HOME > 全文掲載 >

「石川清氏よりの台氏批判問題」委員会(仮称)の討論経過をふりかえって

小池 清廉 19730915 『精神医療』第2次3-1(11):3-20


 はじめに
 1971年3月17日、いわゆる台実験が石川清氏によって告発されたことに端を発して、精神神経学会内に「石川清氏よりの台氏批判問題」委員会(仮称)(以下これを単に委員会と略す)が設置され、年余にわたる委員会活動が行なわれた。その結果、すなわち委員会報告書は、1973年2月および3月に開催された理事会に提出され、また3月および4月の評議員会、5月1日の第70回精神神経学会総会において報告された。この委員会報告書は学会が1973年3月に発行した「日本精神神経学会委員会報告」に掲載されている。また1972年6月の第69回精神神経学会総会では、委員会活動の中間報告が行なわれた。
 筆者はこの委員会の委員長として、主として討論の司会と討論内容のとりまとめにたずさわってきたが、報告書の提出と総会への報告を最後に委員会活動は終了した。すでに委員会はなくなっており、今の筆者は委員長ではない。今回、編集者より委員会の討論内容のながれについて紹介してくれという求めがあった。司会をしていたために自分自身の意見をのベる機会が少なかったように思ってもいるので、筆者のメモによって各委員の発言要旨を紹介しながら、委員会討論を個人的見解のもとにふりかえってみることにした。一部紹介する各委員の発言要旨は、その当時の筆者のメモをそのまま引用したもので、その責任は筆者にあることを断っておかなければならない。
 委員会の討論をふりかえってみて、もっとも印象的なことは、少なからぬ重要な点において、最初から最後まで意見の対立があったということである。その対立は、決して台教授の批判を最初にはじめた東大内部のいわゆる台批判派と台氏擁護派の対立が委員会討論に反映したというべきものではなくて、学会全体ないし医師・医学者の人体実験に対する態度の相異を反映したものというべきであった。事実、対立点を明記した委員会報告書を素材にして、委員会で行なわれたものと同質の白熱した討論が理事会、評議員会、総会を通じて延々とくり返され、意見の対立がいかに根深いところから発しているかがつよく印象づけられたのである。
 しかし、1973年4月28日の評議員会における、吉田哲雄氏による新事実の提示によって、それまで台実験を擁護してきた人たちのほとんどが台氏批判もしくは態度保留の意志表示に変らざるを得なくなった。そのため、それまで少なくとも理事会、評議員会では数においてほぼ同数であった台実験批判派対台実験擁護派プラス態度保留派の関係が一挙に崩れさり、総会においては圧倒的多数の会員が台実験を到底容認し得ないものと断じ、これまでの患者人権の軽視を学会として深く反省することを決議した。新事実以後の評議員会・総会討論の様相は、報告書を提出した時点では新事実を知る由もなかった筆者が予期したものとはいささか異なるものとなった。けれども、新事実が提出されなくても、そのような事実を当然予想しなければならぬことは、人体実験の原則である。新事実が提示される以前の段階で、台実験の評価をめぐって学会全体のなかに、上述のような決定的ともいえ<0003<る意見の対立があったという事実は、決して消し去ることのできぬものである。この対立の源がどこから由来するものであるかを明らかにするためにも、委員会活動の経過をふりかえることの意義は大きいと思える。

 委員会の活動方針
 委員会の活動方針について、報告書は次のようにのべている。

 当委員会は、石川氏よりの台氏批判問題が医学研究としての人体実験と患者の人権とのかかわりにおいて、単なる過去のものでない今日的かつ普遍的な意味をもつものであることを確認し、また研究が評価される学会にとって重要な意味をもつとの観点から本問題をとりあげることとした。当委員会は、台問題という個別的具体的な主題にとりくむことを通して、医学研究・人体実験のあり方に関する原則的・一般的な問題を追求しようとした。台氏批判問題を検討するにあたっては、台氏自身の2つの論文(原論文)を基礎的資料とし、台氏が最近のべたものや他の参考人の意見は副次的な参考資料とみなした(委員会報告書)。

 第1回委員会において、このことを全委員が確認し、この活動方針にそった討論がはじめから最後まで展開された。討論は白熱し長時間におよび、同じ論点が対立のなかで幾度となくくり返されるということもあって、忍耐と気力と体力(ぶっつづけで長時間討論をするため)を要する委員会活動ではあったが、それなりに得たものも少なくはないと思っている。「石川氏による台氏批判問題」を個人攻撃であるとか、東大精神科教室内部の内紛とみなして、われ関せずの態度をきめ込む会員も、はじめのうちは決して少なくはなかったと思われるが、台実験を批判した問いかけは、われわれ医師・研究者ひとりひとりにむけられているという意味の重みに気づいた人がその後徐々にではあるがふえていったものと思う。このような、少なくとも学会すなわち精神神経学会といくつかの精神科関連学会内における変化が、委員会活動を孤立化させなかったと思えるのであり、さらには委員会活動をこえたところで、台実験批判のもつ意味が深化され、具現化されていったという事情もあって、委員会活動のしんどさをどうやら克服できて、委員会として統一した総括に到達することができず対立意見をそれぞれ併記するという形式をとらざるを得なかったものの、台氏批判問題について委員会としての一応の総括を行なうことができたと思っている。
 これを受けた理事会(3月24日)は、理事会として台実験批判問題を総括した7項目の決議を採択し、直ちに評議員会(3月)に提出したが、理事会提案を支持する票は多数をしめたものの過半数に達せず、可決保留となった。総会直前の4月の理事会は、改めてねり直した台氏批判の結論を評議員会に提出したが、なお対立した激論が延々とくり返された。しかし、その日の夕刻、新事実の提出があってから事態は大きく変化し、総会の場で最終的な決定が下されたことは、さきにものべたとおりである。
 ところで、委員会が学会内に設けられ、学会全体が台実験批判問題にとりくむことができたこと、換言すれば人体実験という医学における基本的な重大問題に真正面からとりくむことができたのはなぜであったか、その歴史的基盤に目をつむることはできないだろう。1969年の金沢で開催された精神神経学会にはじまった学会改革の運動なくして、今日の台実験批判があり得ないことは、あまりにも明白である。荒廃した精神医療を一方で支えてきた大学医局講座体制とその連合組織としての学会が金沢学会において鋭く批判されたが、以後学会の改革は着実に進められ、学会内に患者差別に抗し、患者の人権を守るための医療の確立を目指す運動が持続的に行なわれてきた。このような歴史的基盤があったからこそ、委員会はその活動方針をはじめから終りまで貫くことができたのであり、<0004<学会全体がかつてない真摯な討論を行ない、患者・家族つまりは国民の目からみて良識ある結論を下すことができたといえるのである。

 委員会の成立とその構成
 石川氏による台氏批判は1971年3月になされたものであるが、当時の理事会(理事長保崎秀夫慶大教授)はこの問題について明確な態度をとることができなかった。ようやく同年6月の評議員会において若干の討論がなされ、総会での討論が行なわれなくなったために会長より理事会に付託されることとなった。理事会(理事長大熊輝雄鳥取大教授)が委員会の発足をきめたのは10月になってからであり、委員会の名称について大別すれば、あくまで石川氏が台氏を批判した個人的ニュアンスもある問題とみなしたいと思われる意見と、人体実験一般にかかわる問題であるとする意見にわかれたが、双方の意見が同数であったため理事長の提案で仮称のまま暫定的な名称がつけられることになったが、結局最後までこの長いかっこ付の名称が使われた。このあたりにも、当時の理事会のもたつきぶりの一端が瞥見されるのである。理事会のメンバーは次のとおりであった。切替辰哉(岩手医大)、大熊輝雄(鳥取大)、高橋良(長崎大)の各教授。伊藤斉(慶大)、江熊要一(群馬大)、西園昌久(九大)の各助教授。平井富雄(東大分院)・菱川泰夫(阪大)講師。中山宏太郎(京大)・金沢彰(阪大)助手。大学以外に勤務するものは次のとおりである。河合洋(国立小児病院)、島成郎(国立武蔵療養所)、榎本稔(成増厚生病院)、福井東一(初声荘病院院長)、森山公夫(東大精神科医師連合)、成瀬浩(国立精研)、山本巌夫(東京家裁)、小池清廉(県立高茶屋病院)、後藤聰(県立城山病院)、緒方道輔(大牟田労災療養所)。
 委員会の担当理事には、小池、成瀬、菱川、山本が選ばれ、委員の公募を行なった結果、次の会員が委員に就任した。川合仁(京大助手)、立津政順(熊本大教授)、浜田晋(都精神衛生センター・都立松沢病院)、宮下正俊(東大病院)、吉田哲雄(都立松沢病院)、青木薫久(根岸国立病院)、町山幸輝(東大助手)。以上7名の委員に担当理事4名を加え計11名が委員会活動に従事することとなった。いずれも精神医学を専攻する若手というよりは中堅層に属する精神科医で(ただし立津委員のみ年配者)、とくに川合・成瀬委員は神経化学の、立津・浜田・宮下・吉田委員は神経病理の、菱川・町山委員は神経生理の研究者でもある。

 討論の経過
 過去の問題であるのか? 個人攻撃なのか?
 第1回委員会報告は次のようにまとめている。

 石川氏の台氏批判を私的なものとしてとりあげるのではなく、台氏の実験研究の問題であると同時に医学における臨床研究のありかたの基本的な問題としてとりあげることとした。これは今日的かつ普遍的な課題であり、研究が評価される学会のありかたにもかかわる問題である云々。

 吉田;評議員会の討論内容をみても、個人的問題であるかそれとも全体的な問題であるのかという2分法ではない。論文は公表されたものだ。公の問題に対する告発だ(第1回委員会での発言、以下単に(1)と略す)。
 成瀬;会員のなかに個人攻撃だという非難がつよい。皆が考えねばならない重要な問題だ(1)。
 川合;このような生体実験がなぜ行なわれたのかを問題にしなければならぬ。自分のなかにもある問題として(たとえば薬物使用において)考えねばならぬ。20年前の問題として放置することは、安易に規準を与えることになる。学会として生体実験をやってはならぬ規準を示す必要がある(2)。
 青木;殺人でも20年たてば時効になっている。旧悪をあばくだけが目的では意味がない。現在<0005>の時点で、人体実験に対する基本的思想の問題として、うけとめるべきだ(2)。

 委員会は裁判をするところではなく、実験・研究のありかたの基本的な問題としてとりあげるべきことが確認された。

 人体実験である
 台実験が人体実験であることははじめから確認できることで、議論の余地はない。第2回委員会で、ヘルシンキ宣言の分類を参考にして、直接被験者に還元されるような治療や診断を目的とした実験ではなく、直接被験者には還元されない基礎的研究であることを確認した。第2回委員会報告は、「台氏の人体に関する実験的研究は、基礎的研究に属するものである。」とのべている。この各回ごとの短い委員会報告(内容は議事録)は、委員長によって書かれ、担当理事の了解を得たのち、理事会に提出され、評議員会に報告すべく印刷され、また学会誌の学会だより欄にのって全学会員の目にふれるものである。報告書(最終の)であきらかなように、成瀬・町山委員はのちほど、台実験は治療を目的とした疾患研究であるとして別の考えを主張した。

 同意をとったか
 すでに第1回委員会において、同意の問題をあきらかにするようにとの指摘がなされていたが、1971年12月19日、青木薫久会員(第2回以後委員会に出席)より委員会宛に、同意をはじめとしていくつかの点において台実験がニュールンベルグ原則に違反しているように思えるのでよく検討されたいという趣旨の要請文が提出された。第2回委員会では、同意についても討論され、少なくとも同意が必要であることが確認された。成瀬委員は広瀬貞雄氏のことばを紹介しながら、ロボトミーについては家族の同意をとってあるが、実験についてはきいてないとのべ、委員会としては同意について台氏および広瀬氏に問い合せることとなった。

 青木;拒絶的な少数例を全麻で手術している。かりに実験内容を告げたとしても、拒絶例は実験を含めた手術を拒否している。
 立津;強制的な方法は治療のなかでも、閉じ込めるということにみられるではないか。
 青木;治療の目的と実験の目的とはちがう。
 吉田;ニュールンベルグ原則は参考にするがなお不十分だ。同意は医師の側についてはもっときびしくすべきだ。同意すればよいということではない。
 町山;同意は必要条件だが十分条件ではない。
 小池;医師患者関係がすでに一定の構造をもっているから、たとえ法的な問題が解決していても本当の同意とはいえない。
 成瀬;同意は医師ひとりできめるべきではない。外国では委員会方式をとっている。
 山本;委員会方式でも不完全だ。本人の利益が真に守れるかどうか問題が多い。
 青木;拒絶例を全麻でしているのは問題だ。本人の同意が必要だ。
 山本;(同意能力に問題のある)精神障害者の場合、人体実験をやってはならないことが原則だ。やられた方は医師の反省ではすまされぬ。
 成瀬;薬物投与の場合、副作用があるといえば誰ものまなくなるではないか。
 小池・山本;副作用を説明すべきだ。
 川合;わかっていないことはわかっていないというべきだ。
 立津;台氏は入院同意には厳密な人だ(以上第2回委員会)。

 第2回委員会報告は同意について次のようにまとめている。

 実験にあたっては、患者、場合によっては保護義務者の同意も必要である。しかしながら、同意があればよいとか、法的手続上問題がなければよいということでは十分でない。また、た<0006<とえば重度精神薄弱者のように、判断する能力のないと考えられる人に対しては、判断する能力のある人以上に慎重でなければならず、むしろ実験はできるだけ回避すべきである。さらに、法的な承認を得、治療の目的で摘出した身体の一部であっても、その処理については同意の問題が含まれる。

 その後、台氏(1972.2.1)および広瀬氏(1972.2.19)より回答があったが、台氏によれば、ロボトミーについては保護義務者から手術同意書をとり、自分の受持の患者(10余名)には口頭で手術をすすめたが、脳切除実験については、受持患者の保護義務者には口頭で主旨を伝えて同意を得たが、患者からは同意を得ていないとのことであった。広瀬氏からは、ロボトミーについては同意をとったし、台氏に依頼された脳小片摘出は、standard lobotomy の目的に対してはまったく negligible small であると判断し、治療を目的とした手術操作の範囲内のことと理解して、そのことを保護義務者や患者本人に同意を求めたことはないという回答がよせられた(なお、以上の台氏および広瀬氏の書簡は全文委員会報告書の第Ⅳ部に載っている)。
 同意については、委員会活動の後半で人体実験の原則を論議する際、保護義務者の問題、精神障害者の場合についてさらにくわしく論じられたが、結局、報告書にあるように、同意を得なかったことは、人体実験の原則からの逸脱であったとする多数意見と同意を得なかったことは、人体実験の手続として、逸脱とはいえぬまでも、不備であったと考えられる(成瀬・町山委員)という意見にわかれた。また、同意がおろそかにされている現状に対して、われわれも自己反省するとともに、同意についてきびしくうけとめていかねばならぬことが確認された。

 台実験とロボトミーとの関係
 台実験は原論文にも記されているように、ロボトミーとは別の皮質組織の剔出によって成立している。ロボトミーと台実験は不即不離の関係にあるから、当然ながら討論も錯綜しがちであった。
 立津;ロボトミーについては、あの当時と今では考えかたが変っているから批判はできない(1)。
 吉田・山本;今、批判があってしかるべきだ(1)。
 立津;当時は新鮮例でも、処遇上どうしても困るので看護者がロボトミーをやってくれといった。家族もとにかく手術をしてくれといった(1)〈なお、立津氏は当時、松沢でロボトミーにつよく反対していたといわれている〉。
 菱川;当時、世界的に多数のロボトミーをされた患者がいた。手術の基準もなく、どこまで切るのかはっきりしてなかったと思う(2)。
 青木;当時において精神外科は犯罪的であった。だから台氏は大泥棒のかげにかくれた小泥棒であったともいえる。また、現在の時点で台実験の評価をする必要がある(2)。
 菱川;現在行なわれている定位脳手術なども、どのような影響が出るのかはっきりしていない(2)。
 吉田;脳手術一般の是非というよりも、手術とちがう方法でオペの前に皮質を切りとったことが問題にされているのだ(2)。
 成瀬;ロボトミーをする患者は、病棟でどうにもならぬ患者に限られていた(3)。
 山本;発病直後の若いケースはどうなのか(3)。

 ロボトミーについては全委員が否定的見解をいだいているが、その他の精神外科についても、報告書にのべられているように委員会のなかでは否定的な意見がつよい。現在行なわれている楢林の定位脳手術や佐野の狂暴症(?)を鎮静すると称する脳手術や広瀬が強迫神経症を対象に脳手術を行なっていることを批判する意見が、委員会討論のなかで終始みられた。

<0007<
 皮質剔出は無害か?
 広瀬氏はその書簡で皮質採取はロボトミーの目的に対してはまったく negligible small であると判断したとのべており、また台氏は原論文で「患者に苦悩と後の障害を与える事なしに」と断定的にのべている。第1回委員会で、このような台氏の断定がいかなる根拠にもとづくのかという指摘がなされた。台実験の脳剔出における被害の問題をめぐって、人体実験の原則からみた論議と無害性・有害性に関するいわゆる科学論争が以後延々とつづけられることとなる。第2回委員会で、とくに皮質剔出をやったのではなく、少し大きな穴をあけた方がよいというロボトミー操作の手続に含まれるのではないかという、広瀬氏に会ってきた成瀬委員の発言があったが、原論文でも、松沢のカルテをみても(吉田委員による)そうでないことはあきらかであり、原論文どおり論議をすすめることを確認した。
 川合;ロボトミーでは皮質はとらない。
 成瀬;どちらにせよとられていると考えられる組織であろう。
 菱川;200mgか1g程度は、手術操作によって破壊されると思う。
 成瀬;江副氏は実験のためにロボトミーをやったのではないといった。ロボトミーで、くさび状のスペースをつくって血管をとった例があり、そうでない例と差がなかったと広瀬氏はいっている。
 浜田;機能喪失部分からとったからよいというのはおかしい。前頭葉の白質の破壊はごく一部であり、前頭葉が全部破壊されることはない。ロボトミーによって機能全体が失われるというのは非科学的だ。
 町山;線維連絡が絶たれれば機能は失われるといえる。
 浜田;ごく一部しか線維連絡は絶たれない。台氏が機能を喪失する部分だといっていることは理解しがたい。
 立津;それには証明がいる。松沢の脳を調べたらどうか。
 浜田;とったのとそうでないのと差がなければよいと立津氏がいうのはおかしい。それでは公害企業の論議と同じだ。
 宮下;少しでも害を与える可能性があるときはやるべきではない。台氏が害がないといいきっていることは問題だ。
 成瀬;ロボトミーでは皮質をとってもとらなくても脱落はおこる。患者に極端な不利益がおこるとは思えないといっている加藤伸勝氏と同じ意見だ。害があったとしても、negligible smallだ。
 浜田;有害でないという根拠はあるのか。
 川合;自分がそういう立場で皮質を提供するか。
 町山;ロボトミーは機能を失わせることを目的とする手術だから、皮質をとることは手術の目的にあっている。
 青木;ロボトミープラスアルファ(脳剔出)が問題だ。
 菱川;プラスアルファがオペの範囲に含まれる。
 成瀬;フロンタールからテンポラールの機能はおちるだろうという当時の考えかたがあった。台氏はロボトミーをその後批判し、動物実験に移っている。
 川合;台氏の「所感」をみるかぎり反省はない。
 青木;ロボトミーとロベクトミーはちがう。
 町山;同じだ。
 宮下;皮質をとれば脱落がおこるはずだ。
 成瀬;線維が切られれば、皮質は働かない。
 川合・浜田;プラスアルファが問題だ。機能はおちたとしてもゼロではない。脱落ではない。
 立津;ふつうのロボトミーでもまわりに脱落がみられる。とったことによっておこる害は手術での脱落と差がない、というより結果的には同じではないか。
 成瀬;臨床的なグローブなレベルでは差はないと いう見解がある。
<0008<
 青木;IQで差がないというが、人格は定量できぬものだ。
 川合;結果が同じだからよいというのはおかしい。
 立津;実証しないかぎり納得できない。私は自然科学者だ。
 青木;科学者の実証主義そのものに問題がある。公害企業の論理と同じではないか。人体実験の思想性の問題だ。可能性について考慮を払うべきだ。
 成瀬;ロボトミーの1gと何でもないときの1gとは意味がちがう。
 立津;害はないかも知れぬし、あるかも知れぬという可能性はあるだろう。しかしそれは証明すべきだ。
 川合;かりに害がないとしても、台氏の意図は免罪されないだろう(以上第2回委員会)。

 当時としてはいたしかたなかったという議論に対しては、その時代の背景だけで律し切れないものがあり、現在において積極的に反省すべきであり、反省のないこと自体おかしいという指摘があった。

 青木;1gの脳をとるためにはそれ以上の脳が破壊されているはずだ。細胞が死ねば必ず線維は死ぬ。
 町山;皮質はすべて細胞ではない。
 吉田;negligible small という考えは、プラスアルファが small ではあっても存在するということだ。
 菱川;プラスアルファかどうかわからない。
 成瀬;しかたなくとられていたのだ。
 川合;それが問題だ。
 成瀬;どっちにしてもだめにする部分を実験するのがどうしてわるいのか。
 青木;当時の精神外科はいたるところをこわしていた。だから実験はよいというのは論理のすりかえだ。そういう精神外科の思想を肯定して実験をやったというロボトミーとはちがう質が問題だ。
 町山;量的なちがいはみとめるが、質には反対。
 川合;術者の倫理規範から逸脱している。
 青木;広瀬の思想は問題だ。
 吉田;広瀬氏のカルテには、すこし乱暴だから大きく切ろうと書いてある。
 町山;皮質の一部をとることが治療的に意味があるといえる。

 結局、皮質をとってもさしつかえない、それは治療の目的にかなっていたという考えと皮質をとることは障害をもたらす可能性があり、慎重に配慮すべきことが人体実験の原則だという意見が完全に対立していた。
 山本;治療のついでにとったのだ。とることが治すことだというのは強弁というものだ。
 成瀬;negligible small だと思う。
 山本;negligible small とは、必ず障害があるという前提に立った論だ。これ以上とれば目立った障害が出るだろうということだ。
 成瀬;Herdsymptom の障害は今もちがっていないし、それほど障害が出るとは思っていない。別の area にひっかかるほど大きくなければ。
 青木・川合;人間では前頭葉が高度に発達した。人格に関係する人間の高次の機能はむしろ前頭葉でいとなまれる。少しとっても出にくいという silent area だからこそかえってこわいのであり、慎重にしなくてはいけない。
 町山;どの位ならとってよいかは経験的にきめざるを得ない。差がないからとってよい。
 山本;人格変化は最小限にしなければならない。人格変化がないという保証はない。
 町山;クロルプロマジンを使うとき、障害がないという保証なしに使うではないか。
 山本;ロボトミーは治療上やむを得ないと一応考えられた。そのロボトミーではやらぬ異質のものが入っている。台氏は治療に参加していない。広瀬氏は治療としてやった。これでは便<0009<乗だ。
 成瀬;人格変化はおこっていないと思う。
 川合;おかしい。工場でけがをした。傷をうけた。労災かどうか判定するときどうするのか。報告例がないからどうもないというのはおかしい。
 山本;自分の脳をとらすのか。肝臓とはわけがちがう。
 成瀬;使われない脳があれば、使ってどうしてわるいか。脳だから絶対に手をつけたらいかんという考えではない。
 菱川;当時の状況として捉える必要がある。
 吉田;当時の思想と今のそれと共通したものがあると思う(以上第3回委員会より)。

 死亡例がある
 原論文によれば、患者1名がロボトミーと脳剔出の手術によって死亡している。石川氏が「台弘氏の所感を批判する」と題する一文(1971.5.28)において、この実験の犠牲となり命を落した患者が何人かあると表現していることに対して、台氏は、石川氏は虚構の理由によって私を殺人者とふいている、これは重大な誣告であるとの主旨の申入れ書を理事会および委員会宛に提出した(1972.2.1)。委員会はこれについて討論した結果、裁判所や調停機関でないことを確認し、委員会討論の全経過のなかで検討していくこととした。

 川合;死亡例について台氏自身がどう考えているかが問題だ。居直っていることが理解できない。
 青木;台氏にうしろめいた気持があるべきだろう。それもなくて、自分が100%公明正大だといっている。

 委員会の最終的な報告書では、このことについて、多数意見Aは「これは、台実験および関連するロボトミーによって、患者のうける利益以上に大きな被害を与えたものと考えられる。このような事態に対して、台氏は謙虚に反省すべきである。」とのべ、成瀬・町山委員は、「台実験の対象となった患者約80名のうち1名が手術によって死亡しているが、この死を組織摘出のためと断ずることはできない。」とのベた。

 実験の責任は
 第2回委員会報告は、「実験の最終責任は、これを組織し、指導した人にある。」とのベ、報告書には、「脳剔出の主な責任者は台氏である。ロボトミーについては、自身の担当患者については、主な責任者であるが、他の患者についても、一定程度の責任を有している。」とのべた。ただし、このような確認に至るまでに、委員会活動の後半において次のような議論があった。
 成瀬・町山;台実験はいわば廃物利用実験だ。
 町山;とってしまったものの利用者は手術の責任を負わない。
 山本;便乗した以上責任がある。法律でも、臓物故買は罪だ。脳はいうまでもなく、摘出した肝臓でもそれを利用する研究者に責任はあると考えられる(第9回委員会、1972.11.11)。

 立派な研究であったか
 台実験の位置づけ、目的、価値、方法、結果などについても意見が対立した。

 成瀬;当時、原論文を読んで感銘をうけた。すぐれた業績と考えた(1)
 町山;私の神経化学専攻のきっかけとなった研究である。たかく評価している(以下2)。
 成瀬;あのデータは今でも価値がある。あれだけでは不十分だけれど。
 吉田;実験の目的は何であったか。
 町山;分裂病者の含水炭素代謝。
 吉田;分裂病と一括するのはひとつの方便ではないか。人間一般をねらっているともとれる。
 成瀬;林道倫の仮説にみちびかれて。
 青木・川合;それはあいまいだ。原著と「所<0010<感」とでちがっている。
 青木;やってみて有意差をみるようなことは許されない。人間の脳だ。
 成瀬;生化学の論文として評価さるべきだ(以下3)。
 川合;生体実験をやれば新しい知見は得られるだろう。結果をもって判断の出発点とすべきではない。
 吉田;目的は手段を正当化するというわけではないだろう。
 川合;目的が明確でない(以下5)。
 成瀬;たしかに仮説ははっきりかいてないが、推測できる。
 町山;negative data だったから、基礎実験のようになった。
 青木;対照群にプラスアルファを与えることは問題だ。人間として扱うことが先決でなければならぬ。
 宮下;問題は被験者に還元さるべきものがあったかどうかだ。基礎実験ではなかったか。しかも動物実験があとになっている。
 委員会報告書は、研究の意義についてかなり長い対立意見をのせているが、多数意見では、「林説にもとづく分裂病の新治療法の開発上、不可欠の実験とはとうてい考えられない。」、「ことに対照群となった患者には、予想される利益は皆無に近いものであり、むしろ、正常所見の出ることが期待されるようなものであった(以下略)。」とのべている。これに対して、成瀬・町山委員は、「台実験は分裂病の病態生理の解明を目ざしておこなわれたものである。」「台実験は分裂病の本態研究に一定の貢献をおこなった。またこの実験の結果、覚醒剤中毒を分裂病のモデルにするという分裂病のモデル研究に新しい道を開く端緒が得られた。ロボトミーは当時なお未知の問題があったにせよそれはおこなわざるを得なかったのである。台実験はその機会を積極的に活用して、分裂病の病態生理の解明に寄与せんとしたすぐれた業績である。」とのべた。

 脳生検の可否
 台実験に関連して、脳生検一般論についても若干の討論が行なわれた。

 立津;外国では問題にしていない。
 川合・浜田;日本でも白木教授などが脳生検をさかんにやっている。ウィルソン、初老期精神病、ゴーシェなどでも脳を採っている。
 成瀬;外国では Biopsy の是非について7年前に Biemond らが議論している(以上2)。
 成瀬;すべての Biopsy を否定することはできぬと思う(3)。

 脳生検一般については、厳密に考えることが少なくとも必要であり、台問題が一段落してから本格的にとりくむこととした。

 問題点は出つくした
 以上は主として、第1回から第3回までの委員会討論における各委員の発言要旨を紹介しながら、私なりに討論の雰囲気を再現するとともに論点をまとめてみた。主要な問題点、論点ははじめから出つくしており、以後同じような議論があくことなくしかもかなり激烈なトーンをもってくりかえされた。そのことは、意見対立の根がいかに深いかをものがたるものであろう。ところで、石川氏が台実験を告発するや、すかさず台氏は、「石川清氏の告発についての所感」(1971.3.31)を学会誌73巻3号に発表し(本文ではこれを「所感」と略した)、これに対して石川氏は、「台弘氏の所感を批判する」(1971.5.28)一文を学会誌73巻6号に投稿している。その後、台氏はこの石川氏の文章に関連して、誣告ではないかとの申入れを委員会および理事会にされた(1972.2.1)。さらに台氏は、「患者に対する医師の実験的態度」と題する小論文を委員会に提出している(1972.2.25)。その後、この小論文は台氏によってわずかの修正をうけて、委員会報告書の第Ⅳ部に掲載されている。第4回委員会から69回総会直前の第6回委員会<0011<までの討論では、それまでに出された対立点をさらに明確化することと、人体実験の一般原則論を台実験との関連において論議することが中心となったと思われる。委員長としてはできるだけ一本にまとめようと努力したが、それが相当に困難なことを感じたので、一致できそうなもの(同意、責任など)は一本化し、一致がとうていむりと考えられたもの(被害論、研究の評価、人体実験の位置づけなど)については、各委員の意見をそのまま発表するという形で69回総会のための中間報告をまとめた。

 人体実験の原則を討議
 第4回委員会(1972.3.24)で、青木委員より討論資料として、「人体実験に関する原則(案)〔1〕、被験者の被害、人体実験の根拠の問題」、「検査或いは医療としての脳破壊の問題について」という文書が提出されたので、これをめぐって内容面の討議を行なった。2つめの文書では、「原則として脳生検はやるべきでない。それは自己の脳について脳生検をすることを考えてもわかることである。」といった主張がのべられていた。また青木委員は次のようにのべている。「私の考えるところでは、人体実験に関する原則が出るのが望ましいし、それはわれわれ自身の内部の思想闘争のなかででてきたような、鋭い意味をもったものとならねばならないと思っている。もしこのようなものではなく、あってもなくても大して変りのないようなぼやけたものしか委員会の力量としては出し得ないというのであるならば、むしろ出さない方がよい。そして台氏の実験問題に焦点をしぼって、個別の問題を徹底的に検討した方がよいと考えている。」第5回委員会(1972.4.15)では、吉田委員が、「人体実験の定義と倫理原則(試案)」という文書を提出した。これはヘルシンキ宣言を参考にしてあり、基本原則、定義、種類および10項目の倫理原則より構成された比較的短い文章であった。

 被害論をめぐる討論
 吉田委員は第5回委員会において、「台氏による実験の際の脳の侵襲について――まとめと意見」と題する文書を提出した。ここで、広瀬書簡にふれて、「『脳小片摘出を治療を目的とした手術損傷の範囲内のことと理解した』(広瀬書簡)という点は、文字通りうけとるには疑義がある。もし主張するなら、『手術操作において例外的に止血のために必要となる操作の範囲内のこと』というべきである。台論文における、『骨孔を越えて』組織をとる操作が広瀬書簡の手術操作の範囲内のことであるか否かも問題である。」と指摘した。また、ロボトミーにより前頭葉機能は喪失するかどうかという論議について、吉田委員は、「切られた白質には、のう胞形成など大きな変化がのこるが、皮質は、形態学的によく保たれる。のこった皮質の機能は、切られた白質に全面的に依存しているのではなく、方々からの線維連絡がのこる(参考 横井晋;ロボトミー後の脳変化について、精神経誌56;361、1954)。……〔スタンダード・ロボトミーの例で〕興味あるのはほとんど完全に離断された前頭葉の前部の断端であるが、ここでは予想に反して直接切載を受けた部分を除いて皮質にはそれほど変化が著しくない。すなわち、皮質の細胞構築はよく保たれており、神経細胞の脱落もない(同368頁)。」というまとめを行なった。

 中間報告の発表
 第6回委員会(1972.5.21)において、同意、責任については委員会の統一見解として、被害論(侵襲について)については各委員の見解を集約した形式の中間報告書の原案が、委員長より提示され、討論のうえ修正を加えて、理事会、評議員会、第69回総会(1972.6.13)に提出することとなった。この中間報告は、『「石川清氏よりの台氏批判問題」委員会(仮称)活動報告』と題され、精神経誌74巻12号920頁以下に掲載されている。この文書のなかの「実験に関して<0012<同意がとってないことは遺憾であると、全員一致で確認した。」という表現について、成瀬氏は総会においても疑義をのべた。なお、第6回委員会では、青木委員が、「台氏の行なった人体実験に関する見解(案)」と題する文書を提出したが、これはB4判コピー用紙20枚におよぶ長文のまとめであった。また、成瀬委員も、「台論文告発についての意見」と題する文書を提出した。成瀬委員の意見の一部を以下に紹介する。
 「当委員会では、今後の臨床研究あるいは人体実験のあり方について討議する。その討議のための参考資料として台論文を素材とする。
 20年前の論文をもとにして、台個人の告発あるいは学会としての処分ということには反対する。非道徳的行為に対して学会として処分を行なうことはありうることであるが、その場合は、その問題の事実関係、状況、本人の意図などについて厳密な検討が前提となる。今回の場合にはその前提が成立していない。20年前の状況、当人の実態について詳しく知ることなしには、個人に対する倫理的判断を下すことは、小生は納得出来ない。また事柄を非道徳的なものとも考えないことも付記する。あくまで論文の科学的批判を通して、(上の)目的に役立つ議論に集約すべきであろう。
 (被験者の同意について)被験者の同意ということは、小生を含め、かなりの人々が軽視する傾向のあったことは事実である。個人としてこの点、深く反省する。いかに重要な、価値ある研究でも、被験者の同意にもとづく協力が不可欠である。この点『台論文』の背後にある事実の中で、かなり不十分な面があったことは、委員長宛の台氏の返事でも明らかであり、彼も反省している。(脳生検について)ある種の脳障害で、脳をとることにより、その疾患の治療に役立つ所見が得られる可能性が大であると考えられ、しかも脳の一部をとることにより、患者におこる不利益が、それ程重篤でないと考えたときには、言いかえれば、治療という行為を目標としたもので、それで得られる利益が大で、侵襲が少ないときには、生検も止むを得ないかもしれない。(中略)医学で『絶対の安全性』を求めれば、現在行なわれている治療のかなりの部分は否定されねばならぬであろう。(中略)生体よりの情報は、最大限に利用しなくてはいけない。」
 中間報告は、1972年6月の69回総会直前の理事会に提出され、それまでの委員会内部の討論が学会の場で展開されることとなった。

 中間報告をめぐる討論
 理事会(1972.6.9)での討論の一端は次のとおりである。まず成瀬氏が、「同意をとってないことは遺憾であると、全員一致で確認した。」という表現に反対し、第三者的批判はできないと主張した。

 島成郎;主体的な意味で問題にしているのだ。その反省がないところが問題だ。この問題を素通りにして学会の総点検も何もない。
 福井東一;単なる他人批判ではない。
 中山宏太郎;患者の同意が先決だ。保護者の同意すらとっていない。遺憾であるですまされる問題ではない。
 金沢彰;当時の背景の検討がない。「本人の直接的利益に結びつく場合以外は、行なわれてはならない。」という原則に疑問だ。新薬の投与試験ができなくなる。
 成瀬;他の分裂病に役立てばよい。フェニールケトン尿症で血液を採取しているが、これは本人には役立たないがスクリーニングに役立っている。
 中山;ここでは不可逆変化をもたらす可能性があるから問題なのだ。
 島;患者の利益にならないといって実験をした人があるか。いずれは還元されるからといってきたではないか。反省のしかたが明確になっていない。とくに精神障害者の場合、本人の直接的利益が大切だ。
<0013<
 中山;ある条件のもとで人体実験が必要だというからには、成瀬氏はそのための理論を提出すべきだ。ニュールンベルグより軟化した条件を国民にいえるか。
 島・山本;人体実験をやってはならないことは原則だ。
 成瀬;原則がきまれば実験できなくなる。
 河合洋;20年前の背景がそうだから許されるということはおかしい。(成瀬氏は)スクリーニングの問題にそらすのでなく、問題の本質を原則的に討論すべきだ。医師の権力の上にあぐらをかいて反省しているととられてもしかたがない。
 森山公夫;人権は抽象的に規定されるものではなく、具体的に規定されるものだ。個々のケースによって、台問題の追求を通じてでてくるのだ。
 中山;同意が得られないかぎり実験はできない。現在の精神障害者にはそれがみとめられていないことは問題だ。直接的利益を判断するのは医師であって患者ではないということが問題だ。

 直接的利益の範囲をめぐって、委員と理事との対立が一部にあったりして、それまでの委員会討論の未熟さが露呈した。結局、さらに内容を明確にしていくことを条件に、11名の理事が中間報告に賛成したが、5名の理事は台実験を擁護する立場から反対した。
 評議員会(1972.6.10)でも、成瀬氏は同様の主張をつづけ、これを批判する議論が続出した。また中間報告がなお医師中心に傾いている点で不十分なことが批判を受けたが、中間報告の主要点について確認し、委員会活動を信任するということに賛成のもの40、反対12、保留14という結果になった。評議員会での発言の一端を以下に紹介する。

 島;過去の個人の問題でなく、これまでの精神医療・学会の恥部が本質的にあらわれたのだ。ロボトミーの検討すら行なわれていない。少なくとも一致した点については、国民の前に明らかにすべきだ。
 中山;何とか人体実験をやろうとする意図がでている。患者の自発的同意を保護者の同意にすりかえている。委員会の体質にも問題がある。

 総会(第69回、1972.6.13)でも、評議員会と同様の対立的議論がくりかえされ、とくに成瀬氏の論点が医師中心であって患者・犠牲者から出発していないこと、生体実験を肯定したナチスの医師の思想と何らかわりないと、石川清氏や小沢勲氏などから鋭く批判された。金沢彰氏は、具体的に実験できるものを出してもらうまでは報告の原則的内容を承認できないと、研究至上主義に立っているとしか考えられない立場から委員会中間報告を批判した。総会における討論のなかで、人体実験の思想がより明確になったと思われるが、途中から退場するものが出て(とくにあるグループが退場したといわれる)定足数をわったため、集会にきりかえられ、「台氏の人体実験はあやまりであった」という動議が、賛成235、反対28、保留69で採択された。
 このような学会レベルでの討論にてらしてみると、人体実験の概念規定がしっかりしていなかったために特殊例を一般化する反論がでたり(実は概念規定をすることによってさらに対立意見における考えのちがいがはっきりしたのであるが)、原則論からみて委員会討論が不十分であることが明らかとなった。委員会はこのような総会レベルでの討論をふまえて、さらに原則的問題を深めることができたと思う。69回総会では、以上のべたように、実験の思想性、同意、患者の利益といった原則的な問題をめぐって討論が行なわれたが、脳剔出をめぐる被害論についてはほとんど討論がなされていない。台氏はさっそく、この中間報告を批判する文書を提出した(「石川清氏よりの台氏批判問題」委員会〔仮称〕の活動報告に対する見解、精神経誌 74<0014<巻6号、1972)。台氏は、精神障害者の場合、本人の(直接的)利益以外に実験は行なわれてはならないとのべた中間報告を批判し、治療には実験的側面があること、実験は患者本人の利益を期待して行なうべきであると主張し、台実験は基礎的実験ではなくて、治療を目的とした疾患研究であるとのべ、また脳剔出は治療の枠を越えず無害であると主張した。

 69回総会以後
 69回総会における中間報告の発表とそれをめぐる討論以後、委員会が報告書を提出するまでの間も、台実験をめぐる委員会多数派(A意見)と成瀬・町山委員(B意見)との対立は持続し、同じような議論のくり返しが続いたが、台実験との関連のなかで人体実験の原則的問題が毎回綿密に審議された。第9回委員会(1972.11.11)以後は、報告書の原案としての総括文案(青木案、成瀬・町山案、小池案)について、とくにA意見とB意見の同異をめぐって、徹底した議論が反復された。精神外科についてはかなり共通の位置づけを得るに至ったと思われたが(第8回委員会 1972.9.24で、吉田委員提出の精神外科に関する小論文を委員会資料とすることを確認した)、ロボトミーと台実験との関連をめぐり意見は最後まで対立し、また被害論についても、中間報告以上の進展はほとんどみられなかった。報告書の印刷が完成したあとで、町山・成瀬委員はさきの吉田論文とは異なる立場に立った精神外科に関する小論文を提出した。
 原則論の討議では、実験の対象となる被験者の利益の問題、人体実験の定義、原則そのものの位置づけすなわち、医学の進歩のためでなく個人の人権を守るためにつくるものであること、原則各論の検討、患者の拒否権とくに精神障害者の場合について、委員会方式の功罪、今後に残された問題などを中心に内容的な論議を徹底化した。具体的個別例としての台実験をはかるものさし的なものとして、原則論議が行なわれたのであるが、単に台実験の評価と原則の審議が並行してなされたのではなく、原則論から台実験を評価するとともに、台実験の評価をとおして人体実験の原則を確立していくという交互操作を丹念にくり返して行なわれたというべきであった。

 実験をされる側の利益とは
 中間報告をめぐって、実験をする場合に被験者の利益をどう考えるかについての論議のあったことはすでにふれたとおりであるが、あえて繰り返すならば、成瀬氏の主張に代表されるような見解、すなわちフェニールケトン尿症児から血液をとることは、本人には役立たぬがスクリーニングには役立っている、このような実験ができなくなるような原則には反対であるとか、台氏が反論したような、いかなる治療も実験的側面をもち、すべての実験はいずれ本人の利益を目指して行なわれるものであるとする意見、また委員会内部でも出されたことのある、1人の人間にある実験を行ない、そのためにその人間が犠牲をこうむることがあっても、人類にとってきわめてたかい価値をもたらす可能性が大きい実験は許されるかといった設問に対して、委員会(すくなくとも多数派)の見解はおよそ以下のとおりである。
 ひとくちに人体実験といっても、それには種々な段階があり、少量の血液をとることと脳の一部をとることでは問題が異なることはいうまでもない。委員会は、提案した「人体実験の原則(案)」のなかで、人体実験を医学研究のためではなく、被験者の利益という立場から2つに分け、定義し、問題を整理した。「臨床実験の分野においては、患者の治療を主たる目的とする臨床実験と、純粋な科学的のもので被実験者の治療的価値のない臨床実験との間には根本的な区別を立てるべきである。」(ヘルシンキ宣言、臨床実験についての医師への勧告)ことは、至極当然なことと思われる。フェニールケトン尿症の例をもち出したり、すべての治療は実験的側面をもつとか、そのような原則では実験が<0015<できなくなって、医学の進歩は止るではないかといった議論は、特殊問題を一般化し、相対的な問題を絶対化し、原則と細則を混同した、いうなれば為にする議論であり、その発想はあまりにも研究至上主義的であると考えられる。また、いかに人類にとって価値のたかい実験研究であっても、1人の人間を犠牲に供してよいはずがないことは自明である。
 人体実験が許される場合、被験者がうける不利益はその実験によって被験者が得る利益よりもあきらかに小さくなければならないことが要請される。その際、利益について判断する人は、通常、実験をする側の医師であるということ自体が問題にされなければならないだろう。とくに、狭義の人体実験(後述)においては、実験の主な目的は本人の利益のためでなく、科学的知識の増進といういわば公共の利益のためにある。したがって、このような実験が許されるのはきわめて限定された場合に限られるのである。ニュールンベルグ原則は次のように規定している。「実験は不必要なあらゆる苦痛、あらゆる肉体的精神的被害をさけるような方法で行なわれるべきである。実験は被験者の死もしくは廃疾をともなうおそれのある先験的な理由のある場合には行なわれてはならない。実験で発生する危険は、人類にとっての具体的な価値、すなわち当面の実験が解決する問題の具体的な価値を決して越えるものであってはならない。実験に従う被験者に対して、傷害や疾病や死を惹起するあらゆる可能性は、たとえ小なりといえども、避けるようにすべきである。」委員会の提案した原則(案)は次のとおりである。「人体実験を行なう場合、被験者の不要な被害は必ず避けなければならず、被験者に与える被害とその可能性はできるだけ小さくしなければならない。実験的医学的処置の場合、被験者がその実験よりうける被害は、その実験よりうける具体的価値より小さいことが要請される。このため実験を行なうにあたっても、その実験にともなう被験者の被害とその可能性は、その実験が解決するであろう問題の被験者にとっての具体的価値より小さくなければならない。医師が患者に行なう人体実験は、医師・患者関係から、当然この原則をみたさなければならない。狭義の人体実験の場合、実験を行なう者は、被験者に重い心身の苦痛や傷害を与える可能性や、治癒または回復の見込のない疾病または衰弱に陥らせる可能性のある実験を行なってはならない。」科学的知識の増進だけに行なう処置(狭義の人体実験)について、「人体実験の倫理」(ヘルシンキ宣言)は、「被験者は、受ける処置が、科学的医学的知識の増進のためにのみ行なわれ、彼個人の利益のためではないことを知らされなければならない。被験者は危険性がともなうことを十分知らされていなければならない。」と規定しているが、以上は決してきびしすぎる規定とは思えない。
 ところで、狭義の人体実験も究極的には人類の一員である被験者自身の利益につながるものだ、まわりまわって被験者のためになるのだという意見をよくきくことがあるが、われわれはこのような見解を排除すべきだと考えている。町山委員は、許される実験はすべて本人の利益を目的としているのであり、本人の利益につながらない実験は許されないのだと主張しているが、これは一見厳格なようで実はまわりまわって本人のためになるという理由づけを導入する意味においてかえってルースな、多分に研究者中心の意見ではないかと思われる。委員会は、ニュールンベルグ原則やヘルシンキ宣言の意味を吟味し、以上紹介したような論議の曲折を経て、委員会独自の原則(案)の提案に到達した。今日の階級社会において、人類の利益とか公共の福祉とかいわれる場合の意図と個人の権利とは、つねに対立するものであることをわきまえておかなくてはならないと思う。

 狭義の人体実験か疾患研究か
 すでに第2回委員会で、台実験は治療実験ではなく、直接被験者に還元されない基礎的研究<0016<であると確認したが、その後台氏はこれを治療を目指した疾患研究であると反論し、また、成瀬・町山両委員も台氏と同様に、台実験は狭義の実験ではなく、治療実験であると積極的に主張しつづけたが、この主張にはやはり論理的な無理があると思われる。疾患の本態を解明しようとする疾患研究が成功すれば、治療法の手がかりが得られるから、疾患研究は治療を目的としているという考え方は、あまりにも科学主義的であり、研究者中心の思想から由来していると思われる。すでにへルシンキ宣言はこのような研究至上主義を排除している。委員会は人体実験の位置づけを、研究者の立場から行なうのでなく、被験者の立場から行なうよう努めた。そうすると、実験が被験者自身の直接的利益をめざすか、被験者の利益ではなくて科学的知識の増進を目的としているかに2分されることになる。委員会による人体実験の定義は次のとおりである(人体実験の原則〈案〉)。
 「人体実験とは、次のように定義することができる。患者の利益あるいは医学的・科学的知識の獲得、増進または確証を目的として行なう人間の内的または外的環境の故意の変更行為の新たな試みをいう。このような人体実験は、次の2つに大別することができる。(イ)実験的医学的処置。これはたとえば医師が患者に行なう新しい実験的治療のように、その実験の主な目的が被験者本人の利益におかれているものをいう。(ロ)狭義の人体実験。これはたとえば一般健康成人についての新薬の投与試験のように、その実験の主な目的は被験者本人の利益ではなく、被験者以外の人の利益や科学的知識の増進にあるものをいう。」したがって、委員会多数派は、台実験を次のように位置づけた。「人体実験を、(イ)実験的医学的処置と(ロ)狭義の人体実験に分けるわれわれの方法にしたがえば、台実験は少なくとも対照群の患者にとっては(ロ)の性格をもっており、分裂病群についても原論文にある目的からするとやはり(ロ)の性格をもっていると考えられる。」(報告書)
 ちなみに、「人体実験の倫理」(ヘルシンキ宣言)では、医師の人体実験により起こりうる状態を分析して、人体実験を(1)医師が患者の利益のためにのみ、疾病または身体損傷に対して、医の処置を行なう場合、(2)医師が患者の利益と科学的知識の開発という2つの目的のために、疾病または身体損傷患者を処理する場合、(3)医師が単に科学的知識の開発を目的として、被験者に医の処理を行なう場合に3分類しているが、われわれは(2)の中間型はあいまいで拡大解釈が入り込むおそれがあるので、適当でないと考えた。

 原則は個人の人権を守るためにある
 69回総会において、一方では、「具体的に実験できるものを出してもらうまでは、原則を承認するわけにはいかない。」という委員会活動を批判する発言があり、他方では、「医師の権威にあぐらをかいて、人体実験をしてやろうという観点から原則をつくるべきではない。」という委員会活動を忠告する発言があった。委員会(すくなくとも多数派)は、この後者の意見を受けとめ、討論をつづけた結果、人体実験の原則(案)「緒言」にのべたような主旨のもとに原則をたてることとした。
 医学の進歩の美名にかくれて、どれだけ個人の人権が無視されてきたか、いかに非人道的な人体実験が差別された患者・精神障害者あるいは被差別階級や被圧迫民族に対して行なわれてきたか、いかに医学が大量殺戮の具として開発され、人民抑圧の政策として利用されてきたかを歴史的・社会的に把握し、そのような医学・医療における政治性・階級性をはなれてどんな精緻な人体実験に必要な手続をならべたてたとしても、決して人権の保障にはならないことを確認した。そして、研究者を強力に支配する研究至上主義あるいは悪しき科学主義を防止し、これとたたかうために、個人の人権の立場から、医学や医療の研究活動に一定の制限を加えることに人体実験の原則の本質があると考えた。医<0017<学の進歩のためには、少しぐらいの犠牲はやむを得ない、これこれの原則を守ったのだから文句をいわれる筋合はない、文句があるなら証明してみよといってひらきなおる研究至上主義の立場にわれわれはつよく反対する。

 患者の拒否権をめぐって
 すでに第2回委員会において、拒否例を全麻で手術したことに対して青木委員からの指摘がなされていたが、ようやく第7回委員会(1972.7.30)以後、患者の拒否権と判断能力をめぐる討論が毎回くり返されるようになった。

 成瀬;重度精薄の疾患研究をやっている立場から、すべての障害者に拒否権をみとめることには疑問をもつ。
 山本;やられる側の立場から考えてもらいたい。判断能力の有無を判定するのは医師の側ではないか。人は生まれおちると同時に権利があるのだ(第10回委員会、1972.12.16)。
 山本;拒否権と判断能力は別だ。拒否権の方がひろい。それは基本的人権に入っている。拒否権は医師がみとめるのでなく、本来的にあるのだ)。(第11回、1973.1.20、21)。

 結局、原則として拒否権をみとめなくてはならないことを委員会として確認した。このことは、少なくともわが国では、従来きわめておろそかにされていたことであると思う。精神障害者の同意や判断能力については、人体実験の原則(案)で提案したようなまとめに到達したが、さらに今後検討を要するものと考えている。
 保護義務者の同意が、つねに患者本人の同意を代理できるものとはわれわれは考えていない。実際上の立場から、現実のゆがんだ医師・患者関係のなかで患者が不利にならないように、患者本人の権利を擁護することを目的として、保護義務者の同意が補足的に必要であると考えたが、はたして保護義務者が患者の側に立てるかどうかは大きな疑問である。精神障害者における保護義務者の問題は、今後さらに検討を必要とするものであると考えている。

 今後に残された問題
 とくに原則論議の場合、すでにのべたことのなかにも、さらに今後の検討を要する問題が少なくないのであるが、ここでは以下の3項目にしぼってのべる。
 委員会方式の功罪……この委員会活動のはじめの頃から、人体実験をチェックする委員会方式についての議論が行なわれていたが、たとえば患者の判断能力について医師が判定しているのが現状であるが、実験をやる側の医師だけが判断すべきではないから、少なくとも複数制できめるべきだという提案に対して、複数の委員会方式でも研究者のためのかくれみのになってしまい、きわめて不十分であるから、いろんなところへ公表し、多方面から意見をきき、もしも反対があればその実験はできないというようにすべきだと川合委員がのべた(第7回、1972.7.30)。その後の議論で、患者のおかれている社会的状況をよく把握し、また研究の行なわれる機構、医局講座制の現実を直視するならば、かりに委員会をつくることができたとしても、委員会が特権的医師のためのかくれみのに堕す可能性が大きいこと、研究者が研究のプライオリティを理由に、あるいは製薬会社が企業秘密を理由として委員会に提出したがらないという事態がおこり得るし、委員会がどれだけ問題をカバーできるか疑問であることなどが話し合われ、1つの病院なり研究機関がそれぞれ委員会をもつことは現実的に可能であり、必要なことであるという意見がつよかった。いずれにせよ、チェック機構として委員会の意義はあることを確認したが、実験結果ばかりでなく実験計画の公開性の必要なことも強調された。
 また、台実験は氷山の一角であり、当委員会を学会として人体実験を総括・点検する委員会に継続発展させていく必要のあることも確認された。委員会方式については、さらに今後の検<0018<討をまたねばならないだろう。
 補償の問題……実験によって被害をこうむった人に対する補償をどう考えるかの問題については、今後検討すべきであるとし、つっこんだ討論は行なわれなかった。
 脳生検……脳生検一般については、今後の検討にまつこととした。

 委員会活動をふりかえって
 委員会としては、できるだけ全委員の一致した見解を発表できるようにすべく最後まで努力を傾けたが、最初から最後まで続いた意見の対立という歴然たる事実のゆえに、一致できない点についてはA、B両意見にわけて併記した報告書を作成せざるを得ないことになった(最終回委員会)。正確を期するために、A、B両意見についてはそのことをとくに発言した委員自身の文章で書かれている。さて、たとえば、同意をとらなかったことは人体実験の原則からの逸脱であったというA意見に対して、最後までB意見は逸脱とはいえない、不備であったとつよく主張し自説(?)を譲ることがなかったというひとつのことをとってみても、いかに意見の対立がきびしく、かつしんどい性質のものであったかがうかがわれよう。
 この報告書は、1973年2月24日の理事会にはじめて提出されたが、時間的制約のため、人体実験の原則(案)が先に審議された。理事会は全員一致で、その骨子を承認したが、次のような議論があった。①精神障害者のおかれている現状を認識するならば、はたして彼等から自発的同意がとれるか疑問である。②第3者によるチェックがないかぎり、自発的同意を判定することはできない。③この原則(案)では、このとが明確におりこまれていない。また、人体実験倫理委員会の提案は具体性に欠けるといっ批判もあり、以上は当然の批判であるとわれわれは受けとめた。しかし他方では、原則をつくったら実験ができなくなるではないかといった、前年につよく出された意見はどういうわけか影をひそめ、この原則で二重盲検法ができるのであればみとめてよいといった意味の意見がきかれ、なおすっきりしないものが若干感じられたのである。
 3月24日の理事会で、委員会による台実験の総括(A、B両意見併記の報告書)が論議され、委員会報告を受けた理事会は最終的に中山理事提案の7項目の決議によって、台氏批判問題に決着を下した。しかし、事はそれですまなかったことははじめにものべたとおりである。理事会で台実験を批判した人は過半数をしめたものの、小差でしかなく、その傾向は評議員会でもかわらなかった(ただし、新事実の提示までは)。すなわち、台実験批判は不当であると積極的もしくは消極的に考えていた人が約半数近くをしめていたわけである。このことは、学会内部、ひいては医師・研究者の多くがいかに研究至上主義に毒されているかをものがたってくれるだろう。結果的には、反対した人は少なく、保留票を投じた人が若干あったのであるが、そのような人の発言のなかに、台問題は多分に科学的判断を含んでいる、科学的事実がはっきりしないかぎり判断するわけにはいかないというのがあった。そして、無害性の証明のないまま実験をしたことを容認し、有害性の証明をしてみよとひらきなおる公害企業の論理と同質の議論を展開した。科学的判断なるものが、純科学的中立主義的に存在し得るものでないことは現代社会ではよく知られているが、およそ医学的判断がなされる以上それは患者である人間にとってどのような意味をもつかというところでなされるのであり、そこに医学者の思想そのもの、別のことばでいえば医学者の実践態度が色濃くあらわれている。台実験に対する態度を保留した人のなかに、人体実験の原則(案)には賛成であるが、台実験の総括(但しA意見)には反対であるとのべた人たちがいるが、そのような人たちの医学者としての思想性と論理性をどう理解したらよいのだろうか。
 なお最後に、台実験批判問題に必要な、少な<0019<くとも科学者に要請されている文献資料すら調査することなく、学会による「台実験批判」を批判する俗論が医学者を自称する人によって若干なされているようであるので、この委員会が十分にロボトミー・精神外科、台実験にかんする文献資料を調査し、また台氏および術者の広瀬氏の意見を聴取し、必要な神経病理学的、神経化学的および臨床精神医学的論争をつくし、人体実験の原則にてらして、台実験を評価したものであること、委員会討論は学会の場で2年にわたって十分に審議されたものであることを蛇足かも知れないがつけ加えなければならない。
 また、少なくとも過去2年間の『精神神経学雑誌』「学会だより」欄および学会発行の「委員会報告書」(本号所載)および「委員会資料」をあわせ読んでいただければ幸いである。
                              (1973.6)
<0020<


UP:20110908 REV:
「台(臺)人体実験」告発  ◇小池 清廉  ◇『精神医療』  ◇精神障害/精神医療 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)