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精神保健という課題

――NGO活動の可能性――

『情況』2000年8・9月号(情況出版)

大賀 達雄

last update:20101104

T はじめに――N30を合い言葉に、全世界からシアトルへ

 昨年11月30日より12月3日まで、シアトルでWTO(世界貿易機関)の第3回閣僚会議が開かれた。全世界からシアトルに集まった10万人の人達は抗議行動を行ない、開会式を中止に追い込み、会議そのものも合意が得られないまま決裂した。このシアトルに集まった人達は、アメリカの労働組合AFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産別会議)や、各国の農民団体、環境NGO、開発NGO、女性団体、消費者団体などで、彼らは初日の30日に開会式の会場を「人間の鎖」で取り囲み、シアトル市街をデモで埋め尽くした。これに対してシアトル市街には非常事態宣言・夜間外出禁止令が出され、デモ隊に対して州兵や警官隊により催涙ガス、ペッパーガス、ゴム弾などが発射され、さながら戒厳令状態を呈した。
 今回の閣僚会議は、ウルグアイ・ラウンドを受けて、WTOのもとで新ラウンドの立ち上げとその交渉の枠組みを確定することが最大の焦点であった。

閣僚会議の争点
 閣僚会議は、本会議のもとに、@農業、A市場アクセス、B実施とルール、Cニューイシュー、D組織に関する分科会の5つが設置された。しかし、農業協定、生命特許と遺伝子組み替え作物、反ダンピング措置、労働基準と貿易問題、知的所有権に関する協定等の分野で、EU、アメリカ、日本、途上国等の利害が対立し、更にWTOの意志決定プロセスの不透明性や非民主制も争点となった。WTOはそれまでも、「グリーンルーム交渉」(事務局長が任意に選んだ数カ国と行なう秘密交渉)をしてきており、NGOや途上国政府からは繰り返し批判を浴びていた。この様な経緯もあり、今回新しいラウンドを立ち上げることに失敗したのである。
 WTOが掲げている「貿易と投資の自由化」は、あらゆる規制を取り払い、先進国や途上国の貿易や投資を促進しようとするものである。しかし、先進国と途上国の経済格差は歴然としたもので、そのため更に先進国に有利となり、多国籍企業の市場の拡大がもたらされることになる。それを側面から援助しているのがIMFと世界銀行であり、そのもとでの「構造調整政策」の強制なのである。このようにして、今日資本は地球の隅々にまでグローバリゼーションを押し進めてきている。

シアトルでの大衆運動の教訓と展望
 シアトルに向けた呼びかけは10ヶ月前の1月に、パブリック・シチズンなどのNGO組織によって、インターネットを通じて行われた。その後、中心となるウエッブ・サイトが作られ、シアトルに結集するための様々な準備が行われていった。また、自由化に反対する様々な市民運動がこれに呼応していた。
 佐久間(1)によると、このような自由化に反対する社会・政治的な要因としては、@ ヨーロッパの高い失業率 A アメリカの雇用の質の低下と、所得格差の進行 B 農民が企業から土地を奪われている C アメリカの新自由主義的価値観の浸透により、ヨーロッパの社会民主主義的な規制やセイフティネットが後退している D 環境破壊や人権保護の国際ルールが実現していない E 自由化により様々な格差が拡大し、それを規制し調整する機能が後退している、等があるという。また、国際政治の動きとしては、@ 地球環境と開発に対して、企業に対する国際規制の失敗 A NAFTA(北米自由貿易協定)がもたらす弊害 B APECに平行して行われているNGOの会議での共通の問題意識の誕生 C OECD(経済開発協力機構)、MAI(多国間投資協定)に対する世界的な反対キャンペーン等がある。
 このようにシアトルに結集した民衆の闘いは、WTOの閣僚会議を決裂に追い込んだ。
 このシアトルの闘いが達成したものは、第一に、地球に住む私たちの生活に影響のある公共的な課題について、議論の場を密室から解き放ちおおやけにしたこと、第二に「貿易や投資の自由化」は、経済的なものだけに止まらず、きわめて社会的政治的なものであることの理解がもたらされたこと、第三に、世代や運動の領域を越えて様々な層の人達によって連帯した行動がとられたことである(2)。それ故に、「シアトルでは、世界資本の統制を求める運動が、地球的な反対派として自己を確立した」(3)のである。これは、民衆自身がグローバリゼーションを押しとどめ、自分たち自身の「ルール」(4)を対置させることが可能となったことを意味している。
 更に大きな効果をもたらしたのは、インターネットを通じたコミュニケーションである。今日では、この地球のどこに住んでいても、例えば、日本に住む私たちが途上国の問題に関して直接コンタクトを取り、連帯した行動を作り出す基盤が確実に存在している。今日の社会運動は、全世界的に草の根のネットワークでつながっていて、驚くべき速さでコミュニケーションが可能となっていることがシアトルで実証されたのである。

U 問題提起に代えて

 阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件(1995年)以来、「PTSD」はよく聞かれる言葉となった。日本では、「心的外傷後ストレス障害」と訳されている。大きな事件が起こるたびに、「PTSD」はマスコミにより頻繁に使われており、現在では「PTSD」という言葉だけが一人歩きしている感がある。 
 そもそも「PTSD」(5)は、1980年に改訂されたアメリカにおける精神科の診断マニュアル第V版(「DSMV」)で初めて採用された概念である。しかし、この「DSMV」というマニュアルの中では、「PTSD」は他の診断項目とは異質の扱いを受けていた。

「DSMVは、病気の原因を問わない操作主義と多軸診断法とから成るマニュアルであって・・・しかし、原因を問わない操作主義的原則に、実は一つの例外があった。それがわがPTSDであった。その診断項目に『通常の範囲を超えた生活体験によって』という原因を規定する一項目があったのである」(6)。

 この背景には、ベトナム帰還兵やレイプ、性的虐待の被害者などのアメリカ社会の抱える問題がある。この概念の出発点となったベトナム戦争の後遺症は、単なる戦争の後遺症ではなく、対ゲリラ戦争という特殊性に規定された自らの残虐行為から発している。従って、症状を引き起こし、持続させているのは戦争における単なる恐怖体験ではなく、ベトナム人の殺戮はやむを得なかったと正当化する態度だったのである。

「ベトナム戦争で、帰還兵の精神的後遺症の問題が社会問題とならなければ、PTSDの概念が成立することはなかったのではないかと考えられる。・・・最初に動いたのは軍ではなく『反戦兵士』であった。彼らが、『ラップ・グループ』を組織し、精神科医がかかわり、運動が全国に広がっていって、ついに退役軍人局も公的な施策として、帰還兵のメンタルヘルスに取り組むようになるのである。・・・戦争遂行の能率を高める問題としてではなく、戦闘体験による「被害の回復」の問題を解決するためにPTSDは登場した。」(7)

 かくしてこの概念はベトナム戦争がなければ生まれなかったし、ベトナム戦争の戦闘体験の精神的後遺症とその回復が問題となっている。またこの概念の成立は、それへの「社会的回答」という側面を持ち、「精神医学的概念の成立の前に社会運動がある」(8)と言うことが出来る。
 同時にこれらの動きは、60年代後半から70年代にかけて全世界的に沸き起こった学生運動や黒人運動や女性解放運動等のラジカルな運動の影響の下に現れ、また特にベトナム戦争についての評価が二分していたアメリカの状況下で生まれたことに意味がある。
 PTSDの診断基準は次のようなものからなっている(9)。
 第一は、原因となる外傷的出来事について、

(1)実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事を、一度または数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、患者が体験し、目撃し、または直面した
(2)患者の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである

 次に、症状は3つの領域にまたがっている。@ 外傷的出来事の再体験、A 外傷と関連した刺激からの回避または反応性の麻痺 B 覚醒の亢進状態 である。
 やがて、「PTSD」はベトナム戦争の後遺症だけではなく、レイプ被害者の精神的外傷やさらには家庭内における虐待、近親姦、被殴打女性なども対象とされるようになっていく。
 ところで、虐殺や内戦が長期に続いたカンボジアの人達も同じような経験をしている。彼らは20年以上にわたる内戦のため、多くのトラウマ(心的外傷)(10)を経験し、それに強く影響されて生活してきている。未来への夢や希望が持てないという状態が長く続いてきたわけである。そして、現在は一転して急激な社会変化に直面し、ストレスの強い環境に晒されている。にもかかわらず、現在のところ精神保健システムの整備は政府の優先課題とはなっていない。
 このように、先進国ばかりではなく、途上国においても精神的なケアは欠かすことが出来ないのである。
 本稿では、精神保健(11)の課題として、精神的ケアは先進国、途上国にかかわらず、地球のあらゆる地域に生きる人達が同じようにいつでも受けられることが必要であり、途上国に対する援助も西欧の医療を一方的に彼らに与えてすむ問題ではなく、「自立支援」がキーワードにならなければならないこと、私達のNGO「途上国の精神保健を支えるネットワーク」のカンボジアにおける取り組み、などについて報告する。

V 精神保健という課題

A  途上国という問題 
 先に見たように昨年11月にWTO第3回閣僚会議に対して世界各国の民衆はシアトルに集まって、抗議行動を繰り返してWTOの決裂をもたらした。
 この背景には、WTOの加盟組織135団体のうち、100団体以上を占める発展途上国の不満や対立があり、全世界のNGO、市民団体の生活や環境を巡る強い関心がそれらに連動してシアトルへの世界的な結集となって現れたわけである。
 国連開発計画(UNDP 12)によると、1997年、世界の人口の20%にあたる富裕層は、同じく20%にあたる貧困層の86倍の所得を得ている。30年前にはその差は現在の半分であった。また、約80カ国は過去10年間に経済成長を実現できずに所得を減らしており、世界の所得配分の格差は拡大しているという。それは乳児や妊産婦の死亡率の際立った高さなどの生命と健康の側面にも現れている。そして、この先進国と途上国との格差は、構造化されたものである。
 かってフランク(13)は、世界資本主義体制を中枢と衛星に分け、中枢が衛星を犠牲にして発展するために、中枢と衛星との間にギャップの拡大が引き起こされ、衛星は従属状態に陥れられるとし、資本主義が低開発の原因であるとした。1980年代のアジアNIES諸国の経済発展は、97年の経済危機に到るまで、この従属理論を覆すものとしてあり続けていた。
 ところで東欧及びソ連社会主義政権の崩壊以後、市場の万能が宣伝され、グローバリゼーションという世界市場の再編成の動きが現在急ピッチで進んでいる。

「ソ連ブロックの崩壊で、IMF とG7が世界を支配し、新しい帝国主義時代を創造しうる立場になった・・・新しいグローバル・システムの構築が、7大国グループ、IMF、世界銀行、関税および貿易に関する一般協定(GATT)の協働で進められている。」(14)

 国連の報告によると、「絶対的貧困」の人々が世界には13億人以上いる。これは、1日3度の食事、きれいな水、風雨をしのぐ寝床を確保できない人々の数である。そして、これらの貧困の最大の原因の一つになっているのが、貧しい国々が抱える返済不可能な債務である。これらの債権者になっているのは、日本、アメリカ、ドイツなどの「先進国」政府と、これらの国々が中心となって構成している国際通貨基金(IMF)、世界銀行等の国際金融機関および民間銀行等である。これらの国の債務は年々増加しており、債務返済に伴う政府の支出削減や金融引き締め政策のために、国内のインフラの整備に投資することが出来なくなっており、そのための資金を「先進国」のODAや国際金融機関の融資に依存することになって、更に債務が増加するという悪循環に陥っている。その上、保健、教育のための財政支出も削られ、そのために最大の犠牲となっているのは弱い立場にいる子どもや女性なのである(15)。ジュビリー2000は、1996年以来、「債務帳消しキャンペーン」を70カ国で展開している。
 かくしていわゆる先進国にいる私達は地球的な観点に立つとき、援助とか協力という立場に立たされていくし、自分達の生活と環境を見直す必要に迫られているのである。

B 精神保健と途上国支援
 しかし、精神保健で言えば、我が国の精神医療や精神保健のシステムは、収容を前提とするもので、欧米と比べても独特なものであり、決して途上国のモデルとなるものではない。
 欧米においては、60年代から70年代にかけて、収容型の施設を解体して、地域でケアするシステムを発展させている。その代表的なものとしては、精神病院を廃止する法律を成立させたイタリアのトリエステや、イギリスのケンブリッジ地区の精神科リハビリテーションサービス Cambridge Psychiatric Rehabilitation Service、カナダのバンクーバーの大バンクーバー精神保健サービス機関 Greater Vancouver Mental Health Service Society(16)、アメリカのカリフォルニア州の統合サービス機関としてのビレッジ The Village (17)などがよく知られている。そして、私達は現在ラテンアメリカ諸国の精神保健のモデルを提供しているキューバの精神保健システム(18)に注目している。
 日本では、長い間精神障害者は、「隔離・収容」されてきた。それを可能としたのは、1950年に制定された「精神衛生法」であり、そのもとにおいて精神病院の密室性、拘禁性や、それと表裏一体のものとして「精神障害」者の自発性の無視、権利の制限が行われた。しかし、1987年に「宇都宮病院事件」が起こると、その報道により日本の精神病院は世界の批判の集中砲火を浴び、改善が迫られたのであった。そこで作られたのが「精神保健法」(後に「精神保健福祉法」、1995年)である。それまでの悪名高い「精神衛生法」は改訂され、ある程度人権保護的な規定、例えば、任意入院への努力規定、権利に関する一定の告知義務、通信、面会の自由に関する一定の保障や、社会復帰の促進などが謳われた。だが、精神病院の開放化や「精神障害」者の権利の擁護(「自由化」)とはほど遠い内容となっている。
 実際精神病院における人権侵害事件は続発しており,最近でも1996年、栗田病院事件(院長による詐欺,不当な使役),1997年,大和川病院事件(院内での暴行,その他違法な行動制限,職員の水増し等),1998年,犀潟病院事件(指定医の診察なしに拘束を受けていた患者の窒息死,その他違法な行動制限)等が起こっている。
 さらにまた,長期入院の傾向も相変わらず続いており,入院数は1993年,34万4千人に対して1996年,33万9千人である。この数字は、開放化や自由化の実現にはほど遠いことを物語っている。
 昨年「精神保健福祉法」は再び改訂され、「移送制度」(19)が新設された。
 「直ちに入院させなければその者の医療及び保護を図る上で著しく支障がある者」を、都道府県の責任で「応急入院指定病院」に移送することが出来ることを制度化したのである。この移送制度は,措置要件(自傷、他害)がなくても,医療保護入院,応急入院させるために,車輌に閉じ込め搬送するという行動制限ができることを大前提にしている。そして,「直ちに入院させなければ医療及び保護を図る上で著しく支障がある」と,これまでの医療保護入院の要件を一歩も二歩も進めている。 
 更にこの移送制度の新設に関連して,都道府県知事に移送に関わる相談を受け付ける体制・相談の受付窓口を設ける事を義務付けた。まさに、「隔離・収容から地域へ」,「社会復帰のための受け皿の充実を」と謳った「精神保健福祉法」は、移送制度の新設によって、「処遇困難者専門病棟」建設や「触法精神障害者対策」等の保安処分制定へと連なる布石になっている(20)。
 私たちは途上国に生きる人達と、精神保健を入り口にして触れあいながら、先進国にいる自分たちの精神保健システムや生活や環境の矛盾を絶えず見直していきたいと考えている。私達が途上国支援をすることによって、このような私たちが当たり前として受け入れてしまっている精神保健の現状を見直すことが出来るからである。 そもそも精神的ケアと言うのは、地球上のどこの地域に生きる人でも受けられることが望ましく、心理社会的な課題を抱える人達へのサポートは欠かせないわけである。

W 途上国支援のあり方

 途上国支援は、私たちが日常行っている「心理臨床」活動と変わるものではない。日常私たちは、心理社会的な課題を抱えた人を対象に「心理臨床」活動を行っているが、具体的な問題解決への助言を行うより、援助を求めてきた人自身の問題解決力を高めることを心がけている。
 これが私達の考える「心理臨床」活動による支援であるが、近年途上国への支援も、大きくパラダイムの変化が起こっている。

「第一に、経済的な生産性や効率性を重視する経済開発援助から、保健、教育、水、栄養など人々の生活に直接裨益するような基本的社会サービスを重視する『人間中心』の開発目標へのシフトであり、第二に、開発活動の主体は途上国の『住民』自身であり、途上国政府や援助国、援助機関などの役割はその支援であるという、開発アプローチにおける転換である。第三にそれは、開発の問題をホーリステイックにとらえることによって、途上国と先進工業国、男性と女性、環境と開発などとの間のバランスをとることを要求している」(21)

 すなわち、新しいパラダイムでは開発の中心は人間で、計画、実施、評価の形態は地域住民による参加型で民主的な決定ということになる。
 その新しいパラダイムのキーワードには、「参加型評価 Participatory Evaluation」「エンパワーメントempowerment」「持続可能性 sustainability」等がある。
 
参加型評価
 従来は、外からきた専門家が調査を行い、調査報告書を書き上げるという外部評価(External Evaluation)が一般的であった。これに対して、参加型評価は、「農村の問題を一番よく知っているのは農村に住む人々自身であり、かつ農村の住民自身が自分たちの生活を改善していくためにはどうすればよいのかも十分に知っているという認識であり、このような住民の知恵を引き出すことに主眼」(22)がある。

エンパワーメント
 エンパワーメントは、「パワーを奪われている状態があり、その状態からパワーを獲得していく、又は回復していくプロセス」(23)である。このエンパワーメントは外からの働きかけだけで起こるわけではなく、個人が自らの内面への気づき、自己決定、自信の形成等があって初めて起きる心理的なプロセスである。

持続可能性
 開発の持続可能性とは、外部からきたものが立ち去った後、誰が構築されたものを維持していくのか、と言う問題である。そのためには、途上国政府が既に持っている「制度」や「システム」の保全や強化をしていかなければならないし、コストリカバリー(費用回収)がなければ、現実性のない理想主義的なものになるしかない(24)。

X カンボジアというフィールド

カンボジアの精神保健の現状(25)
 「国連開発計画」(UNDP、1999年)によれば、カンボジアは人間貧困尺度(Human Poverty Index 40歳以上まで延命しない人々のパーセントや成人の文盲率、安全な水や保健サービスに到達できない人々の割合、5歳以下の子どもに占める低栄養児の割合などを指標として算出される)もジェンダーエンパワーメント(Gender Empowerment Measure 国会議員や管理職、専門技術職の中の女性の比率や性による収入差などの指標から算出される)も、アジア諸国の中で最低値を示している。5歳以下の子どもの約半数が基準体重に満たない低栄養児である。平均寿命は、男性51.5才、女性55.0才、平均53.4才である。
 また、カンボジアの精神保健状況については次のようなことが指摘されている(26)。

@ かっての葛藤が現在も引き続き起こっている
 家庭を失ったり、家族が引き裂かれることは、未亡人や孤児を数多く生み、多くの場合彼らは生きていく自信も技術もなく、まして目標に向かって前進するということもない。/クメール・ルージュの時代を生き抜いた人々は、かって経験したトラウマに強く影響されているが、20年経過して、PTSDと診断される人はほとんどいない。もっともよく見られる問題は、抑うつと不安であり、しばしば身体化して訴えられる。重篤で罹患期間の長い精神病、たとえば分裂病は、世界的な比率と同様に起こっている。/
男性が少なく、女性が多い。性人口比率が釣り合っていないため、女性と子供にとって、経済的、社会的、心理的に傷つくような行動ー不貞、多婦、サポートしないで追い出す、家庭内暴力が増加している。/
地雷が使用されたことや簡単な予防医学的なケアもないために、身体障害児・者の比率が高い。その個人と家族にとっては、これらの障害に対する医学的また社会的な費用は驚くほど高価である。/戦争で多くの人を失った後、カンボジアはまた人口増加中である。ほとんどの女性と多くの男性は、産間調節の情報やそのための用品を求めているが、導入されたばかりですべての人に利用できるようにはなっていない。

A 伝統的なサポートシステムが侵食されている
 僧侶が殺され、寺院が冒涜され破壊され、宗教が抑圧されたことで、弱い人々を十分にサポートしようとしない浅く表面的な精神基盤になっている。/クメール・ルージュが、地域社会や家族の中で、人を裏切ることを奨励したために、人々の中に不信が生じ、コミュニテイや家族的な努力が起こりにくくなっている。

B 権威的なものへの依存
 個人的な思考をめぐらせることを抑制すること、日常生活上の目に見える違反行為に厳しい罰を加えること、そして自由に表現することや教育から遠ざけられた期間が長いことなどが、自分が主導権を取ったり、創造的に問題解決に当たるよりは、権威的なものの指図に従っていることのほうを心地よくさせた。/隣国のベトナムの国民に責任を預け、カンボジア人のエリートに内容のない儀礼的な責任だけ持たせた植民地政府の歴史から、社会のどの水準においても、形式について価値を置きすぎるようになった。また、この高い地位の人と低い地位の人との間の、主従関係という歴史的な伝統は、依存性を強くする。そしてこれはカンボジアのあらゆる水準で、ほとんどのリーダー達が実践し続けていることである。

C 近代化というストレス
 現金、外国人、テレビなどの外国から入ってきたものは、平均的なカンボジア人にとってはまったく異なる生活であり、簡単には手に入らないものである。こうして、現実と伝統を避けた憧れが生まれる。/
よい対処法を持つ人は、社会に対する影響などには考慮せずに、自分のニードに過剰な頑張りを見せて、ますます貧富の差が拡大している。/宗教、社会、家族、経済などの慣れ親しんだ伝統が壊されて、生活の全般に影響するような喪失感、根絶やし感、疎外感が生まれている。外部から来た人や物、考え方などを過信するために、混乱が起きる。

 カンボジアではかって首都プノンペンに精神病院が作られていたが、1975−79年のポルポト政権下での徹底した破壊と虐殺の結果、精神科医は1名が生き残るだけとなった。
 その後、国際的な援助が、タイーカンボジア国境の難民と避難民の救援から始まったが当時の西側諸国の経済制裁政策により、約2年で激減し、一部のNGOを除いて1989年のソヴィエト連邦の崩壊までは、社会主義諸国の財政的・技術的援助が中心であった。1991年のパリ和平協定以降は、経済の自由化や財産所有権の合法化が進み、西側諸国からの援助が復活した。
 1992年5月に、カンボジア政府は、精神科外来の設置と精神科医及び看護婦の養成を内容とする精神保健政策を、オスロ大学難民心理社会援助センターとAMDA(Association of Medical Doctors of Asia、アジア医師連絡協議会)などのNGOやWHOの協力の下に開始することを決定した。そして、1993年1月よりシハヌーク(Sihanouk)総合病院の一角に精神科外来が開かれた。オスロ大学は、CMHTP(Cambodia Mental Health Training Program )を行い、志願した10人の他科の医師に4年間の予定で精神医学を教え、日本側のAMDAは精神科看護婦のトレーニングと薬剤の提供、事務職員の雇用、建物の補修などを行った。
 1995年の1年間の新患数は約1600人、1日あたり平均来院患者数は150人におよび、その後増加傾向にある。カンボジア政府保健省は1996年8月、各州に最低1カ所の精神保健センターを設置することを決め、シハヌーク総合病院の精神科外来を継続する一方、1998年にバッタンバン(Battambang)州病院に精神科外来を作った。しかし精神科医師の不足と薬剤購入費がないなどの理由で、他の地域では行えていない。
 1999年の時点でカンボジアで活動する精神保健NGOは、TPO(Trans Psychosocial Organization)、SSC(Social Service of Cambodia)、IOM(International Organization for Migrannts) と、 Roy Foundation for Children Cambodia、 HPRT(Harvard Program of Refugee Trauma )と、著者の関与しているSUMH(Supporters for Mental Hearth、途上国の精神保健を支えるネットワーク)の6組織がある。TPOはカウンセラーを養成して、バッタンバン、プーサット(Pursat)、シソフォン(Sisophon)の3カ所で地域ケア等を展開している。SSCとIOMは、ソーシャルワーカーを養成して、プノンペンでデイケアを、そしてコンポンスプー(Kompong Speu)で地域ケアを行っている。Roy Foundation は、タクマウ(Takhmau)にあるカンダール(Kandal)州病院(Chey Chum Neas Hospital)児童精神科外来を開き、HPRTは、シュムリアップ(Siem Reap)で地域ケアを行っている。
 カンボジアは今、政権も安定に向かい、最近はASEAN への加盟も認められた。このことはまた、多国籍企業の市場へと組み込まれていくことを意味している。
 精神保健の問題では、急激な社会の変動に適応することの出来ない人たちが、精神科を受診していると思われる。しかし、この30年間の変動は、多くのPTSDを生み出したと思われるが、未だそれを問題にするまでには至っていない。だからといって、日本や西欧の精神医学をカンボジアに導入することが、問題の解決をもたらすとは思えない。特に、隔離・収容政策で進められてきた日本の精神保健の現状は、変革すべき対象ではあれ、モデルにはなり得ない。今のところ、カンボジアでは精神科病床は持たない方針のためゼロとなっている。むしろ、伝統的な治療システム(27)、治療環境、カンボジア独自の共同体(アソシエーション)を再評価しつつ、カンボジアに適応した癒しのシステムを作っていくことこそ、大事な課題と思われる。そして、それはカンボジアの人たちの事業として、多国籍企業による支配との闘いとも連携しつつ、作り上げていくことを意味する。

「途上国の精神保健を支えるネットワーク」(28)
 私達「途上国の精神保健を支えるネットワーク」は2年前から、カンボジアの精神保健にかかわりを持っている。実際は国際協力を開始する前段階として、調査活動を研究助成を得てすでに行ってきた。「カンボジアにおける民間信仰が精神保健課題解決に果たす役割についての実証的研究ーカンボジアの人々は精神保健上の課題について民族信仰的枠組みと西欧科学的な枠組みを如何に統合しているか」(29)及び「精神科医療機関を受診するカンボジアの子供達に対するリハビリテーション活動として『遊び』を導入した時の効果に関する実証的研究ー途上国における持続可能な児童精神保健ケアシステムを求めて」(30)である。
 前者においては、カンボジアの人々が精神保健上の課題について、民俗信仰的な枠組みと西欧科学的な理解の枠組みを如何に統合しているかについて、実証的な方法を用いて検討を加えた。カンボジアを含む発展途上国では、WHOがかねてから指摘しているように、民俗信仰と結びついた伝統的な治療技術と近代的・科学的な治療技術を統合していく方向性こそが大切だと思うからである。具体的には、@ カンボジア政府の精神保健政策を調査して概括した A カンボジアの人々が用いる伝統的な治療に関する先行研究を要約した B カンボジアの人々が精神保健上の課題を持った時に援助を受ける事例を収集し、分析(PAC分析 Personal Attitude analysis)をして、不調の現れ方や病因理解の構造、又受療行動について検討を加えた C カンボジアの精神保健従事者や病者自身が持っている心理社会的リハビリテーションなどに関する考えを質問紙調査した D カンボジアにおいて先行している精神保健プロジェクトの実態を調査した。
 後者の研究では、未だ復興の途上にあるカンボジアの児童精神科外来に、遊戯療法技法を導入し、その効果研究を行った。遊戯療法は、その国にある条件を生かして、少しだけの維持費用があれば継続できるので、途上国の児童精神保健ケアとして選ばれてよい援助技術であると言える。そして、専門的なケア機関が乏しく、地域社会の人々が障害を持つ子供達を支えることの多い途上国においては、遊戯療法が交友生活の拡大を促進することは、その子供が地域社会との接触を増やしていくことに繋がり、まさに有効な国際協力研究であると考えられる。私たちは、これまでのように外国からの援助か、輸入しなければ手に入らない薬物による治療だけではなく、「遊び」という今の途上国にある条件が持つ治療的な意味を見直そうとしているのである。そして、実際このことを通じて、遊戯療法が交友生活の拡大を促進させており、児童精神保健ケアのメニューの中に取り入れられるようになっている。但し、有効に活用していくのには障害がないわけでもないことは忘れてはならない(31)。                              これらの調査を踏まえて、今後私達は地域における精神保健システム作りの一環としてプノンペンで「精神障害者が働く食堂」の設立・運営と、収容や薬物治療に依存しない地域精神保健システムを切り開き、実践しているキューバへの研修を計画している。

Y おわりに

 今回、770団体以上のNGO諸組織が世界中からシアトルに結集して、反WTOの声をあげたことは画期的なことであった。資本主義を全世界的に拡大しようとするグローバリゼーションを一頓挫させるものであったし、後退を強いられてきた民衆が手を携えて、第一歩を踏み出したからである。
 今日、日本においても、海外での支援活動を行うNGO活動は盛んになってきている。しかし、医療活動を行うNGOは、AMDAやSHARE(32)等限られた数しかなく、特に精神保健活動に関してはJVC山形など1,2あるだけである。勿論、海外での支援活動は、緊急救援、母子保健等がプライオリテイが高いが、紛争や災害後の支援活動にはPTSDやトラウマが問題となることを考えると、精神保健活動がかかわる意義は少なくないはずである。
 心理社会的な問題は、その人や家族を無力感に陥れる。また、人は自尊心、自負心、自信、安心感などを回復することなしに、希望に適う生活や社会を自分達の手で作り出すことは出来ないと思われる。それ故、精神保健ケアシステムを整備していくことは重要な課題である。
 勿論そこでは、西欧の精神医学や心理学だけが導入されるのではなく、その文化の中の病に対する伝統的な考えや方法が尊重されなくてはならない。そして、草の根的に活動できるNGOは、精神保健の分野においても、これまでに蓄積された多くの経験を活かしながら、地球的視点で活動することが可能である。
 私達は、その様な地球的な視野で精神保健ケアを考えていこうと思うし、その視点を持って、日本の精神保健状況に問いかけ、改革を進めていく積もりである。


1  佐久間智子「第3回WTO閣僚会議報告」『2001Fora』市民フォーラム2001、No.45、2000年
2  Elaine Bernard,"A New Society Will Be Heard",The Washington Post,December
10,1999
3  ジェレミー・ブレッカー「シアトルからの道」『ピーピルズ・プラン研究』ピープルズ・プラン研究所Vol.1、No.1、2000年 
4  ヴァンダナ・シヴァ「歴史的分岐点としてのシアトル」『ピーピルズ・プラン研究』ピープルズ・プラン研究所Vol.1、No.1、2000年 
5  PTSD:Post Traumatic Stress Disorder、アメリカ精神医学会(American Psychiatric Association,APA)の精神科診断統計マニュアル( Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders,DSM)第V版で初めて採用された。
6  中井久夫「訳者あとがき」、ハーマン,J.L.、中井久夫訳『心的外傷と回復』みすず書房、1996年
7  小西聖子『「トラウマと被害」試論、戦争のトラウマを題材として』、『精神医療』No.15、批評社、1999年
8  小西聖子『解説』、ハーマン,J.L.中井久夫訳『心的外傷と回復』、みすず書房、1996年
9  DSM-W、高橋三郎、大野裕、染矢俊幸訳、『DSM−W 精神疾患の分類と診断の手引き』、医学書院、1995年
10. 外傷 trauma:人間の精神にとって圧倒的な体験によって、心的メカニズムに半ば不可逆的な変化を被ってしまうこと 
11 精神保健 mental health :狭義には、精神障害の予防や治療を指すが、本来は、精神の健康を保持、増進させる、すなわち心理的にも、身体的にも、社会的にもよりよい状態を目指すための諸活動
12 UNDP『人間開発報告書1999』、国際協力出版会、1999年
13 フランク、A.G.大崎正治訳『世界資本主義と低開発』、柘植書房、1976年
14 Financial Times, Weekend of 25-26 April,1993
15 債務帳消しキャンペーン日本実行委員会『債務の鎖を断ち切るために』2000年
16 蜂矢英彦編『精神分裂病者のリハビリテーション』、ライフサイエンス、1995年
17 木村真理子「病院と地域における他職種からなるメンタルヘルスチーム アメリカ合衆国およびカナダ」『精神保健福祉』、vol.30,No.7, 1999年
18 望月清隆「キューバ医療視察・メモ」『労働者住民医療』1995年
19 「第34条 医療保護入院等のための移送」
「都道府県知事は、その指定する指定医による診察の結果、精神障害者であり、かつ、直ちに入院させなければその者の医療及び保護を図る上で著しく支障がある者であって当該精神障害のために第22条の3の規定による入院が行われる状態にないと判定された者につき、保護者の同意があるときは、本人の同意がなくてもその者を第33条第1項の規定による入院をさせるため第33条の4第1項に規定する精神病院に移送することが出来る」「3 都道府県知事は、急速を要し、保護者(・・・その者の扶養義務者)の同意を得ることが出来ない場合において、その指定する指定医の診察の結果、その者が精神障害者であり、かつ、直ちに入院させなければその者の医療及び保護を図る上で著しく支障がある者であって当該精神障害のために第22条の3の規定による入院が行われる状態にないと判定された者につき、本人の同意がなくてもその者を第33条第1項の規定による入院をさせるため第33条の4第1項に規定する精神病院に移送することが出来る・・・」
20 「移送制度」の批判は、次のURLを参照。http://www.alpha-net.ne.jp/users2/chmeguro/
21 久木田純「開発援助と心理学」佐藤寛編『援助研究入門』、アジア経済研究所、1996年
22 アーユス「NGOプロジェクト評価法研究会」編『小規模社会開発プロジェクト評価ー人々の暮らしはよくなっているのかー』、国際開発ジャーナル社、1995年23 久木田純、同上 
24 伊勢崎賢治『NGOとは何か』、藤原書店、1997年
25 手林佳正「途上国における精神保健活動の実際・カンボジアのフィールドから」『響き合う街で』、やどかり出版、10号、1999年
26 Social Service of Cambodia(SSC),A Proposal for Model Social and Mental Health Centers in Cambodia, not published, 1998
27 手林佳正、岩間邦夫『財団法人中山隼雄科学技術文化財団 1998年度助成研究報告書』
28 Supporters for Mental Health (東京都目黒区中町1−25−16 大賀方) http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/3428/
29 手林佳正、岩間邦夫『財団法人中山隼雄科学技術文化財団 1998年度助成研究報告書』
30 手林佳正、岩間邦夫『庭野平和財団 1998年度助成研究報告書』
31 手林佳正、岩間邦夫、同上
@ 公的な保険医療システムが構築されていないので、施設の補修、スタッフの生活の保障が十分でなく、当面は保健医療活動資金が国際協力として持続的に提供される必要がある A 自国内で将来にわたる持続的な人材育成が必要である B 道路や交通機関などのインフラ整備や、貧困対策なども、通所治療援助を可能にする前提である
32 国際保健協力市民の会(Services for the Health in Asian & African Regions)

[おおがたつお 1945年東京都生まれ 心理療法士 市民と専門家のための健康医療ガイドセンター、途上国の精神保健を支えるネットワーク、目黒精神保健を考える会 「精神分裂病の家族に対する心理教育ー公開講座による試み」(『心の健康』1994年、第9巻、第2号) 「公的病院における社会化過程の現状報告ー病院に地域の社会資源を取り入れる試み」(『病院・精神医学』1998年、第132号) この頃思うこと:20才で決闘で倒れたガロアの伝記を読んだのが、69年だった。それから、かなり遠くまで僕たちは来てしまった。「左翼」は死語になりかけているが、今は障害者が元気だ。沖縄へも彼らは目を向けている。でも僕たちにも力がなくなったわけではない。]


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精神障害  ◇全文掲載
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