のあり方」について諮問する、というかたちで、事実上有料化への足固めがおこなわれました。さらに八一年三月、渡辺厚相は初めて「老人保健法」という名をつかって社会保険審議会と社会保障審議会に諮問、「大筋で了承」との答申を得、早くも五月に同法案を第九四国会に提出、何度かの修正を経て、八二年八月十日ついに成立に至りました。
ところが年の暮れも押し迫ったこの年の十二月二十九日の夕方七時すぎに、突然「診療担当規準」なるものが厚生大臣によって提示され、中央社会保障制度審議会に諮問がなされたのでした。そして審議会はわずか一時間の討議だけで、老人に対する「診療差別」を内容とした、諮問に沿った答申を出しました。まさに電光石火の早わざです。これが実は老人保健法の「本命」だったのです。」(中川 1984:56)
「ところで、これ(「診療担当規準」/引用者補足)がたんなるお説教にとどまらず、具体的な診療規制となっているところに問題があります。
つまり「みだり」と「みだりでない」診療との間に「老人の入院に限って」ある種の差別がおかれているのです。ここに明らかな「差別診療」があります。こんどの老人保健法の「規準」に従えば、七十歳以上の老人を六割以上抱えている医療機関を「老人病院」と規定し、そのような病院に対しては、およそ医学的常識を無視した、厳しい診療制限を課しているのです。
たとえば、心電図、脳波は月に一回、注射は一か月百点、処置は三十点と定められています。つまりこれ以上は「みだりに」検査、注射、処置をしたことになるのです。だが、検査はいつも一回だけでピシャリと正確無比の結果が出るとは限りません。一回のデータに疑問を感じた時、二回、三回と「反覆」してはじめて、より正しい診断を加えることができるのです。それを、一回の検査に押さえることは、「老人には正確な診断は<58<不必要」という意図かと疑われます。また、抗生物質を一、二回注射すれば、たちまち百点は吹っとんでしまいますし、結膜炎で二回も洗眼すれば、あとはどんなに目やにや涙が出ようとも、それこそ「処置なし」です。
要するに、老人は、物質生産性に寄与できぬ、社会にとって役立たずの「お荷物」だから、病気になったからといって、正確な診断も治療も不必要、できるだけ早く死んでしまった方が「お国のため」であるらしい。
「老人病院」征伐
こうした診療制限は、医療を受ける老人の生命ばかりでなく、診療をする病院の側の生命をも危うくします。診療制限は即診療収入制限につながるからです。それというのも、老人を六〇%以上入院させると「老人病院」のレッテルを貼られるからです。そこで病院として生きのびるためには、「老人病院」のレッテルを追放せねばなりません。それには、六〇%をこえた部分の頭切り、つまり余分の老人を病院から追放することによって命脈を保とうとする工作がなされます。この二月以降「病院から退院を命ぜられているが、行先がなくて困っている」との訴えが「老人のいのちとくらしを守る電話一一〇番」を賑わしたのもそのあらわれでしょう。
このようにして、入院中の老人の診療費を減らすだけでなく、ゼロにすること、つまり「病院からの追い出し」こそが、こんどの老人保健法の裏側にある恐るべきねらいであることが、しだいに明らかになってきました。四百円、三百円といった「有料化論争」は、いねば陽動作戦であったのです。
たしかに、いままでのいわゆる「老人病院」の中には目にあまるものがありました。「みだりに」検査、投薬、注射、処置をおこなって、多額の診療費をかせいでいた「老人専門病院」も少なくなかったようです。老人人口の急増に伴う社会政策が立ち遅れのため、「ねたきり老人」を抱えこんで困窮している家庭が多く、し<59<かもこうした老人の受け皿となるべき特別養護老人ホームのベッド数の絶対的不足という状況の中から、ここ数年間雨後のタケノコのように「老人病院」が乱設されて特養の代替施設の役割を果たしてきました。事実、特養のように長く待たされることなくはいれるし、「老人ホーム」より「病院」の方が外聞もよいし、で入院中し込みが殺到して一時はブームとなり、「老人病院花盛り」でした。しかし「花」は表面だけで、中にいる老人は必ずしもしあわせとぱいえなかったようです。すべての老人病院がそうであったとは申しませんが、老人を食いものにしてひともうけをたくらんだ病院も少なからずあったらしい。
これまでにものべたように、本来老人患者は、手がかかるわりに収益が少ないから、病院にとって「招かざる客」のはずです。それなのに、りっぱなパンフレットをつくって方々に宣伝し、「カムカムエブリバディ」とやるからには何かがある、と疑わざるを得ない。つまり、老人にとって有害無益な「くすり」をやたらにのませ、不必要な検査を連日強行し、最も必要な「介護」職員を置かず、老人を文字どおり「飼い殺し」にして、ばく犬な収益をあげてきたようです。私自身、特養入所希望の老人を診査するために、彼の入院している病院を訪ねたところ、その老人は点滴注射を受けていました。特養へ入所を希望するほどですから点滴など必要はないはずです。ところが、その部屋の者全員、さらに他の部屋の老人も、みないっせいに点滴をうけていたのには驚きました。驚く方がばかで、採算のとれぬはずの老人患者を集めてひともうけするには、当然の処置でしょう。
こうした、いわゆる「くすり漬け」「検査漬け」の「老人病院」に対する世間の批判がようやく高まってきたのに呼応して、「老人保健法」はこれら「悪徳病院」を征伐する「正義の味方」として登場してきたのです。<60<
つまり、「みだりに」投薬や検査ができないように、きわめてきびしい、否、あまりにもきびしすぎる、医学的良識も無視した、無茶苦茶な規制を設けることによって「破邪顕正の剣」をふるおうとしたらしくもあります。
だがこうした規制が、すべての病院に対して平等におこなわれたのでなく、七十歳以上の老人を六〇%以上抱えている「老人病院」にだけ適用した、というところに問題があります。もし全病院に適用したら、たちまちドクターズパワーの総反撃をうけて、政府は袋叩きにあったでしょう。そこで一部の病院をスケープゴート(犠牲の小羊)に仕立てて、「見せしめ」的規制をおこなったのです。
たしかに、「くすり漬け、検査漬け」で荒かせぎをした「悪徳病院」が「みせしめ」のためにお灸をすえられるのは、けっこうなことです。しかし、「老人病院」の中にも、ごく少数ながら、じつに良心的に運営されている病院を私は知っています。しかしこんどの保健法は、そうした過去の実績を一切問うことなしに、ただ「老人入院率六割以上」のみを基準にしてレッテルをはり、ミソもクソもいっしょくたに、無茶苦茶規制を押しつけて、「病院つぶし」を工作しているとしか考えられません。しかし政府にとっては、つぶれた病院が「よい病院」であろうと「悪い病院」であろうと、そんなことはおかまいなし、要するに総医療費を削減できさえすれば、万万歳なのでしょう。
しかも、ほんものの「悪徳病院」は、これくらいのことでビクともしません。いくらでも抜け道をみつけて、ますます肥え太っていきます。結局、「征伐」されたのは、むしろ良心的な老人病院でしょう。これらこそほんものの「スケープゴート」であります。<61<
ヤブ医者
老人保健法は、「悪徳病院」という「鬼」を退治する「桃太郎」よろしく、さっそうと登場しました。そしてなみいる鬼どもを、バッタ、バッタと斬り殺したように見えました。しかしよく見ると、殺されたのは「鬼」ではなく、なんの罪もない老人たちでした。鬼どもは、いちはやく入院中の老人を追い出して、「老人入院率六割以下」に抑え、「一般病院」の仮面をかぶって、厳しい診療規制を免れました。期日までにそれが間に合わず、「特例許可外病院」というレッテルを貼られて規制をうけるはめになった病院は、「自存自衛の必要」上、患者さんから直接「お世話料」とか「運営管理協力費」などといった名目で、数万から十数万の差額徴収をするなど、いっそう「鬼」の真面目を発揮しています。つまり「悪徳病院」に圧力を加えて、その経営をなり立たせないようにとの企図が、かえってその「悪徳性」を奨励する結果になったのです。結局、いちばんひどい目に会ったのは老人たちで「去るも地獄、留まるも地獄」でした。また少数の良心的な老人病院も「老人数六割以上」という「鬼ケ島」にいたばかりに、真先に桃太郎の血祭に上げられてしまいました。こうして「良貨」ばかりが駆逐され、「悪貨」はゆうゆうと生きのびています。
老人保健法は昔話では「桃太郎」でしたが、現代流にいえば、日本の医療を蝕む病巣にメスを加える「名医」の装いをして登場しています。だがそのメスの刃先は健常な部分を切り取ってしまったため、悪い病巣をますますひろげる結果となりました。とんだヤブ医者です。もっとも、前述のように、つぶれたのが良心的病院であろうと、悪徳病院であろうと、それによって総医療費が削減できさえすればよいのであり、また「特例別許可外病院」が生きのびるために、老人患者からどんなに多額の「協力費」をむしり取ろうと、保険診療請<62<求点数が制限基準内に抑えられさえすれば、目的は十分に達せられたことになり、たとえ病院を追い出された老人の家庭が困窮のはてに一家心中の事態を招こうと、国の経済的危機の緩和に貢献したという意味では、やはり「名医」なのでありましょうか。しかし、「全地球よりも重い」貴重な人命を守るべき使命をになっているにもかかわらず、地球上のちっぽけな一国の経済のために、多数の人命を犠牲にして省みない「迷医」は、まさに「ヤブ医者」と断ずべきでありましょう。私はいささか極端な表現を用いましたが、為政者の姿勢というものが、なによりも「人命尊重」という方向性に徹してほしいとの願いからに他なりません。」(中川 1984:58-62)
「このような強制された「悲惨な生」、身体精神両面の「不自然な生」からの脱出を求めて老人の「安楽死願望」が生じてくるのもまた当然でありましょう。それは、現在の「悲惨な生」よりもまだ「死」の方が「安<72<楽」であろうと思うが故であります。つまり老人に、とくに特養老人に、「安楽死願望」、「ぽっくり死志向」が統計上多いといわれているのは、まさに「悪しき生」からの「脱出願望」が強いということに他ならないのでありましょう。ということは、かれらがほんとうに求めているのは「死」ではなく、「悲惨でない生」であるということです。「安楽死願望」は「安楽生願望」の裏返しであることに留意すべきであります。
しかもこの「悲惨な生」の多くの部分が、人間の、社会のつくり出した一種の「人災」である以上、私たちが老人に対して用意すべきものは「安楽死」ではなく「安楽生」、つまり「社会環境条件の整備」でありましょう。そのためには、人間が「物」に奉仕する「生産第一主義」的価値観を、私たち自身の中で払拭し、自己変革を断行せねばなりません。これは他人事ではない、私たちひとりひとりの将来に関わる重大な事柄であります。
三 「安楽死」に関して
最後に「安楽死」について一言申しのべて終りたいと思います。
「安楽死」という発想の原点ともいうべきものは、一九世紀頃、一部の良心的な医師たちが、瀕死の苦痛にのたうちまわる患者を目前にして、何とかして楽にさせてやりたいと思いつめたところにあるようです。つまり発想ぱあくまで「苦痛の除去」であり、目的は「安楽」にあるのであって、断じて「死」ではないということです。近代医学の目ざましい発達は、はたして人類にとってプラスとなったか、マイナスとなったか? いた<73<ずらな「延命効果」には、今日多くの批判があるようです。ただ、もしなんらかのプラスがあったとすれば、それは麻酔学の発達によって、病気の苦痛をわずかでも緩和する方策が見い出だされたことではないでしょうか。
(中略)
昭和三十七年に名古屋高裁で、安楽死が認められるための「六要件」が提示されました。太田典礼氏はこれを「四要件」に集約しておられます。即ち①不治で死期切迫が確実であること、②生きているのが死にまさる苦痛であること、③本人の希望であること、④苦痛の少ない方法が選ばれること。ところで①の判定ははたして可能か。誰がどのような資格で断定するのか。②の判定も同様であり、「死」の経験をもたぬ人間に「死と<74<生の苦痛の比較」などできるはずがない。③「本人の希望」も何を根拠とするか。④はいまさら要件とするまでもなく当然であろう。-といった問題点が残ります。ことに③に関しては、「安楽死」が問題とされるのは、「本人の希望」が表明できない時点であり、元気な時にいったことばや書いたものにそのような「希望」があったとしても、死を目前にした危機的状況の中でもまったく同じ「希望」をもちつづけているとは、誰も確言できません。もしも元気な時の「遺言状」を根拠として「安楽死」の執行を許すとすれば、それは法律の冷酷な非人間性の暴露という他はありますまい。
「医療辞退連盟」の人たちは、「基本的人権」の問題として、「人問には医療を受ける権利があると同時に、受けない権利も保障されねばならぬ」と主張します。だが、かれらがこの後者の権利を主張するとき、前者の権利の保障を当然の前提としています。しかし、かれらにとって当然のこととされている「医療を受ける権利」を奪われているのが老人たちです。その意味で「医辞連」の人たちは、老人たちから見れば、ぜいたくな要求をもったエリートであります。
いまひとつ、問題なのは、「死ぬ権利」を主張する人たちの「価値観」です。米国での有名な「カレン裁判」では、「尊厳なる死」を根拠として、安楽死を法的に保障しました。つまりカレンさんの植物人間のような生には、人間としての尊厳が存在しない。だからその尊厳性を保つために、彼女に備えつけられた人工蘇生器を外して死を与えることは法的に処罰の対象にならぬ、という判決です。もしこの法律が今日の日本の現場に適用されるならば、特養にいる「たれ流しの恍惚老人」は、その生が「不尊厳」なるが故に「尊厳なる死」を与えるべし、という議論になりかねません。これは恐るべきことです。若く美しい、また健康で生産力のある<75<生は尊厳であり、その反対の生は不尊厳であり、生きる資格なし、とのきめつけにつながります。私たちはここでもう一度、「人間の尊厳」という問題について、考えなおしてみる必要があると思います。
いま一つ、「安楽死肯定」派の中に、これを「老齢人口増加」の実態と結びつけた、いかにも説得力のある、それだけにきわめて危険な議論をなす者がいます。つまり、年ねん老人が増えていくことにより、生産人口と非生産人ロとが接近し、人類全体の生存に危機が迫ってくる。したがって、「生き残る」ためには、適者生存、弱肉強食の「自然の理」に従って、弱者の「安楽死」を承認、否奨励しよう、という発想です。これは、「役立たずは殺せ」というナチズムにつながります。もともと動物界に見る自然淘汰の原理を、そのまま人類生存の原理に適用するのはあやまりであります。「弱肉強食」によってではなく「相互扶助」によって生きつづけてきた歴史を人類はもっています。それが「万物の霊長」たる「人間の知恵」ではないでしょうか。このかけがえのない「人間の知恵」を今後も保ちつづけ、「相互扶助」によって「共に生きつづける」ことは不可能でしょうか。もし万一、将来の滅亡がさけられないものであるならば、弱者を押しのけ、踏みつけて、たまさかに生きのびるよりも(それでも早晩滅亡は免れ得ません)、むしろ、「皆でいっしょに、仲良く手をつないで滅びようではないか。有能者も無能者も、平等に生き、平等に滅びることこそ、人類最大の知恵であり、真のヒューマニズムではないでしょうか。」(中川 1984:72-76)
「このたび、全国老人福祉問題研究会で編集している雑誌「ゆたなかくらし」選書の一つとして、本書を出すことになりました。」(中川 1984:206)
【関連情報】
■全国老人福祉問題研究会
http://www1a.biglobe.ne.jp/roumon/
*作成:北村健太郎 *情報提供:天田城介