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無償/有償であることの意味

立岩 真也 19960229
千葉大学文学部社会学研究室『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』
千葉大学文学部社会学研究室&日本フィランソロピー協会,1500,第7章追記,pp.158-160



 お金は必要なものではある。全ての人にとって必要なのに、お金を(あまり)得ない活動ができるというのはどういうことか。一つは、同じ人が一方では有給の仕事をし、別の時間に無償の活動に従事するというかたちである。だが、ここにあるのはもう一つのかたちである。ある人は今までの仕事についているが、別の人はそうではない活動に従事する。この問題がややこしいのは、これに「家族」とか「性別分業」が絡んでくるからである。現状としては、男が稼いで(他の仕事はしないで)女がボランティア活動をする(若干の支払いがある場合もある)。これについてはいろいろ言われているが★01、十分な議論はされていない。なんだか変な感じがするが、どこがどう変なのか、どうすればよいのか。別稿で述べたこと(立岩[1995a:237-240])をほぼそのまま紹介する。
 α:今、この社会に存在する無償の行為と有償の行為の大きな分割は家族成員間での分業、性別分業としてある。無償の行為がなぜ成立するかといえば家族内でお金が分配されるからである。妻が無償で仕事をする。夫が稼いできたお金を妻も使う。(図1の点線αの内部)★02
 β:このような労働、分業の編成を変えないでサービスを無償の部分に委ねるなら、家族の中で行われていたことが同じ成員による地域での扶助という形に移される。つまり主婦のボランティアである。直接に家族が家族のためのサービスを行うのではないが、やはりその無償の行為の提供者(多くは妻)は、家族の他の成員(多くは夫)の稼ぎで消費生活を行うことになる。学生が無償の提供者でありうるのも大抵は親が生活費を援助しているからだ。つまり、家庭内分業自体は残り、有償・無償の仕事を行う人も以前と同じ人である。家族の中の誰か(妻や子)が行い、その誰かの生活を家族の他の誰か(夫や親)が支えるという構造は少しも変わっていない(図1の点線βの内部)。当の家族以外の援助を行う点だけが違う。そして、無償と言いながら、実は間接的にその無償の行為を可能に
         図1                図2


         負担者               負担者
     α  (夫、等)
            生活費                  
         β                  税・保険料
          サービス               サービス
     利用者      提供者   ・   利用者     提供者
 (α親 β親達、等)  (妻、等)          
                            
                              行為の対価
                           政府
                

している有償の仕事をする人が控えており、その人から給料という形ではないにせよお金を受け取ってはいる。
 βは特定の時期に特定の家族に負担が集中するαよりは、負担を分散できる点で理にはかなっている。しかしβも、個々の家族の状況、例えば2人分以上を稼いでこれる人がいるかといった事情に左右されるのはαと同じだ。
 さらに生活費を得る人とその生活費で暮らしながらそのサービスに従事する人との組み合わせが、家族の中(例えば夫と妻)に閉じられざるをえないことは両者の自由を制約し、相互依存は関係の自由を制約し、どちらか一方の他方への依存は支配・従属の条件となりうる。この組み合わせがあること自体が悪いというのではない。この組み合わせの中でも満足し、平等だと感じることはありうるのだから。しかし、この組み合わせから容易に出られないように社会が組み立てられているなら(実際組み立てられている)、それは支配・従属の可能性と現実を構造的に産み出しているのだから、問題だ。2人1組の対の関係があることと、この形でなければ(3人目を含めて)生きていけないようになっていることとは別のことだ。むしろ後者は、例えば形式的な関係の解消を困難にすることによって逆に、人間関係の実質を破壊しうる。
 そしてα・βとも「ただ」と言ってもみかけ上のことにすぎない。無償の仕事をしながら生活する妻の生活を可能にするために、その仕事に対する対価としてではないにしても、夫は支払っている。
 それを有償化して何か経済的な不都合があるだろうか。ここには、払う分損するだろうという、単純な、しかしかなり広い範囲に行き渡っている誤解がある。国民の「負担率」をめぐる一見もっともらしい議論も、それに説得されてしまうのも、大部分、こうした感覚に基づいている。だが有償化とは、まずは、出す人もいるが、受け取る人もいて(そしてこの両者は別の人とは限らない)、差し引きはゼロというだけのことである。個々への配分の割合が変わり、現状より負担が増える人もいるが、逆の人もおり、合計すれば同じだ。この仕事に対して配分されたお金は、それを受け取った人による消費にまわるのだから、生産−消費がこのことによって減ることはない。★03
 全社会的に負担する時には、その夫(だけでなく負担できる人全て)が負担し、それがサービスする人に払われる(図2)。こちらの方が、家族の中で有償と無償とを組み合わせる方法(図1)に比べ、権利の公正な保障ができる。
 ならば、β(そしてそれとさほど違わない主婦の「有償ボランティア」)を、採用すべき基本的な「システム」として支持することはできない。


★01 「1971年に、NOWは、「サービスの無償提供であるボランティア活動に反対する。社会変化をもたらす運動としてのボランティア活動に限るべきである」という声明を出した。それは、ボランティア活動は女性を家庭に縛りつけ、女性の労力、時間はただという考えを助長する、という理由であった。」(ホーン川嶋[1988:89]、NOW=全米女性機構)
 「近年、活動に対して、少額の報酬を支払う有償ボランティアという制度がいくつかの地域で誕生している。有償ボランティアについては、「ボランティアは無償であるべきだ」「女性の低賃金労働者をつくり出す」などの批判がある。しかし、他方、日本人の多くが、無料で他人の援助を受けることに強い抵抗感を持っていることも事実だ。日本人のこうした国民性を考えると、名称はどうあれ、近隣からの援助に対して、いくらかの金銭を支払うこともやむえないだろう。しかし、有償ボランティアという美名の下に女性が安く使われることは避けねばならない。そのためには、こうした活動に従事する人(多くは女性)が経験を積み、適切な訓練を受けた後、正当な給与が得られる職業人への道を開いておく必要がある。」(袖井[1989:145])
 等々。
★02 このような無償と有償の分業を家庭外に拡大することは不可能ではない。つまりは、ボランティアの生活を家族でない他の人が支えるということである。これは個々の家族の経済状態に左右されるよりは合理的な形だ。だが、それは結局活動する人にお金を分配することになり、有償の形に統一するのと結果的に変わらない。
★03 以上からは、無償の活動としてあった(ある)ことの理由が見出せない。なぜ、これまで必要なだけが供給されてこなかったのか、社会的な負担が行なわれてこなかったのか。まず一つ考えられるのは、家族成員だけに義務を設定することによる、家族間の格差を支持する勢力の存在であるが、それ以外にはないか。少し考えてみよう。
 本文のように言えるのは、有償化によって(例えば、供給されるサービスの総量が変わらず)他の社会活動に影響がない場合であることを押さえる必要がある。介助といった活動の少なくとも一定部分は、直接には生産の維持・拡大に結びつかない。労働なり設備への投下が次の生産の拡大に結びつく分野に回ることによって経済が成長する。有償化すれば、労働(サービス)がより多く有償化された領域に振り向けられことになる。つまり、成長をもたらす部門に集中的に労働と財が投下された結果、介助などの「単に」生活を維持するための活動が切り詰められたのだと考えることができる。
 もちろん、第一に、サービスが提供されることによってサービスを利用する人が生産活動に従事できるようになる場合があるだろう。第二に、人生のある期間は介助等に忙殺される一方、その前後を含め職に就くことができなかった人が、その活動の社会化によって、職業に従事できる、続けられるようになる場合があるだろう。これらを考えれば事情はかなり変わってくる。実は、「生産」にとっても、有償化、社会化は効果的なのだと言いうる可能性がある。
 このことは見逃すべきではない。だがそれと同時に、私達は、少なくとも現在、生産の拡大が――それがやがて人々の生活全般の向上に寄与するのだという主張(だから今は我慢した方がよいという主張)も聞いた上でも――今の生活を犠牲にしても獲得しなくてはならないほどのものなのか、という問いに直接答えてもよい。我慢して増やすことより、今の一人一人の生活を大切にしてよいし、またそれが可能なところに私達は来ているのだと考える。私達は、形のあるもの、形が残るもの、そしてその増殖に対する欲望、むしろ形のないもの、形なく消えてしまうものに対する恐怖のもとに生きてきたのだが、ただ何のためということもなく生きていることを肯定すること、あるいはそれを受け入れること、それを耐えることを選んでよいのだと思う。


UP:1996 REV:
女性の労働・家事労働・性別分業  ◇『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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