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筑波技術短期大学設置反対闘争


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last update:20221204


■目次


概要
文献
年表
団体・組織
関係する人
文献(ビラ)
文献
国会における議論※適当に時系列で並べただけです

■概要

 筑波技術短期大学設置反対闘争は、筑波技術短期大学(以降、筑短と呼ぶ)の開校に反対する、あるいは阻止するための闘争である。技短設置反対闘争、身障者短大反対闘争などとも呼ばれる。同闘争において問題とされたのは、視覚障害者教育・盲教育の持つ問題点、あるいは筑短が障害者「だけの」高等教育機関であるという点であった。
 筑短の設置構想そのものは、1970年代初頭からあったが、闘争が本格化するのは1970年代後半以降であった。闘争に参加したのは、筑短が視覚障害者と聴覚障害者だけの高等教育機関として設置が目指されたという特性から視覚障害者や聴覚障害者のグループが闘争の中心であったが、それだけではなく脳性マヒ者のグループ「茨城青い芝の会」も闘争に参加した([資料])。
 筑短設置構想の発端が筑波大学附属盲学校の専攻科を「3年制短期大学」に昇格させる([資料])という案であったことから、設置の準備会や事務局などが筑波大学内に設置されているように、同闘争は筑波大学附属盲学校あるいは筑波大学心身障害学系と深く関わりがある。ただし、附属盲学校は設置の過程において筑短設置の白紙撤回を求めるような反対の立場に回るという経緯もあり、筑波大学と同附属盲学校の立場は複雑なものである([資料])。
 また短大化はもともとは附属聾学校側が先に起案しており、盲学校はそれに追随した形である可能性もある。
 同闘争の背景には、1970年代の盲教育を巡る一連の闘争の流れがある。1972年には筑波大学附属盲学校において、教育制度の問題を争点とした「雑司ヶ谷闘争」が起きているが、この闘争の中心人物であった大橋由昌は筑短設置に反対の立場から「筑波短大問題研究会」を立ち上げている([資料])。
 これらの経緯から、筑波技術短期大学設置反対闘争は、盲学校における特殊教育のあり方、あるいは特殊教育そのもののあり方が問われた闘争でもあった。

  概要作成:山口 和紀

■文献表

◇文献、◆ビラ、□ウェブ上の文献

◆茨城青い芝の会・1104筑短直接行動参加者一同・筑波短期大学反対闘争実行委員会 19881004 「『筑短』建設強行に対する抗議文」
□岩崎 洋二 発行年不詳 「視覚障害教育センター構想について」, URL:https://www.nsfb.tsukuba.ac.jp/shourai/syourai_5_w.html.
◇岩崎洋二 2011 「筑波大学附属視覚特別支援学校(附属も売学校)の歴史」, 筑波大学附属盲学校同窓会編, 『なずれば指に明らけし 筑波大学附属盲学校記念文集』, 3-18.
□医道の日本社 2016 「芹澤勝助先生の思い出を語る会開催」, URL:https://web.archive.org/web/20160218013842/https://www.idononippon.com/information/news/2016/02/post-17.html.
◇天野 誠一郎・古賀 典夫・篠原 睦治 201903 「<討論>私たちが直面している「障害者」問題」, 『社会臨床雑誌』, 26, 3.
◇大橋 由昌 19880410 『盲学生憤闘記 キャンパスにオジサンは舞う』,彩流社.
◇大橋由昌 200803「(特別寄稿)有宗義輝先生の死を悼む!」, 39(3), 点字ジャーナル.
◇岡田徳太郎 19850801 「筑波身障短大構想反対の筑波大学現地行動に参加して 」, 『全障連』52, 全国障害者解放運動連絡会議.
◇大内厚 2011 「学園紛争の思い出」, 筑波大学附属盲学校同窓会編, 『なずれば指に明らけし 筑波大学附属盲学校記念文集』, 131-133.

◇菊池健 1996 「三浦 功氏を偲ぶ」, 『日本物理学会誌』, 51(11):839.

◇里内 龍司 19890401 「障害者だけの大学「筑短」はいらない――筑波技術短期大学着工阻止闘争」,『季刊福祉労働』42:143-148.
◇視覚障害者労働問題協議会編 20000123 「視労協年代記(1975~1999)」, 『障害の地平』, No.100-2:1-53.
◇視覚障害者労働問題協議会事務局 19820325「筑波身障者短大設立、なぜ反対なのか」, 『福祉労働』, 14:118-126.
◇視覚障害者読書権保障協会編 1981 「国立身障者短大問題に関する資料集 : 分離教育政策を問う」, URL:https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001961031-00.
◇全国障害者解放運動連絡会議 19851001 「 各分科会の討論報告 」, 『全障連』53, 全国障害者解放運動連絡会議.
◇全国障害者解放運動連絡会議 19860201 「障害別・階層別交流会の討論報告」, 『全障連』62, 全国障害者解放運動連絡会議.
◇全国障害者解放運動連絡会議 19880630 「各分科会(書記)報告」, 『全障連』76-77, 全国障害者解放運動連絡会議.

◇高橋 守 1981 「筑波大の身障者短大構想」, 『内外教育』, 5(1), 時事通信社.
□立入 哉 20220211「筑波技術短期大学が筑波大に埋もれてしまう?」, 3(427), 『みみだより』.
□筑波大学附属盲学校 1996 「4年制大学へ向けた基本構想(まとめ)」, URL:https://www.nsfb.tsukuba.ac.jp/shourai/syourai_2_d.html.
□筑波大学附属盲学校 1998 「筑波大学附属盲学校の将来計画」, 98年全日盲研・関視研レポート, URL:https://www.nsfb.tsukuba.ac.jp/shourai/syourai_3_d.html.
◇筑波学生新聞 19871110 「筑波技術短期大学開学――「身分上の格差を生む」 反対派」, 61:85.
◇筑波学生新聞, 19881100, 「筑短建設工事始まる 障害者団体等が抗議活動」.
◇点字ジャーナル 200705 「筑波技大公開シンポジウム「これからの教員養成の在り方を考える」」, 『点字ジャーナル』, 38(5), URL:https://thka.jp/html/shupan/journal/200705.html.
◇点字ジャーナル 200706 「(座談会)理療料教員養成の在り方を考える(藤井亮輔、吉川惠士、神崎好喜、大橋由昌)」, 38(6), 点字ジャーナル.
◇点字ジャーナル 201206xx 「日盲連竹下会長の驚愕人事情報部長に「毒舌論客」」, 43(6), URL:https://thka.jp/html/shupan/journal/201206.html#feature01.

□福島智 2019i 「福島智さん」, 立命館大学衣笠キャンパス, 聞き手:立岩真也, URL:http://www.arsvi.com/2010/20190108fs.htm.
□長谷川貞夫 199812 「絶望的環境に陥った点字の実験と救いの恩人」, 192, 『六点感じの自叙伝』, URL:http://www.wesranet.com/6ten/txt626.html.
□深川峻太郎 2014 「KEKとブラサカのつながり」, 『馬の耳にロバの耳』, 199, URL:https://deeeeepr.exblog.jp/19854532/.
◇福井郁生 2005 「(学長インタビューを読んで) 大沼学長の態度と認識不足」, 『点字ジャーナル』, 36(7):11-18.
◇降旗節雄 1982 「障害者隔離政策の仕上げ=身障者短大 筑波大に噴出する矛盾の構造」, 『インパクション = Impaction』, 16:11-13.
◇堀利和 19850415 寄稿=筑波身障短大設置粉砕を共に闘おう, 『全障連』49, 全国障害者解放運動連絡会議.

◇的野 碩郎 1998「解散から存続へ、そして生きる」, 『障害の地平』, 94・95合併号:21-28.
◇森澤 良水 2006 「筑波技術短期大学の四年制化に当たっての諸課題」, 『筑波技術大学テクノレポート』, 13:109-113.

◇矢野忠 2011 「理療科教育の問題点と今後の検討課題」, 筑波大学附属盲学校同窓会編, 『なずれば指に明らけし 筑波大学附属盲学校記念文集』, 289-300.


◇和光大学現代人間学部身体環境共生学科・野中 浩一・最首 悟・篠原 睦治・上野 隆生・大橋 さつき・小林 正典・小林 芳文・渋谷 利雄・堂前 雅史・矢田 秀昭 2010 「身体環境共生学入門 : 包括的共生概念の構築に向けて」, 『和光大学現代人間学部身体環境共生学科』.

■年表

1970

1971

1972

1973

1974

1975

1976

1977

1978

1979

1980

1981

1982

1983

1984

1985

  • 1985xxxx 「創設準備室」内に協力者会議が置かれる。
  • 1986

    1987

    1988

  • 19881004 茨城青い芝の脳性マヒ者5人と筑短反対闘争実行委員会の筑波大生らが建設予定地で座り込みをする
  • 19881006 東京から筑波身障者短大構想に反対する連絡会の古賀氏が茨城に訪問。三団体合同の作戦会議が開かれる。
  • 19881130 車椅子三台と筑波大生が座り込みをする。
  • 19881213 集会、筑波大構内でのアジ演説やビラまきをする。
  • 19881220 茨城青い芝の会で予定地の前の空地で芋煮会をする。
  • 1989

    1990

  • 1990xxxx 設置
  • ■団体・組織

    ◇茨城青い芝の会

    茨城青い芝の会は、里内龍史(会長)を中心として、筑波短期大学の着工阻止闘争を行った=1988年4月頃。

    ◇筑波短大問題研究会

    筑波短大問題研究会は、大橋由昌が聴覚「障害者」を含む二人の友人と共に結成した組織である=1979年10月。附属盲の組合と共闘する。

    ◇筑波身障短大構想に反対する連絡会

     筑波身障短大構想に反対する連絡会は、1981年1月15日、視覚障害者労働問題協議会を含む5団体により、筑波身障短大構想に反対する連絡会の発足。
     筑波技術短大の開校まで、年に約2〜3回の総決起集会が開かれた。さらに、1、2カ月に1度の文部省前や筑波現地での抗議行動、署名活動などを行った。

    ◇筑波大学附属盲学校

     構想に反対した。

    ◇心身障害学系

     筑波大学附属盲学校の校長は心身障害学系の教授が務めるのが慣例となっている。

    ◇筑波大学


    197809xx 「身体障害者高等教育機関調査会」が設置される
    198104xx 「身体障害者高等教育機関創設準備調査室」が設置される
    198304xx 「身体障害者高等教育機関創設準備室」が設置される

    ◇関東聴覚障害学生懇談会

    「1975年、東京教育大学附属聾学校(現 筑波大学附属聴覚特別支援学校(筑波大学附属聾学校))の文化祭に集まった卒業生たちがお互いに進学先の大学での学生生活を話し合いました。」
    「こうして「交流会」の活動は広がりを見せましたが、組識的な活動力の面では限界がありました。そこで、目的や会則を定めたより組識的な団体を作ろう、ということで「交流会」は発展的に解消され、昔の「関東ろう学生懇談会」の活動の実績を受け継ぎ、さらに発展させていく組織として、10月3日、「関東聴覚障害学生懇談会」が設立されたのです。」

    上記は下記より引用。
    ◇関東聴覚障害学生懇談会 xxxx 「歴史」. 外部サイト [リンク]

    ◇将来計画委員会(筑波大学附属盲学校内の組織)

    1970年11月、同委員会は「将来計画の基本方針」をまとめて筑波大学附属盲学校(以下「附属盲」)の専攻科を3年制短期大学に昇格発展させることを決定した。[資料]

    ■関係する人・事項

    ◇奥村文庫:
    関係資料あり。
    ◇日本点字図書館:
    関係資料あり。
    ◇日本盲教育史研究会:

    ■関連する闘争

    雑司ヶ谷闘争
    聴覚障害者栗田さんに対する不当解雇撤回闘争


    ■文献(ビラ)

    ◇茨城青い芝の会・1104筑短直接行動参加者一同・筑波短期大学反対闘争実行委員会 , 「『筑短』建設強行に対する抗議文」.



    「われわれは11・2筑波技術短大の着工を絶対に許すわけにはいかない。障害者を一般大学から排除することによってのみ成り立つ『障害者のための新しい高等教育機関」などまったく認めるわけにはいかないのだ。
    『養護学校義務化』によって、障害者は学校まで『健全者』から隔離され、日常生活において差別され、抑圧されているのである。この上、さらに、「筑短」開学によって全修学期間、障害者を「健常者」から隔離しようとすることなど絶対に許すわけにはいかないのである。
     さらに「筑短」は障害者の中に分断を持ち込むものである。筑短開学で狙われているのは、障害者を『使える者』(視覚・聴覚障害者の『優秀な』者)と『使えない者』(脳性マヒ者などのその他)に分断することであろうと言わざるを得ない。これを黙認するならば『使える障害者』は産業資本の為に動員され、『使えない者』と判断された障害者は社会から抹殺される存在になってしまう。
     どんな障害者でも周囲の人の協力があれば社会的な日常生活をおくることができるし、またそうする権利を持っているのだ。「健常者」もまた障害を持つ人たちと共に生きることによって、真に人間らしく生きる権利と義務があるのだ。
     われわれは抗議する。文部省と筑短当局はただちに工事を中止し、障害者差別制作の産物である筑短構想を白紙撤回せよ。
     右をもって抗議とする。
     一九八八年十一月四日
     11・4対筑短直接行動参加者一同
     茨城青い芝の会
     筑短反対闘争実行委員会」

    ■文献

    ◇筑波大学附属盲学校, 19960708 , 「4年制大学へ向けた基本構想(まとめ)」.  外部リンク

     1970年11月,本校将来計画委員会は,社会情勢の変化等に対応するため,「将来計画の基本方針」をまとめて筑波大学附属盲学校(以下「附属盲」)の専攻科を3年制短期大学に昇格発展させることを決定した。一方,日本理療科教員連盟(以下「理教連」)は,1971年に実施した全国盲学校高等部在学生へのアンケートの結果(専攻科の短大昇格を望む声76%)を受けて,翌1972年に「理療科3年制短期大学制度確立に関する件」を決議した。以来,附属盲専攻科の昇格を前提として短大構想が検討されることとなり,1978年には,筑波大学内に「筑波大学身体障害者高等教育機関設置調査会」が設置されるに至った。

     しかし,議論が進むにつれ本構想は,国際障害者年に係わる国の施策とも重なり,しだいに,当初掲げた「専攻科の発展」「附属盲専攻科の昇格」の理念とは無縁の方向へと質的に転換していった。本校をはじめ多くの盲学校や関係団体は疑問を投げかけ構想の白紙を求めて反対の意向を表明したが,1987年,予定を5年遅らせて,視覚障害部と聴覚障害部を併設した「筑波技術短期大学」(以下「技短」)が開学した。ここに,国立における視覚障害者のための理療師・理学療法士の養成定員は倍増し,生徒数が減少する中,学生の確保等をめぐって附属盲と技短は競合の時代を迎えることとなった。

    (1)専攻科の制度的矛盾
     学校教育法上,高等学校の専攻科は,本科3年の教育内容を補完する課程である。この趣旨に照らせば,盲学校専攻科理療科および理学療法科は,普通科教育との連続性を持たない点において,法制度上矛盾しているといわざるを得ない。

    (2)専攻科教育の限界
     後期中等教育の枠組では予算,施設設備面で大きな制約があり,医療に携わる人材養成のための充実した教育・研究活動を行うことが極めて困難である。

    (3)養成学校の高等教育化と教育の高度化
     あんま・マッサージ・指圧師,はり師,きゅう師及び理学療法士の養成は,盲学校を除きすべて大学,短期大学もしくは専門学校のいずれかで行われており,教育の高度化が進行している。
    (4)進路・就業上の不利
     高等教育機関の卒業者であれば,「学士」「準学士」「専門士」を名乗ることができるが,同等の教育を修めながら,盲学校専攻科の卒業者のみ,後期中等教育ゆえに何等の称号も得ることができない。このことは,視覚障害者の社会的不利を一層増長し,雇用就労をさらに困難にせしめる要因になりかねない。

    ◇筑波大学附属盲学校 1998xxxx 「筑波大学附属盲学校の将来計画」(98年全日盲研・関視研レポート) [外部リンク]


    1. 筑波大学との関係

    (1) 本校は筑波大学の附属学校として管理運営上,両者の間には不断の緊張・対立がある。筑波技術短大問題もこの分脈の中から生じた一つと言えよう。

    (2) 筑波大学には心身障害学系(一般大学の教育学部特殊教育学科に相当)があり,筑波大学附属10校のうち4校が,盲,聾,精薄養護,肢体不自由養護があるが相互の関係は一部を除き希薄である。また,理療科教員養成施設も旧東京教育大学跡地(現在筑波大学学校教育部が置かれている場所)に移転したため本校との関係は薄くなってきている。本校の筑波地区への移転は,ほとんど有り得ない状況にある。
    (3) 校長は筑波大学教授との兼任である。現校長は本校出身者であるが,従来は障害教育と全く関わり合の無い教授が多かった。

    ◇岩崎洋二 不詳 視覚障害教育センター構想について. [外部リンク]

     将来計画委員会は1985(昭和60)年に発足した。その背景として,ひとつは,東京教育大学の筑波移転問題と国の教育行政改革のなかで文部省・筑波大学から国立附属としての存在意義を問われ,スクラップ化の危機があったこと,もう一つは,筑波大学が筑波身体障害者短期大学(現筑波技術短期大学)をつくる過程で,附属盲学校としては,理療科・理学療法科への影響だけでなく,普通科・音楽科の一般大学進学までも否認する計画であったためその構想に反対したことで,その対応の中からも将来計画が必要になっていたことである。

     この将来計画の動きは,途中経過をいち早く1988(昭和63)年の関視研大会で発表し,そこで,将来計画として「普通学級・学校に在籍する生徒への積極的な援助を行うセンター的役割を果たしていく」ことを報告し、議論を求めた。しかし残念ながら,当時はこの提起に対してはほとんど反応がない状態だった。

     その後,1993(平成5)年には中間報告をまとめ,1996年3月「視覚障害教育センターの基本構想」として教官会議で決定した。そして,理療科・理学療法科の4年制大学化の構想と併せて,同年7月8日付小冊子にまとめたのである。私たちはこの決定について,同年と翌1997年の関視研で正式に報告し,同年全日盲研の発表になったのである。

    ◇里内 龍司 19890401 「障害者だけの大学「筑短」はいらない――筑波技術短期大学着工阻止闘争」,『季刊福祉労働』42:143-148.



    「ところで、国立で初めての障害者だけの大学が、何故つくばという土地に建設されようとしているのでしょうか?日本の将来をかけて建設した筑波大学を中心に、つくば研究学園都市があり、そこでは最先端のいろいろな学問研究が行われています。もちろん、障害者に関連する研究も行われています。たとえば、筑波大学で生まれ、確立された発達論をベースにする心身障害学という障害者の存在を否定する学問があり、筑短は筑波大学の心身障害学系の教授が作ったのです。筑短に優秀な障害者(?)を集めて、心身障害学の研究対象としています。つまり、筑短に入学した障害者は、心身障害学という学問を研究している人々、そしてそれを後押ししている国家・現政府のモルモットになることを意味します。」(p.148) 

    福島智さん 2019/01/08 於:立命館大学衣笠キャンパス・創思館・書庫 福島智さん 聞き手:立岩真也.



    「福島 そう、筑波の附属の進路指導部が、まずは内的に打診したら、盲ろうの生徒を受け入れたことがないから、あの、受け入れられないということで、とにかく細かいことはわかんないけど、断ってきたんです。「共通1次だけ受けるんであれば、それでもいい。2次は受けてもらえないけれどね」みたいな、そういうものすごい失礼な(笑)、返事だったんです。それで、僕と塩谷先生と周りの人間は、「筑波大学なんか絶対に行くか」という、(笑) その時に決めたんですね。まあ、心身障害学系が幅をきかせているね、頃ですね。佐藤泰正とか。筑波、筑短問題とかって、ご存知ですよね。
    立岩 はいはいはい。多少は知ってます。
    福島 まあ、だからもし、筑波に行っていたら、私の人生はひどいことになっていたかもしれませんね。(笑) などと言うと悪いけど。とにかく断られたんですよ。」

    ◇天野誠一郎 古賀典夫 篠原睦治 201903** <討論>私たちが直面している「障害者」問題. 社会臨床雑誌, 26, 3.



    古賀 [前略] そして、「筑波大学身体障害者短期大学」構想でも、そうですね。
    篠原 この構想は、古賀さんたちが学生の頃、出てくるんだけど、あなた方、視覚障害学生と聴覚障害学生が中心になって、「盲ろう短大設置反対」の運動を起こしていくんだよね。ぼくも、あなた方に巻き込まれて発言していったっけ。

    ◇視覚障害者労働問題協議会 編 20000123『障害の地平』No.100-2 SSK通巻第1509号;身体障害者定期刊行物協会,53p.



    1981年(さらに連帯の輪を広げる視労協)
     ◎筑波身障短大構想に反対する連絡会の結成
     1月15日視労協を含む5団体により、筑波身障短大構想に反対する連絡会の発足。
     1月24日、文部省に5項目の反対理由を含む要望書提出。
     その後、87年秋の筑波技術短大の開校まで、ほぼ年に2〜3回の総決起集会。1.2カ月に1度の文部省前や筑波現地での抗議行動、署名活動など身障短大構想に反対する運動は、視労協の闘いの重要な課題の一つとして取り組みが続けられる。

     ◎ついに筑波短大開校に
     視労協を含む反対連絡会の抗議行動などによって、開学が大幅に遅れていた筑波身障短大は、やっと3月に設立法案が国会を通過。名称も筑波技術短期大学とする事によって、身障者短大というイメージを薄める形

    ◇■視覚障害者労働問題協議会 編 1998?? 『障害の地平』第94、95合併号,SSK通巻第1241号;身体障害者定期刊行物協会,28p. ds. v01 [サイト内リンク]

     解散から存続へ、そして生きる   的野 碩郎…21

     だがこの障害者開放運動はそう長く続くものではない。当時の会員は学生から社会人となり時間的制約や実社会での立場などといったやっかいな変身や年齢や性格の柔軟性などなど加わってペースダウンとなってくる。僕は筑波技術短大の反対運動が筑波現地と文部省という2つに中心において戦われている最中に会員となっていくのだが、僕の仲間の中では裏切り者となっていた。なぜなら既成の組織には入らないという約束事を破ってしまったからである。確かに組織の中に入るとある種の自由は奪われる事もあるようだが、今そんな事を組織が協調したら組織は成り立たない。
    1970年代〜80年代に生まれた人達にとっては恋愛と交流とほんの少しの冒険があればいいのだから。もちろん一般論である。

    p23
     もう一つ、視労協が低迷している時にささやかれている呼び名がある。活気あふれる視労協の初期もそうだが、中心をなす視覚障害者のほとんどが筑波大の付属盲学校出である事から、「仲良しクラブ」とも呼ばれている。
     という具合に発足の時、そして低迷の時の会員同士の関係が結局、今回の解散白紙撤回、存続という思いを生んだに違いないと思える。

    ◇筑波学生新聞, 19881100, 「筑短建設工事始まる 障害者団体等が抗議活動」.



    ◇大橋 由昌 19880410 『盲学生憤闘記 キャンパスにオジサンは舞う』,彩流社,223p.



    「各論とは、いわゆる「筑波短大」問題であり、これは文部省が”可及的速やかに”開学の準備を推し進めている、国立の視・聴覚「障害者」のための「筑波技術短期大学」の問題についてであった。私は、本構想を知って一九七九年の十月に、聴覚「障害者」を含む二人の友人と共に筑波短大問題研究会を組織し、以来その代表の立場で反対運動の一翼を担ってきた。私達の反対運動の理由は、視・聴覚「障害者」の個別的なものを除けば、本構想が@盲ろう学校の矛盾を高等教育の場にまで先送りすること、A文部省の隔離教育政策を容認する結果になること、B統合教育を求める多くの「声」に逆行すること、C「障害者」間に新たなる格差をもたらすこと、そしてD「一般」大学の「障害者」受け入れ拡大の弊害となることなどである。」(p.222)

    ◇点字ジャーナル, 201206xx, 「日盲連竹下会長の驚愕人事情報部長に「毒舌論客」」. 第43巻6号(通巻第505号).



    「 実は本誌先月号での竹下新会長インタビュー時に、特に大橋氏を名指ししたが、「彼の方が1歳年上かな? 昔からの親しい友人ですよ」とさらりとかわされてしまった。その時点で、鈴木氏が情報部長を退くことは決まっており、後任は誰かと話題になっていたので、私にとってもこの人事はサプライズだった。
     大橋氏は大学卒業後、病院勤務を経て朝日新聞に勤務するが、一貫してあはきの現場を歩いてきた。そのかたわら筑波技術短期大学(筑波技短)設立反対闘争に象徴されるように、在野で活発に運動を展開する一方、NHKラジオ第2放送の「視覚障害者のみなさんへ」(当時)のコメンテーターとして、長年活躍したことはご存じの通りである。」
    「 昭和45年(1970)の春、附属盲の専攻科に20歳で入学。時は70年安保闘争に沸く政治の季節で、彼はすぐに音頭をとり社会問題研究会を組織し、当時頻発した目白駅からの転落事故を取り上げて駅長交渉などを行う。そして昭和47年(1972)には附属盲でも学園闘争が起きる。当時、同校には中途失明者で、大学で全共闘運動を身近に体験してきた生徒もおり、留年者まで出す激しいものであった。  このような経験から何かと附属盲の教師に頼ることの多い東京の大学ではなく、京都の大学を目指したもののようだ。  彼の名を一躍全国区にしたのは、筑波技短設立反対闘争を通じてである。大学を卒業して、東京に帰って間もない昭和54年(1979)の10月、彼は筑波短大問題研究会を立ち上げ、附属盲の組合と共闘する。また、昭和57年(1982)には、早稲田鍼灸専門学校にあはき課程を設置するという問題も起こり、昭和62年(1987)10月に筑波技短が設立されるまでは、なにかと盲界は慌ただしく、その中心にはいつも彼がいた。」
    「 筆者が初めて大橋氏を見たのは、筑波技短設立反対闘争の集会だった。典型的なアジテーターに見えたので、個人的には敬遠が無難と思った。それでも年に数回様々な会合で会ううち、20年ほど前からはかなりうち解けて、表の顔と随分違う人だということを知った。意外なことに、彼は気のいい、よく配慮のできる、サービス精神旺盛な人なのだ。しかも多様な情報源を持つ早耳で、附属盲の組合やNHKディレクターと阿吽の呼吸で、アジテーターや辛口コメンテーターとして、場合によってはトリックスターとしての役回りまで演じた。名演であればあるほど敵役は憎まれることも、あえて飲み込んだ上でのことだ。」

    ◇点字ジャーナル, 200706xx 「(座談会)理療料教員養成の在り方を考える(藤井亮輔、吉川惠士、神崎好喜、大橋由昌)」. 第38巻6号(通巻第445号) 



    「?本誌:藤井さんと吉川さんはシンポジウムにおける指定発言者で、当事者として最前線に立っている方です。一方、神崎さんと大橋さんは当日フロアにおられさかんに質問の手を挙げておられました。神崎さんには当方の期待としては当事者以外の盲学校代表として、大橋さんには筑波技術短期大学(以下、短大)設立時からの因縁浅からぬものがあり、批判的な視点も必要だと思い参加してもらいました。それでは、まず大沼学長が命名したいわゆる「藤井プラン」について、本誌前号の記事を補足する意味も込めて、簡単に藤井さんからご紹介ください。
    ?藤井:これはまず学内のコンセンサスを得るために作った素案ですが、なにも私1人の案ではなくて保健科学部の中に昨秋できたワーキンググループの最終案です。骨子は短大から大学になったことで理療科教員養成の環境が整い、保健科学部の上に2年課程の専攻科を置いて、理療科教員免許状を出すようにしたということです。一方、盲学校専攻科を卒業した人たちが入れるように、学部の横に特別別科という2年課程を置く。これは編入学ができるまでの過渡期的な措置です。ただ、これには2つ問題があり、一つは養成施設との競合で、これについては養成施設や筑波大学と協議をします。二つめは授与する免許状の問題です。本来、専攻科では専修免許状を出せるわけですが、特別別科では専修免は出せません。したがって、当面は別科にあわせて専攻科も1種・2種にせざるを得ないという問題です。その意味でもなるべく早い時期に専攻科ないしは教職修士に一本化できるような環境整備をする必要があります。
    ?本誌:養成施設とは完全に競合するし、平行してはあり得ない。筑波大学には養成施設のバックになる学科がなく、正規ルートにのせられなかったが、技術大にはそれがあるので統合できないかということですね。
    ?吉川:養成施設は1903年にできましたので104年の歴史があります。戦後、形としては指定教員養成機関ですが、これは本来臨時的な措置で、非常に不安定なものなのです。教員養成は本来は学部学科ですべきですが、それが盲学校の理療科教員の場合はできませんでした。日本の教員養成は教員養成学部で養成するのと、一般の学部学科で国語や社会科などの免許状を出すという2通りの方法があります。筑波大学では教員養成学部は作らない方針なので、養成施設のバックとすべき学部は医学部か、体育学部か、しかしそのどちらも現実問題としては難しい。それでは心身障害学系かというと、そこは小中教育の研究者中心なので職業教育は難しい。そういう意味では技術大ができましたので、文学部で国語の免許を取れるような形が可能になったのです。教員養成は専門スタッフの周りに関連領域のスタッフが大勢いて、何重にも取り巻くことによって、教員および教育の質を確保していますが、そういう意味でも養成施設は難しいのです。いずれにしろ、養成施設の将来像については、筑波大学の中にワーキンググループを作って現在検討しているところです。
    ?本誌:先のシンポジウムで、神崎さんもさかんに手を挙げておられました。しかし、結局時間切れになりましたが、どんな質問だったのですか?
    ?神崎:技術大は視覚・聴覚障害者に特化した国立大学ですね。私は理療科教員の中に晴眼者がいることはいいことだと思っています。ただ便利ということでなく、健常者の理療科教員を通じて盲学校と社会の双方が互いを知り合う、ある種のノーマライゼーションという意味でも必要なのです。しかし技術大で晴眼者の教員をどのように養成できるのか? 二つめは、シンポジウムで特に香川先生とか皆川先生が言われた、特別支援教育の中で理療科だけでなく自立活動にも長けた教員になって欲しいという意見がありましたが、はたして技術大の2年間のコースでそういった教育を含めて対処できるのでしょうか? 私は1973年に養成施設を卒業しましたが、点字以外に、当時「養訓」といったいわゆる自立活動は習いませんでした。」

    ◇大橋由昌 200803xx「(特別寄稿)有宗義輝先生の死を悼む!」. 第39巻3号(通巻第454号),点字ジャーナル

     僕が、有宗先生と共に本格的に運動に関わったのは、筑波技術短期大学(技短)設立反対闘争を通じてであった。結局、同短大は1987年10月に3年制の国立大学として設立されるのだが、われわれが反対の烽火をあげたのは、それから9年もさかのぼる1978年のことであった。同年に「身体障害者のための高等教育機関」を作るための「調査会」が設置され、技短の設置構想が寝耳に水で明らかになった。僕は専攻科卒業後に、京都の大学に進み、そして、卒業と共に上京して間もない、1979年の10月に、筑波短大問題研究会を立ち上げた。理教連の「創立30周年祝賀会」を、中止に追い込んだのも、附属盲組合との共闘があったからだ。先生は、そのブリッジ役を担ったのである。

    ◇xxxxxxxx 長谷川貞夫 「六点漢字の自叙伝(26)」 [外部リンク]

     電子技術総合研究所は、国の筑波研究学園都市計画で国立研究所のため、同地区へ移転することになった。

    それで、昭和52年の途中から、少しずつ筑波地区へ移転が始まった。

     そのため、自動点訳を行なっていた東京都田無市(現、西東京市)の同研究所の矢田光治氏と田中隆氏は、昭和52年までで自動点訳ができなくなった。

     しかし、永田町の国会議事堂の近くにあった同研究所の本部は移転が遅れていた。

     それで、言語処理研究部の坂本義行氏が、わずかな期間だけその後も東京で、言語処理としての点字による漢字を含む日本語入力の研究を続けて下さっていた。

     前にも述べたが、文部省が障害者短期大学構想(現、筑波技術短期大学)を発表した。

     その設立準備室の置かれた筑波大学と、その短期大学構想に絶対反対の立場をとった附属盲学校の多数の職員とは激しく対立した。

     短大推進側が、同短大計画から音楽科を削除せざるを得なかったのも、その反対理由に押されてのことであった。

    だから、現在、筑波技術短大には音楽科はない。

     その障害者短期大学準備室に、以前から点字に関心を持たれ、私に協力して下さっていた筑波大学教授のN先生がおられた。

     先生は、筑波大学におけるコンピュータ利用の中心である学術情報処理センター長でもあった。

     だから、同センターは、岡崎氏の国産点字ラインプリンター第1号機を、昭和51年に購入することもできた。

     障害者短期大学構想の発表される前は、私はN先生のところへよく行った。

     そして東京教育大学附属盲学校が、1、2年後の昭和53年度から、筑波大学附属盲学校になる予定なのであるから、点字の研究にはとてもよい環境になると期待していた。

     ところがである。

    ◇森澤良水. (2006). 筑波技術短期大学の四年制化に当たっての諸課題. 筑波技術大学テクノレポート, 13, 109-113. [外部リンク:PDF]

    本学の長年の悲願であった四大化がこの度実現の運びとなり平成17年10月1日筑波技術大学が開学となり、10月13日には開学記念式典が挙行された。この四大化を盛り込んだ「国立大学法人法の一部を改正する法律案」が国会に上程され、衆議院・参議院の審議を経て、平成17年5月に全会一致で可決・成立し、87番目の四年制の国立大学法人となった。なお、いずれの委員会においても附帯決議が附された。この国会の審議過程などで、明らかになった短大時代と四大時代の差異、今後残された課題などについて分析、研究した。

    ◇みみだより 不詳 え? 筑波技術短期大学が筑波大に埋もれてしまう?.聴能情報誌,みみだより,第3巻,第427号,通巻512号.

    日本で唯一の聴覚障害者のための大学:筑波技術短期大学が筑波大学との統合を考えていることが明らかになった。筑波大学との統合により,独自の入試制度や少人数教育,聾学校とのパイプなどが維持できなくなるのではないかとの心配もあり,筑波技術短期大学内部でも意見は割れているとも聞いている。

    ◇長谷川考 1980xxxx 「

    専門家支配については, 「特殊」領域とされる障害児教育には,特にその傾向が顕著 と言えるかもしれない。最近,筑波大学に併設の計画が進んでいる「筑波障害者短大」 について話し合ったとき, 「私は障害者教育の専門家であり,障害児・者よりも障害児 とか障害についてよく知っているし,何を, どう教育すべきかもよく知っている」とい う専門家の発言と態度に出会い,唖然とさせられた。聴覚障害学生を前にして「私たちは, ろう教育の内側,あなたたちは外側」と言ったりするのである。この専門家意識の裏側 には, “障害児は専門家が与えてやる教育をおとなしく受けていればいい。それが最も 幸せなことなのだ"という考えがあるわけだ。これは, 「ふつう」の教育にも一貫して いることで,内申書裁判控訴審で教育行政は「もっぱら与えられた教材について勉学に 励むべき」で,よけいな言動は慎め(だから疑問をもったり,矛盾についても考えたり するな, とも理解できる), と述べているのである。

    ◇視覚障害者労働問題協議会事務局 19820325「筑波身障者短大設立、なぜ反対なのか」,福祉労働 14.

    「産学共同路線や学生に自治や言論の自由でさえも認めないことで知られるあの筑波大が、「身障者のため」と称して、身障者の短大を創ろうとしていることを知っているだろうか。」(p.118)
    「この短大計画以前にも聴障者だけの大学構想や盲学校専攻科を短大に昇格させようという動きがあったが、実現しなかった。身障者短大構想に直接かかわるものとしては、先ず七五年に東京で聴覚障害教育の国際会議がある。そこでは統合教育の進んだカリフォルニア州立大学ノースリッジ校の聴障者に対する情報保障体制が紹介され、聴障者の高等教育に対する関心が多いに高まった。このような情況を背景に、七六年六月には「聴障者のための高等教育機関の設立を推進する会」が、筑波大関係者を中心に設立される。そしてこの会は、ノースリッジ校とはまったく違う隔離教育の身障者短大構想を推進するのである。」(p.118-119)
    「この計画に対し、早くから憂慮の声はあったが、反対の動きが顕在化したのは七九年の筑波短大問題研究会の発足からである。」(p.119)
    「特に筑波の足下である附属盲学校の教職員が、さまざまな切り崩しや処分攻撃をもはね返して反対運動に起ち上がっていることは、筑波にとって大きな打撃となっている。さらに八一年一月には身障者短大反対勢力が結束して闘うために、われわれ視労協を含めて障害者や学生の七団体が「筑波身障者短大構想に反対する連絡会」を結成し、現在反対運動を展開している。」(p.119)
    「身障者短大構想の一環として、設置が予定されている視覚障害者短大には、当面鍼灸科、理学療法科、音楽科、情報技術科の四学科が置かれることになっている。このうち音楽科と情報技術科については、やはり一般大学からの排除に繋がるものだということができる。」(p.120-121)
    「音楽の分野にしろ、プログラマー等情報技術の分野にしろ、単に技術的な面だけから言えば、確かに視覚障害者にとって可能性の多い職域だと言うことは出来る。しかし、視覚障害者にとってそれが、真に職業として成り立つかどうかは、社会の側が視覚障害者をどれだけ受け入れる姿勢を取るかにかかっている部分が多いのである。」(p.121)
    「視覚障害者の場合、鍼灸、マッサージ師の養成は、現在、主として盲学校高等部専攻科という過程(ママ)で行われているが、こうした現況の中に国立視覚障害者短大をつくり、定員わずか三十名の鍼灸科を置くことは短大卒の鍼灸師と盲学校卒の鍼灸師との間に必然的に就職や身分の上で格差をもたらすことが予想される。」(p.121)
    「しかも将来的には鍼灸師の資格そのものが鍼灸短大(あるいは鍼灸短大)卒を条件とするようになって、多くの視覚障害者から事実上鍼灸師になる道を閉ざす危険性があるというのがわれわれのおもな反対理由である」(p.121)

    ◇芹澤勝助先生の思い出を語る会開催 [2016.02.10] [外部リンク]

    「発起人代表である西條一止氏(筑波技術短期大学元学長)によるあいさつのあとに行われた「第1部・視覚障害教育」では、佐藤泰正氏(筑波大学元副学長・名誉教授)らが、30余年にわたって理療科教員の養成に携わった芹澤氏の功績とその人柄、思い出を語った。」
    「 続く「第2部・鍼灸手技療法」で西條一止氏は、芹澤氏が生前、国立大学で理療科教員養成が正規の課程として位置づけられたら、その大学に銅像を建ててほしいと言っていたことを明かした。そして、芹澤氏が筑波技術短期大学(現・筑波技術大学)の設立に中心的役割を果たしたことから、近年ノーベル賞受賞者らの像が並ぶつくば駅近くの公園に芹澤氏の全身像を設置することを提案した。」

    ◇馬の耳にロバの耳 20140531「毎ブラ199:KEKとブラサカのつながり」.[ 外部リンク ]

    「 H先生は、筑波技術大学のことをよくご存知だった。というのも、かつて高エネルギー物理学研究所(KEKの前身)の所長も務められた故・西川哲治先生が、あの大学(当初は筑波技術短期大学)の設立の際に、かなりのご尽力をされたというのである。未確認の話でアレだが、どうやら視覚障害か聴覚障害を持つお身内がおられたらしい。同じつくばにあるとはいえ、KEKと技大がそんな形でつながっているとは思ってもみなかったので、なんだか嬉しくなったのだった。」

    ◇菊池健 xxxx 三浦功氏を偲ぶ [外部リンク]

    「三浦先生の生涯は「創業」の一語に尽きる.学術的業績もさることながら,東大核研,高エネルギー研,筑波大学,筑波技術短大と,四つの機関の創設に多大の貢献を した,その功績によりこれら4機関から名誉教授を授与されている.」

    ◇ 「点字ジャーナル」 07年05月号

    「そのうえで、藤井先生に理療科教員養成課程設立のための道筋「藤井プラン」を作成してもらい、現在それを学内で共有することにこぎ着け、4月には新に設置準備室を置く予定でいる。しかし、学内だけでよかれと思って進めても、国民的、社会的コンセンサスが得られないと実現は難しい。かつて筑波技術短期大学開学にあたっては、視覚障害関係者から大変な反対運動が起き、それが長期間しこりとなって残った。その教訓から関係者こぞって賛成し、応援してもらえるという確信がもてるようになってから理療科教員養成課程の設置は進めたい。」

    身体環境共生学入門 : 包括的共生概念の構築に向けて

    ところが、あくる年のこの授業で、「見えない」古賀さんは、手話で、筑波盲ろう短大(現在、筑波技術大学)問題 1について話し出した。ぼくには、衝撃的な場面だった。前年度の授業でも知らされていたが、手話は「見る」言語なので、手話で「見えない」者が話せるようになることは至難なことと思っていたからである。当時、「視覚障害」者・「聴覚障害」者にふさわしい職業のための専門的な技術・知識を習得する国立短大を作る動きが出てきて、和光大学の「障害」学生たちも反対運動を開始していたのだが、その反対のポイントは二つあった。ひとつは、一般の大学が「障害」者に対して、いよいよ閉じていくことにならないか、ふたつは、「障害」者の働く世界を広げることになるどころか限定していくことになる、ということだった。
    この運動の中に、「見えない」古賀さんたちと「聞こえない」越智さんたちがいた。一緒に考えなくてはならないので、古賀さんは、触りながら手話を覚えた。「聞こえない」側は、“ブロークンな”手話を読みながら、口話で返した 2。なお、読唇・口話は、「聞こえる」側が話す際の口唇の繊細な動きなどを読み取りながら、聞こえないまま発声するもので、ろう教育は、そのことを至上課題としてきた。後述するが、読唇・口話の無理さ、不自然さは、特に 90 年代に入ってから、「聞こえない」側から説得的に指摘されてくるが、それにしても、「見えない」者の手話、「聞こえない」者の口話という組み合わせは、一緒に考えようとする両者の関係から必然的に生まれたものであった。[外部リンク:PDF ]

    ◇堀利和 19850415 寄稿=筑波身障短大設置粉砕を共に闘おう, 『全障連』49, 全国障害者解放運動連絡会議[全文掲載]

    「 筑波心障短大設置の粉砕をともに闘おう
     =寄稿=
     視覚障害者労働問題協議会 堀利和
     この闘いは三月全国幹事会で共闘を決定しました。

     七九年度養護学校義務制度化実施、そして八四年臨時教育審議会設置以前の一九七六年に、文部省内に身体障害者短期大学に関するプロシェクトチームがつくられてから、いわゆる筑波身体障害者短期大学構想(国立身体障害者短期大学いずれも仮称)が本格的に進められることになった。その後、盲・ろう教育関係者らを中心に推進の動きが活発になり、七八年には「特殊教育」のメッカでもある東京教育大学→筑波大学内に福田信之現学長を委員とした調査委員会が設置され、現在創設準備室となっている。
     「文部省は私大に対して身障者を入れよと言うよりも、国費で身障者専用の大学を創るべきである」。これは、七六年に出された日本私立大学連盟大学問題研究会報告書の一部である。同様に、国大協の中にもこうした考え方をもつ者もいる。
     ところで、私たちがここで問題にしているのは、単に大学レベルのことでは、もちろんない。それは障害者教育、障害者政策全般に関わる問題である。たとえば、これまで出された「まとめ」や「報告書」を見ると、それには「当面、視・聴覚障害者のための短期大学」とか、「障害者のリーダーを養成する」ということが記されている。つまり養護学校においては今だ職業教育が確立されていないため、当面、盲、ろう学校の職業教育を「充実」させることを先行させた短期大学、したがってそれは、単に盲・ろう短大というよりはむしろ、「身体障害者短期大学」構想として位置付けられているのであり、また、エリート養成による障

    p7
    害者の障害者自身に対する上からの管理システムを確立し、障害者と健常者はもとより障害者内部をも階層別に分断・管理しようとするものに他ならないということなのである。今日的状況下で考えてみても、それは・臨教審路線にいう「個性化・多様化」つまりは「差別・選別・分断・管理」の一層の徹底強化に他ならないのである。だから私たちは、七九年度養護学校義務制度化の延長線上に、本構想が位置付けられているとみられているのである。
     原構想によれば、視覚障害者には鍼灸科、情報技術科など四学科、聴覚障害者には医療技術科、工業技術科など四学科があり、さらに図書館やカウンセリングセンター(「全国の集中管理システム化」)が設置されることになっている。
     とりわけ、各論として視覚障害者独自の問題に限定していえば、鍼灸科、の設置である。視覚障害者における鍼灸のレベルアップを唱い文句にして語る鍼灸科も、実は、視覚障害者から事実上鍼灸をとりあげようとするものに他ならないのである。つまり、韓国や台湾のように露骨に視覚障害者に対して「禁止」措置をるのではなく、能力主義に基づく自由競争の原理により一部エリートの視覚障害者にそれを認めるというものであって、ほとんどの視覚障害者からそれをとりあげるか、ないしは格差をつけるということになる。
     「障害」の論理から「能力」論理にすりかえて、障害者差別をおおい隠し、障害者の団結をなし※(校正者注:※は穴あけパンチで穴が空いて判読不能)しにするものに他ならないといとえるのである。
     現在文部省は、盲・ろう学校の校長会やPTA、「特殊教育」の大学教授、厚生省や労働省、そして国立リハビリテーションセンターの専門家など集めて「協力者会議」を発足させ、近々「意見書」を出させる運びにし、原構想の見直しと「合意」形成に力をいれている。―いよいよ今年が決戦の年になる
     私たち視労協は八一年より、「筑波身体障害者短期大学構想に反対する連絡会」を結成し、筑波大附属盲教職組と共に闘ってきた。
     今年五月筑波大現地闘争、七月文部省大抗議行動で、筑短粉砕の決戦闘争を盛り上げていく決意である。ともに闘おう!

    ◇岡田徳太郎 19850801 「筑波身障短大構想反対の筑波大学現地行動に参加して 」, 『全障連』52, 全国障害者解放運動連絡会議[全文掲載]

    「 5・13 筑波身障短大構想反対の筑波大学現地行動に参加して
     関東ブロック・岡田徳太郎(校正者注:「5・13〜岡田徳太郎」四角囲み)

     全障連は三月の定例幹事会の決定によって全障連として始めて筑波身障短大構想に明確に反対の立場をあらわすために、筑波大学に全障連として8人が参加した。子問研のOさん、視労協の仲間、全員で30名が参加しました。
     5・13の格の獲得目標は、筑波大学学生の情宣と筑波大学当局に圧力をかけ、今年予定されている筑波身障短大の大蔵省への予算を出たせないための行動であった。
     学生への情宣は、ビラの受け取りは成功でした。車イスの筑波大学生にビラを渡そうとしたところ、ことわられ、障害者の学生生活のよわさを感じさせた。
     広大な大学の中立カソ一つも見つけることもできなかった。局限にまで管理しくされた大学であることも感じさせた。
     ときおりの大学のいやがらせもあったが、30人という人数に当局もあ然としたようだ。筑波身障短大構想は、盲・ろう・養護学校義務化の延長線であり、新しい障害者への分断と差別を作り出すものです。
     この身障短大構想を、絶対つぶさなければなりません。 」

    ◇全国障害者解放運動連絡会議 19851001 「 各分科会の討論報告 」, 『全障連』53, 全国障害者解放運動連絡会議

    「 教育分科会
     就学闘争分科会においては、石川重朗君の飯田東小学校への転校闘争と長崎のみね友さんの裁判闘争の報告がなされました。この中でこれまで全障連が作り上げてきた就学闘争のあり方が問われるものとして論議された。
     実力闘争を続けてきた全障連にとって、運動を支える支援団体のない地域においていかに闘いを広げるかが問われているということが言える。
     次に、差別を許さない仲間作りと進路の分科会では、奈良と寝屋川のとりくみが報告され、地域と学校における問題点が出された。とりわけ地域の普通学校に入った後どうしていくのか、また教育内容そのものの討論が必要なのではないか、さらに学校と地域を結ぶ運動を作らなければいけないのではないかということが話された。
     それと同時に、筑波身障短大の構想阻止にむけての提起もされた。
     私たちは今原点にもどり、なぜ地域の学校に行くのか考えなくてはいけない。自分たちが本当に地域で生きているのかをあらためて問い直しながら地域の中の学校にしていくとりくみが必要であり、仲間作りでも本当の結びつきを作っていく必要がある。そのためにももっと積極的な、ある意味では強引でも具体的実践で仲間作りをしようという意見も出た。 」

    ◇全国障害者解放運動連絡会議 19860201 「障害別・階層別交流会の討論報告」, 『全障連』62, 全国障害者解放運動連絡会議

    「 次に、堀さんより筑波技術短大をめぐる状況が出され、その位置づけの様変わりぶりについての若干の論議がなされました。筑波身障短大が技術大とされたのは、障害者を一ヶ所に押し込めて隔離するという批判をかわすためのようである。技術短大としてスタートさせ、健常者との競争によってエリートを選び分けようとしている。また短大卒の肩書きをつけて盲学校専攻科との格差をつけようとしている等々、文部行政の差別的教育構想に対する批判を強めながら徹底して反対していく必要性が確認されました。 」

    ◇全国障害者解放運動連絡会議 19880630 「各分科会(書記)報告」, 『全障連』76-77, 全国障害者解放運動連絡会議[全文掲載]

    「 今回の教育分科会は、今までと違った形の講演会形式で行われました。参加者は六〇名を越えました。まず基調提起がなされ、レポートは三つで、追加レポートが一つありました。

     @筑波短大反対運動の現状と今後の運動
     筑問研のDさんから、様々な取り組みにも関わらず、昨年度、筑波身障短大設立の予算が計上され、実質的に「敗北」したことは残念だが、今後は「短大の存在」そのものを問い続けていこうと報告されました。その中で指摘していたことは、障害者は障害者の学校へと隔離教育を進める文部行政の問題と、一般の中で職業人として働ける内容ではないことが挙げられました。また、高等教育は別問題とされがちだが、単に能力主義を否定するのではなく、さらに議論を深めることが提起されました。 」
    br

    ◇筑波学生新聞 19871110 「筑波技術短期大学開学??「身分上の格差を生む」 反対派」, 61:85.

    「聴覚障害者と視覚障害者の高等教育機関として設立準備が進められていた筑波技術短期大学(以下技術短大)の開学祝賀会が、十月一日、東京・霞が関ビル内の東海大学校校友会館で行われた。文部省によって建設構想が明らかにされて以来、賛否両論のあった技術短大だが、この日法律上の開学を迎えたことにより、今後は九〇年の学生受け入れに向けての準備作業段階に入ることになる。
    開学祝賀会には三浦功学長(前身体障碍者高等教育機関創設準備室室長)、佐藤泰正元同室長などの大学関係者をはじめ、塩川文部大臣ら数人の国会議員、茨城県議会議員が姿を見せた。[...]
     一方、同日、筑波大学構内では、「筑波身障者短大構想に反対する連絡会」(古賀典夫代表、以下連絡会)のメンバーなどが筑波技術短大に抗議する集会を開いた。[...]
     これに対し、八一年に結成された連絡会をはじめとする反対派は、「短大設立によって、一般の大学が障害者に対して門戸を閉ざすことが予想される」、「将来、短大卒者と盲・聾学校専攻科との間に就職上・身分上の格差が生じる恐れがある」などと主張している。 」

    ◇福井郁生 2005 「(学長インタビューを読んで) 大沼学長の態度と認識不足」, 点字ジャーナル.

    「1. なぜ4年制大化?大沼学長は、@障害を持つ学生の最高学府だけが短大であっていいはずがない、A短大創設当初から4年制大(以下4大)を求めていた、との理由をあげた。文部省(当時)は、B障害者教育にあたる教官の確保、C教育・学習環境の確保、D就職の可能性をクリアせよとの条件を求めていた、と述べている。しかし、@、Aは雰囲気や努力への言及で理由ではない。B〜Dは短大としての必要条件で4大への十分条件ではない。学力が上がって4大進学が増えてきた、4大生の力があるが短大のため就職に不利になる、盲学校等から強力な働きかけがあった等というのが説得力ある理由。」

    岩崎洋二 2011 「筑波大学附属視覚特別支援学校(附属も売学校)の歴史」, 筑波大学附属盲学校同窓会編, 『なずれば指に明らけし 筑波大学附属盲学校記念文集』, 3-18.


    「1979年には身体障害者短期大学構想が出され、短大反対運動が始まる。身体障害者短期大学構想は、視覚・聴覚障害者のための高等教育機関として当初は広範囲な大学づくりを目指していた。そのため附属盲学校として、構想の白紙撤回を求め激しく反対運動を続けていった。現在の筑波技術大学になっていくのだが、反対運動の結果、学科の数など構想は大きく変わっている。これと関連し、短大構想の中心人物が関わっていた早稲田鍼灸専門学校の按摩科設置反対の運動も起こった。1982年2月附属盲学校は全国に反対運動を呼びかけ、厚生省前に全国43団体240名を集め、抗議集会を開くなどして、晴眼養成校の按摩科設置の動きを一つはくい止めることに成功した」(p.16)

    大内厚 2011 「学園紛争の思い出」, 筑波大学附属盲学校同窓会編, 『なずれば指に明らけし 筑波大学附属盲学校記念文集』, 131-133.


    「2. 紛争で示された問題提起
    @専攻科教育課程の袋小路の打開
    専攻科課程は短大でもなく、高等専門学校でもなく、大学互換単位に認定されない盲学校独特の袋小路からの脱却要求であった
    A教員の資質の変革
    専攻科の理療科、リハビリテーション科の教員は特設理療科教員養成施設という大学でもなく、ただ教員資格を取得するだけの課程で、盲学校のエリート頂点で、その指導能力には大きな疑問があり授業の質には大きな問題があった。これを打開するには大学課程での教育体制整備が必要だ 」(p.132)

    「3. まとめ
    闘争後、38年が過ぎているが視覚、聴覚障害者のための筑波技術大学、大学院がオープンされているが専攻科課程の袋小路は解決されていない。附属盲学校理学療法科や理療科教員養成施設の統合が出ているが実現していない。少なくとも、この統合と専攻科卒業生の筑波技術大学への編入制度を構築すべきである。」

    矢野忠 2011 「理療科教育の問題点と今後の検討課題」, 筑波大学附属盲学校同窓会編, 『なずれば指に明らけし 筑波大学附属盲学校記念文集』, 289-300.


    「著者の視点は昭和53年の芹沢提案と本質的に変わることはない。異なるとすれば専門学校教育ではなく、大学教育という点だけである。
     理療科の高等教育課については、全日盲研静岡大会(1972年の夏)の理療科部会で短期大学構想が打ち上げられ、理療科教員は一丸となって理療科の資質向上と鍼灸師の社会的地位向上を目指して、高等教育化に賛成したのであった。その運動が短期大学設置基準へと結びつき、附属盲学校の短期大学化が議論された。しかし、短期大学になったのは附属盲学校理療科ではなく、明治鍼灸短期大学(1978年)であった。その後も高等教育化への理念は継承され、明治鍼灸短期大学に遅れること9年、1987年ようやく筑波技術短期大学が設立され、2006年には筑波技術大学として学生を受け入れることになった。その間、明治鍼灸短期大学が明治鍼灸大学となり、大学院(修士・博士課程)を設置し、着実に発展の道を進んだこととは対照的である。」

    文部省高等教育局技術教育科 1986 「身体障害者高等教育機関の基本構想について」. 文部時報, 1315:80-82, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2227784.

    「 昭和五〇年頃から、聴覚障害者のための高等教育機関の設置についての要望が高まり、五一年に、「聴覚障害者のための高等教育機関の設置を推進する会」から、また、翌五二年には「視覚障害者のための高等教育機関の設立を推進する会」から、聴・視覚障害者の対象とする高等教育機関設立の要望がなされた。
     昭和五三年度以来、心身障害学について高度の教育研究組織を持つ筑波大学において聴覚障害者及び視覚障害者を対象とする高等教育機関を設置する構想の検討を行ってきたが、昭和六二年度概算要求において、三年制の身体障害者短期大学(仮称 筑波技術短期大学)の創設を要求したところである。
     本短期大学は、@障害者の高等教育の機会の確保、A障害者の職業人としての育成による社会的自立の促進、B最新の科学技術を応用しての障害者の特性に応じた教育方法の改善、を目的として、七学科を有し、学生の入学定員は九〇名である。今後の予定は、昭和六二年一〇月開学、学生は六五年四月から年次計画により順次受け入れることとしている。
     なお、本短期大学の基本構想の概要は次のとおりである。

    基本構想の概要
    (1)創設の趣旨
     聴覚障害者及び視覚障害者を対象とする短期大学として、職業技術に関する教育研究を行い、幅広い教養と専門的な技術をあわせもつ職業人を育成し、量障害者の社会自立を促進するとともに、新しい教育方法を開発して障害者教育の改善に資する。」(p.80)

    ◇同資料に記された入学定員

    聴覚障害者関係学科
    デザイン学科 10(人)
    機械工学科 10(人)
    建築工学科 10(人)
    電子情報学科 20(人)


    聴覚障害者関係学科
    鍼灸学科10(人)
    理学療法学科10(人)
    情報処理学科10(人)


    ■国会における議論

    ◇まとめ

    ◇第94回国会 衆議院 文教委員会 第10号 昭和56年4月17日

    148 三浦隆

    ○三浦(隆)委員 もう一つには、この後の国立大学のところにもあるわけですけれども、「教育研究上の要請、人材の計画的養成等の社会的要請にこたえる等」、ここの「等々」というのがとてもひっかかるのですけれども、とにかくそうした一応の説明がありますが、前回文教委員会の中で新しく国立大学、たとえば教育大学などができてきたわけですね、それと同じようにして、まだ詳しくは内容はわかりませんが、けさの新聞に「初の身障者短大」という見出しの記事を見たわけです。これが五十八年度開校へ向けてということで「この短大は、視覚、聴覚の障害者を対象とした国立身体障害者短期大学一仮称)で、早ければ五十八年四月開校を予定、今年度から予算がついて筑波大に「身体障害者高等教育機関創設準備室」が設けられ、具体的な設立準備に当たる。」、こう報じられているわけでありまして、いままでの日本と違って、身障者の人たちに対して教育の門戸が開かれてくるということは、大変すばらしいことだろうと思っております。
     ただ、それが筑波大の中に、いわゆる身障者短大という名前で身障者専門の短大として出るのが望ましいのか、あるいは一般の大学の中の一つとして身障者短大の人が進んで入れるような学部・学科をつくることが望ましいのか、この点については、まだ時間をかけて論議をする必要があろうかと思いますが、いずれにしましても、これまでの既成の大学では学ぶことのできなかった人が積極的に学ぶことができるようになるということは、まさに国際身障者年を契機としながら望ましいことであろうと考えるわけです。
     すなわち、新しい時代というものがいま現にやってきました。そういう意味では、これまで考えられなかったような多様化、複雑化した社会の中に臨んで、ただ抑える論旨ではなくして、必要と認めるものはそれなりにつくっていかなければならなかろうと一つには思うのです。
     もう一つには、これまでのわが国は、教育と言えば、学校教育、その学校教育も、小学校卒業が中学、中学卒業が高校、高校卒業がすぐ大学という、いわゆるところてん方式を考えておりまして、多くの人が大体二十二なりの若くして社会に出てくるというふうに考えていたと思うのです。しかしわが国は、戦後飛躍的に平均寿命が増加いたしまして、明治・大正の最高のときで男女平均満四十五歳にも満たなかったわが国が、いま七十五歳なりにいこうとしておるわけです。
     そうした大変な年数の伸びというものに伴って新しい生涯教育というものが、これまで以上に大きな役割りを占めてくるようになるでしょう。しかも時代の移り変わりが激しいと、その時代に追いついていけないお年寄りというのは、単にいわゆる物が豊かになっただけでは、家族の人、社会の人ともうまくやり得ない場合が出てくる。あるいは昔貧しくて学校に行くことができなかったけれども、いま御年配になりゆとりができたから、改めて学校で勉強してみようというふうな方もふえるかもしれない。とするならば、大学もいわゆる高卒の子が進むだけではなくて、むしろ年配者が積極的に学ぶことのできるような大学像というふうなものも積極的に考えられていいのではないかと思うわけであります。
     文部大臣が大学設置審議会なり私立大学審議会の意見を聞いて「特に必要があると認める」ときには認可し得るわけですね。そういう意味で「特に必要があると認める」というのは、具体的にどのようなことを指すのか、御説明をいただきたいと思います。
    149 森喜朗

    ○森(喜)議員 三浦先生から大変示唆に富んだ御意見をちょうだいしまして、参考にさせていただくことが多かったと思います。どういう場合をというふうになりますと、これは設置審あるいは私大審の意見を聞くということになりまして、私からよりも、むしろ文部省からお答えを申し上げた方がいいのかと思います。
    150 吉田壽雄

    ○吉田(壽)政府委員 特別の必要性の判断でございますが、これは、いままでのこの五年間の抑制期間中も、大学設置審議会と私立大学審議会において、それぞれ決定いたしました審査基準というものがございますけれども、それに照らして行われてきたものでございます。その具体的な審査基準、特別な必要性でございますが、たとえば申請にかかる地域におきまして、同種の学部なり学科等が未設置であるかどうか、あるいはまた社会的要請に比しまして著しく少なく、当該地域に設置することが必要と認められるものであるかどうかといったような観点、あるいは看護婦その他の医療技術者を養成するもので、需給の状況からいたしまして当該地域に設置することが望ましい、必要であると認められるもの、あるいはまたわが国の高等教育の発展に大きな影響を与えることが期待される有意義な試みを実施しようとするものであって、その成果に十分な見通しが得られるもの、新しい分野を開拓するもの、特別な社会的要請なり教育研究上の要請にこたえまして新しい分野を開拓するもので、その成果に十分な見通しが得られるもの、あるいはまた勤労者等を対象とする夜間学部あるいは通信教育等、そういったものについては、特別の必要性というものを認めて審査してきた、こういうことでございます。
    151 三浦隆

    ○三浦(隆)委員 時間のようなので、深くもお尋ねできませんが、提案理由の説明の二ページの三行目に、先ほどもちょっと御説明ありましたが、「今後における高等教育全体の計画的な整備のあり方を検討する必要」という言葉がございます。これはだれが主体となって、どのような内容に向けて、いつごろまでの期間を前提としてお考えなんでしょうか。
    152 西岡武夫

    ○西岡議員 お答えいたします。
     先ほど有島委員との質疑応答の中でもお答えをいたしたわけでございますが、当然文部省が、大学設置審、私大審等とも十分連絡をとりながら、文部省としての考え方を早急に??今回の立法の趣旨は、少なくとも三年以内に、この期間の間に長期的な展望に立った高等教育計画を立案してもらいたい、また私どもといたしましても、自民党の中に高等教育についての小委員会を設けまして、森部会長を中心として党の考え方を取りまとめ、各党の皆様方の御意見も拝聴しながら、与党としての考え方も並行して取りまとめて最終的な案を得たい、このように考えております。
    153 三浦隆

    ○三浦(隆)委員 この改正法案が文部省案でなくて議員立法という形ですから、文部省が主体となって検討されるのではなくて、西岡先生を初めとする御提案者皆さんが主体的に取り組まれて、むしろ文部省その他の意見は参考意見にとどめるくらいのしっかりとした独自の案をひとつ早急におつくりいただくことを期待したいと思います。
     なお、この提案理由の一番最後の行から次のページの初めにかけてもそうなんですが、私は、まだ新米の議員であるせいか、こう書くのが正確なのかどうかわかりませんが、この言葉遣いが日本語としてきわめて不十分なような気がいたしました。
        〔中村(喜)委員長代理退席、委員長着席〕
    というのは「教育研究上の要請あるいは人材の計画的養成等の」とあると、この「等」というのは、この二つ以外にまだあるのかどうか、またさらに、その「等」は、どこにかかるのか、もし「社会的要請に応える」にかかるとするならば、「社会的要請に応える」という一つの論点と、そのほかもう一つ、ほかの「等」というのがなくてはいけない。そうした言葉自体も何となくあいまいもことしているような気がいたします。
     そこで、結論的には、本来学校というものをつくる、つくらないということは、もうすでに多年論議されたと思いますが、憲法二十三条の学問の自由なり、あるいは二十六条による教育を受ける権利なり、あるいは二十二条の職業選択の自由まで含めていいかどうかわかりませんが、とにかく、そうしたいわゆる国民が必要とする限り、本来国民の学ぶべき場所というのがあってしかるべきものだろう、もしそれを抑える論理があるとするならば、たとえ公共の福祉という名前を設けようとも、最小限度でなくてはならないと思いますし、より慎重にそれを図っていただきたい。片方できわめて抑制の論理が働くとともに、片方はきわめてルーズだといった場合には、その間によほどの合理的説明がないと、そこに思いがけない、当事者としては意識しない差別的な取り扱いが起こるやもしれないし、少なくともそういうふうな懸念を持たれますと、せっかくの教育という公的なものが、まことに当事者としてお互い残念なことになりますので、そういうことのないようにひとつ十分御留意を賜りますようにお願いをして、質問を終わらせていただきたいと思います。


    ◇第98回国会 衆議院 文教委員会 第4号 昭和58年3月23日

    251 馬場昇

    ○馬場委員 次に、国立身体障害者短大の設置の問題について御説明をしておきたいと思います。  先ほど五十九年度の新設の中にこの短大も入っておったようでございますが、まず最初に、身障者の方々の一般大学への進学というのはふえておりますか、減っておりますか。最近の傾向をまず尋ねておきたいと思います。

    252 宮地貫一

    ○宮地政府委員 正確な数字は把握いたしておりませんが、お尋ねは身障者の方々の一般大学への入学者の数でございますが、五十五年当時は多分千人程度であったかと記憶しておりますが、五十七年では若干それが落ちているというようなぐあいに記憶をいたしております。

    253 馬場昇

    ○馬場委員 私が調べたところによりますと、やはり身障者の方々の一般の大学への進学というのは年々増加しておるということを私は調べておるわけでございます。  そこで、基本的に局長にお尋ねしたいのですけれども、やはりこの傾向というのは、身障者の方々が自分の希望によって一般の大学で教育を受けたいということは、これは国際障害者年のテーマにもありましたように、障害者の完全な社会参加と平等という面からいって当然の傾向であり、喜ばしい傾向じゃないかと私は思うのですが、いかがでございますか。

    254 宮地貫一

    ○宮地政府委員 身体障害者の方々が一般大学に進学できるということは望ましいことでございまして、いろいろな機会にそのための特別な配慮をすべきことを私どもも指導しているわけでございます。たとえば共通一次についてもそのような配慮をいたしておるわけでございます。  それから具体的な数字でございますが、たとえば身体に障害を有する者の入学状況でございますが、順次ふえてきておりまして、五十四年度の千百名というのが一番大きい数字でございます。その後若干落ちている点もございますが、傾向としては順次ふえてきているということが言えるかと思います。
    255 馬場昇

    ○馬場委員 そこで、国立身障者短大の設置の準備状況をちょっと説明してください。

    256 宮地貫一

    ○宮地政府委員 準備状況についてのお尋ねでございますが、これについては五十三年以来調査費を計上して今日に至っておるわけでございまして、五十七年度も創設準備調査ということで準備を進めてきております。五十八年度の予算においては創設準備ということで予算措置をしておるわけでございます。なお、五十九年度から直ちに創設ということには、これは五十九年度の予算が今後の審議課題でございますので、私どもとしては五十八年度予算では創設準備ということで対応しているということで御説明させていただきたいと思います。  具体的な内容については、視覚障害者のための短期大学あるいは聴覚障害者のための短期大学ということでそれぞれ専門領域についての学科構成その他について御検討をいただいておるわけでございますが、これらについては、たとえば視覚障害者については鍼灸科、音楽科、理学療法科、情報技術科というような事柄が予定をされておりますし、また聴覚障害者については造形美術、医療技術、工業技術、情報技術というような内容の学科について構成をするというようなことで研究を進めているところでございます。

    257 馬場昇

    ○馬場委員 ちょっと心配になる点をお尋ねしておきたいのですけれども、先ほども議論しましたように、身障者の方々も一般大学に行く方が望ましい、それは奨励したいという立場は変わりないわけですけれども、今度できます国立身体障害者短大が結局、一般の大学に身障者が入りたいというのを、こういう大学ができますと、そこから締め出して、あなたはその短大に行きなさい、そういう方向を助長するということになったら私は大変なことだと思うのです。しかし、そういう心配を私はだれでもするのじゃないかと思うのですが、この点についてのそういう心配がないようにどう措置をとるのかということと、やはりいま筑波大学に盲学校がありますね。そこに専攻科がありますね。ところが、そういうのは、たとえばこういう短大ができますと、専攻科が廃止されてしまうのじゃないかとかということの心配も実はあるわけでございますし、筑波大学盲学校だけでなしに全国に盲聾学校専攻科があるわけですから、そういうところを充実して、そこを短大にたとえば昇格させるというような方向をとった方が本当に高等教育を身障者の方々に受けさせるというのには親切な方向ではないのか、こういうぐあいに私は思うのですけれども、これについての御見解を聞いておきたいと思います。

    258 宮地貫一

    ○宮地政府委員 諸外国についても調査をいたしておるわけでございますが、身体障害者のための高等教育機関というものがそれぞれアメリカなりイギリスなり置かれておりまして、それらについても調査をいたしておるところでございます。  それから、お尋ねの中で、こういう身障者のための短期大学を構想することを通じて、障害者が一般大学へ進学することについて阻むことになるのではないかという御心配が指摘をされたわけでございますが、文部省としては、障害者に対する高等教育の充実と教育機会の拡大を考えて進めているものでございまして、こういうものをつくることによって、一部に指摘されておりますような一般大学への進学を阻害するというようなことは毛頭考えておりません。

    259 馬場昇

    ○馬場委員 たとえば筑波大学の附属の盲学校等の専攻科というのは廃止されるのじゃないかという心配、もう一つは、全国の盲学校とか聾学校とかそういうところの専攻科を短大に昇格させた方がいいのじゃないかという私の意見に対する見解を聞いておきたい。

    260 宮地貫一

    ○宮地政府委員 ただいま具体的な構想について創設準備に向かって私ども検討している点でございまして、御指摘のありました専攻科との関連等についても、今後十分御意見等も参考にしながら対応は考えてまいりたい、かように考えております。

    261 馬場昇

    ○馬場委員 全国の盲聾学校等の専攻科を短大に引き上げるというような私の提案に対してはどうなんですか。それが一番いいのじゃないですか。

    262 宮地貫一

    ○宮地政府委員 全国の盲学校の専攻科を短大に引き上げるという問題につきましては、これは事柄として大変大きい事柄でございまして、筑波で進めております身障者のための短期の高等教育機関をまず完成させることが私どもとしては当面取り組まなければならぬ課題だ、かように理解をしております。

    263 馬場昇

    ○馬場委員 くれぐれも一般大学等から締め出すというようなことがないようにお願いをしておきたいと思います。  これで私の質問を終わります。

    ◇1986-10-21 第107回国会 衆議院 決算委員会 第1号

    ○阿部政府委員 筑波の身障者関係の短大についての御指摘でございますけれども、御案内のように、大変多数の障害者の方々あるいは障害児を持つ親御さんの方々あるいは障害者教育に携わっておる方々からの多年にわたる熱望がございまして、文部省といたしましてもこの問題を検討してまいったわけでございますが、特に昭和五十三年以来はこれについての正式の調査費等あるいは準備費等も計上いたしまして、筑波大学にお願いをいたしましてその検討を進めてきたということで、おおむね基本構想もまとまりましたので、現在この短期大学、筑波技術短期大学と一応仮称で考えておりますけれども、これの創設を六十二年度の概算要求でお願いをしているというところでございます。
     これの創設に当たりまして、一部に今先生が御指摘ございましたような反対の意見というのもあったわけでございますけれども、私どもとしては、一般の大学への受け入れをこれによってとどめるというものではなくて、こういうたぐいの大学へぜひ入りたいという方々のためにそういうものをつくっていくということで、一般の大学とこの短期大学とがいわば両々相まって身体障害者の方々の進学の機会の確保に役立つというような見地からこの問題を進めてまいったわけでございまして、現実にこの大学が成立をいたしました暁にも、一般の大学における受け入れということはいろいろと配慮をしてまいらなければならない、こう思っておるわけでございます。
     具体に現状で申し上げますれば、昭和六十二年度の大学入学者選抜実施要綱というような形で、国公私立の一般大学に対しましての指導を一般にいたしておりますけれども、その中におきましても、身体障害者の方々の受験の機会の確保ということにぜひ努力をしてほしいというようなことを、各大学に国公私を通じて指導をいたしておりまして、また、年々そういう状況もついてきておると思っておりますし、また文部省の側としては、この指導をいたしますほかに、国立大学、公立大学、私立大学とも、それぞれ形は違っておりますけれども、身体障害者を受け入れた場合の経費等につきましての援助の措置というようなこともあわせ講じまして、一般大学への受け入れということを配慮をいたしておるわけでございまして、今後ともこういった方向で努力は重ねていかなければならないと思っておるところでございます。
     なお、鍼灸短大についての御指摘がございました。私もちょっと手元に資料を持っておりませんのでうろ覚えで恐縮でございますけれども、この短大、設置をいたしますときから、視覚障害を持っておられる方々も受け入れることができるようにということで、そのために必要な点字の図書等も整備をさせまして、そういう体制を整えてつくっている短大でございます。現在の受験の状況、入学の状況がどうなっているかというのを、恐縮でございますが、ただいま資料を持っておりませんので、また後ほど適当な時期に先生に御報告をさせていただきたいと思っております。

    ◇第107回国会 参議院 決算委員会 第2号 昭和61年11月21日

    017 梶原敬義

    ○梶原敬義君 次に、筑波身障者短大に関する問題について若干質問いたします。
     視聴覚障害者のための筑波技術短大、これが設立準備中ということを聞いておりますし、昭和五十三年以来、国の予算をつぎ込んでおりますが、開学がおくれている理由は一体何なのか、この点について最初にお伺いします。
    018 阿部充夫

    ○政府委員(阿部充夫君) 近年、視覚障害あるいは聴覚障害を持っておられる方々の中から、あるいはそれの親御さんたちから、その方々のための新しい高等教育機関をつくってほしいという大変強い要望がございました。先生御指摘にございましたように、昭和五十三年以来筑波大学にお願いをいたしまして、そこで具体のプロジェクトについての調査研究を進めていただいてまいったわけでございますが、その基本構想がまとまったという段階までまいりましたので、昭和六十二年度にこれを設置したいということで今努力をしておるところでございます。
     御指摘の、調査研究にかなり時間がかかったではないかということでございますけれども、身体障害者のための高等教育機関をつくるということは、我が国では全く初めてのことでもございますので、いろいろその設置の形態をどうするか、あるいは障害者に適した職域というような観点から、学科、分野等の構成をどういうふうに考えていくか、あるいは教育方法についてどうするかといったようないろいろな問題につきまして関係者により十分協議をすると。同時に、諸外国あるいは国内の関係の教育の現状等もよく調べて、いい中身のものをつくっていきたいということで時間がかかってきたということでございます。先ほど申し上げましたように、一応の基本構想もまとまった段階でございますので、これからその設置に向けて努力をしたいという段階にあるわけでございます。
    019 梶原敬義

    ○梶原敬義君 二点についてお伺いします。
     一つは、視聴覚障害者の皆さんや盲学校現場で強い反対があるのではないか。これが第一点。
     第二点は、同じ筑波大学の附属盲学校がこれに強く反対しているという事実を私は知っておりますが、この点について文部省はいかに承知をしているか。この二点についてお尋ねします。
    020 阿部充夫

    ○政府委員(阿部充夫君) この件につきましては、先ほども申し上げましたように、視覚障害者の団体、聴覚障害者の団体、あるいはその子供さんを持っておられる親御さんたちの団体、いろいろな関係者から強い熱望があって進めてきておるものでございます。一部に御指摘のように反対の御意見等があるわけでございますけれども、まあ要すれば私どもといたしましてはこういう学校をぜひつくって、そこに進学したいという人々のためにこれをつくろうとしているわけでございまして、一般の大学へ行きたいという方々のための一般の大学における受け入れというものと両々相まって、その発展を願っていかなきゃならない、こういうような構えでこの問題に対応しておるわけでございます。
    021 梶原敬義

    ○梶原敬義君 それでは、二点についてさらにお尋ねします。
     この同盲学校では、高卒者を対象としたはり、きゅう、マッサージ師養成の三年課程のこれは専攻科がありますね。この専攻科を順次短大に昇格をしていくというような、そういう現実的な方法の方がいいんではないかと、こう思いますが、この点についていかがでしょうか。
     それから、まあ皆さんの進めている方針に対してやっぱり問題があるぞと、こう言っている視覚障害者の当事者とか、あるいは学校現場と筑波大学を入れた文部省がやっぱりもっと話し合いを、これ五十三年からまあこれは研究、研究と言っても、これは今昭和六十一年ですからね、しかも予算を二千万ぐらい今入れているんでしょう、そういう状況ですから、これはやっぱりどういっても問題があると思う。だからやっぱり、それはさっき言いましたような皆さん方とも話し合いをよくして、そしてその上でやっぱりスムーズに早急に進めると、こういう対応をしていただきたいんですが、その二点についてお伺いします。
    022 阿部充夫

    ○政府委員(阿部充夫君) まあ御指摘のようにこれまでも盲学校、聾学校等に専攻科が置かれておるということは、全国的に存在をしておるわけでございます。今回の考え方は、内容的に非常に高い水準のものを今度は短期大学として構想しようということでございますので、まあ英知を結集してまずこういうものをつくっていこうということで対応しておるものでございますので、現在ございます専攻科を短大と変えればということでなく、もっとレベルの高いものを考えていくということでございます。これができ上がりました段階では、またこの短期大学での教育研究の成果というのがいろいろな形で現実の盲学校、聾学校等における教育にもいい影響を与えていくということになってくることを期待をしておるわけでございます。
     なお、反対を言われる方々との話し合いにつきましては、これまでも筑波大学に置かれました準備室におきましても、あるいは文部省といたしましてもお話し合いには応じてまいり、いろいろ意見の交換等はその都度やってきたわけでございますので、御要望があればまたお話し合いをするということについてやぶさかではないつもりでございます。
    023 梶原敬義

    ○梶原敬義君 今の答弁で、もう少し高いレベルの短大というお話がありましたが、かつて高等職業訓練所を今のような不況で高齢化社会になって、高齢者の職業訓練転換のために一つは専門学校にして、一つは短大にしたんです。そのときに私もその問題を取り組んだことがあるんですがね。なかなかこれは皆さんが考えていることは理想かもわかりませんが、しかし現実にやっぱり現場の意見が、今振りかえってみますと、現場の皆さんが言ってた方向というのが、やっぱり現場は一番よく知っているんですからね。ある意味では今何年かたちましてやっぱり正しい面も出ているわけです。ですから、よく現場の皆さんの、あるいは障害者の皆さんの意見を聞いていただいて、本当に客観的に問題を見詰めていただいて、速やかな対応をお願いを申し上げたいと思います。
     それから、次に柔道の問題を文部省に質問をいたします。
     今、私は新聞を持っておりますが、六十一年十月十六日の各紙が報道しておりますが、「柔道、講道館以外の段位」「学柔連が独自に認定」「全柔連との対立深まる」「四十年の独占崩れる」、こういう記事は大臣読まれたと思うんですね。私も若いときに学生時代柔道をやっておったものですから、こういう今までのたび重なる記事を見て問題意識を強く持ったんです。その点について今から質問をしてまいりたいと思います。
     単純な話でありますが、ことしの韓国で行われましたアジア大会で、日本のお家芸であります柔道ですね、八階級にわずか二階級しか優勝できなかった。これはいろんな原因があると思うんですが、私はその原因について文部大臣が一体どうお考えなのか、また今日全日本柔道連盟と全日本学生柔道連盟、二つに分裂している、こういう状況を文部大臣として一体どうお考えになっておるのか、この点について最初にお尋ねをいたします。


    ◇第107回国会 衆議院 決算委員会 第1号 昭和61年10月21日

    092 新村勝雄

    ○新村委員 十分理解できませんけれども、JICA及び外務省を含めて、これからぜひこの綱紀の粛正について厳正な態度で臨んでいただきたいということを大臣にぜひお伝えをいただきたいと思います。
     それから、そのうちにこの決算委員会で大臣にお目にかかる機会があると思いますけれども、それまでにひとつ、今出た例えば良識の範囲というようなことではなくて、もう少し具体的に、外務省はこう努力しますという外務省としての方針なり統一見解なりというものを示していただきたいということを大臣にお伝えをいただきたいと思います。
     時間がありませんので、次の問題については私の方から続けて申し上げますので、御答弁も続けてお願いをしたいと思います。
     それは、筑波学園都市の中へ筑波身障者短期大学というものを計画されておるわけですね。これについては、五十三年に最初の調査費がついてから、今日まで毎年この調査を続けてこられたわけでありますけれども、まだ着工にも至っていない。極めて長期にわたる準備をされておるわけでありますけれども、これには幾つかの問題点があると思うのですね。
     というのは、一つは、身障者短大というようなものをつくって身障者だけを隔離をする、別の意味では差別、隔離というような形での身障者の教育が果たしていいものかどうか、こういう問題について教育家の間で両論があるのです。賛成している者もあれば反対している者もある、賛否相半ばということだと思います。身障者についても、これはできる限り一般の教育機関に受け入れて、その中で健常者と一緒に教育をするのが正しいんだという一つの議論があります。一方では、そうじゃなくて、隔離というか、身障者だけを集めて教育するのがいいんだという一つの議論があるわけですが、賛否相半ばしているわけなんですよね。ところが、この大学の計画についてはそういう賛否両論を十分に検討しないでこの建設を決めたという、その問題点が一つあるんじゃないかと思います。
     それから、現在、国公私立大学のうちで身障者を完全に拒否をしている、締め出しておる教育機関が相当にあるということでありますが、これは極めて遺憾な事態でありまして、身障者であっても健常者と一緒に勉強したいという者については、十分にこれを配慮してやるべきではないか、そして門戸を完全に開放すべきではないかという議論が非常に強いわけでありますけれども、残念ながら、まだ身障者については試験を受けさせないという学校もかなりあるわけです。そういった点について文部省はどうお考えであるのか、それからまた、今後どう御指導をなさるのかということが一つです。
     それから、現在既に身障者、特に視覚、聴覚障害者について、その人たちを主として対象とすべきである、常識的にそう考えられる短期大学なんかがあるわけであります。例えば鍼灸短期大学というようなものが私立にはあると思います。ところが、非常に奇妙なことには、この鍼灸短期大学に視覚、聴覚障害者が入っていないという事態があるのですね。視覚障害者がほとんど入っていない、一割以下である、あるいは何%であるということなんです。本来ならば、鍼灸短期大学というような教育機関はそういう方々のための大学ではないかと思いますけれども、それが逆であるというようなことがあります。
     それから、現在でも既に筑波大学には附属の身障者短期大学があるのですね。あるのですけれども、それと同じような目的の大学をもう一つつくるということについての大変な不合理さがありますけれども、それについての御答弁をいただきたいと思います。これは時間が参りましたので、文書でも結構です。
    093 阿部充夫

    ○阿部政府委員 筑波の身障者関係の短大についての御指摘でございますけれども、御案内のように、大変多数の障害者の方々あるいは障害児を持つ親御さんの方々あるいは障害者教育に携わっておる方々からの多年にわたる熱望がございまして、文部省といたしましてもこの問題を検討してまいったわけでございますが、特に昭和五十三年以来はこれについての正式の調査費等あるいは準備費等も計上いたしまして、筑波大学にお願いをいたしましてその検討を進めてきたということで、おおむね基本構想もまとまりましたので、現在この短期大学、筑波技術短期大学と一応仮称で考えておりますけれども、これの創設を六十二年度の概算要求でお願いをしているというところでございます。
     これの創設に当たりまして、一部に今先生が御指摘ございましたような反対の意見というのもあったわけでございますけれども、私どもとしては、一般の大学への受け入れをこれによってとどめるというものではなくて、こういうたぐいの大学へぜひ入りたいという方々のためにそういうものをつくっていくということで、一般の大学とこの短期大学とがいわば両々相まって身体障害者の方々の進学の機会の確保に役立つというような見地からこの問題を進めてまいったわけでございまして、現実にこの大学が成立をいたしました暁にも、一般の大学における受け入れということはいろいろと配慮をしてまいらなければならない、こう思っておるわけでございます。
     具体に現状で申し上げますれば、昭和六十二年度の大学入学者選抜実施要綱というような形で、国公私立の一般大学に対しましての指導を一般にいたしておりますけれども、その中におきましても、身体障害者の方々の受験の機会の確保ということにぜひ努力をしてほしいというようなことを、各大学に国公私を通じて指導をいたしておりまして、また、年々そういう状況もついてきておると思っておりますし、また文部省の側としては、この指導をいたしますほかに、国立大学、公立大学、私立大学とも、それぞれ形は違っておりますけれども、身体障害者を受け入れた場合の経費等につきましての援助の措置というようなこともあわせ講じまして、一般大学への受け入れということを配慮をいたしておるわけでございまして、今後ともこういった方向で努力は重ねていかなければならないと思っておるところでございます。
     なお、鍼灸短大についての御指摘がございました。私もちょっと手元に資料を持っておりませんのでうろ覚えで恐縮でございますけれども、この短大、設置をいたしますときから、視覚障害を持っておられる方々も受け入れることができるようにということで、そのために必要な点字の図書等も整備をさせまして、そういう体制を整えてつくっている短大でございます。現在の受験の状況、入学の状況がどうなっているかというのを、恐縮でございますが、ただいま資料を持っておりませんので、また後ほど適当な時期に先生に御報告をさせていただきたいと思っております。
    094 新村勝雄

    ○新村委員 終わります。


    ◇1987-03-25 第108回国会 衆議院 文教委員会 第1号

    ○佐藤(徳)委員 それでは、次の質問に入ります。
     筑波技術短期大学の創設の問題であります。法律案に示されている本問題について、ここに至るまでの間、賛成、反対の立場から各関係団体から意見や要望、陳情を私も受けております。文部省にも来ているんだと思いますが、あるいは大臣に直接にも行っていると思いますけれども、文部省当局がこれを受けとめられまして、どういう内容なのか、その概要について、もしおありでしたら御説明をいただきたいと思います。
    ○阿部政府委員 筑波技術短期大学につきましては、先ほどもお答え申し上げましたように、五十一、二年ごろから関係者の御要望によって検討に着手したものでございますが、二つの賛成と申しますか推進の団体としましては、一つは聴覚障害者のための高等教育機関の設立を推進する会、これは全日本聾唖連盟という聴覚障害者の団体、それから聾学校長会、PTAの関係あるいは聴覚障害者を持つ親御さんたちの会というようなものが集まってつくっておるものでございます。もう一つは視覚障害者のための高等教育機関の設立を推進する会、これは日連本盲人会合等を初めとしまして、趣旨としては聾の場合と同じようなグループの会合でございますが、そういった二つの団体から早期設立の要望が出されておりまして、そのねらいとするところと申しますか趣旨は、身体障害者の高等教育の機会の拡充を図りたいということ、それから障害者の職域の拡大と社会的自立の促進を図りたい、障害者の教育方法の改善を図りたい、こういった三点を掲げて、ぜひこういうものをつくってほしいという要請があるわけでございます。なお、このことに関しましては、国会議員の先生方の中にも超党派で推進議員連盟もできているということを承知をいたしております。
     また、これに対しまして反対の意見を述べられる方々、筑波身体障害者短大構想に反対する連絡会という方々のようでございますけれども、そのほか筑波大学の附属盲学校の教員等の一部の方等からこの創設に反対という御意見も出てきております。反対の御意見は、いわば障害者の隔離につながる、一般大学での受け入れがこれによってうまくいかなくなるのではないかというような御意見から、盲学校の高等部の専攻科を昇格するという格好でやるべきであるというような御意見まで含めまして、反対という御意見があるわけでございます。
     文部省といたしましては、こういった御意見を得つつも、特に大多数の方々のぜひ実現してほしいという御要望を受けているということもございますので、その趣旨を踏まえてこれまで検討に努めてきたということでございます。
    ○佐藤(徳)委員 私も、賛成と反対の立場の方々から幾つかのお話を伺ったり、要望書、陳情書をいただきました。特に、反対される皆さんのお話なり内容というのは正直言ってやはりもっともだなというのもあります。そういう人たちの気持ちもやはりくみ上げていかなくちゃいけないというように私は思っているわけであります。
     そこでお尋ねいたしますのは、筑波技術短期大学創設の計画についてのプロジェクトチームが文部省に設置されたときがあったはずであります。ちょうどそのときに日本私立大学連盟が大学問題研究会を開きまして、その一つの結論を出された発言があるようでありますが、御承知でしょうか。もし知っていらっしゃれば内容をお示しください。
    ○阿部政府委員 私どももその場に居合わせたわけではございませんので詳しいことは承知をいたしておりませんけれども、私立大学連盟の会議の際に、あるメンバーの方から、身体障害者の大学への受け入れに当たっては、国民の負担で設置されている国立大学が優先的に対応すべきだという趣旨の発言があったということは聞いておるわけでございます。
    ○佐藤(徳)委員 文部省は私大へ障害者を入れろというよりも国立の障害者大学をつくるべきである、こういう見解を出したことを聞いているわけであります。これは、受け取り方によっては一般大学の入学よりもそちらの方に行きなさいという意味にもとれるし、障害者の立場からいえば、一般大学の入学を間接的に拒否したのかという理解をしている人もいるようであります。私はやはりこういう取り扱いについては慎重にすべきであるし、文部省に直接申し上げてもしょうがありませんが、いずれかの機会がありましたら、注意を喚起する意味で行政指導をぜひひとつお願い申し上げたい、こう思います。
     さてそこで、障害者の一般大学入学状況はどのようになっておりますか、過去十年間における実績を示してください。
    ○阿部政府委員 身体に障害のある者の大学、短大への入学状況でございますが、国公私とございますけれども、計で申し上げます。昭和五十二年度以降ずっと申し上げさせていただきます。
     五十二年度が五百二十九人、五十三年度五百八十八人、五十四年度六百三十七人、五十五年度五百四十人、五十六年度五百五十四人、五十七年度五百四十七人、五十八年度五百七十五人、五十九年度五百十七人、六十年度四百二十三人、六十一年度四百二十二人、こういうような傾向でございます。
    ○佐藤(徳)委員 筑波身障短大構想に反対する連絡会というのがございます。この方々の資料によりますと、国立滋賀大学は、八〇年度の入試に際して、経済短期大学に受験希望を出した視覚障害者に対し、障害者は筑波に行けばよいという理由で受験を拒否したと訴えています。さらに、視覚障害者の点字受験についても、一たんは点字受験を認めていた大学が、筑波短期大学の計画の進む中でそれを取りやめる例が出てきたということも報告をされています。学校名は申し上げません。さらに、視覚障害者学生問題を考える会という団体があるそうでありますが、この調査によりますと、点字受験拒否をした大学は、五十八年度に八大学、五十九年度で二大学、六十年度で十二大学だそうであります。
     このような実態についてどう思いますか、御見解を承ります。
    ○阿部政府委員 ただいま御指摘の件については私ども承知をいたしておりません。滋賀大学という国立大学の例をお挙げいただきましたので、その実態については早速調査をいたして状況を確かめてみたいと思っております。
     なお、文部省といたしましては、かねてから、身体に障害のある方々の大学入学については、その能力、適性に応じて、健常者の場合と同様にその道を開くべきであるということを強く関係国公私立の大学に対して指導してまいりました。大学入学者選抜実施要項の中でそれをうたうと同時に、さらに、障害を持っておられる方々に対する入学者選抜の実施の方法についてまでも触れて、具体に点字を出題することとかあるいは解答の方法、試験場の整備等についての特別な配慮を行うというような指摘もいたしております。現実に、国公立の共通一次試験等につきましては、毎年数百人の身体障害者の方々の受験を受け付けておるわけでございます。また、入学いたしました後のことにつきましても、国立大学につきましては国でございますから当然文部省として予算上の措置を行いますし、公立、私立の大学に対しましてもできるだけの財政的な援助措置を講ずるというようなことで、この一般大学への受け入れの促進に努めてまいっておるわけでございます。
     他の具体の例がございましたらば、後ほどお聞かせいただければ、問題となったケースについては十分調べて、今後そういうことのないような指導をいたしたいと思います。
    ○佐藤(徳)委員 本来、障害者も健常者も差別や選別されることなく、ともに学んで、ともに遊んで、ともに働くことのできる社会が実現されることが望ましいのでありまして、教育もまたそういう方向で御指導をお願いしたい、こう思っているわけでありますが、私立の大学及び短大の鍼灸学部、学科は一般者を対象としておりまして、もちろん身体障害者は限定はしておりませんけれども、このことによって障害者の就職機会の減少あるいは社会的自立、これに悪影響を及ぼしているのじゃないか、こういう懸念がありますが、どう御理解されておりますか。
    ○阿部政府委員 現在、鍼灸師の免許についての認定施設というのが文部省所管、厚生省所管合わせまして全部で九十一ございまして、入学定員が二千八百人というのが全体の数でございますが、こういった中で視力障害者だけを対象にしている施設の入学定員は千二百人、残りの千六百人というのは視覚障害者と一般人とあわせて受け入れている、こういう施設でございます。
     御指摘の私立の大学、短期大学にそれぞれ一校ずつ鍼灸系統の学部、学科があるわけでございますが、これは両方足しましても入学定員二百二十人、全体の八%足らずということでございますし、また、これが設置されます際に、一般者だけを対象とするようなものとならないようにということで、文部省としても随分これについては注文をつけました。大学、短期大学の設置認可に際して、障害者に配慮した施設を設けること、それから設備として点字器、図書等を整備すること、入試についても障害者に対しての十分な配慮をすることというような指摘をいたして開校させておるわけでございまして、たまたま視覚障害者で入学している者がほんの若干名しかないという実態がございますが、いずれにいたしましてもこの二校、数といたしましては全体の八%程度ということでございますので、そういう悪い影響というのが特に大きく存在するというふうには考えておりません。
    ○佐藤(徳)委員 次に、学校教育法第四十八条を説明してください。
    ○阿部政府委員 学校教育法の第四十八条は、高等学校に専攻科及び別科を置くことができるという規定で、専攻科についての根拠規定と相なっております。高等学校の専攻科は、高等学校を卒業した者等に対して「精深な程度において、特別の事項を教授し、その研究を指導することを」ということを規定いたしまして、「修業年限は、一年以上」ということになっております。この規定は盲・聾・養護学校の高等部について同法の第七十六条によって準用されておるわけでございます。
    ○佐藤(徳)委員 四十八条には確かに「一年以上」、今御説明あったとおりであります。実際は盲学校の高等部の専攻科の修業年限は何年になっていますか。
    ○西崎政府委員 先生御指摘の盲・聾・養護学校の高等部にかかる専攻科の年限でございますが、学校教育法上は「一年以上」とございますが、あんま師、鍼灸の資格の関係で申しますと三年間の教育課程が必要であるということで、おおむね置かれております専攻科は三年の専攻科ということになっております。
    ○佐藤(徳)委員 関連いたしまして、はり、きゅう、マッサージの受験資格と取得の条件は何でしょうか。それから、専攻科を卒業した者の学歴はどうなっておりますか。
    ○西崎政府委員 ただいま先生御指摘の点は、厚生省の方のはり師、きゅう師に係る法令の規定によるわけでございまして、厚生大臣の指定の施設、それから文部大臣の指定の施設というふうに分かれるわけでございます。あんまマッサージ指圧師、はり師及びきゅう師につきましては、高等学校の卒業生につきましては三年以上、それからはり師、きゅう師につきましては高卒の場合は二年六カ月、あんまマッサージ指圧師、はり師につきましても二年六カ月、はり師だけでございますと二年、きゅう師だけの場合は二年、あんまマッサージ指圧師につきまして、高卒の場合は二年というふうな教育課程で授業時間数等が定められておるわけでございます。
    ○佐藤(徳)委員 問題は、反対する人たちの御意見を承っておりますと、専攻科と短期大学の関係の問題について大分疑問を持ったり、それがゆえに反対だという主張だそうであります。私も直接承りました。
     そこで、短期大学を創設されて、卒業する場合に、鍼灸の資格はどうなりますか。
    ○阿部政府委員 鍼灸師の資格の取得に関しましては、専攻科の場合と同等でございます。
    ○佐藤(徳)委員 学歴が短大卒ですね、今度の創設されるものは。ところが、高等部専攻科三年やっての学歴は、同じ三年をやってもこれは高校卒。学歴、一段階違うわけであります。どうしてこういうことが発想の中に出てくるんだろうか。私も幾分疑問を持っている点もあります。しかし、筑波大学に一つだけ短期大学をつくって事足りるということになったら私は大変な状況になるだろうというふうに思いますし、むしろエリート化しちゃって、また変なふうにゆがんでしまうということの心配をするものであります。したがいまして、将来各地にもなるかどうかわかりませんけれども、単に筑波だけではなくて、こういう状況というものを波及効果をもたらすという考えがありますかありませんか。
    ○阿部政府委員 身体障害者に対する高等教育の機会というものを充実し、整備をしていくというのは、これからもずっと引き続いて考えていかなければならない課題であると思っております。その際にどういう方向でいくか。今回短期大学の設置を新しくやるわけでございますけれども、こういう種類のものの増設という格好で対応していくか別途の方法を考えるかというようなことにつきましては、まずはこの短期大学の充実とその円滑な運営に努め、その状況等を見ながら、また世論の状況その他、諸般の状況を見ながら考えていくべき課題である、こう考えておる次第でございます。現在は、まず最初の短期大学をつくってみようというところにこぎつけたわけでございますので、その状況と並行しながら今後の課題として検討させていただぎたい、かように思っておる次第でございます。

    [中略]

    ○鍛冶委員 私は、さっき申し上げたように憶測でございますが、考えられているのは、例えば予算的な措置で、こういうような状況で厳しいときになりますと、私大に対する経常費補助というものがぱっと真っ先に削られていっておるという感覚も受けますし、このことは最後に財政問題で若干触れさせていただくということで、また大臣のお考えもお聞きしたいと思っておりますが、実際問題として、幾らいい考え方を絵にかきましても財政的裏づけというものがなきゃいけない、そういう意味でそこらあたりはしっかりしていかなきゃならぬだろうと思いますが、そういうときに、例えば大蔵省あたりにこれは財政的にだめだからという中で押し切られると、私大の方にいつもしわ寄せがいっているのじゃおいかなという感触を受けておるので、そういうことを申し上げましたが、大臣はそうではないというふうな御答弁でございました。今後、そのような方向での取り組みをぜひお願いいたしたいと思います。
     そこで、先ほどもちょっと触れておりましたので、私ちょっと所用で席を外していましたからダブることがあれば御容赦願いたいのですが、今回の設置法の一部改正の中で創設が言われております筑波技術短期大学のことについてお尋ねをいたしたいと思います。これは局長からは技術短期大学の設置の趣旨等について御答弁があったと思いますが、ひとつ大臣からこの設置の趣旨について改めてお伺いをいたしたいと思います。
    ○塩川国務大臣 御承知のように、最近、身体障害者教育の進歩と、それから学習の意欲というものが非常に増大してまいりました。高等学校段階で障害者が新しい高等教育権を求める声が強くなってまいりました。そういう要望にこたえまして短期大学を設置するということでございます。
    ○鍛冶委員 そこで、これに関連して、障害者の方々に対して高等教育の機会均等の確保ということが大変大切になってくると思うのですが、これに取り組む文部省の姿勢について、どういうお考えで取り組んでいらっしゃるか、根本的、基本的なことをお尋ねいたします。
    ○阿部政府委員 身体に障害のある方々も、本人の能力、適性に応じて健常な学生と同等に大学進学の機会が開かれるべきであるというのが文部省の従来からの考え方でございまして、この点につきましては、入学選抜実施要項等にこういう身体障害のある志望者に対しての受け入れについて十分配慮するようにというようなことを書き込んで、指導等もいろいろな機会にしてまいりました。また現実に、国公立大学の共通一次試験におきましても毎年数百名の障害者の方々の受験を認めてやっておりますし、国立大学、公立大学に入学をしておるわけでございます。また、入学後に対する予算上の措置等につきましても、手すりやエレベーター、スロープをつける、あるいは目の見えない方々のために点字図書を整備するとか、いろいろな形での経費が必要でございますので、国立、公立あるいは私立について、そういう面を含めましての何らかの形での財政的な措置というのもそれぞれ講じてきておるわけでございまして、今後ともそういった方向に従いまして、もちろん障害の種類によって一様に対応し切れない面も否定し切れないわけでございますけれども、それにいたしましても、能力、適性から見て可能と思われる方々には平等に進学の機会が認められるようにということを中心に指導等を重ねてまいりたいと思っております。
    ○鍛冶委員 最近における、障害を持たれた方で各大学を受験された方、相当おられると思うのです。今もそれにちょっと触れられておりましたが、受験された方は大体どのくらいいるのか、それからそれに対して入学された方はどのくらいいるのか、一番新しいデータでも結構ですけれども、もしわかればお答えいただきたいと思います。
    ○阿部政府委員 国公私立の大学、短期大学に対する身体障害者の進学の状況でございますけれども、昭和六十年度は受験者が二千二百二十八人、入学者が四百二十三人、それから昭和六十一年度は受験者が二千百十五人、入学者が四百二十二人、大体こんな状況が最近の状況でございます。
    ○鍛冶委員 こういう大学をぜひ受けたいという希望を持っておる方はほかにも随分いらっしゃると思うのですが、どうもいろいろな理由で進学を断念せざるを得ないというようなこともよく聞くのですけれども、その理由、大きな理由はどういうところにあるのか、文部省等でもしお調べになってわかるようでありましたらお答えいただきたいと思います。
    ○阿部政府委員 これは、私どもでそういうたぐいの調査をしたことはないわけでございますのである程度想像でお答えすることになることをお許しいただきたいと思いますが、一番の障害は、障害者の方々が一般の大学に入りました場合に、大学の側でできるだけの配慮をいたしましても御本人一人では無理な面があると思います。そういう意味では、多くの場合、ボランティアの方々あるいは学生の友達というような人たちがかなり協力して修学に努めているという状況があるわけでございますけれども、そういう環境をつくっていくのがなかなか難しいというあたりなどが一つの大きな原因ではなかろうかと思っております。新しくつくります短期大学の場合には、各種の装置等を駆使してできるだけ御本人が勉学しやすいようにという環境をつくりますので、そういう点では勉学はしやすい態勢になると思いますが、一般の大学の場合にはなかなかそこまで、介助員のような者まで必ずつけるというわけにもまいらないという問題がございます。そういった点は断念する一つの理由ではなかろうかと思います。
    ○鍛冶委員 こういう理由の中には、介助のこともありますが、大学の施設そのものにも理由があるようにも聞くわけです。こういったことを含めてそういう問題点があるということは、なるべくそれを克服しながら障害者の皆さんが高等教育を受けられる機会均等確保ということにつながる施策を推進していただきたいのですが、それについて対応をどうなさるのか、また今後どういうような考え方でやろうとされておるのか、お伺いいたします。
    ○阿部政府委員 特に施設についての御指摘がございましたが、障害者のための施設につきましては、文部省としてはかねてから、これの整備充実に各大学とも努力してほしいというお願いをしてまいったわけでございます。昭和五十六年度の場合ですと、エレベーター、トイレ、スロープ、手すりとか点字図書、オプタコンといった施設設備を特別に障害者のために整備しております大学が百五十校でございましたが、その後逐次ふえてまいりまして、昭和六十年度には二百二十四校が、全部そろえているというわけではございませんけれども、こういう対応を意識的にやっていただいておるところも出てきておりますので、今後ともそういう方向で指導等を重ねてまいりたいと思います。
    ○鍛冶委員 筑波技術短期大学が今度創設されることによって、結果的に、その他の一般大学で障害を持たれる方々への門戸が狭くなるおそれがあるのではないかというふうに心配をするわけですが、この点についてのお考えを承りたいと思います。
    ○阿部政府委員 今度の短期大学は、極めて限られた専門分野について、しかも比較的少数の、全体で九十人という枠での教育をまず行っていこうということでつくっておるものでございますので、これがあるから一般大学で受け入れないというような理由に使えるものではないと私どもは思っているわけでございまして、そういう意味で、これまでにも増して、一般大学において先ほど申し上げましたような健常者と同等の進学の機会の確保ということに御配慮願うように、最大の努力を重ねてまいりたいと思います。
    ○鍛冶委員 ぜひそれは推進をお願いいたしたいと思います。
     それでは、ちょっとその点につきましての質問をもう終わりまして、関連として御質問を申し上げます。
     最近、米国の大学分校進出ということが言われておりまして、これは先般アメリカより米国大学の代表団が来日をいたしまして、各方面の候補地、いろいろ名のりを上げているようでございますが、調査をしたというような報道がございました。この実際の動きがある前に、我が党の池田議員からもいろいろこの件に関連して質問を申し上げているわけですが、その後こういった動きを見ますと、いよいよ米国大学の進出というものが具体的になってきつつあるのかなというように思うわけですが、この件について大臣はどのようにお考えになっていらっしゃるのか、最初にお伺いいたしたいと思います。
    ○塩川国務大臣 まだアメリカ政府から具体的な問い合わせであるとかそういうものは全くございませんで、現在のところは民間ベースと申しましょうか、日本では主として地方自治体とそれから政治家でございますか、そういう方々が各アメリカの大学と接触しておられるように思っております。
     しかし、この前、日米合同シンポジウムがございましたが、その席、その後へ私が参りました際の感触を率直に申し上げますと、アメリカの方の期待はどの程度なのかはっきりまだつかめない状態でございまして、もしこれが日本の法制に照らして合致するものであるならば、それは当然のことでございますが、法制を無視して、まだ十分御存じないというならば、まず日本の法制度、法律制度というものをやはり十分に我々とも打ち合わせをしてもらいたいと思っております。それと同時に、それじゃどういうふうな分校といいましょうか、学校、大学をアメリカは日本に設置しようとしておられるのか、その具体的なものもちょっとまだわかりにくい、現在の状況ではどうも地方自治体が誘致を非常に熱心でございますので、そちらの方の誘致という問題が先に走ってしまって、中身と設置の要件というものについてはまだ十分煮詰まっておらないような感じがいたしておりまして、これが日米間で大変重要な問題であると私は思っておりますので、我々も十分に対処したい、また慎重にこれに応じていきたいと思っております。
    ○鍛冶委員 今の米国大学分校進出について、大臣からちょっとその内容に触れたお話がございましたが、事務当局の方で具体的なそういう進捗状況等を把握しておられるのであれば、ひとつお聞かせをいただきたいと思います。
    ○阿部政府委員 米国の大学の日本分校進出問題でございますけれども、これは日米の貿易関係円滑化のための基盤整備の一環、それから教育の国際化という観点から、両国の国会議員から成る日米貿易拡大促進委員会のもとに設けられた民間の実行組織の中でこの問題が進められているという状況にあるわけでございまして、現在私どもが聞いております段階では、誘致に関心を示しております日本の国内の地方自治体が約四十、それから米国側で関心を持っておると言われる大学が約百校というようなことが言われておるわけでございます。また、分校の設置に当たりましての米国側の条件といたしましては、キャンパスの設計、施工は米側の企業がやります、あるいは敷地は国公有地を無償提供をしてもらうとかあるいは借地にするとかいうような、あるいは建物は長期リースで借り入れるというようなたぐいのことが言われておるわけでございます。
     これにつきましては、設置構想自体が先ほど申し上げましたように民間ベースで進められておりますために、その個々の状態というのを私どもも十分把握できておらないわけでございますが、本年の二月から三月にかけまして、この進出に関心を持っていると言われる米国大学の代表者が約四十名が来日をいたしまして、日本の国内の約二十の地方自治体の現地の視察等をされたということでございますが、関係者からいろいろ聞いてみますと、これはいわば第一回のお見合いのごときもので、まだまだ具体の話には全く入っていないというようなことのようでございますので、具体化は今後の問題だということのようでございます。
        〔委員長退席、高村委員長代理着席〕
    ○鍛冶委員 この進出については、私はやってもらった方がいいのではないかなというふうにも個人的には思っているのですが、しかしながら、これは我が国の教育にとって、いい面も当然考えられると思いますけれども、同時にいろいろと問題も出てくるのではないかという心配もあるわけです。この両面について事務当局はどういうふうにお考えなのか、お聞かせをいただきたいと思います。
    ○阿部政府委員 こういうたぐいの米国の大学が日本に何らかのブランチを持つというようなたぐいの事柄につきましては、教育の国際化あるいは学術研究の国際交流といったような観点から見ますと、事柄としては評価できるたぐいの課題であろう、こう思っておるわけでございます。
     ただ現在、構想そのものが、いろいろ聞いてみますと、学部レベルで構想しているようなところもあるし、大学院レベルのところもある、あるいは研究所をつくるんだというようなお話もあったり、中には英語教育のコースをつくるんだというようなお話があったり、学部も、二年間だけこっちで、後期二年はアメリカの方へ行くというような構想があったりというような、いろいろなものが入りまじっているというような状況のようでございまして、日本の制度なり実態なりとそれぞれ個々のものがどう具体に絡んでくるのかというのは、具体の構想がまだ固まっていない段階でちょっと判断のしかねている面が多いわけでございます。
     特に大学レベル、学部レベルの問題といたしますと、例えば日本の十八歳人口は昭和六十七年度をピークに減少に向かうわけでございますので、日本の大学、特に私学等については学生確保の問題が相当出てくるというような時期にほぼ一致するような形でこれができてまいりますということになりますと、こういった大学の学生確保というのも大変な問題であろうなというようなこともございます。あるいはそれの制度的な位置づけをどうするかによりましては学生の身分が不安定だというような問題もございます。いろいろな問題があると思うわけでございますので、先ほど大臣からお答え申し上げましたように、事柄として理解できない構想ではないと思っておりますが、進めるについては十分慎重に文部省としてもその進捗状況を見ながら必要な助言等はしてまいりたい、こんなつもりでおるわけでございます。
    ○鍛冶委員 これについては、米国の名の通った大学が分校を設置される場合は、これはむしろ歓迎すべきであろうと私は思いますし、いい形でインパクトが出てくるのでしょうが、聞くところによれば、アメリカも大学がたくさんあって、いかがわしいのもある、いかがわしいと言うとアメリカからしかられるかもわからぬけれども、いろいろとそういううわさとか話もときどき聞くことがあるわけですね。そうすると、こういうことに便乗してお金のために動くとか、名前をかしただけで適当にやってしまうとかいうようなこともいろいろ何か出てくるのじゃないかなというような危惧も私はありますので、これがいい形で、日本にとってもプラス、また国際的な観点に立ってみても大いにプラスであるというふうな形でこれは機能すべきであろうと思います。
     そうなりますと、今の段階はまだ具体的になっていないのでわかりにくいということではございますが、やはり今後のこの問題の取り扱いについては真剣に文部当局も取り組んでいただくということが必要であろうかと思いますけれども、今後どういう形で取り扱おうというふうなお考えがあるのか、あればお聞かせをいただきたいと思います。
    ○阿部政府委員 先ほど申し上げましたように、文部省としてはこのプロジェクトにつきましては重要な関心を持っておるわけでございますので、具体的な構想の進行状況を常時把握するように努めながら必要に応じて適切な指導をしてまいりたい、制度的な位置づけ等につきましても現在部内ではいろいろと検討しておるわけでございますが、具体の構想が明らかになってくるにつれてまたそれに対する対応も固めていきたい、こう思っておるわけでございます。

    [中略]

    ○林(保)委員 こういう問題は今度御提案されますところの、もう既に出ております大学審議会の設置そのほかで十分やられ各のだと思いますが、むしろ積極的に取り組んでいただくことを御要望したいと思います。
     筑波技術短期大学の新設、これも時代の要請で出てきたと思うのですが、聞くところによりますと五十年ごろから教育関係者の要望が強かった。一部には反対の人もおられたというように聞いておりますが、発端からこれができ上がるまでの経緯をこの機会にお話しいただきたいと思います。
    ○阿部政府委員 筑波技術短期大学につきましては、昭和五十一年に、たしか聴覚関係の方々だったと思いますけれども、障害児を持つ親御さんたちを中心とする方々からぜひ高等教育機関をつくってほしいという御要望がございまして、五十二年には今度は視覚障害関係の同じような方々から御要望が出てきたということでございます。
     私ども、それを踏まえまして、昭和五十三年度から正規に調査費を計上いたしまして、筑波大学が昔の東京教育大学以来の伝統で心身障害者の関係の教育にはかなり長い経験を持っておるわけでございますので、筑波大学にお願いいたしまして、そこで調査、準備等の作業をずっとやってきていただいたわけでございます。その準備室等につきましては既に準備要員等も相当数入れ込みまして、具体の問題につきまして、例えば先ほど答弁でも申し上げましたような米国、英国等の実際に視覚障害、聴覚障害の教育をやっておられる大学の状況等もよく見てくるということ等を含めまして、種々検討いたしました結果、この六十二年度から創設したいということでお願い申し上げるという状況まで至ったわけでございます。
     実際に調査を初めましてからかなりの時間を要したわけでございますが、何と申しましてもこういう分野の高等教育機関を日本で設けるのは全く初めての経験でもございますので、特に慎重に関係者の御意見も聞き、あるいはまた学科の種類を選ぶ等につきましても諸般の情勢を調べるというようなことを重ねまして、今日に至ったというものでございます。
    ○林(保)委員 この機会に二点、お聞きしたいと思います。
     その一つは、なぜ筑波大学がありながらそちらと一緒にならなかったのか。四年制にはこれからどういう対応をされようとお考えになっておられるのか。
     もう一つは、この筑波短期大学に入る生徒及びそれをどういうふうに受け入れるのかという点、御質問したいと思います。
    ○阿部政府委員 御指摘の点でございますけれども、聴覚、視覚障害者をかなりの数集めて教育をいたすとなりますと、やはり教育上、安全上、かなりいろいろな面での配慮をしなければならないという点もあるわけでございますので、そういった観点から考えました場合には、筑波大学の中に、あるいはそれに併設するという形で置くよりは、小回りがきいていろいろな試みがやりやすいということ等諸般の状況を考えますと、独立の短期大学とした方がいいのではないかというのが関係者の意見でございまして、そういう方向にのっとったわけでございます。
     それからまた、四年制大学にすべきかどうかということも、特に外国では現実に四年制の大学もあるわけでございますので、これも一つの検討課題であったわけでございますが、やはり先ほども申し上げましたように、何と申しましても我が国で初めての経験でございまして、教官を集めるといいましても全く全国から公募してという格好で集めてくる、どれだけ能力のある方が集まるかということ等も考えますと、現段階で直ちに四年制を目指すというのは必ずしも適当でないのではないか。まず短大という段階で充実をした上で、また将来計画は別途検討するということが必要ではなかろうかというようなことから、短期大学にいたしたわけでございます。
     なお、学生の受け入れにつきましては、学生の入学資格として現在考えておりますのは、盲・聾学校の高等部を卒業した者、あるいはそれと同等程度の障害を持っている者ということで、視覚障害、聴覚障害と申しましても、比較的重い障害の方々というのを念頭に置いて進めていってはどうだろうかということでございます。また入学者選抜の方法は、推薦入学制度ももちろんとりたいと思いますが、推薦入学制度と一般の大学におけるような学力試験、面接等による制度と、その両方を組み合わせた格好で入学者選抜を行ってはどうだろうかというようなことで、こういった具体の細かい点は大学が発足いたしましてから大学自体で決めることでございますけれども、今私どもの段階ではそのようなことを考えているところでございます。
    ○林(保)委員 一般の人は入れないのですか。
    ○阿部政府委員 一般の人を直接この大学に入学させるということは考えておりません。
    ○林(保)委員 障害者の教育については、日本も一世紀の長い歴史があるわけでございます。そういった中で近ごろは、国立じゃございませんが、私立の鍼灸関係の学校、あるいは明治鍼灸大学などございますが、そこらあたりに普通の人が入っている例がかなりありますね。それとの関係をどのようにお考えになっておられるのか、もう一つ聞かせてください。
    ○阿部政府委員 御指摘のように、はり、きゅう師の関係につきましては現在四年制大学が一校と短期大学が一校、私立で存在をしておるわけでございます。これができますときに、私どもといたしましては、一般人、健常者だけを対象にするのではなくて障害者にも門戸を開くようにということで御指導申し上げまして、入学試験も点字を出題するようにとか、あるいは点字図書を十分整備して視覚障害者が入ってきた場合に対応できるような体制だけは必ずとっておかなければいけないというようなたぐいの指導をいろいろしてまいったわけでございます。しかし、大学はその方針に基づいて門戸を開いておりますが、現実には受験生の数も少ないようでございますし、合格する者も非常に限られているというような状況でございまして、いわば一般人がほとんどという状況になっておるわけでございます。そういったことも考えながら、今回の新設の短期大学につきましては障害者を対象にするということで、障害者教育の一つの前進基地のようなものを考えていきたいということで計画をしたものでございます。
    ○林(保)委員 続いて徳島大学の医療技術短期大学部の創設に関しまして、既存の国立大学の医学部あるいは附属病院を持っているところだと思いますけれども、ほかの大学でこれと同じような要望はございますか。
    ○阿部政府委員 医療技術短期大学は、国立大学の附属病院等に併置されております看護学校等の専修学校を体制の整ったものから逐次短期大学に切りかえをしてまいったわけでございまして、これまでにそれによって十九校創設をしておりますので、徳島のケースについてお認めをいただければ二十校目ができ上がることになるわけでございます。
     なお、このほかに数校まだ短期大学に昇格をしてないものがございますが、これらにつきましても体制が整い次第逐次切りかえをやってまいりたい、かように考えております。

    [中略]

    ○石井(郁)委員 時間がありませんので、入試については以上でとめておきたいと思います。
     三つ目の問題は、今回の法改正案では出てきておりませんが、共同研究センター、国際日本文化研究センターについて、時間がありませんので、幾つかの点だけを指摘させていただきたいと思います。
     政省令で設置されようとしている富山、神戸、熊本三大学の共同研究センター、それから国際日本文化研究センターについては重大な問題があると思っております。今日、産学協同がさまざまな形態で進行しつつありますが、今回の共同研究センター構想は従来の単なる延長ではなく、一つは、財界と大企業の求める技術開発等に大学の研究が動員される仕組みが人的にも物的にも確立されることであり、また軍事利用の危険性を持っていることがあります。二つには、こうした研究の推進に当たって大学の自主的判断がないがしろにされる、つまり教授会の議を経ずにセンター独自の運営が可能となることなど、大学の自治、学問の自由の否定、公開の原則の否定に道を開くという問題を持っております。
     国際日本文化研究センターにつきましても、中曽根首相の軽井沢セミナーでの発言がありましたように、独特の思想に基づく日本学の研究、これが奨励されておりますように、特定のイデオロギーによる日本国民の思想動員をねらった反動的な拠点づくりの構想だと私どもは考えております。
     この二つのセンターにつきましては、今後質問で取り上げていくということで申し上げておきたいと思います。
     さて、法案に関連いたしまして、障害者の高等教育の保障、筑波技術短期大学設置の問題について伺います。
     一つは、先ほど来、障害者の高等教育保障につきましては、大学に門戸を開放する、一般大学での受け入れもあわせて行われていくということが言われておりますけれども、その現状につきましてもう少し明らかにしていただきたいと思うわけです。全国の大学で現在障害者に受験を認め配慮しているそういう大学、国公立、私立大学で何枚あるでしょうか、また最近の受験者数と入学者数がどのようになっているか、特に特徴的な点などについてお答えいただきたいと思います。
    ○阿部政府委員 障害者の受け入れにつきまして、文部省としては、先ほど来お答えを申し上げておりますように、一般の大学におきましても障害者の能力、適性に応じて健常者の場合と同等の高等教育進学の機会を与えてくれということで指導を申し上げておるわけでございますが、大学の中で自分の大学は障害者を受け入れないと決めているというようなところは、文部省としては聞いたことがないわけでございます。
     それから、最近の入学の状況でございますけれども、最近五カ年間のケースで申し上げますと、五十七年度の入試の場合に千九百六十五人の志願者がありまして五百四十七人が入学、五十八年度の場合は二千六百十四人の志願者で五百七十五人が入学、五十九年度は二千五百十七人が志願者で五百十七人が入学、六十年度は二千二百二十八人志願いたしまして四百二十三人が入学、六十一年度は二千百十五人志願いたしまして四百二十二人が入学している、こういうような状況でございます。
    ○石井(郁)委員 非常に受験者数はふえているというふうに思いますけれども、入学者数が必ずしもふえているとは言えないということがわかるように思うのです。そこで、実際に障害者を受け入れている大学の一覧といいますか、断ってはいないかもしれないけれども実際には受け入れていないというか、そういうものも含めて受け入れている大学が何枚で、どういう大学であるかということは資料として提出していただけるでしょうか。
    ○阿部政府委員 ただいまその資料を手元に持っておりませんので、必要でしたら後ほど電話ででも申し上げます。
    ○石井(郁)委員 それを見た上でのことでもありますが、障害者に対する受験機会の拡大という点では、まだ全国の大学がそれほど門戸を開放していないというふうにも言えると思いますし、また現実に入学者数が必ずしもふえていないという問題があると思うわけです。障害者の受験を保障する大学が必ずしもふえていないという問題、また現実に入学ができていないという問題の理由はどこら辺にあるというふうに文部省はお考えでしょうか。
    ○阿部政府委員 最近の状況、先ほど申し上げました数字を見ましても、一つの傾向をつかむのは難しいわけでございます。例えば先ほど申し上げた五十七年以降の五年間のケースを見ましても、五十八年度がいわば一番多い時期でございまして、受験者が二千六百人で入学者が五百七十五人というのが一番多かったわけでございますが、六十一年度では受験者そのものが二千百十五人というふうに五百人落ちておるわけでございます。そして合格者は四百二十二人で百人落ちたというようなことで、率的には同率あるいは若干いいぐらいの率で入学はしていると思いますけれども、ただ、こういった受験者層の変化あるいは入学者層の変化、千人前後という数でもございますので年によっていろいろな差があるのだろうと思いますが、その辺の状況というのはにわかにつかみがたいわけでございます。
    ○石井(郁)委員 いろいろ社会的な状況やそのほか大学の対応、さまざまな条件もあると思いますけれども、障害者を受け入れるという点では、大学の方では、入学後の勉学の保障などという点ではまだまだ責任が持てないという点で二の足を踏むということもあると思うわけです。
     その点で財政的な事情について伺いますけれども、受験の機会、受験そのものについての財政的な援助もあるわけですが、入学後の勉学の保障につきまして、例えば視覚障害などの場合には点字用のいろいろな保障が必要なわけですけれども、そういう点で文部省としてどういう対応をされてきたでしょうか。
    ○阿部政府委員 一般大学におきます身障者受け入れに伴う財政措置でございますけれども、文部省といたしましては、国立大学は国でございますのでもちろん丸抱えでいろいろやっておるわけでございますが、受験の段階で、点字による受験の必要がある場合の点字問題作成のための経費は相当の額が必要なものでございます。六十二年度予算案で現在お願いしておりますものでは、一千五百万円ほど全体としてお願いしております。また、入学後の学生の教育のための経費につきましても特別の予算措置を、一般学生並みの経費のほかにさらに上乗せして措置をしておりまして、六十二年度で二千五百万円ほどの経費を予定いたしております。また、施設設備等につきましては、それぞれ各大学からの要望に応じて必要な経費を配賦しております。例えばスロープをつくる、手すりをつくる、あるいは場合によってはエレベーターを設ける等々のこともございますし、オプタコンでございますとか点字図書の整備等いろいろなことがございますが、各大学の要望に応じて必要な予算措置を講じておるわけでございます。
     また、公立大学の場合につきましては、昭和五十二年度から身体障害者学生用の設備の整備費の助成措置を講じております。これは件数は比較的少ないので六十一年度予算では二百万円くらいでございますけれども、各大学の要望に応じてその金額をお配りすることにしております。
     また、私立大学の関係につきましては、私学助成の経常費助成の中で、特別補助ということで、身障者を受け入れている大学に対しては経常費助成の上乗せを行っております。これは実績しかございませんけれども、六十年度の実績では総額一億五千万円ほどの上乗せを行っているということで、文部省としては、国公私を通じてできるだけの努力を重ねているつもりでございます。
    ○石井(郁)委員 言うまでもありませんが、ことしは国際障害者年の折り返し点というか中間点でもありますので、私は、障害者の教育権の保障という点で、一般大学の受け入れについては文部省としてももっと力を入れていただきたいというふうに要望しておきたいと思います。
     さて、法案の筑波技術短期大学ですけれども、現在一般大学に受け入れられている障害者は、障害者の中でもやはり軽度な障害者というところがあるのではないかと思うわけです。盲・聾学校からの進学は大変困難になっているということがあるように聞いております。そういう問題の解決の一つの方向が、今度の視覚障害者、聴覚障害者のこの短期大学をつくるということだというふうに思うわけですが、いろいろ議論もあるところでありますので、障害者の要望にこたえて高等教育保障を拡充していく契機にしていくという立場から、少し内容に立ち入って質問をしたいと思います。
     三年制の短期大学ということですけれども、先ほどの質問にもちょっとありましたが、高等教育としては四年制の大学という構想をなぜ最初からつくらなかったかという問題が一つです。それに関連して、現在出されている学科、聴覚障害関係は四つの学科、視覚障害関係は三つの学科ですけれども、この学科では非常に不十分ではないか。また、入学定員もそれぞれ十人ずつということで、二十人のところもありますけれども、九十人というのは非常に少ない。障害者の要望からすると余りにも狭き門ではないかという点があると思います。この二つについてお答えいただきたいと思います。
    ○阿部政府委員 この大学は三年制の短期大学ということで構想したわけでございます。もちろんこの問題の検討に当たりましては四年制大学とするかどうかという課題もあったわけでございますが、先ほども申し上げましたように、こういった障害者のための高等教育機関、大学というものを我が国でつくるのは全く初めての経験でございます。現実にカリキュラムや教育方法等についてそれぞれ開発しながら進めていかなければならないという、新しい分野を開拓するというたぐいの大変な事業でもございますし、特に教員の確保というような点を考えますと、こういうことを申し上げて適当かどうかはありますけれども、四年制大学の教員となりますと相当レベルの高い人でなければ設置審議会の審査を合格しないというような問題等もあるわけでございます。そういったような意味からいいますと、まずは短期大学でこれをつくっていく、充実した短期大学としてこれを設けていく、これを将来どうするかという問題は、またその運営の実態を見ながら検討する課題としてとっておこうというのが、いわばこの問題を検討した多くの方々の御意見であったわけでございまして、それに従って三年制の短期大学ということでスタートするということにさせていただいたわけでございます。
     また、学科の内容につきましてもいろいろと御議論がございまして、幾つかの案があったわけでございますけれども、これも一つには、そういう学科にどれだけの志願者があるかということもございますし、またもう一つには、その学科でどれだけ実際に障害者に対して適当な教育が可能かという問題もございます。卒業者の進路開拓というような問題等もございます。こういった点をいろいろ考え、議論を重ねた結果、まずは「内容」に掲げておりますような種類の学科でスタートをしようということにいたしました。人員についても、そういった現在の盲・聾学校の高等部の在学生や専攻科の在学生の状況やそういったようなたぐいのものをもろもろ考えながら、しかも少人数教育で、通常の大学が四十人ないし五十人の授業というのが普通でございますけれども、この大学は十人単位の少人数教育で徹底した教育をやろう、そういうことを通じながら新しい教育方法の開発もしていこうというようなことを考えております関係上、人員もそういう点等総合的に考えまして九十人という人数を定めたということでございます。
    ○石井(郁)委員 現状としてはそういうスタートという点では言えるかと思うのですが、将来構想としましてやはり四年制大学の構想とかあるいは学科の増、定員増というようなことについての、ちょっと今すぐは難しいかもしれませんけれども、その辺の文部省のお考え、再度ちょっとお聞きしておきたいと思います。
    ○阿部政府委員 現在のところは、現在この法案をお願いしておりまして、六十二年度に設置をして六十五年以降に学生を受け入れる、その間全力を挙げてその準備に突入するというようなことになるわけでございますので、せっかくのこの短期大学が円滑に成功するように最大限の努力を払うというのが私どもの最大の務めであろうと思っております。ただ、御指摘をいただきましたようにいろいろな課題があることも事実でございますので、そういった点につきましては、この大学の整備充実を進めながら、それと並行して個々の課題として検討は続けていかなければならない、こう思っております。
    ○石井(郁)委員 私どもは、将来的にはやはり四年制大学にとどまらず、先ほど来専門家の養成というかそういう教員の確保という問題も出されておりますけれども、そういう教員養成もできるような二年間くらいのマスターの設置、そういうことまで含めてやはり障害者の教育の拡充、そういう問題について考えていくべきだというふうに思っております。
     ちょっと時間がありませんので、次の問題に移らせていただきますが、福島大学、三重大学の学部創設、改組の法案に関連いたしまして、現在教員養成大学とか学部の整備が重要な問題とされておりますので、その点で伺いたいと思います。
     各大学ではいろいろな取り組みがされておると思いますけれども、大阪教育大学の例について先般、これは三月十七日の新聞報道では学部の改革案がまとまったということですが、文部省に届いていると思いますけれども、文部省として大阪教育大学の学部改革案についてどういう評価と受けとめをされておりますでしょうか、伺いたいと思います。

    ◇第108回国会 参議院 文教委員会 第1号 昭和62年3月26日

    049 山本正和

    ○山本正和君 本日御説明いただきました国立学校設置法の一部を改正する法律案の中で、筑波の技術短大の問題と、それから三重大学の生物資源学部の問題につきまして、御質問をしていきたいと思っております。
     まず、筑波の問題でございますが、昨年の段階で、この問題が報道されると同時にいろんな動きがございました。十一月二十五日付の朝日新聞では、「文部省の身障者短大構想」、この構想に対して身障者団体が強い反対の声がある。その大きな理由として、一般大学が身障者に門戸を閉ざすんじゃないか、こういうふうな不安があるというようなことが報道されましたし、また、実際に一般大学で学んでいる身障者の皆さんからは、これに対するさまざまな??若干誤解もあるようでありますけれども、反対意見等も出されております。ただ、学校現場で身障者を教育している校長や一般教員の中では、これはやりようによっては大変結構なことで、場合によってはもっときちんとした格好でやってほしいというふうな要望もあるようでございます。
     そこで、まずそういう方々の不安を解消していくということも含めまして御質問をしていきたいと思うのでありますが、まず、新聞報道等では、二百数十人から四百人ぐらいの障害者の方が大学へ進学しておられるというふうに報道されておりますけれども、文部省調査、一番新しいデータで、一体一般大学へどの程度の方が学んでおられるのか、ちょっと数字をお示しいただきたいと思います。
    050 阿部充夫

    ○政府委員(阿部充夫君) 身体障害者の方々の大学、短期大学への進学の現状でございますけれども、最近のデータで申しますと、昭和六十年度入試の際には、国公私立の大学、短大を合わせまして二千二百二十八人の受験者がございました。これに対して実際に入学をした者が四百二十三人という数字でございます。また、昭和六十一年度では、これは中間的な集計ではございますけれども、受験者が二千百十五人、これに対して入学者が四百二十二人というようなことになっておりまして、毎年、年によって差はございますけれども、おおむね四百人から五百人前後ぐらいの方が入学をしているという状況であろうかと思います。
    051 山本正和

    ○山本正和君 この問題につきましては、後ほどまた若干要望を申し上げたいと思いますが、その前に、今度筑波技術短大が六十五年度から学生募集をするわけでありますけれども、各都道府県で障害児学校から進学希望がいろいろあるわけでありますけれども、一体どの程度の筑波技術短大への進学希望を見込んでおみえでございますか。ちょっとそこをお尋ねしたいと思います。
    052 阿部充夫

    ○政府委員(阿部充夫君) この短大への進学の希望というのを、現在の段階では、具体の学生受け入れが六十五年度以降ということになっている関係もございますので直接の調査をいたしてはおりませんが、ただ、現在全国の盲学校及び聾学校の高等部がございますけれども、この卒業生が毎年それぞれ七百名前後、合わせますと千五百人前後ぐらいの卒業生があるわけでございます。そういった中で、今回初めて入学定員九十名というこの短期大学をつくるわけでございますので、そういう数字の関係から申しましても進学希望者は十分確保できるのではないか、こういうような見通しを持っておるわけでございます。
    053 山本正和

    ○山本正和君 実は、九十人という数が??これは正直言いまして場所が場所でございますから、何といいましょうか、行きたくてもなかなか行きにくいという人も含めて大体適当な数かもしれない、こう思うんですけれども、各学校で実際に進学指導等をやっている校長や教職員の意向を聞きますと、本当はもっと各地域に将来的にはこれをふやしてもらわぬと、どうしても筑波に行くしかないというようなことではなかなか進学指導がしにくいというふうな声等もございます。これはまた後ほど要望を申し上げたいと思っておりますけれども、ひとつ各学校から進学をするにつきまして、便宜を図るというのはおかしいですけれども、十分な案内をしてやっていただきたい、このことだけこの段階で申し上げておきます。
     それからもう一つは、これも初めての試みでありますので学校現場では大変心配しておりますのは、入学者の選抜方法を一体どういうふうにお考えなんだろうか。要するに、本人が進学したいという意思を持っておる、また力もある。ところが、選抜するときにその力を正しく評価してもらえるのかどうかというような不安がございますので、選抜方法につきまして、この段階でおわかりの程度で結構ですから少し御説明願いたいと思います。
    054 阿部充夫

    ○政府委員(阿部充夫君) この短期大学への入学者選抜につきましては、短期大学ができましてから短期大学の当局者が決めていくということに相なるわけでございますけれども、現在の段階で私ども考えておりますのは、一つは、入学対象をどうするかという問題がございますが、これにつきましては、盲聾学校の高等部を卒業した者、あるいはそれに準ずる程度の障害を持っている者というようなことで、健常者が入ってくるということはもちろん予定をしておりませんし、それから、障害の程度としては比較的重い方々の方を対象にしている、こういうふうに御理解いただいていいのではないかと思っております。
     また、具体の入学者選抜の方法につきましては、一つは一般の大学の場合と同じように学力検査それから面接等をいろいろな形で組み合わせて選抜をするという方式をとることと、あわせて盲聾学校の校長先生からの推薦による推薦入学制度、こういうものを加味して、両者でやっていきたい、こういうふうに思っておるわけでございます。
     なお、入学試験、学力検査をする場合に、その学力検査のやり方等につきましては、視覚障害者、聴覚障害者のそれぞれに合った方法をいろいろ工夫して実施をするということは考えておりますし、また、その後実際に運営をいたします際には、全国の盲聾学校高等部の教育の実態でございますとかあるいは関係者の御意見等を入れながら、適切な入学者選抜方式を考えていきたい、このように思っている次第でございます。
    055 山本正和

    ○山本正和君 これはお願いでございますが、できましたら、現場の学校の校長の推薦というようなことをひとつぜひ重視していただきたい。そしてまた、希望者が多い場合は推薦で??校長責任を持って推薦しているわけですから、極端なことを言いますと先着順とかくじ引きでもいいんですが、何か障害者の方に対して試験によるいろんな圧力ですね、これをかけないで、いい方法はないかということについて今後御検討をいただきたい。これは要望を申し上げておきます。
     それから、先ほどちょっと申し上げましたけれども、障害者の方が一般大学に入って立派に勉強しておられる方がかなりおるんですけれども、そういう方々の中からの声として、例えば点字による受験というふうなことをもう制度として認めていただくわけにいかぬのだろうかとか、あるいは大学を受けるに当たって手話通訳者等を確保していただけないだろうかとか、そういうふうな希望が非常に強いわけです。諸外国では、障害者が一般大学に入って勉強していくことについては、いろんな意味での取り計らいがされておるように聞いておるんです。ところが、どうも今、例えば私立大学協会ですか、全部じゃないと思うんですけれども、できたら障害者の方はその人たちのための国の施設をつくってもらってそこでやってもらったらどうだというようなことが言われたりするやに聞くわけです。確かに大変お金がかかるわけでありますし、障害者の方を受け入れますとそのための施設が随分要るわけですけれども、そういうことにつきまして大学側は、実際の話、今私が聞いたような話があるのかないのか。障害者に対して、いわゆる国立も私学も含めてですけれども、どういうふうな対応を大学がとっておられるのか、その辺をちょっとお聞かせ願いたいと思います。
    056 阿部充夫

    ○政府委員(阿部充夫君) 身体に障害のある方につきましても、本人の能力、適性に応じて、健常者の場合と同様な大学進学の道が開かれるべきだというのは文部省のかねてからの考え方でございまして、これは毎年各大学に指導として文書を出しております、「大学入学者選抜実施要項」等においても、そういう配慮を十分してほしいというこ
    とを申しますと同時に、具体の、障害のある方々の障害の種類、程度に応じまして実際の試験のやり方につきましても、例えば点字による出題をする、あるいは肢体不自由の方々の場合には試験場を別に設けて介助者をつけるとか、いろいろな形での対応をぜひしてもらいたいということを明示をいたしまして各大学を指導いたしておるわけでございます。
     先ほど申し上げましたような、二千名を超える受験者がございまして、その中から四、五百名が現実に入学をしておるという実態があるわけでございます。具体にこの入学をめぐってトラブル等があった事例というようなことについての御質問をきのう衆議院でもいただいたわけでございますけれども、前に一つ筑波大学関係であったというケースがございますが、これは話し合いで一応の方角は、解決は既に見ておるわけでございますが、その他具体の例があればこれについて個々に文部省としては指導してまいるつもりでございますけれども、現実に今まで特別の問題というものを聞いておらないわけでございます。
    057 山本正和

    ○山本正和君 それでは、最後に大臣にお伺いしたいのであります。
     実は、障害者教育の問題というのは、教育の原点とも言えるというふうな気持ちを私どもは持っておるわけでありますが、やっと筑波技術短大というものをつくっていただきまして、そしてこれがいろんな意味で障害者の方々に対して一つの希望を与えたのじゃないかという気がいたしております。ただ、冒頭に申し上げましたように、もう少し地方にもつくってもらえないのか。一つじゃなしに、せめてブロック単位に一つずつぐらいはつくってもらえないかというふうな希望もございます。大臣、きょうは始球式で見事にストライクをほうられたようでございますけれども、ひとつそういう決意でもって今後障害者教育に対して取り組んでいただきたい、こういう気持ちを持っておるのでございますけれども、大臣から、今後の展望等を含めまして、障害者教育についての御所見を承りたい、こう思います。
    058 塩川正十郎

    ○国務大臣(塩川正十郎君) とりあえず目下筑波技術短期大学の設置を決めていただきまして、これの開校を急ぎたい。また、この学校の内容も十分充実さしたいと思っておりまして、それをまず完成いたしまして、その後、仰せのようにコミュニケーションが十分にとれない障害者の方々に対してできるだけどういうことをするのがいいのかということをその段階でさらに前進していきたいと思っております。

    ◇1987-03-26 第108回国会 参議院 文教委員会 第1号

    ○国務大臣(塩川正十郎君) とりあえず目下筑波技術短期大学の設置を決めていただきまして、これの開校を急ぎたい。また、この学校の内容も十分充実さしたいと思っておりまして、それをまず完成いたしまして、その後、仰せのようにコミュニケーションが十分にとれない障害者の方々に対してできるだけどういうことをするのがいいのかということをその段階でさらに前進していきたいと思っております。

    ◇1987-03-26 第108回国会 参議院 文教委員会 第1号

    ○国務大臣(塩川正十郎君) このたび政府から提出いたしました国立学校設置法の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
     この法律案は、国立大学の学部の設置、国立短期大学の新設等について規定しているものであります。
     まず第一は、学部の設置についてであります。
     これは、福島大学に行政社会学部を、三重大学に同大学の農学部及び水産学部を統合して生物資源学部をそれぞれ設置し、それらの大学の教育研究体制の整備を図るものであります。
     なお、これらの新学部は、本年十月一日に設置し、昭和六十三年度から学生を入学させることとしております。
     第二は、国立短期大学の新設等についてであります。
     これは、築波研究学園都市に視覚障害者及び聴覚障害者を対象とする高等教育機関として筑波技術短期大学を新設するとともに、徳島大学に同大学医学部附属の専修学校を転換して医療技術短期大学部を併設することとし、また、電気通信大学に併設されている短期大学部については、これを廃止し、同大学電気通信学部に統合しようとするものであります。
     なお、筑波技術短期大学及び徳島大学医療技術短期大学部は、本年十月一日に開学し、筑波技術短期大学については昭和六十五年四月から、徳島大学医療技術短期大学部については昭和六十三年四月からそれぞれ学生を入学させることとし、電気通信大学短期大学部については昭和六十二年度から学生募集を停止し、昭和六十四年度限りで廃
    止することを予定しております。
     このほか、昭和四十八年度以後に設置された医科大学等に係る職員の定員を定めることといたしております。
     以上がこの法律案の提案理由及びその内容の概要であります。
     何とぞ、慎重御審議の上、速やかに御賛成いただきますようにお願い申し上げまして、提案理由の説明を終わります。

    ◇1987-05-19 第108回国会 参議院 文教委員会 第2号

    ○国務大臣(塩川正十郎君) 第百八回国会におきまして、文教各般の問題を御審議いただくに当たり、所信の一端を申し述べます。
     教育は国家百年の計であり、国家社会発展の基礎として、長期的展望のもとに、その充実に取り組んでいかなければなりません。我が国の義務教育を中心とする教育水準は、国際的にも高く評価されているところであります。しかしながら、今日我が国の教育は、その量的拡大の中でさまざまな問題が生じてきており、さらに近年における科学技術の革新、産業構造の変化や情報化の進展、国際的な相互依存の深化等、急激な経済社会の変化に直面しております。
     臨時教育審議会は、その発足以来これらの課題を克服し、二十一世紀に向けて我が国が創造的で活力ある社会を築いていくための教育改革を進めるべく審議を重ねてこられたところであります。去る四月一日には、今次教育改革全体を貫く基本理念である個性重視の原則と生涯学習体系への移行の観点に立って、学校、社会を通じる各般の重要な課題について改革方策を明らかにした第三次答申をまとめられました。
     文部省においては、既にこれまでの答申を受けて徳育の充実等教育内容の改善や教員の資質向上、高等教育の個性化、高度化、学術研究の振興など各般の施策の具体化に努めてきたところであります。今回の答申についても、二十一世紀へ向けて教育・研究、スポーツ・文化の諸活動に対する国民や社会の多様かつ高度な要請にこたえていくことなどの観点から、教育改革の推進に必要な財源を積極的に確保していくことを含め、その具体化に最大限の努力を傾注していく所存であります。
     私は、教育改革の担当大臣として、教育こそ国の礎であるとの認識に立ち、今後とも臨時教育審議会の答申を最大限に尊重し、教育改革の実現に全力を挙げて取り組んでまいる決意であります。
     以下、主要な課題について私の基本的な考え方を申し述べます。
     第一は、初等中等教育の改善充実についてであります。
     これからの初等中等教育においては、二十一世紀に向かって国際社会に生きる日本人を育成するという観点に立ち、豊かな心を持ち、たくましく生きる人間の育成や社会の変化に主体的に対応できる能力の育成を図ることが必要であります。そのため、国民として必要とされる基礎的、基本的内容を重視し、個性を生かす教育の充実を図ることが重要であると考えるものであります。特に、道徳教育の推進については、今後とも、学校と家庭や地域社会とのより密接な連携を図りながら、その一層の充実に努めてまいる所存であります。また、国際理解を深め、我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成を図るという観点から、歴史教育等の改善充実を図る必要があります。
     児童生徒の問題行動の解決には、学校がその責任を果たすことが当然でありますが、学校が家庭との連携を密にするなど、学校、家庭、社会が一体となった取り組みを推進することが必要であります。文部省としては、今後とも児童生徒の健全育成に全力を挙げて取り組んでまいる所存であります。
     さらに、いわゆる学習塾については、種々の弊害も指摘されているところであります。この問題の背景には、学歴偏重の社会的風潮等が深くかかわっていると考えられますが、学習塾通いに伴う弊害を是正し、公教育に対する信頼を確保するため、学校における学習指導の充実や入学者選抜制度の改善など、この問題に対する取り組みの一層の充実に努めてまいります。
     なお、幼児教育、職業教育及び特殊教育については、今後とも一層の振興を図ってまいります。
     次に、教育諸条件の整備につきましては、厳しい財政事情のもとではありますが、児童生徒一人一人により行き届いた教育を行うため、四十人学級を初めとする学級編制及び教職員定数の改善計画を推進するとともに、義務教育教科書無償給与制度の堅持、過大規模校の解消等の公立学校施設整備に努めてまいります。
     教員の資質能力の向上は、教育改革を進める上で最も重要な政策課題であり、その一対策として、昭和六十二年度において初任者研修の試行を始めることとしたところであります。初任者研修制度は、教員としての第一歩を踏み出す最初の段階において充実した研修を行うものであり、教員としての使命感や実践的指導力を養う上で極めて重要な施策であると考えております。文部省としては、試行を通じて初任者研修の内容や方法の望ましいあり方を究明することにより、初任者研修制度の円滑な実施を期してまいる所存であります。
     なお、既にそれぞれの職場において活躍している現職教員の研修についても、その充実強化に努めてまいりたいと考えております。
     第二は、高等教育の改革と充実についてであります。
     今日、さまざまな新しい時代の要請の高まりにこたえて大学を中心とする高等教育の改革を推進することは、我が国の将来の発展を考え、また人類福祉の向上を図る上で極めて重要な課題となっております。このため、臨時教育審議会の第二次答申を踏まえ、高等教育に関する基本的事項を調査審議し、必要に応じ文部大臣に勧告を行う機関として大学審議会を創設し、大学改革を積極的に推進する所存であります。
     大学入試改革につきましては、国公私立大学を通じ受験生の個性、能力、適性に応じた多様な入学者選抜の実現を図るため、昭和六十五年度から新しいテストを実施することとし、そのため、現在関係団体等の協力を得ながら鋭意準備を進めているところであります。
     また、昭和六十二年度大学入学者選抜については、国公立大学の共通一次試験の受験科目数の削減弾力化、受験機会の複数化を実施いたしました。その実施を通じ問題点の御指摘もあり、今後改善のための努力を重ねる所存であります。
     さらに、国立学校の整備につきましては、先般御議決いただきました国立学校設置法の一部を改正する法律に基づき、筑波技術短期大学を創設するとともに、福島大学に行政社会学部、三重大学に生物資源学部を設置し、徳島大学に医療技術短期大学部を併設する等、努めて精選しつつも学問の発展及び時代の進展に合わせ教育研究の推進上必要な整備に力を注ぐこととしております。
     第三は、学術研究の振興についてであります。
     大学を中心とする学術研究は、科学技術はもとより国家社会のあらゆる分野の発展の基盤を形成するものであり、独創的、先端的な学術研究の推進とそれを担うすぐれた人材の養成が急務であります。このため、科学研究費の充実に努めるとともに、若手研究者の育成等に格段の努力を払い、新しい時代にふさわしいすぐれた研究者の養成一確保を図ってまいります。
     また、研究施設についても、長期的、総合的観点に立ってその整備充実に努めるとともに、加速器科学、生命科学、がん等の重要基礎研究や、民間等との共同研究の推進等を図ってまいります。
     第四は、私学の振興についてであります。
     私立学校は、建学の精神に基づいた個性豊かな教育研究を実施しており、我が国の学校教育の普及充実に多大の貢献をしてきております。このような私学の果たす役割の重要性にかんがみ、引き続き教育条件の維持向上に努めてまいる所存であります。また、専修学枝についても、社会の多様な要請に応じた特色ある教育の一層の振興を図るため、今後一層充実した指導と育成に努めてまいります。
     第五は、社会教育、体育・スポーツ及び文化の振興についてであります。
     今日国民の間には、変貌著しい社会に適応し、心身ともに健康で豊かな人生を送るために、生涯にわたって学習の機会を持ち、芸術・文化や体育・スポーツに親しみたいという要望が高まっております。このため、国民の一人一人が生涯にわたってさまざまな学習活動や体育・スポーツ活動に参加できるよう、必要な施設の整備、指導者の養成、確保等に引き続き努力していくほか、新たなメディアの活用等による適切かつ多様な学習情報の提供や生涯スポーツ推進事業等各種の施策を進めてまいります。
     来年開催されるソウル・オリンピック大会を初め、国際競技会における我が国選手の活躍に対する国民の期待も大きいことから、国際競技力の向上やスポーツの国際交流の推進のための施策の充実にも力を入れてまいります。
     また、我が国のすぐれた伝統文化を継承しつつ芸術・文化の創造的発展を図るため、必要な施策を着実に推進してまいります。特に昨年から開始された国民文化祭の充実、定着を図るとともに、いわゆる第二国立劇場の設立準備、文化財の保存活用などに努めてまいる所存であります。
     最後に、教育、学術、文化の国際交流についてであります。
     我が国の国際的地位の向上と役割の増大に伴い、国際交流の推進はますます重要な課題となっております。このため、留学生及び研究者の交流、国際共同研究、外国人に対する日本語教育の推進等を図ってまいります。とりわけ留学生の交流については、大学等はもとより民間団体など各方面の協力も得つつ、二十一世紀初頭において十万人の留学生を受け入れるという長期的展望に立って、今後ともその飛躍的充実を図ってまいる所存であります。
     さらに、我が国に対する諸外国からの関心の高まりに対応し、日本の文化に対する国際的な理解を深めるため、国際日本文化研究センターを創設することとしております。
     また、国際化の進展に伴ってますます増加している海外勤務者の子女に対する教育につきましては、日本人学校等の整備充実を図るとともに、帰国子女受け入れ体制の充実にも引き続き努力してまいります。
     以上、文教行政の当面する諸問題について所信の一端を申し述べました。我が国の教育、学術、文化の振興のため、文教委員各位の一層の御指導と御協力をお願い申し上げます。

    ◇1994-09-01 第130回国会 参議院 決算委員会 閉会後第3号

    ○堀利和君 私は文部省に、身体障害者のための筑波技術短期大学につきましてお伺いしたいと思います。
     この短期大学は、身体障害者、具体的には聴覚障害者と視覚障害者でありますけれども、障害者のために高等教育機関を設立したものであります。聴覚障害者に対してもう既に四年、視覚障害者に対して三年を過ぎて学生を受け入れてきているわけですけれども、この辺の現状について文部省がどのようにお考えかということについて基本的に伺っておきたいと思います。
     私は、議員になる前に、この筑波技術短期大学に対しましていろいろ問題があるのではないだろうか、まだまだ十分検討しなければならないし、多くの問題を抱えながらのスタートということについていろいろ意見を差し挟んできたわけですけれども、この三年、四年を経て、一体現状がどうなっているかということを改めてお伺いしたいと思っております。
     そこで、聴覚障害者の方の学科については定数が五十名ということで、毎年定数ぎりぎりいっぱいということの中で順調にいっているように見受けられますけれども、三学科あるうち視覚障害者の関係では定数四十名なんですけれども、どうも定数に達していないという実情があります。志願者も若干減りつつあるし、入学者数も減ってきているという傾向にございます。この辺がどういうような事情によるかということもあります。例えば、四十名のところが三十七名、三十六名、三十五名、そしてことしが三十一名ということで入学者が減っております。
     特に問題としたいところは、鐵灸学科につきましても二十名定員のところが十七名、十九名、十三名、そしてことしが十四名ということで、甚だ定数割れというふうな傾向にありますけれども、これについてどのように現状を認識しているのかお伺いしたいと思います。

    ◇1987-03-25 第108回国会 衆議院 文教委員会 第1号

    ○鍛冶委員 筑波技術短期大学が今度創設されることによって、結果的に、その他の一般大学で障害を持たれる方々への門戸が狭くなるおそれがあるのではないかというふうに心配をするわけですが、この点についてのお考えを承りたいと思います。

    ○阿部政府委員 今度の短期大学は、極めて限られた専門分野について、しかも比較的少数の、全体で九十人という枠での教育をまず行っていこうということでつくっておるものでございますので、これがあるから一般大学で受け入れないというような理由に使えるものではないと私どもは思っているわけでございまして、そういう意味で、これまでにも増して、一般大学において先ほど申し上げましたような健常者と同等の進学の機会の確保ということに御配慮願うように、最大の努力を重ねてまいりたいと思い

    ◇1987-03-25 第108回国会 衆議院 本会議 第9号

    ○愛知和男君 ただいま議題となりました国立学校設置法の一部を改正する法律案につきまして、文教委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。
     本案は、国立大学の学部の設置、国立短期大学の新設等を図るものでありまして、その主な内容は、
     第一に、福島大学に行政社会学部を、三重大学に同大学の農学部及び水産学部を統合して生物資源学部を設置すること、
     第二に、視聴覚障害者を対象とする筑波技術短期大学を新設すること、
     第三に、徳島大学に医療技術短期大学部を併設し、また、電気通信大学短期大学部についてはこれを廃止し、電気通信学部に統合すること、
     第四に、昭和四十八年度以後に設置された国立医科大学等に係る職員の定員を改めることなどであります。
     本案は、去る二月十六日本院に提出され、同月二十日に本委員会に付託となり、本日塩川文部大臣から提案理由の説明を聴取した後、直ちに質疑を行い、採決の結果、本案は全会一致をもって原案のとおり可決すべきものと決しました。
     なお、本案に対し附帯決議が付されました。
     以上、御報告申し上げます。(拍手)

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    *作成:山口 和紀
    UP:20211212 REV:20211218, 20220128, 30, 0626, 0803, 0924, 1018, 29, 1204
    山口 和紀  茨城青い芝の会  事項
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