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『精神障害のある人への地域を基盤とした支援――クラブハウスモデルとグループホーム』

平澤 恵美 20191220 ミネルヴァ書房,224p.

last update:20210125

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■平澤恵美 20191220 『精神障害のある人への地域を基盤とした支援――クラブハウスモデルとグループホーム』,ミネルヴァ書房,224p. ISBN-10:4623086054 ISBN-13:978-46230860 [amazon][kinokuniya]

■内容

(出版社ホームページより)
なぜ日本では精神障害者の地域移行が進まないのか。本書では地域生活支援を、住むという居住の視点と、参加という活動の視点からとらえる。次に前者はグループホーム、後者では、クラブハウスモデルでの実践を取り上げた調査結果を、ソーシャルワークの観点から分析していく。そして歴史的背景を視野にいれながら、海外での成功例を踏まえたうえで、日本の特質を活かした地域を基盤とした支援について包括的に考え、提案していく。。

[ここがポイント]
◎ 地域生活支援を、住むという居住の視点と参加という活動の視点の2方向から論じる。
◎ 居住の視点では、グループホームに焦点をあてる。
◎ 活動の視点では、地域生活支援の原初モデルの一つであるクラブハウスモデルに焦点をあてる。

■目次

はじめに

第1章 世界からみる日本の精神医療保健福祉
 1 精神医療保健福祉における歴史的展開
 2 日本の精神医療保健福祉と地域生活支援
 3 バザーリアの理念と地域実践を調査より探る
 4 日本型地域生活支援モデル構築の課題

第2章 地域精神保健福祉における実践と理念
 1 マディソンモデルからみるリカバリー
 2 日本の地域生活支援

第3章 居住の視点を重視したソーシャルワークの展開
 1 ノーマライゼーション理念を反映する居住と日中活動
 2 日本における病院からグループホームへの移行
 3 グループホーム生活者の生活の質(QOL)
 4 居住における支援の展開

第4章 日中活動に対する視点を重視したソーシャルワークの展開
 1 日中活動の原始的なモデルとしてのクラブハウス
 2 ファウンテンハウスの事例研究

第5章 クラブハウスモデルを軸とした地域生活支援の分析
 1 アメリカと日本のクラブハウスモデルの実践分析
 2 クラブハウスモデルを題材としたインタビュー調査
 3 共通の枠組みを持つアメリカと日本のクラブハウスの実践の比較

第6章 日本の地域生活支援の特質
 1 アメリカと日本の比較軸からみた地域生活支援
 2 主体型地域生活支援の創出と共生型地域生活支援の創出
 3 アメリカでの取り組みからみた日本型地域生活支援の特質

終章 精神障害のある人の生活を豊かなものにするために

文献一覧
おわりに
索引

■言及


■書評・紹介


■引用

p. ii
 1960年代から世界各地で始まった精神障害のある人々の社会復帰と地域生活に対する働きかけにより、・・・精神保健福祉の分野では、医療機関や福祉サービス事業所におけるケアマネジメントだけでなく、生活に焦点をあてながらおこなわれる、リハビリテーション、ストレングス、エンパワメント、リカバリーなどの実践理念が積極的に取り入れられていった。

p. iii
 自らの実践経験を通してごくあたりまえの生活について論じた谷中(1996)は、生活支援について、指導とか訓練を抜きにして支援することだと述べている。

p. 7
 戦後の精神保健福祉は、欧米からの精神医療や公衆衛生に対する考え方が幅広く導入され、医療面のみならず、福祉面でも著しい変化をもたらした。日本国憲法公布により、国が国家責任として公衆衛生の普及と健康増進に努めるようになると、精神医療の分野でも適切な治療や保護が求められるようになり、1950年には精神病者監護法及び精神病院法が廃止され、精神衛生法が制定された。精神衛生法では主に以下の項目で改革がなされ、@・・・、A・・・、J・・・、がおこなわれた。

p. 17
 アメリカで巨大精神科病院における脱施設化の動きがみられるようになった1960年代、イタリアでも精神医療のあり方を問い直す活動が始まっていた。1961年に大学の精神科クリニックからゴリツィア精神科病院の院長となったバザーリアは、・・・イギリスの治療共同体モデルを導入しながら、患者との対話を重視し、治療の場を人道的なものにすべく改革をおこなっていた。精神科病院における構造そのものが治療のさまたげになっていることを認識し、精神科病院の廃絶こそが治療につながると訴えた。バザーリアの精神医療改革は、イタリア全土に及び、1999年にはイタリア最後の精神科病院が閉鎖され、現在も精神科病院は存在せず、必要とされる精神科医療は地域の精神保健センターで提供され、急性期の緊急治療は総合病院で行われている(Mezzina 2010)。

p. 24
 【病気ではなく、個人のニーズに対応した実践】精神保健センターの利用は、本人や関係者によって行われ、24時間以内に実施される最初のインテークによって、支援を行うための専門家によるチームが構成される。ここでは、精神科医による紹介もなければ、専門員による判定もおこなわれない。精神保健センターのスタッフは、「どんな病名であるかは関係ない。すべては支援を必要としている本人のニーズから出発している」と話す。すべては当事者主体なのである。〔中略〕

p. 25
 【ソーシャル・インクルージョンを意識した実践】トリエステの改革では、精神障害のある人々が社会の一員として取りエストの街の中で生活し、個人が望む生活を実現するための社会の構築を目指してきた(Mezzina 2000)。スタッフによると、「現在のサンジョバンニは、病院としての機能は失ったけれど、建物を再利用して学校を運営したり、レストランやカフェを営業したり、WHO(World Health OrganiZation)のオフィスとして活用されている。また、精神障害のある人々を含めた社会的弱者が、組織で勤務する職員の30%を占める社会協同組合として、様々なビジネスを展開している場所でもある」。

p. 25
 【ソーシャル・インクルージョンを意識した実践】トリエステ全体に広がっている社会協同組合では、ホテル・レストラン、バー、ラジオステーション、建設業、映像制作、農業、酪農、園芸、警備、修理などの仕事がある(Warriner 2011)。「トリエステには300名以上の精神障害のある人々が就労しており、障害のある人が一般社会のなかで仕事をすることにより、障害のある人の権利と生活を保障するだけでなく、共に働く人々にとっても精神障害を知ってもらうよい機会となっている」と理解されている。

p. 25
 【日本型地域生活支援モデル構築の課題】日本の精神保健福祉に最も大きな影響を与えたのが、戦後おこなわれた精神病床の増設である。ライシャワー事件という歴史的な偶発事件により、精神病床の増設に拍車がかかり、世界が精神病床の削減に取り組んでいる時代に日本は創設を推進していったのである。この拍車をおさえる国の方針が適応されたのが1993年(精神保健法改正)であり、この時期を転機に精神科病院の増設の歴史から減少の歴史に転じている。

p. 35
 【マディソンモデルからみるリカバリー】近年、精神障害のある人々に対するソーシャルワークの新たな視点として、リカバリー概念が用いられるようになっている。(p.34) リカバリーを促進するモデルの一つとして知られているマディソンモデルは、アメリカ、ウィスコンシン州にあるマディソン市でおこなわれている地域精神保健システムであり、ACT発祥の地としても知られている。マディソン市におけるACTは、アメリカの脱施設化運動のなかで、退院後に入退院を繰り返したり、刑務所に入ったりする重度の精神障害のある人々を対象として1972年にProgram of Assertive Community Treatoment(PACT)として実験的に開始され、病院に勤務していたスタッフが、多職種チームとして地域で活動を始めたことから展開されていった(Stein & Santos 1998) 現在のマディソン市では、アメリカ保健福祉省(Substance Abuse and Mental Health Servaice Adoministration : SAMHSA)からエビデンスプログラムとして認証を受けているPACTチームの他に、4つのACTチームが約500名の地域で生活する精神障害のある人々を支援しているが、ACTチームはマディソンモデルを支える一つの要素にすぎず、PACTチーム・ACTチームを含む18機関、61プログラムが地域のなかで連携をとりながら多くの人々を地域で支えるしくみを可能にしている(Lecount 2013=2013)。

p. 36
 【マディソンモデルとクラブハウス】マディソンモデルのなかで地域生活支援のエビデンスベースプログラムとしてアメリカ保健福祉省(Substance Abuse and Mental Health Servaice Adoministration : SAMHSA)から認証を受けているのはPACT・ACTだけではない。クラブハウスモデルもまた、エビデンスベースプログラムとして、その効果や実績が社会的に認知されている。ヤハラハウスと名づけられたマディソン市のクラブハウスは、1976年にアフターケアプログラムとして開始され、1986年にウィスコン州初のクラブハウスとしてその活動を開始、現在では、約150名の利用者(以下、メンバー)が所属している。クラブハウスは日中活動を中心としたプログラムに加え、生活支援・就労支援・居住支援を包括的に提供し、その理念はメンバーとスタッフの横並びの関係性から成り立っている。ここでおこなわれている活動の内容は、調理を担当しメンバーやスタッフに食事を提供するキッチンユニットや電話対応、訪問者対応、そして事務を担当するオフィスユニットなど、運営に欠かせない業務をおこなうメンバーとスタッフの協働活動に加え、過渡的雇用と呼ばれる就労支援である。過渡的雇用は、クラブハウスから始まった就労支援の形態であり、一つの就労先をクラブハウスが責任を持って担当する。すなわち、その就労先に普段おこなっているメンバーが仕事に行けなくなっても、他のメンバーかスタッフが代行することで、その仕事を企業に対して保証するという雇用形態である。

p. 37
 【マディソンモデルとクラブハウス】ルコント(Lecount 2013=2013)の報告によると、メンバーのうち38%が地域の企業に雇用されており、これらのメンバーは平均で週14時間を勤務し、時給12ドルを収入として得ている。これはアメリカ本土の精神障害者雇用率5〜8%の5〜8倍であり、ヤハラハウスが「働くこと」を重視しながら支援を展開していることがわかる。ここでは、当事者のリカバリーを促進するモデルの一例として、マディソンモデルの中核とされているリカバリーがどのように実践として取り組まれているかを明らかにしていく(認定ピアスペシャリスト2名のナラティブ分析)。

p. 37
 【マディソン市における地域生活支援システム】マディソンモデルの特徴的なプログラムとして知られるSOARは、ACTモデルでは対応しきれないニーズに対応する支援をおこなうプログラムであり、当事者スタッフが主体となって外出支援や服薬支援、余暇活動の支援などのアウトリーチを提供している。SOARのケアマネージャーの6割は当事者で、一人当たり10〜20名のケースを担当している(障害者制度改革推進会議 2010)。また、危機介入プログラムでは、24時間体制で非常時における入院のゲートキーパーをおこなっており、相談の時点で入院を回避できると判断されるケースでは、危機状態の安定化を図るために当事者スタッフを含むアウトリーチワーカーチームが訪問による服薬管理をおこなっている。

p. 40
 マディソンモデルを理解するうえで重要となるのが、認定スペシャリストといわれる当事者の役割である。ウィスコンシン州ピアスペシャリスト認定試験の規定によると、認定スペシャリストになるためには、以下の3つのいずれかのトレーニングを受講し、試験に合格しなければならない。@Recoverry Opportunity Center(ROC)、ADepression and Bipolar Support Alliance(DBSA)、BNational Association of Peer Specialists(NAPS) (Wisconsin Peer Specialists 2014)。認定ピアスペシャリストは、マディソンモデルのサービス提供者として雇用契約を結び、地域で活躍している(Lecount 2013=2013)。彼らは、自身の経験の共有をしたり、ロールモデルとなったりしながら、リカバリーを促進する役割を担っている。

p. 47
 入院医療中心で発展してきたわが国の精神保健福祉のなかで、精神障害者の社会復帰という概念が使われるようになったのは1960年代に入ってからのことである。松永(1967)によると、1960年代における社会復帰関連の試みは院内作業・院外作業に留まっている。1967年に記録されているデイケアセンターの活動は、国立衛生研究所と浅香山病院の2か所だけであり、どちらも病院に付随した施設という位置づけが強い。

pp. 47-48
 こうしたなか、1970年代に医療とは異なる視点から地域生活支援の扉を開いた最初の実践として知られているのが埼玉県さいたま市「やどかりの里」である。(p.47)。精神科病院でもなく、収容施設でもない精神障害のある人々のアフターケアを提供する共同生活の場。支援する側も患者という視点ではなく、生活者という視点においてかかわりを持ち、そして当事者同士も相互関係による福祉的支援関係を展開することができたのである(谷中 1974; 1979)。

pp. 49-50
 北海道浦河市にある「浦河べてるの家」の歴史は、北海道の過疎地に赴任した向谷地生良が1978年に活動支援として設立した「どんぐりの会」という回復者クラブに始まる(p.49)。現在、年商1億円を超えるというべてるの家の活動は、1983年に病院を退院した回復者数名による昆布の袋詰めの下請け作業から始まった(p.50)。

pp. 49-51
 東京都板橋区にあるJHC板橋会もまた、わが国の精神障害のある人々の生活支援を代表する組織として多くの実績を形にしている事業体である。生きることの課題を共有し、・・・を意味するjoin、・・・を意味するHouse、・・・を意味するCosmosを併せてJHCと称している。この非営利組織は、1983年に精神病院に勤務する11名のソーシャルワーカーによって始められ、・・・当事者や家族、住民、行政関係者が一緒になって誰もが地域の一員として支えあって暮らせる、あたたかいまちづくりを目指している(寺谷 2001)。JHC板橋会の中で特徴的なのがクラブハウスJHCサンマリーナの活動である。JHCサンマリーナは、1992年に日本で初めて世界クラブハウス連盟に登録されたクラブハウスである。

p. 53
 これらの実践の特徴は、単一の事業体が複数の事業を運営しており、必要に応じて異なるサービスを提供できる点にある。それは一つの事業所によっておこなわれるのではなく、地域に点在する複数の事業所が連携をはかり、実施している。同一法人内で事業展開することによる囲い込みの問題は否めないが〔中略〕利用者にとって身近でアクセスしやすい範囲にサービスを点在させることで、地域密着型のサービスを提供しているといえる。

pp. 101-102
 リハビリテーションモデル、リカバリーモデルとして広がり続けるクラブハウスモデル。ファウンテンハウスは、1940年代からセルフヘルプ・グループとして活動を開始し、その後ソーシャルワーカーがリハビリテーションモデルとして活動を確立させたことにより、地域生活支援の原型としてアメリカ全土そして全世界に認知されるようになっていった(Macias et al. 1999)(p.101)。1977年に国立精神衛生研究所から10年間にわたる補助金事業を委託され、10年間に間に220か所のクラブハウスを全米に設立させた(International Center for Clubhouse Development 2009b)(p.102)

pp. 104-105
 クラブハウスモデルの活動は、1943年ニューヨーク州郊外に位置するロックランド州立病院に勤務するシャーマーホーンとジョンソン医師の薦めによって始められたセルフヘルプ・グループから始まったといわれている(Anderson 1998)。〔中略〕メンバーの一人でマンハッタンに戻ったオボレンスキーは、1944年の冬に退院したグループメンバーを集めて”We Are Not Alone"(ひとりぼっちじゃない:以下、WANA)を結成した(Anderson 1998)。WANAは毎週金曜の夜にミーティングをおこない、病院に入院している仲間の退院支援をおこなうようになった。そこで作成されるようになったのがWANA Society Bulletinという新聞である。そこには住宅情報過多仕事情報まで、退院後の生活に必要な様々な情報が載せられ、退院を迎える人々はWANAのミーティングにも招待された。セルフヘルプ・グループとして自由な枠組みで運営されていたWANAであったが、シャーマーホーンの協力により、WANAの組織化が始まり、そのリーダーとしてナボレンスキーが代表として選挙で選任された。1945年には、複数の州立病院の理事、ニューヨーク州精神保健福祉委員長・WANAの役員・シャーマーホーン・ジョンソン医師・そしてWANAの実行委員により諮問委員会が設立された(Anderson 1998)その後、WANAは確実に実績を積んでいき、設立から2年で100名のメンバーが参加するようになった。

pp. 105-106
 1948年シャーマーホーンと友人のカレンは、自らの寄付金とハートリー・ハウスという近隣のセツルメントハウスの協力を得て、マンハッタンの中心部にある412West47thStreetの一軒家を買い取った。その家にあった庭と噴水からファウンテンハウスという名前を命名し、同年にはファウンテンハウス基金がつくられ、シャーマーホーンが代表に就任した(Anderson 1998)。ファウンテンハウスのメンバーの多くは仕事を持っていたため、活動の中心は夜間と週末におこなわれ、地域で特別な才能を持っている協力的な人々をボランティア講師として招き入れた。

pp. 105-106
 その当時、医療モデルが主流となり、個人の生活よりむしろ病気の治療が中心となっていたアメリカの精神保健福祉制度の中で、メンバー同士が力を合わせ、相互支援と自助活動を中心として活動するファウンテンハウスは、精神保健福祉の関係者から注目をあびるようになり、ロックランド州立病院で作業療法をおこなっていたグループもファウンテンハウスの一角で作業をおこなうようになっていった。こうしてファウンテンハウスは病院と一般社会をつなぐ架け橋として考えられるようになり、1949年には全国精神衛生法の補助金1万6000ドルを受け、3名のスタッフを雇うようになった。この頃のファウンテンハウスにおける課題は、治療的視野を持つ専門家としてのスタッフと、仲間同士で退院支援と生活支援を繰り広げるメンバーのバランスであった。シャーマーホーンは、ファウンテンハウスの機能をスタッフによる専門的な視点がコントロールするのではなく、メンバー同士の力で相互支援をおこなう治療的社交クラブとしての位置づけを保つことに重視した。その結果、メンバーはメンバーの代表を選挙によって決定し、クラブハウス運営の決定責任は基本的にメンバーが持っているという当初の形式が継続された(Anderson 1998)。

pp. 107-108
 ファウンテンハウスは1955年の夏、ミシガン州の総合病院で精神障害のある人々のリハビリテーションに携わっていたソーシャルワーカーのビアードを迎え入れることになった。ビアードは、ファウンテンハウスでおこなわれていなかったデイプログラムの開発に力を注ぎ、昼間の居場所がなかったメンバーを対象とした日中プログラムを提供するようになった。〔中略〕ビアードはすべての活動をメンバーとスタッフが共同でおこなうという当初からの理念を受け継いだだけでなくメンバーとスタッフの平等性、パートナーという関係性を強調しながら理念を打ち立てていった。このデイプログラムの効果により(p.107)、数年間打ち切られていた州政府からの補助金も運営資金に含まれるようになり、ファウンテンハウスは、社会的に抑圧されていた精神疾患のある人々の居場所となり、そして自分たちの力を取り戻すリハビリテーションの場としての存在を確立していった(Macias et al. 1999)。ファウンテンハウスは、クラブハウスモデルをアメリカ全土に普及させるためのプロジェクトとして、1977年にアメリカ国立精神衛生研究所からの10年間の補助金を受け、クラブハウス運営のための研修プログラムを開設した(Jackson 2001)(p.108)。

pp. 111-113
 クラブハウス国際基準には、Oクラブハウスで行われる仕事は、クラブハウスの運営とクラブハウスの強化を目標とするものである。クラブハウス外の個人や機関から請け負う仕事は、有給・無給にかかわらず、クラブハウスで行う仕事としては受け入れない。クラブハウスのどのような仕事をしても、メンバーに報酬が支払われることはない。また、報酬支払い制度を設けない。Pクラブハウスは、少なくとも週に5日は開所する。仕事で構成される日課は一般的な勤務時間帯と同じ時間に行われる。Rクラブハウスの仕事はすべてメンバーたちの自尊心、人生の目標、自信を取り戻すことを目的として設計されている。その仕事は就職するための特定の訓練を意図していない。Sメンバーはクラブハウスの中のすべての仕事に参加する機会を与えられる。それら仕事は運営、調査、新メンバーの受入・オリエンテーション、訪問支援、スタッフの採用・研修・評価、広報活動、権利擁護、クラブハウスの有効性を評価することを含む。?クラブハウスはメンバーが過渡的就労、援助付き就労、一般就労を通じて、一般社会において賃金を得るように支援する。したがって、クラブハウスはクラブハウス内の仕事、他のクラブハウスの仕事、また保護的作業所などの仕事を提供しない。クラブハウスは独自の過渡的就労プログラムがある。過渡的就労プログラムとは、メンバーであることの権利として、働くための仕事の機会を提供することである。クラブハウスの過渡的就労プログラムのはっきりとした特徴として、メンバーが欠勤 している間は他のメンバー、スタッフがそのすべての仕事をやりとげることをクラブハウスが保証することである。さらに、過渡的就労プログラムは次の基本的な基準 を満たすものでなければならない。?クラブハウスの地域生活支援サービスはメンバーとスタッフが行う。地域生活支援はクラブハウスの仕事ユニットの中心となる活動である。その中には福祉の受給権取得、住居の確保、権利擁護支援、健康な生活様式の展開、また地域内の良質な医療、心理療法、薬物療法、薬物乱用治療サービスなどの利用についての支援も含まれる。?クラブハウスはすべてのメンバーのために自立生活の機会を含め、安全で、適切で、手頃な住宅の選択肢を確保するように取り組む。クラブハウスはこれらの基準に沿った住居機会が得られるような手段を持つ。もし、そのような手段がない場合はクラブハウス独自の住居プログラムを開発する。クラブハウスが提供する住居プログラムは以下の基準を満たすものとする。a. メンバーとスタッフが一緒になってそのプログラムを運営する。?クラブハウスは夜間と週末にレクレーションと社交プログラムを行う。祝祭日はその当日にクラブハウスでも祝う。?クラブハウスは独立した理事会を設ける。理事会が資金を提供する機関と深く結びついている場合は、それとは別の運営委員会を設ける。理事会・諮問委員会(運営委員会)を構成する人はクラブハウスへの財政支援、法律上の問題への支援、法律制定への支援、就労・雇用の開発、当事者・地域生活支援・権利擁護支援をそれぞれ提供する地位にあるものとする。?クラブハウスは独自の予算を組み、運営する。会計年度に先立ち、理事会あるいは諮問委員会(運営委員会)により承認を受け、会計年度中に定期的に監査を受ける。?スタッフの給与は、精神保健分野における同等の職務に準じたものとする。?クラブハウスはメンバーとスタッフが積極的に参加、決定する過程と、開かれた討論の場を有する。決定は全員一致を原則として、その範囲は運営組織、基本方針、将来計画の方向性、クラブハウスの発展計画などを含む。 ※クラブハウス国際基準全文訳は、ホームページ(クラブハウスの国際基準(2018年改訂版)https://clubhouse-intl.org/wp-content/uploads/2020/03/standards-2018_Japanese_03-06-20.pdf)を参照。ファウンテンハウスの活動プログラムについては、p.114の表4-1を参照。

p. 115
 ファウンテンハウスのプログラムが一人一人の地域生活を支え、包括的に支援を展開することで、リハビリテーションを超えてリカバリーを促している。

p. 132
 日本でクラブハウス連合に加入している先は5つ。月〜金のデイプログラムが主軸となっている。夜間・週末プログラムがなかったり、不定期であったり、JHC板橋会のサン・マリーナにいたっては、年に数回しかない。

p. 134
 スタッフがメンバーを指導・訓練する役割を担うのではなく、お互いが協力関係のなかで仕事をおこなうという意味を持っている。メバーとスタッフは人として平等であり、お互いに尊重すべきであると同時に、スタッフはスタッフとしての立場があるという意味にもなる。アメリカのクラブハウスに勤務するスタッフの多くは大学院の社会福祉学、心理学、教育学、看護学等を修了しており、専門職としての高い知識と技術を学んだ人材で構成されている。彼らは、自らの専門家としての見識に基づいて当事者と関係を築いており、・・・プロフェッショナルとしての尊厳と誇りを持って業務に取り組んでいる。

p. 134
 アメリカのクラブハウスは、居住支援に力を入れており(p.136)、過渡的雇用をはじめとする就労支援プログラムがクラブハウスモデルの中核を担っている。精神障害のある人々が地域で生活するために必要な支援を一つまた一つと増やしていったなかで、唯一付け加えられていない支援が医療である。精神疾患という疾病によって判断されることなく、そして烙印を押されることのない安心できる環境を提供すること、それがクラブハウスを作り上げてきた当事者の願いである。


*作成:伊東香純
UP:20210125
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