『〈生〉の社会学』
藤村 正之 20080820 東京大学出版会,332p.
■藤村 正之 20080820 『〈生〉の社会学』,東京大学出版会,332p. ISBN-10: 4130501682 ISBN-13: 978-4130501682 \2940 [amazon]/[kinokuniya] ※ s d01
■内容
出版社/著者からの内容紹介
「豊かな社会」の実現が「豊かな生」に結実していない日本社会。人びとの生命・生活・生涯を照らすことで、現代日本における<生>の姿が浮かびあがる。日常生活を普通に生きる人びとの充足感と生きづらさのなかに、<生>のリアリティを探究する社会学の試み。
(「MARC」データベースより)
日常世界で反省的な想像力を働かせ、「生」へのまなざしを向けること-。見通しにくさのなかで切実さを増す、現代日本社会における人びとの生命・生活・生涯を問いなおし、「生」を考え、「生」を生きる社会学の試み。
■目次
はじめに
T部 <生>を支える座標軸
1章 日常と非日常の社会学――文化的構図の変容
1 グローバル化するスポーツ――国家と市場
2 「日常―非日常」という理論的視点の変容
3 高度消費社会における「日常―非日常」の生成と展開
4 「日常―非日常」という構図を生きる――<ホモ・モーペンス>の胎動
2章 仕事と遊びの社会学――相互浸透するパンとサーカス
1 <生>の変わりなき課題
2 仕事と遊びの社会学・小史
3 配分される「仕事と遊び」――「労働と余暇」
4 システム包括される「仕事と遊び」――「生産と消費」
5 パースペクティブとしての「仕事と遊び」――「真剣と距離」
6 「福祉国家とTV」のゆくえ
3章 リスクと癒しの社会学――加熱と冷却の現在形
1 幸福の追求から不幸の回避へ――リスクの日常化
2 不安の煽りとしての<リスク>
3 不安の鎮めとしての<癒し>
4 不安を起動因する現代社会
5 ケアと科学の変奏曲として
U部 <生>を彩る感情
4章 死別の意味への希求――災害死・事故死と悲哀感情
1 死別への意味付与という問題
2 事故死による死別体験――母親たちの事例記録から
3 死の直接の責任をめぐる意味付与
4 死への哀悼の過程と生活問題
5 さまよう死の意味づけ
6 死への意味付与の過程と構造
5章 老年世代の楽しみと翳り――ゲートボールが照らす時代の刻印
1 老年世代の代名詞
2 ゲートボールの統計学
3 ゲートボールの解剖学
4 ゲートボールの歌学
5 ゲートボールの社会学
6 ゲートボールと世代の関係への問い
6章 言葉と心――『タッチ』の社会学的理解
1 愛の告白と自己
2 自分という現象
3 甲子園出場と南の愛の獲得
4 言葉と心
5 自己への終わりなき問い
7章 メディアが映す<生>――日常性のなかの深層
1 <生>の細部に宿るもの
2 支え支えられる相互性――存在の肯定
3 人生の遠近法――若さの困難・老いの可能性
4 <生>の陰影――透徹した穏やかさ
V部 <生>が問われる時代
8章 <宴の終わり>とその後――世紀末・日本社会の解読
1 浮遊する座標軸――価値の無重力空間
2 グローバル化とアイデンティティ探し――遠心化と求心化のベクトル
3 人間関係の遠近法――距離と暴力
4 自己の歴史・社会の歴史
9章 <生>の社会学のために
1 二一世紀のまなざし――<生>への研究視点
2 <生>を支え、構成するもの
3 <生>の超越性・流動性――普遍的文脈において
4 <生>の生きがたさの素因――現代社会論の文脈において
5 管理・分断される<生>――近代の再編の文脈において
6 <生>の瞬間――その偶然性
おわりに
文献
初出一覧
■書評・紹介
◆http://d.hatena.ne.jp/inainaba/20080828/1219857678
◆http://blog.goo.ne.jp/r_in_mktg/s/%C6%A3%C2%BC
◆立岩 真也 2009 「書評:藤村正之『〈生〉の社会学』,『福祉社会学研究』(福祉社会学会)
■言及
■引用
9章 <生>の社会学のために
1 二一世紀のまなざし――<生>への研究視点
2 <生>を支え、構成するもの
(1)〈生命〉〈生活〉〈生涯〉による構成
(2)社会学における〈生〉への関心の熟成
(3)〈生〉への関心を浮上させる社会的要因
3 <生>の超越性・流動性――普遍的文脈において
(1)「より以上の生」と「生より以上」
(2)ユーモアに宿る〈生〉への志向
4 <生>の生きがたさの素因――現代社会論の文脈において
(1)〈死〉との不明瞭な距離
(2)〈普通〉であることの過酷さ
5 管理・分断される<生>――近代の再編の文脈において
(1)二つの「〈生〉の政治学」
「生きている人間それ自体の生命に注意をはらう生−権力は個々人の生命を支えることを通じて、社会全体の生命を増強するという緊密な連関をつくりだしていく。そのような生−権力の成立と連動しているのが、近代以降の戦争形態の変化と死刑廃止の方向である。生−権力の下では、戦争は国民全体の生存の名の下になされるようになり、危険排除の目的での敵国民・民族の殲滅や大量虐殺は国民の生存や安全を保障する権力の裏返しの現象ということになる。また、住民を生き延びさせようとする権力にとって死刑は自己矛盾となることから、君主の刑罰権としての死刑は廃止の方向が強まっていく。違法・非合法な者に対して、死刑を最後の手段として刑罰を科すのではなく、社会的基準の下に規律化・矯正することがなされていく(関[2001:53-56])。わずかに、自殺が生−権力の手を逃れようとする個人的な営為となっていく。」(藤村[2008:295])
*関 良徳 200104 『フーコーの権力論と自由論――その政治哲学的構成』,勁草書房,
263p. ISBN-10: 4326351233 ISBN-13: 978-4326351237 3465 [amazon]/[kinokuniya] ※
(2)分断・自己統治・内閉と〈生〉
6 <生>の瞬間――その偶然性
「@〈生〉を〈生命〉〈生活〉〈生涯〉の三要素の交錯するものとしてとらえること、A〈生〉を普遍的にとらえようとすると、「より以上の生」と「生より以上」という二重の表現形態に含意される超越性・躍動性をおびたものであるであること、B〈死〉が遠ざかって感じられる現代は、〈死〉を鏡として〈生〉のリアルさを感ずることが困難な社会であり、〈生〉のリアルさを〈個性〉に求めようとするあまり、〈普通〉であることが生きづらさにつながる社会であること、Cそのような現代社会は、近代の帰結であり、脱近代への萌芽として、〈生〉が管理の対象となる時代でありつつ、〈生〉を問いかけの基盤とする問題提起の重要性が交錯する地点となっている」(藤村[2008:304])
注
「(2) […]なお、社会学の領域において、単独の言葉としての〈生〉にほぼ最初に着目した研究として、障害者の自立生活をテーマとした『生の技法』(安積・岡原・尾中・立岩[1990])があげられる。[…]」(藤村[2008:308])
おわりに
「もうひとつは、近年の社会学徒の書くものに、この〈生〉という言葉が多く見られるようになって<0313<きたことである。それはとりわけ、私より若い世代の社会学徒の書き物において強く感じられる。皆さんも手元にある、近年出された社会学のいくつかの本や論文をめくってみてもらえれば、そのことに気づかれることと思う。おそらく執筆されたご本人たちも強い自覚のないまま、その言葉はさまざまな領域で使われており、なんとなくその言葉で表現することがふさわしい関心がこの時代に浸透しているのだと思う。それは、〈生〉という言葉を使いたいという気分といってもいいし、その言葉への渇きといってもいいかもしれない。」(藤村[2008:313-314])
*作成:岡田 清鷹