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「尊厳死法制化反対の意見書」

 TILベンチレーターネットワーク 呼ネット 代表 小田 政利 20120712

last update:20120712

尊厳死法制化を考える議員連盟にご参加の議員の皆様

2012年7月12日
TILベンチレーターネットワーク 呼ネット
代表 小田政利

尊厳死法制化反対の意見書


 議員の皆様におかれましては、日頃より重度障害者の在宅生活にご尽力いただき感謝申し上げます。
 私たち「TILベンチレーターネットワーク 呼ネット」は、人工呼吸器を使いながら自立生活を送る当事者が中心となり、同様に人工呼吸器を使っていても地域生活を送りたいと思っているユーザーの相談・情報交換・自立支援の場として2009年3月に発足しました。現在全国各地に約150名の会員がいます。

 さて、今年3月22日、および6月6日に公表された「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」に関して、200名を超える超党派の議連の中で、法制化のご検討をされているとの事です。
 しかし、私たちは、議連に所属されている議員の皆様が、本当にこの法案の意味、法制化されることによる社会への影響を理解されているのか、疑問に思っております。
 以下に、ご理解いただけているのか、国民一人ひとりに、適切に、納得のいく説明ができるのか、今一度お考えいただきたいポイントを挙げさせていただきます。

1、終末期の定義
 「人工呼吸器や経管栄養を使わなければ生きていけない状況を終末期」と定義すると、そのような医療的ケアを使いながら生活している重度障害者は終末期にあたります。「本人との意思疎通が取れなくなった状態が終末期」と定義すると、遷延性意識障害の方などは終末期にあたります。大きな事故にあい、医師からもう無理だろうと言われた人が、人工呼吸器を装着することによって社会活動ができるまでに回復した人もいます。障害が進行し呼吸不全で意識不明に陥った人が、医師から「人工呼吸器をつけたら生きていくことはできるが意識は戻らない」と言われたにもかかわらず、人工呼吸器装着後すぐに意識を取り戻し、地域生活を継続しているケースも多々あります。
 尊厳死協会の副理事長である長尾和宏氏(医師)は、「終末期(末期)は全ての人に必ずあるものではあるが、それを医学的に定義することはきわめて困難であり、実際はその人が亡くなってみなければ本当の終末期(末期)は分からない。」と発言しています。終末期というのは、本人、家族、医師その他が、じっくり話し合って、全員が納得して決めていくものであり、医学的に定義することは不可能です。
 終末期が定義されなければ、尊厳死の法律は成立しえません。

2、「治療のすべてを尽くしても」の定義
 治療の全てを尽くしましたと判断するのは、たまたまその人を担当していた医師であり、その判断は客観性にかけるものです。また、何かの処置をしても効果が無く無駄だと医師が判断した場合、その処置をしないで「全ての処置をした」と言われる可能性もあります。インフォームドコンセントの徹底がなされていない環境下で、治療の精度、成果を判断することは非常に困難です。

3、回復の見込みがない場合と13条の障害者等の尊厳について
 回復というのは、どこまでの回復を指すのでしょうか?回復しなければ医療処置の意味はないのでしょうか?障害者は回復はしません。しかし、様々な医療的ケアを使いながら地域で生活をしています。「単に当該患者の生存期間の延長を目的とした医療的な措置」を延命というのであれば、障害者の多くは延命措置を受けながら生きていることになりますが、第13条の「生命を維持するための措置」という文言と延命の定義の違いは何でしょうか。
 また、「障害者等の尊厳を害することのないように」と13条で述べていますが、障害者等とは誰を指すのでしょうか、高齢になって高度の医療を必要とする人は、障害者基本法での「継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」として手帳を持っていなくても障害者の範囲に入るのではないのでしょうか。
 このような、障害者条項を作っても終末期や延命措置を明確に位置づけることはできません。逆に障害者等の尊厳という文章は法案をより分かりづらくするための悪意ある文章としか受け止められません。

4、本人の意思(尊厳)に沿って
 本当の本人の意思はどこまで誰が汲み取れるのでしょうか?医療的ケアを必要になった段階で、当事者は、家族への負担や経済的な不安、制度の不備による生活全般への不安に押しつぶされた結果、生きていくことを諦めたくなります。周囲の環境に遠慮して、不要と感じる(感じさせられている)自分の存在に対して責任を取るために、リビングウィルに延命の拒否を表す可能性も大いにあります。それは、本当に本人の意思でしょうか?

5、意思撤回の困難
 日本尊厳死協会の前理事長である井形昭弘氏(医師)は、「医師の仕事は命を助けることだから、救急医療は行なう。」と言っていますが、もし救急で運ばれた患者の意識がなく、リビングウィルにより延命治療を望んでいないことが分かった場合、本当に救急医療を行なうでしょうか?事故により、生死をさ迷うような大きな怪我をした人も、人工呼吸器などの医療的処置を受けることで、障害は残っても地域生活を取り戻しているケースはたくさんあります。事前の意思表示と、処置が必要になった時点での本人の本当の意思が必ずしも一致するとは限りません。治療の不開始、または治療の中止の判断をおこなうその時に、本人に意思の撤回の機会が与えられない限り、リビングウィルを適用するべきではありません。

6、生きるための法律の不備
 4番目のポイントとも重なりますが、医療的なケアを使いながら生きていこうとする人にとって、家族への負担や経済的な負担、介助者不足、地域での医療体制の不備が、大きな障害になっているのが現実です。その環境は、自治体、地域によって大きく格差があり、制度の整った地域に住んでいる障害者は生きるという選択をすることができるけれども、地域によってはそれが叶わない場合もたくさんあるのです。
 尊厳とは、どう生きるもどう死ぬも、本人の本当の自己決定によって、命のあり方が決められることを意味します。家族や社会の中の弱者に、責任を取らせる形で死ぬという選択をさせてしまっているとしたら、果たしてそれは「尊厳のある死」と呼べるでしょうか?死ぬための条件を法的に整える前に、誰にも遠慮せず生きることを決定できる社会環境を国として保障していくことが、まずは必要なのではないでしょうか。

7、死生観の操作
 複雑な医療的ケアを受けずに死ぬことが「尊厳死」と定義づけることによって、複雑な医療的ケアを受けながら生きることが「尊厳」と取られなくなる危険性があります。大袈裟だと思われるかもしれませんが、この法制化により、日本における死生観に大きな影響を与えることは間違いありません。法案には、「終末期医療の啓発および知識の普及に必要な施策を講ずるものとする」、「国及び地方公共団体は終末期医療について国民の理解を深めるために必要な措置を講ずるよう努めなければならない」とあり、法制化された後、リビングウィルを残すように国民に促していく意図があります。尊厳死協会の副理事長は「リビングウィルを残しているほんの数パーセントの人が対象になっている」と言っていますが、国がこの法制化の啓発に取り組むことで、リビングウィルを残す国民は増えるでしょう。

8、ガイドラインの徹底
 現在でも医療会では尊厳死を扱う際のガイドラインがありますが、尊厳死協会の副理事長は「ガイドラインは医師が一方的に作ったもので、周知も徹底されておらず、広まらない。法律になれば、国民の代表である国会議員の方々の審議を経るので、民意として成立し効力を持つ。」と言っています。しかし、人の命の在り方は個別性の強いものであり、法律で一定の基準・条件の下、一括りにできるものではありません。法律にするのであれば、その個別性を最大限引き出し、サポートし、本当の自己決定につなげるためのものである必要があります。そのためには、例えば、病院におけるインフォームドコンセントを保障する法律を制定する方が、国民の誤解と混乱を避け、有意義であると思います。


 他にも疑問に思う点や不安な点はあります。私たちは、「尊厳死」を否定しているわけではありません。本人が納得して、自分の命の在り方を自己決定できることが「尊厳」だと思っているからです。しかし、尊厳死を「法制化」すること自体に、何のメリットがあるのか、どのような必要性があるのか、今の時点では全く理解できません。議連に名を連ねていらっしゃる議員の皆様、お一人お一人にも、あらためてその法制化の意味と、社会に及ぼす影響を考える機会をお持ちいただければと思います。

*作成:櫻井 悟史
UP: 20120712 REV:
全文掲載  ◇安楽死・尊厳死 euthanasia / death with dignity 2012 
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