私たちは、2016年7月26日未明に神奈川県相模原市の県立津久井やまゆり園で起きた障害者殺傷事件をきっかけに翌月から活動を開始した、兵庫県内の障害者たちを中心とする市民グループである。私たちはこの事件の風化を許さず、事件後さらに強まる優生思想の洪水に抗議するために、街頭行動、デモ行進、プレスリリース、障害者虐待・暴行事件に際しての行政・裁判所・検察への働きかけ等に取り組んできた。
コロナ禍によって例年の大規模街頭デモの道が閉ざされたやまゆり園事件から4周忌の今月、私たちは7月19日午後、インターネットのライブ配信のかたちで追悼アクション「障害者を殺すな7.19 オンラインアクション ―― やまゆり園事件を忘れない」(注1)を催した。そのなかで、第二次世界大戦時にナチス・ドイツによって行われた障害者抹殺作戦(T4作戦)を振り返ったところ、参加者一同が確認したことは、現在の日本社会、ひいては高度社会福祉国家と呼ばれる北欧諸国社会を含む全世界が、いまやそれに通ずる優生社会となってしまっているという深刻きわまりない現状であった。
その矢先の23日、京都市内で医師ふたりが障害者を自宅において殺害した疑い(嘱託殺人容疑)で逮捕されたとの報道に触れ、私たちは大きな衝撃を受けた。さらに、この事件をめぐる報道と世論が障害者、高齢者、病者の殺害を推し進める優生思想扇動の巨大な波となってしまっていることに対し、私たちは恐怖と怒りを覚えている。
現在、この事件をめぐる報道は蜂の巣をつついたような情報の洪水を起こしている。そこでは、WHOによる自殺報道についてのガイドライン(注2)、および国内外の障害者団体が求めてきた障害者殺害事件に関する報道のガイドライン(注3)はまったく顧みられていない。
受け手の好奇心を満足させようとするセンセーショナルな報道は、第二第三の犯行を誘発し、医療従事者、家族、一般市民のあいだに同様の行為を企てる者たちを生む。また一方、自死への誘導を受け入れる障害者、高齢者、病者たちを生み出していく。
本件の被疑者たちをどのような存在(許すべからざる悪人、あるいは障害者を苦悩から救おうとした善意の者)として描こうが結果は同じである。動機や犯行の目的に関わらず、扇情的な報道による騒ぎが広がれば広がるほど、優生思想のメッセージは社会に広がり続け、その深刻さの度合いは増していく。
障害者は常に生かすか殺すかを決める権限を健常者社会に握られ、殺されることの恐怖のなかに生きてきた。この事件が障害者たちにどれだけの恐怖を与えているか、報道と広く一般市民は理解しているのか、その認識を問う。
私たちは、この事件を利用して、障害者、高齢者、病者の合法的殺害に向けた議論を展開しようとする人々の企みをゆるさない。また、そのような意見を取り上げ拡散する報道メディアの不見識と不道徳さをも非難する。
安楽死(または、尊厳死、医師幇助自殺、平穏死、自然死)の合法化を推進してきた人々が、この事件を利用し、さらなる推進を図ろうとすることを、私たちは非難し、これに断固反対する。
障害者はこれまでも殺される恐怖のなかを生き抜いてきた。
すべての障害者に呼びかける。時代はますます厳しさを増しているが、私たちは団結し一緒に生きのびよう。
あまりにも多くの障害者たちが殺されてきた。いま生きている障害者たちは、とっくの昔に殺されていたかもしれないところを、支援者や介助者のネットワークを自らつくり生きのびてきたのだ。
障害者たち、なにも恐れる必要はない。ともに生きのびよう。