本書は、精神科病院長期入院患者が、精神保健福祉の専門職と協同しながら退院意思を持ち続け、地域における生活を可能にしていった変化とプロセスについて明らかにしようとするものである。なお、本書においては長期入院患者という表現をする。執筆当初は長期入院者と表現していた。患者ではなく普通にいる人であると尊重して考えるべきだと思ったからである。
というのは、日本の精神科において入院患者といった場合に、精神症状があるので治療が必要な人という以外の、人権侵害の患者管理の対象であった歴史が色濃く横たわっている。本書における長期入院患者もその対象であることが多く、彼らはさまざまな体験をする機会を奪われたり意欲をなくさせられたりしていた。いわゆる人としての尊厳を尊重されなかったり、地域で生きていく力を削がれたりした人たちであった。つまり、彼らは入院患者にさせられてしまっていたのであり、本来なら各種の体験や機会を保障される人であるべきだから入院者と表現したかったのである。
しかし、M-GTA の研究会において検討している際に、長期入院であったにもかかわらず退院できたことは、その人が長期入院患者であったことをむしろ強調すべきではないかと指摘されたことがあった。多様な職種の参加者は、精神科病院の長期入院患者についてそのようなイメージを持っているのだと気づかされた。その時以来、長期入院患者であったが退院できたことに着目すべきであると考えるようになった。つまり、抑圧された状況におかれながらも地域で暮らせる可能性を持っている、そんな長期入院患者として表現したいと考えが変わったのである。
ただし、ここで用いる長期入院患者とは社会的入院患者を含むがイコールではない。第2 章で詳細を論じるが、社会的入院患者とは、入院治療の必要はないが地域生活に必要な社会資源や条件が整わないという理由によって、精神科病院に入院継続になっている人たちのことである。本著でいう長期入院患者の中には、入院治療の必要性がないことを確認できていない人も対象にしているため、社会的入院患者を含めて長期入院患者と表現している。
長期入院患者が地域生活を可能にしていったプロセスについて、なぜ取り組もうと考えたのかについてはいくつかの理由がある。筆者は1980 年代および90 年代にかけて保健所の精神保健福祉相談員として勤務した後に、精神保健福祉士を養成する大学の教員になった。筆者が保健所で働いていたある日、近隣の精神科病院にある入院患者を訪問していた。その人とひとしきり話した後に、こちらの様子をうかがっていたX さんが笑みを浮かべながら近づいてきた。
X さんは3 ~ 4 年前にその病院を受診し、診察の結果、医療保護入院 1) になった人であり、筆者がいわゆる受診援助として関わった。X さんは少しの間筆者と親しく話していたが次第に言葉使いが荒くなってきて、10 分も経たないうちに筆者を非難するような言葉を放ってその場から立ち去ってしまった。いったい何があったのか理解できず、X さんの精神症状なのかあるいは嫌なことを思い出したためなのかと、筆者は想像するしかなかった。
筆者とX さんとの関係性は決して悪くないと考えていたが、X さんにとって保健所の相談員とは、病状が悪化すると登場してきて精神科医療につなげてしまう職種であると映っていたのかもしれない、と自省を込めて考えていた。その当時の保健所とは、現在の精神保健福祉法に基づく業務 2) を執行する機関であるとともに、日常的に相談を受けたりグループワークを実施したりするソーシャルワークの側面という両方の機能があった。だから、入院につながる行政管理的な側面と日常のソーシャルワークの側面という、アンビバレントな気持ちをX さんに引き起こさせたのかもしれない。そしてあの時のX さんは、筆者に対して行政管理的な側面をより意識したのかもしれないと思った。
かつてのX さんは、精神症状が治まっている時期は自宅で元気に過ごし、ドライブを楽しむ余裕もあった。ある時期には働いてもいた。とはいえ、病状が悪化すると被害念慮が激しくなり母親と衝突してしまうので、頻繁に受診したり必要に応じて入院したりしていた。元気な時のX さんを知っている筆者からすると、3 ~ 4 年間も入院するとこのような状態になってしまうので、Xさんが入院中に受け止めていることや希望などを聞きたいと思い直していた。だが、その後間もなく筆者は異動になってしまい、X さんの思いや希望を聞くことができなかった。
もう1 点についてである。2010 年の春、筆者はある公立精神科病院の看護局長から、その病院における長期入院患者の退院を支援するピアサポーター 3) 活動について話をうかがう機会があった。ピアサポーターとは、この公立病院に入院していた患者が退院した後に、まだ入院している長期入院患者の退院を支援するボランティア活動を展開する人たちのことである。精神科病院の専門職による関わりとは異なった、当事者としての特色ある実践でありその結果についてのお話であった。看護局長が語ったことは次のような内容だった。
2000 年代の初期、病棟専門職の熱心な働きかけによりもう少しで退院というところまで来たにもかかわらず、いざ退院といわれると地域生活を躊躇してしまい退院できない入院患者が多くあった。彼らとじっくり話し合いながら退院の準備を整えていき、あと一歩というところなのに地域生活に不安を感じ退院できないでいたという。
そこで、既に退院して地域で生活している人たちの力を借りようと、ピアサポーターの活用を考えた。彼らに病棟に入ってもらい、入院患者との自然な交流を図るという支援協力を依頼し、その取り組みを進めていった。時には、ピアサポーター自身に退院した時の様子や地域で生活できるようになった経験などについて語ってもらったこともあったという。
そうすると、これまでは最後の段階で不安になり退院を躊躇していた入院患者が退院していったという。しかも、それは2 名や3 名ではなく数十名の退院者があった。1 名が退院するとそれに刺激を受けるように、次々に退院していく状況があったと言うのである。
それを目の当たりにした看護局長は、ピアサポーターの独自の視点や立場から関わることで退院させることが可能であると確信したという。看護局長は、彼らには病棟の専門職と異なった力があると気づいたのである。それからは、退院に向けた働きかけに病棟スタッフのみならずピアサポーターの力を借りようと考え、彼らが病棟に入って活動するプログラムを定期的に作っているとのことだった。
筆者はこの話をうかがって、さもありなんと素直に思った。その実践の中にはピアサポーターの有効性を示すものもあり、いわゆるピアスペシャリストの人材育成の必要性も叫ばれていて、結果としては2011 年にガイドラインの作成 4) もなされるような状況になっていた。筆者は看護局長のおっしゃることを聞きながら、ピアサポーターの特徴や有効性などについてまとめたいと思い、インタビュー調査を実施し検討した結果についてまとめた 5) 。
ところが、このインタビューの対象者はかなり活動的であり、十分に地域に馴染んでいて自己効力感も高かった。ピアサポーター活動を展開しているから元気で活動できているのだろうと思いながらも、求めていた退院に不安を感じ躊躇する人たちのおかれている状況や、退院に至るまでの変化についてはさほど情報を得ることはできなかった。
長期入院は日常生活が中断され社会での生活の機会がないために生活上のさまざまな力を得ることができないから、退院に不安を感じ躊躇するのは当たり前だといえる。それにもかかわらず退院できるのは、非常に大きな変化であると思っていた。そこで、何がきっかけになり退院できたのか、退院を阻害していた理由は何だったのか、どのような準備や条件があれば退院でき地域生活が可能になるのか、などについて明らかにしていく必要があると思った。
退院支援の体制やピアスペシャリストの育成は注目され整えられつつあるが、退院する患者に着目した論文や論考にはあまり出会うことがない。その人たちに関心を持ち、彼らの変化や地域生活に至るプロセスなどを知りたいと思ったのである。
このように、精神科病院におけるX さんとのやり取りや看護局長から退院支援に関わる実践をうかがったことなどが積み重なり、長期入院患者への関心が強くなっていった。退院のきっかけおよび地域生活を送るまでの変化やプロセスを明らかにすることは、日本における精神科医療のあり方を考える1つの契機になり、長期入院患者の心情理解および退院支援や地域移行に関する多くの知見を提供できると考えたのである。
長期入院患者のさまざまな生活史や現状などを伝えたり理解することは、普段あまり考えられない。精神保健福祉に関わる人たちを除けば、そもそも精神科病院長期入院患者の経過や心情は世間に知られること自体が少ないので、これはマイナーな世界でありそこに含まれる個人的な事情といえる。だが、これまで個人的な事情として目が向けられてこなかったため、それゆえに人権を侵害することにも気づかなかったのである。彼らの権利擁護の意味を考えると、 長期入院中の実態と心情や、退院に向けての取り組み、地域生活の現状などを多くの人たちに知ってもらうことが重要なのではないかと思う。そのことで、行政用語としての精神障害者に関する理解を深める一助になるのではないかと考えている。同時に、彼らに関わる精神保健福祉の専門職の仕事ぶりや、観点および専門性などを知ってもらえると考えた。
本書の構成は7 章編成である。第1 章では日本における精神科病院の長期入院患者数について、OECD 加盟国の現状と比較したり、日本では2000 年代の初めから退院支援事業が展開されてきたが、その経過や課題などについて触れている。
第2 章および第3 章では、長期入院患者の退院支援に関する先行研究から得られた結果とその特徴について述べている。たとえば、第2 章では、地域で生活できる社会資源を作ってこなかった「希薄な施策の結果」であることを示した。精神障害者が地域において生活できる基盤ができていなかったこと、法律によって家族に病者扶養に関する保護義務を課していたことなどであり、結果として社会的入院患者を生じさせてしまったのであった。 続いて第3 章では、長期入院患者が退院し地域で生活できるための、「退院支援の観点」について示した。2000 年代に入ってからようやく厚生労働省による退院支援事業が展開されたことにより、施策として長期入院患者が地域で生活できるようになってきた。その有効な視点や方法などが先行研究から得られたのでそのことをまとめた。
なお、先行研究は2014 年3 月までを対象にしたが、その理由は現在の精神保健福祉法改正までの時期における先行研究として限定したからである。なぜならば、法改正により医療保護入院者退院支援委員会や退院後生活環境相談員が導入されることになり、退院支援あるいは地域移行支援の実態に変化が生じてくるだろうと考えたからである。したがって本インタビューにおける語りの内容は、法改正以前の実態であり現状とは異なるものであることを指摘しておきたい。
第4 章では、質的研究方法としてのM-GTA(Modi¬ed Grounded eory Approach)の特徴について述べている。それというのも、退院した人たちへのインタビュー調査によって、地域生活を可能にしていった変化とプロセスを明らかにしたいと考えたからであり、質的研究方法としてM-GTA が有効だと考え、その概要と本研究との関係性について述べている。 第5 章および第6 章では、精神科病院に2 年間以上長期入院した16 名を対象にインタビュー調査を実施し、M-GTA によって分析した結果について述べている。第5 章では、入院中の入院患者の【密室の中のディスエンパワメント】というコアカテゴリーについてまとめた。これは≪無力化させていく入院≫と≪全部ダメって言われる≫という2 つのカテゴリーによって構成されており、それらについて説明と解説を行った。
第6 章では、退院への働きかけと具体的な支援による、【暮らす力を得ていく】というコアカテゴリーについてまとめた。これは≪回復のために取り組む≫と≪地域の生活者として暮らす≫という2 つのカテゴリーによって構成されている。
第7 章では、精神病を発症したとしても長期入院にならないために、精神科医療の受診者や精神保健福祉の利用者への尊重、治療のあり方などについて、先行研究やインタビュー調査から考察できたことをまとめた。
なお、本書の第2 章と第3 章は、筆者がこれまでに書いた論文を参考にして大幅に修正加筆した。第5 章と第6 章の一部については筆者が当時勤務していた大学の研究紀要に既にまとめたものだが、本書ではそこに書けていないことについて、新たに2 つの章に分けて構成し直し、大幅に加筆し修正した。
表現方法としては、引用の表記やインタビュー対象者の発言にある精神分裂病という表現もそのままにした。引用の表記や発言なので変更することはできないからである。また、筆者は、退院支援とは地域移行支援を含めた広い意味で使用しており意識して使い分けているが、2008 年度に「地域移行支援特別対策事業」が実施されてからは、精神科医療の職域では退院支援を地域移行支援と表現することが多くなっている。そこで、地域移行支援と表現する方が適切な場合にはこの表現を用いている。たとえば、厚生労働省が示す各種資料における地域移行支援の名称やそれに関連する事項については地域移行支援と表現する。障害者総合支援法による給付事業を念頭におく際にも地域移行支援と表現する。