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科学技術社会論研究会

http://www.forumsts.org/

2004  2005  2006  2007 



Date: Fri, 05 Dec 2003 00:46:50 +0900
Subject: 「科学技術社会論研究会」参加を締め切りました

皆様

先にお知らせしました以下の研究会、すでに事前参加登録をいただいた
方々で定員に達しています。
ご予定の方には大変申し訳ありませんが、参加を締め切りましたので、
悪しからず、お願いいたします。
事前参加登録をいただいた方には、一両日中に、討議資料をお送りいたし
ます。事前に検討のうえご参加ください。
急ぎ、お知らせいたします。
事務局

Date: Fri, 14 Nov 2003 03:02:46 +0900
From: "NAKAMURA, Masaki"
Subject: 第37回科学技術社会論研究会のご案内

皆様

「科学技術社会論研究会」では、来る2003年12月13日(土)に、
以下のワークショップを行います。
ご関心をお持ちの方にご案内いたします。

準備の都合上、参加の方はお手数でも、10日前までに下記事務局
(担当中村)までその旨ご連絡願います。会の1週間前には、発表梗
概などの資料をお送りします。定員があります。ご承知おきくだ
さい。
また、終了後、同会場で簡単な懇親会(会費約1000円)があります。
研究交流を深められたらと思います。参加の方はこの点も10日前
までにお知らせください。

この案内は、転送自由ですので、ご関心の向きにお知らせください。

事務局では、随時、研究会企画の提案を受け付けています。
詳しくは、ご相談ください。

事務局

※ 今回の研究会については、諸般の事情により、木原氏にかわりまして
中村が連絡をつとめさせていただいております。
参加申し込みなどは中村(E-mail : nakamura.masaki@nifty.ne.jp)まで
ご連絡よろしくお願いいたします。


_____________________________________________________________________________

             第37回「科学技術社会論研究会」
  
ワークショップ「生命倫理の政治学」
             2003年12月13日(土) 9:45-17:30
         東京大学先端科学技術研究センター13号館 109号室


1.ワークショップの目的
脳死・臓器移植、生殖技術、クローン技術…、日本において先端医療技術の導入は、
そのつど論争が戦わされながらも、かみ合った論争とはなりえず結局は是認される、
という歴史を繰り返してきた。そして、今後も繰り返してゆく蓋然性が高いだろう。
それはなぜか。また、かかる論争過程において、生命倫理学はいかなる立場からど
のような役割を果たしてきたのか。さらには、政府・省庁、当該研究者、医者・患
者、男性・女性、マスコミ・ミニコミ、各種市民団体、アカデミズム…、これら個
々の存在とその連鎖的な関係は論争・導入状況に対していかに機能してきたのか。
こうした分析はきわめて重要な課題であるように思われるにもかかわらず、これま
で主題的に顧みられることはほとんどなかった。
そこで、本ワークショップでは、このダイナミックな問題系の分析に挑んでみたい
と思う。具体的には、『操作される生命』を著してこの種の分析の先陣を切った林
真理が脳死・臓器移植を、理論と実践の両面から特に生殖技術の問題に関わってき
た玉井真理子が出生前診断を、政府・省庁のいくつかの生命倫理委員会を皆勤で睥
睨してきたと言われる粥川準二がクローン技術を、それぞれ担当し、その上でアカ
デミズムの側から市野川容孝が、また在野の側から福本英子が、3人の批判的検討
をさらにメタ批判する。司会進行役は小松美彦が務める。
以上のような作業を通じて、先端医療をめぐる論争や政治的駆け引きなどを歴史的
に総括し、新たな生命倫理(学)の可能性と議論の地平を模索したい。蛇足ながら
本ワークショップで論議の主要対象となるのは、各先端医療とその導入の是非では
なく、導入に帰着しがちな論争の歴史構造である。


2. ワークショップの時間割

9:45-10:00  ワークショップ主旨説明  小松美彦(東京海洋大学)
10:00-11:15 話題提供1 (討議25分を含む・以下同)
    林真理(工学院大学)
      「生命倫理の歴史学に向けて−日本における脳死移植問題を例に」

ある技術が、ある社会において成立するかどうか、あるいはどのような形で成立する
かは、その社会の様々な条件要素に依存していると考えられる。そういった条件とは、
技術を開発、維持、改善していく体制だけでなく、技術に対する人々の期待や希望、
技術の使用を正当化する手続きといったものも含まれる。そしてさらに、近年重要性
を増してきているのは、技術とその使用に関する倫理的(といわれる)解釈である。
本報告では、日本において脳死移植が(限定的にではあるが)受け入れられていった
過程を追い、(受容の是非について考える以前に)どのような形で受容がなされてい
るのかということを考察したい。とりわけ、生命倫理学的と言われる言説がどのよう
な機能を果たしたか、あるいは果たしうるのかということを考えたい。また倫理的言
説や、倫理的言説を担う人材および組織がどのようにして誕生し、また技術の展開の
中に巻き込まれるようになっていったかという問題関心を提起したい。
生命倫理の世界では、今でもヒト胚研究、治療クローンなど新たな課題が次々に投げ
かけられており、そういった新しい問題に対応する作業は非常に重要である。しかし
過去を振り返ることにも意味があると考える。本報告は、1980年代以降における脳死
移植技術と生命倫理の歴史を反省的に捉えることを通じて、生命倫理の歴史学を提案
する。

11:15-12:30 話題提供2 
    玉井真理子(信州大学)
      「出生前診断の歴史的現状と課題」
 
生殖技術と社会との関係を、単純化しすぎるという批判を覚悟であえて図式的に表せば、
「産まないための生殖技術」として「中絶」が問題になった1970年代、「産むための生
殖技術」として「不妊治療」が問題になった1980年代、そして、「選んで産む/産まな
いための生殖技術」として「出生前診断」が問題になった1990年代、というふうに、時
代を描くことができるかもしれない。遺伝医療の現場で、出生前診断を希望する(ある
いは迷っている)女性たちとの付き合いを通して考えたことを、具体的なかたちで提示
したい。参加者は、次に示すURLの拙稿を必ず読んで来て欲しい。
http://square.umin.ac.jp/~mtamai/gene_info.htm
http://square.umin.ac.jp/~mtamai/PND030201.htm


12:30-13:30    昼食


13:30-14:45  話題提供3 
    粥川準二(フリーランスライター)
      「クローン技術の科学と政治」

クローン技術というと、マスメディアや人文社会系アカデミズムでは、「クローン人間」
に注意が集まりがちである。しかし、クローン人間の問題は、クローン技術がはらむ問
題の一部にしか過ぎない。したがってクローン技術をめぐる議論は残念ながら未熟とい
わざるをえない。本発表では、クローン技術をめぐる政策決定過程を批判的に省みると
同時に、クローン技術研究の現状を冷静に見直すことにより、先端医療の現代史を総括
するための材料を提供する。まずクローン技術の概略、とりわけ再生医療との関係を説
明する。次に政府(文部科学省、内閣府)の審議会における議論の経過と、その結果で
ある規制の内容(法律、指針)を説明する。ここで方向を変え、クローン技術研究の現
状、とくにセラピューティク・クローニングのそれを一次資料をもとに冷静に見直す。
最後に、科学、政治、マスメディアに対する、発表者なりの問題提起を試みる。なお前
もって、拙著『クローン人間』(光文社新書)をお読みいただけると、発表者としては
幸いである。

14:45-15:00    休憩

15:00-15:30 レスポンス1 福本英子(ライター)
15:30-16:00  レスポンス2 市野川容孝(東京大学)

16:00-16:15     休憩

16:15-17:30 総合討議 
    司会 小松美彦(東京海洋大学)


17:30-18:30    懇親会  

なお、会場へのアクセスは以下のようになっております。
  ・小田急線/千代田線 「東北沢」駅より徒歩7分・「代々木上原」駅より徒歩12分
 *「東北沢」は小田急線各駅停車のみ止まります。
・井の頭線 「駒場東大前」駅、または「池の上」駅より徒歩10分
 *両駅とも急行は止まりません。
・駅からの地図など詳しくは次をご覧ください。
   http://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/map/map-j.html

科学技術社会論研究会・事務局  
国士舘大学・木原英逸  
東京大学・中村征樹(参加受付) nakamura.masaki@nifty.ne.jp
以上。

 
>TOP

Date: Fri, 03 Oct 2003 19:36:55 +0900
From: Hidetoshi KIHARA <kihara@pem.kokushikan.ac.jp>
Subject: 第36回「科学技術社会論研究会」のお知らせ

皆様

「科学技術社会論研究会」では、来る2003年11月1日(土)に、
以下のワークショップを行います。
ご関心をお持ちの方にご案内いたします。

準備の都合上、参加の方はお手数でも、10日前までに下記事務局
までその旨ご連絡願います。会の1週間前には、発表梗概などの
資料をお送りします。
また、終了後、同会場で簡単な懇親会(会費約1000円)があります。
研究交流を深められたらと思います。参加の方はこの点も10日前
までにお知らせください。

この案内は、転送自由ですので、ご関心の向きにお知らせください。

事務局では、随時、研究会企画の提案を受け付けています。
詳しくは、ご相談ください。
事務局

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             第36回「科学技術社会論研究会」

ワークショップ「公共技術のガバナンス:理論と事例分析」
             2003年11月1日(土) 10:00-18:30
         東京大学先端科学技術研究センター13号館 109号室


1.ワークショップの目的

本ワークショップは以下のような問題意識にもとづいている。
1)1999年のJCO事故、雪印の食中毒、2001年の狂牛病発生、薬害エイズ裁判など、
科学と社会の接点において発生する問題があとをたたない。それらは環境、医療、
食糧など多岐に渡っているが、そこに横たわる本質的な問題には同型性があるの
ではないか。
2)この同型性をきちんと知識として蓄積していないために、いつもプリミティ
ブな論議が、事故や事件がおこった直後にのみ、マスコミを騒がせるのではない
か。
3)そうではなく、これらの知見や議論の積み重ねを「蓄積」し、今後の問題の
解析に生かすためには何ができるだろうか。

このような問題意識に裏付けされ、その同型性をどのように理論構築可能か、を
問うことが本ワークショップの目的である。
このような同型性を議論することは、環境、医療、食糧等分野ごとの違いを明記
するのと同じくらい重要なことである。何故なら、同型性を記すことによって、
STS(科学技術社会論)はSTSとしての独自性(独自分野として探求が必要な領域とし
ての存在理由)を他に示すことができるからである。ここで他とは、市民、自然科
学の専門家、そして行政担当官である。

我々は、この同型性を議論するために、科学と社会の接点において発生する諸問
題を語るときのコンセプト(分析視点)と、各事例との対応を議論してきた。たとえ
ば分析枠組みについては、メンバ間によるブレーンストーミング、4S(国際科学技
術社会論学会)編のハンドブックの輪読を通して、検討してきた。たとえば、「テク
ノグローバリズム(グローバリゼーション)」「科学と民主主義」「ガバナンス」
「公共空間」/「不確実性下の意志決定」「予防原則」「リスク管理」/「市民参
加」「ローカルノレッジ」/「科学コミュニケーション」「科学の公共理解」など
の項目が挙げられる。(これらの大きな分析視点に対し、中程度の分析概念(コンセ
プト)もある。たとえば、フレーミング、認知的文化(Epistemic-Culture)、状況依
存性(Situated-Knowledge)、境界作業(Boundary-Work)、トランスサイエンスなど)

本ワークショップの2つの理論編(報告1,2)では、これらの大枠の分析枠組みを
どのように捉えたらよいのかについて検討する。小林報告では「科学と民主主義」
の捉え方を考え、木原報告は、「グローバリゼーション」下の「ガバナンス」を考
えることと、「市民参加」をつなげて捉える。
続く3つの事例編では、まず杉山報告の水俣病事例において、上記コンセプトのう
ち、「不確実性下の意志決定」「予防原則」「リスク管理」「科学コミュニケーシ
ョン」といった分析視点が扱われる。続く梶報告によるイタイイタイ病の事例では、
上記分析視点のうち、水俣事例と同型の分析視点が必要とされるほか、何故、イタ
イイタイ病では現地の専門家と企業との連携が可能となったのか、という分析を通
して、「公共空間」「ガバナンス」「科学と民主主義」「市民参加」といったこと
が、さらに議論されうるだろう。
さらに、狂牛病の事例では、「不確実性下の意志決定」「予防原則」「リスク管理」
の典型となる事例になるだけでなく、この事例が日本だけでなく世界につながると
いう意味で、食糧、健康問題の「グローバリゼーション」「ガバナンス」ともかか
わってくる。
本ワークショップでは、このような分析視点と同型性の問題意識の素描を行いなが
ら、参加者のみなさんとともに、このコンセプト×事例の同型性議論の発展の可能
性を探ってみたいと考えている。



2. ワークショップの時間割

10:00-10:30 プロジェクトの概略 藤垣裕子 (東京大学)

10:30-11:30 話題提供1・理論編1 (討議20分を含む・以下同)

    小林傳司 (南山大学)
      「テクノデモクラシー(科学と民主主義)」

1960年代後半のSTS(科学技術社会論)立ち上げに関与したDavid Edgeは1995年の
段階で、その歴史を振り返り、現在は「車輪の再発明」のように、社会が再びSTS的
問題に関心を高めていると述べている。なぜ、1960年代にSTSが立ち上がり、なぜ
1990年代になってあらためて注目されるようになったのか、を考えたい。その上で、
STSはなぜ30年間認知されなかったのか、90年代以降のSTSがどのような変化を示して
いるのかを考える。EdgeはSTSが苦難の歴史をたどった理由として、「科学という社
会制度―信頼できる知識の源泉−を分析するということは、現代社会における科学、
教育、法その他の制度の活動を正当化し正統化する神話そのものに挑戦することにな
るから。この神話の除去は、社会における権力と権威の構造の変更を意味するという
意味で、政治的変化をもたらすものである。」と述べている。90年代以降のSTS研究
のひとつの焦点が、科学(技術)のガバナンスという問題群であり、そこからさまざ
まなPublic Involvementの試みが模索されていることを見ると、Edgeの見立ては正し
い可能性がある。こういった観点から、科学と民主主義の問題を改めて検討してみた
い。


11:30-12:30 話題提供2・理論編2

    木原英逸 (国士舘大学)
      「<社会技術> 再考」

「社会技術」が何を意味するのか、そして何をしようとしているのかは、いまもって明
らかではない。本報告では、その兄弟概念と思われる、科学技術にかかわる公共政策領
域での「ガヴァナンス」の意味を検討し、それが現実に果たしている役割を考える。
昨今、新しい社会統治の方法,秩序環境の変化という意味で用いられているこのガヴァ
ナンスを、主に国内統治のそれに限れば、その由来は、70年代後半以降の、財政赤字の
増大と「政府の失敗」と言われる公共部門の非効率性の認識にある。それに、80年代末
以降は、グローバリゼーションの進展が一国政府の役割を相対的に縮小しつつあるとの
認識が加わる。そこで、政府・行政だけでなく、自治体、市場、NPOなど多様な主体の参
加を求め、その間の協働、妥協、合意による政策設計を考えたのが、「ガヴァナンス」で
ある。しかし、このガヴァナンスという観点にはいくつか死角がある。まず、これら多様
な主体の参加が公共的問題を解決する保証がない。例えば、公共的問題の解決に参加する
市民が形成されつつある一方、利益配分政策の受益者としての私民の意識も強い。私益を
越えた問題解決について、民主主義で決定できるかどうか、論議はまだ未成熟である。
市場にも周知の問題がある。また、主体間での協働、合意形成へ至る過程の設計・検討も
十分ではない。例えば、一つの政策を決定するには、いうまでもなく、「参加」が必要で
あり、同時に「専門家による代替案の分析と選択肢の提示」が必要である。しかし、この
二つをどう組み合わせるかは、難しい問題である。専門家の意見があまりにも幅をきかす
と、参加の意欲がそがれ、参加をあまりにも強調すると、専門家の意見は軽視される。現
状は「参加」も不十分、「専門家集団による政策選択に関する討議」も不十分といった混
乱があるように思われる。さらに、協働が、経営システムと支配システムという表裏2重
の性格を持たざるを得ないことの認識を欠き、もっぱら「行政」から「経営」へと、社会
の経営問題のみを論じている。こうした死角を埋め得て初めて、ガヴァナンスに「市民
社会の自己統治」への道が開かれてくるのだと思われる。死角への認識を欠けば、それは
市場の席捲への露払いに墜すだろう。


12:30-13:30    昼食


13:30-14:30 話題提供3・事例編1

    杉山滋郎 (北海道大学)
      「水俣事例」

「水俣病事件」については、膨大な研究の蓄積がある。がそれらは主として、企業
・行政サイドの対応を問題にしたもののように思われる。「水俣病事件」はまた、
STS教育の格好の題材としても定番になっている。しかしそこでの扱い方も、上述の
視角に縛られすぎているように思われる。 それに対し報告者は、「水俣病事件」の
展開があのようになってしまった一因としての「普通の人々」の科学理解をとりあ
げ、科学コミュニケーションのあり方(報道のあり方、科学教育のあり方、など)に
ついて問題提起する。その問題提起は、以下のような点についての分析をもとにした
ものである。(1)「水俣病事件」の展開が、当時どのように報じられ、そのなかで
「普通の人々」がどのように考えたか。(2)それから50年近くたった今日、同じく
「普通の人々」が同様の報道に接したとき、どのように考えるか。


14:30-15:30 話題提供4・事例編2

    梶 雅範 (東京工業大学)
      「イタイイタイ病事例」

イタイイタイ病は、富山県の神通川両岸の一定地域に発生した非常な痛みをともな
うカドミウム中毒症である。1968年に、この病気が神通川上流の三井金属 鉱業神岡
鉱業所から排出されたカドミウムを原因とする公害病であることが厚生省によって認
められた。患者たちは、同年、カドミウム汚染源とされた三井金属鉱業に対して被害
の補償を求める民事訴訟を提起した。裁判は患者側の勝利に終わり、1972年に患者団
体と三井金属鉱業との間に補償協定と公害防止協定が結ばれた。とくに公害防止協定
は他の公害病では見られない画期的なもので、1972年から毎夏に患者団体・弁護士・
科学者・一般市民による鉱山の立ち入り検査が三井側の費用で実施された。30年にお
よぶ立ち入り検査と交渉・環境改善提案の積み重ねの結果、神通川上流のカドミウム
を自然界レベルまで低下させることに成功した。この成功を、水俣病の例と比較しな
がら、専門家と一般市民の参加の公害防止運動における役割について考察する。


15:30-16:30 話題提供5・事例編3

    神里達博 (社会技術システム)
      「狂牛病事例」

今春,世界はSARSのoutberakに混乱した。このような,かつて人類が出会ったことの
ない,或いは既に忘却してしまった疫病が出現した時,その危険性を誰が如何にして
見積もるか,そして誰の判断・責任において対処するかは,現代社会全体にとって喫
緊の課題である。同時に,これは単なる公衆衛生の問題にとどまらない複雑な様相を
呈することが多く,その意味で科学社会学の対象となりうる。
BSE,いわゆる「狂牛病」も,その発生地英国において,また日本においても,
様々なレベルで我々の社会の弱点や問題を浮き彫りにした。疾病としてのBSE自身,
そしてその発生に伴って起きた社会的な現象・事件は,それぞれ極めて複合的な性格
を持っており,そのために対処が困難になったとも言える。そこには例えば,ギデン
ズ流に言えば「徹底したモダニティ」が新たな疾病を生み出したという「農業の工業
化」,また,BSE拡大の背景となった「グローバル化した世界状況」,そしてヒトの
ための医学と獣医学の制度的狭間に落ちやすい「人獣共通感染症」としての困難,等
が含まれている。
これは逆に見れば,適切な角度で問題の断面を切り出し,分析することによって,
そこから多くの知恵が得られる可能性があることを意味するだろう。ここでは主とし
て日本におけるBSE発生を検討することで,我々のおかれている危険な状況の実像を
把握する材料となればと思う。


16:30-17:00    休憩


17:00-18:30 総合討議

    討議者 交渉中
     司会 藤垣裕子 (東京大学)

18:30-19:30    懇親会  

科学技術社会論研究会・事務局  
国士舘大学・木原英逸  kihara@pem.kokushikan.ac.jp
以上。

 
>TOP

Date: Fri, 22 Aug 2003 08:14:08 +0900
From: kihara@pem.kokushikan.ac.jp
Subject: 第35回「科学技術社会論研究会」のお知らせ

皆様

科学技術社会論研究会」では、来る2003年9月13日(土)に、
以下のワークショップを行います。
ご関心をお持ちの方にご案内いたします。

準備の都合上、参加の方はお手数でも、事前に下記事務局まで
その旨ご連絡願います。会の1週間前には、発表梗概などの資料
をお送りします。
また、終了後、同会場で簡単な懇親会(会費約1000円)があります。
研究交流を深められたらと思います。参加の方はこの点も1週間
前までにお知らせください。

この案内は、転送自由ですので、ご関心の向きにお知らせください。


事務局では、随時、研究会企画の提案を受け付けています。
詳しくは、ご相談ください。
事務局

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             第35回「科学技術社会論研究会」

         ワークショップ「エネルギー安定供給と原子力発電」
              2003年9月13日(土) 13:00-17:30
        東京大学先端科学技術研究センター13号館 109号室


  1.ワークショップの目的

エネルギー政策の満たすべき公共利益上の価値基準として、経済効率、安定供給、
環境保全の3つが重要であることは、エネルギー政策を論ずる全ての者の常識である。
これについて通産省(経済産業省)は、3E−−Economy, Energy security,Environ
ment −−の同時達成という標語を使って表現してきた。もちろんエネルギーの種類
によっては、他に同等又はそれ以上に重視すべき価値基準がある。たとえば原子力
発電では、安全管理とセーフガードの2つがそれに該当する。しかし上記3点は、あ
らゆる種類のエネルギーに当てはまる共通の価値基準として重要である。2002年6月
に可決成立したエネルギー政策基本法においても、上記3点をエネルギー政策の基
準とすることが定められている。

日本の従来のエネルギー政策においては、原子力発電は「短期的」(数カ月程度)に
も「長期的」(数十年程度)にも安定供給性に優れ、また核燃料サイクルの整備により、
その安定供給性は一層高まるという認識が取られてきた。それが政府の原子力発電
(核燃料サイクルを含む、以下同じ)に対する量的・質的拡大政策の中心的論拠とさ
れてきた。にもかかわらず原子力発電の安定供給上の特性に関して、学問的吟味に
耐える精密な分析・評価が、政府によって実施された試しがない。むしろ反対に、原
子力発電の安定供給上の特性に関する政府の従来の説明(化石エネルギー枯渇論
を含む)は、理論的にも実証的にも多くの困難を抱えるものだった。

そうした原子力発電の安定供給上の特性に関する知的未熟状態を打開し、本格的な
分析・評価を進めようとする気運が、近年高まってきている。その重要な背景は2つある。
第1は、日本社会における自由化・規制緩和の進展と、その一貫として進められている
電力自由化を背景として、政府の原子力発電偏重政策への疑義が強まり、公共利益
上の正当な理由がなければ、原子力発電に対する政府介入は認められないとする世
論が、有力なものとなったことである。もし仮に原子力発電に安定供給上のメリットがあ
るとしても、それを客観的に評価した上でなければ、適切な政府介入について論ずる
ことはできないというのが、そこから導かれる結論である。
第2は、原子力発電の安定供給上の特性が、実際には劣っていることを示唆する理論
的・実証的根拠が、次第に蓄積されてきたことである。たとえば2002年8月に露見した
「東京電力原子炉損傷検査点検不正事件」によって、原子力発電における事故・事件
が原因となって大規模な電力需給逼迫が生起しうることが実証された。これにより原子
力発電が安定供給の観点からみて、重大な弱点を抱えていることが明らかになった。

この原子力発電の安定供給上の特性は如何なものかという問題について早急に、本格
的な検討を進めることが、エネルギー政策の合理主義化のために必要である。このワー
クショップの目的は、今後の本格的な検討の手掛かりとなるさまざまの視点や情報を、
報告者の方々から提供していただき、それを幅広い視野から知的に吟味した上で、
STS研究者の間の共有財産とすることである。


  2. ワークショップの時間割

  13:00-13:10 ワークショップ趣旨説明

  13:10-14:10  話題提供1 (討議20分を含む・以下同)

       吉岡 斉(九州大学)
        「エネルギー基本計画の批判的分析」

経済産業省は2003年4月、総合資源エネルギー調査会に基本計画部会を
設置し、エネルギー政策基本法(2002年6月施行)に定められたエネル
ギー基本計画の策定作業を開始した。10月初旬には、最初のエネルギー基
本計画が部会で承認され、経済産業大臣に答申されたのち、閣議決定および
国会報告にかけられると見られる。
エネルギー基本計画は、エネルギー政策分野での最上位の国家計画であり、
それゆえエネルギー利用に関わる公共利益の増進にとって、きわめて重要な
役割を与えられている。ところでエネルギー安定供給(エネルギー・セキュ
リティ)の確保は、いうまでもなくエネルギー利用に関わる公共利益の重要
な一側面であり、高度な総合判断を要する政策選択において、適切な形で考
慮される必要がある。すなわち、いかなる政策措置についても、その安定供
給増進効果(正負双方の効果)を正確に評価し、その評価結果を適切に総
合判断手続きに組み入れることが、その政策措置の実施を勧告する場合の必
要条件となる。(もちろん十分条件ではない。)
この報告では、エネルギー基本計画において、エネルギー安定供給について、
今述べたような意味での適切な形の考慮がなされているかどうかについて、
主として原子力発電および核燃料サイクルに関連する政策を素材として、批
判的検討を加える。


  14:10-15:10  話題提供2

       大林ミカ(環境エネルギー政策研究所)
        「東京電力需給逼迫の教訓」

2002年8月に発覚した東京電力原発トラブル隠し事件に端を発し、一時は、
東電管内の17基の原発が全基停止するという事態に陥った。このような状況
の中で、夏のピーク時の電力不足・停電の虞の喧伝が行われ、とくにテレビ
や新聞などを通じて主に一般家庭向けに省電力が訴えかけられた。また、地
元である福島県・新潟県に対しては、原発運転再開を求める政府や報道など
からの社会的な圧力が高まり、特に国のエネルギー政策の進め方を批判して
きた福島県に対しては、大手経済紙社説で批判されるなどの大きな圧力がか
けられた。しかし、夏の最大電力を賄うためには、供給源の拡大ではなく、
最大電力需要を削減することがもっとも効率的な方法であり、そのためには、
需給を逼迫している需要構造の分析と、的確な省エネルギー政策を導入する
必要がある。
原子力は、単一技術の大型電源で、安全性のために一斉停止も余儀無くされ
る特殊な電源である。結果として、今回の騒動で一番の教訓となったのは、
このような事態を招いた根本的な原因が「原子力に偏った日本のエネルギー
構造」であることが明らかになったことである。
現在、原子力に対するこれまで以上の支援を記述する「エネルギー基本計画」
の取りまとめが行われている。自然エネルギー促進の不振、省エネルギー政
策の不在、突出する再処理・プルトニウム政策など、日本は、国際的に見て
も、先進工業国として特殊なエネルギー政策をとり続けている。原子力に偏
重したエネルギー政策の不安定さを、関東圏需給逼迫問題を例に考えて
みたい。


              休憩


  15:30-16:10  話題提供3 (討議10分を含む)

         鈴木達治郎(電力中央研究所・経済社会研究所)
         「電力自由化と原子力バックエンド問題」

電力市場の自由化で必要な議論は、エネルギーにともなう「公共利益」をどう確保して
いくかである。自由化市場では、政府はこれまでと異なる新しい役割を果たさなければ
ならない。一方、電気事業はその投資事業については自らの責任でリスクを負う必要
がある。原子力発電についても、国と民間の役割分担を明確にしていく必要がある。
民間の投資リスクとして、まず議論しなければいけないのが、いわゆる「ストランデッド・
コスト」(回収不能コスト)の問題だ。原子力のバックエンド、とくに再処理事業への投資
は回収不能になる可能性が強い。この事業は民間事業であるので、将来への投資は
自己責任で行うべきだが、そのコスト増分も『公益』を理由に支援すべきではないか、
という議論が進められようとしている。この議論の透明性を高め、これを機会に核燃料
サイクル政策について、将来の選択肢を徹底的に議論する必要がある。再処理問題は、
プルサーマル、使用済み燃料の中間貯蔵、高レベル廃棄物の最終処分計画と密接に
関係している。欧米における議論を参考に、わが国においても総合的な選択肢評価を
実施すべきだ。そういった議論を踏まえて、自由化のもとでの原子力発電の進め方を
決定していくことが必要だ。


             休憩

  16:20-17:30  レスポンスと総合討議

   討論者  加藤秀樹(構想日本)


     司会   綾部広則(産業技術総合研究所 技術と社会研究センター)


  17:45-19:00  懇親会

  科学技術社会論研究会・事務局
  国士舘大学・木原英逸  kihara@pem.kokushikan.ac.jp
  以上。

 
>TOP

*木原さんより

Date: Wed, 16 Jul 2003 12:44:32 +0900
From: kihara@pem.kokushikan.ac.jp
Subject: ワークショップ話題提供者・公募のお願い

皆様

ご案内のように、「科学技術社会論研究会」では、来る2003年9月13日(土)に、
以下のワークショップを行います。
つきましては、縁故主義を避ける上でも、このテーマに関連して話題提供を
いただける方を、公募いたします。

話題提供をお考えの方は、ワークショップ主旨を検討いただき、その主旨に
副った、話題名と400-600字の暫定的なアブストラクト、加えて、今回の話題
提供に関連して、既刊の著書、論文、その他のお仕事などあればそのリストを、
7月末日までに事務局までメールでお送りください。

お願いいたしますのは、プログラム上の話題提供3です。
複数の応募をいただきました場合、すべての方にお話を願いたいので、プロ
グラムの変更・延長も考えますが、時間の制約もありますので、お願いできない
場合もありうることを予めご了解ください。

以上、ご関心をお持ちの皆様に、お願いいたします。

なお、このお願いは、転送自由ですので、ご関心の向きにお知らせください。
事務局


______________________________________________________________________________


             第35回「科学技術社会論研究会」

         ワークショップ「エネルギー安定供給と原子力発電」
              2003年9月13日(土) 13:00-18:00
        東京大学先端科学技術研究センター13号館 109号室


  1.ワークショップの目的

エネルギー政策の満たすべき公共利益上の価値基準として、経済効率、安定供給、
環境保全の3つが重要であることは、エネルギー政策を論ずる全ての者の常識である。
これについて通産省(経済産業省)は、3E−−Economy, Energy security,Environ
ment −−の同時達成という標語を使って表現してきた。もちろんエネルギーの種類
によっては、他に同等又はそれ以上に重視すべき価値基準がある。たとえば原子力
発電では、安全管理とセーフガードの2つがそれに該当する。しかし上記3点は、あ
らゆる種類のエネルギーに当てはまる共通の価値基準として重要である。2002年6月
に可決成立したエネルギー政策基本法においても、上記3点をエネルギー政策の基
準とすることが定められている。

日本の従来のエネルギー政策においては、原子力発電は「短期的」(数カ月程度)に
も「長期的」(数十年程度)にも安定供給性に優れ、また核燃料サイクルの整備により、
その安定供給性は一層高まるという認識が取られてきた。それが政府の原子力発電
(核燃料サイクルを含む、以下同じ)に対する量的・質的拡大政策の中心的論拠とさ
れてきた。にもかかわらず原子力発電の安定供給上の特性に関して、学問的吟味に
耐える精密な分析・評価が、政府によって実施された試しがない。むしろ反対に、原
子力発電の安定供給上の特性に関する政府の従来の説明(化石エネルギー枯渇論を含む)は、理論的にも実証的にも多くの困難を抱えるものだった。

そうした原子力発電の安定供給上の特性に関する知的未熟状態を打開し、本格的な
分析・評価を進めようとする気運が、近年高まってきている。その重要な背景は2つある。
第1は、日本社会における自由化・規制緩和の進展と、その一貫として進められている
電力自由化を背景として、政府の原子力発電偏重政策への疑義が強まり、公共利益
上の正当な理由がなければ、原子力発電に対する政府介入は認められないとする世
論が、有力なものとなったことである。もし仮に原子力発電に安定供給上のメリットがあ
るとしても、それを客観的に評価した上でなければ、適切な政府介入について論ずる
ことはできないというのが、そこから導かれる結論である。
第2は、原子力発電の安定供給上の特性が、実際には劣っていることを示唆する理論
的・実証的根拠が、次第に蓄積されてきたことである。たとえば2002年8月に露見した
「東京電力原子炉損傷検査点検不正事件」によって、原子力発電における事故・事件
が原因となって大規模な電力需給逼迫が生起しうることが実証された。これにより原子
力発電が安定供給の観点からみて、重大な弱点を抱えていることが明らかになった。

この原子力発電の安定供給上の特性は如何なものかという問題について早急に、本格
的な検討を進めることが、エネルギー政策の合理主義化のために必要である。このワー
クショップの目的は、今後の本格的な検討の手掛かりとなるさまざまの視点や情報を、
報告者の方々から提供していただき、それを幅広い視野から知的に吟味した上で、STS
研究者の間の共有財産とすることである。


  2. ワークショップの時間割

  13:00-13:15 ワークショップ趣旨説明

  13:15-14:15  話題提供1 (討議20分を含む・以下同)

      吉岡 斉(九州大学)
        「エネルギー基本計画における原子力発電の安定供給特性
        についての考え方」(仮)

  14:15-15:15  話題提供2

       大林ミカ(環境エネルギー政策研究所)
        「東京電力需給逼迫の教訓」(仮)

  15:20-16:20  話題提供3

        公募

             休憩

  16:40-18:00  レスポンスと総合討議

   討論者  未定


     司会   綾部広則(産業技術総合研究所 技術と社会研究センター)


  18:00-19:00  懇親会

____________________________________________________________________________

  科学技術社会論研究会・事務局
  国士舘大学・木原英逸  kihara@pem.kokushikan.ac.jp
  以上。

 
>TOP

*木原さんより

Date: Wed, 16 Jul 2003 12:46:43 +0900
From: kihara@pem.kokushikan.ac.jp
Subject: 第35回「科学技術社会論研究会」予告

皆様

「科学技術社会論研究会」では、来る2003年9月13日(土)に、
以下のワークショップを行います。
ご関心をお持ちの方は、ご予定ください。

8月後半になりましたら、詳しい参加要領をご案内いたします。
なお、その頃、夏期休暇で連絡を取りにくい方は、この予告をもって
参加の登録をお願いします。

この案内は、転送自由ですので、ご関心の向きにお知らせください。

事務局

   *上掲、報告者公募の文中の案内とほぼ同文なので略*

 
>TOP

Date: Tue, 24 Jun 2003 08:49:13 +0900
Subject: 第34回「科学技術社会論研究会」のお知らせ

皆様

科学技術社会論研究会」では、来る2003年7月12日(土)に、
以下のワークショップを行います。
ご関心をお持ちの方にご案内いたします。

準備の都合上、参加の方はお手数でも、事前に下記事務局まで
その旨ご連絡願います。会の1週間前には、発表梗概などの資料
をお送りします。
また、終了後、同会場で簡単な懇親会(会費約1000円)があります。
研究交流を深められたらと思います。参加の方はこの点も1週間
前までにお知らせください。

この案内は、転送自由ですので、ご関心の向きにお知らせください。


事務局では、随時、研究会企画の提案を受け付けています。
詳しくは、ご相談ください。
事務局


            第34回「科学技術社会論研究会」

ワークショップ「災害、事故、組織文化―災害人類学から高信頼性組織研究へ」

              2003年7月12日(土) 13:00-18:00
        東京大学先端科学技術研究センター13号館 109号室


  1.ワークショップの目的

当ワークショップの目的は、近年関心が高まりつつある、組織事故につ
いての知見を背景にしつつ、科学技術、組織、そして事故―安全性に関
わる議論を、特に社会人類学及び質的組織論の視点から総合的に見てい
こうとするものである。
チェルノブイリ事故から医療安全に至るまで、科学技術とその安全性に
関わる問題についての知見は日々増大している。その過程で、こうした
事故における組織的、文化的要因の重要性については多くが語られるよ
うになって来た一方で、社会人類学や組織論の知見がそうした文脈に十
分に生かされてきたとは言いがたいのも現状である。
今回はそうした現状を前提として、災害人類学、組織事故研究、そして
リスクに強い組織としての高信頼性組織研究という三つの流れを紹介し
ながら、このギャップを埋めるための試みを行う。

「自然災害へのエスノグラフィック・アプローチ」では、地震に代表さ
れる自然災害に直面した共同体の反応と防災活動を研究する災害人類学
の研究を紹介し、特に阪神・淡路大震災を民族誌的に見るアプローチを
紹介する。
「組織事故と安全文化再考」では、従来の事故研究が、個別の因子から
組織とテクノロジーの絡み全体に視点を拡大していく過程を紹介しなが
ら、具体的な組織事故の実例を取り上げて、そこにおける、特に文化的
要素の取り扱い方を考える。
「リスクと戦う組織―高信頼性組織(HRO)研究としての救命救急センタ
ー」では、組織事故研究とは対照的に、むしろ事故を起こしにくい、リ
スクに強い組織を研究するプログラムとして、ここ10年の間に研究の
蓄積が進んできた、高信頼性組織研究を紹介し、その観点から見た救命
救急センターへの民族誌的な視点を紹介する。

総合討議では、これらのアプローチの可能性を組織論の研究者や、福祉
の実践共同体研究の研究者と共に討議する。



  2. ワークショップの時間割

  13:00-13:20 ワークショップ趣旨説明

  13:20-14:20  話題提供1 (討議20分を含む・以下同)

   木村周平(東京大学・文化人類学)
     「自然災害へのエスノグラフィック・アプローチ
            ― 阪神・淡路大震災の事例分析を通じて」

1995年の阪神・淡路大震災以降、災害が社会的な現象であるという
ことが繰り返し主張されている。洪水にせよ地震にせよ、災害につ
いて全く無知な社会はなく、どのような社会であれ様々なレベル
(個人、住民組織、自治体、国など)・システム(法的、組織的、
あるいはインフラや道具、伝承など)に分散された形で、自然災害
に対する多重の防護策をもっている。それゆえ災害による被害を自
然的なハザードとその防護策との函数であると考えることもできる
だろう。
ただもちろん、それらの防護は効果の面でも方法の面でも社会によ
って多様である。そしてその多様さはとりわけ途上国および高頻度
でハザードに襲われる社会で顕著であり、それを包括的に「文化」
という観点から捉えてきたのが災害人類学である。本発表ではその
ような災害人類学の蓄積を簡単に紹介した後、具体的事例として、
阪神・淡路大震災直後の対応をエスノグラフィックに捉えることを
試みるが、そこにおいて災害というプロセスは様々な知識と道具を
持った主体が関わりあう場として立ち現れ、経験されるだろう。将
来の災害に備えるためには、この諸経験をいかにして今後の防災の
ための「文化」へとフィードバックするかが重要な問題なのである。


  14:20-15:20  話題提供2

    上野 彰 (未来工学研究所、内閣府)
     「組織事故と安全文化再考」

  原子力分野、航空分野など巨大複雑系科学技術における研究の趨勢は、
  主に要素技術やヒューマンファクタの個別の因子を洗い出し、これを技術
  システムの設計改良に反映させた段階、洗い出した個々の技術的要因や
  ヒューマンファクタを、さらに組織と技術システムとの絡み全体に反映させ
  る組織事故研究の段階を経て、事故事象自体を起こさない組織の特徴と
  そのマネジメントを俯瞰的に捉える高信頼性組織研究の段階に入りつつ
  ある。
  他方、従来の日本の事故研究では、事故事象の要因分析はあくまで工学
  的観点から、それも規制機関本体ではなく、事故の当事者である事業者や
  重電メーカー所属の技術者が行い、大学等の研究機関の重鎮で構成され
  る調査委員会がその調査結果にお墨付きを与えるというプロセスを辿るも
  のであった。
  日本におけるこの事故の調査研究の在り方は、初めて調査委員会に社会
  学、社会心理学の研究者が加わりレポートを公開した1999年のJCO臨界
  事故以降、欧米の組織事故研究、安全文化研究の観点を取り入れたもの
  となることが期待されたが、その現実はどうか。
  本報告では、欧米と日本の近年の事故研究の実例を取り上げ、そこでの
  組織的要因、文化的要因の扱い方の成果と課題を検討する。



  15:20-16:20  話題提供3

     福島真人(東京大学・総合文化・文化人類学)
     「リスクと戦う組織
      ― 高信頼性組織(HRO)研究としての救命救急センター」

事故や災害の問題における組織要因の強調は、近年のヒューマンファクター
研究や、医療事故についてのシステム的アプローチ等でも強調されるように
なってきている。しかしそれらの研究における組織や、特に組織文化につい
ての視点は、工学系の研究の延長でおわっている場合も少なくない。分析は
事後的であり、また事故という材料でなければ、組織の動態を理解する手立
てもない。結果として、そこで得られる結論が、安全文化論に見られるよう
な、一種の標語になってしまう傾向も否定できない。
常に活動し、変容する組織の現場から、事故や安全の問題を考えることが出
来れば、従来の事故研究とは異なった視点が得られるかもしれない。その可
能性の一つが高信頼性組織研究である。リスクの高い環境で高い安全性を示
す組織を現場で、リアルタイムで研究するということで得られる知見の可能
性を、現在進行中の救命救急センターでのフィールド調査を例に挙げて、こ
のアプローチの有効性について考える。


             休憩

  16:40-18:00  レスポンスと総合討議

   討論者  中西 晶 (東京都立科学技術大学)
        猪瀬浩平(東京大学・文化人類学)

     司会   福島真人


  18:00-19:00  懇親会

  科学技術社会論研究会・事務局
  国士舘大学・木原英逸  kihara@pem.kokushikan.ac.jp
  以上。

 
>TOP

◆第33回「科学技術社会論研究会」のお知らせ

> 皆様
>
> 「科学技術社会論研究会」では、来る2003年6月21日(土)に、
> 以下のワークショップを行います。
> ご関心をお持ちの方にご案内いたします。
>
> 準備の都合上、参加の方はお手数でも、事前に下記事務局まで
> その旨ご連絡願います。会の1週間前には、発表梗概などの資料
> をお送りします。
> また、終了後、同会場で簡単な懇親会(会費約1000円)があります。
> 研究交流を深められたらと思います。参加の方はこの点も1週間
> 前までにお知らせください。
>
> この案内は、転送自由ですので、ご関心の向きにお知らせください。
>
>
> なお、2003年前期には、以下のワークショップが行われます。
> ご関心をお持ちの方は、ご予定ください。
>
> 第34回 2003年7月12日(土) ワークショップ「リスク、組織、テクノロジー
>                         ―高信頼性組織研究の現在
> (仮)
>
>
> 事務局では、随時、研究会企画の提案を受け付けています。
> 詳しくは、ご相談ください。
>
>
>
____________________________________________________________________________
>
>             第33回「科学技術社会論研究会」
>
>             ワークショップ 「健康の科学をめぐる知」
>
>               2003年6月21日(土) 9:45-17:30
>         東京大学先端科学技術研究センター13号館 109号室
>
>
>   1.ワークショップの目的
>
>   「健康」とは「ブーム」などではない。今年5月より施行された健康増進法が
>  規定しているように、それにはもはや明確な「国民の責務」として法的スキ
>  ームが与えられている。科学的に正しいヘルスリテラシーが「国民」たちに
>  求められ、それは、世界市場での現代的常套句「ひとりひとりが自己責任
>  を負う」ことの典型例ともなっている。なぜこれほどまでに「国民」は健康に
>  責任を負い、それを目的とせねばならないのか。その理由はけっして「今
>  現在の不健康」などではない。健康というキーワードは、ビジネスと利益と
>  コスト意識を生む。背後には明確な経済原理が働いており、ナショナリズム
>  や国家・政治原理ともからみながらの議論が要請されることは、他の科学
>  技術と同様である。もちろんこれらのことは、私たちの身体観にも重大な
>  変更を迫るものであり、したがって知覚や認知に関するより根源的問いか
>  けを内包してもいる。
>
>  また、「健康の科学」というテーマは、広く近代とポスト近代とにまたがって
>  もいる。つまり一方で、このテーマには、近代の経済原理だけでは捉えら
>  れない、食文化や生活習慣のグローバル化、リスク社会の新展開といった
>  この時代の要請がある。しかし、「健康の責務」を負い、機能性飲料を購入
>  し肥満に怯える民を、飢えや渇きや栄養失調、爆撃にさらされる民の存在
>  が支えていることも、もう片方の重要な事実である。
>
>  すでに「健康」は、自然科学か人文・社会科学かを問わず、多角的に論じ
>  られてきている。その価値を疑わない議論もあれば、これを言説としてその
>  構築性に着目した議論、また健康概念の歴史的展開についての議論など
>  様々である。当然のことながら、そこでは論ずる者の立場が鋭く問われる。
>  しかしここでも、それぞれの立場を捨てることなくそれらを交錯させながら、
>  しかし広い視点からの議論が必要である。
>
>  今、広く科学技術論の文脈で「健康」を議論することの利点は、他の科学
>  技術と比べることで、健康の科学が持つ次のような特徴が浮かび上がって
>  くることにある。つまり、@誰にとっても日常である生活習慣そのものを対象
>  とすると同時に、それを啓蒙する意図を明確にもつ科学であること。A従っ
>  て、それに対する人びとの関心が高いこと。Bそのため、マスメディアから
>  の情報も膨大であること。C生産活動よりも、特に人びとの消費行動と連動
>  していること。D市場経済と密接に結びついていること。E「すべての国民」
>  すなわち万人に関連する科学である、とすでに位置づけられていること。
>
>  すわなち、健康の科学においては、専門家の科学観と非専門家の科学観と
>  が密接にリンクし、しかもそのリンクを自己管理へと連動させて、「ヘルスリ
>  テラシー」の名の下に非専門家を啓蒙しようという動きが顕著なのだ。した
>  がって、このワークショップは先の第30回ワークショップ「専門家/非専門家
>  図式の再検討」と連携している。「ガン抑制遺伝子とガン遺伝子とで説明され
>  る遺伝病」、魚のコゲを食べるとガンになる、そして「魚に多く含まれるドコ

>  ヘキサエン酸とエイコサペンタエン酸が、ガンの増殖を抑制する」……この
>  ような知の共有と混在と頻発を検討することで、硬直した専門家/非専門家
>  図式(論)の突破口を見出せないだろうか?
>
>
>
>   2. ワークショップの時間割
>
>   9:45-10:00 ワークショップ趣旨説明
>
>   10:00-11:15  話題提供1 (討議25分を含む・以下同)
>
>        柄本三代子(法政大学・社会学)
>             「身体の標準化と機能性食品」
>
>  日本社会における健康への関心の高さは購買力が支えている。そして、飢えを
>  知らない購買力ある消費者たちは、様々な統計資料が用いられることによって
>  「国民」として構築されると同時に、その身体までも「われわれ」にとって共通
>  に
>  理解されうるものとして構築されている。また、そもそも国民に対する健康増進
>  という啓蒙活動の背後にあったのは医療コストの問題であった。
>  このような「購買力」と「医療コスト」だけでなく、今日の健康への関心を継続
>  さ
>  せることには「企業戦略」も深く関わっている。また、企業戦略と健康増進活動
>  とマスメディアの結びつきを強力なものにしているのは、栄養成分をはじめとし
>  た科学言説にほかならない。そしてそこには共通に使用されているロジックが
>  ある。それは、ある食品に含まれるある成分があるリスクを解消する、というも
>  のだ。
>  したがって健康への動機づけの際に、「医食同源」や「養生」をもちだすという
>  言説戦略もある。しかし、現代における「医薬品と食品の境界溶解現象」や
>  「健康増進」とは、歴史的に接続しつつも切断されたものとして理解する必要が
>  ある。
>  「われわれ」のものとして標準化された身体のメンテナンスは、「アミノ酸が脂
>  肪
>  を燃焼させる」といったように主体化された成分に外部委託されていく。「強く
>  賢
>  い子に育てる 食と健康大事典」(学研、2003年)によれば、「キレない子にする
>  献立」で「子どもがキレる」ことを防いでくれるのも、誰であろうカルシウムなの
>  である。
>  どのようなものをどのようにして食べるかということは、現代の道徳であり倫理
>  であると同時に身体メンテナンスの外部依存とも深く関わる。
>
>
>   11:15-12:30  話題提供2
>
>        佐藤純一(高知医科大学・医療思想史・医療社会学)
>             「健康の脱健康化 − 管理され治療される<健康>」
>
>  「国民は、健康な生活の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたっ
>  て、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければなら
>  ない。」(健康増進法第2条)
>  この法律では「健康とは何か、どのような状態か」という定義(明示的記
>  述)は行われていない。この法律に限らず、近年、(近代医学以外の)多く
>  の領域で論じられている「健康の語り」においても、健康の定義に関して
>  は、 多くの場合、あのWHOの健康概念か、または、残余カテゴリーの「病
>  気のない状態」という定義が使われるか、または、定義なしで「わかって
>  いるもの(自明の実在)」として語りが構成されていると言える。
>  それら(近代医学以外の)「健康の語り」の多くは、健康を、「医学に
>  よって定義・測定できる実在物」として措定して、初めて理論が成立する
>  構造にな っていると言えよう。
>  では、近代医学理論では、「健康」(概念)をどう定義しているか。多く
>  の「健康の語り」が期待する「近代医学理論による確固たる健康概念」は、
>  存在してないのである。
>  この話題提供においては、近代医学の「健康」概念(の不在)と「健康の
>  語り」を検討する作業を紹介し、その作業を通して、最近の「管理され、
>  治療され、増進されなければならない<健康>」概念(言説)について議論
>  してみたい。
>
>              昼食
>
>   13:30-14:45  話題提供3
>
>         田中聡(作家)
>             「近代医学と民間医療」
>
>    日本で近代医学が「正統」として制度化されていったとき、漢方医学や各種
>    民間療法はどのような論理で排除されていったか。そこから、今なおつづく
>    啓蒙家による「迷信退治」の論理を整理してみたい。
>    また一方で、大正・昭和に普及した健康法や民間療法、また漢方復興運動
>    では、どのような論理で、近代医療への批判が語られたか。そこから、今日
>    のいわゆるオルタナティブ医療の動機や技法が、どのような歴史のなかで
>    育まれてきたかを整理してみたい。
>    そうして近代医学と民間医療との相互の批判内容を、とくに両者の身体観の
>    相違を中心として検討することを通じて、今日の高度に医療化した社会のな
>    かでの身体についての再考につなげたい。
>    民間療法・健康法としては、皇漢医学の復興を唱えた中山忠直、西医学を
>    創始した西勝蔵、整体法を創始した野口晴哉を、中心にとりあげたい。
>
>
>              休憩
>
>   15:00-15:30  レスポンス1 金森修 (東京大学・科学技術思想)
>
>   15:30-16:00  レスポンス2 鈴木晃仁(慶応義塾大学・医学史)
>
>               休憩
>
>   16:15-17:30  総合討議  司会 浮ヶ谷幸代(お茶の水女子大学
>                   ジェンダー研究センター)
>
>   17:30-18:30  懇親会
>
>
____________________________________________________________________________
_____________________________
>
>   科学技術社会論研究会・事務局
>   国士舘大学・木原英逸  kihara@pem.kokushikan.ac.jp
>   以上。

 
>TOP

◆木原さん→関西公共政策研究会事務局より

皆様

「科学技術社会論研究会」では、来る2003年5月31日(土)に、
以下のワークショップを行います。
ご関心をお持ちの方にご案内いたします。

準備の都合上、参加の方はお手数でも、事前に下記事務局まで
その旨ご連絡願います。会の1週間前には、発表梗概などの資料
をお送りします。
また、終了後、同会場で簡単な懇親会(会費約1000円)があります。
研究交流を深められたらと思います。参加の方はこの点も1週間
前までにお知らせください。

この案内は、転送自由ですので、ご関心の向きにお知らせください。


なお、2003年前期には、以下のワークショップが行われます。
ご関心をお持ちの方は、ご予定ください。

第33回 2003年6月21日(土) ワークショップ「健康科学をめぐる知」
第34回 2003年7月12日(土) ワークショップ「リスク、組織、テクノロジー
                        ―高信頼性組織研究の現在
(仮)


事務局では、随時、研究会企画の提案を受け付けています。
詳しくは、ご相談ください。



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             第32回「科学技術社会論研究会」

 ワークショップ 「トランスディシプリナリティの可能性?:知の融合のゆくえ」

              2003年5月31日(土) 9:45-17:30
        東京大学先端科学技術研究センター13号館 109号室


  1.ワークショップの目的

  「伝統的でなじみのある知識生産の方法と並んで、新しい知識生産の
  方法が登場しつつある」と謳って、M.ギボンズらがそのマニフェストの
  書 The new production of knowledge, SAGE, 1994を発表してから10年
  近く、訳書での紹介からも5年余が経つ。しかし、そこで導入された「モ
  ード」という概念、つまり、知識生産(と消費)の様式論は、果たして、現
  代の科学技術活動の姿を、そしてそのあるべき姿を適切に捉えるもの
  なのだろうか。流行思想としての一時の熱がさめた今、改めて、その
  混乱も含め、様々な視点から再検討が必要だと考える。

  知識生産のモードという概念は、どのような知識を生産するのかという
  その内容だけでなく、それらをどのように生産するか、つまり、知識が生
  産される(そしてそれが消費される)コンテクストや、さらにそこでの知識
  生産を組織する方法、そのあり方、様式までを含んだものとされる。本
  ワークショップでは、これらそれぞれの側面に焦点を当てながら、モード
  論の可能性とその一方でそこに見られるある混乱を議論したい。

  混乱とは、例えば、アカデミズム、その各学問分野ごとのコンテクストの
  中で、主として新知識の拡大を目的としてなされてきた「伝統的でなじみ
  のある知識生産(と消費)の方法」である「モード1」という様式と、既存の
  各学問分野においてそれを(含んでそれを)越え出た「現場」というアプリ
  ケーションのコンテクストの中で、そこでの問題解決を目的としてなされ
  る「新しい知識生産(と消費)の方法」である「モード2」という様式との関
  係にかかわる理解の混乱である。

  同様の混乱は、そのコンテクストと知識追求の目的はアカデミズム科学
  とは異なるが、同じく、官・産セクターでの知識生産・消費についても見ら
  れる(また、アプリケーションとか「現場」というコンテクストの意味を取り
  誤って、官・産セクターでの知識生産・消費はそれ自体が全てモード2の
  様式だとの誤解も広く見られる)。

  つまり、これらは、冒頭の引用の含意をどう取るかにかかわることであり、
  そこでは、新たに登場しつつあるモード2がいずれ優勢になりモード1に
  取って代わるのか、それとも、両者あるところで均衡して棲み分けるのか、
  そんな議論が繰り返されてきた。しかしそこには、ある混乱があるように
  思われる。

  さらに、モード1の下で産出される知識が備えるディシプリナリな性格、内
  容と、モード2の下で産出されるそれのトランス・ディシプリナリな性格、内
  容との異同をめぐる理解にも混乱がある。
  ディシプリナリな知識(そしてマルチ/インター・ディシプリナリな知識)も、
  トランス・ディシプリナリな知識も、ともにある共同への意思に支えられたも
  のであるが、それぞれが向かう共同性が区別されなければならない。そし
  て、その異なる共同性のあり方、つくり方を明らかにしなければならない。
  本ワークショップでは、こうした点を具体例に則して議論することにしたい。

  そして、議論は、自らもモード2、トランス・ディシプリナリな知識の生産だ
  とするSTSをめぐる可能性と混乱にも及ぶだろう。


  2. ワークショップの時間割

   9:45-10:00 ワークショップ趣旨説明

  10:00-11:15  話題提供1 (討議25分を含む・以下同)
     サトウタツヤ(立命館大学・文学部・心理学)

  「モード論から見た心理学:その学範形成と学融志向」

心理学は人間とその生活に関する学問として前世紀末頃に成立したと
される。この心理学という学問について、その成立や展開についてモ
ード論の立場から検討することで、心理学の特徴の一端を明らかにす
ると共に、モード論的議論の可能性について考えてみたい。
ギボンスらの著には人文系の例として歴史学のアナール学派が取り上
げられてはいるが、社会系学問についての記述はない。心理学とその
関連領域について検討することは人文・社会系学問をモード論的に見
ることにつながりうる。

まず、議論の前提として、心理学は科学や技術たりうるのか、人文系
なのか社会系なのか、という議論(疑問)もあり得るだろうから、そ
の点について最初に若干の説明を行う。

19世紀中葉以降に「精神についての考察」という解をもとめた哲学と
科学の協同作業を心理学の源流と捉えた場合、この学問はまさにモー
ド2的だったのかもしれない。しかし、知的遅滞児の客観的理解とい
う解を求める教育現場の実践家と心理学者たちの協同作業が成功を収
めたことで、哲学と科学の協同作業だった心理学は新しいモード1と
して成立したのではないか。その後、モード1的には行動主義や精神
分析の影響が顕著となるが、第一次世界大戦における兵士選抜(陸・
海・空)、第二次世界大戦における戦争神経症への対処など、多くの
モード2的提案が心理学には投げかけられ、多くの心理学者が関わっ
ていた。そしてその経験は戦後の心理学の展開に大きく寄与した。

ただし、発表者自身もこの数年心理学者として関わった「法心理学」
(たとえば目撃証言の信憑性)に関していえば、共通の解が求められ
ているようであって、実際は法廷で必要な知識の供給こそが求められ
ていると感じるような領域も存在する。最近は、脳科学や老人精神医
学などと心理学との協同作業も多く見られるようになってきたが、こ
の例に限らず、どのアクターの「土俵」の上での解の生産が優勢たり
うると見通しているのか、ということを見極めないと、(心理学者に
限らず)あるアクターたちは単なる技術供与者として「使われる」だ
けになってしまう。この意味で、先にあげた軍と心理学の協同作業は
協同作業という名に値するのか、という検討も必要になる。人文・社
会系学問では「アプリケーションのコンテキスト」が成立しにくいと
いう事情もあるためにこうした検討が重要になると思われる。

モード論という補助線を用いることによって、人文・社会系に近い学
問における学融(トランスディシプリナリティ)のあり方やそれを妨
げるものについて理解することも可能になるのであれば、外部史−内
部史の「対立」を止揚するものとしてモード論の意義は小さくないの
ではないだろうか。


  11:15-12:30  話題提供2
      平田光司(総合研究大学院大学・教育研究交流センター・物理学)

 「高エネルギー加速器建設のモード」

先端的加速器の建設にあたっては、力学理論、電磁石、高周波空洞、真空、
ビーム計測、フィードバックなど、専門のことなる専門家が協力する。業
績の評価も論文だけでは無く、プロジェクトへの貢献によって測られる。
この意味で先端的加速器の建設はモード2のように見える。しかし、この
研究者集団は分野横断的に専門家を「寄せ集め」たものでは無く、長年に
わたって加速器建設にたずさわり加速器全体についての知識を持つ「同族
集団」でもある。各専門においては、与えられた任務を遂行するだけでな
く、他の専門分野、全体のデザインにも口を出す全体性をも持っている。
また、知識追求のためのモード1的な研究(論文生産をベースとする)も
同時におこなわれており、それが、任務遂行にも必要である。先端的加速
器の建設は、加速器に関する暗黙知を共有する専門家集団でしか、行えな
い。そのために、高エネルギー物理学の業界は、加速器研究者集団を抱え
ているのである。さまざまな問題に対処すべく、モード2のような研究の
ありかたが必要だとしても、トップダウン的に専門家を寄せ集め、任務を
割り当て、成果をまとめて終わり、というようなものであってはならない
だろう。

             昼食

  13:30-14:45  話題提供3
     山脇直司(東京大学・総合文化・相関社会科学)

  「トランスディシプリナリーな学問としての公共哲学:学問の構造改革のため
  に」

 現在の日本のアカデミックな知のモードは、学術会議公認の学問分類(コード)
 表によって強く規定されている。東京大学本郷キャンパスの学部学科構成とほ
 ぼ合致するこの分類法は、日本での学界活動において広く再生産・流通・消費
 され、多くの学者の大まかな学問理解を規定しているイデオロギーと言ってよい
 だろう。だが、このような知の再生産や学問理解によっては、21世紀の今日、
 人類が直面している地球環境、科学技術、平和、社会的公正、諸文明・諸宗
 教の共存など大きな問題群にも、国内における政治・経済・教育など広範な
 領域にわたる公共的諸問題に対応できない。そのためには、「ポスト専門化」
 時代における公共哲学というトランスディシプリナリーな学問による「学問の構
 造改革」が必要である。実際、実証的記述対象と規範的価値理念の双方を含
 みもつ公共性や公共世界というキー・コンセプトは、トランスディシプリナリー
 な
 論点として、分断化され蛸壺化された諸学問を共通の土俵に乗せる起爆力を
 秘めている。なぜなら、公共性や公共世界を語ることで、実証的・記述的諸学
 問は理念的・規範的次元に立ち入らざるを得なくなるし、哲学や倫理学は、歴
 史的経験的次元に裏打ちされなければならなくなるからである。それはまた、
 グローバルな視点を保持しつつも、ローカリティ(地域や現場)に根ざした人々の
 実践知ともリンクする「グローカルな」公共哲学として展開される必要がある
 だろう。

             休憩

  15:00-15:30  レスポンス1 松本三和夫(東京大学・文学部・社会学)

  15:30-16:00  レスポンス2 桑子敏雄(東京工業大学・社会理工学・
                  社会的合意形成論)・依頼中

              休憩

  16:15-17:30  総合討議  司会 木原英逸(国士舘大学・政経・科学技術論)

  17:30-18:30  懇親会


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  科学技術社会論研究会・事務局
  国士舘大学・木原英逸  kihara@pem.kokushikan.ac.jp
  以上。

 
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◆第31回「科学技術社会論研究会」のお知らせ

 *木原さんより 

皆様

「科学技術社会論研究会」では、来る2002年12月7日(土)に、
以下のワークショップを行います。
ご関心をお持ちの方にご案内いたします。

準備の都合上、参加の方はお手数でも、事前に下記事務局まで
その旨ご連絡願います。会の1週間前には、発表梗概などの資料
をお送りします。
また、終了後、同会場で簡単な懇親会(会費約1000円)があります。
研究交流を深められたらと思います。参加の方はこの点も1週間
前までにお知らせください。

この案内は、転送自由ですので、ご関心の向きにお知らせください。

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       第31回「科学技術社会論研究会」

        ワークショップ「人体実験の政治学」

            2002年12月7日(土) 9:45-17:30
       東京大学先端科学技術研究センター13号館 215号室


1.ワークショップの目的

このワークショップでは、かつて歴史的に存在した人体実験の具体事例を
いくつか正確に回顧することを通して、そこに錯綜した形で混在する科学
性、政治性、倫理性の問題を、糾弾的で告発的なスタンスをあえて避けな
がら分析することを目指す。
というのも、人体実験は通常の医療に不即不離に結びついたものであり、
それを単に外在的に弾劾するだけではとうていその複雑な問題の肌理を
見極めることは不可能だからである。
アメリカで隆盛を誇るいわゆるバイオエシックスの成立にあたり、史上
存在した「非人道的な」人体実験への注目とそれへの反省という契機が
重要な役割を果たしたことを考えるなら、また90年代初頭にアメリカで
行われた放射能人体実験の暴露事件以降、人体実験論に再び注目が集まっ
ているという現状を考えるなら、今日再び人体実験の射程を深く考察する
ことはきわめて重要なものだと考えることが許される。
本ワークショップはこのテーマに統一して、問題の徹底的な掘り下げを
目指すものである。


2. ワークショップの時間割

9:45-10:00 ワークショップ趣旨説明

10:00-11:15  話題提供1 (討議25分を含む・以下同)
        市野川容孝 「十九世紀の人体実験と医療倫理」

ペッテンコーファーのコレラ菌(コンマ菌)自飲実験は、プレ細菌学パラダイムと
細菌学パラダイムの衝突という点のみならず、人体実験に関する医療倫理の
衝突という点でも、きわめて象徴的な出来事であるように思われる。ペッテン
コーファーは、「たとえその結果がいかに科学にとって有益であろうと、すなわち
他人の健康のために有益であろうと、その人にとっては害にのみなるような実験
を、人間において決して実行しない」(C・ベルナール『実験医学序説』、この原則
を超えて認められるのは医学研究者の自己実験のみである、という19世紀的な
医療倫理に忠実であった。ペッテンコーファーは、その医学理論のみならず、医療
倫理においても、コッホと細菌学に「敗北」していくのであり、以後、「科学にとって
有益」ではあるが「その人[=被験者]にとっては害にのみなるような実験」は繰り
返され、事実、あまり注目されないが、少なからぬ医学研究者が刑事上の有罪
判決を下される。本報告では、細菌学以前の19世紀的な、人体実験に関する
医療倫理がどのようなものであったかを不十分ながらも明らかにし、その後の
変容との比較につなげたいと思う。


11:15-12:30  話題提供2
      小俣和一郎 「731部隊とナチスの医学」

そもそも医学は、人体実験なしに発展することはなく、新しい治療法のほとんどは
人体実験としてはじまる。われわれは、まずこの基本的な事実からスタートすべきだ。
人体実験を、単なる「悪」として批判してしまうのでは、医学そのものを否定することに
なる。しかしながら、これまでの医学倫理(medical ethics, Medizinische Ethik)は、この
基本的な現実原則をどこかでおろそかにしたまま、「倫理」というものを、あたかも医師
個人の道徳的問題であるかのように論じ、「人間性」とか「人道主義」(いわゆる生命の
尊さ)などの一般的モラルのレベルへと平板化してきたかのようにみえる。

だが、このような大問題を、単なる一般道徳の問題としてのみ捉えていてよいのか、
−もしそうであるのなら、20世紀の現代医学が経験した日本の731部隊による人体
実験や、ナチ強制収容所において行われた人体実験も、単なる道徳の欠如や人間性の
喪失としてしか批判することはできない。731部隊で日々、人体実験にあたっていた日本
の軍医も、強制収容所で人体実験に手を染めたナチの医師たちも、単に一般道徳が
欠落していたというだけのことでしかないのか。

もし歴史に対して謙虚であろうとするなら、われわれはもう一度、過去の歴史のなかで
何が行われたのか、731部隊・ナチ医学の実態とは何だったのかを、再検証すること
から出発すべきであろう。その際、とくに重要な視点は、731医学もナチ医学も、その
本質においては何の隔たりもなかったというスタンスである。この両者を別個のものとして
捉え、一方は細菌戦争(生物戦)のためのもの、他方は人種主義に由来するものと区別
することは(それ自体は歴史的に正しいとしても)、この歴史事実から多くのことを導き出す
妨げとなってしまうだろう。たしかに、それらは「戦争医学犯罪」として一括して語られ、
戦後はもっぱら「悪の象徴」「悪魔のしわざ」「反倫理の典型」としてのみ批判されてきた。
また、そこで行われた事実を単なる好奇の目で覗き込むかのような「怖いもの見たさ」の
心理で誇張して叙述する書き物すら現われた。

だが、これらを単なる戦争に付随する医学犯罪としてのみ捉えることも、また単なる例外的
な「悪魔の仕業」として片づけることも間違っている。そうした単純化からは、これまでの医学
倫理を見直そうとする一切の試みも、新たな医療技術の暴走を止めるための一切の有意味
な提言も生れないであろう。

たしかに731部隊・ナチ医学の人体実験に対する覗き見趣味的な倒錯的反応は別としても、
それを「倫理・道徳に反するもの」として例外扱いする従来からの批判パラダイムを不十分
なものとする反論は、すでにいくつか現われている。ナチズムを「悪の極致」と決めつける
ことに批判的な目をむけた米本昌平*や、731部隊の人体実験成果が戦後の医学に
一定の学問的寄与をなしたとする常石敬一*らの議論がそれである。だが、これらの議論は、
過去のナチズムや日本の医学を逆に称揚して、それらに対する根本的な批判を骨抜きにする
危険性を伴っていないか。それが行き過ぎることによって、たとえば米本のように、現在の
優生学への批判軸からナチズム批判を取り去ってしまおうとする危険な論議に変容することは
ないのか。また、常石のいうように、本当にこれらの人体実験は、戦後の医学の発展に貢献
したと断言できるのか。―

本報告は、そもそも医学と人間の基本的な関係を出発点として、医学の必要性はどこにある
のか、今後の先端医療技術の進歩とともにどんな「新しい倫理」が要求されるのか、などの
基本的な問題に対する解答を模索しようとする一つのささやかな試みである。そのためには、
なによりもまず、これまでの過去の歴史を検証することからはじめなければならない。1980
年代から90年代にかけてのドイツでは、すでにこうした歴史検証がはじめられ、21世紀に
入った現在では、その作業も終りに近づいているといってよいだろう。日本は、このドイツの
動きに遅れはしたが、今、その検証作業を再開すべき時にあるのではないか。そうした仕事
を通じて、はじめてわれわれは新しい医学倫理の確立に向かって、一歩を踏み出すことが
できる。


           昼食

13:30-14:45  話題提供3
      金森 修 「タスキーギ研究の科学と文化」

1932年から40年にもわたって続いた一種の人体実験をめぐる報告。1930年代
初頭の系統的梅毒罹患調査によって、アメリカ南部、アラバマ州タスキーギ近辺に
住む黒人零細小作人たちがきわめて高い罹患率を示しているということがわかる。
本来ならその調査直後に治療を始めるところだったが、経済的理由により治療
実施を断念せざるをえなかった医師たちは、そこで彼ら黒人零細農を純粋な感染
集団と捉え、治療を放棄して経過観察をすることを決意する。ほんのわずかの期間
で終わるはずだったその経過観察は、実際には72年にマスコミに暴露されるまで
40年も続く。本報告は、この未曾有の人体実験の委細顛末に素描を与え、その
評価を、擁護論と反駁論を戦わせる形で、その倫理的意味を探る。


           休憩

15:00-15:30  レスポンス1 小松美彦

15:30-16:00  レスポンス2 香川知晶

            休憩

16:15-17:30  総合討議  司会 金森 修

17:30-18:30  懇親会
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科学技術社会論研究会・事務局
国士舘大学・木原英逸  kihara@pem.kokushikan.ac.jp


以上。

 cf.◇人体実験


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学会/研究会  ◇研究・教育機関のホームページ
TOP HOME (http://www.arsvi.com)