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削減?・分権?

立岩 真也 2007/08/03
『京都新聞』2008-08-03夕刊:2(現代のことば) http://www.kyoto-np.co.jp/
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  選挙の前にこれを書いているのだが、与野党の対立の構図が鮮明に、などと言われるわりに、皆が同じ話をしていると思う。つまり、とにかく無駄使いを減らします、節約します、歳出削減をしますという話をしている。もっと違うことを言えばよいのにと思う。
  節約はよい。しかし、冷静に考えれば、それで減らせる分は、また減らすべき分は、たかがしれている。そして、さらにまずいのは、そうした風潮の中で削るべきでないところが削られてしまうことだ。
  代わりに、取るものをきちんと取ればよい。私はそう思う。すると、とてもそんなことは納税者である有権者には言えないと、政党や候補者に返されるだろうか。しかしそんなこともない。これは別に書こうと思うが、課税の累進性、つまりたくさん持っている人がたくさん税を出す仕組みをきちんとさせればよいだけのことだ。多くの人が忘れているが、この国はしばらく前に累進性を緩めてしまい、そしてずっとそのままにしてきた。そんな方向を進んできたのはアメリカと日本ぐらいのものだ。さしあたり課税の仕方をもとに戻すだけでもかなりのことができる。だからそうします、とすなおに言えばよいのにと思う。
  そしてもう一つよくわからないのは、なんでも地方分権ならよいことになってしまっていることだ。
  その土地の人がよく知っていて、その土地の人が決めた方がよいことがたくさんあるのはもちろんだ。しかしだからといって、税金を小さい地域単位で徴収するのがよいことにはならない。またお金のあるなしは土地によって違う。それを補整することはその土地の中ではできない。高齢者の割合など人口の構成も違うし、産業も違う。地域間に格差が出るのは当然である。たとえば人の数がとても少ない中で、やっかいな病気を抱えて生きていくのにたくさんのお金が必要な人がいると、財政的に厳しい、お金が出せないと言われる。それでその人は死んでしまう。実際の話だ。そもそも、生活保護といった制度を地方に委ねてしまうのがよい理由などない。それはかえって地方の力を弱くする。
  もちろんそれに対してはいろいろ手を打っていると言われるのだろう。ちかごろも自分の出身地に税金を納めてよいようにするといった案が出された。わるいとは言わない。しかしめんどうだし、結局、格差がきちんと是正されることにはならない。誰もがわかることだ。
  代わりに、広くから集めて、少ないところに渡す。本来はその単位は国家でも狭すぎるのだが、とりあえずは国がその単位になる。そして建物や事業でなく人に、個人に渡す。そうしたらよいと思う。
  それは国の権限を強くしてしまうことになるだろうか。たしかに動く額は大きい。しかしそれは右から左に動くものが大きくなるというだけのことである。お金を動かすこと自体にはそう手数はかからない。簡単なきまりを作ってあとはきまりどおりにやるだけなら、行政コストはかからない。どこにどれだけ渡すかを決められる権限を小さくし、いばる人を少なくすることができる。
  この9月に「障害学会」という学会の大会がある。立命館大学(二条駅近くの朱雀キャンパス)が会場になる。その一日めの十六日に、そんなことをテーマにしたシンポジウムを行なうことになった。その詳細は、私たちの「生存学創成拠点」のホームページで見ることができる。「生存学」で検索すると最初にそのホームページが出てくる。

◆2008/01/30「学者は後衛に付く」
 『京都新聞』2008-1-30夕刊:2 現代のことば
◆2007/11/27「大学院を巡る貧困について」
 『京都新聞』2007-11-27夕刊:2 現代のことば
◆2007/10/03「研究費の使い途」
 『京都新聞』2007-10-3夕刊:2 現代のことば,
◆2007/08/03「削減?・分権?」
 『京都新聞』2007-8-3夕刊:2 現代のことば,


UP:200708 REV:20070804(誤字訂正)
中央集権/地方分権  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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