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『共同研究 出稼ぎ日系ブラジル人(下)資料篇・体験と意識』

渡辺 雅子 編 19951025 明石書店,598p.


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■渡辺 雅子 編 19951025 『共同研究 出稼ぎ日系ブラジル人(下)資料篇・体験と意識』,明石書店,598p. ISBN-10: 4750307378 ISBN-13: 978-4750307374  \8400 [amazon] w0111 n09

■内容(「BOOK」データベースより)
雇用主側の事業所・人材斡旋会社等と、50ケース93人に及ぶ日系ブラジル人出稼ぎ者個人の事例調査の集積から探る現状と課題。

■編者紹介(奥付より)

渡辺 雅子(わたなべ・まさこ)
 1950年 東京都生まれ
 1973年 早稲田大学第一文学部卒業
 1975年 東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了
 1978年 東京都立大学大学院社会学研究科博士課程満期退学
 現在  明治学院大学社会学部教授


■目次

まえがき

序――資料篇を読むにあたって

1.はじめに
 (1)日系ブラジル人の「出稼ぎ」をめぐる状況の変化
 (2)日系ブラジル人の出稼ぎ観
2.資料篇作成の意図
3.資料篇の構成
 (1)調査の内容
 (2)調査の方法
 (3)資料の選択基準
 (4)資料の配列と調査時期の特徴
 (5)表記について

Ⅰ部 事業所・人材斡旋会社

1.事業所:解説
   事例①~⑥
2.人材斡旋会社:解説
   事例⑦~⑯
3.自治体が関連した直接雇用の組織:解説
   事例⑰ 東毛地区雇用安定促進協議会(群馬県東毛地区)

Ⅱ部 出稼ぎ者個人

1.東海地方・豊橋市、浜松市、湖西市、富士宮市:解説――入管法改正半年後の日系ブラジル人の労働と生活
 入管法改正(1990年6月)以前の来日者……事例1~10
 入管法改正以降の来日者……事例11~19
2.群馬県・太田市、大泉町、伊勢崎氏:開設――日系ブラジル人急増に積極的に対応する地域での好況期における労働と生活
 入管法改正以前の来日者……事例20~21
 入管法改正以降の来日者……事例22~25
3.静岡県・浜松市、磐田市、湖西市、小笠郡:解説――好況期から不況期への転換の過渡的状況における日系ブラジル人の労働と生活
 入管法改正以前の来日者……事例26~29
4.浜松市:解説――不況期における学齢期の子供を持つ日系ブラジル人家族の労働・生活・教育
 入管法改正以前の来日者……事例30~35
 入管法改正以降の来日者……事例36~50

あとがき


■引用

まえがき

「「出稼ぎ」現象が始まる前のブラジル在住の日系人の日本訪問理由は、「里帰り」「親戚訪問」を兼ねた観光、または留学、研修といったいわば「選ばれた人」としての来日が主流だった。しかしながら、今般の「出稼ぎ」ブームで、もし、この機会がなかったならば日本を訪問できなかったであろう多くの日系ブラジル人たちが、「労働者」として「生活者」として日本を体験したことの意味は大きい。日系ブラジル人の場合、人によって強弱はあるが、そのアイデンティティの根幹に、ブラジルと日本というふたつの国がある。この「日系」であるという事実が、日本人雇用者と日系ブラジル人とのあいだに、ほかの外国人労働者にはみられない対応や葛藤を生じさせた点でもある。」(p.3)

「(略)方法として、当初から大量の調査票を配布してデータを収集するということは意図せず、聞き取り資料を綿密に集め、それを積み上げていく中で、日系ブラジル人と日本人間の葛藤の所在や問題点を明らかにしていくこと、すなわち質的な調査を志向していた。また、インフォーマントが語った内容を、こじつけ的に解釈することや、枠組みにあてはめて、それを補強するようなデータのみをとるというようなことは極力避けたいとも考えていた。なぜなら、当然のことながら、彼らは単なる「労働力」ではなく「人間」だからであり、日系とはいえ、異なった文化的背景をもつ人々の理解には慎重であらねばならないと考えていたからである。これについては、実態調査の積み重ねとともに、我々の研究会メンバーとして日系ブラジル人留学生やブラジル留学経験のある日本人が加わったこと、また、日系ブラジル人のものの考え方や行動様式を理解するための論議を深めたことによって、かなり日系ブラジル人自身へのアプローチを可能にしたと思われる。また日本側の対応や葛藤にかかわる場面の解釈についても同様であり、日系ブラジル人メンバーもそれを共有化していった。」(p.4)

「 また、日系人の移民史については、ブラジル、アメリカ、カナダなどを中心にかなりの蓄積があるが、今回の出稼ぎは、多数の日系ブラジル人が日本に「逆移動」したという点でも、移民史上これまでなかった動きである。これは移民史の中での重要な現象であるとともに、かつての日本移民との比較研究のための資料も提供する。さらに、個々の事例はそれぞれに興味深い内容が展開されているが、生活史研究としても、また「出稼ぎ」というブラジ>5>ルの日系人の多くを巻き込んだ歴史的事件の個人の人生に与える影響を考察するライフコース上の資料として、さらには、日本における他の外国人労働者と日系ブラジル人出稼ぎ者との体験や処遇の差ということでの比較なども可能であろう。
 この『資料篇』が今後の研究に様々なかたちで利用されること、そして、実践現場で日系ブラジル人の対応に取り組んでいる人々にも、彼らの価値観や行動様式に対する理解を深め、よりよい関係を構築することに役立つことを願ってやまない。」(pp.5-6)


序――資料篇を読むにあたって――

「 悪性インフレに悩む送り出し国ブラジルの経済的要因と3K部門での人手不足に悩む受け入れ国日本の経済状況が、海を越えた人の移動を生み出し、かつてブラジルへ移民した日本人やその子孫が「祖国」日本に出稼ぎというかたちで大量に来日した。これほど短期間のあいだに、多くの日系ブラジル人(以下ブラジル人)が流入したことは、日本社会にとってかつてない体験であるが、送り出し側のブラジル日系社会にとっても、このことは大きな変動要因でもあり、将来にわたってその影響は多大な物であると思われる。
 ブラジル人の日本への「出稼ぎ」現象は、1985年ころから開始したといわれ>17>る。初期には、日本国籍を持つ移住1世またはブラジルと日本の二重国籍を持つ2世を対象に、日本での就労者が募集され、こうした人々が出稼ぎの主流を占めていたが、1988年ころからブラジル国籍の2世、3世が増加しはじめた。ブラジル国籍の彼らのほとんどは観光ビザで入国し、正式に就労可能なビザをもたず、不法就労を余儀なくされていた。ところが、1990年6月の「出入国管理及び難民認定法(以下、入管法)」改正によって、日系人以外の外国人労働者に対しては不法就労者の雇用主に対しても罰則が課され、締め出す方策がとられたが、日系2世、3世には日本での活動に制限のない在留資格が与えられ、単純労働にも合法的に就労できることになった。さらに日系3世までの配偶者については非日系人であっても同様な資格が与えられたのである。
 好況期における人手不足を合法化した日系人の労働力で解消しようという意図もあったと推測される入管法改正は、特に1990年~1991年にかけての入国ブラジル人数の急増に伴って、青年層の増加、非日系人の配偶者や学齢期の子供を含む家族の呼び寄せの増加、学歴の点では高学歴者へ、職種の点では自営業主や労働者からブラジルでは社会的評価の高い医師、弁護士、エンジニアを含むホワイトカラー層への波及といった来日する人の属性の多様化をもたらし、特に自動車・家電を基幹産業とする地域にブラジル人の集住地が形成されていくことになる。」(pp.17-18)

「 ここでいう「日系ブラジル人」という概念は、日本国籍をもつかブラジル国籍をもつかにかかわらず、移住1世、2世、3世および日系人の配偶者である非日系人も含む概念として用いている。この中には日系としての意識が強い人もいれば、日系であることを自らのアイデンティティの中核にはおい>18>ていない人もいる。前者は1世、および中年以降の2世に多く見られ、比較的日本語のできる人が多い。後者は入管法改正意向に増加した2世、3世の青年層に多く見られ、ニッケイ(日系)よりもブラジレイロ(ブラジル人)としての意識の強い人々である。意識の違いにはブラジルでの生活環境、すなわち居住地における日系人の多寡、日系集団への参加の度合い、家庭内での親や祖父母との日本語の使用の有無などの要因が複合的に関連しており、かならずしも年齢や世代でわけられるわけではないが、大体の傾向を述べれば前述のとおりである。したがって、入管法改正以降に急増した青年層については、日本社会の側でも日系であることの幻想、「同じ血」の幻想が破れる場面が往々にしてあった。また、日本での出稼ぎ体験・異文化接触によって、日系意識の強かった人が、むしろブラジル人としてのアイデンティティを強化するようなプロセスもあった。」(pp.18-19)

「 日系人であることによる法的優遇措置が存在するという点で、ブラジル人は他の外国人労働者とは異なる位置づけを担うが、しかしまた、彼らのルーツが日本にあることで、受け入れ側の日本社会にも、またブラジル人側にも微妙な感情があることも事実であり、したがってブラジル人の出稼ぎ現象は外国人労働者問題一般として扱える部分とそうでない部分がある。」(p.20)

「 入管法改正による日系人の就労の合法化という状況が一般に浸透するまでには時間的なギャップがあった。したがって特に我々の調査の初期では、入管法改正以降であるにもかかわらず、必ずしもブラジル人のすべてが外国人登録をしているという状況ではなく、ブラジル人が合法的存在といて明示化されていなかった。」(p.28)

「 調査時期を重視したのは、これまでブラジル人の出稼ぎをめぐって、①入管法改正以前の日本国籍をもたない日系人の単純労働への就労が不法であった時期(1985年以降、特にブラジル国籍の出稼ぎ者が増加した1988年~1990年5月)、②入管法改正によって日系人の就労が合法化され、かつ日本経済の好況期(1990年6月~1991年末)、③日本経済の不況期(1992年~)という3つの時期を短期間の間に経過したことによる。こうした法制面の変更と日本経済の景気の変化は、彼らの待遇を含め、彼らが出会う体験にも大きな影響を及ぼした。(略)
 そこで、調査時期と地域を軸に分類し、そのうえで来日年が入管法改正以前か以降かに大きく分けた。入管法改正以前の来日者については、1989年までに来日した者は、来日年別に配列した。これは、来日年によって経験する出来事が異なり、出稼ぎの初期の状況がわかるという判断による。また、1990年以降の来日者については、まず世代(何世)で分類し、次いで性別、次に年齢順に区分し配列した。」(p.31)


■書評


■言及

『共同研究 出稼ぎ日系ブラジル人(上)論文篇・就労と生活』



*作成:石田 智恵
UP:20080807 REV:
外国人労働者/移民  ◇「日系人」/日系人労働者  ◇BOOK  ◇身体×世界:関連書籍
 
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