「沖縄渡航手続きを拒否して」
渡久地 政司 1968 『思想の科学』 160.
last update: 20110627
■渡久地 政司 1968 「沖縄渡航手続きを拒否して」 『思想の科学』 160
■内容
■目次
■引用
「羽田空港での関門は3つある。検疫(厚生省)入管(法務省)、税関(大蔵省)の3つである。このうち検疫と税関は応じることにし、入管については、入国手続きと身分証明書の提示を拒否することが計画のすべてであった。」(57)
「入管の検問所で入管職員に対して私はいった。
「私はいま、沖縄から来た。沖縄は日本の国だから、日本国内から日本国内への旅行に入国手続きだとか身分証明書の提示は納得出来ない。私は日本国籍を持つことの証明として、自動車運転免許証を提示してここを通過したい。」」(57)
「私は、計画どおり入管の関門を突破した。身分証明書を提示しなかったし、帰国手続きの一切をしなかった。私は自分の自動車運転免許証にもとづいて、氏名、住所、本籍、年齢、職業のみを確認した。
沖縄奪還のささやかな行為ではあったが、身分証明書を提示しなくても入管を通過できることが確認された。
数日後、全国各地の主として沖縄出身者から手紙が来た。そこには例外なく次のように書いてあった。
・・・第2、第3、第4・・・・と無限に渡久地方式を実行しよう・・・・」(59)
「8月22日鹿児島港でベ平連を主力とする10名、翌23日東京晴海で沖縄闘争学生委員会の17名が入管の壁を突破して強硬上陸に成功した。
私は、23日は東京晴海にいたが、17名の行動者が出迎え客のデモのウズの中に入った瞬間は、生涯忘れることはないだろう。この瞬間、沖縄は日本人民と結合したのだ。」(59)
■書評・紹介
■言及
*作成:大野 光明