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節約への熱情について
立岩 真也
2008/06/09
『京都新聞』2008-6-9夕刊:2(現代のことば)
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悲しいことは様々起こる。圧倒的な災難に立ち向かうのは困難だが、しかしそれは立ち向かうしかない。他方に、笑ってしまおうかと思うが、しかしそうもいかず、そのことが悲しいこともある。地方自治体の財政のことだ。その問題というより、それを問題にし、節約してなんとかしようとしていることである。
北海道の夕張市の話がなにか運命的なこととして伝えられ、それに抗する市民たちの悲しい奮闘ぶりが報じられる時も悲しかったが、今は隣の新しい知事の奮闘が毎日伝えられているようだ。
その人は興奮している。たしかに私欲から節約を進めようとしているのではないだろう。その人は正しいことをしていると思っている。
すると、この事業は大切だ、この施設は大切だ、この金が切られるとこんなに困ったことになると人々は署名を集め、訴える。自分たちの施設は他に比べてこんなに大切だと、これがなくなると他の人たちよりこんなに困ってしまうと語る。知事を強く批判もするが、その人は正しいことをしていると信じているから引き下がらない。にこにこ笑ってとりあわない。あるいは興奮し涙ぐみ自らの正しさを言い張る。そこで仕方なくその人に哀願することになる。
そんなことになってしまっている。そのことがなんの批評も加えられず報じられる。その奮闘に肯定的な伝えられ方さえあるようだ。
しかし実際に借金はあるではないか。こう言われるだろうか。それに対して、本来ならまともな経済学者や財政学者が応ずるべきだろうが、ごく基本的なことなら私も言える。つまり、金の出し入れの仕方を間違っている。
一つ、地方分権とかいって、国が出せばよい金を出さなくなった。国がするべきことをしなくなった。一つ、金がたくさんある人から多めにとるという、税が本来もっている機能を弱めてしまってもう久しい。しかしそのことを知らないか、忘れている。そのことを指摘すると、景気のためには今のような徴税の仕組みがよいのだと返してくる人もいるのだが、そんなことはないと私は考える。すくなくとも議論してよいことだ。
とくに過疎化し、高齢化が他より進んでいる地域において、今の金の集め方でうまくいかなくなるのはまったく必然的なことであって、そのことについてそれら地域はなんら責めれるべきところはない。そうすっきり割り切って、あるいは論点をはっきりさせて、次を考えればよいのに、そうなっていない。
加えて、例えば大阪の場合であれば、間違ったものに金を使ってしまった。そんなことをしなくてよいのに、儲けるつもりで多額の金を使い、逆のことになった。株式投資家なら投資した一部を失うだけだが、納税者は損した分を引き受けさせられ続けている。おかしなことだが、たしかに借金はあってしまっている。どうしたものか。
このことについては私に妙案はない。ただ、これは経済学者の多くが常識として語ることだが、借金を繰り延べていくこと自体はそうわるいことではない。そうした常識的な冷静ささえ欠いた情熱家はうっとうしい。
◆2008/04/03
「「社会人院生」」
『京都新聞』2008-4-1夕刊:2 現代のことば,
◆2008/01/30
「学者は後衛に付く」
『京都新聞』2008-1-30夕刊:2 現代のことば
◆2007/11/27
「大学院を巡る貧困について」
『京都新聞』2007-11-27夕刊:2 現代のことば
◆2007/10/03
「研究費の使い途」
『京都新聞』2007-10-3夕刊:2 現代のことば,
◆2007/08/03
「削減?・分権?」
『京都新聞』2007-8-3夕刊:2 現代のことば,
UP:20080525 REV:0527(誤字訂正)
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