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「今迫る保安処分――「処遇困難者専門病棟」新設を許すな!学習討論会報告集」

19910202

last update:20110315

「処遇困難者」だぞ!文句あっか

1991.2.2 今迫る保安処分―「処遇困難者専門病棟」新設を許すな!学習討論会報告集


ま え が き

 はじめに、「処遇困難者」施設の問題についての、わたしたちの取り組みの経過をかんたんに述べたいと思います。
 2月2日の学習会には絶対参加するといっていたのに、症状がきつくなって出席できなくなった「病者」は何人もいます。そのうちのひとりは、重度の「身体障害者」ですが、介助者会議のなかで「『病者』だということをふりかざして甘えているんじゃないか」といわれ、すっかり症状がきつくなってしまいました。
また、そのあと、電話で「疲れているんだから、ゆっくり寝なさい」ともいわれています。症状をかかえてしんどい「病者」に「甘え」とはなんだ、「病者」差別のことを知っていて「甘え」なんていっているのか、眠れなくて苦しんでいるのに、しかも眠れない原因は自分たちがつくっているのに、「寝ろ」とはどういうことなんだ。ひとつひとつ腹が立ちます。こういうことをいうのにかぎって、わたしは「病者」の味方ですという顔をしています。よけい、腹が立ちます。
 「処遇困難者」施設とは、そういう「病者」の味方づらをした厚生省の役人や精神科医、法律家たちが、「患者の人権に配意」して、考えだしたものです。
 「患者の人権に配意」というのは、精神衛生法「改正」のとき、厚生省が使ったことばです。精神衛生法は、宇都宮病院問題が明るみになり、日本の精神医療のありさまが国際的にも問題にされて、精神保健法に「改正」されました。しかし、「改正」されても、精神病院の実態はほとんど変わっていません。むしろ、退院制限の強化とか、指定医の問題とか、かえって問題が増えています。ここでそのあたりを詳しく述べることはできませんが、わたしたちは「病者」の声を無視した精神保健法の成立を弾劾しました。
 精神保健法は、5年後に見直すことと定められました。わたしたちは、もしかして5年後にいくらかでも良くなるのかもしれない、良くなるかどうかはわたしたちの運動にも規定されるだろう、それまできちんと運動をすすめていこうと、まちがった期待をしてしまいました。
 期待がまちがっていたことは、まもなく分かりました。いろいろ調べてみたところ、「精神科の治療指針」と「処遇困難者施設」という問題が浮かびあがってきました。厚生省のなかに厚生科学研究班というのがあって、そういう研究をやっているらしいとまでは分かりましたが、例によって「病者」の声を無視しようとする厚生省のことなので、その中身は分かりません。報告書ができてから、それを手にいれるだけでも、わたしたちは何度も厚生省に押しかけたりしなければなりませんでした。
 「精神科の治療指針」のほうも、精神外科手術や電気ショック療法など、大きな問題がありますが、ここでは省略します。「処遇困難者」施設問題のほうも、とんでもないものでした。わたしたちは、これで精神保健法は保安処分として完成する、これを許してはならない、反対の運動を広げなければならないと考えました。2月2日の学習会もその運動のひとつです。
 「処遇困難者」施設の問題について、厚生省厚生科学研究班がおこなってきた「精神科医療領域における他害と処遇困難性に関する研究」という「研究」に沿って、すこし詳しく述べてみたいと思います。
 この「研究」は、はじめから狙いがあって、その狙いを、アンケートによる実態調査とその統計処理といった「科学的」なよそおいで、まとめたものです。そのことは、アンケートの設問や統計処理のしかたからも明らかです。
 かつて、刑法「改正」が問題にされましたが、そのときすでに、保安処分を刑法のなかに組み込むか、治療処分執行法のような法律をつくるか、精神衛生法を「改正」するか論議されていました。精神衛生法「改正」=精神保健法成立からこの「研究」にいたる流れは、それに沿ったものです。「処遇困難者」施設の考えは、精神保健法を保安処分として完成させようとするものにほかなりません。
 厚生科学研究班の報告書には、いくつも大きな問題がふくまれています。ざっと述べてみたいと思います。
1 報告書をつらぬく保安処分思想
 報告書は、「他害と処遇困難性に関する研究」という題名そのものからして、「精神障害者」と「暴力」、「犯罪」とを結びつけ、「『精神障害者』は何をするかわからない、危険な存在だ」という「精神障害者」差別をおしひろげ、「精神障害者」に対する保安処分をおしすすめようとするものです。
 報告書の"まえがき"は、精神衛生法の「改正」にあたり、「精神障害者による他害事件に関連し、被害者の人権を守ることも考える必要があるという論議もあった」とし、また、日本では保安処分制度が定められておらず、「(他害事件を起こした触法精神障害者の中で)精神病院においても処遇困難とされたり、退院後も事件を繰り返し、社会から非難される事例もみられる」から、「これらの事例の解析と対策の確立」が必要と思ったので、「研究」を行うことにしたと述べています。この「研究」が社会防衛のためであることが、むきだしです。
 「処遇困難」とはどういうことでしょうか? 厚生省の考えかたは、厚生省や医療従事者にとって迷惑な患者をさしています。保安処分推進論者の主張そのままなのです。そこでは、症状をかかえたユーザーの苦しみは問題にもされていません。アンケートの項目を見ても、「問題行動」には、暴力行為、脅迫行為から、扇動、規則違反、治療拒否までふくまれています。強制入院や強制治療に対する抵抗も「暴力」とされ、「脅迫的行為(好訴を含む)」と、訴訟も脅迫とされているのです。ここでは、ユーザーには、医師や治療法をえらぶ権利も認められていません。
 また、「診断名」には「人格障害」までふくめ、「犯罪」と結びつけていますが、つまり、「精神障害者」は「犯罪素因者」だというのです。そうして、「社会からの非難」をおもんばかって、「対策」を確立しようというわけです。
 これは、保安処分の思想そのものです。
2 保安処分施設
 "処遇困難例対策に関する意見"のところでは、「現行の地域の指定精神病院を再編成し、比較的軽度の処遇困難例を担当できるようにし、更に重度な症例に対しては、国公立精神病院を中心に集中治療病棟(仮称)を併設し担当するという二層構造の体系とする」とし、さらに、「集中治療病棟でも対応困難な重度の症例や、長期化した症例を治療する施設が必要となってくることが予想される。
そうした場合、専門病院の設立は、二層構造で実施した結果を踏まえ検討するものとする」としています。
 「処遇困難者」は、@地域の指定精神病院の再編成、A集中治療病棟、B専門病院の三段階からなる体制のなかに組み込まれることになるわけです。
 「精神病」者は、地域から排除され、精神病院に送られて絶望します。その精神病院からさえ排除され、「処遇困難」のレッテルをはられ、この体制に組み込まれた「精神病」者は、絶望の上に絶望を重ねさせられるのです。また、この施設を背景にしてすすめられる一般の精神病院の「開放化」とは、病院の管理体制に従順であるユーザーに対してだけ認められるのにすぎません。
3 保安処分の手続き
 "処遇困難例対策に関する意見"では、「集中治療病棟」への入退院は「精神病院の管理者や司法関係者が入院の申請を行い、適当な第三者機関が、審査をして入院の決定を行う。退院や転院に際しても、同機関が同様の評価を行い退院の許可を出すことが望ましい」としています。
 精神医療に「司法関係者」が、どのような関係があるというのでしょうか。また、ユーザーと主治医の間に「適当な第三者機関」を割り込ませて、入退院や転院まで「許可」するようにするというのは、どういうことなのでしょうか。
 これは、そのまま保安処分の手続きです。
4 デタラメなアンケート、デタラメな統計処理
 報告書のアンケートのやり方には、いくつも問題があります。詳しく述べるには紙数がないので、少しだけ述べておきます。
@)一次調査で、回答率が低かったのでハガキで二次調査をしたということだが一次調査の回収病院数(表1)と二次調査の発送病院数(表2)とを足すと、一次と二次の合計(表3)にはならない。調査の時期が重なっているのではないから、一次調査で回答した病院にもう一度二次調査をしたところがあることになる。これでは、仮説を正しいとか誤りだといえなくなることがある。
 もし、正しくない仮説を正しいものとするために、このような操作をしたのならば、作為だといわなければならない。
A)一次調査と二次調査の合計だけでなく、数字の誤りは、表6の修正定数などあちこちに出てくる。また、カイニ乗検定などのときは、パーセントの数字で計算せず、実数で計算することは、統計学の初歩である。だが、それを別にしても、数字の分析のしかたが大きな問題である。
 たとえば、報告書は「他害危険性の強い暴力患者は、『特1、2類』の病院と、『無』の病院とに、とりわけ多く収容される傾向がある」としているが、表4の開設者別・看護基準のかたよりからすると、表14の数字だけでは、このように分析できない。それよりも、たとえば、看護基準「無」の病院への収容が原因で、「他害危険性」にされるようになったのかもしれない。
 報告書では、「問題行動の要因」として、「人格要因」なるものもふくめ、ユーザーの側にあるようにとらえ、病院側の責任は、あまり見ていない。
B)もともと、アンケートの設問があいまいで、はっきりした基準がたてられない。大阪、石川の「実地調査」がなぜ必要だったのか、資料3の「実地調査についての補足」だけなら、もとのいいかげんなアンケート調査とおなじように調査表の郵送でよい。直接、病院を訪問するまでもない。病院によって、回答のしかたが違うので、「実態の把握をさらに深める必要が生じた」(地域実地調査報告・1はじめに)のではないか。
 であるならば、まずもって、さきのアンケートの大阪、石川の分と、実地調査とをくらべなければならない。ところが、いきなり、実地調査の結果と全国アンケートとをくらべている。このやのかたは、ふつうの平均値の検定のときのやりかたとちがっている。
C)設問はあいまいだというだけではない。ユーザーの側からは、いっさい聞き取りをしていない。たとえば、「実地調査についての補足」では、イレズミの有無をたずねることにしている。だが、イレズミの有無だけでは、なにもわからない。A君の場合は、前の病院に強制入院させられていたとき、本人がいやだといっているのに、看護士がムリヤリ彫ってしまったのである。こんなことは、暴力とか、脅迫、治療拒否とか、すべてにあてはまる。
 それどころか、アンケートでは姓名まで書かせている。イニシァルだけだといっても、ほかの項目があってイニシァルがわかれば、だれのことか、すぐわかってしまう。しかし、どんなにアンケートの意味を認めようとしても、こうした調査に姓名はいらない。ユーザーのプライヴァシーを犯し、医師の守秘義務にも違反し、許されないことである。
 これは、単にふつうの医学論文の慣行に従ったまでだ、としてしまうわけにはいかない。もはや「処遇困難者」施設の新設は決まったこととして、そこに収容する人をリスト・アップしたものと考えても、考えすぎとはいえない。
5 病気と「犯罪」との間に、どんな関係があるというのか
 よく知られているように、警察の統計でさえも、「精神障害者」の「犯罪率」は低いし、「再犯率」も高くはないのです。そこには、日本ではとくに、「精神障害者」が精神病院に閉じこめられている率が高いことの問題があります。それを別にしても、この数字には、暗数(警察が事件と認知しなかった数)や、「精神障害者」の「犯罪」とされているなかには、「精神障害者の疑いのある者」というものをふくめて水増ししていることなどの問題があります。また、精神鑑定によって裁判権も奪われ、冤罪や正当防衛、緊急非難も認められない場合も、「病者」には少なくありません。
 「精神障害者」も「健常者」と同じように「犯罪」を犯すことはあります。ただ、「精神障害者」が「犯罪」の要因であり、「精神障害者」が「犯罪素因者」だときめつけるのが差別です。それが、保安処分の思想なのです。
 報告書は、「過去に犯罪を起こしたことのある患者が、すべて処遇困難例となるわけではない」といいながら、すぐあとで、「犯罪歴」は「その患者の他害危険性の強さを示唆する所見であるとともに、その患者の社会復帰に支障が生じやすいことを示唆するものである」と、「精神障害者」を「犯罪」に結びつけています。そうして、結論として、病院側の責任は問わないで、「犯罪歴」や「人格要因」が「処遇困難性を高める重要な要因」だから、「集中治療病棟」だの「専門病棟」だのが必要だといっています。
 トリエステ(イタリア)のローテッリ精神保健局長が来日してイタリアの精神医療改革について講演したとき、「狂気の状態での犯罪が起きたのは、むしろ精神病院があった時代のほうだ」(『朝日ジャーナル』1990.5.4ー11)と語りました。こういうことについて、報告書は考えようともしていません。
 以上、おおざっぱに、報告書に沿って、問題点を取り上げてみましたが、実にいいかげんであることが分かると思います。もっとも、医学論文のいいかげんさは昔からいわれてきたことです。たとえば野口英世の論文など、今では見向きもされません。ところで、精神医学に関しては、いいかげんではすまされません。
「犯罪生物学」の始祖といわれるロンブローゾや、ロボトミーの創始者モニスの「研究」は、批判され、形こそ変えてはいますが、今なお多くの「病者」を苦しめています。
 厚生科学研究班の「研究」は、今、それをもとに、「処遇困難者」施設をつくるという動きが実際にすすめられています。精神保健法の「見直し」は2年後に迫っています。だから、このままでは、遅くとも来年には準備のための予算措置にまですすめられてしまいます。この動きが、ちょうど、「病者」の声を無視して、精神衛生法を「改正」して精神保健法を成立させたときの動きと同じです。
わたしたちは、これを許すわけにはいきません。


(司会)
 それでは多少時間が遅れましたが、精神衛生法撤廃全国連絡会議(以下撤廃連)主催で、今日の学習討論会「いま迫る保安処分『処遇困難者専門病棟』新設を許すな」を始めたいと思います。
 この「処遇困難者専門病棟」新設の動きは、詳しくは講演で明らかにされると思いますが、89年から急速に進められてきた動きで、撤廃連としてはこれはより強化された保安処分攻撃であり、「精神病」者と「健常者」、「精神病」者と医師、そして「精神病」者同士を分断して行くものだという観点にたって、全国「精神病」者集団の呼掛けに応えて、全国「精神病」者集団声明への賛同署名のお願いをしてきたという経過があります。現在賛同署名は149個人、66団体に署名していただいております。後ろに全国「精神病」者集団声明と撤廃連と賛同署名のお願いが準備してありますので、今日の学習会で得た内容を踏まえて、ぜひ何部かずつ持ち帰って、周囲の方へ広めていただきたいと思います。
 また今日は医療体制を準備していますので、具合いの悪くなった方は受付の方へお申し出ください。では全国「精神病」者集団のYさんから講演をお願いします。
(Y)
 今日私がお話しすることは、これが正しいとか、このように問題をとらえろ、ということではなく、私個人がこのように考えました、ということを皆さんに投げかける。それに対してまた皆さんからの討論や質問、あるいは批判、補足をしていただくという形で進めたいと考えています。


〈保安処分とは何か?〉

 今日の学習会は「いま迫る保安処分」という題名がついています。「保安処分」とは何かというと、刑法の全面「改正」の中で、刑法の中に保安処分ができること、これを「保安処分」と呼ぶのが一般的だと思います。
 しかし「保安処分とは何か?」ということをよく考えてみると、私は以下のように定義したいと思います。「『精神障害』者を犯罪を犯しやすい『危険』なもの、とする偏見に基づき、『精神障害』者をその『危険性』を根拠として予防拘禁し、その『危険性』を除去するために精神医学・精神医療を利用すること」このように定義できるのではと考えます。この定義をとるならば、日本で刑法に保安処分制度というのは現在ありませんが、私たち「精神病」者はいますでに保安処分され続けていることになります。
 法務省の『犯罪白書』によれば、「精神障害」者の犯罪率は一般人より低いとなっています。この犯罪率が低いということをどうとらえるべきか、といえば犯罪率が低いことこそ問題にされなければならない。つまり極端に言えば「精神障害」者の犯罪率を一般の人並に上げなければならない、と私は考えます。
 いま刑事施設(拘置所や刑務所)に入れられている人がだいたい五万人。精神病院に収容されている人が34万人余り、そして全精神病棟の約60%が24時間鍵のかかっている閉鎖病棟です。これを計算してみると刑事施設に入れられている人の大体4倍もの人が、精神病院の閉鎖病棟に監禁されていることになります。私たち「精神病」者は犯罪など犯したくてもできない状態に押し込まれているのです。
 精神保健法は私たち「精神病」者にとっては強制入院制度です。地域で暮らしている「精神病」者に対しては精神保健法による通報制度がしかれ、通報に基づき精神鑑定が強制され、2人の精神保健指定医がある「精神病」者を「自傷他害のおそれ」があると見なせば、その「精神病」者は措置入院されます。措置入院は本人はもとより家族が入院に同意していなくても、都道府県知事の権限により「精神病」者を強制入院できるという制度です。措置入院こそが、治安のために「精神病」者を予防拘禁する、いま現在ある保安処分です。
 また地域では「あの人は、ちょっとおかしい」「精神病院に通っているらしい」あるいは「退院してきたらしい」ということになれば、「そういう人はよそに行ってほしい」という差別があります。あるいは学園でも登校拒否の子供(登校拒否児童がすべて「精神病」ではないでしょうが)が、再び学校に行きたいと言い出しても、良かったと喜ぶのではなくて「おまえは駄目だ。精神病院に入っていろ」と言う校長もいるそうです。さらに労働現場でも、「精神障害」者の就業禁止をうたった労働安全衛生法および規則があり、法的にも「精神障害」者が職場から排除されています。もちろん「精神病者と同じ職場で働きたくない、目の前から消えろ」といった差別が存在します。これらは単に制度としての保安処分ではなく、「精神病」者に対する差別排外、すなわち保安処分思想が地域学園職場に存在していることを表しているといえるでしょう。
 以上のように保安処分をとらえた上で、「処遇困難者専門病棟」新設問題を考えていきたいと思います。

〈私たち「精神病」者は医療を保障されていない〉

 いま日本の精神医療の実態はどうなっているか? 結論を言えば、患者本人の利益のためではなく、社会の利益を守るため、社会防衛のために行われているのが日本の精神医療です。
 このことを具体的に表しているのが、宇都宮病院の元院長石川文之進に対する確定判決です。宇都宮病院は栃木県の私立精神病院で、84年に入院患者が看護人によって殴り殺されていることが暴露されました。石川文之進は当時の院長でしたが、この入院患者虐殺事件の責任は問われず、逮捕はされたものの、放射線・エックス線技師法違反、保健婦助産婦看護婦法違反、死体解剖保存法違反、食管違反の微罪で起訴され、わずか8カ月の実刑判決を受けただけでした。
 この確定判決は非常に問題となる部分があります。判決は宇都宮病院での無資格診療とか、職員定数の違反は認定しました。しかし一方で判決は「ほかの精神病院が引き取りたがらない患者をたくさん引き受けた、これは社会的貢献だ」と言っているのです。
 つまり宇都宮病院は、無資格診療とか職員不足とか、医療内容が貧しい病院であると認めたにもかかわらず、「社会の厄介者」「どの病院も引き受けない困りものの患者」とされた人々を引き受けた、ということを「社会的貢献」と言っているわけです。ここで司法は、精神病院は入院患者にまともな医療を保障していなくても、「厄介者の隔離と監禁」さえしてくれれば、「社会に貢献している」のだと宣言しているといってよいでしょう。
 この判決は特にこの裁判長がひどい奴だということではなくて、日本の精神医療の実態を支えている思想を端的に表現しただけだと考えます。その証拠に宇都宮病院事件が暴露された以降も、厚生省始め行政は宇都宮病院をつぶすことはなく、宇都宮病院は精神病院として存続しており、現在も約550名の入院患者を強制入院させています。
 日本の精神医療の現状を支えている法律として2つの法律があります。1つは医療法の特例および特例はずしであり、いま1つは精神保健法(「精神病」者への強制入院制度)です。
 医療法とは、医療施設の基準、それから看護婦は何人いなければならないとか、医師は何人といった人員配置の基準を定めた法律です。これは精神科だけでなくほかの全ての科に共通のものです。その中で1958年に医療法の特例と特例はずしという通知が出ています。これは結核病院と精神病院を特殊病院と呼び、これらについては医療法の特例として、医師は約3分の1看護人は約3分の2でよいとしたものです。そして精神科に限ってはこの特例以下の人員配置でもやむなしとした特例はずしが認められたのです。現在もこの通知は生きており、全国の精神科病床の約40%(看護人について、厚生省の統計89年7月現在の「基準看護承認状況」により、あくまで届出の数字でありこれより実態はもっとひどいと思うが)が特例以下の基準で運営されています。
 つまり「精神病者というのは危険だ。だからこういう危険な人から社会を守るためには、精神病者は鍵をかけて閉じ込めておきたい。どうせ精神病というのは治らないのだから、監禁さえしてくれれば治療なんかしなくてもよい。人手をかけるのは無駄だ」というのが日本の精神医療なのです。私たち「精神病」者は当たり前の医療をさえ保障されていないのです。この人員配置基準の貧しさが、現在の精神病院の「処遇」の貧しさ(高い閉鎖率、さまざまな患者に対する行動制限)を決定している大きな要因の一つです。

〈保安処分攻撃としての「処遇困難者専門病棟」構想〉

 宇都宮病院事件をきっかけとして精神衛生法が改正され、精神保健法と名前が変わった、というのが厚生省の宣伝です。これを研究班班長の道下先生も「人権に配慮した改正」と言っています。
 果してそうでしょうか? 実は宇都宮病院事件と無関係にすでに厚生省は精神衛生法の「改正」を考えており、研究もなされていました。1つは医療費の国庫負担削減のためという経済的要請、もう1つは外来診療の拡大や開放医療の拡大に対して、現状に合わせて「精神病」者を管理監視したいという、治安的要請、この2つの要請から厚生省は精神衛生法「改正」の機会を窺っていたのです。むしろ宇都宮病院事件は厚生省にとって精神衛生法改悪の好機だったのです。
 なぜ精神保健法が精神衛生法改悪だと考えるか、少し説明すると、第1に「(精神保健法は)入口を広く出口を狭くした」(精神保健法案が出された当時の厚生省精神保健課長小林の週刊新潮誌上での発言)という点です。強制入院の種類が増えたり、あるいは期間が長くなった。そして退院が難しくなった。たとえば措置入院では、精神衛生法では主治医が措置要件がなくなったと判断すれば措置を解除できたのですが、精神保健法になると都道府県知事が指定した精神保健指定医が診察してそこで措置要件がないと判断されない限り、措置を解除できなくなったのです。また強制入院の形態の一つである医療保護入院(精神衛生法では同意入院)の人が退院したりほかの入院形態になったときには、その患者の住んでいる所の保健所に、名前、病状、その他を届出をしなければならなくなりました。こうした届出の義務化により「精神病」者をより管理しやすくしたのです。
 さらに精神科医を厚生省が管理するために、精神保健指定医という制度ができました。そのほかいろいろな改悪点がありますが、それについてもっと知りたい方は後ろに本やパンフがありますのでお買い求めください。
 精神衛生法が精神保健法となってより保安処分体制として完成した、という流れの中で、今回の「処遇困難者専門病棟」新設問題を考えると、「処遇困難者専門病棟」新設は精神保健法体制を保安処分体制として完成するもの、ととらえられます。
 「精神科医療領域における他害し処遇困難性に関する研究」、これはまさに精神保健法が国会で成立した87年に発足した研究班です。研究目的は、資料にありますが、「他害事件を起こした精神障害者は、その病状、責任能力に応じて精神病院または医療刑務所において医療及び保護を受けているが、それら障害者の中で精神病院においても処遇困難とされたり、退院後も事件を繰り返し社会から非難される事例も見られる。本研究において、これらの事例を解析し治療及び処遇の事例について調査研究し、そのあり方について研究することを目的とする」となっています。
 つまり「精神障害」者と犯罪を結び付け、犯罪の防止のために精神医療を活用する、ということです。この研究目的は、最初に述べた保安処分の定義とぴったりあてはまると私は思います。昨年12月に全国「精神病」者集団事務局に道下先生を呼んでこの問題について質問する機会を作りましたが、その時なぜ今「処遇困難者」問題なのか?という質問に対して、この研究の発端を道下先生が説明しました。それによると、精神保健法は精神障害者の人権に配慮した改正である。しかしこの法案ができたときに国会議員の中でもマスコミの中にも、「『精神障害』者の人権は守るのに、被害者の人権はそうしてくれるのだ」という声が上がった。これに対応しないと法案が成立しない状況だった、これに対して厚生省としては、「精神障害」者の犯罪防止のためになることもしているんだということを示さねばならない、そこで厚生省から道下先生へこの研究の話が持ち込まれた、とこのように道下先生は説明しています。犯罪防止のための研究であることはこの経過を見ても明白です。
 この報告書を見ると、「処遇困難をきたす問題行動」という項目があります。
「問題行動」はたくさん上げられていますが、暴力行為、脅迫行為(好訴を含む好訴とは訴えを好む、訴えが多い、しょっちゅう訴えるということです)それから器物の破損など他害行為、そして自殺自傷、扇動、無断離院、規則違反、治療拒否、これらの規定に基づき「処遇困難」とされ「処遇困難者専門病棟」に送られるのなら、これは「改正」刑法草案にある保安処分以上の保安処分です。
 道下先生は「精神保健法は人権に配慮した改正だ」と言っています。その目玉として精神医療審査会が宣伝されています。精神病院から退院したいと思ったり、処遇を変えてほしいと考えたら、審査会に訴えなさい、ということになっています。「強制入院制度はあるけれども片方で審査会による救済措置が新設された。だから人権に配慮している」というのが厚生省の説明です。
 しかし現実には審査会で多くの人が退院できたでしょうか? 89年1年間で退院請求は837件そのうち退院が認められたのは30件、処遇改善要求は65件そのうち5件の改善が認められただけです。
 精神医療審査会は精神科医師、法律家、有職者といわれる人たちで構成されるのですが、ある県の精神科医の審査会メンバーは、「精神医療審査会にしょっちゅう訴える奴は処遇困難者である」と言っています。つまり「問題行動」の中にある好訴というものには、人権を主張し審査会に訴えることまで含まれているのです。
 たとえば1度でも審査会に訴えた患者に対しては、退院後また入院したくなっても入院させてくれないという実態は起きています。また今までも人権擁護委員会に訴えたような患者は札付きになって、もうどこの病院も受け入れてくれない、という実態も起こっています。
 この報告書における「問題行動」に基づき「処遇困難者」とされるのであれば、資料にある「改正」刑法草案にある保安処分の対象者どころか、非常に広範な範囲の患者が対象となります。しかもそれは精神科医の恣意的な判断に基づき規定されるのです。
 報告書の結論部分では、「比較的軽度の処遇困難例は、現行の地域の指定精神病院で対応する」、さらに「重度の症例は集中治療病棟という二層構造とするしかし集中治療病棟でも対応困難な重度の症例や長期化した症例を治療する施設が必要となってくることが予想される」といっています。そして集中治療病棟への入院、そこからの退院転院については第三者機関が決定するとなっています。
 これこそ保安処分の手続きです。主治医と患者の間に第三者機関なるものを介入させ、患者本人の利益にたった医療的視点以上に社会防衛・治安の視点を介入させるものです。

〈アンケート調査の犯罪性〉

 この研究班は全国にアンケート調査をしました。そのアンケート調査用紙を見ると、精神病院に対して「お宅に困難例がいますか」と聞き、いるとしたらその個人について報告しろということで、1姓名(イニシャルのみ)、2年齢、以下性別、入院中の問題行動、問題行動の起き方、他害行為の対象、問題行為の要因、性格、生活環境、診断名、もう読み上げるのが嫌になるくらい個人のプライバシーが丸裸にされるような質問が並んでいます。そしてこの個人票が950人分上がったといわれていますが、この人たちは「困った奴」「危険な人」というようにリストアップされてしまったのです。「保安処分対象者」としてリストアップされたといっても過言でありません。
 このアンケートの犯罪性はもう一つあると思います。それは「処遇困難者」概念を日本中にばらまいたことです。確かに精神病も一つの病気ですから、ほかの科と同様に治りにくい病気はあるかも知れません。しかし対応の難しいとか治療の難しい病気というのはあるでしょうが、それは「病気」が難しいのであって、その「人間」が対応困難ということではないはずです。しかしこの「処遇困難者」という概念は、対応に困った「病気」を指しているのではなく、その「人間・人格」を問題視する概念です。この「処遇困難者概念」が使われることにより、対応に困った=「処遇困難者」だ、本人の資質に問題があるのだ、放り出してもいいのだ、ということになり、医師の治療放棄を自己正当化させてしまうこととなります。どんな病気どんな状態であろうとも、何とかその病気の治療に力を尽くそうという医師の姿勢は、いままで以上に希有なものとなってしまうでしょう。
 道下先生は盛んに「精神医療改革のためのアンケート調査だ」と言っていますが、本当に医療改革のためだったらなぜ患者本人に質問しないのでしょうか?
道下先生は個人票の上がった950人の一人一人の医療と退院、社会での生活に責任が持てるのでしょうか? 本人に説明できるのでしょうか? できるはずないのです。
 納得できますか? 皆さん。自分が入院しているとします。すると自分の知らないところで自分の個人情報が「研究」だということで報告されてしまったのです。このようなことが「精神障害」者だからといってやられていいものでしょうか? 「医学研究」だからといって正当化されるものなのでしょうか?

〈精神医療を破壊する「処遇困難者専門病棟」〉

 「処遇困難者」とはなんだろう、と考えると、そもそも「処遇」という言葉がおかしいと思います。「処遇」とは監獄の用語です。つまり「処遇される側」と「処遇する側」あって、それは一方的な関係です。医療とは何の関係もない言葉です。医者がいて患者がいて相互的な関係の中で成り立つのが医療的関係です。
つまり私たち「精神病」者は「処遇」という言葉が使われる限り、「処遇」の対象である「モノ」でしかないのです。
 このアンケートには「処遇する側」の問題点を問うことは一切していません。
「処遇困難」の原因を「処遇困難者」といわれた人の資質に求めています。つまりこれは「処遇する側」である医師が、「こいつは嫌だ。こいつは厄介だ。こいつは面倒くさい」と言っている以外なんの意味もないアンケート調査なのです。
 そのよい例が、「法と精神医療学会」の機関誌(第2号、88年)にあります。
この研究班のメンバーでもある、樫葉明という医師が「精神医学の限界」という論文を書いています。これは「処遇困難者」問題をテーマにしているのですが、その中で、ある患者に対して「一生入院すべきと主治医が申し渡した。そうしたら退院要求、拒薬、職員への殺意などが始まった。これは非常に困った患者だ。
「処遇困難者だ」と言っています。「一生入院していろ」と言われて「はいそうですか」という人がいるでしょうか? もし「はいそうですか」という人がいたらそれこそ問題だと思います。
 こうした形で医師が「処遇困難者」を作り出しているのです。医療ミスを最初に犯しているのです。そして樫葉という医師は「精神医学の限界だ。自分たちはもうバンザイだ」と言っています。ほかの科でも「今の医学の水準ではどうしようもありません」ということはあるでしょう。しかしこういう場合に鍵のかかる特別の病棟に移すということはありません。しかし精神科の場合だけ、「精神医学の限界だ」と言っておいて、さらに「集中治療病棟」という名の「処遇困難者専門病棟」に強制的に入れる。「医学の限界」という患者を入れて「集中治療病棟」で何をするんでしょうか? 鍵をかけて閉じ込めるだけではないでしょうか。
 「処遇困難をきたす問題行動」とされている行為、たとえば器物破損、脅迫的行為、自傷、扇動、無断離院、これらはすべて今の精神病院が人権を剥奪し、一切の自主性を否定している、そういう非人間的かつ閉鎖的な病院の中で、人間であろうとしている患者の行為にほかなりません。こうした行為をむしろ治療効果が上がったととらえる医師もいるでしょう。あるいは自己主張能力のある患者ととらえてもいいと思います。
 私も精神病院入院中にいろいろな理不尽な人権侵害を受けました。私は何の反抗もしませんでした。というのは非常にしんどいうつ状態だったからです。反抗しなかったことがいま思えば病気だったのだと思います。
 たとえば回診で、隣のベッドのクリスチャンの方が「先生風邪をひいて死にそうなんです助けて下さい」と言いました。そうしたら「あなたは天国に行くんでしょう。そしてまた復活するんでしょう」と言って行ってしまいました。そういう医者たちに何で「処遇困難」などと言うことができるのでしょうか?
 こうしたひどい「処遇」に対して「医療」に対して、ちゃんと自己主張能力のある人は、きちんと反論して、ビラを撒いて抗議した患者もいます。それに対して精神病院は強制退院という態度に出る場合もあります。それはそれで問題なのですが、私は「処遇困難者」というのは精神病院で人間であろうとした人と思います。
 そもそも私たち「精神病」者は皆「処遇困難者」なんです。職場にいては困る。
学園にいては困る。地域にいては困る。家庭にいては困る。だから私たちは精神病院へと追い込まれてきたのです。そして精神病院の中では、保護室あって、閉鎖があって、開放がある、という形で分断処遇しているわけです。その上精神病院からも排外され特別な病棟に入れられるということになれば、患者は絶望に絶望を重ねるだけで医療など成り立ちようがない状態に追い込まれると思います。
 また「処遇困難者専門病棟」ができれば、自分で医療機関を選択できなくなります。たとえば私が自分の家の近くのA病院に入院しているとします。そうしたらその病院から追い出されて「処遇困難者専門病棟」へ強制的に移されたら、そこは自分の家から非常に遠いところだった。地域から切られてしまうという事態が起きます。友達や家族が見舞いに行こうと思っても行けないような所に移されてしまうのです。
 そして「処遇困難者専門病棟」から幸い退院できたり転院できたりしても、今度は「処遇困難者専門病棟帰りだ」という差別に苦しめられることになります。
現在でも「保護室」から出てくると、「保護室帰りだ」という差別があります。
患者同士の中でもあります。
 イギリスでは「特殊保安病院」が3つあります。その1つがブロードモアです。
プロードモアから退院した人は絶対にプロードモアから出てきたと言わない、言えないそうです。「刑務所にいました」と言うそうです。刑務所から出てきたと言った方が地域に受け入れられるのです。日本でも「処遇困難者専門病棟」ができれば同じ状況が生まれると思います。
 「処遇困難者」という概念を認めてしまって、そういう患者は追い出していいのだ、と医師が考えるようになれば、排除は次々とやられます。報告書の結論部分にも、二層構造をとった上で、さらにこの上を作る必要があるかもしれない、と言っています。いったん排除を認めれば、ここでは駄目、ここでも駄目、という形で、行き着く先は一生閉じ込めておく保安処分施設です。「棺桶退院」しかなくなるでしょう。
 そして医師の方でも「ちょっと嫌だ」と思えば、追い出せばいいのですから、今でも大したことありませんが、医者の治療技術は際限なく低下して行くことでしょう。アメリカでもイギリスでもそうなっています。「処遇困難者専門病棟」を作れば、医師も安易に治療放棄して送り込むことになります。「専門病棟」の存在が逆に「処遇困難者」を作り出すことになります。

〈「処遇困難者専門病棟」新設策動の背景〉

 「処遇困難者専門病棟」新設策動の背景を考えるには2つの問題を見ていく必要があります。一つは刑法改悪=保安処分新設反対の運動の分断、運動の中に出てきた保安処分思想、いま一つは医療法「改正」をにらんだ精神科医療の再編、つまり医療費抑制政策との関連です。
 資料に日弁連要綱案というのがありますが、これは1981年に日弁連の刑法「改正」阻止実行委員会が日弁連会長にあてて出したものです。この全文および批判は『精神医療』の10巻14号に載せられていますが、ここでは部分的に紹介します。
 まずはじめに「日本弁護士連合会が、精神障害と犯罪をめぐる諸問題に関し、一貫してこれを刑法『改正』、あるいは刑事政策の領域としてとらえることに反対し、あくまで精神医療と福祉の領域の問題として対応策を確立するべきであると主張してきただ、この要綱案も当然その基本に立脚するものである」
 ここに「精神障害」者と犯罪が結び付けられ、そして犯罪を防ぐために医療と福祉を利用していこうという考え方が出ています。研究班報告書の前書きと同じ思想です。
 さらに「保安処分はいったん事件が起きた後の再犯防止策にとどまる。刑事に関する司法・行政の機能が基本的には事件の発生がない限り動き出せないものである以上、これは刑事政策における当然の制約であり、明白な限界である。しかも保安処分による再犯防止そのものの効果も期待できないのである。これに対し精神医療と福祉の立場から対応していくならば、初犯であれ、再犯であれ、精神障害と犯罪をめぐる問題についても、必要で適切な効果的措置が十分可能であり、この領域を度外視しては真の対応策はありえない」このように宣言しています。
 何で精神医療が犯罪防止に協力しなければならないのでしょう。内科や外科でこんなことは一度でもいわれたことはありません。この上で要綱案は具体策として措置入院の退院時、仮退院いたいして第三者機関がチェックしろ、あるいは措置通院制度(強制的に通院させる制度)を作れなどと言っています。
 そして一番許せないのは、「同時に犯罪行為に当たる行為をした精神障害者に対する治療は、罪に対する強烈な自己洞察・反省(時には自らの命と引きかえにするほど強烈なもの)にむけられた精神医療でなければ医療として進まないのであって、その治療内容における特徴を十分理解することも重要である」。
 死に向けられた医療などというものがどこにあるでしょうか? ここに犯罪を犯した「精神障害」者に対する抹殺が語られていると私は考えます。医療とは助けるためのものであって、殺すための医療というのは脳死臓器移植以外ありえないのです。
 この要綱案の思想は、刑法の保安処分には反対しているものの、実質的には精神医療を治安のために使おうという意味で、保安処分を扇動しているものなのです。つまり刑法の保安処分は困る。しかし厚生省管轄で医療でやるならいいんじゃないかという考え方です。
 法制審議会が刑法改悪保安処分について議論したときに、2つの案が出ています。資料に図面がありますが、最終的に「改正」刑法草案に出された保安処分は、法務省管轄の保安施設で保安処分を行うというものでしたが、それとは別に口案というのが出ています。これは法制審議会メンバーの平野龍一という刑法学者が出したものです。口案は、保安処分を厚生省管轄の特殊保安病院で行おうというものです。この平野龍一は公衆衛生審議会精神保健部会メンバーであり、かつ今回の「処遇困難者に関する専門委員会」のメンバーでもあります。これは決して偶然ではないでしょう。
 法務省管轄ではまずいが、厚生省管轄ならいい、という考え方は精神科医の中でもいろいろな形で話されています。精神科医の保安処分反対の闘いは1969年の日本精神神経学会金沢総会で表面に出てきました。それまで学会は保安処分推進の立場をとっていたのです。それに対して69年金沢学会以降「保安処分反対」の旗を掲げるようになったわけですが、今やその内実がぼろぼろになっていると思います。今回研究班が全国1311の病院に行ったというアンケートにしても、後々になって全国「精神病」者集団がやっと手にいれて、大問題だということになったのですが、精神科医は誰一人としてアンケートが行われたときに問題にしていないのです。
 昨年鹿児島で行われた日本精神医神経学会の総会でも、「私は刑法保安処分には反対です。しかし処遇困難者専門病棟は必要です」ということが壇上で堂々と述べられ、それを批判するのは全国「精神病」者集団だけという有様でした。
 保安処分反対を打ち出したときに、「自分たちは保安処分反対だ。しかし自分たちが日常的に行っている精神医療の中に、社会防衛の視点が治安の視点が滑り込んでないか点検していこう」というのが精神科医の運動の出発点だったと思います。その姿勢がいまぐずぐずになっているのです。
 さてこの「処遇困難者問題」のもう一つ大きな背景には、医療法「改正」問題があります。いま医療法「改正」は日程に上がっていつ法案が出るかでないか、という段階です。しかし厚生省は精神医療については手をつけないと言っています。精神医療改革運動の中で出されてきた(道下先生も要望してきたといっていますが)医療法特例および特例はずし撤廃という主張は、通ることはないという現実的な判断を自治体病院や私立精神病院の経営者がしています。それではどうやって精神科に金をとってくるのかという問題意識も、今回の「処遇困難者専門病棟」新設問題に絡んでいます。
 もう少し医療法「改正」問題をくわしく見ていきたいと思います。医療法「改正」の根拠として、通称大池レポートというものが出されています。これは「医療機関の効率的運用指針に関する研究」というやはり厚生省の研究班の報告です。
大池レポートは現行の医療法というのは急性期対応の規制であるとした上で、長期入院者が多数となった(3か月以上の長期入院者が4割、精神科を除く)から、医療機関の機能分化しようというものです。病院を特定機能病院(新設)、一般病院、そして療養形病床郡(新設)の3つに分ける。特定機能病院では非常に高度な医療をする。療養形病床郡には長期入院患者を入れる。そして3つに分けてそれぞれに対して、払う金額も変える、人員配置の基準も変えていこうというのが大池レポートです。
 これに対して日本精神病院協会(日本の私立精神病院の集まり日本の精神病院病床の80%は私立精神病院が占めているので非常に大きな影響力を持っている)はどういう動きをしたかというと、「精神科医療における病棟機能分化に関する研究」(日精協医療政策委員会、通称仙波レポート)を出しました。これは大池レポートの延長上で医療法「改正」が行われるとすると、「この中で精神病院は特定病院(慢性)として位置づけられ、急性期病棟のごときインテンシヴな治療を行っても十分な経済的保障が得られない可能性がある」という問題意識にたち、精神科は本来特例撤廃でやるべきなのだが、今の人手不足ではとても無理で大半の精神病院を潰さなければ特例撤廃は不可能だ、とした上で精神科についてはほかの科と別建てで病院病床を機能分化していく、という日精協病院の生き残り策を出したものです(資料参照)。
 これは大枠でいうと、入院期間別に病棟を分けます。第1に急性期病棟(6カ月未満)、第2に療養病棟(1年以上)、第3に保養棟(5年から10年以上)というように分け、それに老人保健施設と「処遇困難者専門病棟」、この5つに精神病院を分けていこうとしています。急性期病棟が一番多く人手を置く、そして保養棟は特例以下でいい、そして療養病棟が今の精神病院の基準、というように人員配置をうまく割り振るという考えです。
 この仙波レポートでは、「社会的入院(医療上は入院が必要ないのだが、受け皿がないために、社会的理由で退院できないまま入院が継続しているもの)」を全入院患者の20%とし、これを3つのグループに分けています。第1グループはほぼ完全に自立生活が営める者、第2グループは病状がかなり安定し、受け皿を確保すれば中程度の医療及び援助を行えば退院できる者、第3グループは持続した精神症状があり、一見寛解状態であるが、自立が不完全で、地域の社会復帰施設では適応できず、結局院内において保護的環境を必要とする者、というように分けています。そしてこの第3のグループを保養棟に一生いていただく、としています。
 この病棟機能分化は、1つの精神病院がこの3つに分けていくというだけでなくて、私の病院は急性期病棟だけ、あるいは私の病院は療養病棟と保養棟だけやります、というようなると思います。それぞれの私立病院が住みわけをして、うまく現状のままの人員配置で生き残ろうというのが、この仙波レポートだと思います。

〈「精神病」者以外誰もが得をする「処遇困難者専門病棟」〉

 「処遇困難者専門病棟」新設問題の2つの背景(刑法改悪保安処分新設問題と医療法改正問題)を説明しましたが、ここで私の独断に近いのですが、なぜ「処遇困難者専門病棟」新設策動が行われるのか、を結論としてまとめてみたいと思います。
 自治体病院にとっては、合理化・人減らしに対抗する武器として「処遇困難者専門病棟」構想があるでしょう。うちは「処遇困難者」という「厄介な患者」をたくさん引き受けている。だから人手をたくさん必要です。看護人を増やして下さいと要求できる根拠となる。
 日精協に代表される私立精神病院にとっては、現状の人員配置を正当化し、現状を維持した上で業界再編成して、うまく住み分けして生き残るためには、「処遇困難者専門病棟」は有効であろうということになります。人権を主張するような「厄介な患者」は「処遇困難者専門病棟」に追い出すことで解決できることにもなります。
 そして厚生省にとっては法務省に縄張りを犯されることなく治安目的を達成し、同時に精神病院の現状を正当化して医療費抑制に成功する。つまり「厄介者は処遇困難者専門病棟で引き受けたんだから、一般の精神病院の人手は現状のままでいいじゃないか」ということになり、医療法の特例および特例はずしの撤廃はしないということですね。
 「精神病」者自身以外は誰もが得をする「処遇困難者専門病棟」ということになります。もちろん当事者である私たち「精神病」者の声は一切無視されています。その意味で非常に困難な状況にある、というのが私の結論です。

算疑・討論

(A)
 今の話で、「処遇困難者」ということと、「自傷他害のおそれのある者」というものは違うわけですよね。「処遇困難者」というのは、告訴したり、医者に文句を言ったり、福祉に文句を言ったり、そういう人を「処遇困難者」と言うのですか?
(Y)
 「自傷他害のおそれ」というのは措置要件です。「処遇困難者」概念はもっと広い概念だと思います。
(A)
 刑法改悪を廃止せよとかそういうことを言う者を「処遇困難者」というのですか?
(Y)
 政治的主張との関係では私はちょっと分かりませんが、「処遇困難者」は一応入院患者が対象です。しかし院内でたとえば患者自治会を作ろうということも「扇動」ということになります。何をやっても「処遇困難」というレッテルは貼れることになる、というのはおっしゃるとおりだと思います。
(A)
 精神保健法自体が保安処分であると私は思っているわけですよ。だから私たちが具合いの悪い時に自由に病院に行けるような、開放病棟開放医療ということを目指して20年間闘ってきたんですけれども、いまこの「処遇困難者病棟」新設を許すなということで、闘い始めて立ち上がっているんですよね。私たち「精神障害」者は法の下で、治療を受けたくないって言うんです。精神保健法や精神衛生法の下で抑圧された保安処分のようなことで治療を受けるということ、そして厚生省自体にやはり反発していかなければならない。「処遇困難者専門病棟」というものを作るにあたって、精神神経学会の医者が決めたものであるのか? どうして全国「精神病」者集団が反発する前に、精神神経学会自体はどうして反発しなかったのか? 精神衛生法撤廃全国連絡会議も「障害者」解放委員会も反発しているのでしょうけれども、どうして医者は問題にしないのか?
 20人の医師が作ったということなんでしょうが、「処遇困難者専門病棟という案は金儲けのための病棟としか私は思っていない。精神病院で「精神薄弱」という名前をつけただけで、入ってくるお金が違う。「精神薄弱」とつけただけで、病院はどんどん金儲けしていくんですよ。私たちは立ち上がって、撤廃連とか「病」者集団とかと一緒に立ち上がって、そして精神神経学会の医者たちも本当に真剣に立ち上がって、厚生省に訴えに行って、助けてもらいたいと思うんです。
 なるだけ早く厚生省と私たちで話合いたいから、生活保護の面で食い違うことがたくさんあるから、話し合おうと時期を作ってくれということを今申し入れているんですけれども、みんなで押し掛けて話合いに行きたいと思いますので、その時はよろしくお願いいたします。
 「処遇困難者」という意味が私にはまだはっきりつかめないんです。反発するとか抵抗するのを「処遇困難者」というのか、「自傷他害」というのと一体になっていくのか。「処遇困難者専門病棟」という金儲け病院をどんどん作っていく、今の精神病院でも金儲け病院ですが、それ以上の金儲け病院を作っていく。悪徳病院がどんどん増えるということになると思うんです。そういうことを私たちは撤廃して闘っていかなければならないと思います。皆さん共闘して、立ち上がって、闘っていきましょう。

〈すでに実態としてある「処遇困難者専門病棟」〉

(B)
 僕は都内の精神病院で働いている看護労働者です。練馬区にあるY病院というところで、まあ比較的開放医療をやって、いい病院だといわれてきた病院なんですが、今そこで何が始まっているかということを知ってほしいんで、話しているんです。この「処遇困難者問題」ということとかなり関係していると思います。僕が危機感を持っているのは、単に厚生省が「処遇困難者専門病棟」新設をやろうとしているんじゃなくて、病院側というか現場サイドが非常に積極的にそれを乗り出しているんじゃないか、という気がするんです。
 この間たとえばうちの病院では、一時閉鎖病棟がなくなっていたんです。一応病院当局は閉鎖病棟といっていたけれども、実際は鍵がかからないという状態だったのです。それは現場でかなり闘ってそういうふうにやってきたんですが、完全閉鎖病棟がなくなっちゃうという事態が起こっていて、それに対して「大変な患者さんを受け入れられなくなる」、「地域のニーズに応えるんだ」ということで、すごい反動的な方針を出して、完全閉鎖病棟を作るんだということを3年前に言い出して、それで去年あたりから「新計画」といいまして、ちょうど下地はさっき言われた「仙波レポート」、いまこうして見るとあれに似ているなあと思ったんです。
 今僕が実際いる病棟は、前は開放病棟だったのが、今完全に鍵がかかっているんです。しかも僕の病院の中では「処遇困難」という言葉を医者が割とよく使うんです。それで「大変な患者さんは入院させられない」と言い、また一方で「患者さんの回転が非常に悪い」と言う。そして回転の悪い理由は「長期に保護室を使用している患者がいるから、それを追い出しちゃえ」ということで「転院プロジェクトチーム」というのができて、そういう患者さんを対象として非常に劣悪な病院にガンガン送りだしちゃうという方向なのです。
 要するにこれが、すでに先行的に「処遇困難者専門病棟」その下地を作っているんではないかと僕は思うんです。実際にそういうことが精神病院の中で起こっているんです。
 残念ながら労働組合も当局と一緒になってこれをやっちゃっているという、労働組合の執行部が。それに対する抵抗という意味では、手が薄くてなかなか作れていないという現実があります。しかし非常に大変な事態がきています。
「処遇困難者問題」は、開放医療をやってきたというところから始まっているんじゃないかと思うんです。
 それから措置入院に関して、今までなかった事態がこの間起きています。1つは去年の天皇儀式の過程で、措置入院の患者さんの解除申請がけられたという事件がありました。僕が病院に入って9年くらいたつんですが、解除申請がけられたのはこれが初めてです。今までは無条件に解除が認められていたんですが、非常に異例な事態が起こったのです。
 そして医師の方も措置解除に自己規制するといった動きが出てきています。
具体的には僕のいる病院は指定病院になっているのですが、名古屋事件(90年10月21日に、措置入院中の患者が丹羽国会議員を刺傷した事件、この事件により本人の入院していた精神病院は指定病院の辞退を県より指導された)なんかを理由にして、下手なことをやったら指定を取り消されるというわけです。指定病院になると500万円くらい入るらしいんですが、「病院側の財政が最近困難になっているので新しい傾向を作るんだ」として、指定を取り消されたら病院はやっていけなくなってしまう、という理由で医師が解除申請を自己規制するという事態になっています。実際病状がすごく安定していても措置解除にならないのです。
 こういう事態がもう起きていて、これは「処遇困難者専門病棟」を作っていくという病院側の姿勢じゃないかと思います。非常に大変な事態になっていると思います。
(Y)
 おっしゃるとおりだと思います。今「いい病院」と「ひどい病院」が非常に分解していて、いわゆる「いい病院」は入院患者を選別しているというのはどこでも同じです。今のお話は一つの典型ですが、どの精神病院でも割合真面目にやってきた病院はそういう矛盾の中にあると思います。日常的に患者の選別をやっているのですから、医師は今回の「処遇困難者専門病棟」新設に表向き反対できないということも言えます。大阪でも「釜の人間は釜病院」といわれるひどい病院に入れられる。山谷でも同様でしょうが、病院がすべてきれいに住み分けして生き残っていくという構造はもうガッチリできています。「仙波レポート」というのはその現状の上に乗った案で、すでにできあがっているんです。
(A)
 もう一つ私に訴えたいことがあるんですが、上奏野病院で解雇された看護婦が3人いるんです。そのために横浜の地労委で審議が行われています。
 私は神奈川赤堀さんと共に闘う会から、共闘してなんとか看護婦の解雇を白紙撤回するようにということで、この審議の場へ傍聴に行きました。そして審議の終わったときに私が杖を倒してころんだんですが、上奏野病院の理事長である越川という医師が、「このくたばりぞこない」と言ったのです。医師ならば「どうしたのですか」と助け起こすのがあたりまえですが。そこに同席した市民の人たちが、「そんなこと言って、謝罪せよ」と言っても、「文句いうな」と言って逃げてしまったのです。
 私は病院に行って、「全面的に私が悪かった」という謝罪文を一応とったのですが、この間神奈川赤堀の会の者と越川に会いに行ったら、「警察を呼ぶぞ、おまえたちは俺を恐喝にきたのか」「そういう返事はできない。裁判やるなら裁判をやれ」というような言い方をされたんです。
 私は精神的にも、医者ともあろう者に「このくたばりぞこない」と言われたことに対して非常に怒りを持っています。こうした問題どういうふうに対処したらいいのか、教えていただきたいんですが。精神神経学会の方にも電話して「上奏野病院は早く調査いたしましょう」と言われていますが、どれだけ調査してくれるのか・・・・・・。私は医者も、弁護士も、警察も信用できないんです。信用できるのは私たちの仲間か、私たちだけです。どういうふうに悪徳病院にしていこうとする越川理事長を糾弾していくのか、なにかよい案があったら教えて下さい。
(Y)
 難しい質問で、私も「宇都宮病院を告発し解体する会」をもう6年やっていますが、いまだに宇都宮病院を解体できていないんです。私自身もよい案があったら教えてほしいくらいです。
(司会)
 先ほどからいわれているように、マスコミなどでは「精神保健法ができて精神医療がよくなった」とキャンペーンしていますが、実際には現場でどんどん悪くなっている。「処遇困難者専門病棟」問題にしても、いま新しく出てきたんではなくて、むしろ現場にそういう実態があって、先行的にそういうものがあって、それを制度的に確立していこうという動きだと思います。
 いまむしろ改革派の医者とか、改革派の病院、良心的と言われていたところが、一身に矛盾を背負いながら、それにどういう方向でいこうとしているのかというと、上奏野とかY病院もそうですが、経営的にどう生き残るのか、というところで方策を選ぶというところにきています。かなり危険なところに差しかかっているという気がします。
 そういう意味で「処遇困難者専門病棟」新設に、表だって医者が反対できないという現状があり、その中で私たちがどういうふうにこの問題を多くの人たちに知らせていくか。そして実態を知らない人たちが圧倒的に多い中で、今日の学習会を開き皆さんに集まっていただきました。いろんな意見質問をどうぞお願いします。

〈今こそ「精神病」者自身のための医療を〉

(C)
 八王子赤堀さんと共に闘う会のCと申します。Yさんの講演が非常に分かりやすくて、今どういう点が問題になっているかということがはっきりしたと思います。特に自分の考え方と一致した点は、この「処遇困難者専門病棟」新設、あるいは厚生省科学研究班による「精神科医療領域における他害と処遇困難性に関する研究」そのものが、やはり保安処分体制を確立し、刑法改悪・保安処分新設への突破口となるということです。しかも今Y病院の労働者が言われたように、この「処遇困難者専門病棟」を作ろうという考え方は、現場の医者たち、とりわけその中でも良心的といわれてきた人たちの中にすでにあって、先行的に彼らはそれを実行しているといえると思います。
 私の場合も、16年前に東京のT大学病院の神経科に初めて入院したのですが、そこでは精神分裂病、そううつ、てんかんといった重度の人たちは、S病院とかF病院、K病院などに転院させるんです。その上でT大学病院の神経科そのものは開放的な病院、一定程度良心的な病院として機能しているのです。
 たとえば東京にある自主管理病棟と称する病院も、私の知合いが入院したいといったら、やはり「暴力をふるうから」という理由で入院を拒否されました。
さらにK病院でも入院を拒否され、いまY病院に入院中です。そこでも「暴力事件を起こした」ということで保護室に入れられています。最初の入院の時に私と本人と主治医の3人で話したとき、主治医は非常に良心的で受持ち患者も多い人なんですが、本人に確認癖があるとか、暴力とか、強迫観念だとか、そういうものを問題にして「自分の手に負えるかな、手に負えなかったら転院してもらうかもしれない」というようなことを言っていました。このようにすでに「処遇困難者」概念は医者医療従事者の間に先行的に浸透していると思います。この流れはさきほどYさんが言われたように刑法全面改悪の、保安処分新設の動きであり、我々はこれと対峙して闘っていかなければならないと思います。
 問題は良心的といわれている病院あるいは医者たちが、中心になって動いているだけに、これと闘うにはよほど我々「精神病」者あるいは「障害」者が労働者が団結してがんばっていかなければと思うんですね。
 後ろにあるフォービギナースの『精神医療』(長野英子著)にもありますが、日本の「精神病」者の68%つまり23万人が強制入院させられ、そして60%つまり20万人が閉鎖病棟で過ごしている。こうした事態に加え精神保健法36条の行動制限によって、現金の所持であるとか、外出、散歩といったもの一切が制限されています。しかも精神保健指定医という、厚生省が任命権を持つ特別に医療官僚のようなものがそれを取り仕切っています。こういう事態が日本の精神病院、精神医療の閉鎖性、暗黒性の根底の部分を作り出していると思います。このことを反動的な口実として、道下忠蔵なんかは「自分は長期にわたる保護室入室の実情を変えたい。だからこの研究をした」なんて言っているけれども、とんでもないことで、もしそうなら日本の精神医療の悪い点、たとえば長期入院、あるいは精神外科手術が行われているとか、面会の自由さえ許可されないとか、現金の所持がままならないといった、精神病院の「処遇」実態こそ調査研究すべきです。「精神病」者の側をとりわけ犯罪と結び付けて問題にし、暴力行為、器物破損、脅迫行為、扇動、他害、治療拒否、無断離院を問題行動とし、特に「精神病」者の側に問題があるような考え方に怒りを覚えざるを得ないのです。Yさんも言われましたが、このレポートには処遇する側の問題点というものはぜんぜん触れられていません。
 私は14歳で発病して以来、いま43歳ですから30年精神医療とかかわってきましたが、本当に自分をまかせられる医療というものにいまだにめぐりあえていない状況です。また仲間のことを考えると、もっと劣悪な状況に置かれている人が数多い。殺されている人が本当に多い。あるいは自殺に追い込まれている人が圧倒的に多い。そういった日本の精神医療の状況を変えずに、今回のような「処遇困難者問題」というような形で、「精神病」者の側の「資質」を問い、「そこに問題があるんだ」とする考え方はあのナチスドイツのやった「障害」者に対する「無価値論」に基づく断種であるとか抹殺、そういったものと合い通ずる思想であると思うんです。これとどう闘うかです。
 私たちはあの無実の赤堀政夫さんを、35年間にわたる不屈の闘いを通して、それを支援するという形でもって再審無罪を勝ちとった、そういった大きな闘いの勝利を経験しているわけです。この闘いの中で多くの労働者と結び付き、あるいは「精神病」者の仲間、身体「障害」者の仲間あるいは視覚「障害」者の仲間と結び付き、実力闘争でもってこの勝利を勝ちとったわけです。この「処遇困難者問題」でも保安処分攻撃としてとらえて、赤堀闘争の精神でもって闘っていくことがいま問われていると思います。
 いわゆる「良心的な医療」を突破して、本物の私たちのための、私たち自身のための精神医療というものを作り上げていく、いまこそ絶好のチャンスだと、そうとらえ返して闘っていく必要があると思うんです。その意味で今後とも、こういう学習会を各地でもって、多くの労働者に訴え、日本精神医療の現状というものをね、どんどん理解してもらって共に闘っていくという体制を作り上げていきたい。八王子赤堀さんと共に闘う会も、いま学習会を準備しているところなんですが、ここに結集した皆さんがそれぞれ自分の持ち場でこの問題を真剣に考えていくことが必要だと思います。
(D)
 ただいまの方のご意見あるいはYさんのレポート、大変勉強になりましたし、基本的にすべて賛成です。私なりに感じました点を二、三申し上げたい。もうし遅れましたが私は最初の入院から約26年たっております。現在通院中です。
 今日のテーマであります「処遇困難者専門病棟」の問題で、撤廃連の出した研究班報告書原文を読んだんですが、少なくとも厚生省が金を出して研究させたにしても、全くひどいレポートだと、普通のレベルからいってもきわめて程度の低いお粗末なレポートだと思います。
 最初の開会の挨拶の中で、「処遇」という問題はいわば「医療をしてやっている立場で考えている」というご説明がありましたが、基本的にその通りだと思いまが、このレポートを読んでみますと、「医療してやる」どころか、医療そのものの匂いが全然感じられないんです。まさにこのレポートのテーマを「保安」とよんみかえていいんじゃないかと思います。「保安システムの体系化に関する調査研究報告書」とした方いいような思いがいたしました。そういう意味では私なんかもう「処遇困難者」の代表になるんじゃないかと思うんですが、いわば対象者として自ら置かれてみると、きわめて不気味な感じがいたします。それが第1点です。
 第2点として感じましたことは、このチームの連中のレベルの低さもさることながら、こういった発想が依然として出てくる、現代の精神医学界あるいは精神医療のきわめて貧困な状態、それがこの研究のベースにあるんじゃないかということです。つまり基本的に、「精神病」というものをどういうふうに理解するかということ、この点が全く混乱しているし、それこそ強者の論理と無知に基づく偏見と差別に満ちた作業の繰り返しということが、精神医学・医療のベースにあるから、こういうものがどんどん出てくるんじゃないか、という気がするわけです。
 実は私は個人的に26年間いろいろと自分なりにつらい思いをして、また多くの仲間たちと手をたずさえて、いろいろそれなりの努力をしてきたわけなんですが、それを通じて特に感じますのはこういう形での機能別分化、その極としての「処遇困難者専門病棟」、あるいはさらにその極としてもっとひどいのが出てくるかもしれませんが、こういう機能分化ということ自体が、きわめて非医療的だと、むしろ病気を促すことになるんだということを私は感じるわけです。
 つまり我々がなぜ病むのかというと、現代のいろいろな特に強い者の論理に基づいた価値基準みたいなものがあって、それとの葛藤あるいはそれに翻弄される、そういう所から病とは出てくるんじゃないかと思うんです。ですから機能別に状態の悪い人だけをガーと集めたり、ちょっと治っている軽い人だけ集めるということすると、実は私の通院している病院で、現実にそういう動きの中で病状が悪化した人がきわめて目立ってきている、そういう現状があるのです。
 一時期いわれた階段方式、それを水平方式にという動きが良心的な医者の間で行われたと思うんですが、症状のいわゆる重い人、軽い人がいて、それが自然だと思うんです。男がいて女がいて、年寄りがいて若者がいて、これが治療の原点でなければいけないんじゃないかと思うんです。いろいろな人がいるということ、そしてそれをお互いに認めていく、助け合って行くという人間関係の中で、自らを病から開放していくんじゃないかと思うんです。
 そういう意味で、Yさんからお出しいただきましたレポートの中で、「大池レポート」という形で医療全般について触れていらっしゃいましたが、私はそういう意味で、特にお年寄りの問題と共通して、精神医療の問題を考えていくことができるんじゃないかと思うんです。
 昨年亡くなった私の父の場合ですが、町医者が老人専門の病院に入れちゃった、そしたらたちまち病状が悪くなった。聞きますと、老人ホームというのはさんたんたる状況で、さまざまな問題が生じている。痴呆症が増加するはあたりまえだというような話も聞きました。私も相当格闘したんですが、意図的に若い人たちと接触する機会を作ったりして、痴呆症現象から現実感覚を取り戻すことができました。自らの経験からいきますと、機能別分化、あるいはその極としての「処遇困難者専門病棟」というような問題のとらえ方は、まさに反医療的で、むしろ病気を作り出すものだと考えます。現実に戦後1960年代から始まった精神病院の趨勢が、「病院病」という形で人を閉じ込め苦しめてきた、という現実があります。
 いま我々が開放医療ということを考える場合、即時に日精協を全部解体して、全員解放しろと言い難いような困難が確かにいっぱいあるわけです。しかしそのつけは日精協と厚生省がいままで積み上げてきた悪行の結果だろう、と思うんです。したがって即時に精神保健法と撤廃するという努力に関しては、国と日精協が相応の責任を負うべきだろう、と私は思います。
 我々自身が実は「精神病」について、大事なところは一番分かってるんじゃないかと思うんです。「精神病」とはどういう病気で、どうやってその苦痛をやわらげられるのか、これについて我々自身がもっともっと理論武装していく必要があるんじゃないかと思います。
 このレポートを最後まで読むのは大変気分が悪くつらかったんですが、まあ幸い前日によく寝ていましたのでなんとか最後まで読みましたが、情けない感想ですが、このレポートを作った人たち、彼らこそ「処遇困難」だなと思いました。
(A)
 「処遇困難者専門病棟」というのは、治療するところですか? それとも刑務所と同じようなところですか?
(Y)
 この報告書には、「集中治療病棟」というふうになっていますが、そこでどういう治療をするかは全く書いてありません。しかも先ほどいったように研究班の班員の一人は、「『処遇困難者』は医学の限界だ」と言っています。おそらく医療はなく監禁だけでしょう、というのが私の推測です。
(A)
 治療はしないんでしょう、刑務所より恐ろしいところだ。
(Y)
 薬づけにしたり、電気ショックをしたりするので、刑務所より恐ろしいところともいえると思います。
(司会)
 しかも「刑期」はなく無期限ですから。
(E)
 僕は自分自身前からずっと思っていたことがあって、それは「精神病」者=犯罪者という差別的意識からこういったものが生まれてくる。もちろん犯罪者という所でもって、自分がかかわっていろいろな裁判なんか見てくる中で、その判決文において、精神病質概念というものがかなり持ち出されている。いまでも刑務所から出されてそのまま措置入院されてしまう。精神病質概念というのは精神保健法の中で認められている、そうした体系も同時に撃っていかなければならないと考えます。そして犯罪生物学という、ナチスドイツで生まれた「障害」者、「精神病」者抹殺のための、そして他民族支配のために生まれた思想が、いまだに日本で生きている。もう一つは犯罪者という側面で、獄中問題あるいは監獄問題を闘っているところに対して、共闘関係一緒にやっていく方向性をもって、闘っていかなければならない。そうした呼掛けをしていかなければならないと考えます。

〈健康であることを「国民の義務」とする精神保健法体制〉

(D)
 資料の中で精神保健法で「精神的に健康であることを国民の義務」とする「国民の義務」の新設ということが書いてあります。私は当初「改正案」なるものが出てきたとき、1番目についたのはこれでした。これは精神衛生法にはなかった規定なのです。憲法25条に健康であることを「国民の権利」として位置づけているのですが、精神保健法ではこれを「国民の義務」としています。
 私はこの「国民の義務」規定が全てを象徴しているんじゃないかと思います。
誰でも自分は健康でありたいと思うのは当然です。しかし健康であることをこうした形で「国民の義務」として位置づけるならば、不健康であることが社会的に悪であり、健康であることが善であるというふうに位置づけることになります。確かに本人にとって健康であることは素晴らしいことだと思います。しかしそういったことを社会的によい悪いと言うこと自体非常におかしい。
 特に私は老人問題について感じるんですが、人間だれしもいつかは病み、傷つき、大自然の下に帰っていくんだと思うんです。しかし健康は善であり、不健康は悪であるとなったら、寝たきりのお年寄りが息子に気兼ねしたり、お嫁さんに気兼ねしたりする、そういう風潮を押し付けること、それと同じことを「精神障害」者に対して押し付けることになるわけです。
 むしろ我々にとって大事なことは、自分が病んでいるということをありのままに認めて、これと仲良くすることだと思うんです。それを治さなきゃいけないという形で決めつけるところから、全ては出発しているんじゃないかと考えます。社会的悪であるという位置づけから、一定の「質」に基づく「処理対象者」(「処遇」ならまだいい方で、「処遇困難者」としたほうがいいような気がするんですが)としてしかとらえないことになっていいる背景がそこにあるんじゃないかと思います。意外とこの「国民の義務」規定の条文は問題とされていなかったようですが、私はこれが全てを語っていると思います。
(F)
 撤廃連に参加して一緒にやっているFと申します。「処遇困難者専門病棟」がいわゆる拡大された保安処分であり、いわゆる保安処分施設そのものであるということについて、全くその通りだと思うわけです。Yさんの話で結論として提起されている3点についても、それぞれの利害からすればそうではないかと思うわけです。
 その上で2点ほど私の意見を述べていきたいと思います。
 第1点目の問題は、今回「処遇困難」という形で、これは文字どおり医療的な側面とかいうものは皆無で、文字どおり治安的な側面からのみ検討されている。ということだと思うわけです。そういう点で、いま発言されたいわゆる「国民の義務」規定にみられるように、この攻撃はある面で、現状に対して治安的に対処するというレベルを超えた、非常に攻撃的なものとして、我々は認識する必要があるんじゃないかと思うわけです。私の意見として、じゃあこういう「処遇困難」という形で新たに拡大された保安処分の攻撃が現状として登場してきた、その根拠、これをやはり我々としてきっちりと把握する必要があるんじゃないか。それはいわゆる治安管理を、もっともある面で食い破ってきたその闘い、それは精神病院における「精神障害」者の病院告発糾弾の闘いではなかったかと思うわけです。
 60年代後半からあるいは70年、80年という形で続いている闘い、これがいわゆる治安管理網を食い破ってきたと思うわけです。その核心に、そういう意味では先ほどもありました赤堀政夫さんの、そうした闘いが確固としてあったと思うわけですね。宇都宮病院事件の際も見られるように、権力はその都度姑息的な対応、再編をしてきているわけです。食い破られた網の目を、一挙に取り繕う、そのことを通して「精神障害」者の闘いそのものも圧殺していく、そういう大きな狙いがいわゆる「処遇困難者専門病棟」の中に隠されているんじゃないか、そういう攻撃的なものとして1点見る必要があるのではないかという意見を持っています。
 もう1点としては、87年精神保健法が国会で成立し、93年にいわゆる「改正」を権力としては画策している。Yさんのレポートにもあったように、ほぼ同時期にこの「処遇困難者」の研究班が発足している。「5年後の見直し」の93年の、その中身がいま我々がそういう意味で議論している問題、これがその核心ではないかと思うわけです。
 そうした点で、「処遇困難者専門病要」に対する批判をどのような内容で、あるいはどのような思想性をもって対決するのか、ということが僕たちの精神衛生法を撤廃するということの、一つの大きな課題ではないかと思います。今「精神障害」者から、自己の経験あるいはそこにおけるさまざまな問題も含めて提起されましたが、我々が共に闘っていく上で大切なことが、討論の中で見えてきたんじゃないかと思います。
(A)
 Yさんが、精神病院でも良心的なよい病院があると言われたけれども、良心的なよい病院というのはどこの病院を指してよい病院と言うのか?
(Y)
 ごめんなさい。「良心的でよい病院」と言われている病院という意味です。
私が一番困る相談は、「よい病院よい医者を教えて下さい」ということで、どこを紹介しようとなると、申し訳ないけど今の精神医療であてになるところはないのが現状です。「まあましだと思うところを言うから、あなたちょっと行ってみてくれ、まあそこが駄目だったらまた次を考えましょう」としか言えないんです。よい病院、推薦できる病院は一つもないというのが正直なところです。

〈体制の根幹を支える精神医療、「処遇困難者専門病棟」構想〉

(G)
 なぜ日本の支配層が「処遇困難者専門病棟」を作ろうとしているのか、ということなんですが、まず第1には単に「精神障害」者が何か事件をやらかすから、それを抑えるんだ、ということではなく、それはあくまで口実であって、実際にはこれは戦前の治安維持法のようなものでないかと思います。つまり純粋に弾圧のための政策であって、今の支配層に反対する者を司法的手続きを踏まずに投獄していく、あるいは処刑していく、そうした可能性をもった政策だと思うわけです。
 戦前の治安維持法であっても、一応裁判で有罪にしない限りは刑務所に送ることはできなかったのですが、今度は一切裁判といった手続きを踏むことなく弾圧できることになるのではないかと思います。たとえば措置入院の要件はいわゆる「自傷他害」ということになっているけれども、この要件自体がたとえば政治的目的でハンガーストライキを行ったとしても「自傷」ととらえられる可能性はあるわけです。もう1つ恐ろしいのは、「他害」と言うのは人をナイフで傷つけることをさすだけでなく、何かものを言うだけでも「他害行為」ととらえられる可能性があり、悪口を言うだけでもそれを「他害行為」とされてしまうわけです。つまり政治的意見を言うだけで、こいつは「精神障害」者と決めつけ収容・監禁することができるわけです。
 そして「精神病」であるかないかを診断する、ということも非常にあいまいです。たとえば医者の論文によれば、登校拒否の人で分裂病ということで入院させられている人をその医者が診断したところ、9例のうち5例までが分裂病でなかったという話もあります。つまり「精神病」の定義そのものが非常にあいまいなのですから、医者がこの人は「精神病」だと決めればもうそれで精神病院に入院させられるわけです。そうするとさっきの「自傷他害要件」と結び付けて考えると、権力者にとって好ましくない人は、何でもかんでもとにかくこいつは「精神病」だというレッテルを貼って、強制的に収容・監禁させることが可能になるんじゃないかと思うんです。
 そうなると事実上民主主義というものはもう存在しなくなるわけです。完全な独裁体制、完全なファシズム体制になってしまうと思います。現に今の政府は湾岸戦争に関して海外派兵ということを何としてもしようと企んでいます。
企んでいるというよりどんどん進めているわけです。国会では海部首相は一応派兵はしないんだ、単に難民救済のために自衛隊機を派遣するだけだと言っているわけですが、これはまやかしであって、自民党の圧力団体というか事実上政策決定をしている団体の資料によれば、はっきりと「派兵」と書いてあるわけです。ここでは自衛隊の海外派兵、つまり武力行使を伴う派兵を自民党は明らかにもう推進しているわけです。いまのところ海外派兵をしないのは、参議院で自民党が過半数をとっていないというような理由でできないということであって、この点がクリアーされれば、どんどんやるってことだろうと思うんです。そうなった場合に、つまり日本がその戦争に参戦すねようなことになった場合に、国内でのその戦争に反対する世論をその押えつけるためにも、やはり精神医療が利用されるんじゃないかと思うわけですよね。
 いわゆる「良心的な精神科医」というのはまあ少しはいるんでしょうけれども、でもそういう人は隅に追いやられちゃっているということもあって、マスコミ関係とかで出てきたり、あるいは一般に「良心的だ」といわれている人っていうのは案外まやかしでもって、嘘つきでもって「良心的」という仮面を被ってるという、そういうことがやはりあるんじゃないかと思うんです。
 例えばその宇都宮病院なんかの事件とかについてもそれは言えると思うんですが、宇都宮病院が明らかになる前の段階で、どれだけのいわゆる「良心的」といわれている精神科医が宇都宮病院を批判したのかということですよね一つは。暴露される以前には、ほとんど宇都宮病院を批判する人はいなかったんじゃないかと思うんです。いたとしてもほんの数えるほどであって、あとの大多数は積極的に宇都宮病院を支持しているのか、あるいは見てみぬふりしてるかだったと思うんです。ひとたび宇都宮病院の事件が明らかになると、急にその前まで宇都宮病院に支持していた医者達までが、宇都宮病院の批判を始め。そして自分達は宇都宮病院とは違うんだと言って、やっぱりそうやってこう欺いているんじゃないかと思うんですよね。
 それは宇都宮病院の問題だけではなくて、例えば精神外科が問題になった、つまり外科手術によって廃人にしちゃうっていう精神外科といわれている手術が問題になった。そして精神外科は裁判にまでなったっていうことがあったわけですけども、その時にも裁判になったとたんに、精神神経学会が精神外科を否定する。精神外科廃絶決議を発表した。それもやっぱり裁判になったから、そこでとりつくろうためにやったことじゃないかと思うんです。精神外科が裁判になる以前にも精神神経学会の医者達も知ってたわけですよね。そういう変な手術が行われているってことは。そのことについて、なに一つそれまでは批判をせずに、裁判になったとたんに言い出すってのはそれもやはり、まやかしっていうか、ごまかしに過ぎないんじゃないかと思うんですよね。結局は精神神経学会に所属している大部分の医者も、精神外科やあるいは「処遇困難者病棟」とか、そういうものに賛成しているんじゃないかと思うんですよね。そういう精神科医というものはファシストじゃないかと僕は思うんですけど。
 それともう一つは今そういうようなことに関する言論というのが非常に統制されてるんじゃないかと思うんです。それは例えば『朝日ジャーナル』を一つとってみても、今年の新年号からその内容ががらりと変わってしまって、どういうところが変わったのかっていうことをよく詳しく見てみると、まずインフォメーションという集会の案内の欄がなくなっちゃったわけです。それからあともう1つは、今までその精神医療問題とか登校拒否なんかの問題について書いてた、Mさんていう人が外されちゃったわけですね。そういうところだけが重点的になんか攻撃されてるっていう感じがするわけです。『朝日ジャーナル』では湾岸戦争の問題とかについては、ある程度は適切なことを今でも書いてるわけですね。でも精神医療問題とか、登校拒否問題なんかはすっかり落ちちゃっているわけです。ある情報によれば朝日新聞襲撃事件がどうも関係してるんじゃないかっていうんです。僕の考えでは確かな証拠があるわけじゃないんですけども、朝日新聞襲撃事件も宇都宮病院の事件となんか関係あるんじゃないかというような気もするんですよね。朝日が宇都宮病院事件をスクープしたということで、それに対するテロ攻撃っていうか、制裁というような形でああいう事件が引き起こされたんじゃないかというような気もするんです。あれ以来朝日新聞は精神医療問題に関して、もう完全に体制側ていうか反動支配層の側についてるわけです。いつか朝日は夕刊の1面トップに、登校拒否が無気力症だとかなんとかというような、変な記事を書いたわけです。こうした形でマスコミ関係が荷担させられてるっていうか、テロによってマスコミが権力に服従させられてるという、そういうことがあるんじゃないかと思うんです。
 いわゆるM君の事件についてですけども、あれもやはり僕の考えでは、権力によるデマ宣伝じゃないかと、そう思うわけですよね。M君て人がその真犯人であるかどうかっていうことについてかなり疑わしい。だいたい自動車の車種についても、それから写真のことについても、非常に疑わしいわけですよね、あれは。結局無理にああいうふうに話を作っているんじゃないかと思うんですよね。あの事件が仮に今の反動支配層によって捏造された事件だとすれば、それもやはり保安処分というか、そういうものに道を開くための事件だと思うわけですよね。権力の狙うところというのは、さっきも言ったようにもう無差別というか、つまり権力にとって気に入らない人は全部弾圧の対象とするという、「精神障害」者とかなんとかという問題だけではなくて、だれもかも権力にとって都合の悪い人ならかたっぱしから入れてくというような、そうした体制作りを狙ってるんじゃないかと思うわけです。
 どういうふうに立ち向かっていくかということになるわけですけども、非常にこれは難しいと思うんです。一つは誰が敵であって、誰が味方であるかってことをまずきちんと把握していくってことはやはり必要なんじゃないかと思うんですよね。例えば日弁連は、最初は市民の味方だとかなんとか言ってたわけですよ。それが結局現在では完全に反動支配層とくっついちゃったわけです。
そのような形で味方だと思ったのが案外そういうふうになっちゃうってことがあるわけですよね。そういう点やっぱり難しい。たとえば登校拒否関係の運動をやってるOという人がいるんですけれども、彼女も結局精神医療の問題になると、強制入院に賛成するような態度をとってるわけですよね。Oは文部省というか教育委員会と取り引きをしたらしいですね。
 具体的にどういうふうにしたらいいかってことですけども、正しい情報を伝えていくことがまず必要なんじゃないかと思うんですよね。つまり誰かさんに気兼ねをして、情報を隠したりっていうことではなくって、たとえ内部告発のようなことであってもどんどんやっていく必要があります。また日本の国内だけでこれをやってくのはかなり難しいんじゃないかとも思うんです。精神医療問題だけではなしに、海外でいろいろ活動をやってる人達と連絡を取り合っていくということも必要じゃないかと思うわけです。そういうことをやってく中で今の反動支配層による策動というものを阻止するということが、可能になるんじゃないかと思います。
(H)
 この会は学習会なのか実際的に反対する組織なのか、その辺がわからないんです。保安処分が今というのだから、1カ月先なのか3カ月なのか知らないんですが、学習会というのは非常にいいんだけども、実際的にいま何ができるかということが問題だと思います。我々は病院の中にいるわけじゃないんだけど、病院の中にいる人の問題でもあるわけだし、それと一般の全然こういう実態を知らない大衆にどうやって働きかけるかっていうこともあります。そういうことが全然論議されないってことも問題ではないですか? 研究会であるとか学会であればそれでいいんですけど、意思表示の為に署名するのもまあいいんだけども、もっと何かできないかなと個人的に思うんですが、そのへんはどうなんですか。
(司会)
 今日は学習会ということですが、撤廃連は月2回定例会をもっています。そこで具体的な方針を討論していますので、ぜひ興味のある方はそちらへも参加して下さい。それから全国「精神病」者集団声明への賛同署名については、知合いの方へ広げていただきたいと思います。弁護士も実はまだ賛同がほとんどないという状態です。弁護士や医者というのは案外この問題について一番駄目なところだと思います。むしろ一般の市民の方がかえって分かりやすい。「精神病」者は絶対自分にかけられた攻撃だっていうふうに感じてますから、みんな積極的に署名してくれてます。署名用紙はかなり今日たくさん持ってきてますので10枚でも20枚でも持って帰ってもらって、ぜひ署名を拡大していただきたいと思います。
(C)
 今日の学習会は非常に意義が大きかったと思うんです。というのはあの厚生省の精神保健課長の篠崎英夫は、50人の病棟の中に1人の「処遇困難者」がいるために残りの49人の開放化が進まない、と言って「精神病」者を分断しようとしている。しかも「処遇困難者」を軽度、中度、重度と分類し、軽度は900人、中度は700人、重度は400人いると、合計2000人いるとしています。そして軽度の「処遇困難者」を民間の指定精神病院を再編してそこに入れる、中度の人を集中治療病棟に入れる、重度の人を専門病院に入れる、そういうふうに「精神病」者を分断して支配しようとしてる。それを通じて労働者自身をも分断しようとしてる。とりわけ医者を徹底的にいたぶって管理下において支配しようとしている。総体でもって精神医療そのものを戦前型のような、それこそ暗黒のものに、内容にしようとしてる。
 そういう中にあって、いま我々は「処遇困難者問題」という問題に直面して、一人の「精神病」者をも切り捨てない、全ての「精神病」者の解放を求めて我々自身が立ち上がっていく、闘いに立ち上がっていく、そのことが今こそ問われていることはないと思うんですよね。
 そういう意味でこの学習会を契機にしてね、多くの労働者、さらには精神科医、医療従事者、そういう人たちに訴えて、東京の5月における学会をも一つの契機にして、バネにして、赤堀闘争で勝利をかち取ったように実力闘争の精神でもって闘って闘って闘い抜いて、本当の意味の日本の精神医療の開放化を我々自身の手でかち取っていこう、そういう精神でもって今後とも皆さん、ここに集まった皆さんが関心を持ち、訴え、闘う、かつ共同して生き抜く、助け合って生き抜く、「健常」者と「精神障害」者と「身体障害」者とが助け合って生きられるような社会を作っていく、そういう精神でもってね闘っていけば必ず勝てると思うんです。そういう意味で今日の学習会は非常に意義が大きかったと思います。
(I)
 私は墨田地域の「精神病」者とたまり場をやってるんですけれども、先ほど八王子赤堀さんと共に闘う会の方がおっしゃったように、学習会の意義を全体で確認しながら、もう一つ実際自分達がやらなきゃならないのは、実際に「精神病」者が抹殺攻撃にさらされているということに対して、実践的に接近するような地域、病院あるいは、施設と連絡をとりながら、「精神病」者の防衛救援をやっていくこと、そうした内容を赤堀さんが死刑攻撃に対して真っ向から闘ってかち取ったように、差別糾弾、非和解性の質を持ってやっぱり自分達も実践的にもやっていくべきだし、そうした現実的な「精神病」者、「障害」者解放運動、「精神病」者救援運動を全体で確認したいと思います。
以上

まとめはYの責任で行い、質問討論については発言者の確認をとっておりませんので、文責はYにあります。

資 料 編

74年5月29日法制審議会が法務大臣に答申した「刑法改正草案」の中にある保安処分

・禁絶処分 薬物依存やアルコール依存の人を対象
@薬物アルコールを使用する習癖のために禁固以上の刑にあたる行為をした
Aこの習癖を取り除かなければ将来再び禁固以上の刑にあたる行為をするおそれがある

以上の2点の要件があるとき裁判所が保安上必要であると認めたら禁絶処分を言い渡せる 期間は1年で2回まで更新できる
・治療処分 「精神障害」者が対象
@禁固以上の刑にあたる行為をした
A責任能力がないか低い
B治療及び看護を与えなければ将来再び禁固以上の刑にあたる行為をするおそれがある
以上の3点の要件があるとき裁判所が保安上必要であると認めれば治療処分を言い渡せる治療処分の期間は3年、そして2年毎の更新ができる。更新は2回までだが、例外的に危険性の高いものに対しては無制限に延長できる


保安処分の歴史

1927年  司法省に刑法・監獄法改正調査委員会設置
  40年  刑法・監獄法改正調査委員会「改正刑法仮案」を完成
  50年  精神衛生法
  56年  法務省 改正刑法準備会設置
  60年  刑法改正準備会「改正刑法準備草案」作成
  63年  中垣法相 法制審議会に刑法全面改正について諮問
       法制審議会はこれを受け、刑事法特別部会(会長小野清一郎) を設置
  71年  法制審議会刑事法特別部会、全面改正を決議
  74年
  5月29日 法制審議会総会、刑法全面改正を決議、法務大臣への答申
        「保安処分」の部分はそのまま
  78年10月 政府は刑事訴訟法一部改正案要綱(弁護人抜き裁判法)を決定
  81年
  7月25日 日弁連・法務省の第1回意見交換会
  8月    日弁連刑法「改正」阻止実行委員会 「精神医療に関する抜本的改善について(要綱案)」日弁連会長に提出
  87年  精神保健法国会で成立
       「精神科医療領域における他害と処遇困難性に関する研究」班発足
  89年10月 公衆衛生審議会精神保険部会に「処遇困難患者に関する専門委員会」発足


日弁連要綱案

1981年 日弁連の刑法「改正」阻止実行委員会が日弁連会長あてに出した物部分的に紹介する。
(全文は要綱案に対する批判と共に「精神医療」10巻4号に掲載)
「はじめに → 日本弁護士連合会は、精神障害と犯罪をめぐる諸問題に関し、一貫してこれを刑法「改正」あるいは刑事政策の領域の問題としてとらえることに反対し、あくまで精神医療と福祉の領域の問題として対応策を確立していくべきであると主張してきたが、この要綱案も当然その基本に立脚するものである。」
そして
「保安処分は、いったん事件が発生した後の再犯防止策にとどまる。刑事に関する司法・行政の機能が基本的には事件の発生がない限り動き出せないものである以上、これは、刑事政策における当然の制約であり、明白な限界である。しかも、保安処分による再犯防止の効果そのものも期待できないのである。これに対し、精神医療と福祉の立場から対応していくならば、初犯であれ、再犯であれ、精神障害と犯罪をめぐる問題についても、必要で適切な効果的措置が十分に可能なのであり、この領域を度外視しては真の対応策もあり得ない」
具体策としてあげられているものには、
措置入院の退院仮退院に関し第三者機関によるチェック
措置通院制度の検討(これに従わなかった場合の対応策も含め検討)
さらに許せないことに、
「同時に犯罪行為にあたる行為をした精神障害者に対する治療は、罪に対する強烈な自己洞察・反省(時には自らの生命を引きかえにするほど強烈なもの)に向けられた精神医療でなければ、医療として進まないのであって、その治療内容における特徴を十分理解することも必要である。」
法制審議会の「保安処分」案

イ案とロ案(ロ案が平野龍一案)
→従来からあるもの
⇒法制審議会のイ案
→法制審議会のロ案
1988年いわゆる大池レポート「医療機関の効率的運用指針に関する研究」
医療法「改正」の方針
医療機関の機能分化が眼目 現行は急性期対応の規制であるとした上で、長期入院患者が多数となった(3ヶ月以上の長期入院患者が4割 精神科除く)
そこで「特定機能病院(新設)」「一般病院」「療養型病床郡(新設)」に機能分化する

★仙波レポート「精神科医療における病棟機能分化に関する研究」日精協医療政策委員会
この大池レポートの延長上で医療法「改正」が行われるとすると、「この中で精神病院は特定病院(慢性)として位置づけられ、急性期病棟のごときインテンシヴな治療を行っても十分な経済的保障が得られない可能性がある」
またこの大池レポートの人員配置基準に満たない私立精神病院は多い
そこで、医療法改正をにらみつつ、精神科は他科とは別建てで機能分化していこうという案が以下の仙波レポートの図

精神病院機能分化ならびに社会復帰援助施策大系

社会的入院 全入院患者の20% 約7万人
     ・第1グループ(約5%)
      病状は安定し、ほぼ完全に自立生活が営める。退院後受け皿さえあれば医療は外来程度で住む。これらは真の意味で社会的入院である
    ・第2グループ(約5%)
      病状はかなり安定し、受け皿を獲得すれば中程度の医療及び援助を行えば退院できるもの、たとえばデイ・ケア、小規模作業所、通所助産施設等を利用する。
    ・第3グループ(約10%)
     持続した精神症状があり、一見寛解状態であるが、自立が不完全で、地域の社会復帰施設では適応できず、結局院内において保護的環境を必要とする群。
このグループが保養棟対象者、保養棟は特例以下の人員配置


この間のマスコミ報道

論 壇
精神障害者の事件防止策を
措置入院解除には公的審査必要
(91.1.17 朝日新聞)

 昨年暮れ、丹羽元労相が刺され死亡した事件で愛知県は、襲撃した男が入っていた精神科病院に、精神保健法に基づく病院指定の取り下げなどを勧告したが、事件の再発防止について具体的な対策をとるには至っていない。
 このような精神障害者による事件が発生すると、被害者の立場からは「犯人は病気を理由に罰せられることもなく、ただ入院させられて症状が治まれば社会に戻る。被害者は浮かばれない」といった声が出る。行政や医療界が「何とかせねば・・・・・・」とつぶやいているうちに、次の事件が起きてきた。
 私は精神科病院長として、治療現場を踏まえて事件防止の具体策を提示したい。今回の事件は、措置入院(法による強制入院)患者が、民間病院入院中に起こした。措置入院の現状を考えると、いくつか問題点が浮かび上がる。
 措置入院とは、専門医二人が精神鑑定をして、自傷他害の危険性が認められることを理由に、法に基づいて強制的に入院させることだが、本来は、国が責任を持って当たるべき制度だ。しかし昭和二十五年、全国的にベッドが不足していた時代に、国が民間病院に代用ベッドとして入院を委任してきたのがそのまま続き、現在、民間病院が多数の措置入院患者を抱える結果となった。
 治療の結果、症状が改善され、担当専門医が単独で自傷他害の恐れがなくなったと知事に報告すると、自動的に措置入院という身分拘束が解除され、病者の行動は自由になる。そして、数カ月前に殺人を犯した者が街頭を歩くという場面が起こり得る。
 防止策を考える時、まず問題になるのは、専門医は事件の予兆を察知できるのかという点だ。専門医の技量は様々で、精神科の医療は数値で症状を計測できないだけに、予兆の完全察知は不可能と言えよう。とすれば、措置解除の決定を一人の医師の診察で決める形は安易過ぎると指摘されても仕方ない。
 そこで第一に、措置解除に際して、傷害、殺人など特に重大な事件を起こした者の担当医から解除の申し立てがあった時は、複数の熟練医師団で構成した公的な機関の厳重な審査を受けるようにするよう提案したい。
 次に、現代の入院医療は開放化に向かっている。病院全体が自由に、開放的に変貌(へんぼう)しつつある時、身分拘束を義務づけられている措置入院患者を受け入れることは、周囲との間に大きなギャップを生じる。
 措置入院患者を本来の趣旨に沿って治療するには、きめ細かく配慮された設備と、多くのスタッフが必要だ。今の診療報酬体系では、民間病院で理想的に措置入院に対処することは、経済的な面からも不可能だ。
 従って第二に、措置患者を民間病院は原則として引き受けるべきでないと思う。専門的な公的施設を早急に整備し、そこで措置患者や社会的に問題を起こしやすい処遇困難な病者の治療をするようにすべきだ。
 病者が重大事件を起こしても、不起訴になる例が目立つ。裁判の結果、無罪になるのではなく、検察官の判断で(起訴前鑑定をもとに)、罪に問われず措置入院として処理される。凶行に病気が関係していても、意識不明での行為ではない。もっと、裁判で病者に社会的責任を厳しく問うことが、病者のためであり、また一般の人々も納得することを主張して、第三の提案とする。
 病者は、基本的にはまじめな人柄で、他に危害を加えるような人々ではない。大勢の心優しい病者が、安心して温かい医療を受けられるように、関係者が具体的に動き出すべき時だろう。
(精神科病院院長、佐賀県在住、49歳)


イラク対応
「精神障害者の殺人と同じ・・・」
桟佐世保市長が発言
(91.1.22 朝日新聞)

 長崎県佐世保市の桟熊獅(かけはし・くまし)市長は二十一日、米海軍佐世保基地への弾薬の陸上輸送に関して事前通知制度確立の申し入れに訪れた佐世保原水協(中村一理事長)会員らとの会談の席上、湾岸戦争におけるイラクの対応について「精神病院に隔離されている人間が町中で無秩序に人を殺すのと同じ」などと語った。会員の中から「精神障害者を引き合いに出すのはおかしい」との声が出ており、問題となりそうだ。
 会談で山下千秋市議(共産)が「イラクに雨あられのように落とされている弾薬が、佐世保から持ち込まれていると思うと胸が詰まる、という市民感情があるが、どう思うか」と質問。
桟市長は「たとえば精神病院に隔離されている人間が、町中で無秩序に人を刺し殺すとする。
そういう人を隔離するのは社会の常識。テロを唱えるイラクもこれと同じだ」などと語った。


「精神障害者も処罰を」
熊本県医師会報に投書
(91.1.23 朝日新聞)

 熊本県医師会(白男川史朗会長、約二千百人)の会報最新号に、「精神異常者には殺人権がある」とのタイトルで、精神障害がある犯罪者を健常者と同じように罰すべきだ、と主張する投書が掲載されていることが二十二日、わかった。編集委員の医師が書いたとされる。会報編集委員長の岡崎禮治NTT九州病院院長は「大筋として内容に問題はない、同じ考えをもった医師はほかにもいる。ただ、タイトルはまずかったと思う」と言い、タイトルの訂正などを次の編集会議に恣るといっている。
 会報は一月十五日付で発行された「熊医会報」。
 投書は「300字のひとりごと」という欄に、「正常者」というペンネームで掲載された。
 昨年十月、名古屋市内で丹羽兵助・元労相が精神障害者に刺されて失血死した例を引用し、「これ迄は殺された側の弁護は余り聞かれず、麻薬中毒者や精神異常者である加害者は常に無罪に等しい判決となっている。
裁判官はもっと自信を持って精神異常者(殺人を犯す時点では誰でも精神異常者である)であろうとなかろうと、喧嘩両成敗で同罪の判決を下すべきであろう」と主張している。
 同医師会事務局によると、筆者の医師は「これは本当にひとりごと。内容について何か言うのは控えたい」と言っている。
 精神障害者の家族でつくる熊本県精神障害者福祉会連合会の田中百合子事務局長(四七)は「精神障害者が犯罪を起こす確率は、健常者より低いと聞いています。それなのに、医師が無理解な投書を書いたなんて悲しくて、腹立たしい。精神障害者にだって人権はあります」と話している。
「精神障害者」発言


佐世保市長が陳謝
(91.1.24)

 湾岸戦争に絡み「精神障害者の殺人とイラクの行為は同じ」などと発言した長崎県佐世保市の桟熊獅市長は二十三日、事情を聴くため市役所を訪れた同県精神障害者家族連合会の山崎文明会長らに「不用意な発言で関係者に迷惑をかけて申し訳ない」と陳謝した。
 桟市長は「言葉が足りなかったというような言い訳はしない。率直におわびしたい。今後の私の精神障害者福祉に対する取り組みを見ていてほしい」と深々と頭を下げた。
 これに対し山崎会長は「発言は、長崎県の福祉思想の遅れを示しているもので遺憾なこと。今後、市長が福祉行政にどう取り組むか見守りたい」といっている。


丹波兵助代議士は「人権」に殺された
(週刊新潮)
都立松沢病院の金子嗣郎院長談
開放治療に賛成と言いながら、「でも問題は昨今の開放治療が、それに適した患者と犯罪性の高い患者を一緒くたにしていることなのです。推進者にいわせると、その二つを区分することは難しいのではないかという。が、私にいわせれば、それは。100%といわなくとても、患者の病歴や生活状況を見ればかなり判断できる。それが日本ではそう言った途端に物凄い反発が来る。しかも困ったことに、日弁連や人権を訴える団体と議論を積み重ねようとしても、平行線を辿るばかり。『犯罪性のある精神障害者の予測はある程度できる』といっても、『そんなことはない』の一点張りだし、『犯罪に結びつく患者を野放しにしていいのか』といえば、『患者は危険でない』ということになる。結局モノ言えば唇寒しになってしまうのですよ」


精神障害者(措置入院患者)による
院外における傷害事件に関する見解

 平成2年10月21日(日)、自衛隊守山駐屯隊の記念式典に出席の丹羽兵助氏に対する精神障害者(措置入院患者)による傷害事件に関しての本会の見解は下記のとおりであります。

1.今回の不幸な事件は、本会会員病院に入院中の患者により発生したものであり、傷害を受けられた丹羽兵助及びご家族の方に深くお詫び申し上げるところであります。
2.当協会は、調査団を直ちに現地に派遣し、厳正に調査したところ今回の不幸な事件となった入院患者に対して、当該病院における精神科医療については、医学的、法的にも適正に行われていたものであります。然しながら、当該患者の管理について、不適切な点があったとされるのも否定し難いところであります。
3.昭和63年7月1日に施行された精神保健法の基本理念に則っとり、患者の人権と社会の安寧とを両立させるべく努力し、今後もこの困難な課題について努力を続けるべきであると考えるところであります。
4.今後における対応策として、国は、処遇困難な精神障害者の取り扱いについて、欧米等国際的な現状実態に照らした適切な施策を早急に確立されることを要望するものであります。

以 上 


平成2年11月1日

 社団法人 日本精神病院協会
 会 長   川崎  茂
 殿
丹羽衆院議員を見舞いの後
90、10、24 毎日
精神障害者の開放病棟治療
河本氏が「野放し」発言

 精神病院に入院中の男性に首を刺されて愛知医大病院に入院している丹羽兵助衆院議員(七九)は意識不明のまま小康状態を保っているが、二十三日、見舞いに訪れた河本敏夫・元国務大臣が報道陣に「日本では精神異常者が野放しになっている」と、開放病棟で治療を受けている精神障害者について誤解を与えかねない発言をした。
 約三十分間、丹羽氏を見舞い、病院を出た河本氏は「早く良くなってくれと声をかけたら、ちょっと顔が動いたように感じた」などと話し、さらに「日本では精神異常者が数十万人、野放しになっている。大きな社会問題であり、ひいては政治問題にもなる」と話した。
 河本氏の発言について、浅野誠・千葉県精神科医療センター診療部長は「精神病患者を長年、病棟に閉じ込めるのは人権上問題があるだけでなく、治療効果の面でも、反動として患者自身が妄想を抱くなど著しくマイナスだ。全国の精神病者は推定百五十万人といわれ、野放し≠ノしないことは物理的にも無理だし、今回のような特殊な事件が起きたからといって精神病者全体を閉じ込めることはできない」などと話している。
施設不足が問題

 河本氏は、毎日新聞の取材に対し「日本では入院を要する八割が施設の不足で収容されておらず、私の政調会長当時から党内で大きな問題になっていた。その時は施設が不足していたし、人権問題も絡んで日弁連が反対するだろうということもあって、実行出来なかった。今回、男は入院中で開放病棟にいたのか知らないが、(事件を起こし)こういうのを野放しというのではないか」と話している。

厚生科学研究報告書
精神科医療領域における他害し処遇困難性に関する研究  より抜粋

ま え が き

 昭和62年9月、精神障害者の人権擁護、社会復帰の促進等を柱として精神衛生法が改正され、法律の名称も精神保健法と改められた。この法改正に当たり、関係団体等から多くの意見が発表され、世論やマスコミも精神障害者の人権擁護等を支持する方向で各種の報道が行われた。しかし一方で、精神障害者による他害事件に関連し、被害者の人権を守ることも考える必要があるという論議もあった。
 我が国では諸般の事情で刑法に保安処分制度が定められておらず、他害事件を起こした触法精神障害者は、起訴、裁判の過程でその責任能力に応じて、矯正施設(医療刑務所を含む)で受刑するか、精神保健法により精神病院に強制入院となって医療及び保護を受けることになっている。しかし、これら精神障害者の中で精神病院においても処遇困難とされたり、退院後も事件を繰り返し、社会から非難される事例もみられる。
 昭和62年精神衛生法の改正に当たり、これらの事例の解析と対策の確立も必要と思われたので、私は厚生科学研究費(精神保健医療研究事業)の助成を受け、「精神科医療領域における他害と処遇困難性に関する研究」(3ヵ年継続)を行うことにした。
 大学病院及び国公私立精神病院、医療刑務所の精神科医、刑法学者等19人を協力研究者に委嘱して研究班を組織し、62年度より3ヵ年にわたり、年間数回の全体研究会及び必要により小研究会を持ち、またこの間全国の精神病院における処遇困難例の実態調査や地域実地調査等を行って実情の把握に努めた。
 62年度はまず精神障害者の他害事件について統計資料によって解析検討し、ついで国公私立精神病院における患者の他害事件例、医療事故等の資料による検討、医療刑務所における被拘禁者の実態等を調べ、また欧米諸国における他害事件対策等についての文献による調査を行った。その結果、精神病院における他害及び処遇困難例の実態を明らかにすることになり、アンケートによる実態調査を行った。
 63年度はアンケート調査を補足調整するとともに調査結果の解析検討を行った。さらに大阪、石川の二地域を選んで実地調査を行い、アンケート調査と比較検討を行った。この間63年6月、モントリオールで開催された「第14回法と精神保健国際学会」に研究員の一部が参加し、引き続いてワシントン、ロンドンにおける特殊精神病院等を視察し、研究の参考とした。
 平成元年度はこれら調査研究の成果を踏まえ、処遇困難例の医療施設における治療や処遇のあり方につき、その体制、施設、職員配置及び研究、研修体制等について検討を行った。
 以上が年度ごと研究事項の概略であるが、その内容については年度ごとに詳しい研究報告書が作成されている。しかし、今年度は本研究の最終年度に当たるので、3ヵ年にわたる研究調査の主な事項を取りまとめ、本報告書を作成した。
 精神保健法が十分な財政的裏付けを伴って施行されることにより、我が国の精神医療が一段と充実、改善されるとともに、精神科特殊領域としての処遇困難例への治療施策が、本報告書を活用して実施され、我が国においても欧米諸国に劣らない、そして我が国の国情にあった治療システムが一日も早く実現されることを期待するものである。
 終りにあたり、難しい状況のなかでこの研究に終始熱心に協力いただいた研究協力者各位に、心から感謝を申しあげる。
平成2年4月
主任研究者 道 下 忠 蔵

4.処遇困難例対策に関する意見

 全国の精神病院に入院中の処遇困難患者の実態を調査し、欧米諸国の特殊病院の状況をも参考に検討を行った結果、当研究会は我が国の処遇困難例の治療・処遇のあり方につき、以下の結論を得た。
T 基本的な治療体系

 英国の処遇困難患者に対する治療の教訓、すなわち、「処遇困難患者であっても、出来る限りその家族の近くで治療されなければならない」を参考にして、現行の地域の指定精神病院を再編成し、比較的軽度の処遇困難例を担当できるようにし、更に重度な症例に対しては、国公立精神病院を中心に集中治療病棟(仮称)を併設し担当するという二層構造の体系とする。一般精神病院を含めこれらの病院は相互の連携を重視し、患者の症状が軽快したならば速やかに元の病院へ帰すこととする。しかし、集中治療病棟(仮称)でも対応困難な重度の症例や、長期化した症例を治療する施設が必要となってくることが予想される。そうした場合、専門病院の設立は、二層構造で実施した結果を踏まえ検討するものとする。

U 必要な施設

1.指定精神病院の整備と強化
 地域医療計画による二次医療圏(345カ所)に1病院を目処に、指定精神病院(施設基準を制定)を再編成し、措置入院患者及び一般精神病院で処遇困難な患者(軽度)を受け入れ治療する。この運営には財政措置を考慮する。これにより、一般精神病院の開放率が高められることになる。

2.集中治療病棟(仮称)
 指定精神病院で対応困難な中度以上の処遇困難例は、原則として国公立精神病院に集中治療病棟(仮称)を設置し治療する。その建築と運営にあたっては、担当の国庫補助をするものとする。さし当り、適当な都道府県でパイロット的に施行することとする。
(1)対 象 者
 問題行動のために、現行の精神科治療体系では長期の保護室生活をしいられている者たちが主となろう。当研究会の調査によれば、全国で400例程度と推測される。
(2)担当地域
 概ね人口約450万人の地域を担当する。
(3)規  模
 15〜30床。
(4)施設と職員構成
 英国とセキュア・ユニットと我が国の精神科特2類の施設基準を参考に集中治療病棟(仮称)の施設基準を作成すると以下のようになる。
               病棟施設基準比較表
        集中治療病棟 英国セキュア・ユニット 現行病棟(特2類)
         (仮  称) (デニス・ヒル)
病   床       15      30           50
医   師        2       4          1.5
看 護 者       30      75           20
コメディカル       3       7            1
面   積   約1200u   約1700u      約1300u
病室一床あたり    8u      9.4u    7.2u(6.3)
建築費一床あたり1000万円   1000万円       850万円
運営費年一人あたり2000万円               500万円
 職員は量的に充分な人数が配置されるだけでなく、質的にも適切な訓練と教育を受けた人材が必要である。さらに、臨床心理士やソーシャルワーカーなどを含めた他職種(multidisciplinary)による医療チームを構成することも必要であろう。

2. 精神発達遅滞による多重問題者の対応

 重度心身障害者病棟の経験を参考にして、国公立の精神科医療施設に新たな施設を併設することが望ましい。

V 患者の入院と退院
 集中治療病棟(仮称)へ入院の適応となる患者は、「暴力行為等の著しい問題行動があるために、一般の精神病院での治療が困難な者」である。精神病院の管理者や司法関係者が入院の申請を行い、適当な第三者機関(判定委員会)が、審査をして入院の決定を行う。退院や転院に際しても、同機関が同様の評価を行い退院の許可を出すことが望ましい。

W 教育研究施設
 処遇困難例に対応する職員の教育・訓練・研究の機関が必要である。また、司法精神医学の研究も立ち遅れており、これらの要件を満たす教育研究施設が必要である。
たとえば、国立精神・神経センターに司法精神医学部門を新設することが考えられる。

発行・精神衛生法撤廃全国連絡会議
連絡先・東京都港区新橋2−8−16 石田ビル 救援連絡センター気付


*作成:桐原 尚之
UP:20110315 REV:
全文掲載  ◇反保安処分闘争 
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