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立岩真也・天田城介対談

20190330 話し手:立岩真也、天田城介 於:

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◇立岩 真也・天田 城介 i2019 対談 2019/03/30 話し手:立岩真也、天田城介 於: ※
◇文字起こし:ココペリ121 ※聞き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、 聞き取りが怪しいところは、【  】(hh:mm:ss) としています。
 【1中02】20190330立岩天田対談_255分

天田:[00:00:22]もう始めちゃっていいんですか? 

司会者:はい。

天田:昨日立岩さん、熊谷さんと対談したんで★あんまり重なると面白くないなと思うんですけども。ざくっと熊谷さんとの話だとどんな感じになったんですか?

★立岩 真也・熊谷 晋一郎 2019/03/29 「「痛いのは困る」から問う障害と社会」(対談)
 立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』『病者障害者の戦後――生政治史点描』(ともに青土社)刊行記念立岩真也×熊谷晋一郎トークイベント 於:東京堂書店

立岩:なんかもうすでに忘れてます(笑)。

天田:忘却の彼方(笑)。

立岩:わりと最初長く、赤いほうの本かな? そんなことないわ。この本こう読みましたと、こういう話でしたと、こういうふうに面白かったっていう一つ目の話はけっこう長かった。それを紹介してくれて。あと一つは歴史の話。で、彼もこの青い本の中でもけっこう東大の医学部っていうのそこそこ出てくるでしょう、そういうことも含めてこういうことを知りましたみたいなことと。それから、そもそも障害であるとか病であるとかそれをどう捉えるかっていうフレームの話であるとか。それと熊谷さん自身の仕事との連結関係というかな、そんな話とか。そんな話をつらつらとしていたら1時間半ぐらい経っちゃいましたっていう感じでしたね。

天田:なるほど。じゃあ基本的に障害、病に関わる話ですね。

立岩:まあそうですね。

天田:わかりました。僕が今回読んだのは、この二つはやっぱりセットだなっていうのは強く感じた。例えば立岩さんの今までの仕事と、そしてこの二つの本はやっぱり連続してるし、そしてこの二つの本は一つ前者のやっぱり『不如意の身体』のほうで、例の五つの、それこそ苦痛・死・できないこと・異なること・加害性っていう、その一つの要素を取り上げ、そしてその要素を取り上げることで社会がどう描けるかっていう話をしていくと。そこに例えば苦痛・死・できないこと・異なること・加害性ってどうなのかって話がやっぱり書かれていて、これは大きな立岩さんの中での社会を描く構想だと思うんですね。僕はこの本はやっぱり社会学の本だっていうのが正直なところです。たぶんまごうかたなき社会学の本だと思ってて、ジャンルはそれ以外に入らないっていうのが僕の率直な印象です。もちろん障害学に置かれてもいいし、例えば生命倫理系に置かれてもいいし、それは各本屋さんがご自由にって話なんだけども、少なくとも僕が読む限りは社会学でしかないだろうというのが率直なところです。立岩さんも結局自分自身の立ち位置はどこに定めてるかって言うと、『精神病院体制の終わり』も含めて社会学者だというふうな位置があるんだと思います。

立岩:そうだね。

天田:なんでかって言うとですね、僕はこの五つの要素から取り上げて、もともとたぶん立岩さんにとって「障害とは何か」とか、あるいは場合によっては「社会とは何か」っていう「〇〇とは何か」っていう問い自体が、例えば「障害とは何か」っていう問いは障害っていうものを別立てにしてしまって、結局のところ、この社会における形っていうものは変わらないまま流れ過ぎていく、あるいはその問いの立て方はまずいだろうっていう話をされてるんだと思いますね、全体として。この本を僕が読んで面白かったのは、やっぱり立岩さん自身の問いの立て方なんだと思います。
 例えば、問いをどういうふうに『病者障害者の戦後』で表してるかと言うと、基本的にはこういうことだと思うんですね。国立療養所を巡って、とりわけ、元々、結核、ハンセン病、その他から始まった国立療養所が、筋ジストロフィーの人たち、あるいは重障の人たちの保護者、そして当事者も含めてですよ、当事者や保護者、親ですね、親、そしてその後様々なそこにコミットする医師等々、簡単に言っちゃうと様々なアクターが絡み合いながら、結局のところ、いわゆる社会防衛的な要素であった国立療養所がその人たちの生活とか生存とかあるいは食いぶちとか、あるいはその人たちの領分とか、そういうことを巡って結局国立療養所っていうのはかのようにして筋ジスあるいは重身の人たちにとっての一つの空間にならざるを得なかった。そのことには様々な、前のどういう言説空間にあったかに、いわば対抗する側はお付き合いせざるを得ず、また制度の枠組みの中で、自分がいわばある自らの取り分であるとか、あるいは自らそこの中で取り得る物を取り、あるいは自分たちの生活の領域をよりマシなものにしていくって、そういうなんて言うかな、言説にどういう絡め取られながら、あるいはある言説によってある思考の…物事の考え方がどういう、いわばプラットフォームとか土俵に乗らざるを得なかったのか、ていうことが基本的には書かれている。[00:05:50]
 ただそこに大きいのは、国立療養所をあれこれと語った人たちと、いわば高野さんや福嶋さん、あるいは三番目の花田さんのような言説は、それぞれに溝があり、断絶があり、そしてまだらであり、これは何事かっていうところから社会を描き出そうとしたっていう。立岩さんも書かれてる、まごうかたなき社会学の本だっていうのはその隙間であるとか、あるいは溝であるとか、まだらであるとか、境界であるとか、そこが立岩さんのなんかこう出発点のような気もして。で、それはなぜかと言うと、立岩さんが最初のほうに書かれた、家族の境界とは何かっていうあの本、あの論文から始まってるように、ある種それぞれの社会を構成するものの境界であるとか、あるいは社会を作り出しているもののですね、区切られ方とか、その辺が大きなところかなっていうのが僕の見方であります。そこがうまく書けてるところともっと書けるんじゃないかっていうところがあって、もっと書けるんじゃないかってところで立岩さんはもっと院生しっかりやってくれよっていうか、もっとやるべきことを考えられる人たちはやってくれと、あるいは後は頼んだって話をしてるんだと思うんですよね。書かれきってることは少なくとも、たかだかこの資料であってもこれは言える、この溝やまだらや断絶や切断を言えると、そして連続も言えると。そこも面白さなんだと思うんですね。で、その五つが、その切れ方が、そのさっき言った身体に関わる五つによって区切られてるところがすごく大きなところかなと思ったんですね。

▼立岩:「何をしてる人ですか」って言われたら、社会学者だってずっと言ってきたし、今もずっとそうだと思う。なんだろうな、今度の本って例えば生命にしても、身体とかにしても、妙にっていうかな、ここ何十年か高級にというか深遠にというか、そういうふうに語られてきたきらいがあると思うんですよ。で、それはそれなりに意味はあったと思います。ただそういう高級な語り方ではなくて、もっと平凡なっていうか、当たり前なっていうか、そういうとこから考えてみたっていいじゃないかっていうのが一つの、ずっと思ってたことなんですよね。
 死ぬとか痛いとかって、なんかもうそれで終わりみたいな話じゃないですか。だけどそれだって、そこからだって話はできるっていうそういうことが一つあって、あえてっていうか。それからね、例えば生政治とかさ、そういうものにしたってなんか妙に高級っていうんじゃないけど、なんだろ、何かこう深いっていうか、そういうものとして語られてきたりってところあるけど、もっと世の中平凡にできてるっていうか。それこそアクターがああだこうだやって縄張り争いしたり綱引きしたりする間に、陳腐なものとかつまらないっていうか、そういうものとして出来上がっちゃってんだよね。その先の話もあるだろうけど、それはまた別の人が別にやればっていう、そのぐらいの話がまず一つですよ。なんか素朴に簡単な言葉とか、簡単なことを組み合わせてもけっこういけるぜっていうのが一つ。それから今天田さんが言ってくれたみたいに、そうやって見てってもけっこう隙間とか断絶ですよね、そういったものが実はある。それはAの場にいる人はBが見えないし、Bの場にいる人はAが見えない。そういうそのエントリーが並存することによって、現実の全体っていうのができちゃってるっていうこと。これはちょっと不思議なことですけど。▲

天田:そうですね。[00:09:51]

立岩:でもそれには、それぞれには曰く因縁っていうか理由がちゃんとあって、AがBを見えない、BがAを見えないっていうようなことが起こったっていうことを書いてるんでしょうね。それは理詰めで調べたらわかるっていう部分と、昨日もちょっと話しかけにいってほぼすごい短く言ったから伝わらなかったと思うけれども、ある時代に、1970年代の終わりというより80年代ですね、にあった対抗的な、あるいは社会運動の中で語られたことの「かす」みたいなものを僕が少し知っていて、それがヒントみたいになってて。そういうことってたぶん今の人たちは最初から全く知らないから、書きようがないっていうか、書こうとも思わないっていうか、そういうことはたぶん理詰めでっていう部分もあるし、新たに調べてって部分もあるけど、それだけじゃなくて。
 例えば、これは天田さんのほうが詳しいけどさ、井形っていう人がいたわけじゃないですか。その井形であるとか、この本だと白木博次っていうの出てきましたけど、椿とか。そういうのって例えば井形っていう人、それこそそれが断絶ってわけですけれど、ある世界の中ではボスなわけですよね。非常に持ち上げられていい人だってことになってる。けれどもまた別の世界では、水俣病に関して、悪いことした人だっていう。たぶんその片っぽの人は片っぽのことしか知らない、けれどもそういうことを僕もこの本を書いてた途中に思い出したけど、そういえば僕らの大学の時に学生運動やった連中が白木って悪い奴だって言ってたな、みたいなね。なんだったっけ、でも全然覚えてないんだよ。でも調べていくと、こういうこと言った人なんだ、あるいはこういうポジションにいた人なんだってことがわかってって。でもそれはたぶん、そういうかつて、そういう時に槍玉に挙げられたとか、そういった単純なことをちょっと聞き齧ってるから、そこが出発点になった部分はあるのかなと思います。▼だからものすごい素朴に、でも素朴に考えないと、平凡なっていうか凡庸な政治っていうのがとりあえず書けないっていうこと、だけどその凡庸なことの組み合わせの中に亀裂とか断絶とかがあって、それがひっくるめて現実を作っちゃってる。そういう話なんでしょうね。▲

天田:全くそうだと思いますね。ただ中身の本題、難しい話の前に、確認しておかなきゃいけないことは、まず単純に知るっていうことの大事さがたぶん立岩さんにはあって、僕が最後言った社会学者である話っていうのはちょっと三番目の方に関わっていて、立岩さんが一番に、三番目の高級なことを知ることよりも、まず単純に当たり前、知ってるべきことを知ってるべきだというやっぱり基本的な社会学へのなんて言うかな、信頼というか、社会学者としての矜恃みたいなものが基本的にある人なんだろうと思います。例えばそれを何かの、簡単に言うと、化粧する前に…社会的な用語で化粧する前に、単純なこと知ってるべきだっていう話は基本としてあるんだと思いますね。

立岩:そうだね。なんか80年代とか90年、もっと前からかもしれない、社会学ってそういう化粧するのの勝負みたいなところが、

天田:厚化粧ね。

立岩:あるじゃないですか。なんか、それ5年、10年付き合ってるとつまんないじゃない。

天田:それってやっぱり立岩さんが置かれた、80年代的な大学院空間、名前は言わずともお喋りな人が山ほどいて、沢山饒舌に喋る人がいて、絶対思いつきだろうという形で喋ってる人がいて、あるいはワンパターンで喋る人がいて、同じ現実見ても、ていうか複数の現実あっても、同じ語り口で喋る人がいてって。ただそれはすごく厚化粧に、あるいは厚化粧ともわからないぐらいそれなりに器用にまとめられる人たちもいてって、その中で基本的に知ってるべきことは知ってるべきだっていうのはやっぱり僕は立岩さんにあって、そこがやっぱり基本的にこの本を書かせているエンジンになった側面があるのかなって気はしたんですね。これが一つです。[00:14:43]
 二つ目として、とはいえ、もう一つ立岩さんは単純に知ってることだって言っても、じゃあ例えばですね、サブカルチャーのなんちゃらって言って、あれこれどこの地下アイドルがなんちゃらみたいな、それだって知ってることは知ってるべきだと言える。ただそうじゃなくて、我々の社会とか、もっといえば政治を構成してる、政治とか社会とか、社会はもっと広いからね、政治とかもっと単純でいいんです、家族とか。あるいは人々のいわゆる福祉とか医療とかを構成しているような、知ってるべきことを知ってるべきだっていうのが立岩さんにはあって。そこの繋ぎ、たんに知ってることが大事だっていうことじゃなくて、立岩さんにとってはいわば人の、言ってみれば生存とかそういうものが関わってるような領野において、実は知られてるべきことが知られてない。
 しかもそれは、ここは三番目に関わるんですけれども、Aの人はAのことは知ってる、B のことはBのことは知ってる、CのことはCのこと知ってると、いうふうになっていてそれはよろしくないと。しかもAの人であれば例えば医者であっても、Aは例えば重障の施設長の何々さんは知ってるけれども、水俣のほう、あるいは尊厳死のほう等は知らない。Aの領域でも実は縦に見るとA'と、Aは知っててもA'、A''は知らないとかっていうふうにして、そこのなんて言うかな、それぞれの空間が断絶し、あるいは隙間があり、溝がありっていうそこを描かれたのかなっていう気はしたんですね。それは立岩さんにとって第三の点に関わって重要なのかなと思ったんですね。第三の点は何かって言うと、先ほど立岩さんが言ったようにA、B、Cはそれぞれ知ってると、そしてAはA'、A''はそれぞれみんな、それぞれの各々は知ってると。だけどこの断絶とか隙間とかまだらとか、この非連続っていうのがなにゆえ構成されてるかっていう問題。そうするとここはそれなりに頭を使う作業になってくるじゃないですか。それがたぶんお化粧した、例えば生政治とか、あるいは生権力とか、そういう話とはちょっと違ったその断絶とかそのそれぞれの断絶さがあり、A、B、Cが並存、並置、あるいはそれぞれ不可思議に対置されてるが故にこの社会が出来上がってるっていうことを描いた本なんですけども、それはなにゆえかっていう問いは立つと思うんですね。たぶん立岩さんそこは、あえてここは、なんて言うかな、こう考えればこう考えるべきだという基本線は示しながらも、それぞれが分断しながらもA、B、Cがそれぞれ断絶、隙間がありながらも、この社会がなにゆえ構成されてしまってるのかっていうところの一つオーダーをあげての記述は、どこをどんなふうに書かれたのかな、考えられたのかなっていうのはちょっと気になったところなんですよね。

立岩:一つには、なんだろう、社会っていうものの形、その一様じゃない、凸凹があったりするものを、そういうのって社会学者はそういうことしたいっていうのはたぶんある、社会の形を描きたいっていうのはね。それは僕にもないことはないんですよ。と同時に、なんか非常に素朴なレベルで、なんだろう、この人たちのことは知られてない、あの人はこの人たちのことを知らない、それはよろしくないっていうね、なんかそういうレベルの気持ちもあるわけだ。つまり、例えば難病なら難病っていうジャンルで、看護師であったり医療者であったりっていうのが、もう何十年も仕事をしてきてるわけですけれども、その人たちっていうのは、それは20年ぐらい前から気がついてたことなんだけれども、別の系列の例えば障害者としての社会運動を形成するとか、組織を作るとか、あるいはそっちサイドから政策を作るとか、そっちのほうのことは知ろうとしないというか、少なくとも事実知らないんですよね。その結果として本来であればっていうか、うまい具合に世を渡って行けるのであれば、別に国立療養所にいなくても別の所で暮らせるようで暮らせたはずの人たちが、そうした世界が遮断されてしまったがためにずっとそこに留まっていなきゃいけなかったりとか、あるいはわずかにそこを出てきた人っていうのが非常な個人的なというか、苦闘というか、非常に困難に見舞われるとか、そういうことも起こってきた。[00:20:08]
 それは端的に損っていうか、その人たちの暮らし、生活にとってマイナスだったっていう、そうやって本来であれば難病看護って言われてる人たちが、そういう自分の隣で起こってることを知ってればもっとマシだったかもしれないけど、でもそうじゃなくて、長い間断絶があって知られてないっていうのは嫌だなっていう、それはよくないなって。これからでもそれは変えたほうがいいっていう。わりとその実践的っていうんですかね、そんな気持ちがあって、そっちのほうが形式としてというか形として社会のフォルムをっていうよりは、そっちのほうが大きかったかもしれないですね。今回その青い本のほうで筋ジスの人たちの話なんか書いてるのはそういう感じで。
 例えば『ALS』って本を2004年に書いたけど、あの時に既にそれは思ってて、「看護の人たちって何にも知らないんだ」って、ほんと思って、なんで知らないんだろうとか、そんなことですよね。それはさっき天田さんが言った「なんでそうなってんの」っていうことにだんだん関わってくるんだけど、とりあえずそのレベルの断絶というのは、それこそ非常に素朴に形成されてるかもしれなくて、この人たちは病人だと思い、その病人たちを相手する自分たちは医療者だと思い、その範囲で成立する仕事があり世界があるっていうふうにやってきた人たちっていうのがいて。他方そうじゃないところで、それを病人、障害者って分けるのも安直ですけれども、でもとりあえずの言葉としてそう言ってしまえば、医療というのと別の場所に生活や運動を形成した人たちっていうのがいて、そこに分かれ目みたいのあって。
 もっと下世話な話をすれば、実際にそういう争いっていうのは90年代から2000年代にあるわけだけれども、この仕事を誰がやっていいかっていうことの中で、いわゆる医療的ケアの話ですよね。で、看護の人たちは私たちに任せなさいって言って、ていうような業界の中での縄の引っ張り合いって言ったらいいのか、ていうようなところに引き継がれている。そういう意味で言えば非常に素朴に業界が業界を守ろうとしたり、自分の業界を拡張しようとしたりする。そうした動きで少なくとも今僕がお話ししたところの腑分けってことで言えば、非常になんて言うか下世話なというか、形而下的なというか、縄の引っ張り合いで形成されてきたんだろうなっていうのが一つあるんですね。そこはたんに記述っていうだけじゃなくて「それはだめでしょ」っていう、「そういうことしてたらこの社会は」っていう気持ちもあって書いてますよね。

天田:そこはやっぱり立岩さんの中で、どっちかって言うと、力点はやっぱりこの社会の下世話な、形而下的な、もっと言えば陳腐な社会のありよう、そこにこそ人々の生活とか人々の生き方とかっていうのは悲しいことに関わってしまっていて、それをちゃんと知らなきゃだめだろうっていうところがあるんですね。

立岩:そうですね。

天田:ただもう一つ、ただ下世話な部分というかある業界によって区切られてるがためにですね、生きていけれる人たちが生きていけなかったり、あるいはもっとマシな生活があり得たにもかかわらず、なぜか閉ざされた空間の中で生きざるを得ずとか、あるいはもっと違った道のりがあったにもかかわらず、それを知らなかったがためにより施設をより良くしようという方向へと流れていったりとかって、それはよろしくないだろうという意味では、立岩さんの今回のご著書ていうか本は、やっぱり実践…かぎかっこ付きの実践的な本であり、そして社会学者でありながら、もうちょっと社会学者の人も読む、以外の人はちゃんと読んでよと、あるいは社会学者は最低限これぐらいのことは知ってなきゃだめでしょっていう、そういう二重三重のメッセージがあったのかなと思うんですね。
 ただ思うのは、社会のフォルムを書くことを、立岩さんそんなに意識しなかったのかともちょっと思ってなくて僕は。そこは今日ちょっとそこが聞きたくて、フォルムをあえて明瞭に輪郭を持って書く必要はないっていうことがこの本の一つの、なんて言うかな、持ってるポテンシャル…面白さっていうか、小器用にさっき言った化粧を纏った社会の書き方ではなくて、ある様々なせめぎ合いが、そしてその業界同士の縄張りや、あるいはある語られた言説に引っ張られる形で、結局そこで物を勝ち取ってこうとしたり、あるいはその中で制度を治めようとしたり、あるいはその中でいわば自分たちを含んでもらおうとしたりとか、そうした状況の中で言説とか文脈に依存される形でやらざるを得ないようなことを書きながらも、社会のフォルムをカチッていうよりは、戦後のある種のフォルムを国立療養所というふうなものを題材に、やっぱりそれは社会のフォルムを描いたことなんだと思うんですよね。それってなんなのかなって気はしてた。[00:25:50]
 普通だったらありがちな、例えばそれこそ生政治とか生権力とかなんちゃらとかいろんなことを描こうとする、あるいはなんらかのシステムみたいなことを描こうとするんだけど、立岩さんの描こうとしてんのは、戦後の少なくとも運動、業界、家族、国家、そうした非営利の団体も含めあるいは民間も含め、そうした人たちの中で戦後史の中で出来上がってきた、ちょっと不適切っていうか適切な言い方じゃないけど、少なくともそれはどこの社会もあまねく見られるようなフォルムではなくて、戦後のフォルムだろうっていう感じはした。つまり一回ぽっきりのフォルムっていうか、なんかもうどこの社会でも普遍的に通じるような社会のフォルム、社会の形式を描こうとしたんじゃなくて、少なくとも我々がいるこの陳腐で平凡に出来上がっちゃってる社会のフォルムとしてはこうなんだっていうのは、やっぱりあるのかなって気はしたんですよね。

立岩:そうかもですね。僕はまだ一方で例えばパーソンズでも読んでてもさ、何だっけ、四つあるじゃないじゃないですか、ルーマンの。僕はあれはあれで好きで、実はね。20年ぐらい前、社会学とかまだ教えてたのは、そういう社会っていうのを形式的に四つの領域に分けられて、その間の境界をみたいな話もしていて、それで何か書こうっていう気持ちも今でもなくはなくて、それはそれで面白い話だと思ってますよ。ただ今回の話っていうのはそれとはちょっと別の、そういうものとは違う形、おっしゃってくれたようにどこでもできたわけじゃなくて、ある社会にある時代に固有な形でできたということは、でもそれはみんなそうなんだろうなって思うんです。例えば我々にとって言えば日本の戦後っていうものが、今の我々に引っかかってきてるのは事実なんでそれは書いてしまう。ただ、たぶんそれを成立させてる部品そのものっていうのはいくつかの社会ではそんな変わらなくて、例えば医療や福祉に関係するとこで言えば、医療者がおり、本人がおり、家族がおり、政治・行政そういうものがあり、それの組み合わせでいろいろと変わってくるっていうのは、たぶんそれはいろんな場所において言えて。日本の場合はこうだった、この時期のこういうことがこうなってああなったんだろうっていう、そういうことですよね。たぶん日本が戦争に負けて占領軍が入ってきて、それのある種の司令のもとに国立療養所っていう大きな場所ができてっていうのは、ある種の偶然でもあった、この国に起こったっていうこと。それはまた違う国ではまた違うでしょう。例えば北米にしてもヨーロッパにしても、大きな施設ができたのはそれよりもっとずっと遡った19世紀の末だったり、20世紀だったりしますよね。そこはまたそこで違う。

天田:その辺のたぶん、立岩さんの中で今回の戦後史の中で、僕はやっぱり国立療養所あるいは『病者障害者の戦後』っていうのは、これは適切なタイトルだと思って、ある種の固有性っていうか日本の社会での固有性、ただ部品そのものは変わらないので多くの社会で一定度のことは言えるだろうと、あるいはそれぞれの社会はそれぞれの社会できちんと調べあげられるべきだっていうふうなことで基本的には書かれてると思うんですけれども。例えば『私的所有論』とかで話した話の基本的な大前提とここの戦後史の記述っていうところ、けっこう隙間があって、そこの間をどう埋めるのかっていうのは、立岩さんどちらかと言うと、基本的にはここの話は一定度し切ってるっていう感じがあって。この社会はなぜ構成されてしまっているのか、そしてだけどそもそも論を語ろうとすれば、あるいはこういうことが言えて、あるいは先ほど言った立岩さんがよく見てきた人たち、運動を担ってきて、なんとか自分たちから施設を出て、それなりにちゃんと自分たちの食いぶちというか、いわゆる生活生存を何とか可能に足らしめてきた人たちの立ち位置からすれば、こういうことの分断とかこういうことの亀裂とか、知ってるべきことが知られてないような状況っていうのは生じていてっていうことは言えると思うんですけど。ここの戦後史の記述と、立岩さんがそれこそ先ほど言った嫌いじゃないと言われていた社会学の記述の間の話をどうするかっていうのは、なかなかこの本で残った、さっき言った、僕も基本的には調べられることがもっと調べられればいいし、基本的には単純な凡庸なことはもっと調べられなきゃいけないと思ってますけど、こっちの、立岩さんの今までやってきたことの仕事との連続っていうか、『私的所有論』的オーダーと、今回の戦後史的な記述のオーダーの間をどう考えられるのかなってのは気になったところなんですよね。[00:31:10]

▼立岩:たぶん『私的所有論』で書いた話のほうがここで書いた話より大きいってことはなくて、むしろ逆のような気がするんですね。どういうことかって言うと、五つあるって書いてるじゃないですか。私的所有っていうのは、私的所有っていうか『私的所有論』ていう本で考えた話っていうのは、人間の能力、できる・できない、能力・非能力に関わる社会の仕組みであったりルールであったり、あるいはそれを正当化するロジックであったりするわけですよ。そういう意味で言えば、『私的所有論』以来で書いていることと、ここに書いたことはもちろん繋がってはいるんだけれども、例えばたぶんその『私的所有論』の中で既に同じことを思ってたと思うんですよ。僕はこの本では、人間っていうのはできる・できないっていうオーダーだけじゃなくて、見栄えが違ったりであるとか、あるいは苦しんでしまう人間であるとか、そういうことはこの本で私は書けませんって確かどこかに書いたんですよね★。そういう意味で言えば、僕がやってきた理論的なっていうか仕事っていうのは、人間のある一部分について書いてきたっていう、そういう大きさの関係みたいなのは一つ言えると思うんです。
 なんでかって言った時に、僕はなんでその五つってとりあえず言ったうちの一つのことだけ書いたかって言うと、それは社会科学的にというか、あるいは論理的にというか割と物が言いやすい、あるいは解決も論理的な解決法っていうのが見出せうる、そういうものだからと思ってますよね。つまり人間…、昨日もそれ熊谷さんと喋ったこと、熊谷さんが採証してくれたことだけど、自分でできなくても他人ができれば何とかなるみたいなオーダーの話だと思うんです、できる・できないって。▲

天田:シンプルな話ですよね。

▼立岩:現実は難しいにしてもね。だけど例えば、自分の姿形を人と入れ替えるっていうのはそれらは少なくとも難しいし、それを巡る好悪、好きだの嫌いだのっていう話というのは、そもそも書きようがあるんだろうかっていうようなとこがあるわけですよね。あるいは人間苦しい、苦しいってことは書けるかもしれない、それ以上書くことはなくて、書いたから苦しみが減るわけでもない。っていうようなところは書きようがないし、今でも書きようがわかんないし、だから置いてきたっていうのがある。唯一、我々の同僚であった小泉義之という人が、痛みについて、病について何か書こうとしてるわけだけれども、じゃあ奴がなんか書いたのかって言うと微妙なところがあって、それでも果敢に唯一描こうとしてるっていうのは僕は非常に評価しますけれどもっていう、そんな感じなんだよね。ただ、書けないけど、例えば痛みとか苦痛であるとか死っていうそのものは書けないんだけれども、でも人間はそれを纏ってしまっていることは事実で、一個一個ちゃんと書くことはできないにしても、それはあるよっていうことは最低言わなきゃいけないっていうようなスタイルになったのかな、一つは。そういうスタンスなんだろうなと。
 実はその姿形であるとか、それを巡る好き嫌いって話はいっぺん書こうと思って書きかけてあれはどこだったっけな、ウェブで連載を始めて、河出書房か、河出書房のウェブ連載でやろうとしたんだけれど途中で止まって、5年、もっと前だ、10年ぐらい前です。続きは書けてないですけどそのうちなんか。でも一方で思うのは、だから僕はやりやすい仕事選んでやってきたっていうか、社会的に実現可能な、変更可能なものについて書いてきたし語ってきたと思うんですよね。難しそうなものは置いてきたったっていうところがあるわけね。でも「みんな難しいっていうことがわかって書いてんのか?」っていうのはちょっとクエスチョン、言ってるんだろうかと。けっこうみんなある意味夥しく病について人々が語ってきたんだけれども、そんなこと言われたって大して面白くないよねっていう話ばっかり多かったなって気はしますね。▲

天田:そこはほんとに面白いところで、立岩さんが言われた通りかなって気がする。『私的所有論』のとこ、やっぱり能力・非能力、これシンプルな話だと思うんですよ、できる・できないを語って別に誰か代わりの人間がやりゃあいいし、別に機械がやってもいいし。できないことを何かが補うっていうそれだけの話、と言えばそれだけ。立岩さんもここにはある程度答えを出されたんだと思うんですよね。その後次の仕事っていった時に、たぶんここで例えば苦痛とか死とかできないこととか、あるいは風貌が違うとか、あるいは加害性っていう問題ですよね。ここで今回その五つの要素がどのようにして社会の中でそれなりの、身体っていうものがその五つの要素を巡って、物体としてそこにあってしまってっていう、そこがやっぱり重要で。痛いとかって言うとしたら痛いもんは痛いとしか言いようがなくて、2行ていうか1行で終わる、一言で終わる。で苦しいは苦しい、死にたいって話になっちゃうんでそれも終わる。だけど苦しいとか死ぬこととか、あるいは異なることとか加害について、そこと社会がどういうインターフェイスっていうか関わりになってるかっていうことなら書けると。さっき言った「痛い、マル」って話じゃなくて、そっちの社会との関わりの中で記述したっていうのがやっぱり今回面白いところっていうか、次のこっちの『不如意』のほうの本だったと思うんですよね。
 これ、たぶん、先ほど言った医療社会学の人とか、例えばそれ以外の様々な生命倫理の人だったりとか、あるいは人類学の人とかが自分の身体を使って、痛いとか苦しいとか死ぬこととかを記述することがありますけど、その記述のトーンとは違うっていうか、基本的に違う話だろうという気がするんですよね。立岩さんも先ほど言ったように能力・非能力についても、そことの社会との接点、社会がどういうふうに能力・非能力を扱ったり制約したり、あるいはそこでどういうふうな能力・非能力っていうことに対して仕組みを作ってるかっていうことですよね。今回もさっき言った五つの能力のところで基本的に書かれた要素が、僕も大きかったのかなっていう気はするんですよね。ただ実は、そんなに先ほど言ったように、痛みの身体を語るみたいな言説が多いので、すっと多くの人たちに了解可能なのかって言うと、意外に業界の人のほうが、一部の業界の人たちのほうがハードルが高い気がしましたね。例えば、ここのところでも様々な当事者本が語られ、当事者の痛みが語られ、当事者の病が語られっていう状況の中で、立岩さんそういう方向ではないので。やっぱり重要な、そこと我々の社会がどう関わってるのかって話だと思うんですよね。

立岩:昨日話した話っていうのは、例えばできないってことと痛いっていうことのウェイト付けみたいなもの、

天田:そうですよね。[00:39:39]

立岩:▼みたいなものが、それが社会的に変化はするってことを言って。例えば熊谷さんの本に書いてることもそうだけれども、そういうこと書いてるんだけど、「痛いのを我慢してできるようになりなさい」っていう、簡単に言うとそういう話なんですよ、リハビリってのはね。するとそこには痛いという契機とできるようになるって契機があって、そこでは例えばできるようになることのほうが痛いってことより大切だっていう、そういう前提でっていうか、そういう営みそのものとしてある種のリハビリっていうのはあったというふうには言えると思うんですよ。だからその一個一個について語るよりも、ウェイト付けとかね、優先順位とかね、そういうことは一つあるんだろうな、それは社会の固有値みたいな部分があるんだろうな。そこんとこを書かないと、例えばリハビリっていうのを全面的に肯定も全面的に否定もできないわけだけれども、そこのところの「じゃあどっちとも言えないよね、マル」とかいう話もつまんなくて、「マル」って話もつまんないし、「バツ」って話もつまんない、「両方だよね」ってのもつまんない。じゃなくて、やっぱりこういうものは受け入れ難いとか、ここまでは認めてもいいとか、そういうちゃんとした精度のある話を私たちはしたいわけで、そのためにはそういう要素をこう、治すとかリハビリをするとかってことの中にある要素を数え上げて、そこの中のウェイト付けみたいなものが現にどうなってるのかってことを記述してっていう、そういう順番でやらないと。そういう道具立て、非常にシンプルな道具立てが例えば障害学なら障害学にも、医療社会学なら医療社会学にも、基本的に障害学っていうのはできる・できない話をずっとしてて僕はそれはいいことだとは思いますけれども。そうすると、でもそれだけじゃない。そこのところをちゃんと言おうよっていう、そういう気持ちはありますよ。そんな感じです。▲

天田:なるほど。そうですよね、できる・できないを巡る、あるいは治す・治らない・治さないも巡ってのウェイト付けであるとか、あるいはある種のうまくウェイトに乗らない部分としてもあるような気がするんです、その部分をどう数え上げるかっていう。僕も数え上げの作業とウェイト付けの作業、あるいは何がそこに利得と損失が働いてるか、という意味での数え上げも含めて、しかも数え上げたところでうまくプラスマイナス同じ天秤に乗らない側面もあると思うんですよね。

立岩:▼そもそも質が違うからね。できるってことと痛いってのはオーダーが違うっていうかな、別の種類の出来事ですから、そもそもどっちが大切って言われても困るわけです、誰もがね。だけども、しょうがないから、同じ一つの身体の中にそれは埋まっているので、場合によってはどっちか優先せざるを得ないことになったりする。しかもそれ、プラスその赤い本で書いてるのは、それは本人にとってと他人にとっては違うわけですよ。痛いのは本人だけなので、熊谷さんがリハビリさせられて「痛え」って思うけど、周りの人は「痛いだろうね」とは思うけど実際に痛いわけじゃない。やっぱり違うわけですよ。そういうものすごい単純なことを踏まえとかないと、やっぱりなんでリハビリが嫌だと言った人がいたかとか、でもやっちゃった人がいたとかそういうこともちゃんと書けない。▲

天田:ほんとそこですよ。たぶん立岩さん以外の仕事であんまりそういう人はいなくて、僕はそう思ってます。だからそういう意味では社会学の仕事っていうか、さっき言ったように社会のフォルムを全体描いといた理由にもいくつかのパターン、書き方があって、いわゆる戦後の社会がどう出来上がってしまったのかっていうことと、もう一つ理論的な話の中では、さっき言った戦後社会の固有性とか偶発性とかっていうものを、一方でここではこちらの『病者障害者の戦後』では書きながら、もうちょっと『不如意の身体』の***(00:43:55)で言うと、じゃあその中身をちゃんと見てみましょうって話になって、言説の中身。立岩さん、やっぱり言説がどう対抗して云々でとかっていう話、言説の形式話とか争い話よりはちゃんと中身の構成要素を見てきましょうみたいなところがあって。そこの時に例えば「痛い」と「できること」、痛いっていう契機とできるっていう契機、これがいわばリハビリのところで、「痛いの我慢してもできるようにしましょう」みたいな話になってしまう。そこのところにそもそも出来事として違う。つまり同じ天秤にはかけられないっていう部分があって、できない部分については他の人に、他者の補いによって十分可能、他者・機械の補いによって可能だしって話だし、痛いっていう部分に関しては、これは代わってあげることができないので、その部分については固有性としてのこれっていう部分で、例えばそのウェイト付けがどうなのかって話と、そもそも同じ天秤に乗っていいのかとか、同じ土俵で語っていいのかとか、違う意味のいわば利得と損失っていうか、別のオーダーの得失であるにもかかわらず、なぜか二択を迫られている。どっちか我慢してどっちかできるようになるみたいな。[00:45:22]
 立岩さんの言説っていうか話っていうのは、そういう言説自体がどう構成されたのかっていうことを描きながらも、その言説の中身の間違ってる部分であるとか、なぜいわば踏み絵を踏まされるのか、二択を迫られるのか、あるいはAを取ったらBは諦めるって話になるのかっていう二つを描かれていて、たぶんこの二つが最初セットだって言ったのも立岩さんの中では両方見ていかなきゃいけない。その面倒くさい、ほんとはちゃんと考えれば解き明かせる、ロジカルにわかる話、ウェイト付けと、最後結論ですっきりした話にはならないかもしれないけども、ロジカルに考えればきちっと言えることがなぜか言えず、平行線をたどり、A、B、Cは分離した空間のまま進み、そして知られるべきことが知られず、ことは結局「国立療養所はこうなりました」みたいな話になってる。その二重のラインをしっかり押さえとかないと、実は立岩さんのこの本を丁寧に読み解くことにはならないのかなとは思ってたんですね。

立岩:成り立ちというか思いというか、それはそんな感じだと思うんですよね。プラスなんて言うかな、おまけみたいなエピソードと言うと、いくつかこの本でも書いてるけれども、素朴な不思議感。そのさっきの一部はそういった、もっと他の手があれば別の生活ができた人がそうならなかったっていう話をさっきしましたけど、そういう人たちが、僕はだから、天田さんと僕とちょうど一回り違うわけじゃないですか、72年生まれの天田さん、僕60年生まれですけど。僕は『生の技法』って本になった調査をしたのが80年代の半ばから後半ですけど、その頃に実はそれこそ『夜バナ』に出てきてる鹿野さんの短文とか僕は実は読んでるんですよね。

天田:同じ世代と思わずにねっていう。

立岩:思わずに。二つしか上じゃなかったっていうのを知らないとか。でも実はそうで、なおかつ僕が生きてた数十年の手前で死んじゃって、そのままになってて。でもそれだけで終わったわけじゃなくて、渡辺さんって人が2004年(→初版発行は2003年)かな、『夜バナ』って本にして出してくれてみたいな、単純な誤解とか、不思議さとか。でも、鹿野さんの場合は渡辺さんがあの本に書いてくれたので、ある意味残ったわけだけれども、それ以外の僕が今度の本で書いた高野さんとか福嶋さんであるとか、ほんとに近くにいて、彼女・彼に関わってきた人じゃないと誰も知らない。でも歳から言ったら僕と三つしか違わないとか、そういう人たちの80年代って、たった一人でみたいな形で千葉から出てきて、千葉で死んだり、埼玉で死んだりみたいな。それって何よっていうさ。なんかそういうオーダーの思いみたいな、あるんだよね。この本を書いてるにあたってとか、書くにあたってみたいな。だからちょっと変だよね。だからその国立療養所の歴史だったらあの人たち出てこなくても別にいいのかもしれない。でも関係は、

天田:普通出てこないですよね。

立岩:でも国立療養所にしばらくいたことは事実で、そこから出てきたってことも事実で。でもなんかそういうずーっと続いてきた国立療養所の歴史ってものと、そっから嫌になって出ていっちゃったって話っていうのは関係してるんだけど、それこそさっきも***(00:49:06)全然別のもの。***(00:49:09)のことは特別な映画になったりとか、本ができたりってことでもなければ、そのまま行ってっていう、そういう単純素朴な「覚えとけよ」みたいな、そういうのもあるよ。

天田:なるほど。

立岩:福嶋さんの本もそうなんですよ。大学院生の終わりの頃に、『二十歳もっと生きたい』って本ですけども、読んだりしてましたね。高野さんの短文も障害者関係の本、短い文章ですけど読んだりしてましたね。後になってでも、それを取材したのが『そよ風のように街に出よう』っていう雑誌やってた小林さんっていうのはしばらく忘れてた。もう一回っていうようなことがありました。だから、それで僕は、ほんとに施設を出て次の年に死んだりとか、3、4年後に死んだりとかっていう人たちですよ。そうすると書いた物っていうのは、でも彼らはまだある種字が書ける人たちで、字を書いた物3つ4つ残ってるのでわかる。でもそれ以外の人はわかんないですよね。[00:50:18]
 だけど、去年天田さんにも入っていただいてる科学研究費の調査があって、その福嶋さんに埼玉大学にいた時に会ってそれから40年、埼玉で活動している佐藤さんて人なんですけど、その人に会ってインタビューしたりとか、みたいな。島田療育園でとかね。そういう人たちが今70とか60代とか、佐藤さんって人は僕とそんな…、むしろ下の人ですけど、そういうところを急いで***(00:50:54)聞き足してみたいな。だから、そういうベタにまだいる人に話を聞かなきゃねっていうような気持ちの本でもある。面白かったですよ、その島田療育園脱走話ってのがあってさ、それはこの本に書かなかったんだけど、その脱走の顛末を知ってる人とかがいてさ、多摩のほうですけどね、いて。三井さよさんと一緒にそっちに行って石田さんっていう人の話を去年かな、聞きました。面白かったです。脱走した人がどうなってるか20年、30年知らなかった。ただ80年代の終わりに『福祉労働』とか読んで、「ああ、そういうことがあったんだ」っていうのは知ってて、その時島田療育園って名前も覚えて知ってて。でも島田療育園がなんたるものかってのはその当時は無知だから知らないわけですよ。重身の最初の施設みたいなことは微かに知ってたかもしんないけどたいして知らなくて、むしろ今度本書く時に調べて「ええー、なるほどね」っていうのあったんですけど。でもそういう施設があって、そこから出た人がいてっていうのは微かに覚えてて。これはさっき言ったことと関係あって、学生時代とか調査を始めた頃にそういうことがまだ残ってて。でも、もう30年ほっといたから、島田療育園を脱走した女性がどうなったかって知らなかったのね。
 で、昨年初めてっていうか、それに関わった石田さん、その人もでも30年前に『福祉労働』にそこの職員として短文を書いてるんですよ、その人はまだ。その人もでも多摩で活動してんだよね。結局そうやって絶えたわけじゃないんだよね。千葉で高野さんを支援してた人も千葉市で今もNPO法人やってるし、埼玉で活動してた佐藤さんって人もさいたま市で「虹の会」っていう事業所やったり。それから石田さんって人も多摩市でずっと、彼自身は島田療育園を辞めるんだけれども、奥さんは島田療育園定年まで勤めてた。で、多摩市の中で活動続けてるってそういう継承みたいなのがあるっていうのも面白かったし、単純素朴に「あの人はどうなったんだろう?」って、斉藤さんて女性ですけど、ずっと、ずっとってそんなに真面目に思ったことはないけど、たまにそう思ってて。そしたらその人は、島田療育園を立て直さなきゃいけないっていうある種有能な施設長みたいなものがその後やって来て、ガタガタしてたわけですよ、事故で人が死んだりとか。ガタガタになってたのを厚労省の絡みなのかな、有能な女性の施設長が入ってきて、「出たい人は出ていいよ」みたいなふうにしたんだって。本にも書いたけど、いわゆるほんとの重障、知的にも身体にもっていう人たちばかりじゃなかった、初期の重身というのは。「物が書けたり喋れたりする人は出ていいよ」的な中で、いわゆる昔の身体障害者福祉法で言うところの療護施設だよね、療護施設のほうに移って、それから十何年かな、彼女は暮らして亡くなったっていう話は聞くまで知りませんでした。そういう話をみんながみんな面白いって思えるかそれはわかりませんけど、僕は聞いて面白かったな。

天田:(笑)そのテンションっていうか、立岩さんの話はよくわかる気がする。あれやこれやの話でそれこそ脱走話や、有能な女性の施設長が来て少し出ていいよとかっていう話、それはたぶん業界の人にとっても知らなきゃいけないことなんだろうっていう気がするんですよね。あるいは少なくとも医療とか福祉とか、あるいは障害学とかっていうことを名乗るんなら、それぐらいのことは知っててよねっていうような、立岩さんの指向性っていうか、自分自身のことも含めて。

立岩:それはちょっとありますね。少なくともプロかプロのふりをしてるっていうか、そういう人はねっていう。[00:54:57]

天田:立岩さんの中でその辺の、僕の中で思ったのはやっぱり「物知りにちゃんとなってください」っていう。「プロか、セミプロはちゃんと物知りになってください」っていう基本的なことがあって。ただ物知りになると何がわかるかって言うと、ある戦後史の中で語られてきた時にAというところとBというところとCというところが遮断され切断されてるところのCを知っとけば、B の見方、Aの見方が変わる。あるいはCを基本線に入れると、色眼鏡かもしれないけれども基本的にAがどういう行き詰まりを見せているのか、Bがどういうふうに言説とお付き合いをせざるをえなかったのかが見えてくるっていう立ち位置で書かれてると思うんですよ。するとここを知らないとCというところの立ち位置を知らないので、何が行き詰まっていて、あるいはCの中の行き詰まりも見えてこないので、そうすると最後のところの、立岩さんのそもそも論として、少なくともウェイト付けとか、社会の仕組みの固有値とか、いわばみんなが「難しいよね、今回はわかんないよね、結局だけど生活が重要」って「ケースバイケースで」みたいにいわゆるそのお話を、結局どん詰まりとか行き止まりみたいなものとか、言説の平行線みたいなものを、結局簡単にスルーしてる話にも到達できないっていう、その三つぐらいがやっぱりあって、基本は「物知りたれ」って話。ただその時にたんに個別の脱走話してるわけじゃ…、やっぱそこよりは大きな、境界のところの何があったのかをちゃんと知ってなくちゃいけなくて。で、その中で何が平行線やどん詰まりや、「結局のところ難しいよね」とか、あるいは「これからやっぱりますますこの点についてはフォーカスを当てて議論していかなくちゃいけないですね」みたいな、同じことの言説の反復であるとか行き止まり、ここのところがちゃんと考えるべきことを考えましょうっていう基本ラインが、やっぱり立岩さんの筋だし、アーカイビングとかって話であるとか、歴史って話はその1、2のところに関わってあるという感じは僕は持ってますね。

▼立岩:そうだね、なんだろう。80年代なら80年代そこにいたから、本当は違うように見えるのになっていうのはあって。それをもうちょい調べてちゃんと書こうっていうのを今更思って書いたっていう部分も、これ後追いですけど、書いた時はあんまり考えなかったですけど、あって。ただ僕はたぶん、70、80年代にしても、ある特定の党派というか立場で活動もしてきたし、ものも言ってきたってとこがあって。だから見えてるんだっていう気持ちと、俺は俺で偏ってるなっていう気持ちも両方あって、でもそれはしょうがないっていうか、だから見えてるんだから、ある種それは居直る、居直るっていうかそれしかないなって気持ちと、逆にそこから書いてるからにはきちんと書こうっていう、その敵なら敵というか、違う人たちの話にしても、きちんともう一回読んで。だって僕はほんとに白木さんの書き物であるとかってほぼ初めてですよ。僕らの先輩が敵だと言っていた井形とかそういうのも悪い奴なんだろうなぐらいのことしか思ってなくて、実際に彼が70年代に『世界』に書いた物であるとか、そうしたものはまともっちゃまともなんだよ、ある種正義漢なわけですよ。そうした物をじゃあ今どう読めるかっていうところは書かなきゃいけないし。それはたぶん重要で、白木さんっていうのはとっても真面目な人で、東大闘争に引っかかったんで追い出されたりはしたものの、おそらく真面目な人であったことは疑いないっていうか、そんなことはどっちでもいいっていうか、そうなんだけれども、でもやっぱりあの時代にあった社会に対する見立てであるとか、危機感であるとかっていうものはやっぱりその後規定した。っていう辺りのことっていうのは微かにかすって知ってるから、その人のこともう一回調べようと思ったっていうことと同時に、だからこそある種公平にというか、ちゃんと調べて言おうよっていうところはあったかな。▲

天田:うん。

立岩:個別に即するとそういうところはあります。[00:59:52]

天田:うん。ただ、たぶん立岩さんの中である種の党派性ゆえに平等たれというか、ちゃんと偏ってることを強く自覚しつつ、そこはフラットに記述しようという指向性と、党派性であるがゆえに、やっぱりその人たちはちゃんと物事を考えてきたんだっていう信頼というか、そこもやっぱり強くあって。立岩さんはたぶん、今までの書物はそこは貫かれてきたところだと思うんですね。偏ってるけどやっぱり少なくとも少数派で変わった人たちで、風変わりな人たち、頑固な人たちだったかもしれないけど、少なくともマシなことを言った、それは基本的に間違ってない。

立岩:概ねそうですね。

天田:概ね。

立岩:概ねそう思ってますね。

天田:間違ったことをやったかもしれないけど、間違ったことを考えたわけではないっていうか。

立岩:そういうところはありますね。まだここに書いてなくてわかんないことはいっぱいありますよ。例えばほんとに府中療育センターの70年代の時に、白木なりなんなりっていうのがどういう振る舞いをしたのかな。結局調べりゃわかるかもしれないけど書かなかった。まだやることはありますね。今日締め切りある? 福祉社会学会。

天田:明日、明日。

立岩:今度福祉社会学会って学会あって。天田さん理事なんですか?

天田:理事です。もう面倒くさくて。

立岩:僕も理事だったこともあるか、あるよ。で、そこで天田さんが思いついて、なんていうタイトル?

天田:「施設の戦後史」。

立岩:っていう自主企画をやることになって。麦倉さんっていう、知的障害のほうから始めたのかな? 人で。

天田:麦倉泰子さんっていう方で。ライフストーリーから知的障害者施設がどういうふうに家族が、結局施設を頼らざるを得ない状況を語ってしまったりとか、本人がそれこそよりよく場所にしていこうとかっていう指向性がどういうふうに生まれるのかとかってことをまとめられてる方ですね。

立岩:関東学院か。だとするとさかいさんいる?

天田:さかぐち…、違う違う、坂田勝彦さん。

立岩:坂田勝彦さんはハンセン病の。

天田:ハンセン病の施設が戦後どう出来上がってきてっていうのと、知的障害者施設がどう出来上がってきたのかっていうのと、立岩さんの今回の、特にこちらの『病者障害者の戦後』のほうを見据えながら、それぞれの施設でどう戦後史が語れるのかっていう。僕基本的にはそれぞれに施設の、立岩さん流に言うと五つの要素を巡って、五つの身体を巡る契機を巡って、それぞれの施設のありよう・あり方は違ってきたし、しかもハンセン病の施設がどうであったのか、知的障害の人たちの業界でもほとんど知られず、そして知的障害の話はハンセン病も、あるいは他の施設とされてる所も全く共有されておらず。

立岩:そうなんだよ。なんて言うかな、書かれてるのってすごいムラがあるでしょ。たぶん書籍の点数だけで言ったら圧倒的にハンセン病の関連の書籍はもう100超えて、そんな数じゃなくて、いっぱいある。端的にそういうムラがあるじゃないですか。で、なおかつそれはやっぱりハンセン病っていう生を受けた人たち、当然のことですよ、そういうふうに書かれてるんだけれども、例えばそれが日患同盟なら日患同盟っていうような、あれだと全療協とか全患協ですけれども、そういう組織っていうものがどういう位置付けになってるのかっていうようなことっていうのは、意外と書かれてないようになっていて、それはそれで。例えばそうやって考えると、日患同盟っていうのは結核の人たちの組織として出てくるわけだけれども、その流れっていうのと、ハンセン病の全患協、全療協って辺りのこの繋がりであるとか。それとその後の難病の組織、全難連とかそういう辺りの、繋がるような繋がらないようなっていうのは、書かれてないんだよね。で、やっぱりそれはその中にいて、だって日患同盟の中にいて、日患同盟万歳でそれを受け継がなきゃいけないっていう熱い心の人たちが、自分たちの親玉とか自分たちがやってきたことを書いて、そういう物語として、それはそれで必要なことなんだけれども、でもそれを鵜呑みにすると、結局その日患同盟の歴史っていうのが、戦後の、難病なら難病、そういう人たちの歴史だっていう話になっちゃう。[01:05:08]

天田:簡単に書かれてしまったりしてね。

立岩:簡単に書かれてしまって。今そういうふうに、例えば大野更紗の、名前は違う名前で書いてるのは、ちょっとそういうところの政治、ベタな政治のちょっとややこしいところっていうのを、知らない、知らないっていうか気づかないっていうか、そういうふうに書かれてることはあまりよろしくなくて、そこはちゃんとやっておこうよって話ですね。

天田:なるほど。大野さんの…渡部さんの仕事はやっぱり制度のところなんで確かにそうなんですよね。ただ制度で語ってしまうと、さっき言った運動の、制度ってある種業界で完結する部分じゃないですか。つまりどういうパーツを組み合わせるかとか、どういう設計にするかっていった時に、基本的にはどこから予算は出てるかっていった時に、いわゆる省庁だったり、あるいは業界であったりって完結するところだけど、運動の話っていうのはどこかで繋がっていて、どこかで途切れていてっていうそういう話ですよね。そこはすごく面白くて、たぶんそれって一つを調べるだけでは到底だめで。

立岩:そうなんだよね。

天田:そのなんて言うかな、ある種の見立てがないと、これとこれとこれを組み合わせようってふうに思わないですよね。

立岩:そうなんだよね。

天田:そこはやっぱり難しいところで、ある業界の人たちをたんに「お前ら物事知らないだろう」って言えないのは、その人たちは制度やある業界の中で拘泥せざるを得ない仕組みになっていて、跨がるような見立てとか見通しっていうのはなかなか持てないと思うんですよね。僕、さっき立岩さんの仕事が社会学の仕事だって言ったのは、やっぱ立岩さんの中には見立て、見通しがあって、その中で描けてるから3つ4つを並置できる、あるいは対置できる、あるいはそれを組み合わせられるっていうところがあるけれど、これ業界の人にやれって言われても「勘弁してくれよ」っていう気もゼロではないんですよ。

立岩:いろんな思いがやって、うちでも愛生園のこと書いた田中真美っていう「神谷美恵子命」みたいな。みんな命でやってるから、そうすると愛生園の歴史ってのはわかるし、神谷さんがどう関わったかもわかるけれども、外側との繋がり具合とか繋がってなささとか、そういうのはなかなかわかんないんだよね。そういう「これ大切」っていう人たちが、ハンセン病のことだってもちろん大切なんですよ、であって書いただけじゃなくてっていうんで。前から例えば有薗っていうのがさ、PDでしばらく学振でいて、彼女も本一冊書いて、それはそれでいいんだけれども、前から彼女たちに言ったことっていうのは、全患協、全療協っていうあの辺が何してきたかっていうところをちゃんとクールに書いてもらってないっていう話をしたことがある。それは実はこの本に書いたことなんだけど、その労使対立みたいなものがね、例えばどういったふうに減少するのかっていった時に、労の側にずっとついててそれがいいものだって、いいものなんですけど、っていう側からやっぱり見えないことがあって。国療の歴史で言えば、明らかに職員サイドあるいは組合サイドが「我々の職場の雇用を守るために」って言って、入れ替えだよね、新たな人たちを入れるっていうことに賛成するとかさ、そういうことが実はあってきたわけじゃない。そこはそこでもう善し悪しはまずは置いておいて、そういうことをちゃんと書いておかないといけない。素朴にいけないっていうのもあるけど。じゃあこれからその施設労働者とどういうふうに連帯していくのかとかね、あるいはどういうスタンスで付き合うのかっていった時に、そういうことが踏まえられてないとやっぱりちゃんと付き合えない、っていうようなことも含めて、そういうことは見といたほうがいい。だから医療者、経営者がおり、そして労働者がおり、そこに住んでる人がおり、家族がおりっていうような話ですよね。みんな共通してるとこと違うとこがある。で、60年代の国療に関して言えば、筋ジスの人たちに関して言えば、ある種利害が一致し、経営者は経営者で次の入居者募集中みたいな人たちがおり、困った家族がおり、「この子たちをなんとか」っていうのがおり、それの話を聞いて涙する政治家がおり、労働者も雇用、ここの場に勤めたい、勤め続けたいっていう労働者がおり、みたいなことが合わさって60年代だったんですよね。[01:10:26]

天田:それは重要だと思いますね。例えばハンセン病の菊池恵楓園なんかでどういう雇用があったかって言うと、ほんとに単純なことなんだけども、要するに国家公務員ですから、たんにある人が減ったからある人を入れ替えようじゃなくてもいいわけじゃないですか。つまり別に療養所じゃない所に配置転換すればいいわけで、なぜそういうことが起こらなかったかって言うと、ハンセン病の場合はもちろん隔離政策が進んでったってのがあるけれども、もう一つ労働者のほうで、例えばあれは現地調達で、だいたい菊池恵楓園だったら九州の熊本周辺、菊池の辺りで人を採ってたが故に、その人たちは他の療養所に移されるとか、他の所に移動させられるとか、他の部署に移動させられるっていうのは、とても自分たちが食いっぱぐれることを心配してたり、比較的菊池の辺りの中では割のいい仕事でもあったりしたので、そのためにいわゆる療養所は残してくっていうことには賛成で。かつ、とは言え毎日顔を合わせてるので、療養所の人たちっていうか、当事者と働く側が一緒により良くここを改善していきましょうっていう、そういう奇妙な立ち位置の中での自分たちの労働のありかというか、労働の保証と同時に当事者たちへの強いコミットメントっていうのは対立する時もあるけど両立する時があって。

立岩:そうなんですよね。日患同盟なんて減らされていくわけじゃないですか。でもほんとは残りたい人もいっぱいいるわけだよね。結核療養で放り出されても生活のあてがない人山ほどいて、だから守りに入るわけですよね。守りに入る限りにおいて、雇用というか働く場を維持したいっていう人たちとはそこで連帯というか***(01:12:26)、とかなんとか。場合によったら経営者もそれに乗ってもいい。日頃はうるさい奴らだなって組合のことを思ってるんだけれども、場合によったらそこがっていう。そんなふうにできちゃってきたことは見ときましょうという話です。

天田:ただその時に、例えば組合側の要求が強くて必ず首は切らせないと、異動も基本的にはさせないと、つまり療養所ではない新しい働き口を作ってく、例えば地域での支援者に回るっていう形がなぜ構想されなかったとかっていうのは、たぶん労働の運動のほうから見なきゃいけなくて。たぶん労働運動の中では、多くの時にそこでの国立療養所ないしは当時の労働運動としては、自分たちの労働をどうやって切り崩さないかっていうところに終始せざるを得ないような頭っていうか、思考パターンで物事を考えてたが故にそのようにならざるを得なくて、我々の労働運動の文脈によってもずいぶん依存すると思うんですよね。それがどうだったのかって、ほんとはちゃんと調べないといけないところだと思いますよね。そうすると患者の側…、僕ほんとにそれはその通りだと思ってて、患者の側だけじゃなく、労働者、組合側にも目配せをし、そして経営者にも目配せをし、そして当事者及び家族にも目配せをし、場合によってはそれ以外の団体にも目配せをするっていうのは、相当複数のアクターにフォーカスをせざるを得なくて、その繋がり具合ってやっぱり一つの業界にいるっていう限りにおいては相当難しい作業、っていうかなんて言うかな、それこそ社会学者がやる仕事なのかなっていう気はするんですよ。パーツパーツは当事者たちが一番知ってる、関係者が一番知ってるわけで、それは聞けばわかる話で。けどそれを組み合わせ、その組み合わせによってどこに亀裂や溝や断絶や、あるいは一致するところがあったり、あるいは時としてある種同床異夢というか違うこと考えながらも、違う場所で同じ夢を見るみたいなこともあったり、そういうことがどういう形で行われてきたのかなっていうのは、大きな見取り図がないとちょっと難しいかなっていう気はしますよね。[01:15:02]

立岩:だからその島田療育園にしても、小林提樹偉いっていう話でしょ。びわこ学園は糸賀が偉いっていう話でしょ。偉いから偉いでいいんだけれども。ただ、例えば島田のその脱走支援した人たちって、たぶん組合とはまた違う***(01:15:21)なんですよ。

天田:違う人たち。

立岩:第二組合までいかないんだけれども、その組合の主流とはちょっと違うところで活動なんかしてた人で、そういう人たちが手引きした。だからそうすると組合はそれを支援しないっていうような形が出てきたりする。島田はそんな感じで。例えばびわこって言うとね、全障研っていうかそういう共産党系の運動の牙城みたいなイメージがあって、実際そういうとこもあったんだけど。僕、一昨年かな、びわこ学園の人たちに講演をするって機会をいただいてしましたけど、聞くとね、そんなに一枚岩じゃない、けっこう。なんか変な人たちなんだよね、福祉施設にわざわざ来て、重い人たちの相手をわざわざしに来るっていう人っていうのは、いろいろ考え方違ったりして、そこの中で意外と考え方に多様性があったりするんだけど。でも島田はたぶんちょっと違う。そういうけっこう一つ一つ、でもなんか語られるときは二つ、島田とびわこ、日本ではその二つがあって双方に偉い創設者がいてっていう、そういう語られ方になっちゃうでしょ。それは、それだけじゃ少なくともだめだっていうのと、あと例えばそれと話はちょっと違うんだけど、小林提樹って人が実際に何をしたのかっていう話も、特に別に神話をどうこうしたいっていうのとは違うけど、でもやっぱり見ておかなきゃいけなくて。ちょろっとだけ書いてありますけど、小林提樹が50年代にロボトミーに加担した形跡があるっていう。これは僕のとこの院生が見つけてきた話なんだけれども、そういうことがあったりとか。あと今回優生保護法の話で、明日も立命館の集会があるんですけど、京都新聞がやった話で、糸賀が始めた近江学園っていう施設で断種手術をやったと。それを糸賀は知っていた可能性があるとか、いう話ですよね。それはまたちょっとさっきの話とは別の話ですけれども、でもやっぱりそういうことも含めて、だから悪い奴だって言いたいわけではなくてね、でもそういうこと込み込みで見ていかないとやっぱりだめだよねっていう話だよね。

天田:逆に我々の色眼鏡を一度解除しないとわかんない可能性がありますよね。当時知ってたとしても、それほど悪いことだと思ってなかった可能性が十分あり得て。

立岩:いや、そうです、そうだと思います。

天田:むしろ小林提樹にしても、ロボトミーについてその可能性があるならなぜその可能性に懸けないというふうに思ってた可能性は十分あり得て、普通に考えればそうで。そういう意味では我々が現実的に今二つが相対立すると思ってるものも、当時としては十分順接していたっていう。

立岩:いや、そうなんですよ。まさにそうなんであって。後の話でしょ、ロボトミー悪いもんだ、大手術悪いものだっていう話はさ、

天田:70年代。

立岩:ずいぶん後に出てきた話だよね。連続していたり、どっちもいいっていう話だったり。そこの中でそれをやめて別のほうに行ったってことのほうがむしろ不思議だったりするわけじゃない?  ていうか、そこはどうなったのかっていうのを考えて***(01:18:37)。でも本人たちが書いた物はそういうものが出てこないし、それは後になって書かれたからかもしれないし違うかもしれませんけど。この間、こんな本でも書かないと、さすがに僕は小林提樹の本を読むことが起ころうと思ったことがなかったですけど、あるものを読んだり、ちょっとしましたけどね、そこまで出てこない。見ておかなきゃって思ってますよ、そうですよ。悪いことでも例外的なことでもなかった。でもどこかで隠されてたとか、出てこなくなったんですよね。それはちょっと不思議。

天田:それはそうですね。その言説のなんて言うかな、隠れ方っていうか出てこなさ加減っていうのは、やっぱりちゃんと見ておかなきゃいけないなと思いますよね。さっきの比較的わかりやすい話だと、どういう言説と言説が対立し、そしてせめぎあっていたかとか、ある領域の中で例えば近江学園の中で人が一枚岩ではなくて、それぞれにいろんな人がいたんだ、これはそのテーマは例えば近江学園のなんちゃらエスノグラフィうんちゃらみたいなことでやろうと思えば簡単にわかることだけれども、それよりは先ほど言った言説がどういうふうに表に出てこなかったかとか、今日からすると相対立するものがなぜ接続、ある人にとって偉いとされた人間にとって接続していってるのかとか、両方良いとされていたのかっていうのはちゃんと調べてないとですね、それほどこう、聞けばわかる、調べりゃわかるって話だけでもないので、そこはちゃんと目の付け所っていうか、それちゃんとやらないとわからないなって気がしますね。[01:20:24]

立岩:ちょっと違う話っちゃそうなんですけど、僕はいつも言ってるんだけど、ほんとに安直に本を書いちゃう人なんですよ。つまりすぐ手に入る資料だけ使ってもこのぐらいは書けるよって、いつもそういうこと言ってるんですけど。これは京都新聞の岡本さんがさ、この間一緒にタクシー乗ってる時にぽろっと言ったんだけど、糸賀の親戚って人が、糸賀が生前…、糸賀って記録魔だったんだって。それの記録をごっそり一族の人が持っててっていう話を聞いて、「へえ」と思って。その一族の人っていうのは、実は糸賀の実践に全面的に肯定的ってわけじゃなくて、違う面もあったんだよっていうこと前から思ってた人なんだって。それを自分でそれを描こうってつもりはない。でもそういうものとして、その記録は保存されていて、書いてくんないかとまでは言ってないのかな、そういうものがあるっていう話を最近聞きました。そういう秘蔵資料みたいな物を得て、また違う歴史を書くみたいなのは、それは僕のような忙しがってる人間には到底できない作業だけれども、これはいったん書いて、もっと出てこない資料とかさ、一次資料的な物に***(01:21:50)また違うものが見えてくるということはあるかもしれません。これは書いちゃいけないそうです、まだ。糸賀メモっていうの、あったって話は。

天田:面白いですね。ただ、基本的にそういうなんて言うかな、人物にフォーカスを当てて、調べられてないことをちゃんと調べるっていうことは、実はとても大切なことで、たぶんそのメモもその親戚が持ってる物も、その人がいなくなったり亡くなったりしたら資料としては散逸するのはもう間違いない話で。立岩さん何度も書いてますけども、時期的にも、もうできる最後の10年、15年とかっていう気もしますよね。

立岩:ハンセン病なんかもうとっくにその時期になって、ほんとに人が少なくなって。今年たぶん、田中、知ってるでしょ? 田中真美。

天田:はい。

立岩:田中真美さんが長島の展示を立命館でやりたいって言って、たぶん今年やる。

天田:ああ、そうですか。

立岩:ほんとにあの建物を、建物っていうかあの一帯をどういうふうに保存するかしないかみたいな話になって、なかなか全部を、全部っていうか、保存するっていうのも難しいんですよね。それはちょっとなんとかなんないかっていう思いがあると思う。それでちょっと大学って場所を借りて、そういうことの意義を示そう的なニュアンスもあって、たぶん今年、来年度、先端…研究所か、の企画で。

天田:たぶん長島とか、それこそ多磨とかは一定度残るけれども、それこそ光明園とかああいう小さな所のほうがどう残すかってのはほんと難しくて、残ってる人たちはある人物に託されて残ってるので、アーカイビングっていうのはどこかがきちっとやらない限りは間違いなく散逸してしまう。多磨とかある程度長島とかでかい所はいいんですよね、まだ。恵楓園とか。

立岩:国は全生園に…多磨に集めるっていう感じで、長島がちょっとその中間ぐらい、一番もっとマイナーなっていうか、もっと難しいとこよりはあれだったけれども、もう全生園でいいやみたいな、そういう流れっていうのはあるみたいね。

天田:ただ、残るのはだいたい自治会とか組織の記録だったりするので、あるいは園の記録だったりするので、先ほど言ったメモであるとか、個人の人間が持ってた書籍であるとか、ノートであるとかそういうことってほとんど残されないのはもう確実なので 、そこどうするのかっていうのは残りますよね。

立岩:それも善し悪しは別に、長島はけっこうカルテ残ってるって田中は言ってたけど。とかね、あと今岸さんが面倒見てるんだけど、沖縄の愛楽園か、それの自治会のことで博士論文書こうっていうのが鈴木陽子さんっていう、今うちの大学院にいますよ。どういう作品になるかは***(01:24:53)ですけど。でもいずれにせよもう80代、90代の人しかいない、人口激減っていうところではあるらしいですよ。[01:25:03]

天田:もうどんどん亡くなると思いますね。それでもまだ施設っていう空間があるので、いい意味でも悪い意味でも、ていうか悪い意味ですけども。ただそれでも記録の意味では、そういう意味では残る可能性があるんですけども、そうじゃない人たちはもっと残らないですよね。これも先ほど言ったどうでもいい話をして申し訳ありません、岡本さんの話なんですけど、岡本さんが東九条で、いわゆる音声が消された、いわゆる東九条の1970年代、80年代の風景を学生がビデオで撮ったんですよ。そのBGMで全部音声が消されてる。それはなぜかって言うと、解放同盟がそこにかなりコミットして音を消せと言ったらしくて、そこには例えば相当差別的な用語が当時含まれてるというふうに、今から思えば当たり前のなんでもないことが、当時としては差別的な用語になりうるというふうにして音声が消されたデータがあると言って、僕はその映像を、秘蔵のDVDを見ましたけれども。何気ない当時としては当たり前の、いわゆる長屋に住んでいて、ボロい家に住んでいて、水たまりがあって、子どもたちが駄菓子屋に買いに行ってって、それだけのことなんだけれども、その載せた音声自体に対して運動が非常に強くそれを消すように主張したとかってあって。何が言いたいかと言うと、そういう資料って間違いなく散逸するっていうか、残らないのは確実で、空間もなければ組織として集める場所もないし。

▼立岩:そう、書けたわけじゃないんだけど思ってたことっていうのは、結局なんだかんだ言って僕は言葉になってるものを再構成して言葉にし直したっていうだけっちゃだけなので、さっき名前出した福嶋さんにしても高野さんって人にしても、20代で亡くなってしまわれたんで人生短かったけれども、その最後の数年間の中で書き物をしたわけですよ。だからこそ残ってるんだけれども、だけどそれは非常に例外的なことであって、全然何にも語らずにというか、語ったかもしんないけど聞かれずにっていう人たちもいっぱいいる。でも実際にはその国立療養所の筋ジス病棟ってそういう空間であってきたわけですよ。その沈黙って言ったらいいのか、なんて言ったらいいのか、そういうものをわずかに残されてる例外的な言葉によって語らせるっていうことの、どうかな、それの難しさとも言えるし、

天田:そうですね。だけど他にやりようがない。

立岩:結局他にやりようがないっていうことは感じながらは書いて。そこで何か怖気づきたくなる気持ちもあるわけだけれども、でもやっぱり、でバイアスも当然出てくるわけですよ。何かしら社会的に注目されたりだったり、発言が注目されたりとか、であるからある時期にある人は語れたっていうことはもちろんあるんだけど、でもそういった文脈込み込みで語られたことをせめて。ただ黙してしまうんじゃなくて、わずかなものを、そのわずかな言葉を、わずかな言葉があってしまうっていう、これしか残ってないっていうそのコンテクストも含めて提示する、ぐらいのことはとりあえずできるし、それはいっぺんはやっといてもいいんだなって思って。時々そうなるよね、そこを気をつけないと、そういう先駆的であったり、元気であったり、発言力があったりっていう人たちの何か物語としてなってしまうんだけれども。それはもちろん違うわけです。だけど、じゃあそれをマジョリティじゃないからって無視していいってもんでもない。

天田:ないですね。

立岩:そこが厄介でもあるけど面白い。

天田:そのネタでしか語れない要素もあるので、語ってない人たちのところに行くって実はやっぱり、これは社会科学として当然強く我々が自覚しなきゃいけないんだけど、我々はアクセスできるところしか、やっぱり話を聞いてないっていう自覚は持っておかないと、アクセスが困難であり、アクセスが不可能とされている人たち、あるいはアクセスするには相当な遠回りだったり、ある種の特権的なポジションでなければアクセスできないような人たちがいて、その人たちをなんとか寄せ集めるってやっぱり相当大変で、そこから見る社会の記述って、さっき言った立岩さんのA、B、Cって言ったら、D、E、Fの人たちはやっぱりいて、そこ入れ込むとどういうふうに見えるか見えないかっていうのは考え所の一つだなあとは思いますよね。[01:30:00]

立岩:今回、だから60年代に収容されてた人たちっていうのは一方で筋ジストロフィーの人なんだけれども、一方で重症心身障害児って言われてる人で、知的にも身体的にも重複してるって人たちなんだけれども、じゃあ例えばこの本に重身の人たちのこと書いてるかって言ったら書いてないわけですよ。それは書けないからですよ。

天田:そうですね。

立岩:ただその、だけどじゃあ「他の人やってよ」って例によって逃げてるわけ、僕は逃げてるわけだけれども、ただそれは語れなさもちょっと面倒くさいとこがあって、さっき島田療育園ていう所で逃げた人がいる、でも逃げた人は喋れたんですよね。それもちょっと複雑で、園の側はこれも今でもよく起こることですけれども、要するにこの人は知的障害があって、この人の言葉っていうのは信用できないっていうか、言葉として受け取られない、だから後見というか。要するに本人が主体的に行なった脱走ではなくて、反主流派って言ったらいいのかな、その施設の職員がだまくらかして、

天田:そそのかしてって。

立岩:…って話にするわけよね。それはそれでまた大きな話なんだ、今でも起こってる出来事なので。今斉藤さんっていう金沢の医王病院って所から、ここの中に出てくるのは古込さんって人でもう一昨年の10月に出ちゃった人なんだけど、斉藤さんっていう30代かな、人を今出るとか出ないとか言ってて、京都で住むとか住まないとか言ってて。同じこと言ってるの、医王病院は。この人知的障害があるから、この人の意思だけでは退院させられませんって言ってて。みたいなことが【一方で】(01:31:38)、それはちょっと置いといて。要するに、実際には割と喋れる人とか物書ける人とかがいるんですよね、書いた文集とかがあったり。それからあるっていうことがあるので、実はそういうざわざわしたものっていうのは若干はある。それがある意味その懸命な施設長の判断で、その島田の事件があった後、賢い施設長さんが来て、「喋れる人、出たい人は出ていいわよ」って言って、実際出て、そのことによってほんとに黙ってる人しかいないような施設になったっていうそういう経緯があるんだよね。

天田:それはそう思います。

立岩:で、より語りにくくなってしまったわけなんだけれども、でもそれが半分ですよね。でもそうやって、それ以前にはそういう人もいて、書いた物はある。でもそういうのが消えていくプロセスっていうのはこうだったんだってとこまでは書ける。

天田:そうですよね。ほんとそうですよね。あるものしか書くしかないっていうのは結論ちゃ結論ですけど、ないものにやっぱりどれだけ気を使いながら書くっていうのもやっぱり歴史記述っていうか、特にこういう立岩さんの今回書いたような、特にこの『病者障害者の戦後』なんかの時には注意して書かないと、難しいなっていうふうに思いますね。立岩さんの全体構成、先ほど言ったように、A、B、Cのうち立岩さんはCの立ち位置をよく知ってるからこそ、そしてそこの人たちに対して強い信頼と、そこの人たちはまずほぼほぼ間違ったことは言ってないっていう信頼があるからそういう記述で全体が書けるけれども、資料勝負でやろうとしたらあれもないこれもないって話にやっぱりなりがちで、むしろこれはこういう人ね、語られる人だけではないか、みたいになってしまうので、そこのなんて言うかな、全体の構成の本の作り方っていうか、構成の仕方はけっこう腕がいるなっていうふうには実は思ってて。

立岩:まあね。それは僕なら僕の見立てでしかないと言えるんだけれども、でもそれは言おう。例えばさ、葛城さんっていたじゃないですか、今度本出して、書いたんだけど、やっぱり、例えばあそこの中の読みようなんだよね、やっぱり。例えば難病系の団体っていうのがこうなってああなったってちょろっと書いてあるんだけど、それをどう理解するのかってけっこうややこしい話で。僕ならこう読めるよっていうとこまで言ってもそう伝わるわけでもないけど、でも今回葛城さんの本の解題みたいなの書かせてもらって★、僕はここの話はこういうふうにって。「僕ならこれはこう読む」みたいなことを言って、でも最終的には一つ一つの作品っていうか、著作っていうのは本人が書くから、使ってもらえれば使ってもらうし、でも本人がそれ言っても自分でそこは書いて、でもその葛城さんなら葛城さん、で窪田さんっていうのがまた3月の末に重身の施設の話というか、書きますけど、…は私はこう読むっていう、そういうふうに介入って言ったらいいのかな、付け足しって言ったらいいのかな、そういうことやってくんでしょうね、これから。[01:35:15]



天田:立岩さんがたぶんアーカイブとか言ったり、あるいはある院生たちが、必ずしも今様々な連絡手段もあるので、一つの場で集うこと自体が、社会的空間に集うこと自体が強烈な意味を持つかどうかはちょっと別にして、ただそれでも先端研に多くの有象無象の人たちが集まってきて、そこで個々にはバラバラだけども、まとめて見ることによって一つの社会的な意味があるだろうっていうふうに考えるのもたぶんそこだと思うんですよね。全体の筋とか、見立てとか、そういうところ。たぶんその使い方は、立岩さんだったらこう使っただけで、様々な使い方が僕はあっていいと思うし、あるべきだと思うし。ただ、人によっては一つの材料の提供に思われるかもしれないけど、実は一つのディティールからしか先ほど言ったA、B、Cとかっていう並立、並存、あるいは奇妙な、なんて言うかな、対立しながらも同じ空間にいてしまうみたいなことは見えてこない気がしますよね。それが複数あって、あるべきだし、複数あるからこそ見えてくる社会っていうことなんだと思いますけどね。全体としては、僕はどんどんとアクセスが困難になるっていうのは確実で、特にこれ難しい話ですけども、大学という場所がどういうふうに物を集積していくかっていう話、たぶん国はやらないんで。っていうか国がやらないことをどこがやるかって話になってくると思います。

立岩:この間、12月の頭かな、美馬達哉が主に企画して、アーカイビングに関係する各大学とか、あるいはエル・ライブラリーみたいな、民間団体の人たち十何人集めてシンポジウムやって面白かったんだよ。非常にマニアックな催しだったんだけど。そうなんですよ。今、例えば立教であればいわゆる市民運動っていうジャンルのものを共生なんとかってとこがあるじゃないですか、そこが集めてる。あと法政が大原社研の中に環境問題系のアーカイブ持ってる。

天田:あれ舩橋さんが始めたんですかね、たぶん。

立岩:そうなんだ。西のほうで僕らがちょっと始めた部分がある。あと例えば神戸大学であれば震災のアーカイブとか。ていうんで、そんなにみんなお金もないし人もいないので、っていうか一校一芸みたいな感じでね、分散して立教はこれやる、法政はこれやる、立命館はこれやるっていう感じでこれからやっていくしかないのかな。やっていくしかないのかなっていうか、やっていくんだと思っていて。それはことあるごとに大学の上のほうには言ってるんだけど、科研費取ってやるようなことじゃないと、科研費っていうのは取れる時にしか取れなくて、間が空いちゃうっていう。そういうんじゃなくて、アカデミアたる大学っていうのはそういうことをやるのが社会的使命なんだと、いうふうに言って。それはその研究所なら研究所の恒常的な活動としてやらしてちょうだいってことは言ってて。ただなかなかそう言うこと聞いてくれなかったんだけど、今回、人が入れ替わって、松原副学長だったら元々は科学史じゃないですか。だからそういうアーカイブとかっていうのはもちろん***(01:39:11)にやって、それがどの程度お金は結局つかないでしょうけど、来年、科研、それでもぶちぶち切れる科研費ですけど、その流れの科研費で出して、集められる物を今のうちに集めておく。それはオーラルの録音データもあれば、それを文字化したのもあれば、映像もあれば、それはその岸さんがやるって言ってるから協力してくれればいいなと思ってますけど。東大の社情研、とかもそういうちょっと関係してるみたいなので、情報学環か、あそこですよね、とかも含めて。ただ今のところまだ、文字の機関紙的なものであるとかそういう物を集め、ていうところからやって。今の科研でインタビューの録音データをとりあえずなくさないようにして、それでそれの一部を文字化してっていう、それはやってる。追いつかないですけどね。

天田:そうするとやっぱり基本的には、たまたまそれに関心を持った教員がいて、その教員がそれなりに学内のポジションにいて、そこで組織として何か補助的に集めるだけっていう作業というのは、やっぱりサステナビリティから考えたらあまりよろしくなく、そしてまたその人が死んだ時に記録大量に残ってどうすんだみたいなことって平気で出てきますよね。ほんとは僕は図書館とか、そうしたきちっと一機関がそうしたことをやるべきだと思うし、今や、例えば物理的な書籍よりは電子化してすっきりしてもいいわけで、そうするとその部分に残った記録を留めておくとか、そういう作業をたぶん大学っていう空間はやらざるを得ないと思いますし、たぶんその時に関係するのが、例えばカリフォルニア大学バークレー校なんかでかなりアーカイビングを進めてきた時に、

立岩:そうだよね。天田さんはそれ見てきたんだもんね。

天田:はい。その時にやっぱり一番面白かったのは、基本的には社会運動家には寄贈してもらうと、全員に。必ず毎年送るわけですよ、家族も。亡くなった時に基本的にはその社会アーカイビングの所に、例えばなんちゃら会員とか、あるいは賞を与えて寄贈してもらうみたいなして、そこで受け取っていく。そうすると分野構わず、例えばゲイ・レズビアンの運動、セクシャルマイノリティの運動した人もいるし、障害者の運動した人もいるし、あるいは高齢者の運動した人、様々な運動をこちらが取捨選択するんじゃなくて、とにかく、なんて言うかな、どんな人でも何かに関わった人に送ると。ただスクリーニングだけはしないと膨大になるので、一定度、送ってもらった後の取捨選択権だけはこちらに持ってるってほうが実は合理的。

立岩:そうなんだよね。その話は面白いっていうかそういう類の話は面白い、僕にとってはね。去年の末かな、坂井めぐみさんっていう脊損の人で、脊損のことの、それも箱根に一個だけ国立療養所、脊損の人たちの国立療養所があるんだけど、そういう話も含めて書いた人の絡みで、全脊連かな、の人の会長さんが亡くなって、その人が自宅に持ってたっていう資料をうち引き取れますかって坂井さんに言われて、いいよって言ったら、天田さんも会議やってた、414だっけ415だっけ、あの部屋いっぱい、

天田:送られてきて。

立岩:ダンボール箱が50ぐらいとか送られてきて、さあどうしましょうみたいなことになってて。ここほんとに数年増えてる、もらってほしいっていう。

天田:そのね、取捨選択したり整理したりするっていう仕事で、僕は例えば若い研究者がそれで5年使って自分の次のテーマを見つめるっていうのは有りのような気がするんですよ。

立岩:そうなんですよ。

天田:つまりなんか研究って、研究者って物を考えることっていうふうに思ってるけど、とにかく資料をきちっと整理収集、分別するっていう、その単純作業の次に、来たい人は大学院どうぞっていう仕組み、ってけっこう効果的なような気がするんですよね。あるいはそれを並行してやる、バイトとしてとかね。

立岩:僕もなんかさ、ほんとに机上の空論の人って思われてるし、実際そうなんだけど、それでも80年代半ばとかはいろんな所に、市民活動センターみたいな通って、資料を山のようにコピーしてっていうことからこの稼業始めた部分があるし、それはプラスにはなったよね。アーカイビングとか言うとさ、アーカイブの学会ってあって、そういう人たちは司書をとにかく増やしたい。今司書っていろんな所から締め出されてるから、それは非常によくわかる話なんだ。ただプロの図書館司書の人に入ってもらうっていうよりは、天田さん言ったみたいにこれから勉強でもしようかなっていうような人にそのやり方を、アーカイビングの基本みたいなのを教わって資料とする。そういうふうな配置の仕方のほうがいいのかなって。

天田:僕もそう思います。たぶん今図書館のいわゆる司書っていうのは、それなりの権威のある物をどうやって集めるかっていう仕組みになってるけども、これからやらなきゃいけないのは、なんて言うかな、玉石混合の、あるいは玉になるかどうかも腕次第みたいなところの物を集めるので、それこそ基本的には雑多な物を集め、そしてそれぞれがそのゴミの山か宝の山かわかりませんけどそこからテーマを見つけ、やっていくっていうことが基本的にはやらざるを得ないと。そうすると一定度スペースは必要だけれど、基本的にスペース必要って言っても、世界中から山のように集まるわけではないので、実は大学のスペースの100分の1ぐらいのスペースがあれば十分やっていけるぐらいのもので、それは比較的キャリアを積み出した人たちが物を集め見て、そこで自分でネタを考えていくっていうことは、悪い仕組みでは全然ないなっていうふうに思っていて。それは社会の中で散逸してしまう資料でもあるっていう。そこで、特に国立私大って分ける必要はないのかもしれないけど、特に私大で、私立大学のやるべき社会的役割の一つとしてはあるなあと僕も思ってるんですよね。

立岩:そうだと思うよ。一定規模以上のね、そんなちっちゃい所なかなか難しいかもしれないけど、中央だって大きいと思うけど。そういうまあまあの規模、お金多少ある、場所がある所は手分けていって、そういう所から研究者を作っていくっていうかな、それはありだと思います。

天田:地方はほんと厳しいですね。例えば九州で今も実はアーカイビング、僕もちょっと関わってるんですけど、三池の炭鉱で炭塵爆発、あれ原田正純も関わってますけど、ずーっと実は大牟田市役所をリタイアメントした人たち、大牟田市役所に勤めていた人たちや大牟田市の図書館に勤めていた人たちが、手弁当でやってきたアーカイビングが特別な部屋を借りてけっこうな量があってですね、それはデータベース科研なんかを取りながら進めてることではあるんですけれども。ただそれも継続とか持続可能性っていうことを考えるとやっぱり難しくて、じゃあ大牟田のあの地に近い所の大学でどこか引き受け手があるかって言うと、そうリソースがあるわけではないというところで。一大学一つ得意分野でって言った時の村感っていうか、そこはなかなか難しいなっていう気がするんですよね。ほんとは村側よりは比較的大きな大学が場合によってはごっそり取って、ただいろんな人がアクセス可能にするっていうことも僕は有りだと思ってて。

立岩:たぶんこれから僕はあと10年ぐらいは、なんだかんだで今のところに関わることになるだろうと思うので、その間にまあまあなところまで行って、あとは引き継いでもらうの***(01:48:21)。一つ一つをできるわけじゃないですけど。僕はけっこうよく言うんだけど、ないよりあったほうがいいものはあったほうがいいっていう。だからこういう本でもないよりあったほうがいいものはあったほうがいいっていう、そんな感じで仕事をしてるんでしょうね。けっこう真面目に仕事してます。



司会者:大変なお仕事ですね、ほんとにね、と思いました。

立岩:すごく大変かと言うとそうでもないんですよ。

司会者:でもなんか、たぶん大変なお仕事だから大変って思っちゃわないで、あるものからやっていくっていう、エネルギーというか姿勢というか。

▼立岩:ある意味不幸なことなんですよ。本来であれば、みんな研究して、もういいとこまでできてて、じゃあ次どうするのっていうレベルで学者っていうのは悩まなきゃいけないと思うんです、ほんとは。だけど悲しいかな、そういう基礎的なことについて書き物がないので、私のような素人が。そういう感じです。▲

天田:後半の、立岩さんの中では繋がってるんです、アーカイビングの話とかいろんなこと。だけど読み手の人はなんで最後アーカイビングの話になるんだっていう。

司会者:今日お話聞いて「ああ、そうだったんだ」って思いました。

天田:ほんとにそこは立岩さんの今までのお仕事っていうか、それを知ってる人なら了解可能だけど、初めて読む人で業界の人が読んだら「うーん?」みたいに。

立岩:そう、実はこの本このサイズになるにあたって、いろいろ紆余曲折があって。最初は方法論、どうやって調べるのかとか、集めるのかっていう部分も、どっちだっけな、どっちかにあったんですよ。でもこのサイズになっちゃったでしょ、だからもう無理だなと思って。次の本出るかどうかわかりませんけど、そっちに預けることにして、集める話とかそっちは基本は抜いたんです。その端っこみたいなのがちょっと残ってて、なんて言うか接続の状態が悪い***(01:50:25)。『現代思想』の連載ではちょっと書いた場所があるんですけど、それはちょっと今回の、ここには入ってないみたいな感じですね。[01:50:35]

司会者:面白かったです。ありがとうございます、ほんとに。いろいろほんとに勉強になりました。

天田:いえいえ。



立岩:2時間ぐらい喋った?

司会者:そうですよね、けっこう喋っていただいちゃって。

立岩:天田さん体力あるから。

司会者:お二人ともすごいと思います。

立岩:前、天田さんにインタビューされて、それが僕ら『生存学』っていう雑誌載ったよね。

司会者:これですよね。一冊だけ。

立岩:それ3だな。3と4と分けて。

司会者:続いてるんですね、これね。

立岩:そう、その続きがまだあって、それ1日でやったんですけどもう死ぬかと思いましたよ。

司会者:何時間ですか?

立岩:5時間ぐらいやった。

天田:もっともっともっと。6時間か7時間ぐらい。立岩さんが最後もう飽き飽きしてて、疲れ果ててて、憔悴しきって、もう。僕、完全に無視して聞き続けたっていう。ただ、あれもちゃんと一個一個ほんとは調べられなきゃいけないですね。立岩さん載せてくれた、石川准さんの話★無茶苦茶面白くて。あのインタビューの。

立岩:あれね。

天田:「ああ、こういうことだったんだ」って初めてわかって。

立岩:あれ面白いでしょ?

天田:面白いです。一つ一つのパーツがちゃんと知らないとやっぱりいけないなあと思っていて。立岩さんの今回の本もなぜアーカイビングかって言うと、やっぱりそもそも業界で知ってることが偏ってるっていうだけじゃなくて、そもそも研究者そのものも知らないことが多すぎると。そこからやっぱり知るべきことが知られていないっていうところが一番最初にあるのも、そこのような気がしますよね。ほんとにディティールを、我々の知識とかっていうか言説っていろんな意味で偏っていて、入ってくる情報って。なぜかを考えると面白いなという気がするけれども、それは社会的なやっぱり仕組みによって、入ってくる知識ってものすごく大きく偏っていて、悲しいかな。そうすると人によってはAという言説しか入ってこず、あるいはBという対立構図しか入ってこなくて。そこでほとんどの人は何も知らないままって話になるんだと思いますね。

立石:石川っていうのは、石川准っていう男がおりまして、僕より四つ上かな。東大に入った最初の全盲のっていうことをあの人は死ぬまで言われ続けるんだけど、その人が大学に入ってからどうやって字を読む、文字情報を得るかっていう話を何年か前に河村さんっていうもう一人の、東大の図書館員の人と三人で鼎談みたいなのしてて。それは長いんですよ。ですけど、たぶん石川さんも忘れかけててとか、僕も知らなかったりとか、いろんな話が出てて、それはそれで面白い。長いんですよ。

天田:ウェブサイトで見れるので。

立岩:それは全文。

天田:ほんとに面白いですね。それこそ石川さんも記憶が曖昧で、大学院時代のいつ頃からみたいな、明らかに時間が前後したりするんだけども。ただ、石川准さんっていう方がいたから、今の視覚障害の人たちの少なからずの人たちが、いわゆる本を裁断機でブッて切って両面高速スキャナーでバーってスキャンして、OCRで文字をテキストデータにして、それを全部、このぐらいの本であれば1時間半、2時間ぐらいかな、かけてテキストデータ化して、もちろん言葉で誤植っていうか文字化けしたりすることはあってもざっと粗くは読めるっていう、そういう技術を作ったのは石川さんで。場合によっては点訳ソフトにかけて実際に点訳をすると、いうことをして、そのことによって視覚障害を持つ人たちだけじゃなくて、様々な障害を持つ人たちの本の読み方、あるいは情報のあり方っていうか情報保障のあり方がずいぶん変わったんで。すごく面白いなあっていうか、どうやって石川さんはそれを知ったのかと思ったんですよ。当時石川准さんが院生だった頃、立岩さんがテープに録音して、そのバイトをしてて。そのことは僕は知ってたんだけれども、テープで録音したものからいつ両面高速スキャナーで読んだり、あるいは両面高速スキャナーの手前で立岩さんとかが使ったのはワープロだったり、あるいは88とか98の時代なので、その時代でテキストのリーダーっていうものを石川さんが知ったのかっていうのがこの対談で延々と話して。立岩さんもそれ知らなくて。[01:55:36]

立岩:そうそう。

天田:で『生の技法』が90年に出た時に、「テキストデータでお送りします」って書いてあるので、じゃあこの時にはテキストデータが少なくとも視覚障害の人に読めるってことは認識されてたんですよ。立岩さんに聞いたら「思い出せねえ」みたいな、ひたすら「思い出せねえ」って言われて(笑)。

立岩:その前の時期のことを数年前に聞いたのを。

天田:だけど石川さんのやっぱり記憶もまだらでしたね。

立岩:まだらまだら。そりゃそうだよ、40年前とか30年前とかですよね。

天田:アメリカに行った時に、一部、例えばテキストデータ、OCRの技術は知りつつ、日本ではもう少しタイムラグがありみたいな。

立岩:年寄りに、石川准はまだあんまり年寄りじゃないが、やっぱり昔の話させるのって、それはそうだなと思う。僕だってって言っちゃいけない、僕はほんとに記憶力の悪い人なので、大概のことは忘れてるんですね。だけどみんな昔のこと何を覚えてるかって言ったら、繰り返し語ってることによって覚えるんですよ。そうするとやっぱり数十年前の話っていうのは、ひたすら語ることに…、そうするとやっぱりムラが出てくるじゃないですか、それからいろんな変形も出てきますよね。っていうことは思っていて。

司会者:確かにそうですよね。

立岩:早川一光さん。いっこうさんっていう人が、かずてるか。青土社から本出したんですけど、90いくつで亡くなられたんですけど、その前に僕インタビューして。やっぱり1945年の話じゃないですか、終戦直後の話ですよね、そうなんだなって。でも、そうなんだなって思いながら、「でもこれ違いますよね」とかあんまり言うとやっぱりちょっとね、それは支障あるけど。でもやっぱり遠い…、本人しか知らないとも言えるんだけど、本人もいろんな意味で曖昧になっていたりとか、強調点が作られていったりとか。いろんな意味で聞くっていうのは。僕はそういう物を聞いて物を書くっていうもののプロではないですけど、難しいなと。難しいけど、

天田:それしか方法がないですよね。

司会者:そこでどう何を捉えるかっていうのがすごい大変ですよね。さっきもバイアスがかかってもそれでもそこを貫いていくっていうことなんですけど、社会学って。社会学って幅広すぎて、さっき知らなきゃいけないって話がありましたけど、知るにもあまりに膨大すぎるから、どこからやっていいのかっていう。

天田:得意分野っていうか、知りたいことを知ればそれでいいと思うんですけども。

司会者:そうですよね。結局エネルギーと興味がっていう。

天田:ただね、ほんとに僕も人のこと言えませんけど、知らない、知るべきことを知ってないっていうのは、多くの社会学者は多々あって、さっき言った社会の形を無理くり描こうとして適当な化粧をして、そのまま書いてしまうってことが大学院生では多くて。そうじゃないとだいたい査読論文通らなかったりして、だいたいレフリーでは厳しいこと、CとかDとかつけられて、理論的枠組みがないとか云々言われるけれども、そもそも全体のディティールあるいはアクセス困難な人たちに聞いたっていうことの社会的意味っていうものが、実は社会学者ってあまり指向性がなくてですね。あるいは方法も、なんかこう。ただこの四半世紀の変化のほうが大きいと思いますよ。なんか妙に方法論とか、理論的な枠組みのほうを積極的に語るようになってきて、ほんとは僕は無手勝流にいろんな人が調べ、あるものを使ってさっき立岩さんが言ったように聞いたり、なけりゃ聞くし、ありゃあるものを総動員して書いて。で、立岩さん言われたように、凡庸で平凡なことを記していくっていう道筋は社会学の中で実は基本的には大切なことなんだと思いますね。[01:59:58]

▼立岩:ここから見えている世界は当たり前だけど、こっから見える世界ってのは無尽蔵じゃないんだよね。やっぱりこのぐらいわかればまあまあいけるかなって実は思ってる。だから、そんなにこう世界の多様性を前にして茫然自失っていうほどじゃない。そこまで多様じゃないっていうか、それこそ凡庸なんですよ、世界は。そういう面もあると思っていて。だから、それでも僕一人じゃ追いつきませんけれども、試しにいくつかやっていくって感じかな。

天田:立岩さんはなんで、これはもう残らないから、残ってもいいんだけど、あえて生政治史というふうにつけたのは、これは? つけなくてもいいじゃないですか、全然。

立岩:生政治はこんなふうに平凡なものだって言いたかったんですよ。ただ、フランス流の気が利いたとかっていう文脈でこの言葉はあったけど、でもねっていう、わざわざ言いたかったのかな。っていうのと、それから結局なんて言うかな、でもそういう人も含めて、なんかジャーゴンとしてあるわけじゃないですか、言葉が。だから、それ見て嘘でもいいから買ってくれたらいいかなっていうのと両方だよね。大概そういう、これがキャッチーだからっていうのとキャッチーだって思ってるお前はダサいぜっていうのと、なんか両方ある。▲

天田:両方ですね、皮肉っぽいものもね。



立岩:『読書人』って何人でやってるんですか?

司会者:全員で10人ぐらいいるんですけど、新聞自体を作ってる人数は今はそんなに多くはなくて3人とか、ちょっとみんなに手伝ってもらったりしながらやっていて。今はウェブをやったり、いろいろ。

天田:ああ、そうですね、ウェブ【のようなもの】(02:02:02)ありますね。

司会者:ちょっと今日はあれだったんですけど、時々ビデオとか撮って動画にしたりとかもしていて。

立岩:じゃあもうそっちの仕事のほうが多くなりつつあるみたいな感じなの? そんなでもない?

司会者:いや、そっちにたぶん移行しなければと思ってると思うんですけれど、まだ全然古い、そこの部分を大事にしたいなと思っていて、紙をなんとか失くしたくないなと思っていて、ていう感じです。あと本もちょっと作ったりもしているので、少しずつこう、

立岩:本作ってる? そうなんですか。

司会者:本をね、ようやく作り始めて、新聞だけだとやっていけないっていうところがあったりして。

天田:『読書人』の過去のデータベースって全部あるんですか?

司会者:ないんですよ。で、今それも作ろうっていうことになっていて。

天田:意外にね、今から見ると「この人こんな対談してたの」みたいなのいっぱいあるんですよね。ほんとに驚くような、この人とこの人みたいな。で、「この時代にここで取り上げられてたんだ」みたいなことってけっこうあって、それ自体も我々、実は知らなくて。

司会者:そうなんですよね。今それをようやく、また一人そこにちょっと付けて、どんどん。でもほんとあれですよ、アナログで文字起こしどんどんしていくっていうことなんで、そんなに量できないんですけど、面白そうなところからピックアップして拾ってってるんですけど。

立岩:それもこないだちょっと書いたけど覚えてるかな。『現代思想』だってさ、あれ何年やってんだあれ。ずっとやってんじゃん。

同席者:そうですね。『ユリイカ』のほうが古いにしても40年、『現代思想』ぐらいはやってますね。

立岩:僕みたいにありがたいことに本にさせていただいたものもあるけれども、そうじゃないものが全然多いでしょ。対談とか。

同席者:多いですね、失われていっているものが多いですね。

天田:ねえ、ほんとそうですよ。もともと北田暁大さんが対談して、もともと『ユリイカ』とか『現代思想』がどうやって出来上がってきたかとかその辺の書かれてましたけども、それでもある時代にどういう編集の仕方が主流になっていてとか、どういう流れでとかっていうことはもっと知られていいことですもんね。

同席者:そうですね。編集後記見てもイニシャルしか書いてないんで、ちゃんと業界の人じゃないと、それがどの人の思想が反映された特集だったのかっていうのは全然わからない、ブラックボックスになってますよね。

天田:そうですよね、ほんとにそうです。なんで80年代ああいう構成の仕方にしたのかとかね、やっぱり面白い話なんですよね。

立岩:池上さんが書いてるんだよね。それ俺まだ読んでないんだよね。そのうち読もうかなと思ってる。

天田:池上さんと北田さんがその対談をして、当時のことを語ってたりしました。それも面白いなと思って、ただ当初、それこそ、これいろんな賛否両論あるけども、ねえ、ドゥルーズ/ガタリ系から浅田彰みたいなところから取り上げていってとか、なぜあれがああいう取り上げられ方をしたのかとか、そういうことも含めて語っていって面白いなと思いましたね。[02:05:19]

同席者:そうですよね。その辺だったら、少なくともうちのホームページとかだったら目次情報でさえ90年代以降ぐらいしか載ってなくて、その辺りは別の***(02:05:34)でわざわざ検出しないといけないんですけども。

立岩:『現代思想』書誌情報はこっちのサイトのほうが詳しいよ。

天田:立岩さんところで、

立岩:創刊号から一応ね。

天田:そうそう、あれ見ると面白い。創刊号とか、2号、3号とかあの辺見るとほんと面白いですよね。

司会者:ああ、そうか目次だけでもそうですよね。

同席者:そうなんですよ。ホームぺージよりも詳しいサイトがあるって***(02:05:57)あんまりよくない情報ですね。

立岩:あの情熱は数年しか続かなかったけど、なんだったんだろう。学生の時かな、修士課程かな、『現代思想』を古本屋回ってバックナンバー集めるみたいな、一瞬そういう趣味にはまって。けっこう創刊号から揃ってる、まあまあ揃ってて。だから、それ今書庫って僕が行ってる所に頭から、それは昔自分で買った物だったりするので。でもなんかそれをしばらくやったら飽きちゃって。で、すっかり古本屋も行かなくなってこの低落であると、そういう感じです。

司会者:いやいやいや。会社には全部あるんですか?

同席者:一応会社にはバックナンバーは全部残ってますね。

天田:思想系の人じゃなくても、偉い人でなくてもいいんですけども、これも立岩さんよく怒るけど、人物にフォーカスを当てて書くって実は書きやすいし、やるべき仕事として多いと思うんですよね。それは前から思ってて。例えば、誰か宇井純さんについて、なんか生涯を辿って書いてくれないかなっていうふうに僕は前から思ってて。誰がどういう経緯で彼のもとに集まってきたかとか、どういう事業運営してたかとか、ねえ。実は酒を飲めばだいたいの人は語られたりするんだけど。

立岩:宇井さんとか原田さんもそうだし、そういう社会運動に行ってコミットして、マイナーっちゃマイナーだけど、でも偉い人っていうのはいっぱいいるでしょ。だから例えば去年だっけ、一昨年だっけ、毛利子来(もうり たねき)っていう人が亡くなったんだけど、例えばね。彼もそれなりに面白い、面白い人生っていうか。そういうこともあって、彼はでもいっぱい本書いた人ですよ。全然学術的な本とかじゃない、何十冊も買って、こないだ誰かに書いてほしいなと思って、で、これとおんなじパターンですよ。とにかく本を古本で全部集めて、毛利さんの本集めて、で、それを当初書きたいっていう客員研究員がいたので、全部彼女に渡してはあるのだが、まだ今のところ成果は上がってはきてませんけど。でも、やっぱり一人一つって、一人一人、一人が一人ぐらいやっといたほうがいいと思いますよ。で、書けるしね、人間の人生って有限だからさ。

天田:そうなんですよね。で、さっき言ったように、言説をA、B、Cとかどこで行き止まりがあるかってけっこう頭使うんです。けど一人の人間は一人の人間だから、言説の対峙だろうがなんだろうが自分の中の葛藤とかはあるにしても、基本的には一つのまとまりに収められやすいので楽なんですよね。さっき言ったその言説の境界、A、B、Cの境界とか、あるいはAの中のA′、A″とかいろんなことをやろうとすると大変だけど、一人の人間が何に手を出して、何にこう書き溜めてきたのかとか、重要だと思いますね。けっこうそれは、例えば原田正純が水俣でこういう物を書いたっていうのは知られてるけども、炭塵爆発書いていてとか、そういうことは実はほとんど知られていなかったりとかですね、あるいは原田さんが熊本の、例えば部分的ではあるけれども難病の人たちの家を回ってたとか、そういうこともあんまり知られてなかったりするので。

立岩:そうね、公害系っていうか。原田、宇井、ああいう? それでもさ、さっきの話じゃないけど、例外的に水俣病についての本いっぱいあるじゃないですか。で、例外的にハンセン病つっても、【決起】(02:09:55)までじゃないですか。それでもやっぱりなんか抜けてるんだよね。あるほう、比べたら。

天田:あるほうですよ。

立岩:比べたらあるほうだけど。

天田:イタイイタイ病とかなんにもんない。富山大学だってほとんどやってないっていう。ほとんどっていうか全くですよ。

立岩:誰だっけ、社会学者で新潟水俣病のことでやってる人いるよね、女性の研究者。

天田:舩橋さんとか***(02:10:20)じゃないかな。飯島さんとか舩橋さんがずっと新潟水俣病でやっていて。ただ二人とももう亡くならたんで。で、たぶん大原社研にあるのは舩橋さんの力が強かったんだと思いますね。彼はすごく、そういう事務能力が有能だったんで、たぶんそこね、大原社研にアーカイビングをつって環境系の物を集めようとしたっていうですね。環境社会学の中でも例えば先ほど言ったように飯島伸子とか舩橋さんとかがもうお亡くなりになられたんで、その前の上のことを知っている世代がほんとスポッと抜けてるので。

立岩:公害って言ってたときの言説空間みたいなのと地球環境問題っていったときに、なんか連続性もあるけど断絶もあるでしょ。【全部】(02:11:14)そういうこととかね、あと、僕、消えて無くなりつつあるなっていうのは科学批判っていうやつがあったんだよ。雑誌だと『技術と人間』っていう雑誌がかつてあって、いろんなものを批判してたんですよ。

天田:原発のことなんかも含めてですね。

立岩:やっぱり一方でそのエコのほうにもいくけど、『技術と人間』ってエコってだけでもない。とかね、あの辺の話って科学史家とかやりゃあいいのにそこもさぼってる、さぼってるのいっぱいあるよ。柴谷篤弘とかさ、なんか科学批判っていうので。柴谷さんまだ生きてたっけ。

天田:不思議なのは、僕これ誰かやってくれないかなと思うんだけど、部落の研究ってそれこそね、立岩さんも聞いたと思うけども、彼、山本さんの修論の審査をした何さんでした? なん…なんばじゃない。

立岩:なんばなんだっけ? それで?

天田:彼が京都大学で大学院生だった頃、部落研究の人たちが10人いた大学院生の中7人だったって聞いて、「えー」って聞いて。当時はまず研究室に入ったら部落研究することをしたくて来たと。それがある時代からプツっと誰もやらなくなったと。この切断はいったい何事かっていうのはありますね。で、たぶんいろんな意味で難しくて。例えば桜井厚さんとかあの辺はどちらかと言うと、部落そのものに運動から距離をとりたくてライフストーリーみたいなことを研究として展開してって、で、多くの人たちはそういう流れを汲んでいったんだろうけども。例えば矢野亮がやったような、被差別部落の中での政策とか歴史とかどうなのかっていうことは手つかずになりがちだったというのはありますよね。それはもう当時からしたら止むを得ない状況もあったんですけど。けど、この研究の切断っていったいなんだろうっていうのは思いますね。関西だとまだ関心を持ってる人たちはいますけど、それでも、関東で言えば院生でやってるってまず聞かない。ゼロじゃないですか、ほとんど。これだけ大学院生が有象無象いるのに。いたとしても1か2か、そんな数える、片手で十分みたいな。

司会者:今って何が一番人気というか、人気って言うと変ですけど。

立岩:社会学何が流行ってるのかわかってないみたい。社会学会も何十年も出てないし。今年から出ようかな、心入れ替えて。

天田:絶対出ない、立岩さん(笑)。そうですね、今、日社(日本社会学会)のほうも、実はある理事と委員をしてるんですけど、その時にやっぱりよく話題になるのは、やっぱりここ数十年で増えてサブカル系がすごく。

司会者:サブカル系? サブカル系って。[02:14:34]

天田:例えばそうだな、オタク研究。やっぱりこれは圧倒的に増えたと思います。一つの部会を構成するぐらい増えたんで、オタクとかサブカル系とか、あるいは宝塚ファンの研究とか、そうした広い意味でのファン研究、オタク研究、サブカル研究、増えたと思いますね。あとは多いのはメディア研究ですね。やっぱりどこの大学院が大きな母体になってるかにもよりますね。やっぱり非常に多くの大学院生を抱え込んでるのは東大の情報学環だったりするので、そうするとそこでプロダクトされる生産物はやっぱりメディア研究に偏るっていう。いいことではないんですけども。さすがに情報学環行って被差別部落やるっていうか、部落研究やるっていうそういう人はいないと思うので、レアケースですね。そうするとやりたかったらたぶん、あとは障害系のことをやりたいと思ったら立岩さんところの先端研に行くとかなっちゃうんで。

司会者:決まってきちゃうんですね。

天田:我々の研究は、さっき言ったネタのアクセスできるかできないかによりますけども、どいういうやっぱり大学空間というか生産空間なのか、言説を生産する空間にいるのかによってだいぶ変わってくる気がしますね。で、そもそもそういうネタがなかったりするので、出会わないじゃないですか。普通に暮らしていて、例えば今回の立岩さんの国立療養所の資料と出会う人ってまずいないので、そうするとそういうところが集積されたり、そういうことを知っている人じゃないといけないってなってきますよね。それも数えるぐらいかなっていう気がしますね。

立岩:熊谷さんとの対談の終わりでも言ったけど、ほんと入りは全然関係なくて、途中からちょっと接点が出てきて、今、国立療養所、全国の所にずっといて、「もういいや」って思ってる人もいるわけ、っていうんで、そういう人とアクセスっていうか連絡取ったりして、で、出る人は出る。でも出たくない人も出られない人もいるので、その処遇というか環境というかをマシにするっていうプロジェクトが始まっていて。で、6月の1日にメインストリーム協会っていうわりと日本で大手の所と、JCILっていう日本自立生活センターって京都にある所が今やってて、両方僕はけっこう付き合いのある人たちがいるのと、その中には筋ジストロフィーのスタッフもいて、その人たちが今動いてくれてて、ちょうど今、その動きも出てます。ちょうど***(02:17:42)書いてた時に古込さんっていう金沢の人が出る出る、出たいみたいな。でもそれってもう5年ぐらいなんかすったもんだして、した末になんとかなったっていう長い長い話があるんですよ。

天田:面白いな。これだけだけどほんとに院生がいて、障害、病系も圧倒的に少ないですよね。仕事にするっていう。

立岩:日本中にっていうか。

天田:日本中に。障害者福祉っていう。やってる人は多いんだ、多いのか。

司会者:はい、従事してる人は多い。

天田:そうそうそう。これだけいわばね、やれ高齢化だの超高齢化だの言われて、障害や病気を持ってる人たちが山ほどいて、そこを支える労働市場が巨大になって、で、それをネタに飯を食ってる研究者がいても、実は知られてない領野っていうか沢山あって、そこはムラがあると思いますね。障害とか高齢者のこと、特に高齢者のことをやってる人間とかだったら山ほどいますけど、ただその人たちが見えてるっていうのはさっき言ってる領域Aでしかなかったりしますからね。障害者も沢山いますけどね。で、そういう人たちで関心を持つ人たちは大概領域Aの障害者福祉とかというふうに流れていっちゃうんで、そこからはなかなか見えてこないって話ですよね。

立岩:中央っていつからなの、始まるの。

天田:2日が入学式ですね。4月2日が入学式、授業は結局8日とかそれぐらいからですけど。

立岩:明日オリエンテーション。

天田:1日から?

立岩:31。[02:20:03]

天田:あ、31。

立岩:今年ダブルブッキングしちゃって、明日、優生保護法の強制手術の集会が、

天田:利光さん。

立岩:朱雀でやるんですよ。それの司会やれって言われてるんで、オリエンテーションをさぼるという、教員としてあるまじきことをしなきゃいけないっていう。懇親会だけ間に合わせようかなと思って。今年になってダブルブッキング3つぐらいやっちゃった。

天田:けど31日ってちょっとあり得ないですね。4月1日ならともかく。

立岩:31日だもん。

天田:えー。それ学部生の入学式もですか?

立岩:ううん、だから先端研だけそうやって。入学式は4月だと思うよ。入学式って出たことないわ。

天田:けど、なんでオリエンテーション31。その後にはだめなんですか?

立岩:日曜日じゃなきゃいけないのかな。明日、日曜日?

司会者:はい。

天田:日曜でしたっけ? いつも。

立岩:例年日曜日やってんじゃないかな。社会人がどうとかこうとかって。

天田:ああ。全然記憶にない。

司会者:すみません、なんか、お忙しいお二人に申し訳ないんですけど、けっこうギリギリの予定で組んでしまいまして。来週の金曜日に原稿をお渡しして、金曜日に4月の5日ですかね、にお渡しして、次の火曜日に印刷したくって、土、日、月で見てもらえますか?

立岩:来週の金曜日っていうのは、約1週間後っていうことですか?

司会者:ちょっと待ってください、間違えました。来週じゃなくて、

立岩:再来週?

司会者:違います。

立岩:今週?

司会者:今週です。すみません。今日がだから3月30日でしょ。

立岩:いや、今週の金曜日って、だって、今日は土曜日だから、今週の金曜日って昨日じゃないですか。

司会者:あ、そうか。じゃあ来週の金曜日。

立岩:だから来週の金曜日だよ。

天田:じゃあ4月の5日ですね。

司会者:5日にお渡しして、で、次の火曜日だから、

立岩:3日ぐらいで出すっていう。

司会者:出すので、月曜日には戻してもらって。

立岩:確かにそれは早いですね。

司会者:はい。ていうので、ちょっとすみません、組んでしまいました。

立岩:ところで『図書新聞』って今でもやってます?

司会者:『図書新聞』やってますけど、買われたんですね。『図書新聞』自体はちょっと、半分だめになってしまって買われて、やっぱり新聞だけっていうのはすごい儲からないので、ちょっと危ういことになっているらしいんですよ。ただ、今ぎりぎり頑張ってるんですけど。なんかねちょっとね倉庫とかに移されて、編集部だけなんか倉庫で作業やってるっていうの、今、

立岩:ちょっと悲しいね。

司会者:そう、そうなんですよ。

立岩:いや、前、なんかの時に『図書新聞』、『弱くある自由へ』っていうやつのインタビュー受けて、他社でこういうこと言うのもなんですけど、使えないインタビューの記録っていうか、で、ほぼ最初から書き直しみたいなふうになったことがあって、そういうことあんまりないんですけど、たまーにあるんです。それはたまたま巡り合わせの問題だってことですけど、たまーにね。大概はよく。くりはらさんとか名手だったね、対談を短期間でまとめる。だってダラダラ喋ってるじゃないですか。あれをなんかある分量のものに、なんとなく話の筋がつくようにまとめてくれるっていうのは、くりはらさんなかなか得意でしたよ。上手な編集者でした。早いんです、仕事が早い。くりはらさん昨日の付き合ってくれて。

司会者:夜遅くまでの会に。

立岩:遅いほうまではいなかったけど、でも十分一つ目が終わるのも遅かった。講談社、カルチャー、講談社カルチャーの話。

司会者:ビール飲みますか?

立岩:僕はお酒は常に歓迎ですけど(笑)。

司会者:たぶんね、入ってるかもしれない。

立岩:天田さん飲むのやめたんだっけ?

天田:いえいえ、全然やめてない。毎日飲んでます(笑)。

立岩:毎日。一時なんかやめてなかった? 違った? そんなことなかったっけ?

天田:タバコはやめましたよ、アメリカ行く前に。だから、違う、先端研いた時は酒飲まないんじゃなくてバイクだったんで。通勤にバイクだったんで飲めなかっただけで、酒はほぼ飲んでました。あと、立岩さんまだタバコ吸いますか?

立岩:タバコ吸ってない。もう5年ぐらい吸ってないかな。吸えなくなったのね、身体が悪くなって、頭がおかしくなって。

天田:だけどあれ、他、先端研の連中はまだいまだに。

立岩:小川と千葉と、小泉はちょっと怪しいな。西はやめたかな。

天田:ああ、じゃあけっこうマイノリティーになってる。

立岩:だから圧倒多数派だったじゃないですか。世界の特異点みたいな感じで。[02:25:02]

天田:アフリカなみに。

立岩:8割吸ってるみたいな、そういう感じだったでしょ。それがなんか僕が撤退し、西さんがやめてって感じかな。

司会者:残念ながら4本しかなかったので、1人2本ずつしかありませんが。

天田:すみません、ありがとうございます。

立岩:ありがとうございます。こんな所でビールおごってもらえるとは感激です。

司会者:どうぞどうぞ。

天田:いやもう僕はコップは必要ないので、このままで十分です。

司会者:あ、そのままでいいですか。

天田:ええー、それはびっくり。先端研で。

立岩:小川、千葉だな。小泉、実はどうしてんのかな、あいつ。まあいいや。

天田:小泉さんは変わりなく。

立岩:ほぼ、だいたい同じですね。

天田:あのパターンで。

立岩:なんか歳とったとかとかなんかいろいろ毎日言ってますけど、ほぼ同じ。

天田:彼みたいなタイプの哲学者もうほんとにもうなくなると思いますね、哲学分野としては。千葉さんみたいな感じで書くっていうタイプはこれからもいると思いますけど、小泉さんみたいな、「ほんとかよ」っていうことも含めて、ああいう問いの立て方をする人はほんとにもういなくなると思いますね。そもそも哲学の業界でもレアケースだったのが、もう完全に絶滅危惧種ですよね。

立岩:すごいポテトチップスまで食べれる。

司会者:これは私の机の中に入ってました。

立岩:天田さんとこのご子息どもはどうなりました?

天田:もう、大きいですよ。もう今度から大学と、

立岩:今度から大学?

天田:大学1年生。この4月から大学1年生と高校1年生と中学2年生。もうほぼ手を離れるので、ようやくって感じですね。

立岩:なかなか、経済的な負荷は大きそうですね。

天田:めちゃくちゃ大きいですよ。ただまあ、本人たち、手が離れることのほうが大きいので。

司会者:この前まですごいいっぱいあったんですよ、冷蔵庫の中にビール。でもたぶんみんながちょっとずつ飲んじゃった、4本しかなくなっちゃった。ありがとうございました、本当に。

立岩:いえいえ。

天田:立岩さん、今回のは、なかなかね、こういうの対談中に聞けないんであれですけど。『ALS』の時の書いた感覚と、今回の、特に『病者障害者の戦後』、国立療養所の戦後の時に、今回のほうが書きやすくなかったっていう…、書きやすいっていう感覚ありました? それとも同じ感じですか?

立岩:国立療養所のことをダラダラ書いている時は、情報源はこれだけですから。そこは淡々とというか。でも最終的に本にする時は、もうなんか頭ぐちゃぐちゃになる。並べ方とかね、繰り返しもあったし、自分で訳わかんなくなったりとか、けっこう苦しむっていうかめんどくさかったですね。並べる…本にする時は。

天田:『ALS』のほうが、

立岩:あのほうがまあ、あれは順番なんで、病気になって、知らされて、呼吸器着けてっていうそういう順番通りに書けばいいので、ある意味非常にシンプル、構成だし、ある意味書きやすい。簡単。

天田:そりゃそうですね。

立岩:今度のほうが全体としては面倒くさかったですよ。

天田:うん、そんな感じしますよね。ただそれでも全体の筋として、重複部分とかいろんなことはあって当然だし、あるからこそ、かえって、繰り返しで強調点がわかりやすかったっていうのはありますけど、今まで以上に、先ほど言った言説と言説、領域と領域の切断とか溝とかまだら感とか、あれはすごく面白いなと思いましたね。

立岩:そうですね、それがメインに出てるほうが【かえって書きやすい】(02:29:51)。

天田:それがメインはないんですよね。[02:29:54]

立岩:『ALS』の話のある部分を引きずってはいるんですよね。あれも結局さ、医療にだけ囲い込まれたことによってあんまりいいことなかったよって人たちの話でもあるので、それは引き継いではいるんですよね。書けなかったことっていうより、新たに知ったこともなくはなくて。松本茂っていう秋田の大潟村で、それこそコンバインでびーっと大規模に米作ってた人がALS協会の2代目か、会長だったんですよ。その人がヘルパー使って秋田でっていうプロセスって知らなくて、こないだおおこうちさんっていう、今、大阪で仕事してる人と酒飲んだ時に、彼が出先で関わったらしいんですよ。それの話知らなくて、ああそうか、知らないことまだいっぱいあるなと。ただね、あそこの協会もここ数年ドタバタしてたので、ちょっと書きそびれた。あの本も、もう2004年だから15年経っちゃって、これ、この間15年何やったの? ってのを足せば第2版とかもできる。ただ、ちょっとすったもんだあった。

天田:今回の国立療養所も、たぶんハンセンのほう、もちろん結核のところは書いてますけどハンセン病を足したら、また相当量増えるじゃないですか。たぶんそこはないほうがすっきりしました。

立岩:それまで足しちゃったらえらいことになるしね。

天田:えらいことになりますね、沢山書かれてますし。しかも、ハンセン病の場合は各療養所でのあり方とか、患者作業とかいろんなことがもう明らかになってるので書きにくいですよね。

立岩:坂田さんってあれから本一冊出されたよね。あの後何なさってるの?

天田:あの後ね、今、炭鉱のことやってるんですよ。東日本大学(→東日本国際大学)。あそこ行ったこともあって、いわきかなんかの炭鉱のことをずっとやってますね。それはそれで、炭鉱がどうやって町を変えていったのかとか、そこに関わった人たちがどういうふうにして、例えば自分たちの仕事の場っていうか食いぶちを確保していったのかとか、そういうことも関わって面白い話だと思いますけれども。

立岩:『読書人』、長いんですか?

司会者:10年ぐらい経ってました。でもまだそれぐらいです。

立岩:最初の就職先なんですか?

司会者:いや、初めは高校の非常勤みたいなのをやっていて、国語の先生やって挫折して辞めて。その後出版社に入ったんですけど、そこも潰れてしまって、そこは3年ぐらいいて。で、その後ここ来たんです。一番長いんです。

立岩:僕は予備校で国語の先生やってたって言って小泉に馬鹿にされるっていう***(02:33:30)。「お前な」みたいな。現代国語。

司会者:いや、辛かったですね。学生は理系の高校だったんですけど、全然勉強なんかやんないような子たちだったんで、2年で挫折しました。

立岩:高校より予備校のほうが簡単だよね。予備校はやる気で来るから、得しようと思って来るから、得するようなことを言えばうけるんで、全然楽ですよ。

司会者:そっか、でも予備校で国語の先生だったんですね、社会ではなく。

立岩:そうです。社会のこと何も知りません。国会議員の定足数とか全然わかりません。いやあと、世界史の基礎知識がないっていうのは決定的にだめですね。もういいですけど。もうこの期に及んでこれから勉強しようってつもりはさらさらないです。国語やってましたよ。面白かったです。ある種のデジャヴ感ってむしろその学者やってる前になんか現代思想系でさ、本みたいなのをもし作るために山ほど読んでました。そうするともう飽きた、もうだいたいこんな感じみたいな、そういう感じになるよね。

司会者:そこからじゃあ違うものをみたいな感じで。

立岩:だからこれはもうやってもなあっていうか。でもそれは受験的にはいいのよ。だいたい『現代思想』ってこういう構図になってるよっていうのを教えれば、一定その入試の対策になると思います。そういうこと、河合塾なんですけどね、やってて。やってました、だいぶ長いこと。[02:35:14]

天田:けど、今そういう授業やってるとこなんかないでしょうね。

立岩:どうなんだろう。

天田:たぶんね、現代文とかで『現代思想』とか取り上げてるっていう感じがない気がしますね。

司会者:ああ、そうですね、そんな気がしますね。

立岩:もちろんそれはあれよ、出題された文章をネタにやるわけだけど。

司会者:はい。でもちゃんとそこを掘り下げてやったってことですよね。

立岩:掘り下げないよ(笑)。そんな大した話じゃないよ、みたいな。これとこれがああなってこうなって、そういう単純な話なんだよねー、バカだね、みたいなことは言いませんでしたけど、言ったかもしれない。

司会者:東大闘争は何を、どういうことをしたんですか?。

立岩:東大闘争は終わってましたよ。終わってましたけど、でもちょうど僕いた時に東大百年だったんですね。で、東大百年反対運動って何してんのかなあって、何してんのかなあと思いながら一応やってました。【はんはん】(02:36:17)、「祝うな」みたいなやつですね。「祝うな、百年を祝うんじゃねーぞ」みたいな。まあまあもっともではあるんだけども、あんまり盛り上がらないね、どう考えてもね。

天田:「祝うな」はね。

立岩:「祝うな」は。オリンピック反対みたいな話でしょ。

司会者:そうですね。切実感がない感じしますね。

天田:けど、立岩さんの、僕、立岩さんと一回り、12違うんですけども、立岩さんの時の東大祝うな感も、あるいはその立岩さんが残りかすを知っていたような運動系も、僕ぐらいの歳になると、例えば同世代に三井さんとか、伊藤智樹とか、崎山さんとか、何人もいますけども、あの世代の人たちに共有されてる感がないですね、同じ東大でも、社学でも。

立岩:なんにもないと思う。

天田:ほんとにだから、この12年一回りの間の変化っていうのはほんと小さくないなっていう気がしますね。

立岩:たぶん、ぎりぎり市野川ぐらい。市野川容孝が4つ下なの。

天田:だからレアケース。

立岩:あれもレアだよ。あれも世代の中で市野川自体がレア。

天田:レア。うん、そんな気しますね。

司会者:社会学にはなんか大きく影響しそうですね、その差は。

天田:うん、大学っていう空間自体の経験がずいぶん違う気がしますね。

立岩:僕らの時はまだ、***(02:37:46)じゃないけど僕の上の奴が***(02:37:49)占拠したりとか、そこで火事起こったりとか、いろいろございましてですね。はい、ありました。

天田:で、そういう学生時代と、あとさっき言ったように大学の一番最初の冒頭に言った空間も違うくて、立岩さん時のたぶん2年か3年前ぐらいですよね、『ソシオロゴス』の刊行、2年?

立岩:77とかそういう辺りかもしんない。僕は79に出てるから、まあそうですね。

天田:そんぐらいに『ソシオロゴス』っていう雑誌が初めて東大の社会学の人たちで編まれるようになって、で、一番最初は橋爪大三郎が中心的に切り盛りして、で、立岩さんの1っこ上? 大澤真幸、宮台、

立岩:大澤が2つ上、宮台が1つ上。

天田:で、いわゆるお喋りの人たちが山ほどいて。ほんで口から出まかせもいろいろ言って、で、いろんな論文が書きあげられて。で、『ソシオロゴス』のその最初の頃ってそんな論文ばっかりなんですよ。橋爪大三郎さんだって、そのハートの論文書いてたりとか、その手のことを山ほどやってたんで。で、それが少なくとも東大の社会学の中で、なんて言うかな、知的ファッドとして消費されてたというか、そういう知的ファッドとされたようなあり方で。で、そこの中で、じゃあどうやって物を書くかとか、考えるかとか、社会学の物言いってどういう物言いにするかとか、そういうところがあったんだと思いますね。比較的なんて言うかな、うまく着地して書いてるなあっていう気がするのは、それを取り入れながらも器用に書いてるなっていうのは佐藤俊樹さんとかそんな気がしますね。そこそこ距離をとりながら、そこそこうまくっていうか繋ぎながら。

立岩:俊樹さんも4つぐらい下なのかな。僕らの共通の教員、指導教員だった山本泰さんって人が数年前に駒場辞められたんで、その時に退官記念の論文集出して。[02:40:13]

天田:若林さん。

立岩:若林幹夫と僕と佐藤俊樹と3人で。はい、それはやりました。

天田:そうか、じゃあそういう意味では佐藤俊樹さんなんかはもう学生の、市野川さんがレアケース、もう学生運動の残りかすも知らないって感じもありますね。

立岩:***(02:40:50)ぐらいまでがまだ自治会とか一応やってて、俺もやってたけど、市野川もやったりしてっていう感じですね。佐藤くんは同じぐらいの歳だけどそっち系にはあんまり、あまりというか全然関わらず。

天田:そうですね、そんな感じします。

立岩:でも彼は学部生の時から【きはんけん】(02:41:07)っていうのをやってたんだけど、そこに出入りしたりしてっていう感じだったな。宮台とかとやってた。

天田:立岩さんと佐藤さん6つ違う。ああ、4つ、4つか。加藤さん、明学の加藤さんはほぼ?

立岩:ほぼ、だから市野川とか、あの辺が稲葉氏とかね、稲葉振一郎とか、加藤秀一とか市野川とか、まあまあ同じ。

天田:ああ、3つ4つ下。

立岩:私はその介護とかそういう障害者運動の関係で、ちょっと知ってるっていうか***(02:41:56)感じ。僕はもう最初からそうで、79年っていうのは養護学校義務化の年で、学校入って教養学部に***(02:42:08)に行ったら、それを巡って喧嘩してるの。なんで大学生がさ、養護学校がいいとか悪いとか、意味わかんないじゃん、ねえ、でもやってたの。それが入りだったから、けっこう。それこそそれが赤組と白組のあれですよ、戦いの第一幕、一幕じゃないけどずっとやってたんだけど。共産党系のとこと、そうじゃないとこと。全共闘なら全共闘の流れっていうか。っていう、ね。で、文学部、大学2年いると上に上がるじゃないですか。その文学部と医学部とどこだったかな、その辺がまだ…、全体としては自治会って日共系…共産党系なんですけど、文学部と医学部とちょっと違う。ていうような配置っていうのがあって、はい。で、それがさっき、あと、それから10年ぐらい経つときれいさっぱりみたいな感じだったんでしょうね。

天田:ただ、例えば市野川さん、もちろん人の関心なんで違って当たり前だけど、市野川さんあんまりこう政治的な、知ってるんだろうけど関心で書かないじゃないですか。もう少しね、大きな国家とか、社会とか社会的なるものとか、あるいはもう少し古くはそれこそ生政治とか優生とかって広い話をするじゃないですか。それはもう当然関心が違って当たり前なんだけども、厄介ごとというか、なんかこう立ち位置を問われざるを得なかったとか、ある言説に巻き込まれざるを得なかったみたいなところは4つぐらいでも違うもんなんですかね?

立岩:そんな深い理由があるかどうかはわかんないけど、でも、彼は一方でああいう話をしながら、それこそ優生保護法の不妊手術の会、関わりはもう10年20年やってる感じ。そういうところでは律儀っていうか。

天田:そうですね。

立岩:まだ介護してるんじゃないかな。

天田:市野川さん面白いですよ、ほんとに。彼、ムラがありますね。

立岩:ああ、途中で怒り出すしね。

天田:そう。喜怒哀楽も含めて、あと仕事もするしないもムラがあって。こんなこと言っていいのかわかんないけど、介助者の仕事はずっとするじゃないですか。ただ、学会の仕事は異常にさぼるとか(笑)。人のことは言えない。

司会者:へえー。まあ社会学はそういう感じの人が多いんですか?

天田:いやいや、立岩さんと市野川さんは学会の仕事を任せるなっていう(笑)。

立岩:でも福祉社会学会は一回シンポジウムやったよ。天田さん出た時だったけどさ。

天田:障害学会はちゃんとやるんですよ。だけど、他の学会では理事会にも出てこないって。[02:45:02]

立岩:だって俺、理事じゃないもん。

天田:違う違う、理事の時。

立岩:あ、理事の時、ああそうか、そうだったっけ? そうか、ごめん。これから真面目になろう。

同席者:うちの編集のあだちが市野川さんの書籍を準備しているんですけども、なかなか、「ああ、もうちょっと」(笑)

天田:ご苦労されてる。

同席者:ていう話を時々されてますね。

天田:人によって面白いですね。たぶんいろいろお仕事して、ほんとこの人、事務能力とてつもなく優れるなっていうのは、やっぱり奥村隆。

立岩:ああ、それはそうだ。

天田:舩橋さんと奥村さんが僕のなかでは突出して、なんでもできる人っていう。メールの速さ、返信の速さとか、事務能力も含めて突出してますね。

立岩:奥村さん、まだ社会学会の理事とかやってる?

天田:今ね、日社の常任理事をやってます。一番だから大変な。会長なんかは今、町村さんなんですけども。

立岩:町村さん会長なの?

天田:それの右腕になってずっとやってますけど。やっぱり奥村さんはほんと情報処理が速いですね。

立岩:最初に月給もらった仕事が千葉大の助教、その時は助手か。その時に奥村さんが2年一緒で。その後千葉大から彼は立教移ったんだけど、立教で喧嘩して、で関学?

天田:今、関学です。

立岩:に移ってっていう、そういう社会学者です。

司会者:喧嘩してっていうのは誰と?

天田:SEALDsの時だったんで、SEALDsのシンポジウムをやるっていうふうになってて、で、僕その時に奥村さんとちょっといろいろ親しくしてたんで。SEALDsの時に立教でやるっつったら運動系、つまり政治的な立ち…、一つの立ち位置のところでシンポジウムを開催するとは、それでいいのかみたいなことを言われて、それはおかしいって。一つであろうがなかろうが、いわゆる今の社会の状況をきちっと学生たちに伝えるのは重要だって話をして。けど、当時の理事の人間、立教の理事のメンバーが頭が固くていろいろ対立してっていう、そういう状況もありっていう。あとは学部内の、同じ社会学部のファカルティっていうか、教員メンバーのテンションの低さとかそういうのも含めて嫌気が差したんだと思いますけどね。ただそういう筋の通し方も含めて奥村さんらしいなと思いますけど。今ね、何かの企画を巡って政治的な立ち位置を問われ、理事と喧嘩して学校を去るっていう人少ないですから。

司会者:そうでしょう。そうですよね。

天田:普通はそういう面倒くさいこともしないっていう。

立岩:10年ぐらい会ってないよ、俺、奥村さん。

天田:立岩さんですか?

立岩:学会行かないからだけか(笑)。今年ってどこ?

天田:日社? 東女です。

立岩:ああ、東京か。じゃあやっぱり行かないかな。去年関西でやったよね。

天田:そうです、甲南で。行かなきゃなあって一瞬思った。

司会者:関西は楽しいですか? 住み心地とか。

立岩:ああ、僕は京都好きですよ。楽しいですよ。飯食って、遊んで、酒飲んで。

天田:町のサイズもちょうどいいですよね。

立岩:そうそう、サイズがちょうどいいの、自転車でどこでも行けちゃうからさ。もう自転車ですよ。明日も自転車。

天田:あと、なんて言うかな、物事を考える上でもちょうどいい感じがしますね。例えば同じ研究者同士でも、別に常に会ってるわけじゃないんですけども、だいたいどこで何をしてるっていうのは頭の中で、この人が何をやってみたいな、あるいはこういうテーマでやってみたいなものも頭に浮かぶので。

司会者:東京だと多すぎる?

天田:もう多すぎて何がなんだかわからないですし。[02:50:01]

立岩:京都なんて大学だったらだいたい数えられるからね。まあ近所にあるし。

司会者:面白いことやってる方沢山いらっしゃるっていうか。

立岩:あとはやっぱり変な人多いですよね。変な人比較的多い。なんで食ってんだろうっていう人たちがいる。そういう奴らが呑み屋の主人とかになるとうるさいんですよ。お前うんちくうるさいよ、語るなみたいな、だまって酒出せみたいな感じなんですけど。でもいいふうにも傾くわけで、何食ってんだろう? みたいな人がいて。それで、例えば今回のそれこそ筋ジスの人をどうこうっていうのでも、僕のところの大学院出て、学者にはならずにそこのスタッフになったりとか、そういう人が10年、僕はあそこにもう15年ぐらいもういるんですけど、その間にぽつぽつ出てきて、わりと話ができたりとか、そういうのがここ数年わりと。数年ていうかもう十何年の蓄積があってですけど、そういう民間の所と僕らと、ていうのはある。あとアート系の変な人とか。明日、だから優生保護法の不妊手術の集会やるんですけど、意味わかんないですけどなんか踊る人がいるんですよね。優生保護法の踊りってよく俺わかんないんだけど、でもいるんですよ、そういうのが。なんで知ってるかって言うと、ALSの人の介護に入っている由良部さんっていう人とか、あと和田さんっていう明日の主催者なんですけど、弁護士なんだけど踊る人で。弁護士で踊る人で、でもなんか学生の時に介助してとか。なんかね、その***(02:51:48)の意味不明な人っていうか。

天田:面白いですよね。

立岩:そこそこいるんですよ。

天田:だから、関西だと障害者アートとかだと、劇団態変とかの金滿里さんとかああいったメディアに載る人はいるけど、京都だとさっき言った由良部さんとか、全然、それの脈略とは繋がっていつつもまた独立するみたいな人たちもいて、ちょうど東京と大阪、どちらにも属さない人たちがしっかりいて。

立岩:ちょっとうるさい人もいるけどね。

司会者:存在感がありますね。



立岩:あと京都の魚はうまくない。魚は江戸のほうがいいよ。

司会者:そうですか。なんでだろう? 確かに鮒ずしとかだったらあまり、

立岩:築地があるのとないのではたぶん違う。築地ってさ、料亭がうまいってのもある、じゃなくて魚をどうやって仕入れてどうやって捌くかみたいなところで、築地みたいな機能を持ってる市場はたぶん築地しかってこともあるでしょう。ほんとはよくわかんないですけど。でも京都でうまい刺身を食うのは至難の業です。ていうかね、まあいいや、なんの話をしてるんだ。僕の母親の実家が漁師なので、ちょっと言ってみたいの。「うまい魚食えない」とか言ってみたい的な。

司会者:もうご実家の稼業はもうやってないんですか?

立岩:もうね、僕のいとこの代で止まって、もうやってないですね。

天田:立岩さんの佐渡島だと、今、人はどうやって飯を食ってんですか?

立岩:どうしてるんですかね。基本さびれてますよ。ほんとになんだろう、シャッター商店街。

天田:下世話な話ですけど、佐渡で住み続けようと思ったら、どうやって。二つぐらい、いくつか選択肢はあるんですけど、一つは公務員って道はありますよね。それは地方の一大産業だから、労働市場、公務員。あとはもう介護系ですよね、障害者や、特に高齢者。田舎に行けば行くほど、給料はよくないけど、ヘルパーとかデイサービスとかで働けば最低限食っていけるっていう、共働きで。ほんとかつかつぎりぎりだけどやっていけるっていう。で、ケア系か、それか地場産業系しかないじゃないですか。そうすると、

立岩:僕の高校の同級生なんかは、やっぱり公務員、市役所、それからあと教員。

天田:広い意味で公務員ね。

立岩:広い意味で公務員、多いよね。で、かろうじて県内校、あるいは東大に進めてる。あとその介護系ってことで言うと、2年前ぐらいに行って初めて知ったんだけど、自分が親しい友達で、呉服屋っていうかな、洋品店っていうか、それなりに3階建てぐらいの一時やってて。

天田:グループホームにした?

立岩:高校の時はお金、お金持ちってほどじゃないけど、それなりなとこがもうやっぱり傾いちゃって、潰れちゃって。だからあれですよ、特養で介護の職員やってる。

天田:自分とこを改築するんじゃなくて。

立岩:会社潰れて、洋品店潰れちゃってっていうのを聞いて、ええー、そうなんだって。

天田:パターンとしてはそこをNPOにしてグループホーム化して、なんとか商売をやるっていう、土地があったりすると。

立岩:私はそういうこと言ってるんだけど。介護が唯一田舎に残された産業だって言ってるんだけど。

▼天田:僕もずっと言ってるんですよ。実際そうだし。実は地方って第一次産業でもってると思いきや、平均しても64%実はサービス業なんですよ。で、地方によっては特に人口5万人以下の自治体って実はサービス業でも80%なんですよ。で、何かって言うとほとんどがケア系っていうか介護系とか。で、かつての言ってみれば土木産業、公共事業に関わる産業は、もうケア系しか残されてないので。で、地場産業とか、地方の何か主幹産業がある所は別ですけども、ほとんどケア系ですよね。▲



司会者:なんかもう1本ぐらい飲みたいですよね。

立岩:僕はね。

司会者:ちょっと待っててください。

立岩:すみません。昨日も飲んだし。

司会者:どうぞどうぞ、ちょっとゆっくりしといてください。

天田:そういう意味では地元でどうやって飯を食っていくかって。

立岩:いやほんとですよ、どうやって食ってんだろうって感じ。

同席者:昨日は鹿児島の離島のお話。

立岩:鹿児島で重度訪問で24時間取れたっていう、沖永良部島で取れたとか、そういう突発的なことを時々、みたいな話を先週してた。とにかくいいんですって、もう介護で行きましょう、みんな。そういうことを言ってる。今、言ってる、言いふらしてる。

天田:うん、だけど介護で一人で飯を食っていける、それなりの産業になれば、やれないことは絶対ないはずなんですよ、ほんとに。ほんとにそれはそう思います。

立岩:地元の要介護の人が死に絶えるまでやればいいんです、その時まで。死に絶えませんから。もつ、だいぶもつ。

天田:全然、今、僕が書いている物にも関わるんですけども、立岩さんの今回の国立療養所のところはある種しめっていうか、大きな変化の兆しは60年代って話をしてるじゃないですか。これは国立療養所の中で、僕は、いい悪いは、僕の見立てが違うのかもしれないけど、一つはやっぱり経済成長が大きかったんだろうなって気がするんですよ。経済成長によってそれなりに国がいわゆる国立の中でも、言ってみれば社会防衛的以外にも、人々の生存とか生活とか、あるいはその家族を守らんがためのいわゆる再配分をすることが可能になったことが大きくて。で、僕の見立てでは、いい悪いは別にして、日本が今、それこそある人から取って分ける人、っていうか無い人に分けるっていう仕組みができなかった、できなくなってる節目になってるのも1960年代半ばから後半だと思ってて。それは何かって言うと、地域間再配分をしたときに、言ってみれば都市に集中した富を地方に配っていくっていうときに一つには公共事業で、いわゆる食いっぱぐれた人間に仕事を分け与える。で、60年代、1970年になる、ちょうど60年代後半から70年代になると、都市から金の卵云々とかって言われて、地方から都市に集中していた人口移動が一時的に完全にストップするんですよ。ほとんど地方から都市に出てくるのは大学生のみぐらいになっていて、それは何故かと言うと、出稼ぎ労働がなくなったと。で、出稼ぎ労働しなくても地方で食っていけるようになったと。一番大きかったのは、いわゆる公共事業、あるいは地方交付税等によって、公務員や、いわゆる土木産業や、その他でも食っていける。で、農業も保護政策が進んでるのは60年代後半なんですよ。それまではいわゆる自分の一応土地があって、若いので、働いて、いわゆる農業、漁業それなりに食っていける。で、傾きかけながらも保護政策が進んでくっていうのはやっぱり60年代後半で、で、それなりに地方であっても食いっぱぐれない仕組みが出てくるっていうのは60年代後半。
 で、もう一つ60年代後半の特徴は、いわゆる地方に富が集中していて、食いっぱぐれるのは地方の人間だったっていうのと、当時、いわゆる若い、経済成長の恩恵を受けてるのは働いてる人たちですから若い世代ですよね。そうすると、高度経済成長の恩恵を被らなかったのは言ってみれば老人だったわけですよ、高齢者だった。そうすると、世代間再配分として比較的高齢者に厚みのある政策を取ってったのも1960年代後半、70年代頭なんですよね。で、老人医療費無料化は72年ですし、年金大改革が行われて1万円から5万円年金になるのも73年だし。で、中心的になったのは田中角栄で、福祉元年とかっていう70年から、ロッキードで失脚しても実はいろんな意味で田中角栄に象徴されるような地域間再配分、世代間再配分を作っていくっていうのは60年後半、あるいは70年体制で。で、そこの中でいわゆる国立療養所の防衛的なところから、陳情とか医師とか、さまざまなアクターに配慮しつつ、いわば金を、それなりに配分っていうか調整可能だったのがあの時代だったんだというのが一つの見立てで。で、そうであるがゆえに、いつまでもずるずると70年代、80年代っていうか、80年代半ば以降も引きずってったっていうのが一つ大きな側面なのかなっていう気はしますけどね。[03:01:28]

立岩:実際角栄に陳情に行くんだよね。

天田:行きますね。

立岩:出てくんだよね。角栄が「よっしゃ」って言ったって。

天田:言ったと思いますよ、絶対に。

立岩:言ったと思いますよ。で、その直後に失脚しちゃってっていう。で、三木武夫は渋かったっていう、そういう話だ。

天田:ただ、基本的に渋っただろうがなんだろうが、基本的に意を汲んでったっていう。自民党が、いわゆる保守政党が言ってみれば有象無象を抱え込みだすのが70年代なんですよね。当時は例えば革新自治体って言われてるところでやってった、

立岩:すごい、大きいのが来た。すごーい。

司会者:大きいのにしました。なんかビールじゃないのがいい人もいるんですか?

立岩:もともと飲む人なの?

司会者:私は飲みます。

立岩:うん、なんかこの仕草が酒飲みだよね。おんなじサイズじゃなくておっきいの買ってくるって。

司会者:あ、そうですよね。

立岩:僕は必ずそうします。小っちゃい缶買ったことない。

司会者:ほんとですか? 家でですか?

立岩:家でもどこでも。

司会者:家で小さいの飲みます、飲んでますよ。

立岩:あ、そうですか。僕は大きい缶しか買ったことないな。ひどいね。

司会者:好きに。好きにっていう言い方はあれですけど。

天田:僕も全然、あれですね。僕だいたいビールよりもほとんど焼酎ですね。もうそのまま焼酎をロックで飲むっていう。

立岩:僕ね、それ、そういう生活をしていた時期もあるんだけど、泡盛飲んでた時期もあんだけど、あのね、ここ何年だろう、もう長い。ワインを、400円ぐらいの安ワインを1日1本飲むって。それをもう何年も続けてます。

天田:ワインだと酔いにくいじゃないですか。

立岩:うん、だけど。

天田:750とか入ってるけど。

立岩:750で、でもまあちょうど。もっと飲みたくなるときもあるけど、なくなったら終わりじゃない。だけど焼酎ってやっぱ。僕は抑制がきかない人間だから基本、自己抑制がきかない人間なので、ワインは1本飲んだら終わる、物理的に終わるから寝るんだけど。たぶん、ウイスキーでも焼酎でも飲みだしたらもう一杯的になるから、そういうので今は飲み切り。だから一回ね、ワインでもさ2リットルぐらいの、

天田:でかいやつ。

立岩:でかいのあるじゃない、箱に入ってるやつ。あれに【してたんだけど】(03:03:52)、どれだけ余ってるかわかんないし。だから3日で飲むべき物を2日で飲んじゃったりするし。それはやめて、今。

天田:立岩さんにとっての一つの区切りっていうか境界線はボトルなんですね。

立岩:そう、ボトル1本、

天田:うん、ボトル1本なんですね。ほら、いろんな境界があるじゃない、コップ1杯っていう境界だってあるし、ねえ。

立岩:ボトル1本です。ちょうどボトル1本。

天田:このカチャカチャっていうのが重要なんですね。

立岩:なんか、諦めるっていうか。

同席者:絶対買いに行くっていうほどではない。

立岩;そこまで。よっぽどであればね。なんか今日すごい腹の立つことが起こったとか、そういうことであればまた違いますけど。でも大概、夜10時ぐらいに食事始めて、で、飲みだして、ちょっと食べながら飲んで寝るっていう、その生活です。ちょっとそれ頭悪くして、なんか。同じ生活をするっていうのが正しい、精神にいいって言いますね、そういうんで。だから出張来たらちょっと調子狂っちゃうよね、昨日も飲んだしさ、みたいな。「岩永さん飲むなー」みたいな。で、なんかちょっと。[03:05:08]

天田:昨日岩永さん来てたんですね。

立岩:岩永さんご存知ですか?

天田:うん。僕、直接面識はないんですけども、読み物とか書いてもらった。

立岩:あの人も飲むわー。あのあとも飲んだ。

同席者:当然のようにもう一軒、あそこに明かりがついてますけどって。

立岩:そうそうそう。みづきさんって、前、青土社にいた人が、このへん開いてるはずですけどって、バーみたいな所に行って3杯ぐらい飲んで帰りました。常務理事ってだけどさ、普通そのNPO法人とかの常務理事ってのは、そこに行く常勤的な人って意味で。奥村さん大学教員だからそれは無理でしょ?

天田:いや、だから日社のほうは基本的に会長と庶務理事。うん、会長、庶務理事、財務理事っていうこの三組が、三役って言われてる人たちが、いわゆる常務理事として位置づけられて。もちろん常勤ではないので、その三役は町村さんを巡って、あとは奥村さん、他財務とか、そこで回していくので。ただ実質は会長よりは庶務理事が回すので。

立岩:そうか、町村さん会長なんかやってんだ。

天田:奥村さんを中心に。前の理事から引き継いでることなんですけども、今ちょうど、日本社会学会って社団法人になるんですよ。で、その法人化に向けて動いていろいろ大変ですし。あと、立岩さんよくご存知のガリレオ、あそこはね、データベースとしてはやるんですけども、ホームページの作り方とかあんまり得意じゃなくて、ホームページのほうは外注するっていうふうになって。あの、もう、

立岩:日社、ガリレオに頼んでる?

天田:うん。

立岩:今回ね、つい先週会って、今、国際***(03:07:24)障害学会。でもまあいろいろ使い勝手悪いんで、ガリレオに移行することにしました。

天田:高いしね。

立岩:ガリレオの社長、僕、大学の時にずっと知ってる人。

天田:そうですね、言ってましたね。ただ、今度日社のほうはガリレオで、データベースとかはいいんだけども、ホームページの仕組みとかはあんまり上手じゃないんで、だからウェブサイトについてはムーンファクトリーっていう所に新しくして、ちょうど明後日からリニューアルですね。全面改訂っていう。

立岩:へえ、そうですか。「クレジットカード払いができるようになりました」って案内が二日ぐらい前に来たよね。

天田:そうそうそう。あれも庶務理事っていうか奥村さんが中心にあれこれ切り盛りして。

立岩:それがあったのよ。僕らも、金払うの面倒くさいっていうの僕自身がそうだったとかそういうのがあって、払い方を多様化したいっていうんで、それでガリレオっていうのが。なんか奥村さん忙しいね、あの人ほんとに丁寧だよな、学生の面倒見いいしね。

天田:そうですね。研究者として立派だと思いますけど、とにかく仕事、ああいう人が組織には一人いて、必要っていうか、いるとありがたいっていうか。

立岩:はあ、先端研いないか。天田さんいなくなっちゃった先端研いない感じがしてきた。

天田:あれ、立岩さん、例の出版助成はもう金終わる?

立岩:まだやってるよ、でも。なんかやり繰りしてる。立命館の出版助成が拡大っていうか、今3年、だから条件がきつすぎるので他から出てこないってこともあって、わりと先端研のやつは出せばって通ってる。西沢いづみさんもそうだし、この間、西沢さん、葛城さん、窪田さん。この3月までの間に3冊ぐらい僕が***(03:09:46)とかで出ました。

天田:ああ、そうですね。だけど僕は、先端研が誇っていいのは、たぶん、西沢さんとか、葛城さん、窪田さんも、他の大学院ではまず書けなかった人たちだと思いますよ。[03:10:06]

立岩:だよね。

天田:それは絶対誇っていいと思います。それは低く見積もったら良くないなあと思ってて。一般の東京の私大に来てたらまず1年目で辞めてると思いますね。

立岩:なんだかんだで、それはそうですね。それはあると思う。

天田:それもう客観的に考えて、いろんなコストを、コスパがどうかとかね、進学としてキャリアがどうかっていういろんな話はあるにしても、客観的に言って、他の大学院では他の私大の大学院に進学して博士号が書けたとは思えないですね。多くの場合は挫折しただろうし、あるいは入学の時点で、スクリーニングの時点ではじかれてる人たちだったと思いますね。で、特に葛城さん、西沢さんなんかは、あのテーマよりは違うテーマで書かされたか、やめざるを得なかったかっていう感じですよね。西沢さんもそうだし、葛城さんもどちらかと言うとそうだし、キングというかクイーンか、クイーンは定藤さんだと思う、あの自己評価、自己肯定感の低さっていうか、クイーンは定藤さんだと思いますけど、あの人たちに書かせるっていうのはやっぱり相当だと思いますね。

立岩:そうそうそう、まだいろいろ難物残ってるんだけどね。天田さんの遺産ですよ、中嶌さんとかさ。

天田:申し訳ない。けど、中嶌さんもとにかく難しいこと考えずに、

立岩:そうそう、そうだよ。知ってることを書けばそれでいいんだよね。

天田:実は中嶌さんの書こうとしてることって、過労死遺族なんてタイムリーではあるんですよ。ものすごいタイムリー。特に過労死遺族なんで、実は過労死遺族でも大阪と東京と京都では全く違った毛色なんで、それ自体が面白いんですけどね。で、なぜ、京都、大阪、東京で、それぞれ過労死遺族の会がそれぞれ違った道のりを歩まざるを得なかったかっていうことも含めて面白いんですけどね。

立岩:中嶌さんも顔真っ赤になって泣きそうになるからさ。

天田:教員もそれこそ知ってることを書いてもらう路線、さっき言った、もしかしたら資料の一つになるかもしれないけど、だけど資料の一つになるってことは後世に繋がる研究ですから、毒にも薬にもならないようなものよりははるかにマシで、レファレンスされるっていうだけで立派なことですから。

同席者:それはほんとにそうですね、その人に***(03:13:41)。

立岩:昨日も言ったんだけど、その路線っていうのが、今ほら、ちょっと先端研、なんか賢い人たちが集まってるじゃない。だからなんかね、ちょっと、

天田:マイノリティになってる?

立岩:肩身が狭い。天田さん基本そうじゃないですか。で、あとに西川さんも、西川さんそんなん意外と【学問が学問の】(03:14:03)手を出してるとかそういうことに頓着しない方だったので右肩だったし、おおたさんはある意味全然違う文脈だから、大様な人だったんで、わりとそうだったんですけど。今はね、なんかちょっとね、

天田:小泉路線?

立岩:でもまあなんだかんだ言って通してますけど。

天田:だけどあれ、実は最後の最後でちゃんと折れてくれるのも小泉さんなんですよ。

立岩:そうそう、小泉はそうなんだよ。小泉はわりと最後は折れる人なの。

天田:折れない?

立岩:折れない。だからほら、千葉とかいるじゃない。千葉でもあんまり僕らのところに審査に関係しない。なんとか、なんとか。でもなんか岸さんが葛城さんのことを妙に感心してる。岸さんなんか感動する場所が単純なんだよね。78歳、9歳でなんかちょっと、これでとまったっていうので、それが嬉しいと。

天田:だけどそういうツボがわかる人のほうがいいですよね。わかればこういう路線で行けって言えるけど、わかんなくて突然怒り出したり、突然不満になったり、突然喜んだりっていうとツボがわからないですけど。そうなんですよね。もしかしたら一番やりにくいのは小川さんとかかもしれないですね。

立岩:小川さん、あれね、でも、わりとちゃんと世を渡ってきている。大丈夫ですよ。まあまあ、最終的にはなんとかなる。

天田:じゃああの、例の件ほど揉めはしなかった。あの、彼女、えーっと、あの人、コンパニオンの。

立岩:田中か。

天田:田中さんです。あの時立岩さんえらく苦労したじゃないですか。

立岩:そうだったっけ、もう忘れた。もういいやみたいな。携帯のセールスの女性がこういう制服着てさ、家電の店とかにいるじゃないですか。彼女、田中って奴もそういうバイト、自分でバイトしながらその携帯売ってたの。で、その話だよ、あの時書いたの。

司会者:あれ、その本、

立岩:本になってる。

司会者:一回なんか書いてもらった気がします。

立岩:あ、そうだ。確かそうだった。

司会者:ああ、ありましたね。

天田:でも、田中さん、その人も立派で、最初はえらく苦労したり体調の面で。ここだけの話ですけど立岩さんにとんでもない迷惑かけた人だけど。

司会者:あー、そうなんですね。

立岩:明日死にます系の。

司会者:そんなに? ああ、そうなんだ。

天田:そう。大変な迷惑をかけたんだけど、今はもう大学の教員になって。こないだ中根さんと一緒に本を、共著のテキストなんか出して。

立岩:中根がいたからあそこっていうのもあるんだけどね。

天田:修道でね。

立岩:修道で飯食ってる。田中が大学教員ってちょっとイメージしにくいんだよな。今でもやってる。そうか、小川その時騒いだっけ。よく覚えてないよ。なんか言ったね、言われてみたらそんな気がしてきた。

司会者:立岩さんのぶんも全部覚えてるっていう。

天田:だいたい。立岩さんだけじゃなくて、いろんなことは。

同席者:大変だった人はちゃんと。

立岩:大変な人はいっぱいいますよ。ほんとにいっぱいいるんです。

司会者:そういう人のほうがなんかいいの書きそうですね。

立岩:どうかな? にわかに、すぐにイエスって言えないな。

天田:いやいや、だいたい、なんて言うのかな。教授会構成メンバーっていうのが10人未満の研究科なんで、誰がどういうところで納得するかとか、どういうところに感激するかとかそういうのはだいたい勘が働くようになるんです。そうすると戦略としてこう言っとけとか、とにかくこう言っとけば、こういう立ち居振る舞いをしろとか、そういう感じで言えるっていう。で、論文を書く人って、あるいは大学院に来る人たちの多くは、これいいか悪いかは別にして、旧帝大系の人たちは比較的自己肯定感の強い人たちというか強すぎる人たちというか、なんでそんな肯定できちゃうのっていう人たちが来て、で、つまらない物を書いていく人たちも少なくないんですけれども、立岩さんっていうか、先端研の人たちって異様に自己肯定感が低い人が来て、「私なんかが何書いてもだめです」みたいな、書く前から言って、そして、「私の研究なんかはもう何にもなりません」みたいな人をエンカレッジするっていうか励ましながら書くので。そうするとある時にガッと言われるとほんとにだめになっちゃう人たちもいて、だけどプロテクトしすぎてもだめじゃないですか。そうするとこういう時の場面ではこう言っとけとか、こういう書き方のほうが結局次に繋がるよとか、あるいは基本的にこういう言説に対しては付き合う必要はないとか、そういうスルーの仕方とか、対抗の仕方とか、あるいは物言いというか、物の言い方とか、そういうことを示していかなきゃいけなくて、大事なことなんですよね。で、必ずこういう言い方をしたらこういう突っ込みが入るので、で、そいつはだいたい激高して、大概くどくあれこれと突っかかってくるので、この話はしないでいいっていう話をするわけですよ。そうするとだいたい誰がどういう動きをするかっていうダイナミクスがわかってくるっていうか。[03:20:04]

司会者:すごい。

立岩:そんなリテラシーがある人たちが多いわけじゃないからね、査読とか返ってきても訳わかんないわけですよ、査読の結果に何が書いてあるかっていう。書いてあるから字は読めるんだけど、じゃあどうやって直すか、あるいはスルーするか。スルーって大切なんですよ、査読を無視するみたいなことも含めて戦略を立てないと。で、やっぱさ、下手な奴は査読が来ると下手に直しちゃってもっと悪くなったりするわけよ。そんなのいくらでもあるわけです。そこをどうやって、

司会者:すごいですね。

立岩:それはでも、それで僕は給料もらってると思ってるわけ。

司会者:いやすごい、それなんか他のことでも使えそうな気がする。

立岩:そういう技を伝授する。で、なんとか生き延びさせて、チアアップして、やればできるって、書け、面白いーみたいなこと言って。いやほんとにでもわりと信じてる、ほんとに面白いと思ってるんですよ、別に嘘ついてるわけじゃなくて。面白いって言って、こうやってすり抜けて、無視して、気にしないようにしてみたいなことを言って最後までできたら上がり、みたいな。

天田:ただ、自己肯定感の低いスルーすることができない人たちほど、我々がアクセスできない人たちにアクセスしたりする人たちが多いんで。で、賢い人ってアクセスしたら抜けられないとか、アクセスしてるところから器用にスルーしちゃうんですよ。けど、スルーできない人たちであるがゆえにそこに留まってたり、そこで悶々としてたり、そこで何某か言いたいことがあったりっていう人たちなんで。基本的に賢くなく、不器用な人たちがそこに集ってくるので、ある意味では当然のやり方なんだけども、ただ、その都度その都度でやり過ごしの技法を教えなきゃいけないので。で、一方、これは面白い話なんだけど、院生はやり過ごすことができない人たちが集うんだけど、教員はやり過ごさせないぞっていう人たちが揃ってるんです、あそこは、そうそう。なんかに捕まると、「いやいや」っていう。で、ある人は誰に対しても同じ要求水準を出すんですよね。AとBとCに違った要求水準とか、違った資質のというか、高い低いじゃなくて、こっちのα、β、それぞれの要求水準でいいのにもかかわらず、皆同じ要求水準出されると戸惑う人たちも多くて。その話?

司会者:そういうふうに話されると面白く聞こえますけど。

天田:その話をそりゃ京大生にそれ言うんならいいけど、ここの院生に言っても、78歳の滋賀難連のおっさんにそれ言ってどうすんのみたいな、ですよね。

立岩:そう、そう。いいのいいのって言うしかないですよね。でも中嶌さんが越えるとちょっとひと山越える感じするかな。みんな60、70近いよね。夫を過労死で失くした、で、過労死の会を京都でずっとやってきた人。面白いんですけどね、なかなかやっぱり字が【書けない】(03:23:49)人で。
 今年はでも秋は天畠くんって、天畠今年も面白かったですよ。福島智さん、外部審査で。もう一人可能だったら***(03:24:07)外部一人でっていうことになって福島さん。だから福島さんの、福島さんって盲聾なのね、見えなくて聞こえない人なんで指点字ってやるんですけど、それの通訳者が2人。それから天畠っていうのは、曰く言い難いんですけど、四肢麻痺プラス言語障害プラス視覚障害みたいな。それもなんか変な通訳法があるんですけど、それのプロが2人。だから、教員たち5人ぐらいいるところで通訳が4人みたいな、そういう、今年もやりました。

司会者:面白いですね。面白いって言っちゃいけないけど。

立岩:面白いですよ。そのプロのっていうか、やっぱり日常会話じゃないからそれなりに熟練したっていうか、本人みたいな、本人より本人っぽい、なんて言うかな、よくできる奴が来ないと、その場で闘えないので。

天田:お話にならない。

立岩:それでずっと長くやってた男性で。今、リヨン大学の修士課程かなんかに哲学かなんかで行ってる男の一時帰国を待って、で、帰国した次の日にそれやって。

司会者:へえー、豪華ですね。

天田:一橋の子ですよね。

立岩:一橋じゃない子。

天田:ん? 彼、一橋じゃなかったっけ?

立岩:今はだってもうリヨン大学の人だから。

天田:リヨンの前は一橋じゃなかったっけ。

立岩:そうだっけ。それが、僕が【持ってる】(03:25:44)最近のやつかな。でもつまんないよねって言って。なんかそういうのって通るんだよね。なんか、なんか俺そういうの嫌でさ、僕、ひねくれているので。「天畠この論文つまんないよ」とか言って。

司会者:ああ、なるほど。

天田:よくわかります。

立岩:「つまんないよ、ほんとは」みたいな。「通ると思うけど」って。

天田:天畠さんの場合は難しいですよね。いろんなやり取りは複雑で困難だったりするけれども、彼の場合は頭がそこそこきいちゃうので、ちゃんとこう査読に反応できちゃう人なんです、元々の頭があるので。だから、そういう意味では引っ張られちゃうと思いますね。気の利いたコメントに引っ張られてしまうっていう。ある意味ではもっとできない人は何を言っているかわからないので必然的に無視をせざるを得なく、スルーせざるを得なく、その路線に行くと思いますけど。

立岩:天畠そうだ、天田研にお世話になるんだ。ありがとうございます、よろしくお願いします。

天田:PDになるんで。

立岩:学振のPDで。

天田:36万もらって。

立岩:場所を変えなきゃいけないわけですよ、ポスドクっていうのは。それで、だから立命出て、天田さんの所に受け入れていただくことになった。よろしくお願いします。

天田;いえ。ただ、次の仕事が大変だと思います、天畠さんは。天畠さんもやっぱり自分で考えてって話じゃないですか。そこの次の仕事がやっぱり大変だと思いますね。

立岩:大変。ま、いいや。そういう教員の愚痴っていくらでも言えますよ。二晩でも三晩でも言えますよ。

司会者:なんかでもちょっと聞いたことがなかったので新鮮な。二晩も三晩も言えるんですか。

立岩:なんぼでも言えますよ。一人ずつ喋ってもさ、今までの主査って50人ぐらいやってるのね、50バージョンがある。一人2時間ぐらい喋るので。

司会者:初めにテーマを決めるときもやっぱり相談とかするんですよね?

立岩:大まかにはテーマ持って、それは生かすと。それしかないみたいなのもあるわけじゃないですか、自分の持ち駒はこれで。だけどね、どっかで書いたかもしんないけど、こないだ福生の病院で人工透析止めさせられて死んじゃった人いたじゃないですか。それで、有吉さんっていう透析のクリニックで何十年もそこで働いている看護師さんがいて、で、透析のこと書きたいって言ってここ来たんですよ。で、例えばそういうときに何ができるかって言うと、透析はもう決まりね。それしかネタないし、それを本人が一番やりたがってるから、それはそれでいいと。で、最初に彼女が言ったのは、その、透析、そのときから、***(03:28:54)さん喋ってるな、透析の人のオーディナリーライフとか、日常生活とか、そこ、***(03:29:01)、まあそういう、なんか社会学者がいかにもやりそうなそういうやつね。でもさ、それは難しいかもねつって。っていうのは、知ってる、なんか透析の人って自分は透析じゃなくても周りに一人ぐらいいたりとか、なんか話聞いたりとか。で、なんか3日に1回透析通って、刺して、何時間がじっとしてて、で、食事制限受けて、でも食事制限嫌だから時々ちょっとずるしてビール飲んでるとか、そういう生活でしょ。それでだいたい正しいわけですよ、概ね。そうするとそれ以上、論文では違うこと書かなきゃいけないんで、それに、だから書きにくい。だからそれは、例えば天畠の日常生活っていうのはなんか意味わからないじゃないですか。どうやってこいつ暮らしてるんだろうみたいな、それはなんかなるけど、人工透析ぐらいだと想像の範囲。まあ、それちょっとだめかもなって話をしてて、じゃあでも透析はそのままやるといったときに、透析って今ただみたいなもんだけど、ただじゃない時期があってっていう、そういうもんだよねって話になって。じゃあそういう時期から、ああなってこうなってっていうのを書こうよってなって、で、そっちに鞍替えして。で、博論書いて、本になって。そしたら今回こういう事件起こって。例えば本人びびってましたけど、毎日新聞とか、講談社のくりはらさんとかから「なんか書いてくれませんか」とか「コメントしてください」って来て、本人十分びびってましたけど。みたいなそういうことさ。そういう介入の仕方。[03:30:47]

天田:立岩さんにとっては、ほんと狭い、透析なら透析だけど、その道の物知りというか第一人者になればそれでOKって話ですよね。

立岩:全然OK。だって他、誰も知らないんだもん。

天田:っていう考え方だけど、他の人たちはやっぱり大学の教員、研究者としてなんとかっていうふうに思ってしまうので、それはほんとに本人、お互いにとって不幸なやり取りが交わされるとき。

立岩:確かに大学の教員になるにはある程度オールラウンドというか。

天田:だってお客さんていろいろ来るじゃないですか。「透析のことがやりたいです」っていう人が30人来るわけじゃないんで、「すみません、ジャニーズのことやりたいんです」みたいなのも来るから。そしたらそれなりに、例えば太田省一みたいに、ジャニーズのファンがどうやって平成の時代に変わってったのかとか。

立岩:太田省一と俺、同級生だった。

同席者:太田省一の本、4月、うちから出るんですけど。

天田:そうだよね。いやだけどね、太田省一の本は売れるよ。今の大学生でちょっと話をして、「何を読みたい?」って言うと「太田省一さんの本読みたい」って言った。

同席者:立岩さんが卒論を手伝ったっていう話ですけど。

立岩:そうだっけ? ほんと? よく覚えてないな。でも、太田省一と俺、優生学の研究会やってたんだぜ。信じらんないでしょ。市野川と加藤秀一と太田と4人で、

天田:ああ、例の。

立岩:BSKってバイオソシオロジー研究会じゃなくて。でもなんかいまいち太田ノリが悪いなって、ちょっとこれじゃたぶんいかないなって思って、2本ぐらい嫌々論文書いたけど、やっぱりそっちじゃ芽が出なくて、やっぱり芸能ネタになってから、才能が開花したわけですよ、太田くんは。

天田:だけど学生には圧倒的な支持ですよ。今、学生たち何やりたいかって言うと、大概ジャニーズファン研究とかそういうことをやるので、大田さんの本を大概引用してきますね。そうするとさっきの話に戻りますけど、人工透析じゃ飯食えないんで、ある程度やっぱ潰しがきかなくて、例えば学生をゼミでも15人抱えるわけじゃないですか。そうすると15人のニーズに応えられないと教員にはなれないので。

司会者:そうですよね、幅広いですよね、ほんと社会学ってね。

天田:そうですね。そうすると、そこで言ってた潰しがきかざるを得ないんで、例えば人工透析以外と比べたとき、それはどうなんだとか、例えば胃ろうの、例えば高齢者の胃ろうの中止差し控えと、人工透析の中止差し控えどう違うんだとか。そういうこう比較したときに、じゃあそれは社会にとってどういう意味があるんだとかっていったときに、いわゆるその道の第一人者っていうか物知りでは通用しないじゃないですか。そういう意味ではね、物知りだけではだめだっていうコメントも大学院にとっては当然なんだけど、立岩さんどっかで割り切ってて、その道の第一人者でいいというふうに思ってて。立岩さん基本的には分業の人っていうかね、知ってることを書ける物知りがいて、物知りの人たちの情報を集めて、ある程度頭が働く人は物を考えればいいし、更に頭が働く人はさっき言った領域A、B、Cの断絶とか溝とか隙間が何故生じたのかっていうことを考える人がいて、更にはそういう社会って何とか、社会学って何か社会のフォルムを描こうとしたところがあるけど、それって結局、実は細かな人の身体の違いとかそういうことについてはちゃんと言ってこなかったよねっていう、そういう更に頭の働く人いるじゃないですか。で、そこで分業でいいっていう考えと、やっぱり一人が職人芸的になんでもやらなきゃいけないっていう人はそれぞれいてね、そこはけっこうね、教員の論文の審査とか判断を巡って争われるっていうか争ってしまう部分でもあるんですよ。で、悲しいことに社会学の様々な学会誌の編集委員長とかってやってますけど、大概コメントで来るのも、その社会学って話のネタの面白さ、ネタの面白さというのは社会学として語る化粧の厚みみたいなところで大概査読されるんですよ。そうすると立岩さんところの院生は論文投稿してもみんな落ちて、それで「査読の意味がわかりません」つって立岩さん解説して、で、解説してるけど更に混乱して、で、だいたい学会誌をやめて学内起用にしていく(笑)。[03:36:10]

立岩:大学の教員になろうと思ったらそれじゃだめだけど、社会人で論文一個書いてそれを本にして、もういいっていう人はいいんです。違うんだから。そりゃそうですよ、大学教員になろうと思ったらある程度オールラウンダーになって、理論的ななんとかとかある程度知らないと、そりゃ教えるってことができませんので。でも、もうこれが一生の成果ですっていう人にそんなことを求める必要もないし、時間的な余裕もないし、それはもう。だからもうコースに行って、これからどういうことしたいのかで変えればいいんですよ。それをさっき天田さん言ったけど、でも、そこを一律に見ちゃう人もいるっていうそういう話です。

天田:たぶん一律に見ちゃう人は、その一律というか自分の見方のほうは面白いと思ってるんですよ。つまり、物を、さっき言ったように、じゃあなんである言説とか物言いが、あるいは知られてることが、ある領域ごとに枝分かれ、業界に枝分かれしてるのかっていうことのほうを考えるほうがよっぽど面白いっていうふうに。より頭を使う作業のほうが面白いっていうふうに考えてるんで、そう思ってしまうけれども。

司会者:それもでも凝り固まった考え方ですよね。

天田:けど、知らないことを知っているっていうことのほうが大事なこともあるので。そうすると人によっては資料をただたんにコピペして多少の考察を加えただけじゃないかっていうふうにして怒りだす奴がいて、「資料を並べるな」っていうふうに言う人がいて。けど、資料を並べただけ立派っていう(笑)。

同席者:そうですね。それまで誰もやってこなかったんだったら、それは、

立岩:僕がよく言うのは一巡目ならいいと思う。二巡目はだめだと思うのね。二巡目からはなんか色つけないと。

天田:化粧をしないとね。

立岩:化粧をしないとだめなんだ。だけど一回目は許される。

天田:すっぴんでもいいんですよ。

同席者:実際問題誰もやってこなかったんだったら、それはやっぱり価値がある仕事だと思いますけどね。

立岩:いいんですよ、一回目はね。一回目だから、あなた一回目だから***(03:38:45)。でも一回目は大切で、一回目で嘘書いたらだめなんですよ。二回目、二巡目からみんな嘘書くでしょ。それはだめで、やっぱり一回目書く人はそれなりの責任ってものがあってさ、解釈がどうとかこうとかっていうよりも、やっぱりちゃんと集めてちゃんと書いてくださいってことは言う。

同席者:それは大切なことですよね。

立岩:愚痴を沢山語ってるな。また来週から新しい***(03:39:21)。年度変わるから。

司会者:そうですよね、今ちょうどそういう***(03:39:28)時期で。

天田:元同僚だから言うわけじゃないんですけど。ただね、立岩さん、先端研にいる人たちってやっぱり皆、教員はいい仕事をしてきた人たちであることは間違いないわけで、冷静に他のファカルティメンバーっていうか、同じ教員のメンバーと比べてもユニークな仕事をしてきたのは間違いないわけで、その人たちから見て、ああしたほうが面白い、こっちのほうに鉱脈があるっていうのもわからなくはないんですよね。ただ、その鉱脈を発掘するだけの力とエンジンを搭載してるかっていうと言われたほうはそうではなく、違う方向を進んでいて、そっち、別の、言われた方向に進んでくエンジンは搭載してないっていう。[03:40:29]

立岩:太田は何書くんですか? 太田の本は***(03:40:50)。

同席者:うちの編集の1年先輩のさとうっていう者が担当してるんですけど、今までの『ユリイカ』中心に寄稿していた物を中心に集めて書き下ろし加えて。

天田:ジャニーズ? また。

同席者:ジャニーズではなくて、わりと『ユリイカ』中心なので、わりとテーマとしてはいろいろ、こうなんですけど、平成におけるテレビ文化を総括するような感じの内容でっていう形でまとめるっていう、そんな感じですね。

立岩:全然そっちのほうがはまってる。テレビ東京に山本さんっていう僕らの…、太田も僕と同じ指導教員、訳わかんないですけど。それはね、テレビ東京の話書いてて、それ面白かったよ。あの本の中でも一番面白かったかもしんない、太田の奴が。ああ、そうだな、テレビ東京って、テレビ東京のドラマってこんな感じかな、そう言えば、みたいな。面白い本。奴はそれで、それだけである意味食ってるから、まあ偉いっちゃ偉い。変な奴だったけど。でも変わんないな、ああいう感じですよ、だから。

同席者:さとうが、会うたびに立岩さんの話をするっていうふうに言ってましたよ。

立岩:そうですか、へえー、そうかな。***(03:42:15)。でもまあ同級生でした。

司会者:今なんか話してみたら、どんな話が出てくるか面白そうですね。

立岩:いやなんか、ぼつぼつぼつぼつ、基本喋るとぼつぼつぼつぼつって、たいした話はしないな。今、天田どこに住んでんの?

天田:僕は多摩センターです。

立岩:多摩センター、大学から近い?

天田:すぐ。

立岩:京王?

天田:京王線です。

立岩:京王だよね。中央大って行ったことあるかなあ。

天田:立岩さん、もしかしてあるとしたら、昔、日本社会学会が中央大で10年ぐらい前にあったんで、その時とかは。

立岩:法政は行ったけど、それもっと前だ。中央大、***(03:43:17)中央大だったかな、違うか、もう忘れた、まあいいや。中央、山田とかいたよね。あれどうした?

天田:いますよ、今も。なかなか、なかなかで、困った。

立岩:困った人。ちょっと、ちょっと困り感ある人だよね、あれ。

天田:あえて言うなら奥村さんと正反対みたいな、そういう。正反対でも、なんて言うかな、自分の与えられた仕事だったらやるんだけども、それ以上の仕事はなかなかしないっていうか。

立岩:おおさわとかめっちゃ馬鹿にしてるの、「あいつは頭悪い」とか。でもなんかメジャーになりやがってみたいな、「なんだよあいつ」って出て行ったって。まあそんな感じで、まあいいや、そういうゴシップは。

天田:いやだけどまあ、その言い方がどこまで適切かわからないですけども、その感じはありますね。

司会者:今回、話し相手は天田さんが良かったっていうことなんですね。

天田:いえいえ、そんなことないです。

立岩:だけどこのネタってそんなに誰とでも話せる話でもないと思うんですよ。熊谷さんぐらいですよね、またちょっと***(03:45:02)的な。あとだから6月にその『夜バナ』の渡辺さん、それはほんとにその本がどうとかってよりは、もうちょっと広い、広いっていうか、そんなもんですけれど。[03:45:15]

司会者:そうやって映画にもなったりしてるし、やっぱりみんな知りたいことではあるんでしょうね。

立岩:どうなんだろうね、知りたいかどうかわかんない。

司会者:なんかちょっと、怖いとか、なんかこう知ったらつらい気持ちになるんじゃないかみたいなのもありつつ、でもちょっと知りたいのかなっていう。わかんないけど。

立岩:大泉洋、そんなに好きじゃない、みたいな。

司会者:(笑)そこはあるかもしれないけど。

立岩:うるせー。なんかね、映画観た人によれば、映画意外といいって言ってました。だけど、あんな声出ない、筋ジスの奴がみたいな、あんな大きい声出るはずがないっていうのはみんな言ってる。実際そうなんだよ。呼吸が弱くなるってことは、そんなに強い言葉で喋れない。大泉ってやたらはきはきしてて、声でかいじゃないですか。ああいう感じだから、だいぶだからイメージ違うよっていう話は聞いたことがある。映画は観てないからちょっとノーコメントです。愚痴をいっぱい言えて楽しかった。

司会者:そうですか。愚痴をいっぱい言えて、良かったです。

立岩:ほんの30分ぐらいです。

天田:たぶん立岩さん珍しいほうだと思いますよ、だけど。社会学者として、いろんな社会学者、自分で言うのもなんですけども、たんに研究だけじゃなくて、さっきの奥村さんの話も含めて仕事ぶり見てきましたけど、立岩さんのようにとにかく『生の技法』でやったような、いわゆるそのちゃんと善し悪しを問うんだって話と、だけどそれで終わる人が多いわけですよ。例えば倫理学者とか、倫理哲学の人とかって善し悪しを一定度語るので、そこでやるけれども、ディティールみたいな物を知りたい、あるいは、さっき言った脱走話を面白がれる社会学者っていうのはけっこう少なくて、それは立岩さんのほんとユニークな特徴だと思いますよ。普通その話して、ほうほうほうみたいな、聞くのっていうのはたぶんレアで。で、例えば今回の例の優生関連で裁判になってることに対して強くコミットする人はいるけれども、そうじゃないところで、小さな小ネタみたいな話をほうほうほうって、それはこうで、っていうふうに組み立てる人っていうのはなかなかいないなっていう気がします。

司会者:人? 人好き? 人好きじゃないけど、なんか、人間、何だ?

立岩:人好きじゃないと思った。人間そんなに好きじゃない。

天田:人間好きだったらね、ライフストーリーとか語ってるはず。立岩さんね、人好きていうか桜井厚的な関心では全然ないです。

立岩:桜井厚とかなり違うと思う。

天田:人の話を耳に丁寧に傾けるという、そういう感じではない。

司会者:なんだろう、じゃあ。

天田:どちらかと言うと、自分の、それこそ知らなかったことを知ることの喜びのほうが立岩さんは大きい。で、自分の、立岩さんのいいというか面白いところは、偉い学者が言ったことと、ラーメン屋の店主が言ったことと、障害者の有象無象等介助者が言ったこと、基本的には等価で考えていて、その中で誰が一番マシなことを言ってるかってっていうところで考えているところが面白いところ。

同席者:それはほんとにそう思いますね。

天田:立岩さんにとっては、その有象無象が言ったこと、障害者の生活保護を取るのに、なんかちょっと顔強面の奴連れてって、そこであれこれして、だけど、物は書いている人とかっていう人と、例えば誰でもいいですけども、社会学者なり哲学者なり、別に海外だろうが日本だろうが、言った人間は基本的に同じポジションにあるっていうか、よりマシなことを言った人。

同席者:それをマシなこと言ってるっていうことをちゃんとやっぱ判断できるっていうことは、本当にすごいですよね。[03:50:02]

天田:それは立岩さんの特徴だと思いますね。下手すると、もっと言えば、学者のほうが簡単に言うと自分の仕事として食ってるんで、切実度から言ったらね、生きるか死ぬかを問われてる当事者のほうがよっぽどまともに考えてる人たちは多くてっていう、そこの部分はあると思いますね。で、違う道っていうか、あえて大変でも施設から出て物を考えた人、学がなくても自分であれこれを総動員して考えた人のほうが、基本的にはあれこれ考えた上で分があるっていうか、そう思ってるところがあると思いますね。別にそれはたんに関わって、共感とか共鳴したっていうんじゃなくて、言説の中身を見てこっちのほうが分があるだろうっていう、そういう感じですね。

同席者:それはほんとにそう思います。

天田:あえて言うなら、立岩さんがやってるわけじゃないですけども、大分の反原発運動をしたおばちゃんと高木仁三郎が同じ位置にあるっていうか。

立岩:そっか、高木さんの。そうだよな。

天田:いい仕事ですよね。

立岩:書いてないね、高木さんについて。

天田:なんであんなことをやらないんだろうと思いますね。宇井純も含めてちゃんとやったほうがいいと思いますね。あと、ちょっと思うのが、鶴見良行とかの含めた仕事をもう少し誰かが語ってもいいなあっていう。

立岩:北大にいる宮内って人。

天田:宮内でしょ。

立岩:宮内は鶴見さんと関係があったんだよね。

天田:だからあの系列? あの仕事も地味じゃないですか。基本的にバナナ追っかけたり海老追っかけたり。どうでもいいっていう人はどうでもいいけど、ただ大切な仕事でもあって。で、宮内さんなんかの仕事もあるけど、その後がないですもんね。今あんな地味な仕事やる人がいるかって言うと誰もいないみたいな。

立岩:これやったらそうだな、まあいいや。でも、だいぶ、今度誰来るのか忘れてるから、顔見て考えよう。

司会者:いろいろまだあるんですね、いろんなテーマがね、やらなきゃいけない。

立岩:テーマありますよ、いっぱいありますよ。

天田:山ほどあると思いますね。

立岩:指定していいんだったら、***(03:53:05)いいですけど。それは基本はしない。だけど、世迷い人みたいな、いるじゃないですか。だからそれは、これ読んだらいいっていうこと言います。

司会者:だって、あれですよね、社会学じゃなくてもいいってことですよね。

立岩:なんでもいいです、なんでもいいです。

司会者:テーマを求めてる人はいると思いますけどね。

天田:ほんとはね、いい悪いっていうか、どれほどのコスパなのかっていうのは考えなきゃいけないけど、立岩さんみたいに考える人はほんとはラボ体制にして、お前はこれ、これ、これってやったほうが実は合理的なときがあるんですよ。

司会者:頼まれた人も嬉しいかもしれない。

天田:で、基本的に立岩さんところで、あ、面白いと思って迷い人が来たら、じゃあこれはチームプロジェクトAで、Aの1君仕事、Aの2君仕事、Aの3君仕事っていうほうが隙間がなく埋まっていくっていう意味では、実はけっこう面白い。

同席者:プロジェクト向けの仕事ですね。

司会者:それを安価でいいから『ユリイカ』で書く、なんとかで書く、みたいな連載みたくなっていけば否が応でも書かざるを得ないみたいな。

天田:そういう意味では隙間はなくなっていくんだ、絶対そっちのほうが。だけど、それをやってしまうとね、ムラがあったり、必ずしもプロジェクトをAの1、Aの2、Aの3みたいな、あるいはBの1、Bの2みたいにうまく割り切れる話でもないので。

同席者:そうなんですよね。本当にその人に書ける、100%出し切って***(03:54:50)。

天田:あと資料のムラとか、いろんなこう、調べることの手間暇とか、いろんなこともあるんでね。[03:55:00]

同席者:そうですね、グラデーションが出てきます。

立岩:できることは、さっきの透析の人みたいに、同じ透析だけど、こうじゃなくてこういう調べ方でいこうかとか。あと、でもいますよ、こういうのに漠然と興味ある、具体的に何調べようかっていうので。でもこっちも思惑もあるわけだ、さっき言った金沢の病院から出てきた古込さん、45ぐらいの人、僕もインタビューしたけど、その人のことで僕はずっと書くつもりはないから、だから「一緒にインタビュー行こう」とか言って、二人で行って、それを彼女、坂野さんっていうんだけど、論文に使ってもらった。で、僕のデータは使っていいし、僕もでもあなたの論文は使わせてもらう、そういうやり方。彼女は最初から何したいって言ってたっけ。忘れた。でも、今はそういう、ね。全然まだ頼りないけど、あと何年かやればなんとかなるんじゃないかなと思うことにしている。思うことにしないとね、あの世界は。まあそのうちなんとかなるだろう。なることはなるんですよ、多くの場合は。なんないこともあるけどさ。いいんですよ、それで。

天田:立岩さんがそれで、「これやっときゃ大学の研究者になれるから」つったら絶対嘘だけど、「詐欺師!」ってなるけど。それ立岩さん絶対言わない。

立岩:博士論文は書ける、本は一冊できる。そこまではやります。

天田:間違っても、これやっとけば最低立命の教員にはなれるからとか。

立岩:あれなってほしくない。

司会者:そうですか。

立岩:職のある人はいいわけですよ、あるいはもうリタイアした人もいいわけですよ。そういう生活の後の心配しなくていいじゃない。だからそういう意味では僕ら楽なんですよ。一番面倒くさいのはだから若い、他に飯の食いようがない奴にどうするかっていうことのほうがよっぽど気が重いっていうか。意外とでも、誰も就職なんかしないと思ってたけども、

天田:まあまあね。しかもね、こないだ大野さんから雑誌送ってもらったけど、新曜社から、ああいう、

立岩:ああ、社会運動史。

天田:そうそう、社会運動史。ああいうの出すの、彼、立派だと思いますね。で、いろいろ思ってることがあって、小熊英二に対して喧嘩売りゃあいいと思ってて。そりゃあ重要だと思ってて、小熊さんじゃなきゃ書けなかった距離感とか時代の時間とかってあって。ただ、1968に対してそう単純なこと言うなよっていう次の世代があってよくて、それってプロダクティブだなって気はするんですよ、全然。健全な意味でプロダクティブって思うんですよ。

立岩:大野くんも、でも、大野っていうのは、ベ平連って昔あったんです。それこそ神楽坂に事務局があるんだけど。そこのなんだっけ、事務局長、博論はそれで書いたんだけど、3年ぐらい前かなあ、その事務局長さんから連絡があって、引き取ってほしいって。さっきの話ですよ、本を。ほんで大野くんと二人で。今、西東京市かな、田無とかそういうとこです。行って、もらい受けて、で、彼が持ってる。で、その方なんてっけな? もう翌年に亡くなられてる。そういうことなんだよね、資料って。だからその年にいただいて、何かって言ったらお連れ合いの方が亡くなられ、で、自分も身体、そこそこ悪いと。だからもう本、【有料老人ホームだったかな】(03:58:43)、まあとにかく行くと、山ほど本があり、CDがあり、CDは音楽CDで、まああれですけど、それ以外の***(03:58:52)介護保険であるとか、そういう、いっぱいあって。小説はいいけど、だけどっていうんでもらい受けて。で、それをもらったのが3年前の夏でさ、で、その方はその次の年に亡くなってます。でも大野も悪いんだよ、大野も僕の個人研究室に山と積まれてるわけ、その本が。僕はその部屋に踏み入れ…。で大野も、「私もう来月から資料の整理始めます」とかってさ、でも3年、2年ぐらい手ついてない、そういう感じ。

司会者:ああ、一生、一生開かないかも。

立岩:一生開けられないかも、入れないかもしれない。そういう感じで。だから、たまにだけど、そんなに俺面倒見よくないから、たまーにだけど、一緒に荷物もらい受けに行ったり、一緒に行ったりたまーにやってる。いやでも面白かったよ。なんだっけ、今、名前出てこないけど、その人社学の、社会学科の大先輩だっていう。で、部屋行ったら日高六郎の奥さんが作った額みたいなあって。それから、なんだっけ、農村社会学の、だからその東大の時に共産党の活動かなんかでパクられて、それで留置場かなんか行ったら、なんだっけ、あの人、農村社会学の、東大の社会学の人が差し入れに来たとかいう話を茶を飲みながらしてて、[04:00:28]

天田:ありがとかじゃなくて。

立岩:ありがじゃない。

天田:誰だろう。

立岩:生協連の理事長とかやった人。社会学会の会長もやってるよ。とか、その手の話を聞けて面白かったけどね。それはそれで面白かった。

天田:そうですね、それは思いますね。いや、学生運動の時の日高六郎の動きとか、それはもうほんとに誰か書いたほうがいいと思ってて。マックス・ウェーバーとかの研究するならそっちやれと思ってて。

立岩:僕はだけど、大学3年生の時かな、五月祭に日高六郎呼ぼうっつって、日高に、僕じゃないけど連絡取ったの。そしたら「まだ行きたくない」って日高さん言って。で、来なかったんだけど、そういうことあった。

天田:***(04:01:18)。うーん、面白い。

立岩:富永健一じゃねえや、なんだっけ?

天田:富永健一、こないだ死んだ。

立岩:死んだ?

天田:こないだ亡くなりました。

立岩:院生の時に、学部から院生、全部で10年ぐらいいたけど、一言も喋ったことはない。

天田:そりゃそうでしょうね。

立岩:あ、そうなんだ。

天田:つい、だから1ヶ月、2ヶ月前です。

立岩:これでもう、誰もいなくなったに近いな。***(04:01:59)生きてる。

天田:生きてる(笑)。まだ健全に、フランス辺りをうろうろしてるって。

立岩:ああそうなんだ。すみません。

天田:どうでもいい話を。

立岩:飲んだぞ。

司会者:飲みました。

立岩:僕はなんでも全部飲んで、さっきもその話したんだけど。あのね、酒を残すっていう行為が僕的には唯一反倫理的だという。

司会者:私も同じです。

立岩:これは残していいよね。

天田:他は大概許されるけど。

立岩:それさえ守れば大概のことは許す。

司会者:すごい気が合いそうです。

立岩:そうなんです、だから酒は残さない。宴会の酒とか、人の酒飲んでる。飲んだので思い残すことはあまりない。

司会者:今日はもうお帰りに?

立岩:今日帰ります。***(04:03:30)そのさあ踊りあり、なんか意味わかんないね。優生保護法の踊りってなんだよ。全然わかんない。あとでもね、変なの、僕の知り合いで、関西そういう人…、筋ジストロフィーで、もう何年も前に亡くなった人、書を書いてたのね。いいですよ。字がわかる人もあればほとんど絵っていうか、大きいの、いっぱい。その人の遺作っていうか、も展示してっていうか。意味わかんないよね。

天田:それは利光さんではなく。

立岩:利光さんは喋る。利光さんは講演する。その前に歌って踊れる、踊れる弁護士とか、なんか暗黒舞踏系の舞踏家とか、いや、それは和田さんは違う、弁護士違うんだけど。他はなんか***(04:04:20)。

天田:地下弁護士みたいな人(笑)。

立岩:よくわかんない。普通のすごい折り目正しい感じのいい感じの人なんだけど。京都ってそういうとこなのよ、そういう人が。変なとこ、変な人が寄せ集まってる空間みたいなのが***(04:04:38)あるんだけれども。で、もう意味わかんないじゃないですか。そうするとうちの院生、企画してくれるって、僕はあまり企画したくない人なんで、面倒くさいんで、手間もかかるし、しないんですけど、その変な院生がそういうのとかして。でもほら、訳わかんないじゃないですか。まとめる、まとめろっていう仕事を僕にくれて。なんかして、秩序っていうか、なんか言えって。後半の司会みたいなのやらされて、「俺、明日オリエンテーションだし」って言ったら怒られて、「だめです」って。[04:05:11]

天田:教員としてあるまじき。

立岩:オリエンテーションさぼって、その企画の。わかんないよね、だけどさ。

天田:あれ、立岩さん今、研究課長西さん?

立岩:小泉だ、小泉、小泉まだやるよ。小川さんが、小川さんが、えーっと、3月31日。

天田:小泉さんに小言言われなかった?

立岩:言われた、小言言われた。「この野郎、おめえ」みたいなこと言われた。

天田:小姑みたいな小言言うからね。

立岩:そうそう、ちょっと小姑みたいなんだよね、あの人ね。

天田:ほんと小姑なんだよ、あの人。

立岩:言われたよ、「ごめんね」つって。「俺、代わりに言っとくから」って、「どうせホームページ見ろとかしか言わねーんだろ」ってとか言われて、「そうですよ」って。「じゃあ代わりにやってくれますか?」って。だいたい僕短いんですよ、30秒ぐらいで。「社会学やってます。あとはホームページ見てください」、10秒ぐらいですよ。

天田:立岩さんって、「ホームページ見てください」の間に「勉強してください」が入るんですよ。

立岩:そうですね、社会学やってます、皆さん…。3分ぐらいで終わる。じゃあ岸に言わせよ、明日。それでいいです。だから明日だから無秩序に、

天田:立岩さんはほんと代読で十分です。

立岩:今日のうちに岸さんに言っとこ。それを言え、3分台で3つ。大役じゃないんだけど、そういうのが意外と多いね。結局その、なんでもいいからまとめられる、そういう仕事を振られる。ああ、愚痴をいっぱい言ったぞ。

天田:立岩さんあれですか? 僕思うのは、立岩さんさっきもさ、有吉さんの研究も含めて、***(04:07:18-04:07:53)、院生の中でどういうふうにしてライフストーリー系の人たちと立岩さんの仕事つなぐ***(04:08:03)。

立岩:ライフストーリー系の人がけっこういるには…、少なくとも希望する人はいる。そうすると査読までいくかどうかはそれまたちょっと別の話だが。

天田:だから、いい悪いは別にしてライフストーリー系の人たち、生活史系の人たち、エブリデイライフ系の人たちが来たときに、一定の社会学の化粧をすれば最低限の勝負はできるじゃないですか。それでいくのか、「いやいやお前はこっちの道行け」っていうのはかなり覚悟というか、【土俵】(04:08:34)が違うじゃない。

立岩:これはまあ、ライフヒストリーていうか、そういうのがヒストリーでも知らないけれども、やる人は、基本それはやれば。基本は***(04:08:45)、あまりできない場合もあるし。領域再編って話もあってさ、小川、西ていう組み合わせも今浮上していて。ていうか小川さんと***(04:09:05)ちょっと、ちょっと。

天田:だけど、ほら、小川、西、***(04:09:09-04:09:18)。それってなんかこう、伝承不可能。

立岩:伝承不可能かなあ。

天田:西さんよりも、僕、実は伝承不可能だと思ってて。西さんもまだ***(04:09:30)。

立岩:でもさ、そりゃそうなんだけど、でもエチオピアの話じゃなくてタンザニアの話***(04:09:39)。それならどうよ。***(04:09:45)。それは目をつぶる。

天田:中国の話とかね。

立岩:中国の話になって、台湾の、

天田:***(04:09:57)の話でね。

立岩:そうそうそう。それじゃあだめだろうか。だめだね。[04:10:05]

天田:***(04:10:07-04:10:28)

立岩:どうせいっぱい来るからさ、みんな適当に、その都度的な話になっちゃうよね。

天田:超適当。超適当。なんくるないさー的な(笑)。

立岩:しょうがいないよー。そんなもんだよう。

天田:ほんとにそれは思いますよ。ただ、病の領域、僕ね、沖縄も***(04:11:11-04:11:33)沖縄社会学会とか。

立岩:沖縄社会学会立ち上げちゃったでしょう。

天田:うん、岸さんやってる。それは大切だなあと思ったんだよ。そう考えるとこの20年、四半世紀、社会学者は何をしてきたのかっていう。よく知らないですねえ。社会学者は何をしてきたのか、大問題は。

立岩:こんなに面白い物が山ほどあるって***(04:12:07)。

天田:社会学者の仕事として、ああ、これは立派だなっていう研究があったかな。

立岩:東京はでも、ほぼ満開だね。京都これから。京都のほうは少し。

天田:そうなんですか。東京が一番***(04:12:59)。でも九州が早いです。立岩さん桜っていっても、丸山公園の桜とか行ったことあります?

立岩:あることはあるよ。枝垂れのおっきいやつとか行ったことありますよ、一応。

天田:そうですか。なかなかね、京都にいながらも、桜の時期って混んでるし忙しかったりするので、***(04:13:32)なかったりしますけど。

立岩:桜はいいよ、見ながら酒を飲むのがいいよ。いいじゃんなんか、陶酔するよね、なんかこう花見ながらさ、いいじゃんみたいな、いいじゃん花みたいな、普通に。どうもありがとうございました、長々と。

天田:ありがとうございました、長々と。

司会者:いやいや、そうですね、すごい長々と。それこそ足止めを。

天田:対談に関する話はほとんどなく(笑)、ほとんど愚痴話で。[音声終了]


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声と姿の記録  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇立岩 真也 
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