盲学校における闘争/運動
last update:20220618
■目次
◇筑波大学附属盲学校/東京教育大学附属盲学校
◇和歌山盲学校
◇京都府立盲学校
■筑波大学附属盲学校/東京教育大学附属盲学校
雑司ヶ谷闘争
「 雑司ヶ谷闘争とは、1972年11月上旬に東京教育大学付属盲学校(現・筑波大学付属視覚特別支援学校。雑司ヶ谷は所在地から)で行われた学園紛争のことである。
専攻科生を中心とした「全共闘」が学校に要求を突きつけ、高等部が使っていた校舎がロックダウンされるに至った。 それに反発する形で、高等部の学生らがスト破りを決行し、数日間にわたる自主討論が行われた。
雑司ヶ谷闘争において専攻科生が焦点としたのは、同校の教育過程の中で「三療(針、灸、按摩)による自立」が謳われているが、実際に三療で自立することの難しさに学校側が向き合わず、自立の道筋が「三療」以外には示されていないという点であったという。」
◇雑司ヶ谷闘争
関連ページ
◇雑司ヶ谷闘争
■和歌山盲学校
資料
「生徒の自主活動も色々ありました。この時代、世間では、あの安保闘争以来こっていた激しかった学生運動の波もようやく一段落を迎えようとしていたでも時期でもありましたが、盲学校でもその栄光がまだ残っていた時代でもありました。当時、東京教育大学付属盲学校や京都府立盲学校では、生徒会を中心とした学生運動が勃発し、一次学校閉鎖も行われるような事もありました。その影響もあり、そうした流れはこの和歌山盲学校にも飛び火したように起こっていたのでした。
私が赴任した年には時にその中心人物となった生徒は卒業し、その動きはに終結していましたが、それらの名残がまだあったのです。彼の息を汲んだ後輩の生徒や理療科の一部の生徒がその流れを汲んでいたのでした。彼らを先導した中心人物がSさんという卒業生でした。Sさんは私が赴任した年と前後するように卒業していましたが、それでも残った理療科の生徒たちからは圧倒的な支持を得ていました。事あるごとに生徒からはまだSさんの話が出るのでした。
彼はそれまであった生徒会とは別に、理療科生徒だけによる生徒会理療部を独自に立ち上げたのでした。そこでは学校の指導の在り方を批判し、教師の指示を無視し、生徒たちだけで外部講師を呼んで研修会を開催したり、奉仕活動だといってに行ってはあんまや針灸の治療奉仕活動を勝手に開催したりしていたのです。当然学校側はそうした動きには反対し、教師と生徒とは対立していたのでした。教師の指導にも限界があって、学校側も指導に手を焼いていたようです。
しかし、生徒たちの話によれば、そうした行動に出たのには、彼らなりの言い分もあったようで、それは学校そのものの在り方に投じられた一石でもありましたが、彼らいわく、理療科である自分たちをもっと大人として見て欲しい。我々一旦社会の道を通ってきた者に運動会や遠足、文化祭はいらない。小学部や中学部の生徒と同じように扱われるのはおかしい。理療科は理療科としてもっとになすべきことがあるはずだし、大人として扱ってほしい。我々生徒は卒業したら仕事をして生きていかなければならない。家族を支えなければいけない。時間のは猶予はない。理療を取り巻く世の中はどんどん変化してい る。時代に即した授業や実技指導をしてほしいと、いうことでした。
確かにそこには理も一理あると思いました。もし、ここが健常者の養成学校だったら、または視覚障害者の厚生施設であったらそれはできるでしょう。しかしながら、盲学校の場合は法制度上なかなかそれを行なうのが難しいというのも現実です。私個人としては、将来的には盲学校から理療科を切りし、地域的に統廃合した新たな制度を作り、時代の養成△ママ▽に応えられるような視覚障害者の高等職業教育機関への転換が必要だと思うこともあります。おそらく厳しい現実社会から入学してきたSさんらはそうした違和感を敏感に感じて、学校に対する不満として行動に現れ、それが暴走したのではないかと思います。」
◇能澤義和 20210707 『マルファン症候群と共に生きる』, パレード.
■京都府立盲学校
楠敏雄乱入事件
「「岸田:はい、京都府立盲学校時代です。当時は学生運動が真っ盛りでした。ある日、「学生が襲撃してくる」という情報があり、数日して教室の窓から正門を眺めていると、ドドドと音がして、男子学生が乱入してきたのです。これが有名な京都府立盲学校乱入事件です。その中に楠さんがいました。」
◇まねき猫通信 発行年不詳 「特集:楠 敏雄-その人、その仕事、その思想 交渉の達人・人権の見張り人・ロマンチスト」, http://www.puku-2.com/manekineko/news/news148_1.htm..
「楠)70年代は、もう、僕らもなんとか組合つくる議論もよくしたけど、盲界にも業界に労働組合つくるべきだとか、労基法守らせるべきだというので。僕らが京都の盲学校で卒業式に乱入したのも、盲学校の教員が業界の体質を改善しようという働きかけをしてないということに対しての抗議。」
◇ 楠敏雄さんへのインタビュー(その4) 2011/03/06 聞き手:岸田典子 場所:楠さん自宅(大阪府東大阪市)
関連頁
◇楠 敏雄
◇岸田 典子
*作成:山口 和紀