未知の人が、われわれの面前にいる間に、彼に適合的と思われるカテゴリー所属の他の人々と異なっていることを示す属性、それも望ましくない種類の属性――極端な場合はまったく悪人であるとか、危険人物であるとか、無能であるとかいう――をもっていることが立証されることもあり得る。このような場合彼はわれわれの心のなかで健全で正常な人から汚れた卑小な人に貶められる。この種の属性がスティグマなのである。(pp. 11-12)
そこで、スティグマという言葉は、人の信頼をひどく失わせるような属性をいい表わすために用いられるが、本当に必要なのは明らかに、属性ではなくて関係を表現する言葉なのだ、ということである。ある種の者がそれをもつとスティグマとなる属性も、別のタイプの人には正常性を保証することがある。したがってそのような属性はそれ自体では、信頼をかち得ることになるものでも、信頼を失わせることになるものでもない。(p. 12)
スティグマという言葉を用いたのは、明らかに視覚の鋭かったギリシア人が最初であった。それは肉体上の徴をいい表す言葉であり、その徴は、つけている者の徳性上どこか異常なところ、悪いところのあることを人びとに告知するために考案されたものであった(p. 13)。
未知の人が、われわれの前面にいる間に、彼に適合的と思われるカテゴリー所属の他の人びとと異なっていることを示す属性、それも望ましくない種類の属性―極端な場合はまったく悪人であるとか、危険人物であるとか、無能であるとかいう―をもっていることが立証されることもあり得る。このような場合彼はわれわれの心のなかで健全で正常な人から汚れた卑小な人に貶められる。この種の属性がスティグマなのである(p. 15)。
スティグマという言葉は、人の信頼をひどく失わせるような属性をいい表すために用いられるが、本当に必要なのは明らかに、属性ではなくて関係を表現する言葉なのだ、ということである。ある種の者がそれをもつとスティグマとなる属性も、別のタイプの人には正常性を保障することがある。したがってそのような属性はそれ自体では、信頼をかち得ることになるものでも、信頼を失わせることになるものでもない(p. 16)。
→たとえば 職業的犯罪者の事例
私は思い出すのだが、今までに一度ならず、たとえば私が住んでいた近くの公立図書館に入るとき、実際に足を踏み入れるに先立って、二度、三度とふり返ってみたことがある。ただ近くに私を知っている人がいて私の入って行くところを見ているのではないかと、確かめたかったのである。