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『わらじ医者 京日記――ボケを看つめて』

ミネルヴァ書房,384p.


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■早川 一光 19790915 『わらじ医者 京日記――ボケを看つめて』,ミネルヴァ書房,384p. ASIN: B000J8EQ8K 1200 [amazon] ※

■目次

こんな人がぼける(ママ)
こんな人がボケない
ボケない方法
ボケさせない方法
上手なボケの看方
上手なボケ方

■引用

 帯裏「恍惚はもう恐ろしくない 松田道雄
 早川さんは私の三十年来の同志である。彼は医者の立場より病院の立場を大切にした。それに感じて病人たちは拠金して、「自分たちの病院」をたてた。病院になっても早川さんは、往診をつづけ、ろうじの奥の病人とどこまでもつきあった。病人たちは老いた。あるものは恍惚になった。それでも早川さんは往診してつきあうことをやめなかった。この本は恍惚にある人間と、その知己との心の通信の記録として未踏の世界を明らかにしている。」

 「秋立つ
 「高齢者なんでも相談」に参加させて頂いて、もう一年になろうとしている。
 京都新聞社会福祉事業団は、たいへんな仕事を始めたものだ。幸い、卓越した京大老年科奈倉先生、人格豊かな京都府医師会田辺先生、文字通り顔も丸い円熟した日赤栗岡先生はじめ、人生経験たゆたゆたる市老人クラブ連合会の面々、若い情熱をかたむけて新しい相談活動の創造を試みられる福祉事務所の方たち、地道な年金相談、ましてにこやかな受付業務を引き受けて下さっている皆さん、そしてボランティアの方たちにお会いできて、私自身ひそかな「甲斐(かい)」を感じた一年だった。
 「なあ、中川健太朗さん、湯浅晃三さん、やるからには、天神さんでゴザを張るような相談をしようなァ」と話し合う。
 ゴザを広げたら、こちらは立っていることが出来ない。
 お客さんは立って、私たちがしゃがんで下から見上げる。
 実はこの相談がしたかった。
 そして流しのヒヤカシであろうが、つぶやきであろうが、不満であろうが、また真剣な▽256 泥のような相談であろうが、とにかく何でもとりあげて共に考えていこう「共に泣いてみよう」という相談だった。
 担当なさった皆さんが、これからおいおい生々しい事例をおしらせ下さると思うが、私も、生のまま食べた桑の葉を、おなかの中でじっくりためて、おかいこさんのように、糸に吐いてまゆをつくってごらんにいれよう。それを煮るなと炊くなと廃くなと、また糸に撚(よ)って織物にしようと、それは読者の皆さんの腕一つ。」(早川[1979:256-257])

■言及

◆立岩 真也 2014/09/01 「早川一光インタビューの後で・1――連載 103」『現代思想』41-(2014-9):-


UP:20140730 REV:20140814  QLOOKアクセス解析
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