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「ガブリエル・タルドの経済心理学における個人とアソシアシオンについて」

中倉 智徳 20100712 MAUSS/Maussをめぐって――オルタナティヴの可能性 アラン・カイエ(Alain Caillé)、パリ第十大学教授を迎えて
 於:立命館大学 末川記念館第3会議室
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last update:20100714

1. はじめに――タルドの経済心理学について

 今回は、私の研究しているガブリエル・タルド(1843−1904)の経済心理学についてお話させていただきます。彼は19世紀フランスの高名な社会学者であり、マルセル・モースとも関係がありました。
 もし19世紀にM.A.U.S.S.があれば、タルドも確実に参加していたでしょう。そう思う理由は、タルドは、1880年に刊行された彼の最初の論文「信念と欲望」のなかでベンサムによる快楽主義的な功利主義をとくに標的にしていることからも反功利主義的な姿勢が見られるからです。彼の反功利主義は、その社会的で心理的な経済に関する彼の構想と関係しているように思われます。
 タルドの最後の、最大の著作である『経済心理学』は、1902年に刊行されました。この著作は、その刊行以来、シュンペーターなどからの批判対象となった場合をのぞけば、ほとんど参照されてきませんでした。
しかし、近年に入って、特にマウリツィオ・ラッツァラートの『発明の力能――政治経済学に対抗するガブリエル・タルドの経済心理学』が2002年に刊行されて以来、タルドはとくに社会学者や人類学やからも注目を集めるようになりました。なぜ、タルドは100年以上も経って関心をもたれるようになったのでしょうか?ここでは二つの理由をあげたいと思います。先ず、タルドの経済心理学がもつ、正統的な政治経済学にも、マルクス主義的な経済学にも対抗した、新たな経済理論の創造への明らかな志向性です。もうひとつは、タルドの経済理論のオリジナリティであり、それは、経済と社会の位置づけを、それらの経済学理論のものを転倒させていることです。経済的なものが社会を規定するとする代わりに、タルドによれば、「社会」こそが経済の土台なのです。より正確にいえば、タルドが、経済現象を、彼が「精神間の作用」あるいは「脳の間」の作用と呼んでいたものの分析によってのみ解明できるものとしてみなしていたということです。この社会的個人の間で働いている精神的な相互作用は、彼の社会学のなかで、中心的な位置を占めています。この社会のタルド的な構想は、今日においてこそ適切なものであるという議論もあります。それが、グローバル経済の一翼をなす知的生産や取引のメカニズムを明らかにしうると考える人もいるからです。

2.ホモ・エコノミクスへの批判と、発明し模倣する個人モデルへの置換

 では、タルドはどのようにして経済理論に精神的相互作用を導入したのでしょうか? タルドは、多様な相互作用を二つのカテゴリーにふりわけました。一つは「発明」であり、それは、その作者から発されている信念と欲望全てです。もう一つは「模倣」であり、ある人から別の人へ伝達される信念と欲望を問題にするときの精神的な作用のことです。非常に切り詰めれば、社会学者として知られるタルドのなかでもっとも有名な議論である"模倣説"になります。
 ところでタルドは、当時の正統的な経済学説がその基礎としている個人モデルである経済人、すなわち「ホモ・エコノミクス」を受け入れませんでした。

(引用) このホモ・エコノミクス homo oeconomicus 、自らのエゴイスティックな利益を、排他的かつ方法論的に追求するこの人物は、すべての感情、すべての真、すべての先入観からの抽象であり、不完全な存在というだけではなく、矛盾をも含んでいる。(PE I: 114-115)(引用終わり)

 ホモ・エコノミクスがあらゆる社会的な干渉から孤立した個人として想定されている点において、タルドはそれを誤っているとみなしました。彼にとって、他者の様々なえ影響無しには、誰も自己をつくり上げることができないということは明らかであったからです。タルドは、この正統派によるモデルの反対のものとして、自分の個人のモデル、すなわち、信念と欲望を発明し模倣する個人モデルに置換えようとしました。この個人は、タルドによれば、自分が発明したものでなければ、自らの欲望も自分の利益に関する判断も、模倣によらなければ持つことがないとされています。このことによって、人間の欲望や判断は、予め、社会における慣習や流行によって決定されることになります。このようにして、タルドは経済を自らの社会学の一分野として再発明したのです。

3. 競争と交換、アソシアシオンの体制のほうへ

 タルドのホモ・エコノミクスへの批判は、彼の競争的市場に関する観念への批判とも関わっているのですが、そこには彼の交換や相互性に関する観念の萌芽が見て取れます。これはブリュノ・ラトゥールが強調していることですが、タルドは、競争的市場の観念の基礎にある予定調和性を拒絶しました。そして、競争的な商取引にある、競争と交換を二つの異なる側面として切り分けています。タルドにとって、交換は、分業とともに、一つの経済的な調和を形作るものであり、互いの労働に相互的な価値を与え、富の再生産を行なうものとされていました。この交換と分業による富の再生産を、「交換の体制」とタルドは呼んでいました。しかし、この体制は過渡的なものであり、「アソシアシオンの体制」へと移行されなければならないと考えていました。タルドによれば、このアソシアシオンの体制は、誰もがそれぞれにアソシアシオンを生み出しつつも、複数のアソシアシオンに同時加入しており、それらの入退会も自由に可能とされています。
 タルドはなぜ、このような交換の体制からアソシアシオンの体制への移行ということを考えたのでしょうか? それは、タルドが経済的な危機の原因も社会的なものであると確信をもっており、経済学者の解決では不十分であると考えていたからであると思われます。さらに、次々と置き換えられ、廃されていく発明による用いられる資源や労働分業のあり方の革新を避けることができないと考えていたからです。このことから、アソシアシオンの観念は、集団を形成している個人の発明と模倣に従った集団の変容を組み込むことに適した社会編成を想像させてくれるでしょう。例えば、もし社会のなかで多数のアソシアシオンに同時に加入していたとしたら、あるアソシアシオンに参加している個人は、それに自らの境遇を依存しなくても済むようになるでしょう。というのも、もはや革新的な発明ではなくなってしまった一つのアソシアシオンが廃止されても、実践的には何の損害も被らないだろうからです。言い換えれば、アソシアシオンの体制において個人が多数のアソシアシオンに入会しているということが、損害から守ってくれるのです。模倣的な個人のセキュリティと生存は、従って、集団との多様で一時的な関係の結果なのです。
 最後に、アソシアシオンをめぐって、タルドは社会の経済生活のなかでの多様なアソシアシオンの相互性と必要性の重要性を改めて示してくれているように思われます。このような意味において、タルドは私たちと同時代人であるとは言えるのではないでしょうか。

参考文献

Latour, Bruno & Vincent-Antonin Lépinay, 2008, L'Économie, science des intérêts passionnés: Introduction ? l'anthropologie économique de Gabriel Tarde, Paris: La Découverte.
Lazzarato, Maurizio, 2002, Puissance de l'invention: La psychologie économique de Gabriel Tarde contre la économie politique, Paris: Les Empêcheurs de penser en rond.
Tarde, Gabriel, 1880, "La croyance et le désir: Posibilité de leur mesure," Revue philosophique 10: 150-180; 264-283.
――――, 1902, Psychologie économique, I, Paris: Fé?lix Alcan.=[PE I]
――――, 1902, Psychologie économique II, Paris: Félix Alcan.=[PE II]



*作成:中倉 智徳
UP: 20100714 REV:
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