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東京教育大学の筑波移転とその反対闘争


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last update:20230410


■人

梅根悟
篠原睦治
◇上田薫
◇岡村達雄(1941~2008)
◇山下恒男

■年表

1962年 学長選挙 ここに梅根悟は出馬。朝長学長の任期満了にともなうもの。梅根は落選。
1963年 梅根、教育学部長を辞任――特設教員養成部問題
1966年 梅根、和光大学を創設
1969年 抗議声明に上田薫は署名

■文献

「004・梅根悟
○梅根参考人 梅根でございます。
 私は、過去長く東京教育大学に籍を置いております。学部長などをやってまいりました関係がございまして、いわば母校でございまして、母校の運命については非常に深い関心を持っておる一人でございます。
 きょうは、そういう気持ちも中に込めながら筑波大学の問題をずっと見てまいりました者として、若干の意見を申し述べさせていただきたいというふうに思っております。
 経過のことを詳しくは申し上げませんけれども、結論的に申し上げますと、私は東京教育大学に長年勤務いたしておりまして、学内のいろいろな改革にも若干関係をしてまいりました者といたしまして、これまでの、まあ紛争前の東京教育大学がそのまま筑波という地域に移転をし、さらに若干の学部をふやしていくということならば、私は別に異存はございません。賛成なのです。そのままの形で行ってほしい。そうして必要な学部をふやしていってほしいというふうに私は思っております。なぜ、こういうふうな新しい法律をつくっていただいて、姿を変えて筑波に行かなければならないのかということは、私には納得いかないというのが実情でございます。姿を変えると申しますと、いろいろな点が上がってきておるようでございますけれども、私は、学内における研究教育の組織の問題を中心にして、少し意見を述べさせていただきたいと思っておりますけれども、私自身の経験から申し上げますと、私は東京教育大学の教育学部に所属をいたしておりまして、私の専門は、教育学部の中の教育学、教育学科でございまして、教育学部という学部は教育学と心理学と特殊教育学??今度は特殊教育学は障害学というふうになっておりますが、つまり教育学部の三学科、他に芸術学科がございましたが、これはちょっとヤドカリのような形で、将来学部に独立するという意味で、当分教育学部に置いておくということになっておりましたので、本来の教育学部は教育学科と心理学科と特殊教育学科、この三学科から構成されておる学部であったわけです。この三学科が一つになって学部をつくっておるというのが教育学部のシステムでございまして、私はそれで何ら支障がなかったと思っております。
 今度の改革案の一つのポイントは、研究と教育を分化させるということにあるように思われます。そのたてまえから、研究の組織として学系というものをお置きになる。教育の組織として、学群、学類というものをお置きになるというふうな構想になっております。私どもがおりましたときの教育学科という学科は、今度の構想では学系に相当いたします。教育学科という学科があり、心理学科という学科があり、特殊教育学科という学科がありますが、それが教育学系、心理学系、障害教育系というふうに系ということばに変わっております。ことばが変わっておるだけなら、別に変えなくても、学科とおっしゃっても少しも差しつかえないじゃないかと思いますが、何しろわけのわからない系というような表現が使われております。
 ところが、この学系というものは、実は研究の基礎組織であって、教育の組織はそれとは別にあるのだというたてまえになっております。私どもがおりましたとき、私の所属いたしておりました教育学科、つまり今度の新組織でいうと教育学系でございますが、この教育学科は内部が十三講座ございましたから、といっても不完全講座でございますから、全部で三十人足らずの教授、助教授、専任講師という規模でございましたけれども、この諸君が教育学の研究者として絶えず顔を合わせながら、たまには共同研究をしながら一緒に教育学の研究をやってまいりました。と同時に、それはそのまま教育の基礎であって、学科は研究の土台であると同時に、教育の土台である。教育の問題も、どういう講座を出したらいいかといったような問題から始まりまして、つまり教育の中身や教育のやり方については、その学科で十分に討議をしてやっていく。研究と教育が一体であって、そして研究教育の基本単位として学科というものが置いてございます。それは教育大学だけじゃなく、一般にどこの大学も大体はそうだと思います。
 それを、学系は研究の組織にとどめておいて、教育の組織は全く今度は別にできてくるというようなことになりますと、どういう結果が起こりますか、その学系に所属している三十人の教師たちは、これは研究集団であって教育集団ではないんだ。じゃ、教育のほうはどうするかと申しますと、学群、学類というのがございまして、その学類というのは、いまの教育大、私どもの場合で申しますと、教育学科と心理学科と特殊教育学科、その三学科を合わせてできておりましたこれまでの教育学部とほとんど同じ規模でございます。そういうものが学類という形で、これは教育だけの組織であるというふうに定義づけられておる。
 そうすると、教師は研究者としては学系、すなわち教育学科に属し、教師としては学類に属するというふうな、そういう二重組織になっておる。これは分けてみたところで、実際は分けられない。私どもの経験から申しますと、絶対にこれは分けられる性質のものじゃないというふうに思っております。研究と教育とが一体になって、研究者であると同時に教師であるような、そういう諸君が一つのグループをつくって、共同して研究教育を進めていくというのがやはり基本線でなければならないと私は考えております。これを分けるということは、現実には、実際は分けられない性質のものだと私は見ております。
 もう一つ、この新しい法案の特色は、御承知のとおり学類の上に学群というものができます。これは言ってみればインターファカルティー的な文学部、医学部といっておったようなものを、学部をこえた、もっと相互に連絡がある総合的なグループをつくっていこうというのでございますから、これはやはり新しい型の学部といっていいと思います。新型学部であって、学部ではないと言う必要はない。旧型学部もあってよかろうし、新型学部もあってもよかろうし、さまざまの学部があってもいいということであって、学科と学部といういままでのシステム、名前を変えただけでそれを学系と言ったり、学類と言ったり、学群と言ったりして、何が一体成果が前進するかと申しますと、結局何もないと私は見ております。
 ただこの場合、一つの問題点は、やはり人事の問題だろうと思うのです。人事委員会というのができるということになっておりますけれども、人事委員会というのは学系やら、あるいは学類やら、学群やらから出られる委員で構成されるということになっておりますけれども、先ほど申しましたように、私自身の経験から申しますと、教育学科という三十人そこそこの同じ学問の系統に属する学問をしている人たちが集まって、そこで、その学科の中で欠員が生じます場合は、これは相当長時間かけてその学科の内部で審議をするというのが慣行になっております。学科の全員が集まって、いろいろな角度から、次にだれをお呼びするかといったようなことを討論しているというのが実情でございます。それを何か委員会システムに切りかえてしまうことは、つまり学科のメンバーが、自分たちの知らないところで自分たちの仲間をきめられてしまうといったようなことになってくるということが最も大きな問題ではないかと私は思っております。
 私は、学系、学類、学群という名前をお使いになりますならば、それはお使いになってもよろしい。しかし、学系も学類も学群も、これは教育と研究が一体になっておるのであるというように考えてないと大学の経営はうまくいかないというように考えております。そうして人事の問題は、一番下の、今日でいえば学科です、今度の新しい名前では学系でございますが、そこの教師たちが慎重に討論をして人事の問題を審議していくということが基本線ではないかというふうに考えておるわけでございます。
 とりあえず以上のことを申し上げて、一応の発言を終わります。(拍手)
発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107105077X0231973062

「073・梅根悟
○梅根参考人 私立といいましてもいろいろあるようでございまして、一様にまいりませんけれども、今回の筑波大学案の言ってみれば一つのねらいというのは、大学における研究を強化するということが一つのねらいになっているだろうと思うのです。私、歴史的に見ましてもそうだと思うのです。たぶんこの案でいきますと、まあ一応研究が強化されるということになるかもしれぬと思っていますけれども、予算も多くの予算がつき、筑波大学としてはおそらくまあ例外と思われるような多くの研究所が計画されております。その研究所にふんだんな予算がいってプロジェクト研究がされるとなれば、一応研究は強化されるということになるだろうと思われます。私立大学の場合にはその点にかけては現在の段階では、まあ例外はございますけれども、研究のための基礎はきわめて弱い、物質的基礎はきわめて弱い。教師はいわゆる教育に奔走させられている。しかも、自分の受け持っている学生が千人も二千人もおる、そういう学生を相手にして、ちゃんと期末試験をして単位を出さなければならぬといった状態に追い込まれている大学の教授が一ぱいおります。まあ研究もされておりますけれども、研究条件はきわめて貧弱です。その研究条件を改善するという基礎をつくっていくためにあれこれと努力をされておりますし、政府にもお願いをしておるというのが実情だと思いますけれども、現在では筑波大学のような構想による、まあ言ってみれば研究を主とするような大学に私立大学がなっていくということはまず不可能だという状態だと思います。
 私のほうの場合には、ただし先ほどお話がございました理事会と大学の学長なり教授会なりとの関係はきわめてフェアでございまして、理事会はただ財政的な責任を持つだけで、教育の内容、研究の内容については全くサポート・バット・ノーコントロールという方針でまいっております。その理事会も教授陣がかなりの数入っております。ですから、そういう問題は私どものところには全くございませんけれども、したがって、私のほうの大学のやっておりますやり方は、私が先ほど申しましたことの繰り返しになりますけれども、私自身が教育大学に長年おりましたものですから、私は大体教育大学方式でやっているわけなんです。たとえば教養部を置かない、教養は全学の教授が分担して持っていくというようなことですね。あるいは一般教育も一年、二年で終わってしまうことはしないというようなことで、まあかなり旧教育大学方式を私は受け継いでやっているつもりなのです。正直に申しますと、現存する教育大学、紛争の起こる前に存在しておった教育大学の姿というのは、私はたいへんりっぱな大学だったと思っているのです。それがつぶれてしまって、それとは非常に違った大学に生まれ変わってくるということは私は残念でたまらない。旧教育大学のよさを私自身はここで引き継いでいるつもりでおりますから、どうかその精神で移転をするなら移転をしてほしいというのが私のねらいなのです。
 それだけで終わります。
発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107105077X02319730620/73
◇第71回国会 衆議院 文教委員会 第23号 昭和48年6月20日

「1968(昭和43)年、上田は5月1日名古屋大学教育学部教授となるが、1月後の6月1日に東京教育大学教育学部教授に転任。着任と同時に大学紛争が起こり、翌年には東京教育大学の筑波移転で紛争が激化するなかで、移転を巡り学長に公開書簡で抗議している。そうした間にも、教育学部付属盲学校の校長を務め、またエッセイ集『林間抄』を出版。1971(昭和46)年、東京教育大学教育学部の付属高校の校長選考方法に抗議して教育学部教授会を退席して退官表明をするとともに、翌年東京教育大学教育学部を退官し、4月から立教大学文学部教育学科の教授に転出した。」
◇乙訓稔 2011 上田薫の社会科教育の理念, 『実践女子大学生活科学部紀要』48:39-51

「思えば東京教育大学で筑波移転反対派の学長候補として梅根悟先生が学長選を戦われ、我々学生の応援虚しく敗れて和光大学を作られたのでした。」
◇佐治俊彦 2006「【巻頭言】日本現代中国学会第56回全国学術大会に寄せて」, 日本現代中国学会ニューズレター第19号 http://www.genchugakkai.com/archive/newsletter/19.html

「本節では、いち早く、そして最も深く共生教育運動にコミットした教育学者として、岡村達雄(一九四一〜二〇〇八)を取り上げる。早稲田大学でロシア文学を学んだあとに東京教育大学大学院に移って伊東和衛(一九一一〜一九八九)に師事した岡村は、一九六七年に始まる持田栄一主宰の教育計画会議に参加し、また大学の筑波移転に関わる学園闘争にもコミットした(36)。その時、篠原睦治や山下恒男とも出会っているが、本格的な交流が始まるのは一九七〇年代末に養護学校義務化問題が浮上してからのことである(37)。[...]
(36) 田中欣和「岡村達雄を偲ぶ――同世代の元教員として」関西大学教育学会『教育科学セミナリー』四一号、二〇一〇年、および岡村達雄「〈感性〉を〈政治性〉につなげること」『福祉労働』一五年、一九八二年、一四九頁。
(37)山下恒男「繊細な感性がみつめた「政治性」」、篠原睦治「今は亡き畏友、岡村達雄さんの問いかけを振り返る」『社会臨床雑誌』 一六巻二号、二〇〇九年
」(p.273および285)
◇江口怜 2019 「教育学における応答――少数の教育学者たちによる理論的挑戦」, 小国喜弘編『障害児の共生教育運動――養護学校義務化反対をめぐる教育思想』261-285

■文献表

◇江口怜 2019 「教育学における応答――少数の教育学者たちによる理論的挑戦」, 小国喜弘編『障害児の共生教育運動――養護学校義務化反対をめぐる教育思想』261-285
◇東京教育大学自主講座委員会 1969 「近代知性への反逆」, 学芸書林
◇小国喜弘編 20191125 『障害児の共生教育運動ーー養護学校義務化反対をめぐる教育思想』
◇篠原 睦治 20100515 『関係の原像を描く――「障害」元学生との対話を重ねて』,現代書館
◇乙訓稔 2011 上田薫の社会科教育の理念, 『実践女子大学生活科学部紀要』48:39-51
◇佐治俊彦 2006「【巻頭言】日本現代中国学会第56回全国学術大会に寄せて」, 日本現代中国学会ニューズレター第19号 http://www.genchugakkai.com/archive/newsletter/19.html


*作成:山口 和紀
UP:20230127, 29, 0410
筑波技術短期大学設置反対闘争  事項
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