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『ミシェル・フーコー思考集成V 1968-1970 歴史学/系譜学/考古学』

Foucault, Michel 1994 Dits et Ecrits 1954-1988, Edition etablie sous la direction de Daniel Defert et Francois Ewald, Ed. Gallimard, Bibliotheque des sciences humaines, 4 volumes
=19990710 蓮實重彦・渡辺守章 監修/小林康夫・石田英敬・松浦寿輝 編『ミシェル・フーコー思考集成III 1968-1970 歴史学/系譜学/考古学』,筑摩書房,484p.


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Foucault, Michel 1994 Dits et Ecrits 1954-1988, Edition etablie sous la direction de Daniel Defert et Francois Ewald, Ed. Gallimard, Bibliotheque des sciences humaines, 4 volumes =19990710 蓮實重彦・渡辺守章 監修/小林康夫・石田英敬・松浦寿輝 編『ミシェル・フーコー思考集成III 1968-1970 歴史学/系譜学/考古学』,筑摩書房,484p. ISBN-10:4480790233 ISBN-13:978-4480790231 \6090 [amazon][kinokuniya] ※

■目次

1968
52 宗教的逸脱と医学 松村剛訳
53 これはパイプではない 岩佐鉄男訳
54 ミシェル・フーコーとのインタヴュー 原和之訳
55 フーコー、サルトルに答える 原和之訳
56 フーコーの見解 原和之訳
57 ジャック・プルースト宛書簡 原和之訳
58 「エスプリ」誌 質問への回答 石田英敬訳
59 科学の考古学について?〈認識論サークル〉への回答 石田英敬訳
1969
60 『ポール・ロワイヤルの文法』序文 井村順一訳
61 フーコー教授、あなたは何者ですか
62 17世紀の医師、裁判官、魔法使い 松村剛訳
63 マクシム・ドフェール 西宮かおり訳
64 アリアドネーは縊死した 小林康夫訳
65 追記 西宮かおり訳
66 ミシェル・フーコー、近著を語る 慎改康之訳
67 ジャン・イポリット 1907?1968 廣瀬浩司訳
68 ある世界の誕生 廣瀬浩司訳
69 作者とは何か 清水徹・根本美作子訳
70 言語学と社会科学 坂本圭子訳
71 研究内容と計画 慎改康之訳
1970
72 ミシェル・フーコー『言葉と物』英語版への序文 李孝徳訳
73 第七天使をめぐる七言 豊崎光一・清水正訳
74 バタイユ全集の巻頭に 西谷修訳
75 幻想の図書館
76 F・ダゴニェの論考「生物学史におけるキュヴィエの位置づけ」に関する討論 金森修訳
77 生物学史におけるキュヴィエの位置 金森修訳
78 ヴァンセンヌの罠 安原伸一郎訳
79 騒ぎはあるでしょう、が…… 西谷修訳
80 劇場としての哲学 蓮実重彦訳
81 成長と増殖 田村毅訳
82 文学・狂気・社会 M・フーコー+清水徹+渡辺守章
83 狂気と社会 神谷美恵子訳
日本語版編者解説(松浦寿輝)

■内容

1968
52 宗教的逸脱と医学 松村剛訳
 ジャック・ルゴフ編『ヨーロッパ前近代における異端と社会(十一?十八世紀)』、パリ、ムートン社、社会科学高等研究院、一九六八年、19?29ページ(ロワイヨーモン会議、一九二六年五月二十七日-三十日)

フーコーの論文のあとに、短い討論が付いている。

「十八世紀から十九世紀にまたがるビシャの文章がもつ絶対的な新しさを認めねばならないのです。どれほど奇妙に見えようとも、西洋世界には数千年の間、正常と病的とが根本的なカテゴリーをなさない病気認識に基づく医学があったのです。
 十五世紀から十六世紀にかけての宗教的逸脱の数種の形態と医学認識との論争は、その例になり得ます。悪魔の介入による人間の身体的な力の変質の信仰にここでは限って論じてみたいと思います」(本文より)

53 これはパイプではない 岩佐鉄男訳
 「カイエ・デュ・シュマン」誌、二号、一九六八年一月十五日、79?105ページ(一九六七年八月十五日に したR・マグリットへのオマージュ)。

このテクストの増補版にマグリットの手紙二通とデッサン四点を付した単行本が、一九七三年にモンペリエのファタ・モルガナ社から出版されている。

「これはパイプであるは、まさしくこれはパイプではないになった。要するに、絵画は断言することをやめたのである。」(本文より)

54 ミシェル・フーコーとのインタヴュー 原和之訳
 (I・リンドゥングによるインタヴュー、C.G・ビュルストルム訳)、「ボニェ文学雑誌」ストックホルム、三七年度三号、一九六八年三月、203?211ページ。

「換言するなら、政治的行動がさまざまな構造に手を加え、変化させると同時に、構造はその行動のなかで明らかになる、ということです。ですから私は構造主義を、部屋から出ることのない知識人の、ただ理論的なだけの活動であると考えてはいません。構造主義は、何か実践的なものに連接することが十分できますし、またそうでなくてはならないのです。」(本文より)

55 フーコー、サルトルに答える 原和之訳
 (J=P・エルカバックによるインタヴュー)、「カンゼーヌ・リテレール」誌、四六号、一九六八年三月一-十五日、20?22ページ。

フーコーは『言葉と物』によって「人間に死を宣告した構造主義者」という虚名が高まったことに危機感を募らせ、インタヴューに精力的に応じた。そのうちの1つ。「フーコーの見解」No.56参照。

56 フーコーの見解 原和之訳
 「カンゼーヌ・リテレール」誌、四七号、一九六八年五月十五-三十一日、21ページ(公にされたJ=P・エルカバックによるインタヴューについては、上記No.55を参照)。

No.55のインタヴューに対するフーコーの見解。
「私は、そちらに提示されたテクストに対して署名することも、承諾を与えることも、本当にできないのです。
忠実に貴方のものである
ミシェル・フーコー」(本文より)

57 ジャック・プルースト宛書簡 原和之訳
 「思考」誌、一三九号、一九六八年五?六月、114?117ページ。

『言葉と物』についてなされた対談に対するフーコーのコメント。「ステファニー氏の炯眼が見逃したこと」「ステファニー氏が読んだと思い込んだこと」「ステファニー氏が意図せずして歪曲したこと」からなる。

58 「エスプリ」誌 質問への回答 石田英敬訳
 第三七一号、一九六八年五月、850?874ページ。

「エスプリ」誌の読者から寄せられたいくつかの質問のうちの1つにフーコーが答えたもの。その質問は、
「システムの制約と、非連続性とを、精神の歴史に持ち込むような思想は、進歩的な政治思想から、あらゆる根拠を奪ってしまうものではないか。そのような思想は、システムを受け入れて従うのか、それとも、突発的な事件や、唯一システムを揺さぶることができる外的な暴力の介入に訴えるのか、というジレンマに陥ることになるのではないか」
というもので、それに対しフーコーは

1) 第一に、その最後の質問は、最初にそれを目にしたとき、私を驚かせたものだったからであり、しかも、それが私の仕事の核心そのものに関わるものであると、すぐに確信させたものだったからです。
2) さらに、それはまた、私が他の人々に対してしたいと思ったであろう回答のうちの少なくともいくつかを位置づけることを許すものでもありました。
3) そしてまた、その質問は、いかなる理論的作業も今日それを避けることができないような問いかけを提起していたからです。
という3つの理由を挙げ、丁寧かつ体系的に答えている。

59 科学の考古学について?〈認識論サークル〉への回答 石田英敬訳
 「カイエ・プール・アナリズ」誌 第九号、「諸学の系譜学」特集、一九六八年夏号、9?40ページ

「『言葉と物』では「構造」という言葉は一度も使っていないというのは、この講演(「作者とは誰か」引用者注)でもまた別の場所でもフーコーが繰り返し念を押すところである。『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『言葉と物』をめぐる方法論的反省は、「構造」に代わるフーコー的「考古学」のキー・コンセプトとして「言表」「言説」「言説形成体」「実定態」といった諸概念の精緻化へと彼を導き、それはやがて『知の考古学』という単著に結実することになるのだが、本書収載の「科学の考古学について」という力作(No.59)での議論は、すでにその主要部分を先取りして精密に展開している。」(「編者解説」より)

「それがいかに平凡で、その結果がいかにささいなものであると思われようと、出現のあとではいかにすぐに忘却されてしまうものであったとしても、それがいかに理解されておらず解読されそこなっているものだとしても、現れるやいなやいかにはやく闇にのみ込まれてしまうものであるとされたとしても、言表はつねに、言語も意味も完全にはそれを汲み尽くすことのできない出来事なのである。」(本文より)

1969
60 『ポール・ロワイヤルの文法』序文 井村順一訳
 A・アルノー、C・ランスロ『一般・理論文法』パリ、ポーレ復刻出版、一九六九年、3?27ページ。

「一般文法と言語学」「教育法の転換」「一般性と条理(レゾン)」「論理学との関連」「記号の理論」「語の特殊性の規定」「彩り(フィギュール)」「ポール・ロワイヤル以後」という章立てになっている。

「ポール・ロワイヤルの『文法』、より一般に言えば古典期(十七世紀中葉から19世紀初頭まで)を通じて君臨したすべての理論文法(グラメール・レゾネ)は、その多くの特徴によって近代言語学と近親関係を結んでいる。」(本文より)

61 フーコー教授、あなたは何者ですか
 (P・カルーゾとの対談。仏訳C・ラッツェリ)、P・カルーゾ『クロード・レヴィ=ストロース、ミシェル・フーコー、ジャック・ラカンとの対話』-ミラノ、ムルシア社、一九六九年刊-91?131ページ〔本集成第U巻所収、No.50参照〕。

62 17世紀の医師、裁判官、魔法使い 松村剛訳
 「フランス医学」誌、二〇〇号、一九六九年第一三半期、121?128ページ。

「そのような描写の例をひとつ示そう。他の場で、一六世紀から一九世紀にかけてヨーロッパ社会が狂気の境界をいかにずらし、書き直したかを分析し、「反理性」(それはとりわけ、社会的、人種的、宗教的な分割を産み出していた)の領域全体がこうして医学の対象になったことを検討する機会があった。ここでは、魔術と憑依の個別ケースを検討してみたい。」(本文より)

63 マクシム・ドフェール 西宮かおり訳
 「レットル・フランセーズ」一二五六号、一九六九年一月八-十四日号、28ページ(ダニエル・タンフロン画廊でのマクシム・ドフェール展について)。

「似通った五枚の絵がある。それらは一連のセリーを構成するのではなく、むしろただ一枚のタブローに描かれた直立するフィギュールのように、それらがみずからを配置しようとするまさにその空間を構成する。」(本文より)

64 アリアドネーは縊死した 小林康夫訳
 「ヌーベル・オプセルヴァトゥール」誌、第二二九号、一九六九年三月三十一日-四月六日号、36?37ページ(G・ドゥルーズ『差異と反復』、パリ、P.U.F.一九六九年について)。

「ドゥルーズのこの本、それは、われわれがそれであるこの差異、われわれがなすこの差異、その間をわれわれが彷徨するこの差異が、つねに新たに演じられるすばらしい劇場である。久しい以前から書かれたすべての本のなかで、もっとも特異で、もっとも異なっており、そしてわれわれを横断し、われわれを分散させつつある差異をもっともよく反復している本である。〈今〉の劇場なのだ。」(本文より)

65 追記 西宮かおり訳
 「ヌーベル・オプセルヴァトゥール」二二九号、一九六九年三月三十一日-四月六日号、39ページ。
 ロンドンのフランス協会から招待されヒューマニズムとアンチ・ヒューマニズムについての講演を行う予定だったフーコーに、フランス外務省は、イギリスの大学関係機関で彼が話をすることは望ましくないとの意向を伝えた。本誌は、二二七号(一九六九年三月十七日-二十三日号)でその一件を報じ、この禁止の背景には、フーコーが大学の指導基準法に賛成していないという事情が絡んでいると述べた。だが、文化交流課が出したこの禁止の理由は、実ははるかに広範に及ぶもので、イギリスの反精神医学運動による『狂気の歴史』の受容や、フーコーの最近の政治的な態度表明までもが、問題とされていたのである。

66 ミシェル・フーコー、近著を語る 慎改康之訳
 (J=J・プロシエとの対談)、「マガジン・リテレール」誌、二八号、一九六九年四?五月号、23?25ページ。

「知の考古学(アルケオロジー)」出版後のインタヴュー。

「私は最初このアルケオロジーという語を、少々盲目的なやり方で使いました。この語によって私は、歴史学(例えば、諸々の発明や諸々の観念の歴史というような意味での歴史学)とも異なり、認識論すなわち科学の構造の内的な分析とも異なる、ひとつの分析形態を指し示そうとしました。歴史学とも認識論とも異なるこの分析形態を、私は「アルケオロジー」と呼んだわけです。」
「私が言いたかったのはこういうことです。つまり、『言葉と物』というタイトルは、全くのアイロニーなのです。」
(本文より)

67 ジャン・イポリット 1907?1968 廣瀬浩司訳
 「形而上学・道徳学誌」、第七四年第二号、一九六九年四?六月号、131?136ページ(一九六九年一月十九日、高等師範学校で行われた追悼演説の再録)。

ヘーゲルの「精神現象学」のフランス語翻訳者であり、高等師範学校の準備クラス(カーニュ)でフーコーに哲学を教えていたこともあるジャン・イポリットへの追悼演説。

「哲学ではないにもかかわらず、それがなければ哲学が存在できないようなものと、哲学はどのような関係を持つのか。この問いに答えるに際して、イポリット氏は従来の二つの態度を拒んでいた。」(本文より)

68 ある世界の誕生 廣瀬浩司訳
 (J=M・パルミエとの対話)、「ル・モンド」誌付録「書物の世界〔書評欄〕」七五五八号、一九六九年五月三日、[ページ。

「これまで西欧文明全体は主体化され(=従属し)てきた(assujetti)と言ってもよいでしょう。このことを哲学は、思考と真理を、意識や〈自己〉や〈主体〉に関係させることによって、確認することしかしてこなかった。今日われわれを揺すぶっているとどろきの中に、われわれはある世界の誕生を感じ取らなければならないでしょう〔『監獄の誕生』末尾参照〕。そこにおいては、もはや主体は一つでなく分割されており、主権者ではなく依存しており、絶対的な起源ではなく、つねに変容可能な機能となっているでしょう。」(本文より)

69 作者とは何か 清水徹・根本美作子訳
 「フランス哲学協会会報」第六三巻第三号、一九六九年七?九月号、73?104ページ(フランス哲学協会、一九六九年二月二十二日の会合。M・ド・ガンディヤック、L・ゴールドマン、J・ラカン、J・ドルメッソン、J・ユルモ、J・ヴァールの参加した討論が付されている)。

「いわゆる「構造主義」と自分の仕事との間に一線を画そうと努めつづけたフーコーではあるが、作者の実人生への参照によって作品を解釈するといった古めかしい文学史と文学研究の手法に対してロラン・バルトらが差し向けた徹底的な異議申し立てと、フーコー的な「考古学」とが必然的な絆で結ばれ合っていたことは否定できない。フランス哲学会で六九年二月に行われた講演「作者とは何か」(No.69)において、彼は「作者の死」というバルトの命題を取り上げ直し、その精密な哲学的基礎づけを試みている。」(「編者解説」より)

70 言語学と社会科学 坂本圭子訳
 「チュニジア社会科学報」誌、一九六九年十二月第六巻一九号、248?255ページ。なお、博物学者N・ブ・アルジュ、言語学者A・エル=アイエド、歴史学者E・ファンタル、言語学者S・ガルマディ、経済学者ナカシュ、人口学者M・セクラニ、言語学者H・スキク、社会学者F・スタンブリ、社会学者M・ザミッティ、社会学者A・ズガルらとの討論は272?287ページに掲載(一九六八年三月、チュニス大学経済社会学術研究センター(C.E.R.ES.)言語学科主催による講演および討論)。

「わたしがここで取り上げようとするテーマは、おおむねつぎのようになります。現代のようなかたちをとった言語学は、どのような諸問題を、一般に思想の中に、こういってよければ哲学の中に、そしてより正確には人文科学の中に、提起しうるのでしょうか?」という言葉から始まるフーコーの論文のあとに討論が続く。

71 研究内容と計画 慎改康之訳
 パリ、一九六九年、小冊子(コレージュ・ド・フランスへの立候補に際しての、M・フーコー自身による自己推薦文)。

「コレージュへの立候補に際してみずから執筆した短文「研究内容と計画」(No.71)は、「現在までの研究」と「研究計画」とから成り立っているが、過去の簡潔な総括と未来へのやはり簡潔な展望を合わせ収めたこのテクストが、そうした意味においても、六九年の時点でのフーコーの現在を、彼の知的キャリアそのものの分水嶺として提示しているとも見える」(「編者解説」より)

1970
72 ミシェル・フーコー『言葉と物』英語版への序文 李孝徳訳
 (ロンドン、ダヴィストック、一九七〇年、9?14ページ)のF・デュラン=ブゲールによる仏訳。

フーコー自らが「「使用法」と題されるべきもの」という「序文」。

「もし私の意図がもっと明確であり、私の企図がもっと具体化できていたならば、私の理想的な読者は以下のようにして私の書物に取り組んでいただろう、と。」(本文より)

73 第七天使をめぐる七言 豊崎光一・清水正訳
 J=P・ブリッセ『論理学文法』パリ、チュウ刊、一九七〇年、9?57ページ。

「J=P・ブリッセの奇矯な言語論の倒錯性を味読し尽くした小論」(「編者解説」より)

「『神の学』は、また『論理的文法』も大部分は、諸言語の起源に関する探求として呈示されている。これは何世紀ものあいだ伝統的な探求であったが、一九世紀以来少しずつ錯乱の側へと追いやられていったものである。この排除にとって一つの象徴的な日付があるとするなら、それは博学をもってなる諸学会が始原言語に捧げられた論文を拒絶した日、ということになろう。/だが、と或る日流刑に付されたこの長い王統系譜の中に、ブリッセは一つの特異な位置を占め、卒然と古来のしきたりに叛旗を翻す。かくも多くの温和な錯乱のただ中における、だしぬけのつむじ風。」(本文より)

74 バタイユ全集の巻頭に 西谷修訳
 ジョルジュ・バタイユ『全集』、ガリマール社、一九七〇年、第T巻、初期著作一九二二-一九四〇、5?6ページ。

「今はだれもが知るように、バタイユは今世紀でもっとも重要な作家のひとりである。(中略)われわれが生きているこの時代の多くの部分を、われわれはバタイユに負っているのだが、これからなすべきこと、考え、言うべきこともまた彼に負っており、この状態は長く続くだろう。彼の作品は偉大になるだろう。」(本文より)

75 幻想の図書館
 (『フローベール』R・ドゥブレ=ジュネット編、171?190ページ、一九七〇年、パリ、フィルマン=ディド/ディディエ刊、「批評の鏡」双書)。No20(本『集成』第U巻所収)参照。

76 F・ダゴニェの論考「生物学史におけるキュヴィエの位置づけ」に関する討論 金森修訳
 一九六九年五月三十?三十一日、キュヴィエ研究の日における討論。

冒頭に「ダゴニェの論考の趣旨」についての説明があり、その論考に基づく討論が続く。

「もちろんフーコーの身振りは自著の啓蒙的解説と擁護にとどまるものではなかった。例えばキュヴィエ生誕二百周年記念という文脈で行われた討論の記録(Nos.76,77)など、いわば『言葉と物』の補遺として読むことも可能な興味深いテクストである。なるほど『言葉と物』のかなり多くのページがすでにこの解剖学者の著作に捧げられていたのは事実だが、「生物学史におけるキュヴィエの位置」をめぐるこの討議でのフーコーは、自著の『言葉と物』の独創的な問題基制からはやや距離を取りながら、「キュヴィエ変換」の歴史的意義を明快かつ一般的な言葉で論じ、科学史の専門家との間で白熱した議論を繰り広げている。」(「編者解説」より)

77 生物学史におけるキュヴィエの位置 金森修訳
 「科学史とその応用に関する雑誌」二三巻第一号、一九七〇年一月-三月号、63?92ページ(キュヴィエ研究の日、科学史研究所、一九六九年五月三十?三十一日)。

No.76に続くキュヴィエについての文章で、「ミシェル・フーコーの発表」のあと討論。

「私たちは、古典期における種と個体からなる問題構制から、ダーウィンにおける種と個体からなる問題構制へと移行するにあたっての変換の模様をこのように描写できるでしょう。私には、片方からもう片方の問題構制への移行は、キュヴィエの仕事のなかに作動しているのが見て取れる生物学の認識論的領野の完全な整理によってしか起こり得なかったように思えます。そしてキュヴィエが犯したいくつかの間違いがどんなものだったにせよ、確かに「キュヴィエ変換」は存在したのです。」(本文より)

78 ヴァンセンヌの罠 安原伸一郎訳
 (P・ロリオとの対談)。「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌、二七四号、一九七〇年二月九-十五日、33?35ページ。
 一九七〇年一月、オリヴィエ・ギシャール教育相は、ヴァンセンヌ校の学長であるM・カボに対し、同校の哲学科の学生に教諭学士号を与えない意向を伝えた。教育相はラジオ・ルクセンブルクで、ヴァンセンヌでの哲学教育の内容があまりに特殊なもので「専門化され」すぎていると説明し、自分の計画を正当化した。ラジオの聴取者を説得するに当たって彼は、引き続いてマルクス主義と政治学に割り当てられた講義の題目を読み上げた。こうした声明は予想されるとおりの波紋を呼んだ。ミシェル・フーコーは当時、哲学科長だった。

79 騒ぎはあるでしょう、が…… 西谷修訳
 「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」第三〇四号、一九七〇年九月七-十三日号、四〇ページ(ピエール・ギヨタ『エデン、エデン、エデン』パリ、ガリマール社刊、一九七〇年、について)。
 九月にガリマール社から刊行された『エデン、エデン、エデン』の禁止措置に先手を打つ意図で公表された、ピエール・ギヨタ宛の私信。(…)

この禁止措置の背景など当時の状況についての詳しい説明のあとに本文が続く。No.82〔450?453ページ〕参照。

80 劇場としての哲学 蓮実重彦訳
 「クリティック」誌、二八二号、一九七〇年十一月、885?908ページ(G・ドゥルーズ『差異と反復』パリ、PUF、一九六九年刊及び『意味の論理学』パリ、ミニュイ、「クリティック」叢書、一九六九年)。

「『意味の論理学』と『差異と反復』をめぐって書かれたジル・ドゥルーズ論「劇場としての哲学」(No.80)の稠密な論述は、本書の圧巻の一つであろう。フーコーは出来事と幻影(ファンタスム)との思考の中で共鳴させようとした希有の試みとして『意味の論理学』を読み、また、ドゥンス・スコトゥスからニーチェまで、西洋哲学において純粋な差異を解放しようとした思考の系譜の綿密な検証の企てとして『差異と反復』を読んで、かくしてドゥルーズの大著二冊の暴力的なまでに大胆なレジュメを提出する。」(「編者解説」より)

「思うに、この著作は、他を圧する比類なきいま一つの兆候たるクロソフスキーのそれと謎めいた共鳴を響かせつつ、ながらく人びとの頭上に旋回するであろう。だがおそらくはいつの日か、時代はドゥルース的なものとなっていよう。」(本文より)

81 成長と増殖 田村毅訳
 「ル・モンド」紙、八〇三七号、一九七〇年十一月十五?六日号、13ページ(F・ジャコブ『生存の論理-遺伝の歴史』ガリマール、一九七〇年、パリ、について論じたもの)

「フランソワ・ジャコブが偉大なる真の歴史書を著わした。著者は遺伝の法則と仕組とがどのようにして徐々に発見されてきたのかを語るのではなく、遺伝学が西欧の旧来の知の中でいかなる点を崩壊させてきたのかを明らかにしているのである。」(本文より)

82 文学・狂気・社会 M・フーコー+清水徹+渡辺守章
 (清水徹及渡辺守章によるインタヴュー)、「文芸」十二号、一九七〇年十二月、266?285ページ。

「文学論に重点を置きながら行われた清水徹・渡辺守章両氏によるインタヴュー「文学・狂気・社会」(No.82)でのフーコーは、非=西欧的な文脈に位置する知的読者のまなざしを意識しつつ、きわめて率直に自分の関心のありようを語っている。もはや西欧批判によってしか西欧知識人たりえない状況を他者に向かって明晰に言語化しつつ、しかもまさしくその身振り自体を通じて西欧を代行=表象しなければならないという困難な任務を、きわめて誠実に、また真剣に遂行しているフーコーの姿を人はそこに見るだろう。」(「編者解説」より)

83 狂気と社会 神谷美恵子訳
 「みすず」一九七〇年十二月号、16?22ページ(一九七〇年九月二十九日、京都日仏学館における講演)。
〔以下は、本年九月二十九日に京都日仏学館で行われた「狂気と社会」という講演の通訳メモを骨子とし、十月七日に東京大学教養学部でおこなわれた同じ題の講演内容でこれを補ったものです。これを公表することをお許しくださったフーコー教授に厚くお礼申し上げます。 (神谷美恵子)〕

「今日、私は以上の学者たちとはさかさまのアプローチをとってお話ししたいと思います。第一に、原始社会では狂人の身分はどうであったかをしらべ、第二に、われわれの産業社会ではどうであるかを検討し、第三に、19世紀に起こった変化の原因を考え、結論として、狂人のおかれている地位は現代産業社会においても実質的には変わっていない、ということを述べたいと考えます。」(本文より)

■引用

■書評・紹介

■言及



*作成:橋口 昌治 
UP:20031114 REV:20100407
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