「(書評)ピーター・シンガー著 『人命の脱神聖
化』」
堀田 義太郎 20071005
『週刊読書人』
last update: 20151225
■堀田 義太郎「(書評)ピーター・シンガー著 『人命の脱神聖化』」
『週刊読書人』2007年10月5日
本書は、主著者であるピーター・シンガーが過去に発表した(共著を含む)論文を共同研究者でもあるヘルガ・クーゼが編纂した論文集(原著は2002年
刊)を底本にした訳書である。
シンガーはこれまで、ある種の人間に対する治療の差し控えや中止による死を許容しつつ積極的な殺害行為を禁止する――日本を含む諸国が採用している――方
策を、殺害が道徳的に間違いではない場合もある、という立場から批判してきた。この点に関する本書の議論は、次のようにまとめることができる(第二部)。
①私たちの社会は、生物学的に「人間」に属する存在者でも、ある種の人を意図的に殺す決定を許容している。たとえば「脳死」という語による「死の再定義」
は、ある種の人間を意図的に殺しているという事実から目を背けるための欺瞞でしかない。②「死なせる/殺す」ことも許容される人間を判別する際、私たちは
実は、感覚能力や自己認識能力の有無という基準を採用しており、それは人間と動物の区別よりも道徳的に正当である。③こうした決定を認めるならば、その立
場からは、「人命の神聖性」という原理は否定される。また、今やこの原理を真剣に奉じている人はいない。
この議論からすれば、現に社会が行っている決定を批判しようとする人は、有効期限切れの「人命の神聖性」原理に固執していることになる。
だが、ではなぜこの原理が批判されるのか。シンガーがこの原理を批判するのは、そこから導出される人命維持要求に従うことが、生命維持される当人の利益に
ならず、かつ当人または周囲(周囲には動物も含まれる)に苦痛やコスト等の「不利益」をもたらす場合があるからである。
ではシンガーは、いかなる人を、いかなる不利益を解消するためにならば、殺すことも許容されると考えているのか。それは、「生きていることがもはや当人に
とってどんな価値にもならない」人である(135頁)。
では、このシンガーの議論は、現在の社会が直面している諸問題の核心を捉えていると言えるだろうか。言えないだろう。たとえば本書は、病状が「耐え難い」
などの理由で「死にたいという希望を持続的に持って」いる難病患者について、個々人の価値に基づく「決断」が「尊重されるべき」だとして、その人を死なせ
てよいと主張している(132-5頁)。だがそれは、「耐え難い」という不利益の内容およびその決断の背景にある諸利害の連関の分析を放棄していることに
なる。
この点に関して少なくとも留意すべき点は、第一に、医療・福祉の援助が必要な人に「死にたい」と言わせるのは容易である、という事実である。医療や福祉の
コストを削減すれば、援助が必要な人は十分な援助が得られず、その生はすぐに「耐え難い」ものになるからだ。第二に、死なせる側はつねに、医療・福祉コス
ト削減への利害関心をもつ人々だという点である。そしてさらに、医療・福祉コスト削減への利害関心をもつ側にとって、コストがかかる人の「死の自己決定」
は、それが当人の価値観に基づいているか否かに関わらず、コスト削減にとって都合がよいという事実である。こうした諸利害の連関を念頭にお
いて本書を読めば、この問題に限らず、シンガーの議論に欠けている考察の課題が明らかになるだろう。
とはいえ、本書は、私たちが考察すべき課題を明快な枠組みで示すことによって、そこで消去されてしまう――より重要な――問題を逆示してくれるという点で
意義があると言えるだろう。
◆Kuhse, Helga & Singer, Peter eds. 2002 Unsanctifying Human Life: Essays on Ethics, Blackwell=20070710 浅井 篤・村上 弥生・山内 友三郎 監訳,『人命の脱神聖化』,晃洋書房,227p. ISBN-10: 477101860X ISBN-13: 978-4771018600 2835 (原著:論文24 訳書:論文12 訳書の表記では著者:シンガー) [amazon] ※