B 精神保健と途上国支援
しかし、精神保健で言えば、我が国の精神医療や精神保健のシステムは、収容を前提とするもので、欧米と比べても独特なものであり、決して途上国のモデルとなるものではない。
欧米においては、60年代から70年代にかけて、収容型の施設を解体して、地域でケアするシステムを発展させている。その代表的なものとしては、精神病院を廃止する法律を成立させたイタリアのトリエステや、イギリスのケンブリッジ地区の精神科リハビリテーションサービス Cambridge Psychiatric Rehabilitation Service、カナダのバンクーバーの大バンクーバー精神保健サービス機関 Greater Vancouver Mental Health Service Society(16)、アメリカのカリフォルニア州の統合サービス機関としてのビレッジ The Village (17)などがよく知られている。そして、私達は現在ラテンアメリカ諸国の精神保健のモデルを提供しているキューバの精神保健システム(18)に注目している。
日本では、長い間精神障害者は、「隔離・収容」されてきた。それを可能としたのは、1950年に制定された「精神衛生法」であり、そのもとにおいて精神病院の密室性、拘禁性や、それと表裏一体のものとして「精神障害」者の自発性の無視、権利の制限が行われた。しかし、1987年に「宇都宮病院事件」が起こると、その報道により日本の精神病院は世界の批判の集中砲火を浴び、改善が迫られたのであった。そこで作られたのが「精神保健法」(後に「精神保健福祉法」、1995年)である。それまでの悪名高い「精神衛生法」は改訂され、ある程度人権保護的な規定、例えば、任意入院への努力規定、権利に関する一定の告知義務、通信、面会の自由に関する一定の保障や、社会復帰の促進などが謳われた。だが、精神病院の開放化や「精神障害」者の権利の擁護(「自由化」)とはほど遠い内容となっている。
実際精神病院における人権侵害事件は続発しており,最近でも1996年、栗田病院事件(院長による詐欺,不当な使役),1997年,大和川病院事件(院内での暴行,その他違法な行動制限,職員の水増し等),1998年,犀潟病院事件(指定医の診察なしに拘束を受けていた患者の窒息死,その他違法な行動制限)等が起こっている。
さらにまた,長期入院の傾向も相変わらず続いており,入院数は1993年,34万4千人に対して1996年,33万9千人である。この数字は、開放化や自由化の実現にはほど遠いことを物語っている。
昨年「精神保健福祉法」は再び改訂され、「移送制度」(19)が新設された。
「直ちに入院させなければその者の医療及び保護を図る上で著しく支障がある者」を、都道府県の責任で「応急入院指定病院」に移送することが出来ることを制度化したのである。この移送制度は,措置要件(自傷、他害)がなくても,医療保護入院,応急入院させるために,車輌に閉じ込め搬送するという行動制限ができることを大前提にしている。そして,「直ちに入院させなければ医療及び保護を図る上で著しく支障がある」と,これまでの医療保護入院の要件を一歩も二歩も進めている。
更にこの移送制度の新設に関連して,都道府県知事に移送に関わる相談を受け付ける体制・相談の受付窓口を設ける事を義務付けた。まさに、「隔離・収容から地域へ」,「社会復帰のための受け皿の充実を」と謳った「精神保健福祉法」は、移送制度の新設によって、「処遇困難者専門病棟」建設や「触法精神障害者対策」等の保安処分制定へと連なる布石になっている(20)。
私たちは途上国に生きる人達と、精神保健を入り口にして触れあいながら、先進国にいる自分たちの精神保健システムや生活や環境の矛盾を絶えず見直していきたいと考えている。私達が途上国支援をすることによって、このような私たちが当たり前として受け入れてしまっている精神保健の現状を見直すことが出来るからである。 そもそも精神的ケアと言うのは、地球上のどこの地域に生きる人でも受けられることが望ましく、心理社会的な課題を抱える人達へのサポートは欠かせないわけである。
カンボジアの精神保健の現状(25)
「国連開発計画」(UNDP、1999年)によれば、カンボジアは人間貧困尺度(Human Poverty Index 40歳以上まで延命しない人々のパーセントや成人の文盲率、安全な水や保健サービスに到達できない人々の割合、5歳以下の子どもに占める低栄養児の割合などを指標として算出される)もジェンダーエンパワーメント(Gender Empowerment Measure 国会議員や管理職、専門技術職の中の女性の比率や性による収入差などの指標から算出される)も、アジア諸国の中で最低値を示している。5歳以下の子どもの約半数が基準体重に満たない低栄養児である。平均寿命は、男性51.5才、女性55.0才、平均53.4才である。
また、カンボジアの精神保健状況については次のようなことが指摘されている(26)。
① かっての葛藤が現在も引き続き起こっている
家庭を失ったり、家族が引き裂かれることは、未亡人や孤児を数多く生み、多くの場合彼らは生きていく自信も技術もなく、まして目標に向かって前進するということもない。/クメール・ルージュの時代を生き抜いた人々は、かって経験したトラウマに強く影響されているが、20年経過して、PTSDと診断される人はほとんどいない。もっともよく見られる問題は、抑うつと不安であり、しばしば身体化して訴えられる。重篤で罹患期間の長い精神病、たとえば分裂病は、世界的な比率と同様に起こっている。/
男性が少なく、女性が多い。性人口比率が釣り合っていないため、女性と子供にとって、経済的、社会的、心理的に傷つくような行動ー不貞、多婦、サポートしないで追い出す、家庭内暴力が増加している。/
地雷が使用されたことや簡単な予防医学的なケアもないために、身体障害児・者の比率が高い。その個人と家族にとっては、これらの障害に対する医学的また社会的な費用は驚くほど高価である。/戦争で多くの人を失った後、カンボジアはまた人口増加中である。ほとんどの女性と多くの男性は、産間調節の情報やそのための用品を求めているが、導入されたばかりですべての人に利用できるようにはなっていない。
② 伝統的なサポートシステムが侵食されている
僧侶が殺され、寺院が冒涜され破壊され、宗教が抑圧されたことで、弱い人々を十分にサポートしようとしない浅く表面的な精神基盤になっている。/クメール・ルージュが、地域社会や家族の中で、人を裏切ることを奨励したために、人々の中に不信が生じ、コミュニテイや家族的な努力が起こりにくくなっている。
③ 権威的なものへの依存
個人的な思考をめぐらせることを抑制すること、日常生活上の目に見える違反行為に厳しい罰を加えること、そして自由に表現することや教育から遠ざけられた期間が長いことなどが、自分が主導権を取ったり、創造的に問題解決に当たるよりは、権威的なものの指図に従っていることのほうを心地よくさせた。/隣国のベトナムの国民に責任を預け、カンボジア人のエリートに内容のない儀礼的な責任だけ持たせた植民地政府の歴史から、社会のどの水準においても、形式について価値を置きすぎるようになった。また、この高い地位の人と低い地位の人との間の、主従関係という歴史的な伝統は、依存性を強くする。そしてこれはカンボジアのあらゆる水準で、ほとんどのリーダー達が実践し続けていることである。
カンボジアではかって首都プノンペンに精神病院が作られていたが、1975-79年のポルポト政権下での徹底した破壊と虐殺の結果、精神科医は1名が生き残るだけとなった。
その後、国際的な援助が、タイーカンボジア国境の難民と避難民の救援から始まったが当時の西側諸国の経済制裁政策により、約2年で激減し、一部のNGOを除いて1989年のソヴィエト連邦の崩壊までは、社会主義諸国の財政的・技術的援助が中心であった。1991年のパリ和平協定以降は、経済の自由化や財産所有権の合法化が進み、西側諸国からの援助が復活した。
1992年5月に、カンボジア政府は、精神科外来の設置と精神科医及び看護婦の養成を内容とする精神保健政策を、オスロ大学難民心理社会援助センターとAMDA(Association of Medical Doctors of Asia、アジア医師連絡協議会)などのNGOやWHOの協力の下に開始することを決定した。そして、1993年1月よりシハヌーク(Sihanouk)総合病院の一角に精神科外来が開かれた。オスロ大学は、CMHTP(Cambodia Mental Health Training Program )を行い、志願した10人の他科の医師に4年間の予定で精神医学を教え、日本側のAMDAは精神科看護婦のトレーニングと薬剤の提供、事務職員の雇用、建物の補修などを行った。
1995年の1年間の新患数は約1600人、1日あたり平均来院患者数は150人におよび、その後増加傾向にある。カンボジア政府保健省は1996年8月、各州に最低1カ所の精神保健センターを設置することを決め、シハヌーク総合病院の精神科外来を継続する一方、1998年にバッタンバン(Battambang)州病院に精神科外来を作った。しかし精神科医師の不足と薬剤購入費がないなどの理由で、他の地域では行えていない。
1999年の時点でカンボジアで活動する精神保健NGOは、TPO(Trans Psychosocial Organization)、SSC(Social Service of Cambodia)、IOM(International Organization for Migrannts) と、 Roy Foundation for Children Cambodia、 HPRT(Harvard Program of Refugee Trauma )と、著者の関与しているSUMH(Supporters for Mental Hearth、途上国の精神保健を支えるネットワーク)の6組織がある。TPOはカウンセラーを養成して、バッタンバン、プーサット(Pursat)、シソフォン(Sisophon)の3カ所で地域ケア等を展開している。SSCとIOMは、ソーシャルワーカーを養成して、プノンペンでデイケアを、そしてコンポンスプー(Kompong Speu)で地域ケアを行っている。Roy Foundation は、タクマウ(Takhmau)にあるカンダール(Kandal)州病院(Chey Chum Neas Hospital)児童精神科外来を開き、HPRTは、シュムリアップ(Siem Reap)で地域ケアを行っている。
カンボジアは今、政権も安定に向かい、最近はASEAN への加盟も認められた。このことはまた、多国籍企業の市場へと組み込まれていくことを意味している。
精神保健の問題では、急激な社会の変動に適応することの出来ない人たちが、精神科を受診していると思われる。しかし、この30年間の変動は、多くのPTSDを生み出したと思われるが、未だそれを問題にするまでには至っていない。だからといって、日本や西欧の精神医学をカンボジアに導入することが、問題の解決をもたらすとは思えない。特に、隔離・収容政策で進められてきた日本の精神保健の現状は、変革すべき対象ではあれ、モデルにはなり得ない。今のところ、カンボジアでは精神科病床は持たない方針のためゼロとなっている。むしろ、伝統的な治療システム(27)、治療環境、カンボジア独自の共同体(アソシエーション)を再評価しつつ、カンボジアに適応した癒しのシステムを作っていくことこそ、大事な課題と思われる。そして、それはカンボジアの人たちの事業として、多国籍企業による支配との闘いとも連携しつつ、作り上げていくことを意味する。
「途上国の精神保健を支えるネットワーク」(28)
私達「途上国の精神保健を支えるネットワーク」は2年前から、カンボジアの精神保健にかかわりを持っている。実際は国際協力を開始する前段階として、調査活動を研究助成を得てすでに行ってきた。「カンボジアにおける民間信仰が精神保健課題解決に果たす役割についての実証的研究ーカンボジアの人々は精神保健上の課題について民族信仰的枠組みと西欧科学的な枠組みを如何に統合しているか」(29)及び「精神科医療機関を受診するカンボジアの子供達に対するリハビリテーション活動として『遊び』を導入した時の効果に関する実証的研究ー途上国における持続可能な児童精神保健ケアシステムを求めて」(30)である。
前者においては、カンボジアの人々が精神保健上の課題について、民俗信仰的な枠組みと西欧科学的な理解の枠組みを如何に統合しているかについて、実証的な方法を用いて検討を加えた。カンボジアを含む発展途上国では、WHOがかねてから指摘しているように、民俗信仰と結びついた伝統的な治療技術と近代的・科学的な治療技術を統合していく方向性こそが大切だと思うからである。具体的には、① カンボジア政府の精神保健政策を調査して概括した ② カンボジアの人々が用いる伝統的な治療に関する先行研究を要約した ③ カンボジアの人々が精神保健上の課題を持った時に援助を受ける事例を収集し、分析(PAC分析 Personal Attitude analysis)をして、不調の現れ方や病因理解の構造、又受療行動について検討を加えた ④ カンボジアの精神保健従事者や病者自身が持っている心理社会的リハビリテーションなどに関する考えを質問紙調査した ⑤ カンボジアにおいて先行している精神保健プロジェクトの実態を調査した。
後者の研究では、未だ復興の途上にあるカンボジアの児童精神科外来に、遊戯療法技法を導入し、その効果研究を行った。遊戯療法は、その国にある条件を生かして、少しだけの維持費用があれば継続できるので、途上国の児童精神保健ケアとして選ばれてよい援助技術であると言える。そして、専門的なケア機関が乏しく、地域社会の人々が障害を持つ子供達を支えることの多い途上国においては、遊戯療法が交友生活の拡大を促進することは、その子供が地域社会との接触を増やしていくことに繋がり、まさに有効な国際協力研究であると考えられる。私たちは、これまでのように外国からの援助か、輸入しなければ手に入らない薬物による治療だけではなく、「遊び」という今の途上国にある条件が持つ治療的な意味を見直そうとしているのである。そして、実際このことを通じて、遊戯療法が交友生活の拡大を促進させており、児童精神保健ケアのメニューの中に取り入れられるようになっている。但し、有効に活用していくのには障害がないわけでもないことは忘れてはならない(31)。 これらの調査を踏まえて、今後私達は地域における精神保健システム作りの一環としてプノンペンで「精神障害者が働く食堂」の設立・運営と、収容や薬物治療に依存しない地域精神保健システムを切り開き、実践しているキューバへの研修を計画している。
1 佐久間智子「第3回WTO閣僚会議報告」『2001Fora』市民フォーラム2001、No.45、2000年
2 Elaine Bernard,"A New Society Will Be Heard",The Washington Post,December
10,1999
3 ジェレミー・ブレッカー「シアトルからの道」『ピーピルズ・プラン研究』ピープルズ・プラン研究所Vol.1、No.1、2000年
4 ヴァンダナ・シヴァ「歴史的分岐点としてのシアトル」『ピーピルズ・プラン研究』ピープルズ・プラン研究所Vol.1、No.1、2000年
5 PTSD:Post Traumatic Stress Disorder、アメリカ精神医学会(American Psychiatric Association,APA)の精神科診断統計マニュアル( Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders,DSM)第Ⅲ版で初めて採用された。
6 中井久夫「訳者あとがき」、ハーマン,J.L.、中井久夫訳『心的外傷と回復』みすず書房、1996年
7 小西聖子『「トラウマと被害」試論、戦争のトラウマを題材として』、『精神医療』No.15、批評社、1999年
8 小西聖子『解説』、ハーマン,J.L.中井久夫訳『心的外傷と回復』、みすず書房、1996年
9 DSM-Ⅳ、高橋三郎、大野裕、染矢俊幸訳、『DSM-Ⅳ 精神疾患の分類と診断の手引き』、医学書院、1995年
10. 外傷 trauma:人間の精神にとって圧倒的な体験によって、心的メカニズムに半ば不可逆的な変化を被ってしまうこと
11 精神保健 mental health :狭義には、精神障害の予防や治療を指すが、本来は、精神の健康を保持、増進させる、すなわち心理的にも、身体的にも、社会的にもよりよい状態を目指すための諸活動
12 UNDP『人間開発報告書1999』、国際協力出版会、1999年
13 フランク、A.G.大崎正治訳『世界資本主義と低開発』、柘植書房、1976年
14 Financial Times, Weekend of 25-26 April,1993
15 債務帳消しキャンペーン日本実行委員会『債務の鎖を断ち切るために』2000年
16 蜂矢英彦編『精神分裂病者のリハビリテーション』、ライフサイエンス、1995年
17 木村真理子「病院と地域における他職種からなるメンタルヘルスチーム アメリカ合衆国およびカナダ」『精神保健福祉』、vol.30,No.7, 1999年
18 望月清隆「キューバ医療視察・メモ」『労働者住民医療』1995年
19 「第34条 医療保護入院等のための移送」
「都道府県知事は、その指定する指定医による診察の結果、精神障害者であり、かつ、直ちに入院させなければその者の医療及び保護を図る上で著しく支障がある者であって当該精神障害のために第22条の3の規定による入院が行われる状態にないと判定された者につき、保護者の同意があるときは、本人の同意がなくてもその者を第33条第1項の規定による入院をさせるため第33条の4第1項に規定する精神病院に移送することが出来る」「3 都道府県知事は、急速を要し、保護者(・・・その者の扶養義務者)の同意を得ることが出来ない場合において、その指定する指定医の診察の結果、その者が精神障害者であり、かつ、直ちに入院させなければその者の医療及び保護を図る上で著しく支障がある者であって当該精神障害のために第22条の3の規定による入院が行われる状態にないと判定された者につき、本人の同意がなくてもその者を第33条第1項の規定による入院をさせるため第33条の4第1項に規定する精神病院に移送することが出来る・・・」
20 「移送制度」の批判は、次のURLを参照。http://www.alpha-net.ne.jp/users2/chmeguro/
21 久木田純「開発援助と心理学」佐藤寛編『援助研究入門』、アジア経済研究所、1996年
22 アーユス「NGOプロジェクト評価法研究会」編『小規模社会開発プロジェクト評価ー人々の暮らしはよくなっているのかー』、国際開発ジャーナル社、1995年23 久木田純、同上
24 伊勢崎賢治『NGOとは何か』、藤原書店、1997年
25 手林佳正「途上国における精神保健活動の実際・カンボジアのフィールドから」『響き合う街で』、やどかり出版、10号、1999年
26 Social Service of Cambodia(SSC),A Proposal for Model Social and Mental Health Centers in Cambodia, not published, 1998
27 手林佳正、岩間邦夫『財団法人中山隼雄科学技術文化財団 1998年度助成研究報告書』
28 Supporters for Mental Health (東京都目黒区中町1-25-16 大賀方) http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/3428/
29 手林佳正、岩間邦夫『財団法人中山隼雄科学技術文化財団 1998年度助成研究報告書』
30 手林佳正、岩間邦夫『庭野平和財団 1998年度助成研究報告書』
31 手林佳正、岩間邦夫、同上
① 公的な保険医療システムが構築されていないので、施設の補修、スタッフの生活の保障が十分でなく、当面は保健医療活動資金が国際協力として持続的に提供される必要がある ② 自国内で将来にわたる持続的な人材育成が必要である ③ 道路や交通機関などのインフラ整備や、貧困対策なども、通所治療援助を可能にする前提である
32 国際保健協力市民の会(Services for the Health in Asian & African Regions)