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ポストコロニアルのろう文化――サバルタンはどこにいるのか

森 壮也 2004/10/30
障害学研究会関西部会第22回研究会


  *記録作成:土屋貴志

障害学研究会関西部会第22回研究会

日時:2004年10月30日(土)午後2時〜5時
会場:茨木市福祉文化会館 401号室
報告者:森壮也さん(アジア経済研究所)
テーマ:ポストコロニアルのろう文化――サバルタンはどこにいるのか
司会:杉野昭博さん(関西大学)

●自己紹介(14:00-14:20)

●森さんのお話(14:20-)

【以下、パワーポイントファイルより。当日はパワーポイントを映写しながら説明。パワーポイントファイルからコピーしたため、印刷配布レジュメとは多少異なる】

ポストコロニアルのろう文化
―サバルタンはどこにいるのか

森壮也(アジア経済研究所開発研究センター・東京大学先端科学技術研究センター)

1.「ろう文化宣言」は、マニフェストだったのか?
・アメリカのTBC(The Bicultural Center)の影響とTBC Newsの翻訳紹介新聞としてスタートした『D』
・朝日新聞への掲載と青土社からのアプローチ、表題の決定
・「ルール」違反問題(2.(B)との関わり)
・言語モデルへの教育モデルの侵入
・コロニアリズムへの批判ではあってもオリエンタリズムに無批判

2.医療モデルvs. 文化モデル
(A) Hearing-Centrism as Colonial Discourses
 (1) かつての「治療・リハビリテーション」=Exploration とは、ろう者にとって何だったのか?
 (2) かつてのろう教育とは、ろう者にとって何だったのか?
  「盲唖院」「訓盲院」「全寮制ろう学校」←口話法の嵐
・ろう世界にとってのColonialism〜"Audism"(Lane、1993)
 Colonialism:「一方が他方を支配するのみならず、一方の文化秩序を他方の従属的集団に押しつけようとする不平等な権力関係」(Merry, 1981)
・「世界はそこにあるようにあるのではなく、Discourseを通じて存在している」(Ashcroft, et. at, 1998)
 ろう者は、聴者のディスコースを相手にしないとならない
 しかし、これまでろう者のディスコースは、手話によってのみ語られてきた側面がある〜聴者との隔絶

(B) ろうあ運動 as Modernity(Post ColonialismはColonialismを引きずる)
(1) 閉じられたろう社会の中での展開と発展
  全国組織の展開と運動の両輪の片方としての手話通訳者組織の展開
(2) Subalternとしてのろう者イメージ
 ・日本語や日本のメインストリームから隔絶された最低層
  (Subaltern:従属的・副次的(存在)、下層の人々、またそうであることを刻印された人々)
 ・運動の主体を担う人たちと救済の主体となる人たちとのイメージ格差
 ・Symbolicな主体としてのろうの不在への異議申し立て

(C) 体験不可能性問題−擬似体験の欺瞞
・擬似体験=中途失聴体験(の一部)
  寺山修司の実験演劇からの示唆による「ろう体験」の限界
・ろう者の日常生活の恒常性への気づき
  普通にくらしていけていることとその背後のスキルの発見
・「全体マイナス聴覚」の嘘
  『眼はなんのためにあるか?』〜Deaf Way(I)で見たもの

(D)「ろう文化論」の登場:文化モデル
・手話学の発達による手話の音声言語との対比⇒言語的マイノリティ論
  手話言語の独自の文法
  手話言語の音声言語と独立した的分布
  少数民族との相似点(と相違点)
・手話におけるネィティブの再発見とネィティブ・サイナーの復権:文化の核
  デフ・ファミリー
  ろう学校の寮

3.Individualism vs. Collectivism
・Collectivismは、ろう社会が持つ「考え方」、理論、政策などを支える
  ろう者の中で語り伝えられてきたもの
  Deaf in America第1章のフランスのろう者の間の伝説
・田上隆司−森論争
  見ないといけないのは集団か、個人か
・集団、コミュニティは、個人の寄せ集めではなく、そこに独自の別のものの発生がある
  Nicaraguaの事例とそこで発見されたもの
  断片化され、個別化された個人としての「難聴者」
・サバルタン性:
 ≪国家≫になりえないがゆえに断片的・非整合的・不定形なサバルタンの「常識=共通感覚」や「フォルクローレ」
  外部としての支配的ヘゲモニー、そこから切り離された特性
・しかし、我々は、集合心性と個々人の行動の対立をそう無邪気に語れるか?
  均質性を仮定しない「階級」、集団を離れた判断、見せかけの客観性は存在しない

4.Minorityの中における医療モデルのDominance問題
・医療モデルにとらわれてしまっているMinority
  手話の文化は自分たちの領域にあるかどうかの確信なし
  過剰な音への反応(きこえないのだからよけい注意しないとならない)
・聴者の社会によるそうした信念の再強化〜真実はどこにあるのか?
  現代フィリピンにおける旧宗主国アメリカへの影響の持続
   永野善子によるアメリカ植民地言説批判研究の紹介
    E.サンファン・ジュニア
     ポスト・コロニアル状況に自らをおくことなく欧米世界における思考の枠組みのなかで従来の西欧中心主義を批判するポストコロニアルの論客たち(スピヴァク、バーバ、ミンハら)を批判
     旧植民地内部で今日展開されている経済・社会・文化に関わる議論との関わりよりも、欧米諸国内部で関心を向けられた旧植民地地域に関するテーマを取り扱っている従来のポストコロニアル研究への批判
    フロロ・C・キブイェンの公認ホセ・リサール(1896年処刑)像の脱構築
     アメリカ人行政官によって独立革命期を生きた人たちが描いていたリサール像とは異なるリサールイメージがいかにフィリピン社会に定着させられていったか
     1896年2月 対スペイン独立戦争 ⇒ 1898年12月 パリ講和条約でフィリピンの領有権西から米へ ⇒1899年2月 マロロス共和国を発足させた独立革命軍と米軍衝突、比−米戦争へ
    「独立革命に反対した改革主義者」VS.「革命的改革主義者」
    レイナルド・C・イレートのアメリカ版オリエンタリズム批判
     アメリカ人歴史学者グレン・メイによる結社カチプナンの創設者ボニファシオの評価への批判への反批判
   フィリピン手話(FSL)がアメリカ手話と同等のものだという誤ったイメージと理解
    フィリピン手話の本の出版、しかし資金は日本大使館からの草の根援助資金を得るしかなかったという現実
    タイ手話における先駆的業績(J.Woodwardら)
・ろう者
 自分たちは日本語ができないので劣っている?
 聞こえるようになることは良いことだ(人工内耳、米国でのろう精子提供者募集)

5.Post-ColonialからPost-Modernへ:世界的なDeaf Resurgence
・アメリカのろう者演劇の変遷:"Deaf in America"第3〜5章
・アメリカにおけるTBC(既存団体:NAD)
・日本におけるDPro、草の根ろうあ者懇談会(同:(財)全日本ろうあ連盟)
・イギリスにおけるNational Union of the Deaf(1979)とFederation of Deaf People(1998)(同:BDA)
・当事者によるフリー・スクール運動
 (1)龍の子学園(東京) (2)スマイル・フリー・スクール(東京等))(3)ろうっこ学園(名古屋) (4)しゅわっち(京都)(5)きずな(大阪)(6) あおぞら(福岡、熊本) (7)トキッズ(新潟)
・ろう歴史学会
  世界的な「ろう史」の掘り起こし運動と学会の設立
   1989 Deaf Way (I)
   1991 国際ろう歴史学会(DHI、以後、3年ごとに開催)
   1993 イギリスろう歴史学会(BDHS)
   1998 日本聾史学会
  Deaf Wayがきっかけを作り、"When the Mind Hears" (Harlan Lane, Random House, 1984)や"Deaf History Unveiled" (John Vickrey Van Cleve ed., Gallaudet Univerisity, 1993)が切りひらいた世界

6.Deafness vs. Deafhood
・d/Dの区別に相当、DeafhoodはDeaf Cultureの領域まで
・Deafhoodは、静的な「医療的な立場からみた」状態(=Deafness)とは異なる。
・ろうの子供、成人、家族による自己実現のための闘いのプロセスである。
・ろうコミュニティに存在するろう者の意味を示し、その様々な説明に関わるろう者になっていくプロセスである。
・Deafness(Medical Dim.)をコアとするが、それだけではない階層構造
・ろう者の側からのディスクール・システム構築のためのKey Concept
・Deafhoodを紡ぎ出していく主体としての、Subaltern -Dea-Professionals

7.まとめ:サバルタンはどこに?
"Can the Subaltern Speak?"(G.C.Spivak) から
 "Let the Subaltern Speak."(Paddy Ladd)へ
・いったい、今、誰が語っているのか?
  サバルタン研究グループとSpivak
  「男性知識人たちが歴史記述における主体化を施すことを通じて、サバルタンを固定された主体として産出し、サバルタンになりかわって言葉を発し、その結果二重にサバルタンを排除」(崎山 2001、P.42)
  「政治における代理=代弁(ルプレザンタシオン)と知の権力編成のもとでの表象(ルプレザンタシオン)との種差性を捨象」(同書、P.46)
   ルプレザンタシオンの二つの意味(マルクスのフレーズを引用するSpivak)
  「[分割地農民達は、]自分を代表することができず、だれかによって代表してもらわねばならない。かれらの代表者は、同時にかれらの主人として、かれらの上に立つ権威として、かれらを他の諸階級から保護し、上からかれらに雨と日光をおくる無制限な統治権力としてあらわれねばならない。」(Spivak,邦語訳P.15-19)
  「知識人による「被抑圧者が自らを語る力」の称揚が実は「自らを語りうる被抑圧者」なる暴力的な表象の分節化であり、知識人が被抑圧者に≪なりかわって言葉を発する≫という代行された言説の編成をもたらしてはいないか?」(同書、P.48)
   語りはじめたとたんにSubalternはSubalternではなくなるノというのがSpivakのメッセージ
・ろうあ運動家というEstablishment(しかし、彼らも基本的に被抑圧階層に所属する)とろう知識人(サバルタン・エリート)という階層の拮抗と対話の開始
・Subalternとは、ポストコロニアルもしくはエスニックなマイノリティに属すという条件だけでは、自動的にSabalternとは言えない。この言葉は「非植民地化された空間における透明な異種混交性を示すための概念である。」(Spivak, 1999, P.310)
・ろう社会への自己投企と自分自身を表象する方法を学ぶによってしか見えてこないSubaltern

Thank you
ご静聴・静視
ありがとうございました

【当日のお話】
 今日の話はうまれ育った関東のろう文化から感じた話が中心になる。それから、米国ニューヨーク州のロチェスター大学に行っていた。そこは聴者の大学だが、2年間大学院へ行っていた。このことから、アメリカのろう文化の経験からもお話することがあるかと思う。勤務先はアジア経済研究所で、もう16年になる。ASEANのなかで、とくにフィリピンによく行っているので、そうした経験から感じたことを含めて、話をする。もうひとつ言い忘れていたけれども、1994年に日本に帰った翌1995年に、米国のニューメキシコ大学へ言語学の勉強のために行っていた。こうした様々な分野から学んだことも背景にある。
 今年茨木市にくるのは実は、3回目。3週間前に来たが、ここ10年くらい、日本ろうあ連盟とJICAが一緒になって、アジア各国の人たちを招いて研修しているが、その国際手話通訳をしている。日本手話と国際手話との通訳をここ10年間担っている。
 今日の話のテーマはポストコロニアルのろう文化。ろう文化の中級レベルの話をしてくれと杉野さんに依頼された。はじめはろう文化というテーマだけ出していたが、杉野さんにもっと膨らませてくれと言われて、サバルタンのことを入れた。だから30%くらいは杉野さんの発案といえる。ポストコロニアリズムとろう文化のかかわりを、日本できちんと話をする人は少ないのでいい機会だ。サバルタンとは何かと知っていることを前提に話をする。いままでいろいろなところで書いてきたことをまとめて話す。質問や批判をあとでもらえたらと思う。
「ろう文化宣言」はマニフェストか。ろう文化宣言の内容自体は初級なのでみなさん当然読んでいると思う。中級レベルなのでくわしく話す時間はないが、ろう文化は耳の聞こえない人のものと普通は思われているが、そうでなく言語的マイノリティであるということを「ろう文化宣言」は言っている。青土社から出ている同題の本をぜひ読んでほしい。その背景。1990年初頭、木村晴美さん、市田泰弘さん。市田さんは健聴者。1980年末頃、「D」という名のミニコミ誌をこの二人が作ったが、はじめは4ページ程度の小さいものだった。その発行後、内容を文字だけでなく、手話に変えても説明する場が設けられた。一方、アメリカのTBCというセンターが、ワシントンDCの隣のメリーランド州にあった。設立者はろう者MJ Bienvenuさんと聴者ベティBetty Colonomosさん。「D」では、そのTBC Centerで出していたTBC Newsというニューズレターの中身を翻訳して紹介していた。日本の状況を顧みてのコメントなども付け加えられていた。『ろう文化』の中で聴者によるろう者への誤解についても書かれているが、そのもとになるような記事もTBC Newsにある。手話の「神話Myth」というもの。聴者の世界からの手話やろう者に対する誤解を解こうとする。それが「ろう文化宣言」の直接的な前史はそういった感じだ。
 私が米国に行ったときに、青土社の『現代思想』に原稿を書かないかと話があった。米国に行く前に風人社から共著で本を執筆していた。『耳は何のためにあるのか』『目は何のためにあるのか』『手は何のためにあるのか』の3冊。この中に書いたのは、『耳・・・』はろう者にとっての音楽について書いた。『目・・・』は、ギャローデット大に初めてろう者の学長が誕生したときに、ろう者が集まってDeaf Wayという国際的なフェスティバルを開いたことについて書いた。世界ろう者連盟とはべつの取り組みとして非常に重要。TBCの設立もDeaf Wayの後。このろうの学長選の時には、ちょうど旅行でワシントンDCに行っていたときだったが、学長に選出されたばかりのジョーダン学長にお会いしてインタビューをした。これは、読売新聞に記事を書いて送ったら掲載された。『手・・・』は米内山さんとの対談。帰国してから青土社に原稿を送った。このちょうど同じ頃に木村さんと市田さんの『D』についても朝日新聞に記事が掲載され、青土社の編集者の方に二人のことを聞かれ、いっしょに載せたら良いと私も返事をして、『現代思想』に「ろう文化宣言」が載ったということになる。
「ろう文化宣言」が掲載されていろいろなことが起こった。第一に、既存のろう団体の幹部の方々が不満をもった。第二に、難聴者、中途失聴者の方々が反発された。この反発問題に関しては、初級レベルで多く議論されることになるので今回は省く。ただ、二つ目の難聴者、中途失聴者のことはおいておくが、ろう者からの反発についていえば、ろう者大会で昨年・今年とろう文化についての分科会があった。5・6年前に私も呼ばれて行った。全日本ろうあ連盟の事務局長をしていた松本弁護士と議論をした。去年今年は、松本さんと木村さんの対談が行われた。今年の分科会の中身のうち、ちょっとびっくりしたのが、「ろう文化宣言」という表題を決めたのは誰か?ということだった。実は、決めたのは青土社の編集担当者だったという。非常に意味が深いのは、中身以上に「ろう文化宣言」というタイトルも世間的に興味を持たれたということ。「宣言」は英語ではmanifestation, declarationと二つある。日本の政治の世界でマニフェストという言葉が流行っているが、これは政治的な意図を含んだ時に使われる言い方。一方、declarationの方に政治的な意味はない。Dプロのホームページに、英語の翻訳文を載せているが、declarationとしている。これも非常に興味深いこと。内容的にはどちらかというと後で少し説明するようにManifestationだったと思うが…。
 ろう文化宣言に対する二つの大きな反発のほかに、見えないところでの批判もあった。一般のろう者は「なるほど確かにそうだ。けれどこんなこと言ってもいいの?」という反応だった。宣言として言ってしまっていいのだろうか、というもの。一般のろう者の中では、いままでタブーだったこと、言ってはいけないことを言ってしまった「ルール違反」という印象があった。これもまた考えないといけない問題だと思う。
 言語モデルへの教育モデルの侵入について。TBCニュースの人たちというのは、ろう者について非常に強い主張をしていた人たちだが、こんな逸話がある。手話通訳者の集会で手話コーラスが始まったときに、MJさんが舞台の中央に立って観客席にいたろう者たちに「本当にわかるのか?」と問いかけて、わからないという反応で止めさせた、というショッキングな出来事があった。また、マクドナルドで注文するときに、カウンターでMJさんが手話のみで注文する。販売員がそれに驚く。MJさんは、そういった強い交渉をする人だった。その彼女たちが書いていたTBCニュースで、難聴者・中途失聴者の手話とろう者の手話が違うという話は出てきていたが、日本では従来、そこまではっきり言えなかった。
 そしてもうひとつ教育モデル問題について。ろう者、難聴者、中途失聴者の三者のうち、難聴者は健聴者の学校で育って、手話を身に付けるのが難しい。中途失聴者は学校に入ってから聴力を失った人のこと。ろう者は手話ネイティブ、または聾学校の寮の経験がある人のこと。健聴者の学校へ行った人とは言語が違う。ただ、この話は、学校で区別できるというより、基本は言語の区別の話なのだけれど、「ろう文化宣言」では、教育歴の区別という側面が強調されすぎていたように思う。米国では言語の問題としてむしろ取り扱われていたので、その点では日本のような反発はなかった。日本では教育問題と言語の問題がごっちゃになりすぎていたため、よけい反発が大きかったのではなかろうか。ろう文化宣言では、聴者からの「コロニアリズム」批判の姿勢で言っている。けれど、その大元になる見方はTBCニュースの見方でもあるわけで、それをそのまま輸入している感じは否めず、その中にあるオリエンタリズムへの批判的観点を欠いていた。
 医療モデルと文化モデルについて。この二つだけでなくてイギリスのオリバーなどが言った社会モデルとかもあるが、ろう者の場合重要なのはこの二つなので、今日はこの二つについてのみ話をする。医療モデルはHearing-centrismであって聴者中心の見方だということ。ろう者は治さなければならない、聴者に近づけなければならない、とする。ろう者の世界へ侵略していく植民地主義と同じ。explorationつまり聴者によるろう者の研究は、ろう者にとっては何だったか?『聴覚障害事典』というのがあるが、聴者からのろう者に関わる発見がいろいろと書かれているHearing-Centrismの総集編のような本である。「盲唖院」「訓盲院」「全寮制ろう学校」はアサイラムつまり収容所だった。聴者をまねて口話法を教えていたが、口話法と健聴者の会話とは違う。口話法は聴者並みにはなせるようにするのではなく、聾学校のなかでろう者の子どもに、不自然に口を大きく開けさせたりして話させる。しかし外の世界を知らないので、外に出たときに、そうしないじゃないか、通じないじゃないか、とショックを受けることになる。手話が禁止されているが、先生が見ていないところで手話で話す。こうしたことが、ろう者の世界で起こってきたことだ。
 ろう者にとってのaudism(Lane, 1993)というのは、ろう児の「聞こえない」というところだけが強調されていくこと。耳のイメージだけが異様に拡張されたものだ。コロニアリズムには、自分の文化秩序を相手に押しつけるということも含まれている。手話はダメというのもそう。聴者がろう者に対して「こうあってほしい」というのを一方的に押しつける。残っている聴力を使いなさい、と。
 世界はdiscourseを通じて作られている。ろう者は、聴者のdiscourseを相手にしなければならない。「聞こえなくて大変だね」という言説。しかしろう者自身の経験は手話の中で話されている。通訳者がいればいいが、聾学校のなかには通訳が居ないので、ろう児と聴者の先生の間でコミュニケーションが成立しない。ほとんどの先生は手話ができないし、できても、子ども同士の自由な会話は理解できていない。手話は教員免許を取るのに必須でない。聾学校で少しずつ学ぶしかない。しかし子どもたちは3歳くらいから手話でコミュニケーションしていて、先生との差は歴然としている。
 モダニティとしてのろうあ運動は、ろう者の人権を求め、聴者と対等な関係を求める。自立生活運動とは少し違うかもしれない。ポスト・コロニアリズムはコロニアリズムを引きずっている。閉じられたろう社会で展開し発展している。役所と話はするが、場面が限られている。行政も、ろう者のことは担当に任せてしまっている。ろう関係団体での話はあるが、ろう者関連以外の場所でのろう者に関連した話は非常に少ない。多くの団体に手話通訳を用意する予算がない。手配の方法がわからないこともある。もし外の世界に行こうとすると、結局自分で手配をしなければならない。講演に参加するのが大変。通訳者の用意、通訳者の質を確保すること、すべて自分でやらないといけないことになる。聴者がろう者のために通訳をし、ろう者の人権を守っていくというのは依然としてコロニアリスティックだ。通訳は聴者のためであって、ろう者のためでない場面はいくつもある。ろう者のためであれば、ろう団体に呼ばれたときも通訳は要るはずだ。でも実際にはろう団体に私が呼ばれたような時には手話通訳が必須ということはない。皆、手話が分かるからだ。ただ通訳がいるとすれば、手話がわからない聴者のために通訳がいる。
 また、ろう者は通訳をつけてもらった時に権利を守って頂いてありがとうと言わなければならない、感謝の心を持つことが大事だというようなことをよく言われる。自分の権利は自分で守るのが本来の姿なのに。「ろう者はしゃべることができない、聞くことができない、そのために手話を使う」というのは本当か?ろう者から見れば手話ができない人こそ問題だということにもなる。
 サバルタンとしてのろう者。サバルタンとは、従属的・副次的存在、下層であると刻印された存在のこと。最初にグラムシなどが使った言い方。日本のメインストリームから隔絶された最低層。運動の主体となるろう者の幹部が「ろう者のために」とよく言うが、自分自身とろう者は違うのか?誰のためにやっているのだろうか?『現代思想』に、木村さんと米内山さんの対談が載って、ろう団体の幹部が怒った。「ろう団体の加盟者のほとんどは難聴か中途失聴者ではないか」と米内山さんが発言。米内山さんからすれば、彼らはろう者とは違う印象。イメージがずれている。
 ろう文化論とは、文化モデルである。音声言語と手話の違い。言語的マイノリティ論。民族により音声言語はまったく異なっているが、手話のほうは民族間で似ているということがよくある。音声言語と手話言語の言語分布の仕方はことなっているのだ。少数民族との相似点と類似点。
 手話にもネイティブなものがある。手話は人工的なものでなく自然言語であり、自然に獲得するものだ。日本語の置き換えとしての手話ではない。聾学校の中では、先生たちを入れない、子どもたちだけの世界になっている。
 individualismとcollectivism。この中身は時間がないので割愛する。集団的にみていく必要がある。
 マイノリティの中における医療モデルの支配について。ろう者自身が医療モデルにとらわれてしまっている。自分たちの文化が見えなくなってしまう。聴者に合わせて暮らしているろう者を見ていると、ろう文化などないように見えてしまう。コロニアリズム批判。フィリピンの手話のなかにアメリカの手話が取り入れられたために、フィリピン手話はアメリカ手話と同等という誤解が生じた。今はフィリピン独自の手話が発見され、アメリカ手話との違いがかなり明確になってきている。
 聴者なみになろうとして人工内耳を入れる。「聞こえるようになることはよいこと」という考え方がある。ろうの子どもがほしくて、ろうの精子を提供してもらったろう者もいるのに。
 ポストコロニアルからポストモダンへ。日本だけはなく世界中が変わってきている。聴者の劇の翻訳でなく、ろう者が脚本を書く。アメリカでのTBC、日本のDプロ、草の根ろうあ者懇談会、イギリスのNational Union of the Deaf, Federation of Deaf People。こういった新しい運動が起きている。またろう者自身がフリースクールを立ち上げている。ろう者自身がろう史を学ぶ歴史学会。ろう者の民衆史。Deaf Wayがきっかけ。1991年に国際ろう歴史学会。1993年イギリス、日本では1998年に日本聾史学会。米国は学会がないが多数の著作が出ている。ギャローデット大の歴史学教授Van Cleeve。
 Deafness対Deafhood。これはdeafとDeafの区別に対応する。Deafhoodは、パディ・ラッドPaddy Laddが博士論文「Understanding Deaf Culture」で造語した言葉で、Deaf Cultureの領域まで至る。医療モデルではない。ろう者のコミュニティを重視する。サバルタン・デフ・プロフェッショナル、言語通訳型の手話通訳、言語学者。デフフッドの中心はdeafnessではあるが、社会福祉面、人権、言語的マイノリティの面などが多層的に取り巻いている。
 サバルタンはどこにいるか?サバルタンは語れるか(スピヴァク)ではなくて、サバルタンに語らせよう(ラッド)。スピヴァクはサバルタンが語り始めたらもはやサバルタンではないという。しかし、ともかくろう者自身が書き語っていく必要がある。大澤真幸がコーダについて、聴者からみればコーダもサバルタンになるが、コーダは語れるのではないか、と言っている。だが、コーダの話を聞いただけではろう者のことはわからない。コーダは自分が大きくなった後、ろう者の世界から聴者の世界に出て行くこともできる。ずっとろう者の世界に暮らしているわけではなく、いずれ出て行くサバルタンだ。
 
●休憩(16:05-16:15)

●質疑応答(16:20-17:00)
(A)結論部分の確認だが、サバルタン自身が語っていくということで、コーダに代弁者を期待できないということと、サバルタン・デフ・プロフェッショナルは大切だ、ということでよいか?
(森)OK。少し補足説明するが、ろうあ運動家というエスタブリッシュメントとろう知識人=サバルタン・エリートとの拮抗と対話の開始ということと、ろう社会への自己投企と自分自身を表象する方法を学ぶことでしかサバルタンは見えてこないという点も大切だ。
(B)サバルタンがspeakしなければダメと言うが、語り方は?誰に対してspeakする?
(森)スピヴァクの言い方であるが、speakの意味は、本を書いたり手話で語ったり通訳を介して語ったりすること、仲間内だけでなく語っていく。音声で話すという意味に限定されない。また対象はいろいろいる。
 ろう者に対して、ろう者のことを知らない人(一般の人、大学にいる知識人なども含む)に対して、質問されればそれに答えるということがプロフェッショナル。聾学校教師などの専門という意味ではなく、社会学、人類学、経済学などの専門家に。そういう人に、学問のなかにろう者を位置づけるよう促す。
(C)サバルタンに語らせるというのの一つとして「ろう文化宣言」があると考えてよいのか?
(森)今日ここで話をしていることも大切なこと。ろう文化宣言の背景について知らせる。
(C)ろう文化宣言の説明で、manifestationとdeclarationの違いに言及したが、ろう文化宣言は米国ではdeclaration、日本ではmanifestationということか?
(森)内容的に日本のろう文化宣言はmanifestationとしての性格が強い。
 米国にろう文化宣言はないが、影響力のあった本はたくさんある。たとえば "Unlocking the Curriculum" というギャローデット大の先生方が出した論文がある。聾学校の中で口話法教育はダメだということをはっきり述べた。これを日本に持ち込んで翻訳した。龍の子学園の親の会で作った本に新訳が載せられている。この報告論文では、ほかに、アメリカ手話とはどういうものか、とか、ろうコミュニティの力を借りなければならない、とはっきり述べている。刊行されたとき、内容に反対したのは聾学校の先生だけ。
(D)米内山さんが難聴者に批判的だったのはわかるが、自分は難聴者なので、どうしても中途半端になってしまう。それに加えて自分の場合、脳性マヒ者なのでよけいに中途半端になる。自分から見ればろう文化はうらやましい。
(森)米内山さん的な説明ですべていいとは私自身も思っていない。重複障害などろう者にもいるというイメージは彼の言説の中では弱い。ところで「難聴者」とはどういう意味で?
(D)自分はたとえば磁気ループを使っている。聞こえないなら補聴器を外せばいいのだろうが、周りがそうさせないところがある。かといって完全に外してやっていくというわけでもなく、中途半端になる。脳性マヒ者なので手話で話すのもしんどいところがある。
(森)医療モデル的な「難聴」という意味ですね。でも米内山さんの「難聴」とは、耳は聞こえないが手話を獲得できなかった人という意味。
 ろう+他の障害というところまで目を配ったろう文化宣言ではないということもある。広く見なければならない、ということは私も書いているが、大事だと思う。
 脳性マヒがあって手話が表現しにくくても、音声言語で話をすることはできる。それは自分自身の選択。自分自身を振り返って自分自身で選択をしていくことが大事。
 今日、大学の学生さんが多いが、質問までしてほしい。どこまでわかってもらえたのかわからないので。わからないことを確認するだけでもいい。
(杉野)「コーダ」はみんなわかっているようだ。
(森)今日は中級なので。ろう文化宣言を読んでもらえば入門篇はわかると思うが。
(E)確認だが、最後のスライドで、「ろう社会への自己投企・・・」ということは、ろう者に対して言っているのか、それとも例えばここにいる皆さんに対して?
 また、それは最終的には手話を通して、ということになると思うが、例えばここにおられる手話のできない聴者にとって、そのようなことは果たして可能なのか疑問に思うが。
(森)Aさんへの答えの繰り返しになるが、対象は基本的には、ここは研究をしたい人が集まっていると理解して準備した。手話を覚えていないが研究をしたいというのは無理。ろう者の研究をしたければ手話を覚えるのは最低条件。手話を覚えてほしいとまでは言わないが、通訳に来てもらっているので、そういう形でクリアできるだろう。
(杉野)途中から来られた方の自己紹介をお願いします。
【途中からの参加者各自自己紹介】
(F)ろう者・ろう文化をサバルタンと位置づけていくと、ろう者のサバルタン性を強調することにならないか?また、ろう者がサバルタンとして語り始めるのであれば、その語りを受け止める側との言語の共通性はどうなのか。その共通性はその語り出しからしか得られないのだろうか?
(森)いま、サバルタンの研究者とろう者研究者の間の架け橋になるものが全く作られていない、始まったばかり。まず、やる必要がある。心配はそれからすればいい。
 共通性があることも、大きな問題になる。文章を書いた場合、共有できるかどうか疑問。読み方や文のとらえ方が、聴者とろう者で全く違う。ろう文化宣言を読んだときの反応が、聴者はろう者とはこういうものか、というショックを受けた。ろう運動家も反発。一般のろう者はこんなこといっていいのか、という反応。読み方はこれほど違う。ろう者が発信した文章を聴者がどう受け取るかはわからない。文章を読んでもわからないろう者も少なくない。いまのところ手話だけしかないかも。ろう者が見て何とかわかる程度の手話でも、まだまし。聴者が手話を学んだ方がコミュニケーションの可能性があるように思う。

(参加者36名【森さん含む】)


UP:20041114 REV: 20090713
森 壮也  ◇障害学研究会関西部会  ◇ARCHIVES
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