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山田 裕一「発達障害」という存在から考える大学教育のインクルーシブデザイン――障害学生パートナーシップネットワークという活動から「見えざるバリア」を顕在化する」

障害学会第6回大会・報告要旨 於:立命館大学
20090926


 山田 裕一(熊本学園大学大学院・障害学生パートナーシップネットワーク・熊本市障がい者ケアマネジメント従事者)
 「発達障害」という存在から考える大学教育のインクルーシブデザイン――障害学生パートナーシップネットワークという活動から「見えざるバリア」を顕在化する」

  大学に「障害者」が入学することもさほど珍しくなくなった今日、大学に障害学生支援センター等の名称を冠した「障害学生支援部署」を設置する大学も少しずつ増えてきている。
 「障害学生支援部署」があることによって、「障害者」も高等教育を受ける当たり前の権利があるという言説が大学内でも共通認識となりつつあり、様々な「障害」を想定した、支援メニューが整備されつつある。しかし、「発達障害」があるとされる学生と向き合うと、「障害学生支援」という概念は、様々な問題を内包している。
例えば、支援の要請に関わる負担を当然のように課せられるという問題である。大学で支援を要請するためには、自らの「障害」を自覚し、大学で想定される困難を予測し、具体的な支援方法を模索するというセルフマネジメントが求められるという問題である。「発達障害」があるとされる学生は、この一連の工程のどこかでひっかかる事が少なくない。
 また、例えこの工程をクリアしたとしても、支援の方法が、大学が行うことが妥当な方法であるのかという立証責任が課せられる。このようなことが、問題を整理し、適切な方法で伝える事に困難がある「発達障害」があるとされる学生にとって極めて厚い「見えざるバリア」となっている。そこで発表者、「障害学生パートナーシップ」という団体を設立し、学生のセルフアドボカシーを促進する活動を行っている。当日は「発達障害」があるとされる学生との活動事例を通して、「見えざるバリア」を生み出している源流がなんであるかを顕在化し、また生み出されるメカニズムについての考察することを試みる。「発達障害学生支援方法論」ではなく、大学が「発達障害」という存在と、向き合うことによって見えてくる、誰にとっても学びやすい「大学教育のインクルーシブデザイン」の可能性を模索していきたい。

◆報告原稿

氏名 山田裕一
所属 熊本学園大学大学院・障害学生パートナーシップネットワーク・熊本市障がい者ケアマネジメント従事者
連絡先(住所:熊本県菊池郡大津町引水735−1 電話:090-4585‐8859 メールアドレス:swhoikushi@gmail.com【@→@】)
(連絡先も含めて掲載していただきたいと思います)

報告原稿

「発達障害」という存在から考える大学教育のインクルーシブデザイン

―障害学生パートナーシップネットワークという活動から「見えざるバリア」を顕在化する試み―

1.はじめに
 「障害者」も高等教育を受ける当たり前の権利があるという言説が大学内でも共通認識となりつつあり、様々な「障害」を想定した、支援メニューが整備されつつある。しかし、「発達障害」があるとされる学生と向き合うと、「障害学生支援」の問題点が垣間見えてくる。
 本報告では、支援技術の向上論や制度レベルでの改善策と言った「障害学生支援」のよりよいあり方を考えることを目的とはしない。むしろ「障害学生支援」という概念に内包された、大学でのよりよい学びを阻害する「見えざるバリア」がなんであるのか、どのようなメカニズムで形成され、どのように作用しているのかを大学人同士で検証し合うきっかけにしたいと考えている。
報告者はこれまで「障害学生パートナーシップネットワーク」という団体の社会福祉士として大学組織の外部から「障害学生」と「大学」双方にとって、「教育」を媒介にしたよりよい関係性について模索してきた。障害学会には既存の常識にとらわれない、大学の教職員、学生、その他実践家が多数参加しているものと認識している。本報告では「障害学生パートナーシップネットワーク」<脚注1>で「発達障害学生」<脚注2>と関わった実践において、越えられなかった「見えざるバリア」について、大学のステークホルダーとなりうる学会参加者と意見交換を行っていくきっかけにしたい。

2.活動事例1
2−1:近畿地方私立A大学を退学してしまったAさんの事例概要
Aさんは北陸地方の定時制高校推薦枠でA大学法学部に入学。しかし、授業でレポートが書けず単位を次々と落とし、周囲との人間関係もうまくいかず休学、その後発達障害と診断された。
Aさんは地元の発達障害者支援センターに支援を求め、復学を試みるが、失敗に終わる。その後、障害学生パートナーシップネットワークの存在を知り、相談をすることになる。報告者が考えたサポートのポイントは、学費を拠出する親との関係の改善と、大学の教職員の「障害理解」であった。しかし、関係者との調整に時間がかかった上に、大学側の対応に怒りを覚えたAさんは、復学をあきらめてしまう結果に終わってしまった。

2−2:「自己決定の尊重」と言う呪縛
このようにAさんの表面的「意思」<脚注3>は流動的に変化した。相談した当初は「とにかく復学したい」という強い意思表明をしていた。しかし、認知の偏りがあり、はっきりした見通しがつかないと不安になるAさんは、「事態が好転している」という実感が得られないと、「復学はあきらめる」という気持ちになってしまった。社会福祉士はクライエントのエンパワメントをしつつも、その主体性を尊重し、自己決定を尊重することが一般的に求められる。交渉の過程において支援関係機関も大学側もまた「本人が復学を望んでいないのに、他人が口を挟むべきではない」との主張に「Aさんの真のニーズ<脚注4>を考えてほしい」と反論するも、それ以上あがなう術を持ち合わせていなかった。
2−3:交渉する主体として「不適格者」というレッテル
 Aさんの大学との復学交渉に当たって、親との意思疎通が困難なAさんにとって交渉する主体として大学側から認められなかった点も大きな壁であった。報告者が支援者を名乗り、大学にAの学籍の現状や学則、復学可能性について尋ねたが、「個人情報は教えられない」と一切の交渉を拒まれてしまった。その後Aと報告者との間で、復学に関する情報共有事項を明記した書面を作成、民法に基づく正式な支援の委任契約を結ぶも、「代理人は認めない。とにかく親が来てもらわなければ話しはできないと」一切の話し合いを拒否。交渉のスタートラインにもつくことができなかったのである。

2−4:障害学生支援室の機能不全
 実はA大学には障害学生支援室が存在する。報告者は障害学生支援室に対して教職員との関係調整と「障害理解」の促進について支援を求めた。支援室の嘱託職員Xさんは障害学生支援について研究・講演活動等も行っている熱心な方であったが、大学側から「発達障害の問題には触るな」という圧力がかかっており、嘱託職員<脚注5>という身分であるために、実質的に会議で意見を述べる機会すらないとのことであった。Bさん自身は他にも「発達障害」が疑われる気になる学生が存在するのだが、組織人として、組織のルールに逆らって動くことが出来ないという。個人の支援意欲がいくら高くても、組織の意向によって無力化されてしまうのである。

3.活動事例2
3−1:九州地方私立B大学の司書講習を受けたBさんの事例概要
 Bさんは九州地方のC大学を卒業後、正社員としてCD販売店に就職した。職場で、過剰な適応による精神的ストレスから適応障害になり、休職。自ら「発達障害」を疑い、報告者の受診支援を経て「アスペルガー症候群」と診断される。勤務先の人事権を持つ重役にBさんの特性に合った勤務条件改善を交渉、交渉内容の一部が受け入れられ復職を果たすも、「司書になりたい」とBさんの希望で円満退社し、B大学の司書講習を受けることになった。情報の同時処理の困難があるBさんの特性を考え、大学側に対して事前にノートテーカーの受け入れ、及び授業を録音させて欲しい旨の要請を行った。
 B大学側は「発達障害学生」の支援について先進的な取り組みを行っており、非常勤ながら、専任で発達障害学生支援コーディネーターも配置している大学であった。そんな背景からか、ノートテーカーについての受け入れの許可はされたものの、支援の実施にあたっては大きな壁が次々に立ちはだかった。

3−2:条件付のノートテーカー受け入れ 
 B大学はノートテーカーを受け入れる条件として次のような条件を付してきた。
(1) 授業教室の後方に、着席していただく。
(2) ノートテーカーであることを示すワッペンを授業時間中、付けていただく。
(3) 授業担当の教員と共に、他の受講生にも、ノートテーカーの方も受講することを口頭で知らせる。ただし、どのような障害をもっており、該当する受講生は誰であるかは知らせない(個人情報保護)。 
(4) 学内における山田様と当該受講生の接触を極力控えていただく。なお、録音テープレコーダー使用を認めることは、講師の先生方の許可を得る必要があるので難しい。
 
差し当たり大学側の条件に従って、ノートテークの支援の実施を開始したが、本人の理解の様子をリアルタイムで適宜確認しながら行う必要性を強く感じてきた。また、Bさんにも「障害」を周囲に知られても構わないという確認をとり、「障害開示」を了承した上での隣席ノートテークの許可を大学側に求めたが、一切認められなかったのである。

3−3:大学側の対応の変容
 大学側の対応は当初、比較的好意的であったといってよい。ノートテーカーの為に大学内の有料駐車場を無料で提供してくれ、印刷のためのPCの使用許可、臨時アカウントの作成と提供など様々な配慮がなされたと言っていい。しかし、明らかになってくる新たなニーズを伝えていくうちに、「わがままだ」「そこまで対応しきれない」と怒りを含めた態度に変容していった。

3−4:組織の外部機関への抵抗(閉じた構造)
 大学側は本人や家族以外の第三者が、大学生活支援の在り方に関して意見を出すこと自体に抵抗を持っていると推測される。医師など社会的権威ある者の意見には耳を傾けるが、「障害学生」の身近な支援者の意見が共有化されることは少ない。これには「責任の所在」が関連してくるのだと考えられるが、当事者の身近にいて、真意を突いている可能性がある支援者の意見が受け付けられないことは、憂慮されるべきことである。

4.コストの負担と立証責任という引換券が必要な「高等教育のユニバーサルデザイン」
 広島大学は障害学生支援を一歩進めた、「高等教育のユニバーサルデザイン」を提唱し、バリアフリーからユニバーサルデザインへ、さらに、障害学生支援からアクセシビリティ支援へとパラダイム・シフトを図る<脚注6>ことをキャッチフレーズとして、支援システムの整備と、教職員・学生の意識を醸成する施策を打ち出している。そして「障害学生」の「自立」を促進するためとして「支援申し立ての重要性」を主張している。さらに、ニーズと解決策を自ら示すことができる交渉能力を身につけた障害学生を育てたいと述べている<脚注7>。
 しかし、これは自立支援という名を借りて、既存の社会に適応させるための術を身につけさせることを「障害学生」の教育の目的としているという側面がある。障害学会2007年度大会で二階堂らが「障害学生支援の現場では、障害学生に自己管理や自己責任を自覚すること、さらに周りとコミュニケーションをとり、自らすすんで障害学生支援のための環境づくりに参加することがうながされていた。これはまさに、ネオリベラリズム社会を担う『自らを企業化する』主体となることを後押ししているのではないか<脚注8>」という指摘は大変示唆に富んでいる。片山との共同報告<脚注9>でも示唆したように、「ユニバーサルデザイン」という耳障りのよい言葉は、義務教育のみならず、高等教育までが「発達障害者」を、定型発達者中心主義の文化の歯車の一部として組み込んでいるという本質を覆い隠す可能性がある。
 大学(ここでは定型発達者中心主義社会に追従したい成員とする)にとって、「発達障害」とは、コミュニケーションコストパフォーマンスが最も高く、望ましい感受性やコミュニケーション能力が不足している存在として認知するものであり、その支援はそれを補うものということであろう。報告者は大学がそのような生活スキルを身につける支援を行うこと自体を否定するわけではない。ただそれが、「障害学生」に支援の申し出にかかるコストの負担と支援妥当性の立証責任<脚注10>が、学問へのアクセスとの引換券として機能していること自覚し、内包される定型発達者社会に適応を強いる問題点を検証し続けることが必要ではないだろうか。

5.見えざる壁の正体と越えるための提案
 高等教育の見えざる壁は「ニーズ決定型」<脚注11>の高等教育のあり方ではなかっただろか。大学の「障害学生支援」は、当事者が大学教育にアクセスするためのニーズを予め想定した支援メニューを提供している場合が多い。「発達障害」の学生のように、環境によって多様な状態像を示し<脚注12>、多様なニーズを持ちながらニーズが表出しにくいというような学生と向き合うためには、大学がアウトリーチ的にニーズを把握に努め、高等教育の目的や方法を絶えず再構築していかなければならないのではないだろうか。
 しかし現状の大学のあり方においては、当事者の「ニーズ表出」を、組織側の感情を害さないように「わがまま」と思われない形で提示する工夫をしなければ、その後のニーズ表出が極めて困難になる。「障害学生」のみならず、一人の学生からふと口をついて出る大学へのニーズを気軽に表明できる空気<脚注13>が醸成され、それが大学全体で共有化され、既存の資源のみならず、特別権威がない外部機関とも積極的に連携されていくことが必要であろう。
高等教育の大衆化に伴い、高等教育のあり方が見直され始めている今日、単に「障害学生」を抽出し、既存の教育のあり方に組み込むには限界<脚注14>がある。国際化に伴うグローバルな現状に対応できる人材の養成の必要性<脚注15>等、高等教育のあり方が改めて問われている今、すべての大学人が、学問という「媒介物」を通して自らのアイデンティティを確立し、異質な他者のアイデンティティとの交流を保ちながら、文化多様性を尊重しようという意欲を持てる事を第一義的な目的とし、「障害学生」の存在を常に意識し、コンフリクトマネジメント<脚注16>を通した高等教育論を再構築していくことが、誰にとっても学びやすい「大学教育のインクルーシブデザイン<脚注17>」の入り口になるのではないだろうか。報告者があたかも「ドンキホーテ」のような発表をしたのも、本報告を聞いて反感を持った者、批判がある者の「声」を積極的に傾聴し、自分なりに「障害学生」と「高等教育論」の関係について再構築し続けたいからである。

●脚注
<脚注1>障害学生パートナーシップネットワークは障害学生と障害学生と関わるすべての人々がパートナーシップを結べるようにサポートするためにネットワークの構築を図っていく団体である。パートナーシップという名前に込められた願いは、障害学生・他の学生・教職員・大学組織など立場の異なる組織や人同士が、明確な目的のもとに、対等な関係を結び、それぞれの得意なことを生かしながら、連携し協力し合う関係性を作っていくことを目指している。つまり、単に何かを一方的に要求したり、管理したりするのではなく、お互いの立場や思いを尊重しあう関係を、広く築いていくサポートすることを目的としている 。
 具体的な活動としては、「障害学生」が大学においてなんらかのコンフリクトが生じた場合、学生と大学の双方の立場や言い分を聴き取り、報告者をはじめとした社会福祉士が、直接交渉や提言書の提出などの手段を用いて関係を調整するサポートを行っている。:山田(2007)
<脚注2>報告者は「発達障害」という言葉について、定形発達者中心主義者から見て、望ましくない感受性やコミュニケーション様式を持っていると見なされたものという意味で使用している。
<脚注3>Aさんは時として「復学はもういい」とあきらめの言葉を発することが少なくなかった。しかし、後にAさんは「もういいというのは復学の見通しがつかなかったからであって、本当は普通に大学生活を送りたかった」と報告者に語っている
<脚注4>畠山(2002)は福祉工学における支援の立場から、「ニーズ」にはデザイア(desire,欲求,願望),デマンド(demand,要望),そしてニード(need,必要)の3つが含まれると述べ、依頼者から発せられたデマンドのみをそのまま真に受ける事の問題点を指摘している。依頼者からのデマンドの中身を十分な時間をかけて分析し,出来る限り多様な問題解決のためのプランを提示しながら,徐々に真のニーズに近付けていくという過程の必要性を指摘している。障害学生支援においてもまた、真のニーズを見つける営みをサポートする存在(暫定的にはソーシャルワーカーのような存在)が必要であろう。
<脚注5>「障害学生支援」の中核を担う職員の多くが嘱託などの非正規雇用であり、有期雇用である。支援の継続性という観点が大学に不足しているのではないだろうか。
<脚注6>佐野眞理子(2009)大学教育とアクセシビリティ―教育環境のユニバーサルデザイン化の取組み (叢書インテグラーレ)広島大学大学院総合科学研究科 (編集)
<脚注7>佐野眞理子(2005)「高等教育におけるユニバーサルデザイン:広島大学の障害学生就学支援を事例として」 PwDキャリア・フォーラムwithアクセシビリティ・フォーラム2005講演資料
<脚注8>後藤 吉彦・二階堂 祐子(2007)『大学の障害学生「支援」についての一考察』障害学会第4回大会
<脚注9>害学会第6回大会「ふたつの構造的抑圧――専門家支配と能力主義に抗して自閉文化の存在意義を擁護する」片山 知哉・山田 裕一
<脚注10>軽度障害者が払わざるを得ない隠れたコストの問題や、障害の証明がもたらす循環については、秋風(2007)の報告に詳しい。
<脚注11>宮本(2006)は福祉国家のあり方として、ニーズ決定型の福祉国家から、むしろ社会的包摂を基盤にしながら、ニーズそのものが公共的討論のなかで新たに合意されていくような「ニーズ表出型の福祉ガバナンス」の必要性を述べ、就労促進が、就労規範の強要という側面を伴ってしまう問題点を述べている。高等教育もまた大学が望む形での教育規範の強要が行われているのではないだろうか。
<脚注12>ニキリンコ(2006)は当事者の立場から学習者としての「発達障害者」の特徴として、「合う教えかたはとことん合うが、合わない教えかたがとことん合わない学習者」と述べている。
<脚注13>山本(1983)はこの「空気」というものが日本社会の意思決定において重要な役割を果たしている事実を、戦艦大和の出撃の例を挙げて論証している。それは、本来優秀な日本海軍の士官であるならば無謀であることが明らかであるにもかかわらず、空気が意思決定を正当化という点を指摘している。日本の大学組織の意思決定についてもまた、空気に支配されているところがないだろうか。
<脚注14>国立特殊教育総合研究所(2005)は、大学において「発達障害学生」の相談が増えている調査結果を踏まえ、大学全入時代の到来と共に、「発達障害」のある学生の支援は大学にとって重要な問題であると指摘している。
<脚注15>鷲田(2005)は大学と社会とのcritical distance が必要とし、社会のニーズを受け止めながらも、ニーズを批判的にとらえ、社会にとって何が必要かを自ら提示することを、大学の独自の役割として重要であると述べている。また、「自己言及的に変化していく予測のつかない社会で、そのときそのときで何をすべきかを自ら考える能力の養成を大学教育は担うべきである。」とも述べている。
<脚注16>対立を避け、和を重視する日本では、 コンフリクトは悪いものと考え、あたかもないかのようにする場合が少なくない。その結果、対立の火種は残り、コンフリクトは解消しない。そして、組織健全さが損なわれていき、変革の妨げになっていると考える。
<脚注17>平井(2006)「インクルーシブルデザインハンドブック」によれば、「みんなに使いやすいものが返って皆に使いにくいものを作ってしまう経験は枚挙に暇がない。一方、安易にすべての領域(最小公倍数に相当する部分)を足し合わせたようなデザインも美しいものではない」とある。ユニバーサルデザインとの定義の差異は明確でないもの、報告者は真のニーズへの対応の構図として、暫定的にこのワードを用いた。

●参考文献・資料等
山田裕一(2007)「障害学生パートナーシップネットワークの活動について」『障害をもつ人々の現在』No63
畠山 卓朗(2002)「支援技術開発と利用者ニーズ」日本機械学会第2回福祉工学シンポジウム配布資料
佐野眞理子、山本 幹雄、吉原 正治(2009)大学教育とアクセシビリティ―教育環境のユニバーサルデザイン化の取組み」 (叢書インテグラーレ) 広島大学大学院総合科学研究科 (編集)
佐野眞理子(2005)「高等教育におけるユニバーサルデザイン:広島大学の障害学生就学支援を事例として」 PwDキャリア・フォーラムwithアクセシビリティ・フォーラム2005講演資料
秋風 千恵(2007) 「軽度障害者の意味世界」障害学会第4回大会
後藤 吉彦・二階堂 祐子(2007)『大学の障害学生「支援」についての一考察』障害学会第4回大会
宮本太郎(2006)「ポスト福祉国家のガバナンス 新しい政治対抗」『思想』No983
ニキ・リンコ(2006)「支援を辞退したくなる環境、ならない環境」『精神療法』No32
財団法人たんぽぽの家(2006)『インクルーシブデザイン ハンドブック』.監修/たんぽぽの家編
鷲田清一(2004)「シンポジウム閉会挨拶」『平成16年度国際シンポジウム大阪大学大学教育実践センター開設記念行事『大学と社会 -University for the Society-』
山本七平(1983)『「空気」の研究』文藝春秋
国立特別支援教育総合研究所(2005)「発達障害のある学生支援ハンドブック―確かな学びとの充実した生活を目指して―」ジアース教育社


*作成:
UP:20090904 REV:20090925,26
全文掲載  ◇障害学会第6回大会  ◇障害学会第6回大会・報告要旨

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