インクルーシブ教育は、1994年のサラマンカ声明で国際的に認知され、その後、2000年のダカール行動枠組み、ミレニアム宣言を経て、国際教育開発の文脈で数値目標化された。それまでの動向の1つの到達点として2006年12月に国連総会で障害者権利条約が採択された。インクルーシブ教育には、多元的な意味があるが、日本では、インクルーシブ教育を、通常学校と特別支援学校とが併存する「連続した学びの場」と捉えている。その結果、近年、日本においては、毎年特別支援学校や特別支援学級に通う児童は、著しく増加している。
先行研究レビューにおいて明らかになったことは、障害者権利条約などの外圧により、インクルーシブ教育への転換が求められているが、これまでの特別支援教育の歴史的経緯(発達保障論を基礎として、特別支援教育を肯定してきた)を踏まえると、直ちにフル・インクルーシブ教育(特別支援教育を徐々に可能な限り閉鎖し、通常教育へ包摂することを本報告では、フル・インクルーシブ教育と呼ぶ)に転換することには、矛盾が生まれる。そこで、独自の「日本型インクルーシブ教育」構築することに解を見出した。「日本型インクルーシブ」は、地域において、「連続した多様な学びの場」を構築し、障害児をシステム的に包摂することを目指している。しかし、その射程は、特別支援学校の地域化と小規模化に留まり、通常学校と特別支援学校との接合(フル・インクルーシブ教育)についての理論や実践についての蓄積はない。したがって、「日本型インクルーシブ教育」がフル・インクルーシブ教育へと向かうのか、それとも現在の特別支援教育を継続してくのかは不透明である。「日本型インクルーシブ」の理論的構造は、二元論(通常教育・特別支援教育)を一元的(日本型インクルーシブ教育)に解釈したもので、それを支える理論は、二元論のままである。
このような現状から言えることは、国連の障害者権利条約やSDGsなどによる国際的なトップダウン主導方式だけでは、インクルーシブ教育の実現化は危ぶまれるのではないか。なぜなら、そこには、国(政党・官僚・専門家)の政策と理論(インクルーシブ教育 対 特別支援教育)というイデオロギー的対立や教育の新自由主義化との対抗、通常学級の改革、財政・人員リソース配置などの様々な困難性が存在しているためある。このような二項対立的な構図を現実的に乗り越えていくために、保護者、地域住民、教員による現場からのボトムアップ方策を考えなければ、教育と福祉の接合点であるフル・インクルーシブ教育、発展しないのではないか。
実際の教育現場に内在しているのは、包摂と排除の緊張関係である。この包摂と排除の緊張関係を緩和させるために、地域や教育現場では様々なアクターによる取り組みが行われる必要があるだろう。本報告においては、大阪市立大空小学校の事例を通して、先行研究レビューで明らかになったインクルーシブ教育実践の困難性を、大空小学校は、どのように克服しているかを、文献および聞き取り調査をもとに明らかにする。また、学校と地域が構築した関係に焦点をあてる。そこには、インクルーシブ教育を実践するために必要なさまざまな条件が浮かび上がってくる。