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社会経験生かす大学院

立岩 真也 2008/10/04 『朝日新聞』2008-10-4朝刊・京都:31 コラム「風知草」1
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  *題は編集部による

  「先端総合学術研究科」という意味不明な名前の大学院の教員をしている。その私たちのところに限らず、このごろ大学院にやってくる人の多くが「社会人」だ。私の勤め先でも3割から4割ぐらいがそんな人たちだ。そして私は、それはよいことだと思っている。
  一つ、研究者を本業にしようとする若い人に応ずるだけ研究職に空きがなく、結果、あぶれる人が出てくる。別に仕事がある人が来てもらわないと、ますます研究職に就ける人の割合が低くなる。他方、職をもつ人やもう退職した人なら就職を気にせずにすむ。そんなあられもない事情もある。
  ただそれだけでない。とくに私がやっている社会学といった学問は、社会を相手にする。社会での経験があり、それがおもしろいことで、書いたらおもしろいものが書けるということがある。
  「オリジナリティ」を求められるのが学問だとされる。研究者になろうという人には、自分の思いつきがじつはもう言われていることを知って、困ってしまう人がいる。だが、じつはこの世には、人が調べたことのない領域、書いたことのない事実がたくさんある。どの辺りに「空き」があるか、それなら私たち研究者はある程度わかるから、伝えることができる。
  だから「手持ち」がある人がよい。勉強のため「生涯学習」のためにというのはあまりおすすめしない。そこは、基本的に、教わるところではなく、自分で作るところだ。なにかを習う場所としては親切なところではない。それなら朝日カルチャーセンターがよい。
  各自の場で活動し知識を得てきて、それは大切なことなのだが、そのままにすれば、一人の記憶の中にとどまる。「自分史」の書き方を教えてくれる場もあるが、それだけではもったいない。新たに調べることもあり、そこから言えるはずのこともある。そんな思いをもつ人に応じたいと思う。
  私たちは今、研究費をもらって「生存学創生拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造」というプロジェクトを進めている。この主題について学問には実はたいした蓄積がない。他方、例えば難病者の組織で活動してきた人がいる。その人について条件は既に満たされている。そしてそれには「社会的意義」がある。ならばよし、十分、ということになる。あとは、それに何を加えるか、どんな組み立てで書いていくか、どんな具合に人に伝えるか。そんなことなら、私たちもすこしは手伝える。

 *題名は新聞社による

◆2008/10/04 「社会経験生かす大学院」
 『朝日新聞』2008-10-11朝刊・京都:31 コラム「風知草」1
◆2008/10/11 「「障老病異」個々で探究」
 『朝日新聞』2008-10-11朝刊・京都:31 コラム「風知草」2
◆2008/10/18 「良い死?」
 『朝日新聞』2008-10-18朝刊・京都:31 コラム「風知草」3


UP:20081014 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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