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後藤 吉彦「「障害者支援」と「障害学生支援」――障害学は2つの世界をつなぐことができるか

障害学会第6回大会・報告原稿 於:立命館大学
20090926


◆報告原稿
後藤吉彦(フェリス女学院大学バリアフリー推進室コーディネーター)
「「障害者支援」と「障害学生支援」――障害学は2つの世界をつなぐことができるか

・後藤です。よろしくお願いします。それでは自己紹介します。
・私が「障害」や「障害者」について考え始めたのは、大学の学部生時代にはじめた介助活動からです。
・介助をはじめたきっかけは、阪神大震災です。神戸に住んでいた、当時、高校生だった私は、「被災者」としてボランティアに助けられました。この経験から私の中に、ボランティアへの憧れや、「自分も恩返ししなければ」という義務感が生まれ、大学入学後、介助のボランティア(のちには有償で)をはじめることになりました(この義務感は、サポートを受ける側の「負い目」と通じるものかもしれません)
・なぜ障害者介助だったかは、たまたま募集チラシをみかけたからです。でも振り返ると、障害者介助=弱い人を助ける善いこと=恩返しになる、「だからやろう」という意識があったんだと思います。
・そうして、神戸にある自立生活センターで介助をはじめました。その初日は、当時の自分にとっては衝撃のデビューでした。脳性マヒで24時間介助のいわゆる「重度の全身性障害」の人の外出介助を、「本人に教えてもらいながら、やってね」といきなり任されました。その人は、会話も介助者が文字盤で言葉をひろっていきながらする人だったのですが、何もわからず、いわゆる「重度の全身性障害」の人とかかわったことのない私はビビりまくりました。
・しかし、じっさいにその人に教えられながら介助できましたし、その後も、そんなかんじでビビりながらも、教えてもらいつつ介助をしていき、そのなかで、コミュニケーションや移動の様々なあり方や、24時間「人の手を借り」ながら独り暮らしをするなど、自分の知らない生き方があることや、生のスタイルには様々なものがあることを学びました。
・また、過去の障害者運動のことや、意識してこなかった社会の様々な問題についても気づくことになりました。それは「楽しい」気づきではないかもしれません。でもそれを放っておくことは、私にとってもっと「楽しくない」、そう感じます。なぜそうなのか、まだ答えはみつかってません。ただ一つ、私は「生の様々なスタイルを肯定したい」という理由は大きい気がしています。
・さて、そうやって学部、大学院をとおして10年くらい介助者として「障害者支援」にかかわってきましたが、そのあいだ「障害学生支援」については無知というか、考えたこともありませんでした。(ちなみに私は、社会福祉や障害者福祉を勉強していたわけではありません。)
・よく思い出せば、車イスの学生が神戸の舞子から京都にある大学まで通学するのをアシストしたことがありましたが、しかしそのときも彼がどうやって勉強しているのか、考えもしなかった。それどころか、本屋さんで本を読む介助をしたとき、「とてもしんどいなあ」と思ってしまった苦い記憶があります。
・さて、大学院修了後、必死に仕事をさがしていたところ、立命館大学ボランティアセンターのコーディネーターとして勤めることになりました(のちに障害学生支援室が立ち上げられることになったとき、支援室に異動します)。私は、ここではじめて、「障害学生支援」という世界に出会うこととなりました。
・それまで私が行ってきた介助活動は、基本的にトイレ、食事、着替え、外出、買い物など、いわゆる日常生活支援でした。それも、とりわけ車イスを使う「肢体不自由」の人が多かったです。
・しかし、新しく出会った「障害学生支援」は、「情報保障」というのが大きなキーワードとなっており、どうやったら視覚障害のある学生が墨字で書かれた資料や映像を使った授業内容を理解できるのか、あるいは聴覚障害のある学生が口頭での講義内容や英語のリスニングといった授業の内容を理解したり参加できるか、あるいは肢体不自由の学生のノート作成をどうするか、といった事柄でした。みたことのないパソコンソフトや機械も使われています。
・こうして今まで「障害学生支援」について、たくさん新しいことを学ぶことができました。また「学ぶ」という行為の重みについて、あらためて気づかせてももらえました。
・しかし、その一方で、それまでかかわってきた大学の外での「障害者支援」と、内の「障害学生支援」が、2つの違う世界となっている状況には、大きく2つの面から、違和感や問題意識をもつことになりました。
・まず一つは、各大学によって状況は違うでしょうから、そこは気をつけなければいけませんが、概して「障害学生支援」の世界、とくに大学に制度化されたオフィシャルなものでは、障害者支援としてメインでやっていた日常生活支援は基本的に「やれないこと・やってはいけないこと」となっていることです。でも、大学で学ぶためには、通学、トイレ、日常会話などへの支援は必要ですよね。
・しかし問題は、支援メニューの不足だけでありません。というか、それが今日までかわりにくかったことにも関連しますが、二つ目には、たとえば大学の支援室と地域の自立生活センターがお互いに関与し合わないこと、障害学生が地域の団体とつながりがないこと、支援学生の関心が大学内で切れてしまうこと、障害者運動などが障害学生が抱えている問題(先に出た支援メニューのことなど)に積極的に取り組んでいないことなど、つまり2つの世界が断絶してしまっている状況です。障害学生支援は、大学という機関だけでなく、国や行政にも関わっています。ですので、なおさら大学の「外」からの力が必要だと思います。
・このように2つの世界が分かれているのは、(アメリカ型の、ですが)自立生活センターのはじまりがバークレー大学で学ぶ学生(エド・ロバーツ氏)の支援とむすびついていたことを考えると、皮肉に感じます。
・しかし、それは後ろ向きにとらえることではなく、こうやって障害学会などで取り上げられ、関心が高まることで、これから先、大学の内と外の世界がつながっていくことを期待します。それは、大学にとってみても、より充実した学生の「出口支援」となるでしょうし、また自立生活センターなどにとっても、より平等な学び、平等な機会の実現を目指して、これまでリーチできなかった(そして苦しんでいた)人たちを支援することとなると思います。そして障害学にとっては、それを推進するという実践的で建設的な役割を果たせるのだと思います。
・ちょっと話がそれるかもしれませんが、もう一つ付け加えます。障害者運動や障害学が育んできた思想やものの見方は、障害学生をもっと生きやすくしたり、力をあたえられると、私は思います。ですが今の障害学生の多くには、それらが伝わっていない、それにもどかしさを感じています。「伝える」とは、一方的に障害学を勉強しろ、運動に興味をもて、では成立しません。その伝え方を工夫しなくては、そんなことも考えています。

・さて、自己紹介につづいて、最後に今回のシンポジウムでとりわけ話題の中心になる発達障害・精神障害・内部障害などの、これまで障害学生支援にふくまれなかったものへの支援という事柄について言及しておきたいと思います。
・先ほど大学の内と外の世界をつなぐという話題でもあげましたが、これまで支援対象とならずに苦しんでいた人に、支援が届くようになることはとても意義があると思います。その意義はしっかりと確認しておきたいと思います。
・そのうえで、私はここで、発達障害などの支援にかかわる困難や危険な点についても、少しふれておきたいとおもいます。
・まず、いまのところ障害学生支援をうけるには、何らかの形で学生が自分を「障害学生」とアイデンティファイしなければいけませんが、実はこのことは大変難しい、葛藤の多い事柄だということです。コーディネーターとして、しばしば悩んでしまうのは、支援があるほうがおそらくもっと楽に、もっと充実した大学生活をおくれる場合でも、学生が「障害学生」とみられること、あるいはそういったことがらに関わることを学生が辛く感じるときです。発達障害や精神障害など、いわゆる「目に見えない障害」の場合、このことはとくに難しい問題ではないでしょうか。ならば、今後は、支援の幅を広げることもそうですが、「障害学生」という身分と引き換えにしないと支援を受けられない状況も問題化しないといけないと思います。そうでないと、一部の「カミングアウト」できた学生しか助けられないことになります。
・次に、現在の発達障害支援の危険です。ご存じの方も多いかとおもいますが、大学の学生支援の世界では、発達障害は、現在、ビックリするくらいブームです。いたるところで研修会や講演会などがおこなわれています。国からたくさんのお金がつぎ込まれる学生支援GPといった事業でも、採用されるものの多くは発達障害支援に関するものです(障害学生支援関係で採択された8個のうち6個です!)。ただ、それがどんなものか聞きに行くと、支援として積極的に推進されているのが「チェックリストの作成」であったり、mixiをつかって発達障害っぽい学生を見つけ出すであったり、何か「早期発見」の方法にみんな熱心になっている様子がうかがえるのです。これは、障害学生支援という名目のもとで「ややこしそうな」学生を見つけ、管理する、そんな危険なニオイがするのです。
・そして、最後にもう一つ。どういうかたちにせよ、支援がおこなわれるとします。で、障害学生支援としては、たいていの場合、学生が自分のニーズを把握し、自己コントロールができて、社会参加ができるようになること、そういった姿を「サクセス・ストーリー」として描きサポートすると思います。しかし、はたして、それは多様な生き方をみとめる社会の実現につながっていくのでしょうか。自己反省することがあります。発達障害、精神障害、内部障害の支援についても、この問題意識は忘れたくないですし、障害学として考えなくちゃいけない、と思います。
・ご静聴ありがとうございました。


*作成:
UP:20090921 REV:20090930
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