『正義の根源』
Cornell, Drucilla 20000926 Just Cause: Freedom, Identity, and Rights, Rowman & Littlefield Pub, 224p.
=仲正 昌樹 監訳 20020720 御茶ノ水書房,328p.
■Cornell, Drucilla 20000926 Just Cause: Freedom, Identity, and Rights, Rowman & Littlefield Pub, 224p. =20020720 仲正 昌樹 監訳,『正義の根源』,御茶ノ水書房,328p. ISBN-10: 4275019318 ISBN-13: 9784275019318 \3200 [amazon]/[kinokuniya] ※ p
■内容
「理性的主体」の普遍性を基礎に構築されるリベラリズムと、近代にとっての「他者」の表象不可能性を前面に出す差異のポリティックスの双方が、「限界」に達しつつある。様々なアイデンティティの狭間で漂流する「私」の足場はどこにあるのか? 脱構築的フェミニズム法学の旗手ドゥルシラ・コーネルが、「精神分析」を導きの糸にしながら、カント、ヘーゲルの「人格」論の根源にまで遡り、ポスト・リベラリズムの「正義」論への道を切り開く。
■目次
導入
第1部 法と政治における表象と理想
第1章 ぼさぼさ野上の女たち
第2章 拡散する差異:フェルスキー「差異のドクサ」についての批評
第3章 反人種主義、多文化主義および同一化の倫理(サラ・マーフィーとの共同執筆論文より)
第4章 自由の良心
第5章 啓蒙主義を啓蒙する
第2部 何故権利なのか?
第6章 労働者の権利と正当事由を求める法律の擁護
第7章 ヘーゲルと解約任意の雇用契約(リチャード・ポズナー著)
第8章 スペイン語の権利:自己同一化、自由、そしてイマジナリーな領域
■引用
「私が論じてきたのは、第一に、一旦「性」を──あるいは私が「性に関わる存在 sexute being」と名づけたものを──政治哲学のカテゴリーとして付け加えてしまうと、私たちはもはや人格を「中性化された」ものとして正当に表象することはできない、ということである。」([33])
「人格は[…]まさに「そこに」あるものとして表象されはしない。そうではなくて、人格は計画=投影(project)の一部として考慮されねばならないのである。この計画=投影は、同等な基盤の上に立つ性に関わる存在としての私たちそれぞれが手にしうるものでなければならない。私の議論は、個体化のための最低条件を平等に保護することなしには、私たちは人格となる計画=投影に現実に参加することはできない、ということである。」([33])
「人格とは、決して一度も充たされることのありえない計画=投影であるがゆえに、一つの願望なのである。性に関わる存在としての人格は、ペルソナを通して作動している無限のプロセスの内に巻き込まれている。性化された存在として私たちは、この計画=投影に不可避的に直面している。こうした定義においては、人格は自己とも伝統的哲学的な主体とも同一ではないのである。」([34])
「性に関わる存在として、またその他諸々の同一化において、私たちはいかにして自分たちを表現しうるのか、ということについての[…]第一の限界は明白であって、あらゆる形式のあからさまな身体的暴力の禁止である。[…]第二のものは、私が「格下げ禁止」と呼ぶものである。[…]格下げ(degradation)ということで、私が言おうとしているのは、格が貶められている(graded down)ということ、つまり彼女ないし彼が自らの性に関わる存在を表象しうる人格以下のものとして扱われている、ということである。」([39])
第3章 反人種主義、多文化主義および同一化の倫理(サラ・マーフィーとの共同執筆論文より)
「私たちが言う多文化主義とは、確立され、文字どおりに解釈されたアイデンティティの認知としてのみではなく、すべての人々の平等な尊厳の承認にとって根本的なものとして理解されねばならないのである。」([60])
「承認をめぐる昨今の言説は、誰から? という問題を回避しているように思われる。」([62])
「マイノリティ文化は、支配者たちが見せかけの寛容の下で彼らの既成の安定化した差異とみなすものへの同意の記しを見せようとはしない。そしてまた、マイノリティ文化は”支配的文化の中で正統で識別可能な場を有するものとして受け入れられるべき”であるという意味での承認を必ずしも要求しているわけではない。マイノリティ文化のの要求は、解読不可能な状態に留まるということであるかもしれない。国家に対する権利要求としてのマイノリティの要求は、自由という標題や平等な尊厳の承認という形でもっともうまく解釈できる、と私たちは考えている。」([63])
■書評・紹介
■言及
*作成:本岡 大和