本報告の第一の目的は、哲学者ショーペンハウアーの諸著作を横断的に読解することによって、彼独自の思想の形成過程において、いかにしてカント哲学が生理学的に再解釈されていったかを明らかにすることにある。第二の目的は、そのようにして生理学化されたカント哲学のなかで、いかにして「色盲」の観念が形成されていったかを明らかにすることにある。本報告の前半部では、ショーペンハウアーが直接ゲーテに師事して色彩論を学んだ成果として書かれた『視覚と色彩について』を主な対象とし、その著作におけるカントからの影響とゲーテからの影響を順に検討する。
カントの所説とショーペンハウアーのそれとを比較した際にもっとも注目されるのは、ショーペンハウアーがカント哲学における超越論性を生理学的能力として読み替えている点である。カントは、形相=形式と質料とを区別し、前者を後者よりも優位に置く伝統的な質料形相論を踏襲しており、色彩を質料の側に割り当てていた。ところがその一方でカントは、色彩は「純粋色」である場合に限り形式とみなすことができるとも語っており、色彩の位置づけに関して曖昧な態度を取っていた。ショーペンハウアーは前掲書のなかで、カント哲学における超越論性を超越論的身体性として読み替え、赤、青、黄、緑、橙、菫の六色を「アプリオリな純粋色」と規定した。ショーペンハウアーによれば、この六色はカントの言うところの「純粋悟性概念(カテゴリー)」であり、われわれはこの六色のカテゴリーを対象に適用することによって、その色彩を規定することができる。ショーペンハウアーは、カントにおいて曖昧だった「純粋色」を六色に明確化し、それらを「形式」へと昇格させ、カントのカテゴリーに追加したのである。だが、ショーペンハウアーの言う形式としての六色は、既存の歴史的・文化的構築物としての色名、すなわち「経験的なもの」から抽象された形式であった。カントにおいて「超越論的なもの」の対立項であったところの「経験的なもの」が、「超越論的なもの」の地位に据えられたのである。M・フーコーが言うところの「経験的=超越論的二重体」としての「人間」の形象をここに明確に認めることができる(色盲者はこの「人間」からの偏差として捉えられることになるだろう)。
ゲーテからの影響に関して言えば、特にゲーテ色彩論における「両極性」概念の継承が注目される。ゲーテの両極性は、光と闇の二元性から出発して「高昇」によってより高い次元での合一へと向かうものだった。一方ショーペンハウアーの両極性は、残像現象における色彩相互の関係を言い表したものだった。たとえば彼は、赤と緑、黄と紫、青と橙の「色対」のことを色彩の両極性と呼び、これらの色対はもともとは単一の光が網膜において二極の色彩へと分離することにより成立したものであると考えた。そして彼はそうした色彩同士の関係性を分数値によって表現し、色彩の調和は分数値の総和が「1」と等しくなるところに成立すると主張した。
本報告の後半部では、前半分によって明らかにされたショーペンハウアーの色彩論において色盲がどのように位置づけられていたかについて論じる。彼は当時の科学文献を参照した上で、色盲者の知覚世界を、墨絵や銅版画やダゲール式写真機といった、一般に「白黒」とみなされているメディアに喩えている。しかし、師であったゲーテの色盲研究には言及しておらず、ゲーテの「青色盲」説への言及もない。ショーペンハウアーは、上記の分数値の理論によって色盲をゲーテとは異なる仕方(色対がセットで消失する)で理解しており、色対の内の一方のみが消失していると考えるゲーテの理論とは相性が悪かったのである。ショーペンハウアーは、以上のようにして、カント哲学とゲーテ色彩論とを彼独自の仕方で総合し、そのなかに色盲を位置づけた。その背景にあったのは新興の科学としての生理学の台頭であり、その科学の発達と共に、カント哲学は新たな仕方で捉え直され、フーコー言うところの「経験的=超越論的二重体としての人間」が次第にその相貌を顕わにしつつあったのである。
なお本報告は文献研究であるため、当事者の個人情報にまつわる倫理的配慮の対象には該当しない。報告内で登場する「色盲」という語に関しては、一般に「色覚異常」や「色弱」と呼ばれる身体的状態の通称・総称として用いており、時にそれが差別的含意を伴うことは十分に自覚した上で使用している。報告者がこの語を使用する場合、過去に報告者自身が色盲当事者の立場から行なってきた歴史研究を踏まえており、差別的含意は一切ないということを明記しておく。