佐藤 真
さとう・まこと
1957~2007/09/04(49歳)
◆https://www.hdff.jp/2012/movie/aganiikiru/index.html
1957年、青森県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。大学在学中より水俣病被害者の支援活動に関わる。1981年、『無辜なる海』(監督:香取直孝)に助監督として参加。1989年から新潟県阿賀野川流域の民家で住み込みながら撮影を始め、1992年、『阿賀に生きる』を完成。ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭銀賞、など国内外で高い評価を受ける。以降、『まひるのほし』(1998)、『SELF AND OTHERS』(2000)、『花子』(2001)、『阿賀の記憶』(2004)、『エドワード・サイード OUT OF PLACE』(2005)を発表。他に映画やテレビ作品の編集・構成、映画論の執筆など多方面に活躍。京都造形芸術大学教授、映画美学校主任講師として後進の指導にも尽力。2007年9月4日逝去。享年49。
◆佐藤 真 20010131 『ドキュメンタリー映画の地平――世界を批判的に受けとめるために 上』,凱風社,350p.ISBN:4-7736-2505-8 2415[kinokuniya]/[BK1] ※
□内容説明 [bk1]
ドキュメンタリーは映像表現による現実批判である。著者が志向する方法論「暮らしながら撮る・言葉と別の意味を生む映像・他者の眼差しと撮られる側の戸惑い・私的小宇宙の広がり」からドキュメンタリー作家・作品を検証する。
□著者紹介 [bk1]
1957年青森県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。映画美学校ドキュメンタリーワークショップ、京都造形芸術大学で後進の指導にあたる。著書に「日常という名の鏡」がある。
□目次[boople]
【序 章】ドキュメンタリーは映像表現による現実批判である
【第1章】暮らしながら撮る
1、暮らすことで関係が変わる 撮る側・撮られる側のダイナミズム
2、ドキュメンタリーの始祖 ロバート・フラハティ
◇作品論=〈暮らしながら撮る〉映画の誕生……『極北のナヌーク』
◇作家論=共に暮らすことで生まれる人間の輝き
3、スタッフと共同生活を続けながら撮る 小川紳介
◇作品論=移り住むことではじめて見える〈村の時間〉……『三里塚・辺田部落』
◇作家論=「まれびと」として虚実の皮膜を剥ぐ――小川プロダクション
【第2章】言葉と別の意味を生む映像
1、映像と言葉の対立を利用する 映像の多元性と言葉の一元性
2、ベトナムの諧謔精神 チャン・ヴァン・トゥイ
◇作品論=人倫道徳を説くふりをした辛辣な社会批評……『思いやりの話』
◇作家論=〈虚実の境目〉を曖昧にするナレーションの妙味
3、国策を逆手にとる編集の妙手 亀井文夫
◇作品論=戦意高揚映画を反戦映画にする……『戦ふ兵隊』
◇作品論=漂白の俳人を農民詩人に仕立てる……『小林一茶』
◇作家論=屈折した粘着性のモンタージュ
【第3章】他者の眼差しと撮られる側の戸惑い
1、他者の眼差しで異文化を見つめる 異邦人によって浮き彫りにされる「私の東京」
2、七つの顔をもつ男 クリス・マルケル
◇作品論=七つの眼差しが映し出す多面体、トーキョー……『サン・ソレイユ』
◇作家論=見慣れた街が見知らぬ都市に映る
3、国籍不明の映画監督 ヴィム・ヴェンダース
◇作品論=映画の中のトーキョーと現実の東京との落差……『東京画』
◇作家論=国籍離脱者の虚ろな眼差し
【第4章】私的小宇宙の広がり
1、「私」を凝視することで世界に通じる 時間の熟成作用と映画言語の発見
2、「私」を見つめる抒情詩人 ジョナス・メカス
◇作品論=二七年ぶりの帰郷を撮った日記映画……『リトアニアへの旅の追憶』
◇作家論=〈映像〉の距離感、〈声〉の密着度
3、小川プロを離れた個人映画作家 福田克彦
◇作品論=老女の一人語りを独りで撮った自伝映画……『草とり草紙』
◇作家論=集団から個へ 現実と虚構のあわいにゆれる
◆佐藤 真 20010131 『ドキュメンタリー映画の地平――世界を批判的に受けとめるために 下』,凱風社,374p. ISBN:4-7736-2506-6 2625[kinokuniya]/[BK1] ※
□内容説明 [bk1]
著者が志向する方法論「観察者・挑発者・時代の無意識・イメージの収奪」からドキュメンタリー作家と作品を検証する。21世紀のドキュメンタリーは、メディアが創出するバーチャルリアリティ空間に真摯に向き合う必要がある。
□著者紹介 [bk1]
1957年青森県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。映画美学校ドキュメンタリーワークショップ、京都造形芸術大学で後進の指導にあたる。著書に「日常という名の鏡」がある。
□目次[boople]
【第5章】観察者 言葉からの解放
1、観察者に徹する 観客の中に生まれる批判的視点
2、聞き耳をたてる観察者 フレデリック・ワイズマン
◇作品論=二〇世紀のアメリカを映す鏡……『メイン州ベルファスト』
◇作家論=録音機を携えて撮影現場で空気になる
3、意義を押しつけない自主映画 野田真吉
◇作品論=陶酔を誘うダイレクト・シネマ……民俗神事芸能三部作『冬の夜の神々の宴』『ゆきははなである』『生者と死者のかよい路』
◇作家論=祭りの崩壊を見つめる鷹揚な眼差し
【第6章】挑発者 暴力装置としてのキャメラ
1、キャメラが現実を変える 作家主体の確立
2、キャメラを廻す随伴者 ロバート・クレーマー
◇作品論=アメリカの痛みに寄り添う映画……『ルート1』
◇作家論=映画は世界の痛みとどこまで共に生きられるか
3、加害者としてのキャメラ 大島渚
◇作品論=戦後日本の被害者意識を斬る……『忘れられた皇軍』
◇作家論=作家主体をもたぬディレクターは頽廃する
【第7章】時代の無意識 メディアの読みかえ
1、時代の無意識を抽出する アーカイヴ・ドキュメンタリー論
2、核戦略の虚妄を笑いとばすパロディ精神
◇作品論=ケビン・ラファティほか『アトミック・カフェ』
3、新聞記事だけを映像素材に、原子力政策の矛盾を衝く
◇作品論=土本典昭『原発切抜帖』
【第8章】イメージの収奪 〈見る〉ことの権力構造
1、収奪される側からの反撃――観光・民族学・審美主義に潜むヒエラルキー
2、ハリウッドの良心に潜む欺瞞を暴く
◇作品論=ヴィクター・マサエスヴァ『イマジニング・インディアン』
3、真なることへの批判精神
◇作品論=トリン・T・ミンハ『ルアッサンブラージュ』
〇ドキュメンタリー映画・関連年表
◆佐藤 真 20020906 『映画が始まるところ』,凱風社,261p. ISBN:4-7736-2609-7 1890[kinokuniya]/[BK1] ※
□内容説明 [bk1]
個的映画論「ドキュメンタリー映画の地平」で反響を呼び、映画「まひるのほし」などで注目を集める気鋭の映画監督のエッセイ集。天啓のように立ち現われてくる何ものかをとらえようと格闘し続ける表現者の心の風景。
□著者紹介[bk1]
1957年青森県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。在学中に「無辜なる海」の助監督を務める。テレビ作品、映画の編集・構成、映画祭のプロデュース等多方面で活躍。京都造形芸術大学教授。