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『精神科慢性病棟――松沢病院1958-1962』

岡田 靖雄 197910 岩崎学術出版社,281p.

last update:20130412

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岡田 靖雄 197910 『精神科慢性病棟――松沢病院1958-1962』,岩崎学術出版社,281p. ASIN: B000J8DTBK [amazon][kinokuniya] ※:[広田氏蔵書] m.

■引用

 「いずれにおいても、施設・人員・設備などがきわめて不充分な施設のなかで、みすてられ・放置されている患者さんたちの状態を目のあたりにして、そのなかに被収容状況の影響がきわめておおきいことを感じとって、可能なかぎりの治療的手段(狭義の「治療」ではないものもふくめて)を動員してなんとかしよう、としているのです。そして松沢病院でおこなわれた「働きかけ」もそのようなものでした。「働きかけ」とは、そのような患者さんたちの状態をほっておけないものと認識して、「なんとかしよう!」という治療者側の治療的努力の心構えを示す掛け声である、といえましょう。たとえば、森山公夫さんは『現代精神医学解体の論理』で、吉岡真二さんの働きかけ論をとりあげて、それが同語反復的なあいまいなものであることを批判してします。それももっともで、くりかえしているように、「働きかけとは、総合的な治療的努力のうちで狭義の身体的治療法と狭義心理療法とをのぞいたものである」といちおういえますが、それよりこまかくは定蓑できない・きっちり輪郭をえがけないものです、同時に、生活療法の枠内にはとどまらない、無際限のものでもあります。
 […]さきのように働きかけをかんがえてみると、ある段階での働きかけが生活療法とはぼ一致する内容になっても、働きかけ自体が生活療法と一致しないことはあきらかです。 小林八郎さんの『病院精神医学研究』をよみますと、小林さんが国立武蔵療養所の医務課長という職におられたたにめもあるでしょうが、上からやっていたという感じがつよく、病院精神医学とは治療的精神科病院管理学ではないかとおもわされます。生活療法をきかんにやっているとほこるある病院をお昼休みに見学させていただいたら、シーンとしていた、っまり、生活療法とはそれぞれわりあてられた時間にさかんにおこなわれるものだったようです。また、生活指導棟、レク療法棟など生活指導の段階に応じて病棟区分がされたある病院では、生活指導棟とレク療法棟とでは病棟クリスマス費用の配分がひどくちがう、といった話しもききました。ある研究会である病院から発表された生活指導要綱は、たとえば歯磨きについて、練り歯磨きを歯ブラシにつける量、ロのゆすぎ方、水をつかいすぎないか、などひじょうな細部にわたっており、それらにもとづいて毎日のように看護日誌に記録するというもので、質<0241<問に応じて、看護者は毎日三時間ぐらいずつ記録にとられる、ということでした。生活療法がひじょうに形式的な瑣末主義にながれていっにことはいなめないようです。
 他方、江副勉・小林八郎・西尾忠介・蜂矢英彦編集『精神科看護の研究』におなじく小林八郎さんが「生活療法」をかかれているなかでは、生活指導、レクリエーション療法、音楽療法、絵画療法、図書療法、作業療法、社会療法がとりあげられています。狭義の治療だけでなくて、院内生活の全体をより治療的な方向にもっていきたい、また患者さんの生活をよりゆたかなものにしたい、とはおもいますが、このように「療法」、「療法」とならべられますと、肩がこってしまい、病棟で看護者が気楽にやれるものでなくなってしまいます。
 いま生活療法批判としてのハられたことのいくつかをあげてみますと、藤沢敏雄さんは「生活療法と生泛臨珠」および「「生活療法」を生みだしたもの」で、生活療法が権威主義的な精神病院の構造に対応することを指摘しています。樋田精一さんは「「生活療法」について」で、「生活療法」が学術用語であれば、小林がはじめに定義したものとして使用されるべきで、あいまいにつかうべきではない、それにしても生活療法の基礎にあるのは一方向的治療観である、といっています。西山詮さんはシンポジウム「精神科治療の問題点」で、生活指導体制の完成は病院精神医療における官僚制(ヒエラルキー、規則主義)の成立を意味する、と指摘しています。また秋元波留夫さんの「作業療法を考える」は、精神科看護の重要な任務である生活指導、「活動療法」として統一されるべき作業療法・レク療法、これら次元をことにするものを「生活療法」としてまとめ、しかもその範囲を無際限のものに拡大させている、としています。
 生活指導を生活療法の基礎として重視したことは、監禁放置の状況ではある段階までおおきな意義をもったいのでしょうが、それらを「療法」としていわば物神化したところに、瑣末的管理主義におちいる一つの原因があったの<0242<ではないか。秋元さんがいうように、生活指導は精神科看護の柱の一つとして位置づけるべきでなかったか? もう一つ、戦後のわが国で標準的な生活のあり方がひじょうに流動的になっている、そういうなかで、早寝早起き主義の生活像を固定しておしつけようとすると、どうもおかしなことになる。
 などいってみても、入院生活が療病のための集団生活であるからには、一つの大枠は必要なわけです。また、樋田さんの批判にもかかわらず、治療にはどうしても一つの方向性はすてきれないのではないか? それにしても、生活療法が固定した形式的な管理体系になったとすれば、その原因はどこにあるのでしょうか? さきにあげたようなことだけからは説明しきれないようにおもいます。
 加藤普佐次郎さん・菅修さん・長山泰政さん・石川準子さんなどの汗まみれの手のなかでかがやかしい精神科治療であった作業治療が、管理搾取の一手段に化してしまったとき、問題のすぺてが作業治療にあったのか? 生活療法についてもおなじことがいえそうです。
 弟1部でのべた戦後精神科医療史の転換のなかで、精神科病院は巨大化してゆき、手づくりの治療が管理的なものにかえられていったという事情をわたしはもっとも重視したいのです。
 松沢病院で働きかけはそのような管理的なものとはならなかったについては、松沢病院が一つのまとまっにものとして機能していなかった点がおおきい、そのまとまりのなさが松沢病院の欠点であると同時に長所でした。「働きかけ」をきっちり技術化しようとすると、おそらく、生活療法のばあいとおなじようなことになっていたでしょう。だきが、幸か不幸かそうはならず、その後の松沢病院では「働きかけ」のことばをつかう人はごくすくなく、他の病院におけるとおなじく、「生活療法」のことばのほうが慣用されているようです。では、「働きかけ」の理念はもうしんだのでしょうか?」


UP: 20130412 REV:20130804
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