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国際的に見た人工呼吸治療の事情

堀田 義太郎 20071000
『難病と在宅ケア』Vol. 13 No. 10 pp. 19-22

last update: 20151225


堀田 義太郎 20071000 「国際的に見た人工呼吸治療の事情(特集/外国と日本の難病医療の温度差[第4部])」,『難病と在宅ケア』Vol. 13 No. 10 pp. 19-22

ALSの人工呼吸治療に関する欧米の議論では、人工呼吸治療が必要になる時期はALSの最終段階(end-stage)とされ、そして、その時点は治療の 終点(end-point)として位置づけられてきた。近年では、人工呼吸治療はALSという疾患にとって例外的な治療ではなく、他の症状緩和治療と同等 の治療として位置づけなおされつつある。だが、依然として多くの議論が、気管切開を伴う人工呼吸治療の差し控え(withholding)や中止 (withdrawing)を、生命の終わりの決定(end-of-life decision)の対象とみなしている。ALS患者にとっての人工呼吸治療の位置は、いまだ明確にされていない。
一般に、治療の差し控えや中止が検討されうるのは、その治療がもたらす効果や利益を減殺・相殺する不利益(デメリットやコスト)がある、と感じられるとき である。本稿では、この観点から、欧米における人工呼吸治療をめぐる議論を概観し、論点を再確認する。まず、人工呼吸治療が、必要と効果に基づいてその実 施が当然視されている他の治療やケア(たとえば褥瘡ケア)と区別される根拠を、内容に応じて簡単に整理する。その上で、人工呼吸治療の拒否と中止に関する 「事前指示(advance directives)」ないし「事前ケア計画(advance care planning)」をめぐる議論を概観する。人工呼吸治療の差し控えや中止の決定をめぐる欧米の議論の前提には、その費用とケア負担の大部分が、患者お よび患者家族に課される状況があるということが確認されるだろう。そして最後に、人工呼吸治療をめぐる欧米の議論から示唆される論点について簡単に検討す る。

※ 本稿では人工呼吸治療・人工呼吸器という語で、気管切開を介した長期人工呼吸治療・人工呼吸器を指す。

1 人工呼吸治療をめぐる欧米の議論
1)不利益・負担

ALSをめぐる従来の議論では、人工呼吸治療は、通常のALSの症状緩和手段の一貫としては位置づけられていない1)2)。たとえば、アメリカ合州国の神 経内科の専門誌であるNeurologyの65号(2005年)には、編集者のコメント付きで、「ALSにおける生命の終わりの諸問題(end-of- life issues in ALS)」3)に関する二本の論文が掲載されているが4)5)、そのいずれも、人工呼吸治療が必要になる時期をALS患者の「終末期」と規定しており、人 工呼吸器の装着をALSの「治療の終点」であるとしている。
では、その差し控えや中止が問題にされるような不利益とはなにか。ALS患者に対する人工呼吸治療に関わる研究や議論が言及する不利益は三つに区別でき る。最も単純だが最大の不利益としては、費用負担(「法外な費用」あるいは「高度の経済的負担」6))がある。しかし、経済的コストだけを理由に生命維持 を否定する論者はいない。従来の議論で問題になるのは、「患者とケア提供者両者のQOLに対する長期にわたる有害な影響」7)である。

(2)患者のQOL低下をめぐる議論

従来、人工呼吸器を装着した患者のQOLは低下すると想定されてきた。だがそれは、近年の研究によって必ずしも当たらないことが明らかにされつつある。
たとえば、Oliverらは、アメリカの病院間での人工呼吸治療の開始率の違いの一つ要因として「医者の個人的態度」をあげ、それを「先入見 (prejudice)」(Oliver et al. 2006: 81)と呼んでいる。「先入見」と呼ばれるのは、「医者の個人的態度」の基礎にある《人工呼吸器装着患者のQOLは低い》という予見は、必ずしも当たらな いからである。近年の人工呼吸器装着患者のQOLに関する研究によれば、医師や周囲の人々、そして患者当人の事前の予想にさえ反して、人工呼吸器装着後の 患者のQOLは、ケアの質量が充実している場合にはそれほど低下していない8)9)10)。
たとえば、Kaub-Wittemerらによれば、人工呼吸器装着患者と非装着患者とのQOLにほとんど違いはない。また、「NIV使用のALS患者のほ とんどは、気管切開を拒否した」のに対して、「TV装着患者の81パーセントが再び呼吸器を選択すると答え、80パーセント以上が他の患者にも同じように 勧めると答えた」(Kaub-Wittemer et al. 2003: 894, 892)。Gelinasらは、7名の人工呼吸装着患者とケア提供者のQOLを調査し、「人工呼吸器を装着する決定を後悔している患者は一人もおらず、ほ とんどの患者は大部分の時間を快適で満足に感じていた」と報告している(Gelinas et al 1998: 135)。50名の患者を対象にしたMossらの調査では、88% が装着の決定に満足しており、80%が再び装着が問われる場面があっても装着を選択するだろう、と答えた11)。
もちろんそれは、充実したケアを受けることができる場合に限られる。Pool(2000)は、家族がケアを提供できず、ナーシングホームにも入居できな かった高齢の人工呼吸器装着患者が、経管栄養を停止されて「自然死」に誘導された事例を報告している12)。

(3)ケア提供者のQOL低下をめぐる議論

人工呼吸器装着患者を対象にした研究には、ケア提供者のQOLも同時に調査したものもある。さらに、近年では、ケア提供者のQOLに焦点を絞った研究も存 在する13)14)。人工呼吸治療を受ける患者に対して、家族等のインフォーマルな領域で(すなわち無償で)ケアを提供する人の負担の重さは、24時間の 在宅ケアが公的に保障されない欧米ではとくに顕著である。したがって当然だが、人工呼吸治療の主要なケア提供者である家族に大きな負担が課されることにな る。実際、患者とケア提供者(家族)のQOLを比較した調査のすべてが、ケア提供者のQOLの低さを報告している。
Kaub-Wittemerらによれば、自分がケアを提供している患者よりも、自分のQOLのほうが低いと感じるケア提供者が3割存在していた。また、ケ アを提供する配偶者の75%が、現在自分がケアしている患者がもう一度選択しなおすことがあったとしても治療選択を支持すると答えたが、自分自身に人工呼 吸治療が必要になった場合に治療を選択すると答えたのは50%だった。
Chi?らは、気管切開以前の患者とそのケア提供者を対象とした調査から、患者のQOLとケアを提供する家族の負担とのあいだに相関関係があることを指摘 し、「ALS患者に最大限のケアを保障するためには、ケア提供者の負担が可能な限り縮減されるべきである」と結論している(Chi? et al. 2005: 1782)。また別の研究でChi?らは、MQOLやSEIQOL-DWを用いて、患者のQOLの向上にとって「最も重要な課題」は、過重な負担を負って いるケア提供者家族に対する社会的サポートである、と指摘している15)。

2 事前指示をめぐる議論
(1)事前指示のための情報内容

上記のような不利益と負担の存在を前提として、欧米では、人工呼吸治療は患者が事前に(差し控えと中止を含めて)選択する対象とされている。事前指示の内 容・タイミング・提案者・作成者・更新期間についての従来の議論は次のようにまとめられる16)。
事前指示ないし事前ケア計画の内容は、人工呼吸器が必要になった時点でも装着しないこと(差し控え)と、装着した後に特定の状況になった場合に停止するこ とである。作成のタイミングは、これらの処置の必要性が迫られる以前である。作成提案者は医師であり、作成者は患者本人だけではなく、人工呼吸治療開始後 に中心的なケア提供者として期待されている家族の参与が推奨されている。更新期間は最長6ヶ月毎だとされている。
欧米の議論では、人工呼吸器の差し控えと停止に対する決定は、患者の「自己決定権」および「自律」の尊重によって正当化されている。逆に、事前指示の機会 を得ずに人工呼吸治療が開始されることは否定すべき事態とされている17)。
また、事前指示について触れた文献では、決定の前提として患者が考慮すべきだとされる情報が例示されている。その内容は、本稿が参照した限りではほぼ共通 している。患者が人工呼吸治療の選択に直面したさいに医師が与えるべき説明内容は、他の治療と同じく、治療しない場合の可能性、治療の効果(短期/長 期)、そして負担(コスト・予後も含む)である。ALSの場合には、@効果(呼吸不全の解消と生存期間の延長)、A身体的負担(声の喪失、感染の可能 性)、B予後(「ロックトインステイト」に至る可能性)、C経済的なコスト、Dケア提供者の負担などである18)。今回参照した文献のすべてにおいて、 A〜Dが情報として等価に扱われていた。だがそれはじつは適切ではない。ABとCDは異なるからである。とくに注意すべき要素は、Dである。

(2)周囲の人々(家族)のケア負担は、生存を断念する理由になるのか

欧米の議論では、患者の選択要因のなかに、家族を代表とする周囲の人々のケア負担が組み入れられている。たとえば、Oliverらの著書では、「事前ケア 計画は、患者個人の価値観に確固とした基盤を置くべきであり、その個人は、自分自身と家族の両者に対する決定の帰結を理解している個人である」とされてい る(Oliver, et al. 2006.: 45)。
また、Bendittらは、患者の治療方針の決定に、周囲の人々のケア負担という要素をより積極的に組み込もうとする議論を展開している19)。 Bendittらによれば、「ALS患者の多くは、愛する人(loved one)に降りかかる、経済的・感情的そして身体的負担を非常に気にしている。事前ケア計画は、これらの心配事を、患者と家族とのあいだの、開かれた、よ り率直な議論のなかに置く」(Benditt et al. 2001: 1707)。このような立場から提示されるBendittらのケア計画書モデルには、次のような項目がある。

「私は、もし私に対するケアが家族に多大な経済的困難やその他の負担をもたらすならば、それを継続しないことを望む」(ibid.: 1708)。

このプランでは、「家族の負担」がそれだけで、患者が治療停止を選択するに十分な理由になりうるものとして位置づけられている。そしてこれは、人工呼吸治 療に対する事前の決定要因の一つに家族等のケア負担への配慮を滑り込ませる欧米の議論の特徴を、典型的に示している。
これらは一見、家族がケアを負担せざるを得ない状況を反映した情報を《現状中立的》に提供しているだけであり、問題がないように見えるかもしれない。しか し、ここで私たちは次の点を確認しておくべきであるだろう。欧米の議論では往々にして、家族や周囲の人びとの負担が患者に対する治療効果を相殺する「不利 益」として位置づけられており、そしてこの「不利益」が、生命に関わる治療を選択するさいに患者が考慮すべき要素として位置づけられているということであ る。重要なことは、この「不利益」は、家族や周囲の人々の負担を解消するための社会的サポートを充実させることによって、解消可能なものであるということ だ。
もし、家族や周囲の人々の負担を、治療の効果を減殺する不利益として、生命に関わる治療を選択するさいに患者が考慮すべき要素として位置づけることを肯定 するならば、周囲の「負担・迷惑になる」ことへの配慮に基づいて生存を諦める人が存在するような状況を認めることになる。

3 考察――欧米の人工呼吸治療/事前指示をめぐる議論の問題点

人工呼吸治療をめぐる欧米の議論では、その開始と継続の決定を患者に委ねることは、患者の自己決定と自律の尊重という原理から、当然視されている。
最初に確認したように、一般に、治療の差し控えや停止が問われるのは、その効果に比して不利益が勝る可能性がある場合である。従来の議論が主な不利益とし て想定しているのは、経済的コスト、患者のQOLの低下、ケア提供者の負担である。だが、患者のQOLの低下に関する周囲や事前の予想は、必ずしも当たら ないことが分かってきている。また、経済的費用とALS患者に対する人工呼吸治療の効果(生命維持)を比較考量し、前者を優先すべきだと主張する論者は存 在しない。たとえば、かつてのヨーロッパの一部の医師の態度について指摘されているような、「高価で、時間を費やす機器を、推定寿命の短い患者に使うこと への倦厭感」(Borasio et al. 1998: 10)をいまだに有している人はいない。他方で、ケア提供者の負担は明確に存在している。
欧米のALSの人工呼吸治療をめぐる議論のなかで、社会的サポートを充実させることによる負担軽減の可能性を主題とした研究は少ない。そして、事前指示を めぐる欧米の議論は、家族の負担が、生命を維持するという治療効果を否定する「不利益」の一つの構成要素になることを認めている。
だが、Chi?らが示唆するように、在宅で24時間のケアを受けて生活する患者を支える社会的サポートが充実していない状況は、個人の生存に対する制約に なり、また生存を断念させる圧力にさえなる。社会的に解消可能な状況が、個々人が自らの生存を否定する選択の根拠になることを許容しないとするならば、社 会的サポートの充実を目指す立場が正しいということになる。

おわりに

欧米の議論が示唆しているのは、治療の必要性と効果に対置されている不利益(リスク・デメリット・コスト)を、その内容と要因に留意しつつ吟味する必要が あるということである。「自律」の原則に基づくという欧米の議論は一見明快だが、その明快さはしばしば、社会的に解消可能で解消すべき状況に起因する不利 益をそれ以外の(解消困難な)不利益と並置するような曖昧さと表裏だからである。
もし、「アメリカやイギリスには、個人の権利と自律を強調する歴史的伝統がある。だが、金銭的な制約が、患者と医師の自由な選択を抑制しうる」 (Burchardi et al. 2005: 73)と言えるのだとすれば、金銭的な制約によって生存手段が削減された状況に置かれた人に対して、「死への自由」を与えることは「自律の尊重」ではな い。
人工呼吸治療の差し控えや中止の選択の前提に、私たちの力で解消可能かつ解消すべき状況に起因する不利益が含まれている場合、その解消が優先されるという 原則を、あらためて銘記しておく必要があるだろう。

参考文献
1)Neudert C, Oliver D, Wasner M and Borasio GD. "The course of the terminal phase in patient with amyotrophic lateral sclerosis," J Neurol. (2001) 248: 612-616.
2)Smyth A et al. "End of life decisions in amyotrophic lateral sclerosis: a cross-cultural perspective," J Neurol. Sci. 152 [Suppl. 1] (1997) 93-96.
3)Olney RK & Lomen-Hoerth C "Exit strategies in ALS: An influence of depression or despair?" Neurology 2005; 65: 9-10.
4)Rabkin JD et al. "Prevalence of depressive disorders and change over time in late-stage ALS." Neurology 2005; 65: 62-67.
5)Albert SM et al. "Wish to die in end-stage amyotrophic lateral sclerosis," Neurology 2005; 65: 68-74.
6)Oliver D et al. (eds.) Palliative care in amyotrophic lateral sclerosis: From diagnosis to bereavement. 2nd eds. Oxford University Press 2006. (80).
7)Borasio GD et al. "Mechanical ventilation in amyotrophic lateral sclerosis: a cross-cultural perspective," J Neurol (1998) 245 [Suppl. 2]: 7-12. (8)
8)Gelinas DF, O'Connor P and Miller RG. "Quality of life for ventilator-dependent ALS patients and their caregivers," J Neurol. Sci. 160 [Suppl. 1] (1998) 134-136.
9)Rabkin JD et al. "Predictors and course of elective long-term mechanical ventilation: A prospective study of ALS patients." Amyotroph. Lateral Scler. 2006; 7:2: 86-95.
10)Kaub-Wittemer D et al. "Quality of life and psychosocial issues in ventilated patients with amyotrophic lateral sclerosis and their caregivers." J Pain and Symptom. 26-4 (2003) 890-896.
11)Moss AH et al. "Patients with amyotrophic lateral sclerosis receiving long-term mechanical ventilation: Advance care planning and outcomes," Chest 1996; 110: 249-255. (251)
12)Pool R. Negotiating Good Death: Euthanasia in the Netherlands. Binghamton, The Haworth Press. 2000.
13)Chi? A. et al. "Caregiver burden and patients' perception of being a burden in ALS," Neurology 2005; 64: 1780-1782.
14)Hecht MJ et al. "Burden of care in amyotrophic lateral sclerosis," Palliative Med. 2003; 17: 327-333.
15)Chi? A. et al. "A cross sectional study on determinants of quality of life in ALS," J Neurol. Neurosurg. Psychiatry 2004; 75: 1597-1601.
16)Borasio GD and Voltz R "Discontinuation of mechanical ventilation in patients with amyotrophic lateral sclerosis," J Neurol. (1998); 245: 717-722.
17)Burchardi, N et al. "Discussing living wills: A qualitative study of a German sample of neurologists and ALS patients," J Neurol Sci. 237 (2005) 67-74. (72)
18)Mitsumoto H and Rabkin JG. "Palliative care for patients with amyotrophic lateral sclerosis: "prepare for the worst and hope for the best"" JAMA, July 11. 2007. vol. 298. no. 2 : 207-216 (210).
19)Benditt JO et al. "Empowering the Individual with ALS at The End-of-Life: Disease-Specific Advance Care Planning," Muscle & Nerve, 24 (2001- December): 1706-1709.


UP:20071004
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