障害個性論
―知的障害者の人間としての尊厳を考える―
森 正司 1999
last update: 20151221
目次
1.序論
1.1背景説明
(1)「障害は個性である」という言説の経緯
(2)障害個性論の周辺
(3)「障害個性論へ」、「障害個性論から」
(4)知的障害者による障害理解と障害個性論
(5)障害個性論が主張される状況
1.2問題提起
2.本論
2.1障害個性論に肯定的な立場を考える
(1)安積純子
(2)石川 准
(3)土屋貴志
(4)小池将文
2.2障害個性論に否定的な立場を考える
(1)佐久本洋二
(2)豊田正弘
2.3肯定・否定を越える立場を考える
立岩真也
2.4障害個性論を補完する
(1)改めて「障害個性論」を考える
(2)「他者」を認める
(3)「他者」としての知的障害者
(4)限界
3.結び
文献表
注
4.謝辞
1. 序論
1.1背景説明
(1)「障害1は個性である」という言説の経緯
この言説は障害者解放運動の中から誕生しており、1970年代に脳性マヒ者の団体「青い芝の会」などで盛んに用いられていた。「『障害=かけがえのない個性』は『青い芝』以来の障害者運動では一種綱領的な命題である。(1992 石川 准 『アイデンティティ・ゲーム』p127)」 このような表現でなくとも同じ思いを抱いていた障害者は多かったようである(1998 石渡和実 『障害者問題の基礎知識』)。またこのような障害者自身の自己主張を受けるかたちで障害者に理解の深い人々の間にこの考え方は広がったようである。
政府が閣議決定を経て刊行する『平成7年版障害者白書 バリアフリー社会をめざして』(1995年総理府)でこの障害個性論を取りあげた部分がある。第1章第1節 「障害者を取り巻く4つの障壁」の4番目に「意識上の障壁」として社会の障害者観の変遷過程が4段階に分けて述べられている。
第一段階 無知と無関心による偏見と差別の障害者観
第二段階 憐れみ、同情の障害者観
この2つの障害者観は、障害者を障害のない人とは異なった特別の存在と見る点で共通しており、意識上の障害そのものと言える。
第三段階 現在の主流といえる「共生」の障害者観
「ノーマライゼーション」「インテグレーション」の理念はこれによる。
第四段階 「障害は個性である」という障害者観
健常者が障害個性論を捉える場合にも様々な問題、疑問があるが、政府が刊行する白書にこの考えが取り入れられる場合はさらに問題、疑問が湧出する。これらの問題についても後に検討する。
(ここまで森による「意識上の障壁」のまとめ)
(2)障害個性論の周辺
このように障害個性論は初めに障害者が主張し、そのあと健常者がその表現を用いていくという経緯がある。しかしここで考えておかなければならないのは障害者が、あるもの(自分の障害)を何か大切なもの(個性)として提示しなくてはならないこと自体が問題ではないだろうか(立岩1997,p401)。現在、非当事者(健常者)が感受するある属性(たとえば障害)をもつ存在の可能性を消去することが行われている(出生前診断、受精卵診断)。「障害は個性である」と主張することで自己の障害を障害者が肯定しても、個性であると述べた障害は、出生前診断などが行われている社会では明らかに否定されているであろう。
例えば、障害児を産んだ母親は「障害」が社会や個人から否定的にのみ価値づけられていることを思い知らされる。この否定的な障害観それ自体を問い直すことが必要となる。そこでいくつかの立場がある(『生の技法』p85)。
・「障害」が障害として社会的に構成され、理解される場合に作用する暗黙の基準(それが単に生産能力優越的な資本主義的合理主義のものでしかない)としてそれを批判していく立場。[具体的には、公教育から企業の業績(資本主義的合理主義)までを貫く近代社会の根本原理である、良質で均一な労働力の存在を求める能力主義を限定、ないし否定する。]
・「障害」を「個性」として理解し、それを積極的に表現していこうとする立場。この立場がこの論考で検討される主題である。
・みんな[障害者]の足りない部分を補いつつ共に生きようとする立場。
(3)「障害個性論へ」、「障害個性論から」
健常者の在り方として、自分のある部分は好きだが、ある部分は嫌いだ、できるなら直したい、と大抵の人は気軽に口にするし、考える。
ところが障害者の場合、つぎのような問題がある。「基本的な問題は、障害がことさらに取り出され、否定され障害を持つ人に結びつけられ、その人全体が否定されてしまうことである」(『生の技法』p162)。このように社会ないし個人により「障害」に対して否定的な価値づけがなされている。この否定に対して障害という負の価値を転換して価値あるものと主張する言説が現れた。この障害個性論(<3>)が主張される以前に2つの考え方(<1>、<2>)があり、さらに障害個性論を越える理論づけとして2つの考え方(<4>、<5>)がある。
<1>「障害」と自分の本体とを切り離し別のところで自分の価値づ
けを試みる方向がある。
この方法の問題点は、障害を貶める健常者文化とではなく、貶
められる障害と闘ってしまうところにある。つまり問題を社会に
突き返す契機が弱い。
<2>「障害」を否定するために「障害」を克服する方法が選ばれる
場合もあった。そのために補償努力が行われる。
<3>障害個性論が登場して「障害」を肯定し、マイナスの価値づけ
を転換し、「障害はかけがえのない個性である」と主張されたの
であった。
<4>「障害は個性である」と認めたうえで「障害/健常」という二分
法の存立そのものを解体する。
<5>障害個性論の枠組みから出る。個別の障害が良いか悪いかを判
断するという場から降りる。「障害が個性である」ととても認識
できない、あるいはその当事者自身主張できない場合、すなわ
ち意志を起点とする原則が通用しないのではないかと考えられ
場合(具体的には知的障害者)に、この障害個性論を補う考え
が、私たち健常者側に必要とされる。
(4)知的障害者2による障害理解と障害個性論
はじめに、身体障害者と知的障害者における障害の違いについて考えてみたい。石川准氏は朝日新聞<ひと欄>(1994.4.19)で「自分から障害を差し引かずに生きたい」と述べている。これは前述の(3)の<1>(障害と自分の本体を切り離し、別のところで自分の価値づけを試みる方向)の否定であるが、全盲である氏は障害を差し引いたり、差し引かないようなものとして自己から切り離し可能なものとして捉えている。つまり、身体障害は自己領域から追放できるようなものとして、当事者に意識されるうるものなのである。これに対して、知的な障害はどのようなものとして当事者に意識されうるだろうか。
障害者が自己の「障害」を理解する場合、身体障害者の障害理解と、知的障害者の障害理解とは違うであろう。身体障害の場合、肢体不自由などのように、自己の障害が身体的損失などにより、その能力が低下していることなどをよく理解できる。ところが知的障害者は自己の障害をどのように理解しているであろうか。
「例えば、生まれる時に酸素が少なすぎたために大脳に損傷を受けたというように、障害の原因をわかりやすく説明することは重要である。本人の多くは、障害とは実際に何を意味しているのか、それはどのようなものなのかについて非常に不確かで、はっきりと理解できていない。そのため、訓練すれば障害は取り除けるのだろうか、あるいは障害が徐々に消えていくことはあるのだろうかなどと考えてしまう。」(1994 柴田洋弥/尾添和子『知的障害をもつ人の自己決定を支える』 p25)
「ウレ「知的障害がどんなことなのか知らない人は、たくさんいます。私だってまだ知りません。それがほんとうはどんなことか、だれも教えてくれなかったから」
ステン「それはキズのようなものじゃないの?生まれるときとか、ほかのときについた…」
ブリット「私のお母さんは、私が生まれたとき、大脳にキズがついたと、私に話してくれた。それで、私は、そうだと思ってきたの」」
(「私たちは知っています・知的障害とはどんなことかを」本人用学習書:前掲p29)
知的障害者に知的障害を自己認識させるには本人と率直に話し合い、わかりやすく説明すればある程度理解される。自分が買い物をしたときおつりの計算ができないとか、初めての場所に自分ひとりで行けないなど理解力や判断力があまりないことが自己理解される場合もある。しかしほとんど言語をもたない重度の知的障害者の場合、自己の知的障害を理解させることは非常に困難であろう。彼ら自身が「知的障害は個性である」と意識し理解し主張することは非常に難しいと考えられる。障害個性論はその主張され始めた経緯からみると、障害者の側から健常者ないし社会の側へ向けて主張されてきた。ところがこの「障害者から」は「すべての障害者から」ではないのである。運動の主体になることができない障害者が存在する。
(5)障害個性論が主張される状況
障害個性論が主張されるとき、どのような立場で誰を対象としてこの主張がなされるかで、いくつかの状況が考えられる。ここで方向づけをし、整理しておくことにする。私が本稿で論ずるのは、「障害は個性である」という言説を命題として真偽を問うのではなく、この言説がどのような立場で誰が誰に述べられた時に、どのような効果・影響が働くのかを考察することである。
一般の健常者 障害者へ 著しい抑圧の道具…<1>
健常者
介助者・家族 障害者 励まし(肯定)…<2>
言えない(否定)…<3>
身体障害者 障害者 障害受容の効果,ピア・カウンセリング…<4>
障害者 健常者 障害者観の転換…<5>
知的障害者 主張すること自体困難…<6>
(図1)
この図の<6>で注意すべきは、知的障害者が「障害は個性である」と主体的に主張すること自体が困難であるという意味であり、「障害は個性である」という主張は第三者である家族・介助者には言えるであろうことを意味する。また、障害者を家族にもつ健常者は、一般の健常者と違う障害への認識があるのではないか。<2>と<3>という相反する捉え方になるのはなぜか。「障害は個性なんだよ、だから普通に生きたらいいんだよ」と家族としての障害者を励ますことが可能なのは、身体障害者や軽度・中度の知的障害者を対象とする場合になるのではないか。重度の知的障害者を家族にもつ者が、第三者に向かって「この子にはこの子独自の世界が広がっていて本当に個性のある子だよ」とは言えるが、家族としての重度知的障害者に向かって「お前の知的障害は個性なんだよ、だから普通に生きたらいいんだよ」と言っても、理解ができないので、とても言えないということになる。知的障害者の主張(決定)能力を問題としたいのはこの理由による。また、この問題は知的障害者の主張(決定)能力は生の中にどう位置づくのかを私たちに考えさせることになる。主張(決定)能力を起点として能動的・主体的に生きていくことだけが人間にとって望ましい生き方なのかを問うことにもなる。ところで、「障害は個性である」をa)「身体障害は個性である」とb)「知的障害は個性である」と分けて考えてみると、a)は自己による自己の障害把握と他者による外側(健常者)からの障害把握の両方が可能であるのに対して、b)は他者による外側からの障害把握が中心になるであろう(1.1(4)参考)。この図の分類は後の考察で用いる。
1.2 問題提起
私は「障害は個性である」という言説を初めて聞いたとき、違和感を持った。違和感を持ったこの言説の意味するところを、調べてみたいと思った。夜遅く街を徘徊する重度の知的障害者に出会うことがある。街の灯りの中をいつまでも歩いている。また毎朝、バス停で手を噛んで両足に体重を交互に移しながら、作業所へ向かうバスを待っている年老いた知的障害者に会う。私は彼らの人生がどのような意味を持っているのか知りたい。「どのような意味を誰が持つのか」というのは、「彼自身にとっての意味」であるし、その彼を取り巻く「われわれにとっての意味」である。
「障害を肯定する」「障害は個性である」と障害者側が主張することになったのは、この社会(健常者を中心とする)が彼ら(障害者)に対して、否定的な規定をしてきたからである。例えば、「人間として価値が低い」「精神的・経済的負担が増して家族が不幸になる」「本人が不幸である」「社会的に見て有用でない」「社会の負担になる」「周囲の者にとって不都合である」「手間がかかる」「不必要な人間である」「経済社会に役に立たない」「生産活動に向いていない」。このようなことばや眼差しが自らに送られることに抗し、自己の再規定をし、自己定義の変更を促す運動を展開し、私たち・社会の側に「障害は実は個性なのである」ということばを送り返したのである。このことでこの社会にある「どこまで障害者でなくなるか」、「どこまで障害を克服するか」、という問題の設定から、「今のままの自分でよいのだ」という自己肯定へ、自らを移動させようとしたのである。障害個性論が主張されるとき、肯定の立場をとるか、否定の立場を取るか、どちらにも与しないのかその意見の立脚点を考察することになる。また本稿の最終目標である知的障害者の人間としての尊厳については、本人でありながら肯定・否定の主張自体が困難である(ほぼ不可能な場合もある)ので新たな枠組みで考察が試みられることになる。障害個性論を主張する場合、<6>の場合を除いていずれの立場も主体的な主張であることが確認できる。ところが<6>の場合は、主体的主張は軽度・中度の知的障害者が適切な援助がなされた場合に限りなされるものと考えられるのではないか。ここに障害個性論を運動のスローガンとすることの限界があり、これを補完する試みがなされる。決定能力と生産能力がこの社会では重視されており、健常者はこの両者を備えている。また身体障害者は決定能力はあり、生産能力に欠けるところがあるが知的労働者になりうるということで、この知的能力優位の社会では知的労働者たちの支持を得ることができる。これに対して知的障害者は決定能力に欠けるところがあり、そのことで生産能力を発揮しにくい立場になっており、この知的能力優位の社会では尊重されにくい。また主張する側、語る側がいつも強い立場、より正常である立場に立ってきたという歴史がある。語ることの力こそ知の力であり、排除する側に立ち、語られる側は弱い立場に貶められてきた。まさしく重度の知的障害者は語ることができないものとして存在する。そこで知的障害者を、この問題を考察する典型的な対象として設定し、彼らの人間としての尊厳をどのように社会(多数者である健常者)が考えるべきかを検討してみたい。そのことで私たち健常者の側が、彼ら(障害者)の人間としての尊厳を高める道を実際の行為のなかでどのように選ぶことができるかを考えてみたい。
本稿が目指すのは私たち健常者側にいる私が考察した平等システム実現への生き方論である。マジョリティ(健常者)側からの考察から得られた考えに過ぎないもので、これをマイノリティである障害者、とくに知的障害者に適用を試みることは結局、私たち健常者の側の論理による社会構築に向かうことになるのかもしれない。しかし、これまで障害者が自分たちの主体性をいかに確立するか、という運動の中で生まれた障害個性論は健常者を包み込もうとする戦略であったのだから、そのことを深く受け止めて私たち健常者の生き方を考えてみることには意義がある。その試みとしてこの論考は書かれる。
肯 定 的 立 場
・安積純子「自分を好きなる」
「自己を肯定する」
・石川 准 存在証明からの肯定
・土屋貴志「肯定/否定」という二分法の否定
・小池将文「障害は個性と考えたい」
否 定 的 立 場
・佐久本洋二「危険な表現である」
・豊田正弘「社会の責任を回避させる理由になる」
肯 定 ・ 否 定 的 意 見 を 越 え る 立 場
・立岩真也 「否定性を受け入れない」「場から降りる」
(図2)
2.本論
2.1 障害個性論に肯定的な立場を考える
(1)安積純子氏の生き方を辿ることで図1の<4>、<5>について考察する。氏は1983年から84年にかけて米国カリフォルニア州バークレーに住んだときの体験を次のように語っている。
「私もお金ちょうだいって声かけられたよ。それもすごいなって思うね。日本の障害者の女の子に10セントちょうだいとかさ。(中略)でもほんとに行ってよかった。あまりにもみんないろいろ違うっていうことにね、新鮮な感動だよ。だから自分も徹底的に違っていいっていうふうに意識的には思わなかったけど、無意識的には思って帰ってきただろうね。」
(「<私>へ─三○年について」『生の技法』p20〜56)
「なんだ、人と変わっていて当たり前じゃないかとかね。人と変わっているということはいいことじゃないか。(中略)日本語でも人と変わっているということを言うときに、少し受け入れやすい言葉として個性的という言い方があると思いますけれど」
(『障害は私の個性』神高教ブックレット16 p4〜5)
安積氏の場合、自分を好きになり、自己を肯定するきっかけをアメリカ留学で手に入れたようである。これは個性の評価における文化の違いの影響が大きいともいえるが、当事者が自己の障害を受け入れ、それを肯定的に捉え障害を個性とまで表現できた例である。
しかしこのことは障害を受け入れるまでの道のりが日本では非常に困難である証明でもある。
「養護学校教育の中で徹底的に、「お前は障害者だから人の迷惑になっちゃいけない」とか「じゃまになっちゃいけない」とか、「障害を持つことはよくない。悪いことなんだ」というような教育を受けてしまっていたものですから、自己肯定については非常に悲しみ、驚きかつ嘆きました。」
(神高教ブックレットp1)
障害を個性と主張し肯定するとき、以下に挙げるようなストレスを当事者である障害者は持つであろう。
「人と違って何が悪いと一生懸命開き直って障害者運動を戦っていました。マイナスの方に揺れていた自分の自己イメージというものを、こんどは障害者運動の中でプラスに転化しようと思って一生懸命がんばるわけですよね。でもどっちにしても、マイナスからプラスっていうか、極限から極限へという緊張状態にあるわけです。」
(神高教p2下線は森による)
なぜこのような緊張状態に陥るのか。
「肯定するという言葉を、単に否定の反対、プラスに評価するということだと考えると、危険がないとはいえない。否定する力が激しければ激しいだけ、それに逆らう肯定への意志もそれだけ熱を帯びる。だが、吹っ切ろうとやっきになり、自分に没頭しすぎるあまり、抜き差しならないところにはまりこみはしないか。」
(立岩真也『生の技法』P161)
社会が「障害」に対して持つ抜き去りがたい否定的価値やまなざしが「障害」を持つ者に容赦なく押し寄せてくるとき、当事者は肯定すると言わざるを得ない状況に、はめ込まれていると言えるのではないか。このとき障害の治療や除去に障害者自身が向かって行動しているという意味で障害者はぎりぎりのところで、この社会が持つ「障害」の否定を受け入れてしまっているように考えられる。そのうえで「障害は個性である、障害を肯定せよ」と主張させられているのではないか。健常者が障害者に対して「障害は個性である」と主張するとき図1の<1>に分類されたように、著しい抑圧の道具としてこの言説は機能する。またそのように機能するように社会の中に方向づけがあり、それに乗らされている障害者がいる。健常者にとっても個性は、ひとつの自己肯定の「闘い」のなかでその人独自の特徴として生まれ出るものである。自分にとって個性は好きで肯定できるものであったり、嫌いで否定したい・できれば直したいものとして存在し「これこれは個性である」と主張することで他者の承認が得られる。たしかに「障害という個性」はこの社会では否定的なものとしての把握がなされてきた。それは消去あるいは軽減すべきものとされ、それが不可能な場合、健常者のなるべく負担とならない場に置かれようとしてきた。またその障害という個性はそれをもつ存在自体の否定、さらには抹殺にまで至った。この意味で「健常者の個性」と違う処遇が社会でなされてきたといえる。
「あなたの鼻が高いように、あなたの足が長かったり短かったり。それから目の大きい人小さい人がいるように、そういう個性の延長としてひとつ[個別の障害が]あるんです」
(安積 1990 p12)
これは安積氏が講演などで「障害は個性である」と話すときの言葉であるが、鼻の高低や足の長短や目の外的大小などの単なる外的形態的相違と、なんらかの機能障害・損傷から起こる能力低下である「障害」とを同様にみた言説だと考えられる。見られるものとしてある特徴と人が生きて活動するときに現れる特徴は同じ個性ということばで表現できるであろう。その同じ個性がなぜこの社会ではことさらに取り上げられ、否定的評価を与えられるのか。あってはならないものとして障害が認識されているかぎりは、このように主張されざるを得ないのである。このような社会の障害認識に対して「障害というのはかけがのない自分の個性なんだというふうな認識をしていこうというスローガン」(神高教ブックレットp10~11)なのである。障害個性論はやはり目標が確定された障害者解放運動のスローガンなのである。スローガンは障害者ばかりが用いるものでは本来なく、健常者も障害者自身の意図を十分に汲み取ったうえで用いるべきものであろう。これは運動が障害者内部の運動としてのみ行われることを避けるためにも重要なことである。「障害は個性である」と自らの障害に向けられた社会からの抑圧を払いのける主体として、また自身に向けてこの主張を主体化・内面化できる障害者(身体障害者、軽度・中度の知的障害者)と第三者から「あの障害こそまさに個性だ」と、このスローガンを周縁から主張してもらう障害者(重度の知的障害者)では、このスローガンの働きは違っているのではないか。少なくとも後者においては、社会を構成する障害者以外の他者からの理解があって、初めてスローガンとして効果を発揮することができるであろう。自己決定能力が重視されるこの社会にあって、理解能力・判断能力・主張能力は、障害個性論の効力を測るうえで障害者自身にとって重要な要素となる。この意味で知的障害者は障害個性論の射程から、ある部分はみ出たところに存在するといえよう。
ここまで私は障害個性論の限界について述べてきたが、積極的に評価できる効用(図1の<4>障害受容の効果)もある。障害者は自己に対する否定的まなざしに自分自身深く傷つき、ときに自信も意欲も喪失している場合が多い。
「そして見られてる私というものに対して、(中略)非常に肩身が狭いというか、穴があったら入りたいというか、自分が見られるということが非常によくないというか恥ずかしいというか、自分の身体に対する受け入れがまるでできてませんでしたから、非常に見られることから避けよう避けようとして歩いていました。」
(神高教ブックレットp3)
「一人の19の女でも、一個の人間でもなく暗い肉体を引きずった奇妙な物体―それが私、自分が自分であることから抜け出すことはできない。」
(「十代の日記」VTR『生まれておいでよ 安積遊歩40歳 出産の記録』より)
これは機能障害・能力低下・社会的不利を客観的次元の障害と呼ぶことに対して「主観的障害(体験としての障害)」(注1参考)と分類される場合であり、障害者自身がその障害をどう受け止めるかに関するものである。客観的次元における三つのレベルの障害の発生により、障害者は傷つき、意欲をなくし、他人に依存的になったり、家に閉じこもりがちになる。この自己に対する否定的評価を転換させる力が障害者自身の言説として「障害は個性である」と述べることにあると考えられる。このような言説により自己の障害を受容することで能力低下や社会的不利の状態をも改善する力が得られる。また機能障害と社会的不備から生じる能力低下、社会的不利とを切り離す効果がこの言説にはあるように思われる。そして氏は以下のように述べる。
「でも今はほんとに自分が障害を持ったということに対して、これは何かものすごく得をしたというような気がしてるんですね。」(安積 1990 p13)
この障害は、彼女自身感じる背中の苦痛やうまく歩けないという不便によるものであり、その機能・形態障害を社会が構成物として能力低下や社会的不利と結びつけてしまうことになる。この構図の中で健常者はなるべく障害を機能障害レベルに押し留めようとする。だからリハビリをして少しでも健常者に近づけようとする。しかし安積氏の場合、能力低下の状態を自ら選び取っている。そのことで自らの生きる範囲を広げ、活動的に前向きな人生を歩むことができている。障害は個性である、障害を肯定せよと言うことによって無理をしない人並みの生が得られるのである。
「そこで[障害者運動主催の花見大会に参加して]、なんと、車椅子を使っていいんだということを教えられたわけ。なんと驚くべきことに、車椅子を使っちゃいけないんだってそれまで言われてた。少しでも歩ける子は歩き、歩けない子は松葉杖を使い、車椅子っていうのは一番ひどい、かわいそうなことなんだっていうのがあったわけ。車椅子っていうのは一つの道具で、自分の行動半径や自分の生き方のなかで、自分が選び取りたければ選んでいいんだと…」(『生の技法』p29 [ ]内は森による補足)
ここでは機能障害が能力低下を発生させないように道具を利用させられるのではなく、障害者が自己の豊かな生活のために、道具を利用することを選び取って主体的に機能障害に働きかけているといえる。この場面はまさに障害者が健常者に働きかけ自らの主体性を確立する戦略に成功している場面といえよう。
「これからどんな人生になるだろう。一方的に何かを押しつけられ、様々なものを担わさられる人生なんてもうごめんだ。積極的に遊歩[安積氏のペンネーム]と名のり始めて、さらに人生が興味深く感じられる。私は車椅子の私が好きだ。」 (安積 1993)
安積氏が障害は個性であると言う場合、二つの意味があるように思われる。一つは自分の人生を振り返って障害は個性であると述べる場合、それは自己の歴史性の肯定であり、否定的に見ていた自分の障害を長い時間かけて認め、障害と付き合って生きていこうという考えの中から生まれた主張となる。自己の障害から影響を受けながら、決してその下敷きになって圧迫されながら生きるのではなく、自己の個性を育むものと捉えたものと考えられる。ある意味で障害は単に個性ではなく、個性を創り出すものとなっている。第三者から見た時に、安積氏の障害は透明化して、その人のかけがえのない個性として現われる。第二にこの言説を運動上のテクニック(手法)と捉えて用いるという意味がある。
以下、安積氏の考察を参考として、障害者が障害個性論を主張する場合の功罪についてまとめて挙げておくことにする。
<功>
・ 障害者が自己にも巣食う自らに対する否定を拒み、自己を肯定する力となる。
・健常者を「目指すべき者」とする価値観からの脱却をはかること
になる。このことで必要以上のリハビリや治療、訓練から障害者
を守ることができる。
・障害者の意識が障害受容に向かう結果、自身が本来持っている能
力を活用しようとする。
・社会が否定的に価値づけをしたもの(障害の規定)に、新たなプ
ラスの価値づけ(自らの価値形成)を図る障害者に接することで、
他の障害者ばかりでなく周囲(一般の健常者並びに介助者、家族)
の固定観念をも変化させることができる。このように障害を肯定
することで、障害者でもやればこれだけのことが可能であるとい
う発想や障害以外によいところがあるという発想を拒否できる。
<罪>
・「障害」をある意味で前面に出すことで障害自体を強調すること
になる。
・障害を個性であると捉え肯定するというとき、障害自体は変更で
きないことを前提している。
・「当事者幻想」になる。
・「障害は個性である」と障害者に主張されても、健常者である多
数者が「障害は個性である」という考え方をしてよいのかとい
う疑問がある。
・一般に「障害は個性である」という主張自体が不可能な障害者は、
自ら運動の主体になり得ない。
(2)初の全盲東大生として話題となった石川 准氏は「障害を克服するのではなく、自分の親しい個性として受け入れられるようになったのは、83年の米国留学の頃です」(下線は森による)と述べている。それまでは障害の負い目を克服するために、例えば東大を選ぶことで自分に高い目標を与えて存在証明という自己肯定を試みたりしていたという(朝日新聞1994.4.19 「ひと」欄)。
石川氏によると 「人が価値あるアイデンティティを獲得し、負のアイデンティティを返上しようとしてあらゆる方法を駆使することが存在証明である」(「アイデンティティの政治学」:1996岩波講座現代社会学15『差別と共生の社会学』p171~185所収)という。ここでは氏の考えを主として障害個性論の立場から考察してみることにする。氏は「存在証明が突出するのはとりわけ被差別者においてである。差別は人から存在価値を剥奪する。差別を繰り返し被った人びとは激しい自尊心の損傷を経験する。損傷した自尊心は修復を要求して存在証明に拍車をかける。」(同p172)と述べ、「存在証明が指摘されるのは、日常的なルーティンワークの外部に存在証明が突出したときである。」(同p172)として、存在証明が日常の流れの中で自覚されず、他者に気づかれることもなく、達成されている場から外部に突出した場合に人はどうするかを考察している。一般に障害者の場合の存在証明は日常のルーティンワークを通して達成され難く、そのことが自覚され、他者の知るところであり、公然と指摘され否定されることもある。障害者にとって存在証明は恒常的に突出することになり、その存在証明のために躍起になり、存在証明の無限のループに陥ることになる。
その方法には、<印象操作>、<補償努力>、<他者の価値剥奪>、<価値の取り戻し>がある。
<印象操作>とは、人は知られると否定的に評価される負のアイデンティティを隠し、価値あるアイデンティティの持ち主であるように見せかけるという存在証明の方法である。この場合、知られると否定的に評価される負のアイデンティティを「障害」とすると、その「障害」とは「社会的不利」として社会化される以前の状態として分類される「機能障害、能力不全」と考えられよう。印象操作の方法では自己の生物学的レベルや個人のレベルで捉えた障害が社会化され価値評価を受ける前の時点で、価値あるアイデンティティの持ち主であると装うことに躍起になるのである。ところが自己の障害を隠し社会に見せかけることに躍起になればなるほど内心の自己嫌悪が再帰的増幅作用を伴い、その障害はますます自分から切り離せないものとして存在する本質と思うようになるメカニズムが作動することになるのである。この方法では存在証明がかえって破綻することになる。
<補償努力>とは、価値あるアイデンティティを獲得することで、否定的な価値を帯びた自分を補償しようとすることである。これは「名誉挽回」といってもよい(1992 石川 p28)。この場合否定的な価値を帯びた自分とは障害をもつ者のことであり、その障害とは社会的存在としての人間のレベルで捉えた障害(社会的不利)のことである。この方法で障害を克服しようとしても、「彼は障害をもつが速く走ることができる人だ」という形式の評価しか得られない。補償部分としていくら価値あるアイデンティティを増幅、獲得したとしても、否定的な価値はそのままであり、相対的に減少したに過ぎない。かえってその障害がその人の本質として浮かびあがり、障害を完全に消し去ることができない以上、それで得られるものはアイデンティティの差し引き勘定をどうにかゼロ点に戻すことくらいである。
<他者の価値剥奪>とは、価値の相対性ということを前提として、人から価値を奪うという間接的な方法によって自己の存在証明を実現する方法のことである。これは存在証明のために人を貶めることであるから、これを「差別」という言い方もできる。しかしここで他者(眼前にいる)から奪える価値とは外在的価値であり、自己(このわたし)に深く刻まれてある「障害」という内在的・絶対的価値を増幅することにはならない、という消極的な方法である。
<価値の取り戻し>とは、社会の支配的な価値を作り替えることによって、これまで否定的に評価されてきた自分の社会的アイデンティティを肯定的なものへと価値転換をはかり自分の価値を取り戻そうとすることである。これを別言すると「開き直り」あるいは「解放」とも言えよう。これにはカテゴライゼーションの変更を要求する場合、既成のカテゴリーをあえて使う場合の二つの形式がある。
<1> カテゴライゼーションの変更要求という形式を取る場合は、所与の「障害」のカテゴライゼーションをいったん引き受けた上で、カテゴライズされた「障害」というカテゴリーが内包するものを肯定的なものへと変更しようと試みる。その過程で、既成のカテゴリ名を否定し、新しい名称を提案する。
<2> 既成の価値体系への闘いのために、既成のカテゴリーである「障害」なるカテゴリーをあえて使う場合は、「障害」というマイナスの符号をあえて主体的に選び取ることで、「障害」なるカテゴリーの内包するものを変容させようと試みる。
障害者解放運動のなかから誕生した「障害は個性である」という思想は「『障害』とか『障害者』という既成の恣意的なカテゴリー作用をいったん引き受けておいて、負の価値を負わされつつ創られたそのような差異の一つ一つに価値を与え返そうとする実践」(1996 石川 P181)である。<価値の取り戻し>は他者の価値体系の変更も同時に引き起こさなければ十分には実現しない。ところが、存在証明は連動しているから、だれかが存在証明の仕方を劇的に変更すると、それまで順調に存在証明を達成してきた他者の存在証明が脅かされることになりやすい。
以上4つの存在証明の方法について若干まとめておく。価値剥奪のために深刻なアイデンティティ問題を負った人びと、とくに社会的不利を背負わされた障害者は、その緩和のために躍起になって、<印象操作>、<補償努力>、<他者の価値剥奪>に頼る。これらの方法が、存在証明に躍起になればなるほどますますこれを必要としそこにはまり込む、無限のループを巡る閉じた行為であることを自覚すると、<価値の取り戻し>を求めるのである。
しかし、障害者はつねにこの方法に執着するわけではない。この存在証明を要求する社会的権力から超越するために、存在証明を不要とするありのままの自分に価値を置くことができれば、存在証明の無限ループから離脱することができる。これを<存在証明からの自由>と呼ぶ。
また、障害者解放運動の中から誕生した「障害は個性だ」「ありのままの自分を肯定しよう」のように、既成の恣意的カテゴリー作用をいったん引き受けておいて、負の価値を負わされつつ創られたそのような差異の一つ一つに価値を与え返そうとする実践としての<価値の取り戻し>は、価値の拡大を図る営みである。また一人一人の生命体に本来的に等しく内属する価値を無条件に承認し合おうとする活動である<存在証明からの自由>であるとも言える。これらは、既成の支配的な存在証明の体系を掘り崩す潜在力を有する、と分析している(前掲p181 森が要約、下線も森による)。
石川氏は下線部にあるように「既成の恣意的カテゴリー作用」や「負の価値を負わされつつ創られた差異」という否定性を受け入れることを認める。氏の言う<価値の取り戻し>は「障害」という否定性以外の部分に自己の価値を見出し、存在証明を図る営みである。しかし、この道は険しく、いかに価値の拡大を図ろうと、結局、「障害」という否定性は自己の価値全体のなかで相対的に縮小するに過ぎず、いつまでも自己の価値拡大をし続けなければならないのではないか。知的な能力のある障害者、すなわちこの社会で主体的に自己肯定でき、価値拡大を図れる障害者と知的な能力をうまく発揮できず主体的主張ができないためにこの社会で認められない障害者の、分断が生じることにもなる。知的な能力が取り出され、その能力で自己の価値拡大が図られることの多いこの社会において、重度の知的障害者は、<価値の取り戻し>は他者による適切なサポートがあろうと最終的には主体的に実践し難いのではないか。なぜなら主張や立論能力に欠ける知的障害者が社会にある自己の価値転換を図るためには、適切なサポートという他者による介入が必要であり、その他者による理解が完全でないかぎり、知的障害者の主体性が究極的には守られないことになる。ここに彼らの主体性ばかりに頼る必要のないさらに広い射程をもつ理論が必要となる。
(3)土屋貴志氏は「障害が個性であるような社会」において、障害者を福祉の名のもとに社会から隔離し隠すことが、社会の多数を占める健常者の「障害者はいないのが当たり前」「障害者は不幸」「かわいそう」という感覚をさらに増幅させることになる。そこで、障害者に対する偏見を再生産し続ける悪循環を断ち切る方法として、「障害者がいるのが当たり前」になるように日常の情景を作り上げる必要がある、と提言している。
(『「ささえあい」の人間学』森岡正博編著1994 P244〜261:土屋貴志執筆)
現在、この社会では障害者は隔離されているといえる。障害児学級、養護学校、作業所、授産施設、家庭など健常者の目に触れる場所から遠ざけられている。それだけでなく障害者が利用することを全く無視した街づくりがなされている。だから障害者が今いきなり街に出て社会のなかに積極的に出ると大きな困難にぶつかり、打ちのめされることが多い。
障害者が隔離された場から、一人の市民として地域で普通に生活できるように社会を変えていくノーマライゼーションがいまだできていないこの社会の中で「障害をありのまま肯定せよ」「障害は個性である」という主張を、健常者のみならず、自分や自分の仲間に対しても、言い聞かせていくということは、非常に厳しい状況に障害者を追い込む。なぜなら「障害」を消去・軽減すべきものとし、それができない場合には、社会活動・生産活動を阻害しないような位置に置こうとする、この社会の障害に対する否定的な把握があるからである。しかし、そのように他者に統制される生活を拒むことが自立生活運動の目的である。
土屋氏は障害個性論の主張が以下の二つの問題を指摘していると述べている。
<1> 障害の決め方が不適切である
<2> 障害の扱い方が不適切である
<1> では健常を前提としてそれ以外の状態を障害としていることに問題があるとする。健常・障害は客観的に区別できず、多数者であるか、少数者であるかによって大きく左右される相対的な概念であるという。<2>については、不適切に決められた障害を健常な状態へ直そうとすることに抗議しているとする。この主張は障害者本人の意志に反して行われる「治療」や「リハビリテーション」を拒否しようとする。また氏は先天性障害者を例として周りによって障害をもつことは不幸であると思わされることを指摘している。このような健常者文化のもつ価値観に同調することを拒否し、自己にある障害の存在を開き直って受け入れることを促す力がこの主張にはある。これに対して中途障害者は「障害はあってもいい」と開き直りにくいとしている。(土屋 1994 p246〜247)
「『障害』を規定するものとして唯一正当なのは、世間一般ないし他者の価値観を棚上げにしても、なお不便や苦痛として感じられることだけなのです。」(前掲p247)
だが、このきわめて主観的な障害規定の基準は身体障害者では有効であるが、知的障害者には基準として立て難いのではないか。知的障害者には、ある程度の精神的苦痛はあるにしても身体的苦痛はなく、生活上の不便が少しある程度であろう。逆に世間一般ないし他者の価値観こそ彼らを圧迫する社会的不利という障害を構成しているのではないか。
障害を規定するものがきわめて主観的な基準であるから、「客観的に『障害』と『健常』を区別する基準は立てられないことになります。」(前掲p248)とある。確かに主観的には「障害」を規定する唯一正当なものは「その人自身の不便や苦痛」だけである。しかし社会は「能率的生産に都合よい」、「負担にならない」などの暗黙の基準を持ち、障害はないほうがよいという方向づけを行っているとはいえる。
次に障害を個性と捉える見方は「障害/健常」という二分法のような粗い範疇を立てること自体を拒否するところまで到達している、という主張(1994 土屋p249)について考えたい。
「したがって何よりもまず私たちは、もっと障害を持つ人々と接し、障害の実際について知らなければならない。そして、個々の障害の中身について、もっと語らなければならない。それは、一人ひとりの障害を障害という粗いカテゴリーに当てはめて見るのではなく、一人ひとりのもつ個性として見ていくことにつながる。すなわち障害健常という二分法を前提とせずに、一人ひとりの特性を、ありのままに、その人のかけがえのない個性として、捉えていくことになる。」(土屋ほか 1995 p170)
土屋氏は、障害というものの一つ一つは実際にはきわめて個別のものであるのに、われわれは個別の障害の中身を知ることなく、「障害」という粗雑なカテゴリーに当てはめて見てしまっていることに注意を喚起している。氏がここで述べている「個性」とは個人個人の状態の差異のことである。だから「障害を個性としてみる」ということは二分法を前提とせず、一人ひとりの特性を個別なものとしてカテゴライズしないで見ようということである。
「一般に「障害」とされる特定の状態の欠如も『程度の差』に過ぎない」(1994 土屋p248)、とする。程度の差だから特別な範疇を立てること自体も拒否されることになる。健常者はわずかな「程度の差」を障害者から引き出し、それをことさら「質の差」とし、それを「障害」と名づけ、範疇を立て、二分法を採用してきた。これに対する異議申し立てが障害者による障害個性論である。ここには障害を肯定的に捉えなければならない障害者の障害者観と障害を否定的に捉える健常者の障害者観との大きなズレが見られる。この克服がない限り「障害」とされる特定状態の欠如が単なる「程度の差」としてみられることにはならないであろう。健常者社会の中では、わずかな能力の程度の差でどれほどあらゆる階層秩序が形成されていることであろうか。
「『障害は個性である』という主張の本意は、どんな妥当な区別であれ、『健常』と『障害』という範疇を立てること自体を拒否するところまで到達していると考えられます。」(前掲p249)とし、「たとえ『健常者』といえども、能力の『優れた』人、能力の『劣った』人はいる。だから一般に『障害』とされる特定の状態の欠如も、要するに程度の差にすぎない。『障害』と『健常』の差異は、もともと個人個人の状態の違いと見ればよいのであって、『健常者』と『障害者』をそれぞれひとまとめにして分け隔てる必要はない。」(前掲p248)のであると氏は述べている。
障害は個性であるという主張がなされることで効果を発揮するのは以下のような警告としてである。
「「個性を見よ」と訴えていくことは非常に重要な指摘になりえます。「障害は個性である」「病気は個性である(なぜなら、その時その人に固有の状態であることに変わりがないから)」「異常は個性である」「未熟さも個性である」「女であることも、男であることも個性である」。こうした言説は、とかく「障害者のくせに」「病人のくせに」「異常者のくせに」「子供のくせに」「女のくせに」などと十把ひとからげに考えてしまいがちな私たちの抜きがたい傾向に対する警句としては、かなり有効でしょう。」(前掲P249)
土屋氏の障害個性論は「障害/健常」二分法の克服が主題である。これはこれまでの障害観の変遷に新たな地平を開いたと見ることができる。なぜならこれまではあくまで障害というレッテルを貼ったうえで議論を重ねてきたことを、実際の個別具体的な人の特性としてその人の障害を見つめることに注意を向けたからである。
さらに土屋氏の捉え方が提出する意義について、次のような解釈も可能である。一般に価値は「差異化」によって創られるのが常識である。また、差異化には序列を伴うものと、そうでないものとがある。これまでの二分法は健常が障害より優位に立つための序列を伴う差異化であると考えられる。これに対して、氏の障害個性論の解釈では、二分法を克服し、序列を伴わない差異化にまで到達していることを指摘している。その例として氏は以下のように述べる。
「ここで私たちは、「障害」「病気」「異常」といった範疇を立てること自体の意義を問われています。もっとも、個々の状態を記述するための「病名」は、それが木々の青さや夕焼けの赤さを記述するのと同じような意味で、個々の「個性」を記述する手段として客観的に(評価的・価値的な意味を込めずに)用いられるなら、否定する必要はありませんし、否定することは不可能でしょう。」(前掲p249〜250)
(4)小池将文氏は総理府障害者施策推進本部担当室長であり、「平成7年度障害者白書」の中で障害個性論を取りあげた文責者である。本来、障害者が健常者に向けて主張した障害個性論を、行政側がどのように取り上げたのかを考察する。
本稿では4つの障壁のうち「意識上の障壁」を取りあげ、次に朝日新聞の「論壇」に氏が投稿した文章(1996.6.6)を取りあげ、障害個性論を検討する。氏は障害者が社会参加しようとしたときの最も大きな問題として社会の中にある心の壁である「意識上の障壁」の記述の中で障害者観の変遷を辿っている。
「我々の中には、気の強い人もいれば弱い人もいる、記憶力のいい人もいれば忘れっぽい人もいる、歌の上手な人もいれば下手な人もいる。これはそれぞれのひとの個性、持ち味であって、それで世の中の人を2つに分けたりはしない。同じように障害も各人が持っている個性の一つと捉えると、障害のある人とない人といった一つの尺度で世の中の人を二分する必要はなくなる」(『平成7年版 障害者白書』p12)
ここで言われているのは以下のようにまとめることができる。
1)それぞれの人の個性(持ち味)で、世の中の人を二分しない。
2)障害も各人が持っている個性の1つと捉える。
3)障害/健常といった1つの尺度で世の中の人を二分する必要はない。
4)障害個性論は二分法を否定するところまで射程をもつ。
3)、4)の二分法の否定に関しては土屋氏の箇所で詳しく論じたが、昨今個性の尊重の名の下に二分はしないが、わずかな違いに応じて細分された段階や範疇を設けているのではないかと思われる。しかし、このあと氏はこの二分法の解消という難問を、私たちの現実認識が変われば、現実が簡単に変わるという。
「そうなれば[障害認識が変われば]ことさらに社会への統合などと言わなくても、一緒に楽しんだり、喧嘩をしたり、困っているときは、お互いに助け合い、支え合う普通の人間関係を築ける社会になるであろうというものである。」(前掲p12 [ ]内は森による補足)
ここで氏は、障害個性論がゆきわたり、「障害/健常」の二分法という意識上の問題がなくなれば、障害者をあえて社会に統合する必要もないと述べている。確かに障害者問題解決のためには、意識の障壁をなくす必要がありそれが端緒であることに違いないが、ここには障害者観を変更することが障害者問題を解決する、というような短絡的・観念的な考えがみられる。これは障害を認定し、障害者問題を具体的になくす方策を打ち出す立場の言説としては問題があるのではないか。なぜなら、障害者問題を健常者の意識上の変革のみで解決しようとし、実際の政策の上で解決する意図が見られないからである。
小池氏は「街に慣れる、街が慣れる」という味わい深い標語がある、とし、社会のいろいろな場面に種々の障害のある人がいるのがあたり前という状況にする必要がある、と述べているが、後述する豊田氏も指摘しているように問題の捉え方が逆になっているのではないか。障害者がいることを当然の前提とした社会の街づくりがあり、すなわち「街が慣れ」、その結果として障害者が街に出て、「街に慣れる」。これが本来のあり方であり、順序というものではないか。街が慣れないような社会システムを作ってきたのは行政の力が大きいといえる。例えば、就学時の特殊学級・特殊学校への分離、養護施設が街から遠く離れたところに設置されていることなど。個々人の力は弱い、まして障害者が一人で街に出ると無防備に近い状態となる。障害者の個々の努力と犠牲を踏み台として街づくりをするのではなく、障害者が生きやすい街づくりがなされたうえで障害者が街にどんどん出で来る状況づくりをすることが必要であろう。北欧などで盛んに言われているノーマライゼーションとは「街が慣れる、街に慣れる」という精神に基づいて社会が整備され、そこへ健常者と同じように障害者が社会参加できるようになっている。ところが障害者を家庭、養護学級、養護学校、作業所、施設などに排除してきた側にいたものが、掌を返すように「先ず、街に慣れろ」と述べることはできないのではないか。今の状況で障害者が街に出て街に慣れるには非常な負担を個人に強いることになるであろう。障害者をその誕生から死まで健常者と分けずに暮らせる社会づくりこそが最初に行われる施策でなければならない。すなわち社会全般にわたりあらかじめ障害のある人々への配慮をしておこうというノーマライゼーションの考え方3がなければならない。そのためにも「障害を個性であると肯定する」ということばを、「その存在(障害者)をそのまま社会が受け入れる」意味として解釈し直す必要がある。
しかし、一方で安積氏のように不便を覚悟し個人の力でも、臆することなく、街にいる健常者をどんどん利用し、「その場で介護体験をさせてあげるのだ」というほどの気持ちで爽やかにそして勇気を持って街に出ることも必要であろう。街が慣れるまで待っていられないのも事実である。街が障害者に慣れるようにさせることも必要なのではないか。
次に朝日新聞「論壇」に投稿した文章で「障害は個性と考えたい」と題して、白書で取りあげ批判・非難されたことに弁明を試みている。ここで論点となっているのが、「障害は個性である」と行政の責任者がこのような考え方を表明した時に、この言説がもつようになる影響である。障害個性論は本来、障害者あるいはその支援者から健常者に向けて主張されてきた議論である。それが健常者から障害者に向けて主張される場合に2つの意味・影響をもつようになると考えられる。
1)障害を個性という個人的問題に還元し、障害者を抑圧する手段になってしまう。(図1の<1>)
2)障害者を健常者社会に統合しようとする方向づけをなくし、現状の肯定に向かう。
1)については「全盲などの重度の障害者が、厳しい状況の中に置かれているのに、障害者に対する公的サービスを不要とするような帰結を導く障害者観がまかり通るのは見逃せない」(朝日新聞「論壇」1996.6.6)という指摘のように、障害者問題を個人に内包させ、社会の免責を図っていることになっている。2)は立岩真也氏の所論の検討で詳しく論じ、そのあとで、様々な障害者を社会が受け入れるあり方が提唱されるであろう。
最後に、障害個性論を主張する障害者は一枚岩ではないことについて述べておく。
「一方で『障害は個性』と主張する障害者がいて、他方でその意見に同調できない障害者がいます。それぞれの主張はうまくかみ合う議論ではなく、どちらが正しいというものでもありません。」(朝日新聞「論壇」)
障害は個性であると主張するとき、「障害」を共通の個性として共有することができるだろうか。それぞれの障害は個別の事情をかかえる。例えば、障害の分類・度合い・個別の家庭環境・地域社会との結びつき・性別・就学などによる生活実態や各自の障害者観によって障害者の分断が生じると、自分とは異なる障害を持つ者に対して排他的になるであろう。すなわち障害者の分断を帰結しやすい主張であることが指摘できる。
2.2 障害個性論に否定的な立場を考える
(1)佐久本洋二氏は「『障害は個性』は危険な表現では」(わだち37 1996/07 )で小池将文氏の「障害は個性と考えたい」という主張への疑問を提示した。なぜ行政、マスコミは「障害は個性」を宣伝するのか問題提起する。氏は障害を以下のように定義する。
「障害は、その人の機能の低下や不調の存在とそれによる社会生活上の制限や不便の存在を表す、医療や行政上の専門用語である」(前掲p11)と「障害はその社会が持っている機能評価の価値尺度により位置づけられるものであり、単なる個人差やその人の生き方の独自性というようなものではありません。」
(前掲p12下線は森による)
下線部において佐久本氏は、「障害」は単なる個別的差異や生き方の独自性のような個人的問題として孤立して存在するものではなく、障害者を取り巻く社会の中で相関的に捉えられるものであることを指摘している。つまり障害は各人が持つ個人に内包される個性に還元できない社会性を持つものであると捉えている。2.1(1)の安積氏のような自己肯定のための戦略としての個性や障害者として生きた人生の中で作り上げられたものとしての個性ではない。それゆえ、公に「障害」者となるには、前者の定義のように、専門医(医療)が診断し都道府県知事(行政)が認定するという社会的手続きを踏み、障害者手帳を取得して社会的に障害者となるのである。例えば、社会的に障害者となってもなお相対的に行政サービスの利益が社会的偏見による差別に比べて大きいと本人が判断する場合などである。但し「障害を持つもの」がすべて障害者手帳を取得するわけではない。障害が軽度の場合(特に知的障害や精神障害)でノーマライゼーションが実現できていない社会では、公に障害者となることで不利益(偏見などによる就労困難など)が大きくなる場合があり、人は社会的に障害者となること(障害者手帳の取得)を極力避けることになるであろう。欧米と日本の障害者数の違いはこのあたりにあるといわれる(参考 アメリカ17%、スウェーデン9%、日本4%:数字は総人口比 『欧米の障害者福祉制度調査』1995)。
佐久本氏は「障害は個性」という障害者による表現を、健常者が障害者による「お願い」と見ることを戒め、障害者による社会に対する切実な「怒り」として受け止めるよう主張する。この障害個性論は、本来障害をプラスに評価する当事者たちの障害認識であり障害受容の方法であったが、この主張を外に向けて発信することで社会の側の認識をも変えようとしている。このことを「お願い」と受け止めるのは私たち健常者側になるのだが、健常者側がすぐに障害者の受け止め方を変えられない、あるいは変えようともしないので、障害者は「怒り」をぶつけることになる。それでも健常者側は、態度は変えたように見せて、社会構造を変えようとせず、かえって不満をそらせて福祉の名のもとに隔離政策を取っているのが現状である。養護学校義務化、作業所拡大、授産施設充実を図り、障害は個性と認めず、「障害」に出会うことさえ避ける社会が促進される。障害個性論はマイナスの価値をプラスに転換すると言う点で当事者にとって有効であっても、障害は個性(プラスのもの)なのだから健常者側の義務は免責される、と切り返されると、障害者と健常者の分断を生じさせることになりそうである。前述したように「お願い」することすら困難で、「怒り」を表すこともあまりない知的障害者たちを障害個性論のみで救い出すことには困難がある。
(2)豊田正弘氏が小池氏の障害個性論を批判する形で述べた「『障害個性論』批判」(『わだち37 1996/07』 p19〜20)は、WHOの定義にもあるように、障害というものは障害者の置かれている個別具体的な状況と社会環境との整合性の問題であるにもかかわらず、個人に内包している個性と結び付けて、あたかも障害が個人に内包されているように、障害者に負わそうとしている点に誤謬があると指摘している。豊田氏は、障害は機能障害に過ぎず、能力低下や社会的不利はあくまでも社会が作り上げて個人に付与したものであるから、障害を個性という個人に限定して存在するものと考えることに反対する。本質的に社会全体で取り組むべき問題なのに、その責務を負うことを避け、狭義の当事者性に封じ込められると批判している。別の論文では次のように述べている。
「マイノリティとして存在する以上、その問題はアプリオリには存在し得ない。マイノリティの問題はそれに対峙するマジョリティとの関係の問題でもある。」(「当事者幻想論」『現代思想』26−2 p103)
その人と周りの関係で障害が捉えられるのであるから、障害は個人に内包されるものではく、あえて個性と呼んで強調する必要もない。障害個性論は、問題の本質を「個性」に解体していると氏はいう。
「障害の有無によらず個人の存在は個別的であるから、自身は自身以外ではあり得ないことをもってすべての人は個性的であり、障害者もまたその意味において非障害者と区別される存在では有り得ない。」(前掲p111)
すべての人は個性的であるが、「障害」はこの社会では決定的なものとして取り出され、障害を持つ人の全体であるように見なされてしまう。健常者の場合は「個性的」といわれて、その個性がその人の全体に結び付けられても、生きる術までも奪われその存在までも否定されることにはならない。であるから健常者が障害者から「障害は個性である、肯定せよ」と言われたとき、「個性ほどのものなのか、では、私たち健常者はこの問題に当事者ではないのだ、かかわらなくても良いのだ」という安心感がおこるのではないか。障害は障害者の問題であり、健常者には関係ないのだ、というようにされることによって、障害者運動は障害のある当事者の運動にされ、健常者を巻き込む社会運動になりえなくなるという意味で、健常者と障害者の分断をも起こす可能性がある。
「障害者はその個性[個性という名の障害なのだが]によって街[社会]の問題を一人で背負わされ、社会は『障害者がいることを当然の前提とした社会』の街づくりから免罪されているのである。こうした障害個性論は障害者問題を「個性」に解体し、社会責任を免罪する。」(前掲p112 [ ]内は森による補足)
2.3 肯定・否定を越える立場を考える ― 場から降りること
立岩真也氏は『私的所有論』の中で、障害について否定するのではなく、またあえて肯定すると主張せず「そうした個別の障害が良いか悪いかを判断する」(p423)場から降りることを勧める。氏は障害を持つ者が、障害を理由に自分を卑下しないための、二つの自己肯定の方法を検討している(『生の技法』p159〜162)。一つは、障害があること自体と別のところに自分の価値を認める方法である。すなわち障害があることでその存在を低く見る否定性を受け入れ、障害を改善する努力をする、あるいは他の価値ある部分を探すのである(石川氏の分類では<補償努力>にあたる)。これと対照的に、障害を一つのかけがえのない個性として受け入れ、ありのままの自分をまるごと一気に肯定する方法がある。後者の方法が本稿で問題とされていることである。ここで氏は、ある人のある属性が否定されるとき、これに対抗する方法として、いや実はそれは良いものだと、肯定する必要はないとする。
「そうした個別の障害が良いか悪いかを判断するという土俵に乗る必要がないのだと考える。この場所はこうした問いが立てられた時に、抵抗しようとする側が追いやられてしまう場なのであり、強いられた場所なのである。」(前掲p423)
すなわち、障害をもつ者に否定性を受け入れ改善に向かわせたり、否定されたものをあえて肯定させるそのような選択を生じさせているもの(健常者文化のもつ価値観)こそを問題とし、これを無力にすることを目指すべきであるとする。これが「場から降りる」ということの意味である。
2.4 障害個性論を補完する
(1)改めて「障害個性論」を考える
これまで障害個性論について肯定・否定の様々な立場を検討してきた。それぞれの立場において言われていることは正しいことのように思われた。しかし、ここではこれまでと違う枠組みを設定し、それに基づいて、障害者運動の中で誕生した「障害は個性である」という言説を障害者が主張し、それに私たち健常者がどのようにこれを受け取るかで障害個性論の意味が変化するかを検討してみたい。その新しい枠組みは、主張できる障害者である身体障害者と主張一般ができない知的障害者が存在するという事実があるのに、この両者を区別することなく「障害は個性である」という主張を全ての障害者からの主張と受け取っていてよいのか、という疑問から発している。そこでこれまでとは違う枠組みでこのことを区別して考えることになる。
「障害は個性である」という言説が障害者運動の側から出てきたことは確かである。しかしそれを受けて健常者である私たちが、障害は私たちにとって負担であり、不都合であり、マイナスのものであるというこれまでの障害者観を転換し、支援活動に向かうことができるからこれは正しい主張である、ということでは重要な点が看過されているように思われる。障害者側からの主張だけで、本当に私たち健常者の障害者観は根本的に転換したであろうか。「障害は個性である」という言説は、生きて存在する障害者からの主張である。生きて存在するとともに、主張できることも、この言説を私たち健常者が多数を占めるこの社会に対して訴えていく条件である。この主張は1970年代に障害者の誰かが言った主張なのだ、だからそれ以降その言説を受け取った健常者側が障害者観を転換すべきだとし、ある程度、障害者を支援するようになった、とはいえる。しかし現実には、出生前診断と選択的人工妊娠中絶とセットになって、障害を持つであろう確率の高い胎児が中絶されている。私たち健常者の大部分は変わっていない。少なくともこのような技術を選んでいる者がいる限り、私たち健常者の障害者観は全く転換したとはいえない。私たち健常者は現実に生きて存在し主張できる障害者に主張されて、初めて現に生きて存在する障害者を支援し始める。このとき主張できない障害者も支援されるであろう。しかし少なくとも「障害は個性である」と最初に障害者が主張した運動の中には、その運動の主体としては存在しなかったであろう知的障害者は、「障害は個性である」と主張することで得られる支援とは別の理由で支援されてきたのではないか。このとき私たちは、主張能力や決定能力や意識や感覚という、人に関わる内容(「パーソン」という資格)ではないものの見方において、知的障害者を支援したり、尊重しているのではないか。そこで私たち健常者(ここでひと括りにしているのは、特に、知的障害者を家族にもつ健常者)が「障害は個性である」という言説を、これを主張する障害者の主張能力それ自体に注目し、肯定して受け入れるとした場合、これまでの身体障害者(知的障害者ではない)からの主張による障害者観の転換という受け入れ方と異なる二つの立場があることに注目したい。但し、「障害は個性である」という命題は、それを主張できるか否かと無関係に、真偽が第三者として言える。そしてそれは真であるなら、この命題は、主張できるか否かとは無関係に「障害者」という存在に普遍的にあてはまるといえる。
1)障害者の主張能力を必要条件として、肯定する立場
主張能力という人に関わる内容を条件とする立場(パーソン論)に与することになる。
2)障害者の主張能力は必要条件とせず、肯定する立場
主張能力を人に関わる内容を条件として、肯定する立場に全面的に与しないことになる。すなわち、主張能力自体とその人が生きていくことができること(その人が人であることの資格とすること)とは独立のことと捉える。
この二つの立場が射程とする障害者は以上の立場から異なるであろう。1)の場合、主張能力自体を持つ身体障害者のみが射程となるであろう。また2)の場合、主張能力を人とする必要条件とはしないので、すべての障害者(身体障害者・知的障害者)が射程ということになるであろう。このことから「障害は個性である」という主張を私たち健常者がどのような立場で受け入れるかによって、この言説の意味が変わってくることになることがわかる。
(2)「他者」を認める
ここで新たな考えが導入される。自分ではないものを「他者」と一般に呼ぶ。「他者」は何か充実した内容(例えば意識や感覚や主張能力など)をもつという積極的な理由によって定義されるのではなく、自分ではないという消極的な理由によって定義される。これまで主張能力を必要な条件としないところにすべての障害者が人として立ち現われることを見た((1)の2))。このように障害者に何ら資格や条件をつけないという消極的な理由で尊重することは重要である。なぜならこれと反対に「障害は個性である」という主張能力が必要であるとして私たち健常者が受け入れる場合、これを主張するその存在(障害者)に対して、既に主張能力を要件として人格存在であるということを認めていることになるからである。そこには主張できない障害者が尊重されない存在として区別されることになる危険性がある。「他者」に何か主張能力や意識や感覚などの内容を持つという条件をつけていることになる。「他者」とはあくまで自分ではないという消極的な理由によってのみ定義されることを確認しておく。だから<1>「障害は個性である」と主張するから障害者であることを肯定しようということと<2>障害者を「他者」として尊重しよう、ということには違いがある。<1>は私たち健常者が障害者の主張能力を一度認めたうえで、そのことを条件として障害者の肯定に向かうということであるのに対して、<2>は主張能力のような人としての内容に他者が他者であることや、人が人であることの根拠を求めていないという違いがある。それゆえ(1)の2)の「障害者の主張能力は必要条件とせず、肯定する立場」には知的障害者のような主張能力がない存在をも一気に肯定する力があると考える。
(3)「他者」としての知的障害者
「障害は個性である」と主張できない知的障害者を尊重する新たな視点が「他者」として障害者すべてを尊重するという捉え方であった。ここでは意識的・知性的な存在者として人間を把握するパーソン論と「他者」論の違いについて論じる。知的障害者には、私たち健常者(知的障害がない身体障害者を含む)が理性や言語などで把握できない世界を保持しているように思われる。もちろんその世界が彼のすべてではなく、私たちと共有し、意志疎通可能な部分を持ちながらも知的障害者には、私たちには究極的には知ることができない世界が彼の内面に展開しているように思われる。例えば、次に述べるような知的障害者が実在している。彼は、夜の街の繁華街のネオンサインがきらめくのがよく見える橋の上で、激しく興奮して首を傾けて飛び上がりながら手を叩いている。通りすがりの人々は、ある人は驚いて飛びのき、またある人は遠巻きに見て行き過ぎる。私たち健常者にとってネオンサインはやはり美しい。図柄が瞬時に変化するのを、飽きずに眺めることもある。「わぁー、きれいね」。しかし、そのあと私たち健常者はそのネオンサインに何か意味(宣伝の意図)を読み取るであろう。これに対して、この知的障害者はこのネオンサインの意味を読み取る作業(多少行うと思われる)とともに、私たち健常者には到達し得ない独自の世界の中にいるように思われる。私たち健常者はしばらく立ち止まったあと、それに飽きて通り過ぎる。彼は数時間そこに留まり、飽きずに眺めている。
知的障害者は自己を意識したり、反省したりしなくても、彼独自のあり方で世界を感じていることがあるように思われる。私たち健常者のように判断したり、同じ時間軸や空間感覚を共有していないように見えても、独自の感じ方・捉え方でこの世界をどのようにか捉えて生きているようである。他者をこのようなものとして思っているのは私たち健常者側である。私たちとは違うようにではあるが、私たちと同様に、世界がその者に独自に感じられてあるということにおいて、私たちが思いやり尊重すべき存在としての他者であることを形づくるのではないか。これに対して、パーソン論では私たちと同じ世界のもとに意識や感覚や主張能力をもつ存在であることをもって人を捉えている点で、「他者」論と大きく異なるといえよう。それゆえにパーソン論は他者論が把握しようとする存在より人の範囲が狭いことになる。
このことを身体障害者と知的障害者の違いとして考えると次のようになる。その存在にその存在だけの世界が開けており、どのようにか世界を捉えている知的障害者だけの世界があるということ(限りない反復を楽しんだりする)と、身体障害者が障害は個性である云々と主張するような自己意識があること(私たちに運動として届く)とは同じではないということが言える。身体障害者の方は私たち健常者と同じ人としての内容をもって存在すると、私たちは捉えている。パーソン論では身体障害者のみを人として尊重することになるが、他者論では知的障害者をも人として尊重することになるであろう。
次に、知的障害者を「他者」として理解することはどのようなことになるかを考えてみる。2.1(4)において取り上げた小池将文氏は知的障害者を以下のように理解している。
「「さをり織り」の創始者城みさをさんは、知的障害者の織る作品の素晴らしさに感銘して全国各地への普及を進め、今では海外でも広く取り入れられています。常識や決まり切ったルールにとらわれない作品は芸術性も高く、彼女は「障害は個性というより才能」とまで言っています。」
(朝日新聞「論壇」欄「障害は個性と考えたい」)
他者を理解するとき、わかろうとするとき私たちは間違いを犯しているのではないか。知的障害者の作品には、私たち健常者と同じ常識や決まり切ったルールを持たないにもかかわらず、私たちの常識や決まり切ったルールを適用しようとしてうまくいかないことを芸術性が高いと評価しているだけなのではないか。そのことが私たちには新鮮に映るのである。私たち健常者が知的障害者を全面的に「わかること」「理解すること」は不可能ではないか。私たちが知的障害者を理解することができたというとき、私たちは知的障害者が持つ世界認識の内容を自分たちと同様な世界認識の内容として理解したことになる。つまりここでは知的障害者という他者に対して私たち健常者の認識・理解の適用を試みそれに成功したと考えることである。しかし、これは単に理解した気になっているだけではないだろうか。このときわかることや私たちと同じであると思うことは、他者が持つ何かその者にだけ展開してある世界を破壊したうえで、私たちに自明なものとしてある世界を他者に押しつけていることになっているのではないか。そのような理解は知的障害者の存在に対する抑圧になっているのではないか。以下のような事例がある。私たち健常者は、一般に得体が知れないという感情を知的障害者に対して持っている。ある知的障害者が本屋に入っていくのを見たことがある。彼は時々その本屋を訪れては、テレビ番組ガイドを読み耽る。本屋の主人は彼の背後で監視し続ける。数十分後、彼はそれを買うか、きちっと棚に戻すだけである。その間、その横の近くの棚でさまざま人(健常者)が立ち読みした雑誌が棚に乱雑に挿し込まれてあった。
このような他者理解は健常者間にもあり、そのことが他者の生きる幅を制限してしまっている場合がよく見られる。私たちが他者を理解するのは他者の何かがわかることではなく、他者がいることがわかるだけではないか。私においてしか私の世界が存在しないことと少なくとも同格のことがそこに他者において存在しているのだということを知っているだけなのである。知的障害者を他者として理解することは、無理やりに私たちが理解できるものの範囲に押し込もうとすることではない。また、到底理解できない部分や、理解できるものの範囲から遠く離れている部分を私たち健常者の世界から抹殺することでもない。このような態度から、次のようなことが導かれる。例えば養護学校といった知的障害者だけを集め、知的障害を治し、私たち健常者の世界のありようを無理やり訓練し教え込み、このことは完全には成功しないにもかかわらず、教育という名のもとにこれを継続し、その者たちを隔離し続け、私たちとは違ったありようをもつ知的障害者を、私たち健常者の理解する世界のみが現実の世界であるとして、現実の表面から追い落としてしまうことを決してしないということが私たちの生き方として導かれるべきではないか。知的障害者をその障害丸ごと受け入れること、そしてこの社会の中で、自分のままでいること、自分があるがままでいることができ、そのことが許されてあるような関係を他者と結ぶことが、知的障害者を他者として尊厳ある存在としてあらしめる私たちの選ぶべき生き方ではないか。
(4)限界
ここまで考察した障害個性論や、これをカバーする他者論なども結局、私たち健常者の側が築くものでしかない。その人を尊重するとか尊重しなくてもよいというようなことを述べているのは私たち知的健常者の側の理由付けによっている。いずれにしても私たち健常者の他者に対する関係としてある。しかし知的障害者を他者として尊重するという私たちのあり方は、その人(知的障害者)において独自の世界が展開されてあるというとき、それはすべて私たち健常者が思うことであっても、特別の意味を持つと考える。この特別の意味とは、確かにこの場合も私たちがこのように思うということのなかにあることではあるが、そこにおいて世界があるということが他者の存在がより強い現実性として、超越することができない、その存在を破壊しないものとして私たち健常者の前に現われているのではないか。この社会にあって多数者であり、知的なものが優位を占め、そのようなものが価値として取り上げられる場においては、この社会は、知的障害者の築く社会ではなく、私たち健常者の築く社会システムの中での私たちによる他者の尊重にしか過ぎないのではないか。
3.結び
本稿では、「障害個性論」が障害に対して否定的価値づけをするものへの批判、否定として現れたことを先ず指摘した。「マイナスとされている属性に価値を認めよ」と価値観の転換を迫る方法こそがこの主張の戦略である。しかし自分の考えを主張できない者、主張が困難な者、自己の障害を障害と理解できない者は「障害は個性である」、「障害を肯定せよ」と主張できないであろう。障害個性論は障害者解放運動から登場した考えである。それゆえに、これが主張する障害はすべての障害を意味するはずである。個別の障害が良いか悪いかを判断する場があるとき、それに抵抗しようとする者は、障害が良いか悪いかを言わされる立場に追い込まれる。しかしこのような場に乗る必要はない。障害が個性であり、これを肯定する主張はあくまでも積極的な働きかけであり、障害者自身による働きかけのもとに社会を変えようとする意図から出発している。障害個性論の効用を否定するのでなくこれを保持しつつ、あらゆる障害者に何か人としての内容を持つことを条件として尊重するのではなく、私たち(健常者)が到達しえない世界を持つ存在としての他者が他者として生きることができる方向へと社会を構築していくことができるのではないか。
<注>
1 「障害」という言葉は、人間の心身の機能の特殊な状態である機能の低下・異常・喪失を示すものである。これを狭義の「障害」あるいは医学的レベルの「障害」と呼ぶ。1980年の「国際障害者年行動計画」は第65項において「障害者は、その社会の他の異なったニーズをもつ特別な集団と考えられるべきでなく、その通常の人間的ニーズを満たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである。」(下線筆者)と述べている。この「特別の困難」とは広義の「障害」といわれ医学的レベルから社会的レベルまでを包括するものである。またWHOは「国際障害分類試案」を発行している。これを直訳すると「機能障害、能力低下、社会的不利の国際分類」となり、「障害」の三つのレベルや「障害」の構造と呼ばれている。このように「障害」という言葉には狭義と広義の両方の用法があり、かつ意味の多様性がある。以下、「障害」の意味を4つに分けて構造的に整理してみる。
・impairment(機能・形態障害)…障害の一次的レベルであり、病理的状態の表面化を示し、原理的に器官のレベルの変調を表す。これは生物学的レベルで捉えた障害である。治療的アプローチを要する。生理学的・医学的障害。
・disability(能力低下)…障害の二次的レベルであり、人々が通常行っている活動遂行や行動が、過剰であったり不足していたりする事である。機能障害の客観化を示し、人間個人レベルの変調を表す。代償的アプローチを要する。個人的障害であり、生活の視点がベースになっている。
・handicap(社会的不利)…障害の三次的レベルであり、機能障害や能力低下が社会化したものであり、個人にとっての、機能障害や能力低下の文化的、社会的、経済的、環境的な結果を表す。環境改善・改革的アプローチを要する。この社会的なレベルの不利益とは、その社会・時代の多くの人々に保障されている生活水準・社会活動への参加・社会的評価などが保障されていない状態を示す。
・illness(病い・主観的障害・体験としての障害)…障害者本人が自己の価値を否定的に見てしまうことにより生じる。主観的障害あるいは体験としての障害である。
尚、国際障害分類の改訂作業が進行中であり(1999年には「WHO国際障害分類バージョンU」が出版される予定)、disabilityを使用しない方向で進められている。その理由として北米ではdisabilityは機能的制約として用いられているが、英国でdisabilityは社会的不利として用いられている。これは handicapの語源がhand in capで物乞いを想起させるという誤解が原因でもある。(この部分、立岩 真也:「1970年」を参照)
BCODP(英国障害者協会)はDPI (障害者インターナショナル)において、impairmentがdisabilityに、disabilityがhandicapのそれぞれ代わりとして用いることができると付け加えている。長瀬 修:『ノーマライゼーション 障害者の福祉』1996-6)
2 「知的障害者」と記述される。一般に脳の不全によって理解力や判断力が低下している人と言われる。「精神薄弱者基本法」(1960年)、障害者基本法(1993年)では「精神薄弱」と記述されてきた。1998年9月、議員立法で「知的障害」と用語変更する改正法が成立し、1999年4月から施行される。かつて時代を追って、白痴(idiot)・痴愚(imbecile)・魯鈍(moron)・精神発育制止症・劣等児・低能児・精神薄弱・精神遅滞・知恵遅れ・知的発達遅滞・知的発達障害・理解のハンディキャップ・知的ハンディキャップなどさまざまな用語があった。その他、(the people with )intellectual disability・feeble-mindedness ・mental deficiency ・mental handicap ・intellectual handicap ・mental retardation・intellectually challengedといった英語表現もある。また最近の英国人による口語表現としては、かなり丁寧な表現として、someone who is not clever, someone who slow learner, someone who finds it difficult to study or to learnなどと、婉曲的な表現が使われており、例えばfeeble-mindednessなどは聞いたこともないと言われるほど今では日常的には使われないようである。障害についての差別的表現のなかで、自覚的に訂正されたと考えられる例として、それぞれdefectがdisabilityに、defectiveがdisabledに、mentally retardedがintellectually disabledに改訂版で変更されているものがある。(ピーター・シンガー『実践の倫理』1979年初版から1993年第2版での変化:土屋貴志 1994「『シンガー事件』後のシンガー」による)
障害者本人が自己の障害を受容できアイデンティティを確立しやすい用語で、かつ社会がその用語でマイナスの価値を持たないようなものとして、「精神」という言葉は心、気力、理念、意志などの意味にも使われるため「精神薄弱」・「精神遅滞」では意味不明で,例えば「意志薄弱」と誤解を受ける場合があり不適当であろう。また「精神遅滞」・「知恵遅れ」・「知的発達遅滞」・「知的発達障害」などの用語は、発達期の障害に限定されると、19歳以後に病気や交通事故などで知能低下する中途知的障害者が該当しなくなる。中途知的障害者の場合、いったん発達したあとの「痴呆」とみなされると療育手帳の取得もできない。発達期の障害である「精神薄弱」ではないのがその理由である。ゆえに用語を改めるにあたり、その用語の対象を発達障害に限定せず、19歳以後の脳損傷による知能低下などの中途障害を包括する用語を用いることが重要となる。ところで知的障害者本人が自分の障害について語るときに、「精神」や「遅れ」がつく言葉を使いたくないという意見を持っている。「ハンディキャップ」は世界保健機構(WHO)の国際障害分類試案(ICIDH:下図参考)でいうimpairment(機能障害・損傷),disability(能力低下・能力障害),handicap(社会的不利)のひとつであるが、障害者の自己認識の基礎である「障害の受容」は、上記分類のうち自己の損傷・能力低下を受容することであり、handicapを受容することでは決してない。ゆえに「知的ハンディキャップ」という用語は世界的にもかなり共通に使われているが、誤解を生じやすい。障害の認識が容易な用語にすべきであるが「精神薄弱」、「精神遅滞」にはAAMR(アメリカ精神遅滞学協会)の定義により知能障害+発育障害+適応障害という3種類の条件が含まれるとされる。上記のWHO国際障害分類試案に従えば、「知能障害」はimpairmentの領域の概念である。また「適応障害」はdisabilityを意味するのかhandicapを意味するのかあいまいである。このあいまいさゆえにhandicapを解消するために社会が努力すべき問題を障害者個人の努力すべき問題にすりかえられてきたことが指摘されよう。この点、ノーマライゼーションはdisabilityとhandicapを明確に区別し、handicapの解消・軽減を社会の責任として明らかにした。知力障害や知能障害という表現でもよいが、国際知的障害協会連盟第10回世界大会(パリ大会1990年)以後、障害をもつ本人たちが了解したということもあり、よく使われるようになり急速に広まった「知的障害」に現在は落ち着いている。
「知的障害」という用語は「身体障害」という用語と対比して考えるときに分かりやすい表現である。この他、「障害」全般に、つぎのような工夫も有効ではないか。例えば「癲癇」というマイナス価値をもった用語をひらがなにしてそのまま用いつつ、社会の偏見を低減させた日本てんかん協会の運動に学び、「障害」も「しょうがい」とひらがなで表記することも検討してみてはどうか。元来、「障害」は「障碍」の「碍」が当用漢字にないので「害」を使用したという経緯もある。
さらにここで、知的障害の程度について述べておく。以前は白痴・痴愚・魯鈍という分類や、教育可能(educable)、訓練可能(trainable)、保護相当(custodial)という分類が用いられてきた。1950年頃、アメリカでは重度(low Grade)、中度(middleまたはmoderately)、軽度(highまたは slightly)という程度の分類用語に変わってきた。今日、福祉現場では、1度(最重度)、2度(重度)、3度(中度)、4度(軽度)という障害程度を分けた用語が一般的に用いられていることを最後に付け加えておく。
(以上『知的障害をもつ人の自己決定を支える』大揚社(p170〜183)、『精神薄弱者福祉論』中央法規(p11〜13)を参考に纏めた。)
さらに知的障害者の定義は一般にないが、最も広く医療や福祉の分野で用いられているアメリカ精神遅滞協会の定義(1973年第7版)を紹介すると
精神遅滞(mental retardation)とは「全般的な知的機能が明らかに平均よりも低く、同時に適応行動における障害を伴う状態で、それが発達期に現れるもの」とされている。
この中で発達期とは満18歳までを示す。これは高齢者の痴呆などと区別する必要から出てきた。知的機能については、知能検査の結果を基にしたおおよその目安(標準化された知能検査の平均値より二標準偏差値以上低いもの、IQ70以下)が示されている。適応行動については以下の三つの時期に分けて示されている。
<1>乳幼児期では感覚・運動、コミュニケーションなどの成熟が問題となる。
<2>児童および青年前期では、基礎的学習の日常生活への応用、適確な推理と判断、集団 への参加と対人関係の調節などがあげられる。
<3>青年後期から成人にかけては、職業的および社会的責任を果たすことなどがあげられる。
この適応行動と知能水準の両方に問題ある場合にのみ知的障害であるとされることになる。しかし実は「知的機能」とは何かについて、専門家の間での一定した見解や定義はない。最近では知能検査の結果より、毎日の生活の中でどのように手がかかるか、どのような援助や介護が必要かなど「適応行動」に関係のある事柄の側面が重んじられる傾向がみられる。なお1992年の第9版改定では、以前「適応行動障害」としていたものを「適応スキル」と改め、以下のような項目を挙げ、これらの二つ以上に制限が認められる場合を「精神遅滞」としている。
コミュニケーション、身辺自立、家庭生活、社会的スキル、
社会資源の利用、 自己管理、健康と安全、実用的な知識、
余暇、労働
以上見てきたように「知的障害」についての客観的で明確な判断の基準はなく、あくまでも相対的な概念にすぎないことがわる。またこのような定義の仕方は「知的機能の低下」という「機能障害」だけでなく、「適応行動障害」という視点を加えることで、「能力障害」や「社会的不利」までも配慮しようとするものだといえる。
最後に、原因による分類をしておく。<生理型>は、脳の組織に異常はない、脳の働きに影響を及ぼすような身体面の異常や病気も見当たらない。しかし集団の中では知的な遅れが目に付き、「正常」という範囲には入らない。これに対し <病理型>は知的障害のごく一部を占める。生理型に比べて、知的機能の低下が平均的でなく、不均衡になりがちなのが特徴とされる。知的障害となった原因が明確であり、知的な遅れが重い場合が多く、心臓病や運動機能障害などを合併することもある。これを分類すると以下のようになる。
(1)感染症、薬物などの中毒、外傷、その他の脳疾患によるもの
(2)代謝障害によるもの アミノ酸代謝障害によるフェニールケトン尿症など
(3)染色体異常によるもの ダウン症候群など
(4)神経性皮膚疾患(母斑)によるもの 結節性硬化症など
(以上『障害をもつ子のいる暮らし』筑摩書房、『障害者問題の基礎知識』明石書店を参考に纏めた。)
3 バンク・ミケルセン(デンマーク)によると「障害のある人たちに、障害のない人々と同じ同じ生活条件を作り出すことをいう。ノーマライズというのは、障害がある人をノーマルにすることではありません。彼らの生活条件をノーマルにすることです。ノーマルな生活条件とは、その国の人々が生活している通常の生活条件ということです。」という。
さらにベンクト・ニィリエ(スウェーデン)はこの理論化・制度化に重要な役割を果たした。氏の定義は「すべての知的障害者の日常生活の様式や条件を、社会の普通の環境や生活方法にできる限り近づけることを意味する」としている。ニィリエはノーマライゼーションの八つの原則として<1>一日のノーマルなリズム、<2>一週間のノーマルなリズム、<3>一年間のノーマルなリズム、<4>ライフサイクルでのノーマルな経験、<5>ノーマルな要求の尊重、<6>異性との生活、<7>ノーマルな経済的水準、<8>ノーマルな環境水準を挙げ、これらが障害者の権利として保障されなければならないと強調している。「日本には日本の、中国には中国のノーマルな生活がある。地域に応じたノーマルを求めるのですから、どんな国でも使えます」と氏が述べるように、これは「国連障害者の権利宣言」(1975年)の土台にもなって各国に影響を与えた。
(以上 石渡和実 1998と「朝日新聞ひと欄」1998.10.8を参考)
4.謝辞
論文作成にあたり、懇切丁寧なご指導を賜わった土屋貴志先生(大阪市立大学文学部哲学科)に深く謝意を表します。また論文作成途中に大阪府立大学総合科学部比較思想ゼミにおいて森岡正博教授ならびにゼミの方々には、部外者にもかかわらず、様々な助言や励ましをいただきました。ここに深く謝意を表します。
文献表(著者名のアルファベット順)
安積純子 1990 『障害は私の個性』神高教ブックレットO
──── 1993 『癒しのセクシー・トリップ ─わたしは車イスの私が好き!』
太郎次郎社
──── 1996.7.11放映 NHK共に生きる明日「生まれておいでよ
安積遊歩 40歳 出産の記録」
石川 准 1996 「アイデンティティの政治学」『岩波講座現代社会学15差別
と共生の社会学』岩波書店 所収
──── 『アイデンティティ・ゲーム 存在証明の社会学』新評論
石渡和実 1998 『障害者問題の基礎知識』明石書店
金子郁容 1992 『ボランティア もうひとつの情報社会』岩波新書
森岡正博 1988 『生命学への招待』
毛利子来・山田真・野辺明子編 1995 『障害をもつ子のいる暮らし』筑摩書房
長瀬 修 1996 「障害(者)の定義――英国の例・上」
『ノーマライゼーション 障害者の福祉』16─6
佐久本洋二 1996「『障害は個性』は危険な表現では」『わだち』37 1996/07
佐藤久夫 1991 『障害者福祉論』誠信書房
柴田洋弥/尾添和子 1994 『知的障害をもつ人の自己決定を支える
──スウェーデン・ノーマリゼーションのあゆみ』大揚社
総理府編 1995 『平成7年版障害者白書』
立岩真也・安積純子ほか 1995 『生の技法』藤原書店
立岩真也 1997 『私的所有論』
立岩真也 1998 「一九七〇年」『現代思想26―2』青土社
豊田正弘 1996 「『障害個性』論批判」『わだち』No.37 1996/07
──── 1998 「当事者幻想論」『現代思想26―2』青土社
土屋貴志 1994 「障害が個性であるような社会」『「ささえあい」の人間学』法蔵館
──── 「"シンガー事件"後のシンガー -実践的倫理学第2版
における障害者問題の扱い」『プラクティカクエシックス研究』
千葉大学教養部倫理学教室p137
──── 1995 「『生まれてこなかった方がよかったいのち』とは」
『つくられる生殖神話』制作同人社
柳崎達一 1994 『精神薄弱者福祉論』中央法規
……以上(以下はホームページの運営者による)……