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異議あり!「処遇困難者専門病棟」新設」

「処遇困難者専門病棟」新設阻止共闘会議 19931124


呼びかけ団体(順不同11月18日現在)
全国「精神病」者集団
全国障害者解放運動連絡会議
精神衛生法撤廃全国連絡会議
全国精神医療従事者連絡会議事務局
救援連絡センター
三枚橋病院労働組合
陽和病院労働組合
山谷争議団
刑法改悪阻止関東活動者会議
関東「障害者」解放委員会
刑法改「正」粉砕行動委員会
墨田赤堀さんと共に闘う会
八王子赤堀さんと共に闘う会
明治大学「障害者」共闘会議
刑法改悪阻止・保安処分粉砕全都労働者実行委員会

《連絡先》 東京都港区新橋2ー8ー16 石田ビル 救援連絡センター気づけ
電話 03ー3591ー1301
発行 1993年11月24日
イラストは「高見さんを支える会ニュース」より転載

はじめに

「精神病」、この病気には常に忌まわしいイメージが付きまとっています。精神病者は病人として同情されたり、いたわられたりする前に、恐れられ、嫌悪され、そして何か「人間」外の存在と見なされています。それゆえ精神病者は地域や家庭、職場から追放され精神病院へと追い込まれてきました。
いま精神病院には36万人もの入院患者がいます。厚生省の統計によればそのうち約58パーセントが24時間鍵のかかった閉鎖病棟に入れられています。日本の刑事施設に入れられている人が約5万人、その4倍以上の人が「精神病」という理由で24時間拘禁されているのです。こうした入院患者の多さ・閉鎖率の高さは国連人権委員会でもあまりの過剰拘禁として問題にされています。国際的常識からかけ離れているのが日本の精神医療の実態です。
日本の精神医療の実態は、精神医療に金をかけずにただ精神病者の収容のみを図ってきた日本政府の姿勢、そしてそれと呼応し入院患者の拘禁と放置で収益をあげてきた民間精神病院の経営方針、精神病者の人権に目を向けず、「邪魔者」「厄介者」として排除してきた健常者社会の差別意識が作り出したものです。
こうした実態の中で、さらに精神病者の中から「厄介者」「邪魔者」とされた患者を選び出し、特別の施設に追放していこうとする動きがでてきています。これが「処遇困難者専門病棟」新設の動きです。
私たちは様々な立場の違いを乗り越え、「処遇困難者専門病棟」新設が、いま以上に精神医療総体を荒廃させるものととらえ、その新設阻止のために集まりました。このリーフは多くの方に、「処遇困難者専門病棟」新設阻止を訴えるために作成したものです。最後までお読みいただき、「処遇困難者専門病棟」新設阻止の私たちの闘いに参加していただければ幸いです。

精神病院ってどんなところ?

医療と保護とは?

精神病院には一般の病院と違うところがたくさんあります。鍵がかけられた閉鎖病棟があったり、自由に外出できなかったり、お見舞いを断られたりします。自分の意志に反しても入院させられたりします。
これは精神科に限っては、ほかの科と違い精神保健法という法律があり、強制入院や、患者を閉鎖病棟に入れたりすることが法律で許されているからです。
精神保健法はその目的として、「医療と保護」を掲げています。もちろん精神病者は病人ですから医療も必要でしょう、時には命を守るために保護が必要な場合もあるでしょう。
しかし現実に行われている「医療と保護」は、決して本人自身の利益と生命を守るものとは到底いえない実態にあります。
強制入院制度には緊急時をのぞき大きく二つのものがあります。措置入院と医療保護入院です。医療保護入院は原則として家族の同意と医師の入院が必要という診断があればなされます。措置入院は本人はもとより家族が反対しても都道府県知事の権限で強制入院できるものです。これは二人の精神科医(指定医)の診断が「自傷他害のおそれがある」と一致すると強制入院させられる制度です。しかしこれらの強制入院には期間制限はありません。
日本では入院患者の約40%が以上の二つの形式の強制入院です。日本にだけこんなに強制的に入院させるべき病人が多いはずはありません。その中には10年も20年も強制入院させられている方もいます。本当に本人の「医療と保護」のため入院が必要というときのみに強制入院がなされているのではなく、周囲が困っているから、行き場がないから長期間精神病院に強制入院させられている患者が多いのです。
日本では本人が苦しいから入院させてくれ、といっても入院させてくれず、餓死したり自殺したりする例がとても多く、一方では周囲が困ったときには強制入院させられる例が多いのです。これでは精神保健法の強制入院の「医療と保護」は単なる建て前としか考えられません。
精神保健法にはその36条において行動制限という規定があります。「精神病院の管理者は、入院中のものにつきその医療又は保護のために欠くことのできない限度においてその行動について必要な制限を行うことができる」となっています。これにより患者を閉鎖病棟や保護室に入れることが許されているのです。しかし諸外国では閉鎖病棟は例外的であるにも関わらず、日本でのみこれほど閉鎖率が高いということは、真に「医療と保護」のために「行動制限」が行われているとは思えません。ここでも「医療と保護」の建て前と実態の開きがあります。
たとえば保護室(監獄の独房と同じで、室内にトイレがありそこに入れられたら鍵をかけられ監禁それる部屋)に患者を監禁することは「医療と保護のためにやむを得ずなされるもの」ということになっていますが、現実には医療従事者の言うことを聞かないなどの理由で懲罰的にも使われている実態があり、また入院後1週間は誰でも症状と無関係に保護室入りという規則のある病院もあります。

収容所でしかない精神病院

こうした状況を支えているのは医療法上の差別です。これは精神科と結核では、ほかの科に比べて医師は3分の1看護人は3分の2でよいとしたものです。その上精神科に限ってはこの基準すら満たしていなくても病院として認めるという通知が出されています。実際に89年厚生省資料によれば看護人については日本の精神病院の40%がこの差別的特例すら満たしていないとなっています。
人手が足りない精神病院に強制入院させれば、当然そこには看護や医療の視点よりも、どうしたら患者を逃げ出させないか、いうことを聞かせられるか、といった管理や監視の視点が優先されることになるのは当然です。
日本の精神病院には患者を集団として効率的に管理するために、さまざまな精神病院特有の規則が存在します。コーヒーは飲んではいけないとか、タバコの本数制限、私物の所持一切禁止、現金所持の禁止、面会の制限など、人権侵害や、人間の尊厳を否定する規則が多くの精神病院に存在します。精神病そのものによってではなく、こうした規則によって社会生活能力奪われ(たとえば現金を何年を使ったことがない、ガスを使ったことがないなど)、社会復帰が困難とされている状況もあります。
また医療費においても差別があり一人当たりの入院医療費は全科の平均入院医療費の約半分となっています。日本の精神医療の実態は「精神病は治らない、金も人手もかけるのはむだ。ともかく隔離収容していてくれればよい」という日本政府の姿勢に貫かれているといってよいと思います。
日本の精神病院の多くは「病院」の名に値することなく、むしろ「収容所」として機能しているのです。

入院体験記

私は45歳の男性です。14歳の時に初めて精神病院に入院して以来、過去に10回ほど入院生活を体験しています。最近は私自身の承諾で入院したのですが、二十歳代の時は数回強制入院を体験しています。二十歳代の時に経験したことを述べてみます。
私は幼少の折り、祖父母に育てられ、実際の親兄弟とは交流がありませんでした。それが尾をひいて当時もおばあさんっ子でした。
大学にもいかず実家でぶらぶらしていたのでしたが、私の両親に対する意思表示は壁文字(壁に紙をはってそこに言葉をつらねた)でした。昼と夜とが入れ替わり、家庭内で親兄弟とケンカばかりしていました。
そんな毎日を過ごしていたある日、突然白衣を着た数人の男が私のいた部屋に入ってきました。私を取り押さえようとしたのです。
私は「やめてくれ、話せばわかる」と言ったのですが、むだでした。足に注射を打たれ意識を失いました。そして気がついたら、鉄のとびらに鍵のかかった部屋のせんべいぶとんの上にいました。顔に手を当ててみるとヒゲはぼうぼうと伸びていました。おそらく3?4日はいたのでしょう。回りを見るとコンクリートがむき出しの部屋で隣には便所つぼがありました。壁には血のあとのようなものがついていたのを記憶しています。後で知ったのですが、これが保護室でした。精神病院に入院させられていたのです。
精神衛生法33条に基づく同意入院という強制入院だったのです。なぜ壁文字を書いただけで強制入院になったのかいまだにわかりません。この同意入院という強制入院は現在の精神保健法のもとでも医療保護入院という形で残されています。その保護室では看護婦(士)が食事を入れるために開く以外は一歩も外にでられません。
その保護室を10日ほどで出ると大部屋に移されました。窓にすべて鉄格子がはめられていました。その病院は新宿の大学病院の系列下にある埼玉県のK病院でした。「重症」と診断されると、K病院に入院させられるのです。
1ヶ月、2ヶ月とたちましたが、医者の診察は1回だけ、食事は朝7時、昼11時、夕食は4時でした。薬を飲む時間になると皆で一列に並びます。そして次から次へと口を開けて強制的に飲まされます。食事の時間は10分ほどでした。消灯は9時でテレビは1台しかなくみたいものもみれません。大部屋にはそれぞれ部屋長というのがいて看護婦(士)の下で下働きをしています。タバコはしんせいが6本です。電話は病棟にはありませんでした。小遣い銭は持たされず、週に1回買い物日があってその日に看護婦(士)が買いに行くのです。これらは精神衛生法の行動制限に基づくもので全く法も運用も不当なものです。現在の精神保健法になっても松沢病院では病棟によっては小遣い銭が持たされないということがあります。私が思うには、精神衛生法も精神保健法も「障害の発生の予防」を掲げており、さらに「国民の健康の義務」さえ唱われております。本質的には両法とも変わりない「病」者に対する人権侵害法だといえると思います。
こんな経験がありました。入院患者同士でケンカが始まり、私が止めに入ったら今度は私が殴られました。後で知ったのですが、そのケンカは部屋長の入院患者に対するリンチであったのです。このような看護人の手先となった部屋長の暴力は後を絶ちませんでした。
報徳会宇都宮病院のような看護人、部屋長と一体となった暴力支配は日常茶飯事でした。
今年の初めに起きた大阪の大和川病院の事件は決して例外ではありません。電気ショック療法というのが行われており、元気のよかった人が保護室に入れられ、ショボショボの姿で出て来たのです。おそらく電気ショック療法を受けさせられたのだと思います。
精神保健法でも入院患者は常に医師、医療従事者の従属下にあり、不当な人権侵害を受けています。今精神病院の機能別分化ということが行われており、その頂点に「処遇困難者専門病棟」が打ち立てられようとしています。いったいどれだけの仲間が精神医療によって苦しめられ殺されてきたことでしょう。
私たちの明日を切り開くために何としても「処遇困難者専門病棟」づくりをやめさせましょう。         (T)

私たちはなぜ「処遇困難者専門病棟」に反対するのか?
「処遇困難者」とはどんな患者をさしているのでしょうか?

年表にあるようにこの「処遇困難者専門病棟」新設の動きの根拠となっているのは87年に発足した厚生科学研究「精神科医療領域における他害と処遇困難性に関する研究(以下「研究」とする)です。「研究」は全国の精神病院にアンケート調査を行い「処遇困難者」の数を推計しています。
このアンケート用紙によると、「処遇困難をきたす問題行動」として、以下のことがあげられています。暴力行為、脅迫行為(好訴を含む――これは訴えが多い、しょっちゅう訴えるという意味です)、器物破損など他害行為、自殺自傷、煽動、無断離院、規則違反、治療拒否、その他、とされています。
そしてこうした問題行動をする患者が「処遇困難者」とされているのです。
看護人による暴力に対抗して暴力行為をした場合もあります。治療拒否といっても、何の説明もなしに薬を与えられ、身体にあっていないから薬を拒否することもあります。現金所持を禁止され電話もできないのでこっそり現金を持ち込むことだってあります。これも規則違反です。人権侵害を解決するために人権委員会に訴えたり、民事訴訟を起こそうとする人もいます。これとて好訴、脅迫行為ということになります。入院患者の人権を自ら守るため、仲間で団結しようと訴える人がいれば、煽動ということになります。
しかもこの報告書には、こうした「処遇困難者」にいかなる治療が行われたのか「治療する側」「処遇する側」を点検する視点は全くありません。そこにみられる医師の姿勢は「こいつは厄介だ」と「嫌だ」、だから自分の病院にはいれておきたくない、という無責任な治療放棄の姿勢です。
たとえばここに「研究」班のメンバーである樫葉明という医師の書いた論文があります(「精神医学の限界」法と精神医療学会機関誌、第2号 1988)。ここで彼は「処遇困難者」をテーマとしていますが、症例としていくつかのケースを報告しています。その中の一つで、ある患者に対して、「一生入院すべしと申し渡したところ、職員への殺意、治療拒否が始まった」これは「処遇困難者」であり、精神医学の限界であると言っています。しかし「一生入院すべし」と言い渡されて平気な人がいるでしょうか? むしろ職員への殺意、治療拒否は人として当然の反応ではないでしょうか? これは医療従事者側こそが「処遇困難者」を作り出しているよい例だと考えます。

厚生省はなぜ「処遇困難者専門病棟」が必要といっているのでしょうか?

厚生省の公衆衛生審議会は91年7月に「処遇困難患者対策に関する中間意見(以下「中間意見」とする)」を発表しました。そこでなぜ「処遇困難者専門病棟」新設が必要かについて以下のように述べています。
「研究」報告書に基づき、精神病院内に「処遇困難患者」という患者が存在する。これは「そのものの示す様々な病状や問題行動のために、病院内での治療活動に著しい困難がもたらされる患者」と定義されている。
「処遇困難患者」は、長期間保護室で処遇され必ずしも十分な治療を受けられていない。・「処遇困難患者」と他の患者とが同じ病棟に入れられているため、開放化が進まない。・「処遇困難患者」を病院内でできる限り閉鎖性の少ない環境において治療を行うことが必要である。
それゆえ
・将来的には処遇困難性のきわめて高い患者を対象とした専門病院も必要になる可能性があるが、その重要性緊急性に鑑み、国または都道府県が設置する精神病院において試行的に「処遇困難患者」を専門に治療する病棟を整備する必要がある。
・対象者については「評価委員会」等をつくり、「患者の病状が現在の治療水準において治療抵抗性が強く、本人に対し十分な治療を行う上で、また、一般の患者を開放的な環境で治療していく上で、それらを著しく阻害する状態にあるかいなかにより判定するものとする」。対象者は措置入院患者で、このような症例に相応するもの(重症の措置入院患者)とすることが適当である。
としています。

保安処分のはなしⅠ

保安処分とは何か? この問題は、このリーフレットの内容で一つのポイントとなります。このⅠでは、保安処分とは何かを一般的に考えてみましょう。
保安処分の最も抽象的・一般的定義は、「社会的に危害をくわえることが予測されるものに対し、これを予防拘禁する」制度です。日本の例では、少年法における「ぐ犯少年」の規定、すなわち少年法第3条「犯罪性のある人若しくは不道徳な人と交際し、またはいかがわしい場所に出入りすること」のある少年は審判に付され、未成年のための施設に強制的に収容される、といった例があります。これらの根本にある発想は、「世の中にはつかまえておかなくてはならない人格の人間がいる」ということです。「罪を憎んで人も憎む」というわけです。これは様々な社会的矛盾や支配者の失政を「悪い人間がいるのだ」として、個人の上に不条理にも覆いかけようというものに他なりません。日本では、「精神病」者にも保安処分を実施しようというしつような策動があります。

重症の患者にふさわしい医療機関を作るのはよいことではないでしょうか?

確かに「精神病」も病気ですから、重症患者も軽症患者も存在するでしょう。しかし「処遇困難者」という存在ははたして病気が「重症」ということを指しているのでしょうか?
「研究」は「処遇困難をきたす問題行動」を問題にしています。そのうえその「問題行動」の要因として「人格要因」があげられ、その中には「素因性(生まれつき)」のものがあるとしています。つまりこの「処遇困難者」概念はその人の「病状」を問題にしているのではなく、「人格・資質」を問題にしているのです。
そうした「問題行動を行う人」に対して、一般の精神病院ではできない高度な治療、というものは精神医学において存在するのでしょうか? 先に述べた樫葉論文は「処遇困難者」を「精神医学の限界」と決めつけています。「精神医学の限界」とされている患者に対してどんな医療があるというのでしょうか?
現実に日本精神神経学会やその他の医療従事者団体からも、医療上の見地から「処遇困難者専門病棟」新設に対してたくさんの批判や疑問が投げかけられています。
一般的に病気にかかったとき、地域の医療機関に行って、そこでは対応できない病気や特別な治療を必要とするため、大病院や専門病院に紹介されることはよくあることです。
しかしこの「処遇困難者専門病棟」の場合は、紹介状をもらって、自分の意志で「処遇困難者専門病棟」入院を選択できるわけではないのです。そもそも措置入院患者は医療機関を選択することを認められていません。そしていったん「評価委員会」で「処遇困難者専門病棟」行き、と決定されたら、意志に反しても「処遇困難者専門病棟」に収容されてしまうのです。
「中間意見」は「処遇困難者専門病棟」は最終的には社会復帰をめざすといっています。
しかし地域から切り離され「処遇困難者専門病棟」に強制収容されたら、家族も友人もお見舞いに行けない遠いところに送られ、社会復帰への大きな障害となります。
そのうえただでさえ精神病院に入っていたというだけで差別されるのに、精神病院の中でもさらに「厄介者」とされる人だけを集めた「処遇困難者専門病棟」に入れられれば、それは強烈ならく印となり、再び地域に戻ることなど不可能になります。患者は絶望に絶望を重ね、医療など成り立たない状態になることは目に見えています。

「処遇困難者専門病棟」とはいったいどんなところ? そこで何をするのでしょうか?

厚生省は「処遇困難者専門病棟」について、施設の一人当たりの面積を一般の精神病院より広くする、人手も多く配置する、としたことしか明らかにしていません。どんな治療が行われるのか、いかなる運営が行われるのかも不明な状態で、年表にあるように建築費予算だけが先行してつけられています。
参考になるのはいち早く「処遇困難者専門病棟」新設方針を打ち出している東京都の答申です(年表参照)。これによれば病棟全体の施錠、さらに病棟を3つのブロックに分け、ブロックごとに施錠、そのうえ個室を原則としていますが、そこはトイレがあるのか外から施錠できるのか、というといずれもイエス、ということで、何のことはない保護室、ということです。施設面でいえばいかに厳重な拘禁施設であるか一目瞭然です。
東京都では松沢病院で現在「重症保護病棟」として機能している病棟(B21、D40)の建て替えとして「処遇困難者専門病棟」を作るのだといっています。
それではB21の入院案内から、その現状を見てみましょう。
タバコは1日7本決められた時間しか吸えない、現金所持は禁止、電話代は1週間100円1日20円まで、友人面会禁止、飲食物の持込み禁止、こんな人権侵害が公然と行われています。
看護人は一定期間毎に勤務する病棟を変わるのですが、同じ看護人が、D40、B21に来た途端別人のように威圧的抑圧的になる、と体験者は話しています。「特別な患者のいる病棟」という先入観がこうさせるのです。
「特別な患者」を集めることがいかなる状況を生み出すかよく分かる例だと考えます。

保安処分のはなしⅡ

日本では、刑法を改訂して、「精神病」者への保安処分を導入しようという、政府、法務省の動きがあります。「精神病」者に対していかなる形であれ「危険」→「予防拘禁」の対象、という考え方は、偏見に基づくものです。なぜ「精神病」者だという理由で保安処分の対象になるのでしょうか。しかもその保安処分施設の中では「人格」を矯正するという「治療」があるだけで、その目的のために拘禁が行われるのです。差別と偏見がここにあります。
皆さん。はたして、「精神病」者を危険だとして閉じこめる社会は、暮らしやすい社会でしょうか。現代社会の矛盾は、人々を様々なストレスにさらします。それに対して抵抗できないと、即、精神病院から挙げ句の果て保安処分の対象になるようでは、今健常者として暮らしている人も常に発病→排除、におびえて暮らさなくてはいけません。あなた自身のために保安処分に反対しましょう。

いまなぜ「処遇困難者専門病棟」が新設されようとしているのでしょうか?

現在精神医療全体が大きく再編されようとしています。これは医療費削減という医療一般の流れ、そして精神科特有の治安的視点から精神病者を管理しようとする視点、この二つからです。
国家としては35万人もの患者を精神病院に入院させておくのは、医療費がかかりすぎるのでなんとか病床を減らしたい、しかし「治安上問題のある患者」に関しては厳重な監禁を行いたい、というわけです。
そこで国は精神病院に「社会復帰施設」を作ることを認め、病院にいれておくより安上がりな収容を目指すという方針をたてました。
また精神病院も入院期間別に職員定数を変え、長期入院患者には少ない有資格看護人、医師で対応すればよい、といういわゆる病棟機能分化論が厚生科学研究班報告で出されています。つまり今の差別的な特例による人員配置基準を撤廃することなく現行の基準で何とかやりくりしようというわけです。
一方治安的視点からは、権力にとって「治安上問題あり」とされた患者を徹底して厳重に監禁することが必要とされます。これが「処遇困難者専門病棟」です。
また「処遇困難者」という「手のかかる患者」は「処遇困難者専門病棟」で引き受けたのだから、一般精神病院は今の人的配置基準で十分、それでやっていきなさい。ということです。今の精神病院の劣悪な条件は変わることなく、決して「処遇困難者専門病棟」新設が開放化につながることはありません。
それどころか、医療従事者は少しでも「厄介」と思えば「処遇困難者専門病棟」に追放するようになり、「処遇困難者専門病棟」の存在が「処遇困難者」を作り出すことになります。そして入院患者は少しでも医療従事者に逆らえば「処遇困難者専門病棟送りだ」と脅されるようになり、今以上に医療従事者への隷属を強いられるようになるでしょう。
「処遇困難者専門病棟」新設は精神医療全体を反人権的・反医療的に再編し、精神医療の荒廃はさらに深刻となるでしょう。

「処遇困難者専門病棟」は医療施設ではない、保安処分施設そのものです

「研究」の報告書まえがきはこう言っています。「わが国では諸般の事情で刑法に保安処分制度が定められておらず、他害事件を起こした触法精神障害者は、起訴、裁判の過程でその責任能力の応じて、矯正施設(医療刑務所を含む)で受刑するか、精神保健法により精神病院に強制入院となって医療および保護を受けることになっている。しかし、これら精神障害者の中で精神病院において処遇困難とされたり、退院後も事件を繰り返し、社会から非難される事例も見られる」それゆえこの研究を始めたというのです。
ここにこの「研究」の目的が、精神医療を「犯罪防止」「社会防衛」「治安的目的」のために活用とするものだということがよく表れています。すでに精神医療そのものが「本人のための医療」ではなく「周囲の人のため」ひいては「社会を守る」に使われている実態がありますが、そうした傾向を露骨に目指しているのがこの「処遇困難者専門病棟」です。
「医学の限界」とレッテルを貼られた患者を、ひたすら厳重に監禁するのが「処遇困難者専門病棟」の目的です。医療機関とはとても呼べません。
さらにこの「処遇困難者専門病棟」でも「手に負えない」とか「長期の収容が必要」とされた人に対しては、より高度の監禁施設である「専門病院」を作るという計画まで「研究」報告書、「中間意見」では述べられています。
74年に法制審議会で答申された、刑法改悪・保安処分新設の厚生省版として「処遇困難者専門病棟」は新設されようとしているのです。「処遇困難者専門病棟」新設をなんとしても阻止しなければなりません。

あとがき

「精神病」者を「危険」として排除する社会は、多くの人にとって暮らしやすい社会ではありません。いま、私たちが問題にしている「処遇困難者専門病棟」の設置は、ますます多くの「精神病」の仲間を悲惨な境遇へと押し込め、社会の中でみんなが手を取り合っていきることを否定するものです。私たちの明日と、このリーフレットを手にしたあなたの明日を、共に生きる希望の中で迎えるために、「処遇困難者専門病棟」に反対していきましょう。

「処遇困難者問題」の流れ(年表)
厚生省の動き
1987年   精神保健法国会で成立翌88年7月より施行
        「精神科医療領域における他害と処遇困難性に関する研究」
        厚生省研究として発足
1989年10月 研究班報告書を受けて公衆衛生審議会精神保健部会に「処遇困難患者に関する専門委員会」を作る
1991年7月 公衆衛生審議会「処遇困難患者対策に関する中間意見」公表
        全国の国公立病院で試行的に「重症措置患者」を対象に「処遇困難者専門病棟」を作ることを答申
        これを受け厚生省精神保健課は、「処遇困難者専門病棟」試行的実施に向け、公立病院に「処遇困難者専門病棟」を作るために、自治体に建築費の半分を補助する予算請求、1992年度予算として認められた。(しかし今のところ候補がなくこの予算は使われていないがためておける性格の予算)
1992年 国立病院部として「処遇困難者専門病棟」を国立病院に作るための1ヵ所の建築費を予算請求、1993年度予算として認められた。この予算は93年度中に使わなければならないもので93年度中の着工は必至。
1993年3月 公衆衛生審議会意見書「今後における精神保健対策について」公表
        「重症な精神障害者に係る精神医療については、平成3年7月15日付の本審議会意見(「処遇困難患者対策に関する中間意見」)において指摘したところであるが、重症な精神障害者に対しては精神病院のおける専門の病棟において高度で適切な医療を提供できる体制を確保すること」と述べ「処遇困難者専門病棟」新設を提言している。

東京都の動き

1992年1月 都衛生局諮問委員会「都立精神病院運営整備構想検討委員会」発足
        小委員会として「処遇困難患者対策小委員会」設けられる
1993年3月 「都立精神病院における運営及び施設整備の充実に向けて」答申される。この中で松沢病院に「処遇困難者専門病棟」設置が提言されている。これは都独自の方針としながらも、都病院事業部としては国の補助金が取れるならとるとのこと。
答申の内容(「処遇困難者専門病棟」に関する部分)

①「問題点」としているもの
・民間精神病院において症状行動面で十分な治療がなされていない患者がかなりの数存在する
・現在症状及び問題行動の著しい患者の治療はD40、B21病棟で行っている。この二つの病棟は建築後20年たって老朽化が進んでいる。また必ずしも十分な設備、人手が確保されていない。
・こういった患者とそれ以外の患者が同じ病棟にいるので開放化を阻害している
②結論
・精神科集中治療病棟設置が必要
・病棟運営委員会(院長、病棟総括責任者、保健医療関係棟の行政機関及び学識経験者)入退院判定委員会をつくり、これらを院内機関として位置づける
・入院期間は1年以内とし2年を限度として更新できる
・当分の間都知事の措置した入院患者対象
・男女混合30床、将来的にはこれに加え男子のみ30床
・この病棟の後方として3病棟を備える
・病棟は出入口に施錠。さらに各ブロック毎に施錠 原則として個室(といっても施錠でき中にトイレのある保護室)
・医師については専門医制をしく


UP:20100528 REV:
精神障害/精神医療  ◇全文掲載 
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