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立岩京都看護大学大学院講義-優生学

20200502 講師:立岩真也 於:

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◇i2020 講義 2020/05/02 講師:立岩真也 於:
◇文字起こし:ココペリ121 20200502立岩京都看護大学大学院講義優生学_187分
※聞き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
 聞き取りが怪しいところは、【  】(hh:mm:ss)しています。
※京都看護大学の学生さんのお名前は公表されないかと思い、◆名前◆のように印をつけています。

 以下で「優生学優生思想」について話をしている部分については以下に再録しました。
◆2020/08/25 「優生思想?・2――新書・2のための連載・02」,『eS』025

立岩:あと2人、まだですかね?あと1人ですか?
 ぼつぼつやってますかね。[00:01:56]
 みなさん、こんにちは。立岩といいます。窪田さんに頼まれてというか、今日3時間2コマ分と来週2コマ分話すことになりました。キャンパスに行って話すことだったんですけれども、こういうご時世っていうか状況で、オンライン、僕のほうでスカイプ(Skype)立ち上げてっていうことにしました。それでさっき窪田さんのほうからは8人、で今7人入ってるって聞きましたけど、ちょっと思いついて、1時間くらい前だったかな、僕がいる大学院のほうに、なかなか授業も4月しにくかったしっていうので、それから僕はあまり授業っぽい話を自分の大学院ではあまりしていないので、まあよろしかったらどうぞっていうふうにメーリングリストに声をかけたら、3人応じてくれてというか、聞きたいっていうことで、たぶん2人は入ってますね。
 ちょっと他己紹介をしておくと、窪田さんもここの研究科の、先端総合学術研究科っていうわけのわかんない名前の大学院なんですけど、そこが4つに分かれていて、公共っていうまたわけのわかんない名前の領域があって、私はそこの教員なんです。で、今日3人おまけで参加してくれてるのもそのところの院生で、1人は栗川さんといって、僕とほぼ同じ年で。今年、新潟の高校の社会科の教員だったんですけど、めでたく定年を迎えられて、大学院生専従になった人です。日本学術振興会の特別研究員も、それは大学院生やりながらできるんですけれども、大学院生にお金を出してくれるってシステムなんですけど、そのDC1っていうのも取っています。退職して喜び勇んで京都に来たら、京都閉鎖っていうか大学閉鎖みたいになって、「なんだよ」っていうんで、今、新潟に帰っておられます。本人も視覚障害の、全盲の教員を長くやってきて、視覚障害を持ちながら教員をやり続けるっていう運動っていうか組織に関わってきた人で、そういう論文を今書いて、一つもう掲載されたものがありますけども。もう一つ今書いたりしているっていうのが栗川さんです。[00:05:34]
 それからあと2人は実は看護の人で。戸田さんいる? ミュートはずせる? そのうちはずしてください。戸田さんっていうのは戸田真里さん、45歳。と自称しているので、たぶん本当だと思いますけど。京都の丸太町だったと思いますけれども、京都新聞のすぐ横に、烏丸と丸太町の交差点のあたりの建物の、京都府の難病相談センターだっけ? それの職員を薄給ながらやっているという人です。「普通の看護師やってたほうが、なんぼか収入がいい」とぼやきつつ、そこのスタッフをやっていて。ほんで表皮水泡症っていう、皮がくっつかないっていうか、破れたりふくれたり、大変な病気っていうか障害ですけど、その人たちに関わりもし、またまあ研究もしてるって人がいます。
 それからもう1人、なんでよその人の紹介を僕がやってるのかってよくわかりませんけど、まあ、しときます。谷口さんっていう、彼女は本業というか、収入は大学の教員で得ていますけれども、薬物依存の人たちのことに関心があって。ダルク(DARC)っていうの聞いたことあると思いますけど、大阪のダルクとかそういうのに関わっていて、薬物依存の人たちのことについて研究しようという人です。[00:07:25]
 今ここにいる人たちに話を聞いても、自己紹介してもらってもいいんですけど。してもらおうかな? マイクテストも兼ねてね。ていうのをちょっと思ってるんですけど。
 それでさっき司会というか始めた窪田さんは、私のところの大学院の同じ領域の修了者でもあって、博士論文書かれてそれが本になってるというのは知ってると思います。
 実はさっき、ここの京都看護大学の学長さんの豊田さんも、いっとき私のところの大学院にいたことがあって。ただますます忙しくなっちゃって、学業を続けられないっていうことで退学しちゃったので、もういないっていうか、途中からいなくなっちゃったんですけど。てことで、2人関係者がいるということです。[00:08:27]
 なんとなくスカイプって意外とこう、みんなマイクオフにしたりすると、なんかひとりごとしゃべってるみたいな若干孤独な感じがするんですけど。みんなまあ、さっき窪田さんから聞いたらM1で、入ったばっかりってことで、「何の研究してます」っつってもなかなか難しいと思いますけど、もうごく簡単にで構わないので、ちょっと挨拶というかしてもらいましょうかね。今ほとんどというか、全員マイクがオフになっていますが。
 あ、それからもう1人入ってきたな。僕んところの大学院生で【さわおかゆき】(00:09:17)さんっていう、あ、彼も看護師ですね。だから看護師が3人いるってことですけど。まあ、さわおかさんは男性で、四国のほうの大学の、大学院の修士課程は終えられてこちらに来ているんですけども。高次脳機能障害っていうの聞いたことあると思いますけど、その障害の後遺症というか、高次脳機能障害を生きているっていう人たちのことを研究しようっていうんで去年から来ている人が入ったんで。私の本務校っていうか勤め先は3人ぐらいいそうですけれども、あ、4人か。
 今僕に見えている順番に、名前をわかるかぎり言いますので、その人は短くて構わないので、ちょっと「こういうことしたいと思ってます。何々です。」っていうふうに言ってください。僕が見えている一番上はですね、◆いしづきまき◆さんでいいのかな? ちょっとマイクミュートオフにして、紹介してくれますか?[00:10:35]
 …はい。アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning)ですね。はいはい。今、訪看を実際にやってるんですか? 京都で? はいはい。うちの大学院も訪問看護やってるの3、4人いるような気がするな。はい、わかりました。ありがとうございました。
 次はね、◆いりの◆さんっていうの? ◆いるの◆さんっていうの? いますか? ◆出る入るの「入」るに野っ原の「野」◆。あ、ミュートオフになりましたね。はい、どなたでしょう。話してくれますか? オフにはなってますね。あ、今また大丈夫ですね。◆入野◆さん、しゃべれますか? じゃちょっとパスね。またなんかしゃべれるようになったらしゃべって。マイクはオンになってるんだけども。
 それで私が見えてるのが、さわおかさん、だからさわおかさんはゲストなのでパスして。
 次はね、◆ますだ◆さん、◆ますだこころ◆さんっている? はい。マイクオンになってますね。何か紹介できますか? 今のところ聞こえてないんですけど。はい。ミュートはオフになってる、マイクオンになってるけどね。はい。じゃちょっとまたパスします。[00:13:13]
 で、次映ってるのは窪田さんで。窪田さんはもうパスで。次さっき他己紹介した戸田真里さんですが、それでもなんかちょっと顔だけ出すか。戸田さん、こんにちは。います? 戸田さん。あれ? なんかこっちの問題かな? ちょっと待ってね。戸田さん、手振ってる? まあいいや。戸田さんは、まあいるということがわかったと。
 次はね、◆わたなべゆみ◆さん? ◆わたなべゆみ◆さん、いますか? 何か声出せます? はい。僕のほうの問題かな? よくわかんない。まあそのうち。
 僕のほうで次に映ってるのは、◆たけがみ◆さんでいいの? ◆たけがみ◆さんなんだけど。音出せるかね。誰かしゃべってるよね。あれ、なんでだろ? えーと、ちょっとわかんないので、またあとで残りは。音が、こっちの問題かもしれないんで、聞こえるようになったら、話を続けましょう。[00:15:32]

 さて、これからしばらくしゃべりますけれども。そんなにたいした話はしませんが、します。それでもし今、ここにスカイプやってるってことは、たぶんパソコンが立ち上がってると思うので、それを画面半分で見せながら、スカイプ見ながらっての一番いいんだけれども、まだそこまでスカイプって都合よくできてないのかな。ていうことなので、できればってことなんですど、スカイプはどうせまあ顔しか出てこないので、声が聞こえれば少なくとも今日は問題ないので、もし可能であればホームページを開いてもらえるといいです。
 ほんでいろんな…、「生存学」って、生存って「生きてる」ってことね、「学ぶ」ってので検索しても、ホームページが出てくるかなと思います。二つ出てくるはずなんですが。ちょっと僕もやってみますね。まあゆっくりやりましょう。焦ってもしょうがないので。今、僕が「生存学」ってのをGoogle(グーグル)で検索すると、ああ、うちの研究所はね、ホームページが二つあるんですよ。で、「立命館大学生存学研究所」っていう「www.ritsumei」ってので始まるサイトが3つぐらい、4つぐらいかな最初に出てきます、私のところは。それで、それではなくて、「arsvi.com:立命館大学生存学研究所」っていうのが出てくるはずなんですけど、それをクリックしてもらえるといいな。できますかね? まあすぐにじゃなくてもいいんだけれども。で、そういうことの紹介から始めます。[00:18:18]
 みなさんだいたい、うちの看護の院生はそんなに若い人は…、まあいいや、どうでもいいんですけど、そんなに多いわけでもなくて。そういう意味で、今日最初に画面見たときに、僕は「若えな」と思ったんですけど。わりと大学出てわりとすぐっていうか、そんな経ってなくて修士課程ってことなんでしょうが、そうすると、20代とかだと2000年とかちょっと前ぐらいっていう感じかと思いますけれども。僕がホームページ始めたのが1996年ぐらいで、ひょっとするとその生まれたあたりっていうか、生まれる前かもしれないですよね。それ以来ずっとホームページを作ってきて24年ぐらい経ってるんですけど、それが今情報が増えていって、そして研究所のホームページの一つになって今にいたるっていうものなんですよ。
 見えてますかね? 非常にそっけのない見栄えのしないホームページですけど、「arsvi.com」(アルスヴィ・ドット・コム)、ま、そのホームページが出てきます。ちょっとね、それを確認しながらってのが本当はいいんだけど、下手にスカイプ触って落ちちゃったりすると怖いので、そういう面倒くさいことはせず進めていきますね。[00:19:57]
 で、仮にそのページが見えたとしましょう。そうするとそこ下がってもらうと、「製作責任者」ってとこに「立岩真也」っていう人の名前が出てくるかなと思います。立つ座るの「立つ」に、岩石の「岩」ですね。それから写真の「真」に「也」(なる)。まあ、その名前で検索してもらってもいいです。それのほうが早いかもしれないですけれども。そうすると、この生存学のホームページ内の、私のコーナーっていうか私のページに移るはずです。最初からグーグル検索で「立岩真也」で検索してもらっても構いません。そうするとそれが出てきます。それでですね、それを下がってもらうと、2020年にやった仕事っていうのが新しいのが順番、上のほうに出てくるはずです。で、まだやってない「11/08 沖縄県・石垣島」ってのが先頭に来ますけど(笑)、まあ11月になってりゃなんとかなってるかなっていう感じなんですが。そういうので予定も含めて新しいのが上のほうに来ているはずです。で、中止になりそうなやつね。「07/11」(7月11日)、これ中止が決まりました。とかもありますが、「2020/05/02 京都市…」って、嘘ですね、「京都看護大学」って書かなきゃいけないんですね。ていうところが出てきて、そこに名前というか文字は出てませんけれども、「……」ていう、そういうものが出てきているかと思います。5月2日のとこですね。それをクリックすると今日の、この5月2日の授業、なんかちょっと「研究会」だって書いてありますけど、これちょっとコピペ間違ったというのもあるし、まあどっちだっていいや、ていうのが出てきます。出てきましたかね? [00:22:12]
 「優生学の話をしようと思います。」っていうのが最初に出てきて。まあ実際に、今日何の話をしようかなと思ったんですけど。うーん。で、あんまり考えつかなかったんですけど、まあこの話でいいかなと思って。というのは、窪田さん私にも声かけてくれたんたけれども、私の同僚で同じ研究科の教員をやっている松原洋子ってのがいるんだが、その人にも声をかけてくれたんだけれども、彼女は今ですね、立命館大学の副学長ってのをやってまして、えらい忙しいんですよ。まあそんなこともあってやれないっていうことだったらしいんです。で彼女は優生学ってものの歴史のまあ専門家というか、それがメインテーマな人でもあって。まあその代わりってわけでもないんだけれども、まあちょっと話しようかなってこともあるし。なんでこの話から入るのかっていうのは、おいおい説明していきます。
 それで仮にですよ、仮にというか見えててほしいんだけれども、この「2020/05/02」の「メモ」っていうのが表示が出てるとすると、「これからときどきHPを見てください。表紙は」っていうので、さっき出した「arsvi.com」てのの表紙が出てきます。で、「私についての情報は」っていうところで、やっぱさっき見てもらった私のコーナーっていうか私のページがあります。
 毎回こういう授業をするときは、そういう自己紹介から入るのでしてるんですけども、その私用のページの上のほうに「Twitter」(ツイッター)と「Facebook」(フェイスブック)っていうののコーナーっていうかあって。それでツイッターと、それからフェイスブックもやってますよってことになっています。で、ツイッターで「ShinyaTateiwa」っていうところですけど、それをクリックするとですね、安全な人、まあ大概は大丈夫だと思いますけれども、クリックすると、今日の朝起きてツイートしたものが3つぐらい出てきます。一番朝イチで送ったのは、このあいだ僕は障害学っていう、聞いたことないと思いますけれども、ディスアビリティ・スタディーズ(Disability Studies)ってものがあって、障害を持ってるとか障害がある人、生活、それと社会っていう、そういうことについて調べたり考えたり研究しようという、そういうのが世界中にまあぼつぼつとあるんですよね。そういう障害学会っていう学会がありまして、そこの今、会長というのをやっているのです。でまあ今度、9月に立命館で大会を用意してたんですけれども、ちょっと難しそうだと。じゃあどうしようかっていうので、オンラインでやろうっていう話になりつつあるんですが。まあそういうことを決めるオンラインの理事会を先週の金曜日だったかな、やってたんですよ。そしたら私のカメラっていうか画面の前にしばらく猫が立ちふさがってですね、猫が登場していって、そのあと理事の人から「あれは誰ですか?」っていう問い合わせがあって。それで、「はい、わさびって名前の猫です。」っていう返事をして、ほんで写真を1枚入れといたっていうのが今日の最初のツイートです。確か窪田さんも猫好きなんだよね? 違ったっけ? まあいいんですけど。[00:26:16]
 それで今日、さっき戻る前に言うと、今書いているものがあって。講談社っていう日本じゃ大手の出版社ですけど、そこで書いているものがあって、それの紹介があったりするんですが。それと、1時間前のツイートで窪田さんとこの大学院で授業しますよと。誠に勝手ながらというか、もし僕らの大学院とかで私と一緒に何かしたいっていう人いたら、入ってもらってもいいかなっていうので、勝手なツイートを1時間前に思いついてしました。でそのあと今日の朝、講談社のサイトに出た連載の3回目っていうのの案内とか。そんな感じで、ツイッターをやってるんですね。出ましたか? 出てますかね? それが今いち確認できるはずなんだが、できないのがちょっと心配ですけど。そんな感じで、僕はだいたいツイッターを、まあ今日は多くて3通とか出しちゃいましたけど、だいたい1日に1個とか2個かな? をしているので、授業はどうでもいいっちゃ言いませんけど、まあ害を与えるものでもないので、ツイッターでフォローとかをしてもらうと、私発(わたしはつ)の、だいたい「こういうものを書きました」とか、まあそういう仕事関係の情報ですけれども、それを入手することができるので、よろしかったらどうぞ、というのがツイッター。フェイスブックはそれに比べるとさぼっていて、あまりしていません。ツイッターは今フォロワーが5千人くらいいるかな? でフェイスブックは、友達になりたいっていうかお誘いをいただいた人に、怪しい奴じゃなければ原則オッケーっつってるって感じで、今1,100人まではまだ行ってないかな? そのぐらいの人たちです。大概知らない人なんですけど。知らない「友達」という人と「友達」になっているんですが。そっちはあんまり投稿っていうか出してなくて。でも今日講談社のやつをフォローしたら、それがそのままフェイスブックに載ったので、それは載ってます。ていうので、ツイッターとフェイスブック、それからホームページでいろんな発信をしているので、まあ僕はみなさんと今日と来週と2回だけこんな感じでよもやま話して終わりになると思いますけれども、まあよろしければこれを見てもらえるといいかなという、そういうPRというか、でした。[00:29:26]
 でもう1回、立岩真也っていうページに今いるとしたら、「HOME」(ホーム)、表紙ってことですが、のほうに来てもらうと、けっこう病気、病、医療、障害、社会福祉、保健、そういうものに関する情報がけっこう、まあまあ入ってます。ちょっと毎回同じ自慢をしてるんですけれども、だいたい今、年間で3千万ぐらいのヒット数があるサイトになっています。1日7万ヒットぐらいかな。6万から7万ぐらい、かける365だとそのぐらいになるんですよ。というサイトになっていて。もし今それを見てもらってるのであれば、たとえばですね、「新型コロナウィルス」っていうページがあります。左下のほうです。これは作り始めてひと月ぐらいになります。うちの大学院生が作ってくれている、かなり力入れてもらっているもので、非常によいページだと思います。このぐらいはね、せっかくですから今日一つ覚えててもらうといいと思います。
 それから今日直接に、3時間でどこまでの話ができるかわかりませんけれども、話的に関係あるのは、「優生?母体保護法・不妊手術 2020」っていうのがその右肩のほう…、今見てるのは生存学のホームページの一つですよ。「arsvi.com」ってやつですけれども、それの下のほうの右のほうに行くと、「優生?母体保護法・不妊手術 2020」っていうのがあります。で、これも見ていただけるといいです。
 で、そこから行ってもいいし、それからその下にグーグルの検索窓があると思いますけれども、そこでこのホームページの、「arsvi.com 内を検索」するっていうのをクリックしてもらって、優生思想、優生学とかで検索してもらうと、やっぱり優生学っていうホームページが出てきます。
 で、今日は時間もそんなにあるわけじゃないし、細かい話はしません、できません。ので、歴史的なことであるとか、各国別の出来事であるとか、あるいは日本の、なんで僕らがページを作ってるかというと、昔、1948年かな、にできた優生保護法っていう法律、今はそれはなくなって母体保護法っていうんですが、優生保護法のもとで強制的な不妊手術を受けさせられた人っていうのが実はいっぱいいて、その人たちが不妊手術をされちゃったってことで、国に対して損害賠償というか、を求める裁判が今、行なわれてるんですよね。まあそういう関係の情報が2017、18、19、20っていうんで3、4年分あったりします。そういう情報があったりしますから、ぜひ【見てて】(00:32:56)ほしいし。
 さっき唯一スカイプで話が聞けた、◆いしづき◆さんでいいのかな、はACPに関心があるっつったけれども、まあそれと関係があるっちゃあ、「安楽死尊厳死 2020」っていうページもこの表紙からすぐ行けるようになっていますので、それを見てください。[00:33:19]
 ていう、長い長い自己紹介というか宣伝をしましたけれども。そうですね、このホームページやってることとかと関係して、ちょっと何をしてきたのかっていう話の一部をしますとね。僕はもともとっていうか今でも、実際に医療を勉強したこともないし、特別に関心があるってのがそんなにないんですよ。だけれどもまあこういうページを作ってるんですが、それは一つに、僕は実は1960年の生まれで、今年なんと御年60歳になるんですけれども、最初に、大学院の後期課程の4年目ぐらいのときに、最初に非常勤講師をやらせてもらったのが、東京の西のほうに立川市っていうまち、市があります。そこの立川高等看護学院だったかな、そういう看護師になるっていう人たちに社会学の授業をするっていうのが最初の非常勤だったと思うんですよ。今日、自分の履歴ってとこ調べてみたら、89から92まで4年間やってたみたいなんですね。それが僕が大学院生になって、その途中から始めて、終わってしばらくやった最初の非常勤講師だったんですわ。でね、なんか行くとさ、見るからに忙しそうっていうか疲れてるわけですよ。で、なんか教室っつっても大学っていうよりも高校みたいな感じでみんな一人ずつ机があって、教室へ入るとみんな立ち上がって礼とかして、おおー、みたいな、びっくりって感じだったんですけど、まあそういうところで。寄宿制だったんじゃないかなあ。そんでなんか朝から晩までずっと勉強しなきゃいけないわけじゃないですか。で社会学、関係ないですよ、はっきり言ってね、国家試験にね。僕、本当あれ、関係ないです。だから、まあいいかなと思って。みんな疲れてるんで、けっこう寝たりしてるんですけど、まあ起こさないように静かにしてましたけど。とは言ってもね、みんな寝かせるってわけにもいかないんで、ちょっとはおもしろい話を、彼女ら…、まあそん時はみんな女性でしたけどね、なんかそういう話もしたほうがいいんだろうなと思ってさ。ほんで、「じゃ何だ?」と。で、医療とか、看護とか、死ぬだ生きるだっていうようなことについて、少し本を集めたりなんかしたっていうのが一つきっかけではあるんですよね。だからそんなことで、あまり内在的な欲求とかじゃなくて。医療とかそういうことについて、お客さんに喜んでもらうために勉強を始めたっていうか、ていうのは一つあるんですよね。それが89、90、91、92とかそのへんなんですよ。でなんか、だからわりと最初から看護の学生には縁があるんですね。[00:37:12]
 で、そのあと僕は千葉大学っていうところに2年間助手っていうのをやってて、93年、94年ですけれども。あ、ちなみに言っとくと、その医療のほうはそんな感じだったんだけれども、障害者っていうか障害を持っている人たちとの付き合いっていうのはそれよかずっと前からあって。大学生、僕の場合は79年っていうところ、大昔ですけどね、大学に入ってからけっこう長い付き合いを。だから79年ってことはもう40年ってことか。41年とか2年とか、そのぐらいの付き合いあって。まあそれの関係でずっとそういう仕事はしてきて。んで本書いたり、その人たちのまあ運動とか、社会運動とか政策とかそんなものについて、ものを書いたり口を出したりしてるんですけどね。で、まあ看護のほうはそんな感じです。で、戻すと93年94年の2年間、千葉大学の助手ってのをやってて。次の就職先を探さなきゃいけないっていうことで、で、公募に応募して当たった。本当にいっぱい外れ…、まあいいや、その話はしませんが(笑)。当たったのが、信州大学。まあ長野県の松本市にある、信州大学医療技術短期大学部っていう、その当時は大学の中じゃなくて隣みたいな感じの組織でしたね。そのあと全国の医療技術短期大学部、つまり国立大学の横にあるっていうかくっついている医療技術短期大学部っていうのは、みんな3年制だったのが4年制になって、それで医学部にくっつく。医学部保健学科みたいな感じになってるんですけれども。僕がいた信州大学の医療技術短期大学部っていうのもそうなりましたが、僕がいた時は医療技術短期大学ってところで。そこにね、95年度から2001年度まで7年間、一般教育の担当で働いてたわけです。社会学っていうのと社会福祉学っていうのをやってました。本当は社会学と社会福祉学ってのは学問としては全然違ってて、二つともやれっていうのはちょっと普通はないんですけど。でもまあ社会科学科の教員一人しかいないし。たぶんね、医療技術短期大学部の教員たちも社会学と社会福祉学の区別とかついてなかったと思うのね。だからそういう公募が出て。まあ、「ああ、わかった」と、「それでもいいわ」と思って。それで7年働いてたんですよ。で、その時は看護学の学生さんが1年80人、あとはPT・OTが20・20、それから検査技師になる人たちの学科が40人。だから80たす40たす20たす20、160っていう学校にいました。当時の制度では3年プラス1年で助産の資格が取れるっていうのもあったので専攻科ってのがあって、助産学の専攻というのもありました。僕はだいたい看護学の1年生2年生、それからその専攻科っていうので1年間やって助産になろうって人たち、それから看護師の国家試験のための社会学・社会福祉学の特別講義みたいな、そんなのをやってたんですよ。で、けっこうそういう意味で長くって、ある意味、ある意味っていうかおもしろかったですよね。看護学の、これからなろうっていう学生さんと、なんかやってるのがね。実は卒業研究とかにも関係したことがあって。まあ看護の学生の卒業研究のお手伝いをしたことがあって。それのレポートが、今思い出したんですけど、さっき紹介したサイトにも載っかったりしているんです、実は。ということを久しぶりに思い出しました。[00:41:44]
 えー、という過去がある人なんです。まだ全然本題に入ってませんけれども。まあ本当のことを言うと、本題というか、のほうは、うちの勤め先ではよく言うんですけど、「本読んでくれればいい」っつって言ってるんですけど。まあ本当にそう思っていて。うーん。まあそういう周辺的なというか、話をすることのほうが多いんですけれども。
 実はですね、窪田さんに年度が始まるときに、「なんか本、テキストというか持ってもらいたいものがあるか」というふうに言って、しばし考えて、「悪いけど『私的所有論』っていう本が今、文庫版になって出ているので、それを買ってください」というふうに、「買ってくださいって言ってください」っていうふうに言いました。で、悪いけどみんな持ってるのかな、と思います。で、これもね、なんかこう教員が教科書指定するって買わせるって、って自分の本だからね、どうなの?ってちょっとこう良心…、そんな良心ってほどじゃないですけど、ちょっと思うところはあるんですけど。そうね、僕は看護学の学校に行って最初にびっくりしたのは、学年の初めに廊下に、なんだろ、高さ50センチぐらいの教科書をバンドルしたっていうか束にして、一人ずつぶん並んでるのをみんな一人ずつ取ってくみたいな、そういう仕掛けになっていて。たぶんあれ全部いっぺんに買って、10万円とかわかんないけど、けっこう高いもんですよね。「ああそうなんだ、この業界は」と思って。ほれで、まあそれに比べれば罪は軽いかなと思っているんですけれども。そういう意味で『私的所有論』って本を買ってもらいました。[00:43:51]
 今日お話しするのは、その第6章っていうところに優生学ってものの歴史について書いた節があるんですよね。まあその話の中からちょっとかいつまんでと思っているのと。それから第9章っていう章があって、それは「しゅっせいぜんしんだん」(出生前診断)って人もいますし、「しゅっしょうぜんしんだん」って人もいますけれども。まあ、生まれる前にどういう人になりそうなのかっていうのを診断して、でまあその診断によっては中絶しちゃおうっていう出生前診断・選択的中絶っていうことについて考えたのが第9章ってところです。
 でね、この本は1997年に出てるんですよ。だから松本、信州に行って2年目にできた本なんですけど。なんと私はですね、それ以来、97年かな、98年度かな、その大学にいる間、看護の社会学、地域社会学っていう、最初から地域社会学って名前だった確か。僕が行く前から決まってたんだよね。で、この本を使ったわけです、なんと。その最初に出た『私的所有論』って本は、6千円したんですよ。勁草書房って本屋さんから出てたんですけど。どう考えたって国家試験には何の役にも立たない。この本を、みんな10万円、20万円って本を、教科書を買ってる買わされてるとはいっても、あるいは買ってるからこそというか、プラス6千円ていうのはしのびないなあと思って。どうしたかっていうとですね(笑)、貸本屋をやってました。6千円の本を僕が出版社から買って、何百さ…、人数分買って。それで1回、半年…、どうしても要るっていう変な人がいれば売るけれども、そんな人はほぼいないので。授業ではでも使うと。で、半年500円という値段でレンタルしていて。で終わると返してもらう。また使うみたいなことを本当にやってたんですね。で、この本をどうやって、看護学の教育の中の15回の社会学っていうので使っていたかって話をしてもいいんですけど、まあ今日はしません。できるんですよ、私が思うには。でまあ、みんな寝ててもいいからね、国家試験関係ないし。でまあ国家試験直前のところで、一番効率のいい社会福祉学…、まあ社会学はほとんど出ないし、くだんない問題しか出ないんですよ。まあ看護学はほとんど出ないか。で社会福祉の問題はちょっと出ると。で「それはちょっと手当てするから」っつって「まあ聞かなくていいし」っていうんで授業をやってたわけです。でも15回この本を使って実はやってたんですね。その中で、その15回のうち3回ぐらいだと思うんですけども、優生学の話っていうのを実は97年8年から、だから今から20年前ですか、に看護学の1年生、まあ2年生も取れたかな、1年生2年生の80人に僕は話をしていたのです。だから、だからっていうか、まあいいやっつって、この大学院生のみなさんにも手に取ってもらったっていうそういう次第です。これは出てからずいぶん長い時間が経ったあとに第2版っていうのになって、文庫本になって。それに伴って値段大幅にダウンってことで、1,600円プラス消費税ということになっているっていう感じですね。[00:48:05]
 で、なんだろな。やっぱそんとき15回話して、やっぱり話さなきゃいけないとは思ってたんですよね。で、これは日本史の教科書にもほぼ出てこないし、世界史の教科書にも出てこないし。だけれども、そんなにまったく誰も知らなくてもいいほどのことではないと思った。特にこれは医療に関係することでもあるので、「まあちょっとだけでいいから聞いといてよ」っていう思いはあって。看護、それからOT・PT、検査技師の人たちに対しても講義の中でこの話を、2回かな3回かな、やった記憶があります。そういうことなんですよね。
 もうこれで1時間ぐらい経っているので、ですけれども。ただ今日3時間しゃべろうと30時間しゃべろうと、たいした話はできはしないっていうことで、今日これまでの1時間の前半、情報源についてご紹介したわけです。それは覚えてくださいと。でそのホームページを始めたのも96年。だから信州の医療技術短期大学部に行った翌年だったと思うんですよね。あん時に授業受けてくれてる学生さんが、まあ予習であるとか復習であるとかということで、ウェブサイト。その当時はね、家でホームページ見れる人なんてほとんどいなくって。要するに電話回線でただ繋げてたんで遅くって。僕もだめでした。だけどまあそのうちなんとかなるだろっていうのもあったし、学校来れば見れるっていうのもあったので、まあ細々というかホームページを作り始めたわけです。
 ちなみに95年に阪神淡路大震災という大きな地震が起こったってこともあって、そういう関係の情報を載っけるってこともあったんですよね。ちなみにそういうんでわれわれのサイトは最初から呪われてるというか、なんか悪いことが起こるたびにそういう特設ページを作るみたいなことをこれまでやってきて。まあ阪神淡路の時は、もう僕が一人で片手間にやってたっていうぐらいのものだったので、まあその痕跡はほとんどありませんけれども。そのあとの、まあだいぶ経ってからですけど、2011年の東日本大震災っていう時にも特設サイトを作って、これ今でもあります。ちなみにさっき紹介した表紙からは、「震災関連情報 2011?」というところがこれになってます。[00:51:24]
 それから天災ってわけじゃないですけれども、まあ今日の話にも実は関係あるんだが、2016年、今から4年前か、神奈川県の相模原市っていうところにある障害者の施設で、思いっきりたくさん人が殺されたり傷つけられたりした事件があった。その時にも、まあそれに関係する特設というかページを作って、それも今ホームページの表紙の頭っから見れます。それはホームページ「arsvi.com」の下のほう、「2016.7.26に起こった事件」っていうところに出てきます。
 ちなみにその事件を起こした被告は、今年の3月だったっけな、死刑判決が出て、その前後に「こういう判決が出そうだけれども」あるいは「出たけれども」っていうんで、いくつかの新聞から取材の依頼があってインタビューを受けたり記事を書いたりしたので、そういうのもちょっと載ってます。
 というので、そういうことをずっと看護の学生に教えながらやってきましたっていうことと、そうやってこれまで作ってきた、ためてきたデータをみなさんが見れるようにしてるし、今は新型コロナウィルスに関する、NHKだけ見てても、新聞だけ読んでても、民放だけ見ててもわかんない話というのを一所懸命載せているので見てください、っていう話をしてたら、もう1時間経ちました。[00:53:17]
 で、この話をいったん区切りをつけます。こんなことで。でもね、これだけでもいいんですよ。あとは自分で検索して、今教えたページを頭から見ていってくれれば、6時間分ぐらい、3時間かける2回分ぐらいはすぐ時間が経つので、全然いいんですけれども。まあ1時間にその話をして、残りの時間、少し中身っていうか話に入っていきたいと思います。
 ちなみに今、僕が見てる感じだと15人入っていますね。で、さっき紹介しかけた谷口さん、ヤク中の話をしている研究をしようとしている谷口さんが入っている。あ、ちなみにですね、こういう時はカメラがあるといいですね。僕が大切に飾っている、これ今画面に出てますか? ヤクチュウっていう、なんつうんですか、パロディなんですけれども。チューイングキャンディ、ヤクチュウっていうのを谷口さんがもらってきたのを僕もらっていて、おもしろいので。ハイチュウっていうんだっけ、それの、まあパロッてるんだと思うんですけど、それが、私あります。谷口さん、いますか? 僕が、あ、見えてないな。まあいいや。というので、谷口さんが入り、あと何人かここの看護大学の学費を払ってない人が入っています。
 一人は小井戸さんですね。小井戸さんは群馬県にいるうちの大学院生で車いすに乗ってる人で、何と言ったらいいんでしょう(笑)、そういう人です。小井戸さん、聞こえてますか? はい、はい。今は障害者の社会的な活動っていうか運動に関わってきた人にインタビューなんかして、それの記録をサイトに載っけたりしてくれてます。という、小井戸さんでした。
 小井戸さん、ふだんは、ミュートの仕方ってわかる? マイクのところをオフにすると雑音が入らないのでいいんですよ。できる? うん、イヤホンでいいんだけれども。たぶん自分のところのさ、右下のところにちっちゃいマルみたいなのが出てて、そこにマイクのマークがあって、それにスラッシュ、斜め線が入ってると、オフに、ミュートになってる、マイクがオフになってるんですよ。で、これ僕でもできるんだな。あ、今ミュートになりましたので。これね、ただみんなミュートにすると、僕も誰の声も音も聞こえてこないんで、だから妙に孤独な感じがしてるんですよね。だから嫌なんですけど、本当は。ただまあ雑音は拾わなくなるので。という小井戸さんがうちの院生で、入ってました。
 それから僕が見てるのによると、欧陽(オーヤン)【シャンシャン】(00:56:48)さんもうちの大学院生で、入ってます。欧陽さーん、はいはい。欧陽さんは欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)の欧陽さんです。って言ってわかる人って今どれだけいるのかね? 20代の人って欧陽菲菲わかる? はい。昔、欧陽菲菲っていう歌手がいたんですけどそれと同じ姓の、中国から来た留学生で、今、後期課程つまり博士課程の1年生に今度なった人で。彼女は今、LGBTってわかると思うんですけど、LGBTでありつつ障害を持ってるって人の研究っていうのかな、そういうのをしてる人です。こないだ修士論文っていうか博士予備論文というのを提出して通ったんですけれども、それは台湾にいるポリオでゲイでっていう人にインタビューなんかをして、論文書いたっていう欧陽さんがいます。[00:58:04]
 それからうちの院生だと、さっき紹介したさわおかさん、戸田さん、それからさっき最後の人で、【リ】(00:58:14)さんですか、も入ってらっしゃいますね? ということで全員そろったんだと思います。というんで、今16人。はいはい、窪田さん。
 ◆すぎたに◆さん、LGBTの、何をしたい人なんですか? もしよろしかったらマイクオンにして、ちょっと紹介してもらえるといいな。◆すぎたにみほ◆さんですね。はいはい。そうなんですよね。通信の状況が悪い人は画像を見えないふうにすると多少状況が改善される場合があります。◆すぎたに◆さん、ミュートオフにできる? はいはい、こんにちは。窪田さんの紹介によればLGBTのことで研究しようってことだけど、何やろうっていうふうに今、思ってるんですか? ああ、はいはい。うん。うん。なるほどね。トランスジェンダーね。わかりました。トランス***(01:00:58)あと何人かいる気がしましたけど、また何か思い出したら話します。[01:01:01]
 さて1時間経ちましたけど、それでマイクと画像といったんオフにさえすればこっちは見えないし聞こえないので、適当にお茶飲んだりどっかいなくなったりしても大丈夫です。大丈夫っていうか、うん、いいです。はい。それで、だいたい誰がいるのかっていうのは確認できたので、話をします、残り。
 今回新型コロナウィルスの流行があって、でさっき僕らのサイトのそのページを紹介しましたけれども、どういうことが、いろんなことが起こってるんですけれども、まあ日本でも世界中でも一つ懸念されてることっていうのが、優先順位をつけなきゃいけないと。つけざるをえないと。病院なら病院のキャパいっぱいで、全民を受け入れられないと。そういうことで、順番をつけなきゃいけないっていう話が出てるわけですよね。これは別に今に限った話ではなくて、まあ救急医療、救急救命医療の場面での、聞いたことあると思いますけれども、トリアージュ(triage)っていう、いっぱい診なきゃいけない人がいる時に、でも診れない時にどういうふうにするのかっていう、どういう順番つけるのかっていう話で。まあ昔からあるっちゃ昔からある話ではあるんですよ。で、テレビなんかで見たことあるだろうし、それからもしかするとこの中に、実はそういう現場に関わっている人がいるのかもしれませんけれども、いるかもしれませんが。色の違うバンドっていうか手にね、こうつけて、優先順位を決めるみたいなことをやられてますよね。そういう意味で言えば別に新しい話ではないと。だけれどもというか、で、ある意味というか、ある場面ではそういうこともせざるをえないというふうには僕も思う。というか、多くの人が思うわけだけれども。
 そん時に障害がある人であるとか、障害が重い人であるとか、重い病気がある人であるとか、そういう人の優先順位を下げるというか、ぶっちゃけ診ないというか、そういう、それでいいんだっていう話があり。そしたら実際にそういうルールっていうか、まあルール化されてるかどうかは別として、そんな具合にやってるっていうことがあるという話で、ちょっとは聞いたことあるんじゃないかなと思います。だいたい今マスクがどうとかっていう、それから京都府で何人新たに感染者が出たとか、そういうニュースが多いのであまり出てきませんけれども、まあそういうことが起こっているんですね。[01:04:22]
 それに対して、「え、それ困る」って思ってる人たちも当然いるわけで。そういう人たちが、まあ声を上げている。でもまあその声はそんなに大きく聞こえてるわけじゃないと。大きく聞こえてるわけじゃないのはよくないと僕は思うので、それでさっき紹介したサイトにそういったものを載っけているわけです。
 で僕は今、理事を…、さっきこないだ理事会やったって言いましたけど、理事をやり会長をやっている障害学会っていう学会も、先月かな、まあ先月ですね、理事会の声明っていうのを出しました。出したら、わりとそれは反応があって。朝日新聞、共同通信、北海道新聞、NHK、そうしたところから取材があって、答えられることは答えて。まあ本当に新聞って短いですけどね、ちょっと記事になったりしました。それも、その理事会声明、非常に短いものですが、それもホームページからご覧になれます。そういうのをなんか黒板みたいにして映しながら授業できるといいね。まあたぶんすぐできるようになるか、すでにできるようになっているはずなので、また僕も技術を進化させたらお知らせしますけれども。
 その理事会声明っていうの短いものですけれど、見ることできます。ちなみに自分で原稿書いたらなんかややこしいことになりそうだなと思って、書けないっていうかめんどくさいなと思って僕はさぼってて。で、長瀬修っていう僕の同僚、やっぱり立命館に勤めているほぼ同じ歳の…、歳関係ないですけど、一つ上か、…の長瀬さんがあっさり書いてくれて、それが載ってます。実はその声明の中にも優生思想っていう言葉使われてるんですよ。わりとアバウトな感じの使い方だと思っているんですけど。アバウトじゃない書類を書こうと思うと、なんか手間かかって気が重くなるんで、まあ長瀬さんがあっさり、ささっと作ってくれたってのはむしろよかったかなって思ってるんですけど。
 ちょっと見てみましょうかね。みなさん見えてるかどうかっつうと、僕だけでもいいんですけど、ちょっと久しぶりに見てみますね。さっき言った表紙から「新型コロナウィルス」ってところクリックする。そうすると「型コロナウイルスと障害者・病者、マイノリティ」というコーナーがあり、そこんところに「声明・発言」っていうのがあって、ばーっと出てきます。で、うちに美馬達哉っていうちょっと乱暴なというか野蛮な医者兼社会学者がいるんですが、彼もこのごろメディアに出てますし。で、彼の関係の記事もあり。それから今日書いた、今日載っかったやつはまだ出てきてないってのを今、確認しますけれども、『現代ビジネス』っていう、講談社のサイトに載っている僕の文章も出てくるし、まあいろいろ出てきます。たぶんね、これだけそろったやつはここでしか見れないですよ。でもまあそういう、こういうこと心配してる人、こういうことで困ってる人もいるんだぐらいのことは、まあみなさんの職業柄ってこともありますから、見といてください。
 ちなみに障害学会の…、えー、どこ行った? あるはずですけど…、ああ、ありました。2020年、先月の6日ですね。ほぼ1か月前、「新型コロナウイルス感染症と障害者に関する声明」っていう、その声明をほぼひと月前に出して。中国の人、え、これ誰だっけ? これは欧陽さんじゃなくて、台湾に今いる…、お母さんが病気でってことがあって台湾に帰ったら、台湾から日本に戻ってこれなくて、今も台湾にいる高(カオ)さんっていう留学生がうちにいるんですけど、高さんが…、あ、ちなみにそのお母さん亡くなられてしまわれて、まあそれでお葬式もあったりして、そんなこんなで台湾から帰ってこれなくて。まあ台湾、でもね、死んでないですからね、あんまりね。まあ台湾にいたほうが安全なのかもしれないが。台湾にいる高さんが中国語訳をしてくれて。それから、ここで大学院を修了されて博士論文書かれて、今韓国に戻った【かく】(01:09:35)さんっていう、韓国の、元大学院生が韓国語に訳してくれたバージョンもありますけど。これあんまり関係ないですけど、みなさんにはね。ただ、あそっか、中国からの留学生の方もいらっしゃるんですね。まあ僕は日本語しかわかんないので。
 見ると二つ、まあ長瀬さんってあっさりした人で、まあそこがいいとこなんですけれども、一つは障害者への情報提供をちょっとしてくださいっていう、そういう話です。これほんと大切なことで、今こうやって僕らスカイプやってますけど、画面見れてクリックできる人は、それでもその場所がわかればね、何とかなりますけれども、目が見えなければ画面を見てクリックしたりできないわけね。そしたら代わりにどうするんじゃ?っていうようなことが、本当にちっちゃいことですけど。ちっちゃいことですけど、それわかんないと入れない、みたいなことも含めて。それからさっき言った、マイクがミュートできないとかね、できるとかね、そういうのが。そういうことも含めて、情報提供ちゃんとしていこう、してくださいっていうのが一つです。ちなみにあとで紹介しますけど、そういうところでスカイプとかズーム(Zoom)とか使うときに、どうやったら使いやすいのかっていうようなページも、一昨日から作り始めています。[01:10:53]
 それが1点と、もう一つが障害者の命と安全確保っていうところで。これはその長瀬文案、なんかもう目をつぶってっていうか、もういいやと思ってそのまんまで掲載しちゃったんですけど。読むと「医療関係者の皆様には、万が一にも障害者の生命を軽んじることがないようにお願いします。それは、障害者差別解消法が官民に対して禁じている『不当な差別的取り扱い』です。日本が批准している障害者権利条約も、障害者の生命の権利(10条)と危険な状況においての障害者の保護及び安全確保(11条)を求めています。障害者の生命の価値を低く見てしまう差別的な考え方」…、ここに「優生思想」って出てきますね。…「(優生思想)に基づいて、障害者への治療が拒否されたり、後回しにされてしまうという差別が世界ですでに起きていることを私たちは認識しております。」っていう文章になってます。僕は差別解消法とか、それから障害者権利条約とかよく知らなくて、「第11条そんなこと書いてあるんだ」っていう、まあそういう無知な人間なんですけど。まあ長瀬さんはそういうの詳しい人で、そういう国際会議みたいなのに出ている人でもあるので、そういうことよく知ってる。それでここに優生思想っての出てくるんですよね。
 その取材、新聞やテレビ局の取材は、たとえばですね、「後回しにされてしまうという差別が世界ですでに起きている」って書いてあるじゃないですか。で「どんなことが起きているんですか?」っていうような取材が多かったかな。多かったです。で「僕らそういう記事とかはサイトに集めているので、それ見てください」っていうふうにご案内しました。なので見てくれていると思います。そうですね、新聞、それからNHK、『バリバラ』っていう番組知ってるかな? 僕はほとんど見ないんだけど。何で見ないかは言いませんが。ま、でも出たことはあるんですけど、でもっちゅうか。出たことありますけど、あんまり見ないんですけど。それが5月のね、来週9日じゃないかな、だから1週間後の土曜日…、あれ土曜日の番組なの? よく知らないんだけど、そういう特集をやるみたいです。ほんで、あれ大阪で作ってるんですよね、東京じゃなくて。でNHK大阪の人が、そのことで取材というかメールくれたりなんかして、やり取りずっとしてきてるんですけど、まあ【調べた人がいます】(01:13:40)。で、それをさっきの感染症、「新型コロナウィルス」というページのところから、さっき紹介したのは「声明・発言」ってとこですけど、もう一つ「報道」ってとこ見てもらうと、そういうことに関係する日本の、あるいは世界の状況というのを主に集めた、だけじゃないですけどね、ページが見られたりしますからぜひご覧ください。[01:14:09]
 というわけで長瀬さんによると、よるとというか、2020年4月6日の障害学会の声明の中では、「障害者の生命の価値を低く見てしまう差別的な考え方」っていうのが障害学会の定義になっております。その優生思想、優生学っていうことについて、少しお話ししようと思ったんですよね。それはまあ「松原出ない。代わりにじゃあちょっとしゃべったろか」っていうのと、まあ今どき起こっている出来事っていうこともあるし、それから、そういえば俺、10何年前、20年ぐらい前に、看護学の学生さんたちに4時間半ぐらいしたんだよっていうの思い出したりってこともあって、お話ししようと思うわけです。[01:15:12]
 それでみなさんが持っているであろう『私的所有論』という本、やっぱ今、僕、昔書いた、昔っていうか前書いた本を文庫本にするっていうプロジェクトってちょっと考えてきて、今まで出てるのが2冊なんですけど。そのうちの1冊なんですけどね。老眼鏡かけてもページの数字が見えないっていうんで、やっぱり文庫本ちょっと字が小さすぎるかなあ、どうしようかなと思ったりしてるんですけど。だからページ数が見れないんですけど、メガネかけてもね。でも今、目次は見れます。
 第6章「個体への政治」ってのがあって、それの第3節「性能への介入」。これじゃわけわかんないですよね、とは思いますけれども。その387ページってところから始まるんですが、ここからこの本の中では優生学っていうことについて話してます。これはかなり基礎的な話で。この本を書くためにこの歴史のところを書かなきゃいけなかったかって言ったら、どうしても要らない、要る場所じゃなかったかもしれないんです。ただもうありったけ書いちゃえっていう気持ちだったのと、で、その当時すでに僕は看護学科っていうか、医療技術短期大学の教員でもあったので、で「もう教科書に使っちゃおうかな」ってのもあったので、もうこれは落とせないと思って書いたんじゃないかな、と今になってというか、思います。ですからこの節があるのと、それからですね、そこはかなり凝縮して書いてある…、ものすごい長い本なんですけど、この本。原稿用紙で2千枚分ぐらいあるんじゃないかと思いますが。ただそれでも短くしようと思って、で、かなりの部分を註に落としました。で、ものすごい註が長い。特にこの本、註が長いんですけど、特にこの部分の註は本文より長いぐらいあります。ので、まあ昔の文献ですけどね、文献なんかは出ています。[01:17:26]
 ちょっと、そうだな。僕ね、このごろ大学院で授業って4コマ続きみたいな感じでやってることが多くて、そうすると7時間ぐらい続けてやるんですよ。それもなんかもうめんどくさくなって、休憩とか取るのがめんどくさくなって。休憩も取らないで7時間ぐらいやるってことがけっこう多くって、4月も2回そういうのやったんですけど。今日どうしましょうかね。でもまあ、ちょっとしゃべって、5分10分休み入れて3時間という感じにしましょうかね。今1時間25分経ったんで、少しイントロのところだけしゃべって、で、いったんちょっと合間を取ります。
 で、板書はしないんですが、優生学ってページをわれわれのホームページから見てもらえると、そこに英語で優生学って何ていうかっていうよりはむしろ、もともとはこれ英語なんですね。ユージェニクス(eugenics)っていうんですけども。その英語表記というかが出てきます。で「ユー」(eu)っていうのは「良い」っていう意味ですよね。この同じ話を今まで何百ぺんしてきたか、ですけれども。僕が知ってる言葉だと、ユートピア(utopia)って言葉はみんな聞いたことあると思います。「トピア」ってのはトポス(topos)、「場所」って意味ですよね。で「ユー」だから「良い場所」でしょ。「理想郷」とかまあ日本語で訳されますけれども。まあ「良い場所」っていうので、まあユートピアって言葉聞いたことある。それと同じ「ユー」です。
 で、あとさっきACPのことに関心があるって人がいましたけれども、安楽死とか尊厳死って言葉があります。で、この話今日しようかな、今回は生命倫理っていうんだからしようかな、っていうふうにもちょっと思ったんですけど、僕はもうなんか死ぬほどその話をしていて、まあもういいやっていう気もあって。まあもしかしたら次回するかもしれませんが、うーん、ちょっと飽きてるなって感じがします。で、それの情報も山ほどサイトに載ってますし、で僕、本4冊も書いてますから、安楽死・尊厳死についての。あの、読んでください。よろしかったら。
 で、その安楽死っていうのは何かっていうと、ユーサネイジア(euthanasia)っていうんですよね。で、同じです。「ユー」っていうのは「良い」です。で「サネイジア」ってのは、「死ぬ」ってことです。だから「良い死」ってことなんですよね。だからユートピア、ユージェニクス、ユーサネイジアっていうのは、みんな頭についてるのは「良い」ってそういう言葉です。で、この言葉がどういうふうに出てきたのかっていう話をしようと思えばいくらでもできますけど、まあしません。
 ダーウィン(Darwin)って人が昔いたってのは聞いたことあると思います。200年前か。18世紀末ですか? 19世紀か、そうそう。にかけて進化論ってのを発明というか言いだした人ですけれども、それの甥っ子って人がいてね、その人が自分の文章で使ったっていうのがまあ始めですけど、そんなことは覚えなくてもよろしい。ただその進化論見たらね、人間ていうのが遺伝っていうものによって自然淘汰されてく。で、悪いものが消され、良いものが残っていくっていうような生命のとらえ方っていうか、そういうものと、まあ進化論ってそういうもんだと一般には少なくとも思われてますよね。で実際ダーウィンもそういう言い方してるっていうか、そういうふうに考えてたところも確実にあると。で、その甥っ子っていうのが、まあその人間ってものに当てはめたときに、どう見えるかってだけじゃなくて、どうしていきましょうかっていうね。社会ってものをですね。そういうことを考えて言いだしたっていうのが、だいたい19世紀、それから20世紀、もう前の世紀になっちゃいましたけれども、その頃。だからざっくり言うと100年前、よりはちょっと前か。100年より前ぐらいから100年前すぎてまでぐらいの、そうだな、100年間ぐらいかな。けっこうこれは流行ったものなんです。だからその長瀬さん、障害学会理事会が声明で言ってるその「障害者の生命の価値を低く見てしまう差別的な考え方」っちゃ、そりゃその通りなんだけれども、まあ学問的にはっていうかあるいは言葉的には、特定のイギリスって国で19世紀に出てきた言葉であり、そのあといろいろ行なわれた出来事であったり、まあ考え方であったりってのが、まあアカデミックっつうか何ちゅうかそういう話です。[01:22:57]
 で、「ユー」はわかったんだけれども「ジェニクス」ってのは何かっていうと、遺伝子のこと「ジーン」(gene)って言いますよね。ほんで遺伝学のこと「ジェネティクス」(genetics)って言ったりしますよね。そういうので「種」、それから今「遺伝子」とか、そういうのをジーン、ジェネティクスっていう、それと同じ語源です。だからまあ直訳すれば「良い種」みたいな言葉から来ています、ユージェニクスというのはね。だから「良い種を残そう」ってまあそういう話ですよ、簡単に言えば。ていうことを言いだしたんですね。で、そのあたりの話はさっき紹介した『私的所有論』って本の第6章第4節にまあまあ書いてあるので、概ね略します。学部の講義の時はもうちょっと真面目にやるんですよ。【イギリスでどうだとか】(01:24:00)。真面目にっつってもね、あまり細々しゃべってもこれはしょうがないので、まあざっくりですけど、まあ今回よりは長くしゃべります。で、今回はさぼります。[01:24:14]
 で、何の話をしようかなと思って。ま、この本、『私的所有論』の中にもわざわざ出てきますけれども、一つアメリカ合衆国の話を例として一つしようかなと思ったんです。ていうのは、これは何にも知らない人はまずまったく知らない。で、ちょっとだけ知ってる人は優生学っていうと何を思い出すかっていうと、ドイツなんですよ。ドイツの第2次世界大戦の前、それから戦争中のことなんですよね。それも、これから医療ってものに携わる人には知っといてもらわなきゃねと思って、その『私的所有論』って本には出てきますけれども。これは優生学って言葉よりは、まあ安楽死。でもここの安楽死も変でっていうか、実際には安楽死でも何でもなくって、まあ虐殺なんですけどね。
 第2次大戦中にドイツで25万っつったかな、ぐらいの精神障害、知的障害、身体障害、重い病気、梅毒その他、ヤク中、諸々の人たちが殺されたっていう事件が、事件っていうか出来事がありました。これは法律にもとづいた正規のというか合法の行ないというよりは、ひそかに命じられて行なわれた、ま、秘密作戦といった意味合いが、性格が強いんですけれども。T4作戦というやつですけれどもね。それがその要するに、ユダヤ人が一番どうしようもないと。で、アーリア人ですよね、ヨーロッパ人ヨーロッパ人した、そういうこう青い目の金髪の、なんかそういう人、そういう民族のほうが良くて、で、うんぬんっていう、そういう思想。確かにヒトラーはそういう思想の持ち主だったってことは間違いない。という思想にもとづいて行なわれたっていうんで、まあこれは教科書に出てくる。ユダヤ人の虐殺ですね、ホロコースト。アウシュビッツとかそういう収容所で、何百万っていう単位で人を殺したっていうことがあった。で、これはさすがにというか、教科書に出てくる話ですけれども。うん。あれ実はどうやって殺されたかっていうと、いろんな殺され方があったんですけど、みんな、みんな知ってるっていうか、ガス室ですよね。「シャワーだ」っつって部屋に入れさせられて、シャワーのコックから有毒ガスが出てきて、ばたばたと死んじゃうっていう、まあ効率のよい人の殺し方。そやね。まあ「シャワーだ」って裸にして、その前にメガネとかそういうものはみんな外させて、そんで裸にしてシャワー室に送り込むわけだから。そんでメガネはメガネで取っといて、資源として有効活用すると。服も服で活用すると。そんでまあ、という、まあ効率的な人の殺し方をしたわけですけれども。それのテストですね。実際に本当に殺せるのかって、うまいこと順調に殺せるのかっていうのを最初にやったのは、ユダヤ人じゃなくてT4作戦。で、殺したというか殺されたというか、障害者、病者、病人だったわけです。ていうグロいっていうかえぐいっていうか、そういうことがあって。それはその要するに良い血と良い種ってものを信奉し、それにもとづいて人を、まあ一方では殺し、生殖を止め、一方では良い血を、種を残すという、まあそれの典型というか。唯一まあ普通というか、まあまあ知ってる人が知ってる出来事として記憶されてるってことがあるわけです。[01:29:02]
 実はこれも戦後長いこと知られなかったっていうような話をすると、ちょっとマニアックな話になるんで、ちょっとよしときますけれども、まあそういうことがあった。でこれは日本だと極東軍事裁判、東京裁判っていうので日本の戦犯が裁かれたわけですけれども。ドイツだとニュルンベルク裁判ってのがあって、それでちょっと問題にされたんですよ、ちょっとね。
 いうことで…、ああそっか。そんな話をすると、いっくらでも話が出てきちゃうもんね。軍事裁判で少し出たんだけれども、実はね、この虐殺であるとか、それから殺しちゃった人、あるいはいつ殺されてもいいみたいな人を使って、人体実験をいっぱいやった人たちっていうのがいて、それはそのドイツの当時の有力な医学者だったんですよ。ね。そういう人たちが、たとえば骸骨集めたりだとかさ、死んだ人のね。そういうので有効利用したわけです。実験に使ったりしたわけですよ。でそういうことがあって、ちょろっとそのニュルンベルク裁判には出てくるんだけど、やった人がみんな偉かったもんだから、ドイツでも戦後、そういうふうにした、それに医学者が関わったってことは、30年とか40年とかあまり表に出てこなくて。ていう歴史が実はあったんですよね。だけどそれの若い世代っていうのが、うちのボスっていうか偉い人たちは戦争中何をやったんだ、みたいなことを気にしだして、調べたらいろいろわかってきて。ていうような歴史が実はあるんです。[01:31:01]
 で、話がえぐいほうに転がっていきますけども、それに似たような出来事っていうのは実は日本にもあるわけで。これも本当は知っとかなきゃいけないんですよね。731部隊っていう、石井部隊とも言いますけれども、まあそれのボスが石井っていう人だったんですが。中国、まあ大陸ですね、のほうに軍隊で出かけていって、でそこの中に、まあ医療者ですね、医学者も連れて行って、それでまあ捕虜ですね、それは軍人たちもいたし、スパイだっていうふうにされた人もいるし、全然それ関係ない、とにかくそこらへんにいた人連れてきたってのもあるし、そういう人たちを連れてきて、えぐいというか、えぐいですね、実験を行なったってことは…。そう、教室だとね、「はい、みんな知ってる? 手を上げて。」とかやるんですけど、本当はこれもね、挙手のマークとか出るんですが、まあいいです、それはね。…あの、やって、で殺して。ていう出来事がありました。それに関わったのが東京大学の医学部であったり、特に石井部隊で言うと、京都大学の医学部がこれに深く、多くの人が関与したってことになっています。
 実は僕のところの研究所の客員研究員っていうのをやってくれている岡本さんっていう記者がそのへんを追っかけていて、まあ記事にしたりもしてくれている。だけど新聞は、さっきも言ったけど、短いですよね。で今、大きい本の一部を彼が書くっていうんで、この間原稿送ってもらったんですけど、京都大学に取材して、いろいろ取材拒否られたりいろいろされて、でも書いたっていうのがあったりします。日本ではそうでした。ちなみにこれも戦争直後から秘密にされて、長い時間明らかにされることがなかったわけです。それはなぜかっていうと、これはですね、石井部隊が持っているその丸太って言って、人体実験をして殺した人たちに関わるデータを、まあ石井が、石井たちがというか、まあアメリカ軍に売ったんですよね。売ったというか、まあ別にお金もらったってんじゃないだろうけども。要するに自分たちの免責、責任逃れを認めてもらうのと引き換えに、アメリカ軍にそのデータを渡したわけです。で、それによって、石井部隊、まあ731部隊っていうのは、その存在ごと歴史の表にやっぱり長いこと現れないっていうようなことになって。でもそれじゃいけないっていうので、やっぱりだいぶ長いこと経って、1980年代とかになってからのことで。だからちょっとドイツと似たところがあります。
 まあ今回、そういう戦争犯罪と人体実験とそうした類の話のことは僕は話しませんけれども。気持ち悪いんでね、しゃべってても。ていうか僕そういう本読むのも嫌いだし、しませんけれども。まあ一応言っとかなきゃいけないので言っときます。[01:34:50]
 ちなみに僕は今、NHKオンデマンドを1日朝起きて寝るまでつけて、岩合さんの『世界ネコ歩き』をつけっぱにしたり。それから何見たかな、『小さな旅』ですね。あとね、『チコちゃんに叱られる』ですね。とか、まあそういうの1日中見て。見てっていうか、見てると仕事になりませんから、バックグラウンドに流して仕事してるんですが。それはさすがに学校の講義じゃできません。でも今ならできますね、音出さなければ。さすがにそれ今してませんけれども。
 それで、その『NHKスペシャル』かな、NHK特集。『NHKスペシャル』で、731部隊のことは何回か特集でやってます。それが戦後どうやって隠されたかってあたりのことも、でどうやって出てきたかっていうようなことをですね、NHKが取材した番組なんかがあるので、いいんじゃないですか。NHKオンデマンド、見ることができます。
 ていうんで、こんなことをしゃべると話が一向に戻ってこれませんが。何の話でしたっけ。そうですね。優生学とか優生思想というと、ちょっと知ってる人はドイツの話をするっていう、そういう話をしたら止まんなくなって、まあ日本の話なんかもしてしまったわけですけれども。その話でした。ただですね、そういう、ある種、ある種のというか立派なというか、優生学、優生思想にもとづいてナチスが戦争中に行なってきたことがあるってことは、これはまったく事実です。
 ちなみに言っとくと、優生学っていうのは2種類あってですね。消極的優生学っていうのと積極的優生学ってのがあって。悪いやつを根絶やしにしようっていうか、種をなくそうっていう、残さないようにしようっていうのは消極的優生学。悪いやつを減らそうって、そういう話ですね。で、積極的優生学っていうのもあることはあるんですよ。レーベンスボルン(Lebensborn)という。ええ。ナチスがやったやつだと、レーベンスボルンというのは、僕はドイツ語はできませんが、レーベンというのは「生」、生きるってことですね。で、ボルンというのは「泉」ってことらしいんですけど。「生命の泉」っていうんで、要するにナチスの親衛隊の立派なアーリア人とそういう人種の女性をかけ合わせて、優秀な人間を作ろうっていうのを真面目に一時期やってたことがあるらしくて。それはですね、何て映画だったっけな、思い出したら言いますけれども、僕はなんであれ見たんだろうな? 僕は昔、映画を山ほど見てた一時期があって、そん時見ましたけども。それを素材に、素材というかそれを使ったポルノ映画が、あれドイツの映画だったのかな、ドイツでしょうね、ありました。ただ、どっちかっていうと人殺すほうが簡単なんですよ。とか断種手術をするほうが簡単で。ほんで、まあ馬や牛じゃないんで、いいのといいのをかけ合わせていいのを作りましょうってのは、まあ人間の場合そんなに簡単じゃない。ということで、そっちはあんまりやろうったってやれなかったんですが。ていうような、まあドイツの話ですよね。たぶんそのレーベンスボルンの話はかなりマニアックな人じゃないと知らない。で、収容所の話はちょっと知ってると、そういうことなんですけれども。[01:38:52]
 実は今日お話ししようと思うのは、どうしようかな、アメリカの話なんですよね。ていうんで、その話にしようと思ってから15分ぐらい経っちゃった。ってことで1時間46分経ったんで、どうしようかな。ちょっと休憩っていうか、今46分ぐらいだと思うんですけど、10分ぐらい間を入れます。その間に聞こえてますとか聞こえてませんとか、なんか雑談したい人はすればいいし。お茶飲んでこようとかトイレ行ってこようとか、そういう人は行ってきてください。ということで、14時55分再開ということにしたいと思います。ということでなんだかよくわかんなかったかもしれないですけども、前半の話をここでいったん切って、後半の話に繋げたいと思います。僕はマイクも画像もオフにしないつもりなので、久しぶりとかこんにちはとか言ってくれる人がいても全然構いません。ていうことで55分まで。あとアメリカの話をします。以上です。いったん切ります。切りますというか、画面もマイクも僕は切りませんけれども、お休みを入れます。[01:40:21]
 谷口さん、聞こえてる? 席を外してますか? えーと、メンツは変わってないですね。僕も画像をオフにしようかなと思ったんですけど、今、今日は、大概僕は会議とかは画像オフにしてて、その間に掃除をしたりとか、何かしてても見えないんで、ヘッドセットつけてるので音も聞こえないはずなんで、すげえ音してますけど、今日は画像がなぜか入ってます。あまり他意はありません。まあ初めてっていうこともあるんでね。うちの院生だったら、[01:41:55]
(雑談・略)[01:44:34]

 松本から2002年に僕引っ越して立命館の教員になったんですけど、それ以来松本にいっぺんも帰ってなくて。そうなんですよね。17年?18年? そうですね、2002年の4月に立命館の教員になって、でもう今2020年の4月5月ですから、18年経って。で大学院が僕が来てから1年経ってからできたんで、2003年からで。大学院ができてからも17年で。その前に松本に7年いたんだが、松本にいっぺんも行ったことがない。ていうかだいたい僕は仕事でしかあの場所に行かないので、松本から呼ばれたことがないので(笑)、松本に行ってないですね。ちなみに僕がいたあと、2代までは社会学者が繋がったんだよね。僕は立命館に行くっつって、最初信州大学のほうは「困る」って言われて、まあ突然言われたら困るだろうなと私も思いましたけれども。まあ立命館のほうも「来い」と、「2002年に来い」と言うんでどうしようかってことになって。そしたら「人を連れて来い」と、「次の人を連れて来い」という話になって、連れて来て。ていうのが今、信州にしばらくいたあと東大の医科学研究所、そこにも社会学者一人しかいませんけれども、に行った女性で、で、あれだ、今度のコロナの専門家会議にも入ってんじゃないかな。時々なんか出てきてるみたいですけど。でそのあと彼女もそれで東大のほうに移っていなくなって、そのあと井口くんっていう社会学者、僕の後輩っちゃ後輩ですけれども、があとを継いでっていうか3代目。信州大学が社会学者を取るってのは僕が初めてで、で3人だけ続いて、で井口くんが3人目で。井口くんはそのあと奈良女子大かな、の教員をやり、彼は専門は認知症の人たち、認知症の家族とか家族会とかそういうので研究があって。今はもう奈良にいなくって、東大に戻ったっていうか移ったっていうか。それで信州のほうも社会学の系譜っていうのそれなりにあったんですが、そのあとなんか公衆衛生の教員になっちゃったみたいで。社会学者はそれで代が終わったみたいですね。という信州昔話でした。[01:47:47]
 はい、そんなこんなで55分になりました。話を続けます。で、みんな、ドイツの話、今回も、2016年の相模原事件の時もまあ優生思想って言葉が出て、まあこう「ナチみたいなことはしちゃいけない」的な話でいろんな人が話したことありましたね。それからまあ今回という。そういう意味で、優生思想って言葉って一般にはあんま使わなかった言葉な気がするんですよ。で僕らはいわゆる障害者運動ってのに関わってる、あの人たちはわりと優生思想、優生思想って言う、二言目には優生思想って。特に日本の運動の本人たちの一部は何かといっては優生思想と言ってきたんで、まあそこで局所的にはメジャーでしたけれども、それ以外ほとんど日常用語としてはまあ、ないっていうか、そういう言葉だったと思うんですが。まあその2016年の、不幸なというかとんでもない出来事をきっかけにちょっとメジャーになった、から嬉しいわけじゃないですけども、かもしれません。そん時も、その「ナチ、ドイツ」っていう連想というか、で言われてるんですけど、今日はアメリカの話をするって言いました。
 これはね、「はあはあ、なるほど」って言ってくれる人と、それを言われてもピンとこない人と両方いるんだけれども、まあそれでもしますわ。『ゴッドファーザー』って映画を見たことある人いますかね? 名画ですよ。素晴らしい映画ですけれども。フランシス・フォード・コッポラっていう、まあイタリア系の移民ですよね、彼の先祖もね。コッポラっていうイタリア人移民の映画監督が撮った3部作ですね。イタリア系の、イタリアもそのシチリアですよ。イタリア系移民の子孫であるコッポラが撮った映画ですけれど、イタリアの中でも田舎、まあシチリア島から来た移民の話。だからゴッドファーザーっていうのは、まあシチリアのある種の習慣を引き継いでるのもあるんでしょうけれども、まあ名付け親ですよね。その地域というか、イタリア系移民の、シチリアからの移民の、こうエスニック・マイノリティーのそのグループっていうかあって、その中のボスみたいな人が名付け親になるっていう、それをゴッドファーザーっていうって、そういう話なんですけれども。
 まあそのイタリア人やって来るんだけれども、既にそこに植民というか、インディアンっていうかネイティブ・アメリカンをやっつけて殺して居座ってる、それこそアーリア人ですよね、もとの、イギリス系というか。まあもともとイギリス系、イギリスから宗教戦争で負けた人たちがメイフラワー号でやって来たのがボストンっていう。そんでまあちょっと下がってフィラデルフィア、ニューヨークっていう、まあそういうふうにやって来て。そんでネイティブの人を殺して、そんでまあ自分たちの国を作るわけですよね。で、そういう国に19世紀20世紀になると、世界中いろんなところから人が新たにやって来るってことになるわけです。でその、それは一つには、ヨーロッパでも南のほう、まあイタリアとか、ギリシャとか、スペインとか、あ、ラテン系って言ったらいいのかな。それからあとはロシア人ですよね。それからあと、まあアイルランド人。どっちかっていうとヨーロッパの中でも田舎っつうか、ま、貧乏なとこですよね。アイルランドなんていうのは、ほんと飢饉が起こってもうじゃがいもしか食うものなくて、じゃがいももなくなって人が飢えて死ぬっていうのの中で、アメリカに移住する。まあジョン・F・ケネディっていう暗殺されて殺された人いましたけど、あれは確かアイルランド系だと思います。でもまあ本当に、あの人も最初ですよね。それまでは全部そのイギリス系っていうか、アーリア系っていうか、ゲルマン系っていうか、そっちが牛耳ってたわけですが。でまあそういう南、それから北、そういう人…、北っていうか西、まあ東ですよね。南、東ですよね、それからまあアイルランド。そういう人たちがやって来る。だけどそういう人たちは先にもう来ちゃっていばってるやつらからすれば、席を与えられない、社会の中でね。まあそういう状態、もう1世紀以上続いているわけですけれども。でそうすると他にやることもないんでっていうか、仕事がないので、まあギャングっていうか。だからたとえば密輸、あ、密輸じゃ、酒の密造ですね。禁酒法があった時代ってのがありましたから、そういうことをやったりなんかして生き延びていく。そういう連中っていうのがまあその、の一部がマフィアっていうのになっていって、そこの中で内部抗争ですよね。血を血で洗うっていうか、そういう抗争を繰り返して、のし上がっていく。その一家の話が3代にわたって繰り広げられる。[01:54:22]
 確かアマゾンプライムっていう、年間費払うとそれ以降、それ以外は1本1本のお金を払わなくていいっていう、アマゾンプライムっての僕は1日中つけっぱにしてるんですけど。今はだめなんじゃないかな。しばらく前までは1、2、3って見れましたよ。
 それの1じゃなくて2に出てくるんですよね。1はそのマーロン・ブランドがボスで、それが撃たれて重傷を負って、それでまあやがて死んでいくんですけど、それの2代目、そやね、アル・パチーノがボスに成り上がっていくと。その時に周りのボスたちを襲撃してみんな殺しちゃうっていう。ま、そういうのが第1話で。で第2話はそのアル・パチーノが自分の弟を殺したりしつつ、キューバ革命にも出会ったりしながら成り上がっていくっていうか、さらに成り上がっていくっていうプロセスと、それからマーロン・ブランドが、こんな話してうける人とうけない人と二極に別れるんですが(笑)、そのマーロン・ブランドが子どもの時にやって来る、子どもからニューヨークでだんだんのしてくっていうか、そのプロセスを、まあ子どもは子役ですけれども、そのあと、まあ、おじさんっていうか若かりし頃はロバート・デ・ニーロがやるっていう、その1代目と2代目の両方がこうちょっとサンドイッチみたいになって、ちょっと複雑な構成になっているのがパート2で。パート3はとか言い出すと、それで1時間終わっちゃいますからやめますけれども、パート2でね。[01:56:16]
 そのパート2の子どもが、やがてボスになってくやつが、子どもがやって来るってシーンがあるんですよ。で、それはその確かシチリア島で、母親が地元のボスを殺しちゃうんですよね。で、すぐにその母親は殺し返されちゃうんですけれども、子どもは逃げる。で、紛れて大西洋を渡ってくるわけです。で、渡ってきて最初に荷揚げされるっていうか上陸するのがエリス島っていう島なんですよ。自由の女神があるところです。だから本土、本土っていうか、じゃないんですね。ニューヨーク港に入る前に、いっぺん島に着く。そこで何をされるかっていうと、まああれですわ。検疫ですよ。【コロナ】(01:57:13)ですよ。でその検疫を受ける。で確かその少年はなんか見つかっちゃって、何か月か上陸するまでにその島の施設かな、に留め置かれるんですけどね。ていうその、感染症話なんですが。
 それでですね、それであとは、それをちょっとわかった人は、『私的所有論』の第6章第4節ってのを見てください。そのエリス島に荷揚げされた人たちが何をさせられたかっていうと、知能テストを受けさせられるんですよ。で、知能テストっていうのは誰がやったかっていうと、アメリカの心理学会、教育学会の会長になるような大物たちが作った知能テスト。これはもともとはアメリカじゃなくて、フランスでビネ(Binet)って人が作ったのがもとになってるんですけれども、IQテストっていうか知能テス…、まあテストをする。けど、だいたいその来た人は来たばっかりで、これいったいどうなるかもわかんない、何をされるかもわかんない、そんで英語もしゃべれない、書けない、という人なわけで、できっこないわけですよね。できっこないんで、知能指数とかになると低くなるわけです。そうすると僕の本の中で引用してますけど、「ロシア人のIQはこれこれで」と、「アイルランドはこうこうで」と、「イタリア人はこうこうで」ってんで、「俺たちの」つまり「アングロサクソンの標準的な人間の半分だとか半分以下だ」とかって話になる。で、「あいつらはその程度な人種である」って話になると同時に、そこで点数取れないと、わざわざ大西洋へ送り返されちゃったりするわけだ。んで、というようなことが実はあったんです。
 ていうようなことをただしゃべるためだけのために、ゴッドファーザーについてのむだな話を数十…、数十分はしなかったか、しばらくしてしまいましたけれども。そういうことなんですよね。そういうことなんですよねってのは、要するに移民の排斥、難民の排斥っていうものと、感染症であったり、あるいは人の能力であったりしたものが絡まされていろんなことが行なわれてきたっていう歴史ってものはあったし、で、今も繰り返されている、というふうにも言えるわけです。それがその大西洋ですね、【西のほうから東のほうに(?東のほうから西のほうに)】(02:00:05)、アメリカのイースト・コースト、東海岸に渡ってきた人たちの話です。[02:00:14]
 で同じ頃、20世紀の頭ぐらいです。ウエスト・コースト、西海岸のほうに目を転じるとですね、今度は太平洋を渡って西のほうから東のほうにやって来た中国本土、朝鮮半島、台湾、それから日本、まあインドもそうですけども、そういうアジアの人たちっていうのがいるわけです。で、その人たちが入ってくる。これはその、たとえば大陸横断鉄道っていうのがあって、まあ西から東に鉄道がわたされるわけですけれども、あん時に鉄道作った人たちっていうのは、まあクーリー(苦力)って、まあ中国語ですね、「苦しい」って書いて「力」って書いてクーリーって読むんだそうですが、まあそういう人たちは、ほぼ人身売買みたいなかたちで連れて来られたって人たちもいたと言われています。そういう人たちもいれば、まあ日本にしても何にしても、一獲千金というか、まあ今の生活よりはましになるだろうってことで、カリフォルニア州、そういうところに渡ってきた人たち、そういうのがいる。っていう時代ですよね。で、その人たちも人種的に劣等な人種であるということで、その証拠は「知能テストでこれこれしかじかである」というようなかたちで、排斥すべし、排斥されるっていうようなことが起こります。これは黄禍論って言って、これは歴史の教科書にちょっと出てくるかな? 黄色い禍(わざわい)ですね。黄色いっての要するに、まあ黄色い人たちですよ。日本人であり、中国人であり、韓国朝鮮の人たちであり、っていう人たちですね。で、これはアメリカの場合だと移民法って法律になって、それはどういう仕掛けかっていうと、何年の人種構成の比率に応じて移民を受け入れると。つまり先乗りしちゃったその人たちですね、っていうのが一時期いっぱいいたわけだから、そのあとイタリアであったり、アジアからであったりした来る人たちが昔は少なかったわけだから、その少なかった時代の人口比率を維持すると。ね。そういうかたちで制限するということをやるわけですね。これは移民制限です。[02:03:09]
 それからもう一つはその断種法です。で、どういうことするかっていうと、これは州ごとに法律が変わったりするんですけれども、まあしかじかしかじか、これはかなりいいかげんな法律で、まあ日本の優生保護法もけっこういいかげんなんですけれども、ヤク中であったりアル中であったり梅毒であったり、まあ精神障害、そういうこともひっくるめて、それと遺伝が関係あんのかって、まあないわけですけれども、断種、まあ種を絶やすってことですよね、断種っていうのは。まあそういう法律によって規制するっていうことをします。でこれは、じゃあその第2次大戦、1945年に戦争が終わるわけですけれども、その時にはなくなってるかっていったら、そんなことは全然なくて。州によっては1970年代までアメリカでちゃんとそういう法律はあったということですよね。
 で何を言いたいかっていうと、まあ一つにはドイツのようなというか、野蛮な狂信的なリーダー、まあヒトラーとかいてですね、そういうことが一時的に突っ走った極端なというか、いうことではなくて、それと一緒、それと戦争したアメリカ合衆国にしても、むしろドイツに先んじるようなかたちでやり、で、もう長いことそういうシステムを維持したということのほうがむしろ大切。だからその狂信的な狂ったというか、うーん、そうですね、野蛮なやつらが一時的にやったことっていうよりは、もっとこう根を持ったというか、平常な、平常心でというか、行なわれた、行なわれて来た出来事だってことのほうが重要というか、ある意味恐ろしいというか、そういうことであろうっていうのが1個と。
 そしてそれは、今の移民・難民の問題であったり、感染症をめぐる排外主義というか、にも関係したり。そしてなんか移民・難民っていうと、今やその日本人や中国人や韓国人は関係なさそうな気が一瞬したりするわけですけれども、たとえばその戦前においては、まあその人たちもまた、われわれもまた排斥の対象になったと。でそれはまあ言葉を継げばですね、そこにあるアジア人蔑視っていったものは、第2次大戦中の日本人移民が強制収容所に収容されたり、あるいはまあ他の国には行なわれなかった、まあ非戦闘員ですね、一般市民を対象とする空爆であったり、原子爆弾の投下であったり、ということにもまあ関係はするんでしょう。おそらくというより、まあ確実に関係してるんだろうとは思います。という話にも繋がってきますよっていう話をしました。[02:06:28]
 で、ここで一つ思い出したことがあって。さっき助産師として、そういう仕事をしてるって人がいたので、それでちょっと思い出したんですけど。ちょうどその松本にいた時に、この話はたぶんね、専攻科、つまりこれから助産師になろうっていう人の何とかっていう、家族社会学だったっけな、なんかそんな科目があったんですよ。で、その時にお話ししたような気がしますね。でもこの話はさすがに脱線しすぎな気がするんですが、しましょうかね。
 あとで、さっき言ったわれわれのホームページの中を検索してください、というので言いましたけど、それを検索するので、『助産婦の戦後』っていう本があります。これは大林道子さんっていう人が書いた本で、もとはと言えば…、そうか、彼女はカリフォルニアですね、さっき言ったその西海岸の大学院にちょっと行ってた時期があったらしくて、そん時に日本の助産師の話を聞かれて何も答えられなくて、だめだなと思って日本に帰ってきたと。それでその助産師の戦後史を調べ始めて、っていう歴史らしいんですよ。僕はお会いしたことはないんですけれども、本3冊ぐらいあって紹介したことがあるんですよね。『看護教育』って雑誌だったと思いますけど。で、僕はあんまり人の書いたものをほめない人なんですけど。いや、いい本だったらほめますけど、いい本があんまりないのでね。あんまりほめない人なんですけれども、『助産婦の戦後』っていう本、これはほめてます。今日せっかく大学院なんてとこに来て、看護とか助産とかそういうことについてちょっと勉強しようって人は知っといていい本だと思います。まだ出てると思います。勁草書房っていう本を絶版にしない出版社から出ているので。すぐ本を絶版にしてしまう岩波書店とかは違って、あると思います。見てください。それは日本のね、助産師の戦後の話なんですけど、どうしようかな、この話すると30分ぐらいかかるんだよね。でもしましょうかね。たぶん今日僕が話す気になんなきゃ一生みなさん聞かなかった話だし、知らない話だと思うんで、します。[02:09:38]
 その大林さんの『助産婦の戦後』って本の中に、アメリカの話がちょろっと出てくるんですよ。それはですね、アメリカの助産師というか助産っていうものが、いかにして医者たちのコントロールのもとにおかれるようになったかっていう話なんです。これはタネも仕掛けもあってですね。助産っていうのはミッドワイフ(midwife)って言いますよね。ミッド(mid)って、たぶん子どもと母親を仲介するっていうような意味なのかな。ミッドって真ん中のっていう。で、ワイフ(wife)って、ミッドワイフっていいますけども。そういう人たちっていうのは、いわゆるその男性中心の医者、医療っていうシステムとはもともと別にあったっていうか、そういう性格のものらしいんですよね。ですからアメリカ合衆国というか北米においてもそんな感じだったと。ところがですね、そのミッドワイフというのは産むのを助ける仕事であると同時に、中絶を助けるというか、に関わるような職業だったわけです。それで…、ああ、だんだん思い出してきました。それでですね、じゃあそれは何がさっきの話と関係あるかっていうと、こういう話なんですよ。要するに、もともといる、そして自分たちは立派だ、偉いとも賢いとも思っている人たちと、それからあとからやってくるアジア人であるとか、南ヨーロッパであるとか、そういうね、スラブ系であるとか、そういう「出来の悪いやつら」がどんどん入ってきて、アメリカにね、「わがアメリカ」にどんどん入ってきて、そいつらの人口の割合が増えていくと、どんどん出来が悪くなっていくと。で、優秀な自分たちの地位が脅かされるかもしれないと。そういうようなことをワスプ(WASP)って言いますよね。ホワイト・アングロサクソン(White Anglo-Saxon)ですけれども、そのワスプの連中っていうのが危惧を感じる。そういう時にどういうふうに言うかっていうとですね、「ああいう出来の悪いやつらは生殖率がいい」と、「子どもをやたらにたくさん産む」と、ね。だから入ってくる人数だけじゃなくて、やって来てから増えてしまうと。ていうことによって自分たちが脅かされるという、そういうことを懸念するわけです。そん時に、中絶をする仕事に就くミッドワイフですよね、産婆さん、助産師っていう連中が中絶に関わってしまうがために、優秀な自分たちの子孫っていうのが残されないと。というか割合が減っていくと。ていうことで、そういうヤミ、ヤミっていうか、だから勝手に自分たちで資格を作ったんで、資格を作ると同時にヤミになるんですけれども、これはまあ日本でも起こったことですけどね。
 あ、ちょっと今、大丈夫ですか? 大丈夫ですか? あ、ちょっとやばい。[02:13:01]
(しばらく無音)[02:13:43]
 もしもーし。はいはい。マイクのミュートを今、解除できましたね。聞こえますか? OK?
 なんか今いったん切れたかなんかだと思いますので、再度入り直しました。今見てるかぎりでは、まあ入れてるのかなと思いますけど、ちょっと前まで切れてましたかね? 
 要するにアメリカのワスプの連中が、産婆さん、中絶する人でもある産婆さんをこう疎んず…、敵視しだしたと。そういうことがあって、資格を作り、医師のもとに助産ってものをコントロールすると、いうかたちで中絶を制限する。そのことによってワスプの人口の割合が減ることを防ぐ。そういうことをしたっていうんですよ。で、その話が大林さんの本に書いてあって、へえって思ったんですよね。実はそういう意味で、その北米というかアメリカでできた、医師のもとに管理される、統率される、制御される助産というモデルっていうのが、今度は日本の戦後に入ってくるんですよね、GHQと。ほんで日本の産婆さんたちは、日本助産婦協会ですね、はそれに抵抗するんだが、看護協会のほうはGHQのほうについて、みたいな。そういうちょっと生臭い話があって。それを調べて書いたってのが『助産婦の戦後』なんですよ。これは名著です。あんま人の本をほめない私は、この本はほめることにしてるんです。
 そうなんですよね。何年前の本だろ。ずいぶん前の本ですよ。それは日本助産婦協会の1940年代にそうした活動に関わった人たちに、いちいち電話帳を調べてね、それでインタビューして、それで書いた本なんですよね。当然それが30年前とかですから、あの本の中に出てくる助産師さんたちは、おそらく一人も現在生きておられない。
 この頃よくうちの大学院生に言うんですけど、人の話ってものはね、そういう聞ける時にしか聞けないんだと。研究ってものはそういう時を逃さず、できるだけ逃さないようにがんばって、追っかけて調べることを調べなきゃ、みたいなことを言うんですけど、まあそれを本当にリアルに最初に思ったのは、その大林さんの『助産婦の戦後』かなあと思います。[02:16:53]
 そういうことで、さて、よけいなって言えばよけいな話をしましたが、まあその、ちゃんとした…、いやいや、ちゃんとした話なんです、これはね。実は優生思想のメインストリームの話なんですけれども。ちょっと「へえー」っていうか、こうなんか傍流っていうか、そんな話をあえて今日はしました。なんとなく、こういう話をしようと思って、看護の学生にしようと思って、その話を、ちょっとアンバランスなんだけど『私的所有論』ていうタイトル見た時に、そんな話なんか書いてあるって誰も思わない本の第6章に入れたのは、そういうこともあったんですよね。で、ちなみにそれの話の続きとして、第9章っていうのが出生前診断の話になってるっていう、まあそういう仕掛けなんです。
 で、そうだなあ。もっと普通の優生学の歴史っていうのをもし知りたければ、優生学っていう、われわれのホームページのコーナーにありますけれども、『【日本の優生学(優生学と人間社会?)】(02:18:11)』だっけ、ていうのが新書、【中公新書(講談社現代新書?)】(02:18:15)だったっけ、新書で出ていて。それは今回、副学長で忙しいっつうんで、俺だって忙しいわいと思ってるんですが、やればいいって言った松原洋子さん、その他何人かの人が、日本の主に戦前の話ですね、日本だけじゃないですね、日本の話を松原さんがしてるってことか、そういう本が出ているので。まあ、スタンダードな本としてはそうしたものを見てくれればいいと思います。[02:18:49]
 さて時間的には15時26分で、たぶん1時から始まって、10分休みだと16時10分までやればいいんだと思います。ということであと40分ぐらい、40分強って感じですね。
 この話の続きがあるかっていうと、もちろんあるんですけれども、まあそれは実はみなさんに、安くなった『私的所有論』って本の中に書いてはあります。ただですね、一応だんだん40分ね、まとめというか次に繋げようとするとですね、一つ、実は戦後、この優生思想ってものが悪いものだって本当に思われてた時期がどれほどあるだろう?っていうのが、けっこう僕はあやしくて。だって、優生保護法って法律が1947年48年っていうかたちでできますけど、あれ作る時はみんな、いいもんだと思ってたはずですよ。ほぼほとんどの人が。で、それが50年以上続くわけでしょ。それがようやくなくなって母体保護法って法律になるんですけど、少なくともそれをやってた間そんなに悪いものだと、誰もとは言いませんけれども、あまり思われてなかったと思うんですよね。でそれが、「いや、やばいでしょ」っていうような人たちもいて。ていうあたりも、この50年間ぐらいっていうのがどんなふうに動いてきたのかっていうのは、それはそれでおもしろいんですけれども、ちょっとやめときます。で、この数年日本で起こってることについては、われわれのサイトの中で「優生~母体保護法・不妊手術 2020」っていうページから行けば、2019年のことも18年のこともわかるようになります。
 ちなみに、不妊手術を強制的に受けさせられて、それで嫌だっていうか、それを規定していた法律が一応なくなって…、ちなみにそのなくなったことには世論ってあまり関係なくて、僕の知人なんですけども、安積遊歩(あさかゆうほ)ってのがいてね、これもホームページで検索すれば出てきます。僕より4つ上で、骨形成不全で、身長107センチかな、109センチかで、年とったんでもっと縮んでるかもしれませんが、女性で、安積ってのがいるんですよ。安積ってのはね、「安い」って書いて「積む」って書くんですよ。安積疏水ってのどうやら福島にあるらしいんですけど、その関係らしい、関係あるのかもしれません。「あづみ」じゃなくて「あさか」ゆうほっていうのがいて。それが北京かな、女性のまあ代表っていうか問題を、集中的にっていうか国際的に議論するような会議に出て行って、「私たちの国にはお恥ずかしいことに強制的な不妊手術を正当化する法律がいまだにございます、あります」と、ていうような話を吹聴してきてですね、宣伝してきてですね。それで「え?」みたいなことになって。「え?」ってほどなのかな。実はその、じゃそれは日本が本当にそんなに特異かっていうと、そうでもなくて。さっきアメリカにも1970年代までそういう法律がある、あったとこがあったって言いましたし、それから北欧でもあったんですけれども。まあとにかくそれで国際世論っていうかそういうものに負けてっていうか押されてっていうか、優生保護法がなくなったって経緯があるんですが。
 とにかく優生保護法がなくなって母体保護法になって、でそれで、まあそれを機会にというか…、「実は私も不妊手術を受けさせられた」っていう話を知ってる人は知ってたんですよ。もう20年ぐらい前です。それで、それを社会的に問題にしなきゃいけないっていうことを言ってたんです。それには学者っていうか研究者も一定関わりました。さっき言った、新書で優生思想のことを書いた松原洋子さんと一緒に書いた市野川容孝っていう、それも僕の古い知り合いですけども、今東大の教員やってますが、彼なんかもそういう民間の団体っていうかな、そういう国の責任を問題にしなきゃいけないと、この問題を社会的に明らかにしなきゃいけないと、責任を追及しなきゃいけないっていう活動はずっとやってきたんです、10何年やってきたんですよ。ただ、それをやっぱり本人的に言いたくないじゃないですか。まあ知らないって人もいます。「なぜか子どもが産めないんだけど、なんでだかわかんなかった」っていうね。わけわかんないままやられてっていう人もいれば、「わかってんだけれども、そういうことは言いたくない」って、まあもちろん当然言いたくないですよね。っていうことの中で、まあ言う人が現れなかったっていうことの中で10何年の時が経ち。「うーん、どうにもなんないね。なかなか難しいね」って話をその市野川とかとしていた、それが記憶に間違いなければ、2017年ですけれども。仙台にですね、自分のこと言ってもいいと、言ってもいいっていうか、それで裁判に持ってってもいいっていう方が現れて、僕その人と話(はなし)したことありますけども。で裁判になって。そうすると、マスメディアってそういうもので、あまり責める気にはなれないんですけれども、一変というか、メディア、新聞社であるとか、テレビであるとか、そうしたものが取り上げるようになって。それで全国にぽつぽつと、九州も関西も、そういう裁判に訴えるっていうかな、そういう人たちが出てきて。まあいわゆる救済に関わる法律ができたり、裁判が進むというようなことが起こったのが、まだ始まって3年4年ですよ。で、しばらくはわりとメディアのワールドでも、京都新聞なんかはかなり熱心にやってくれましたけれども、メディアが報道したり、それから裁判が行なわれたりしたんですけれども。[02:26:54]
 どうなんだろ? この話って、たとえば看護の教育を3年4年受けて、今大学にいる人たちってのはどの程度…、いやたぶん全然知らないってことはないと思うんだよね。どのぐらい知ってるんだろな?っていうようなことは思ったりします。いや、うちの大学院なんかに来る医療とか特に関係ない人、まあまるっきり知らないんじゃないかなって思うので、まあ話すようにしてるんですけども。そういうことがあります。
 で、それでですね、この話あとしばらくしてやめますが。で、それどういう問題か、あるいは何を問題にされたかって言えば、まあ一番わかりやすいのは二つですね。とんでも科学というか、えせ科学というか疑似科学というかによって迷惑をこうむった人たちがたくさんいたっていう。まあ間違いであったと。間違いをもとに出来事があったということ。それからもう一つは、無理矢理やらされたっていうこと。大きく言えばこの二つだと思います。
 で今、損害賠償であるとか…、でも損害賠償っつってもね、お金がうんぬんってわけでもないんですよ。要するに民事裁判ってのはそういうふうにしか争えないので、民事の場合はね。国賠、国家賠償にしても賠償ってことになる。まあだからってことになる。まあとにかくその裁判に訴える時に、同意なく、いわゆるインフォームド・コンセントってやつですよね、同意なく、無理矢理、強制的にさせられたと。そのことに対して、それを問題にするというのが一つと。もう一つは、嘘をもとにとんでもないことをさせられたということと、二通りなわけです。[02:29:10]
 で、嘘のほうからいけば、まあ今回のコロナのこともどこまで嘘がっていうのが、今後のことも含めて流通するかってことなんですが、まその話は専門家というか知ってる人に任せますけれども。まあ、たとえばその人種、たとえばその日本人、中国人、韓国人、黄色いやつらは白人よりずっと劣るっていう話であるとか。まああとは、特にアメリカなんかの場合典型的なのはブラックですよね。あ、イエローもそう、イエローも。赤い、レッドもそうですけれども、そういう人たちってのは人種的に劣るっていうような類の話。それからユダヤ人がっていうような話。ていうのは、まあいわば、言えば根も葉もない嘘というか、であったと。ただ、根も葉もない嘘だっていうところは実は微妙で、70年代になっても80年代になっても、かなり有力な生物学者であるとか、心理学者、教育学者が「いや、差はあるんだ」ってことを言い、でもそれが議論になったってことはあります。でその話も僕の『私的所有論』では第7章かな、にIQ論争ですね。「黒人のIQは白人より低いのか?」論争みたいな話なんですけれども、そういうことは、実は第7章で取り上げたりしています。だから前半の難しいややこしい話を飛ばしても、僕は学生たちに…、前半の話も本当は難しい話じゃないんですけれどもね、まあ6章と7章の本当に一部だけしか話しませんでしたけれども。第6章の第4節と、第7章のIQ論争みたいな話はした記憶があります。だから嘘は嘘なんですよ。で、嘘にもとづいて散々なことがされたってのも事実なので、嘘をついちゃいけませんと。嘘にもとづいてやっちゃいけませんっていうのは、それはその通りなんですよ。[02:31:29]
 しかしですね、問題は、本格的なというか、ややこしいのは、「嘘じゃなかったらどうするか」っていう話なんですね。で、嘘じゃない部分もあるわけです。これね、今日講談社のサイトに出ている私の連載の第3回ってところにちょろっと出てきます。どういう話かっていうとコロナの話で、医療の、病院勤めの人であるとか、福祉施設に勤めてる人であるとかっいうのが差別されて、子どもが学童に行けないとか、学校に行けないとか、タクシーに乗れないとか、そういうことが起こっているわけだ。起こってきたわけだ。その話に実際ちょっと触れてるんですけどね。僕のところの大学院生も実は、年齢層はこちらの大学院の年齢層よりもだいぶ上かなと、窪田先生をはじめですね、かなと思うんですが、看護の学生、意外といっぱいいるんですよ。意外とっていうか、十分にいっぱいいるんですよ。いすぎるほどいっぱいいるんですけど、いや、そんなことはない、いすぎるってことはないです。いるんですが、今、東京とかでバイトしながら、けっこうコロナでばたばたっていう看護師の院生とかの話聞いたりして、「ああ大変だな」って思うんですけれども。ま、それはそれでちょっとおいといて。医療者、医療に関わる、あるいは障害、ま、感染者、感染のおそれが高い、実際感染してる人もいる、そういうところにいる人たちが差別されてるってことはある。これとさっきの優生学の話と何の関係があるかというと、関係があるんですよ。つまりその人たちがその根も葉もない偏見、流言飛語、フェイクニュース、そういったものによって、単なる嘘にもとづいて差別されているかっていうと、そうでもないわけ。そうとも限らないわけですよ。つまり実際に感染者が出たり、なんやかんやっていう。あるいはリスクが少なくとも一般人より高い職場に勤めている、勤めざるをえない、そういう仕事に就いてる人たちっていうのは、そのリスク、確率っていう意味で言えば、まあ高いっちゃ高いわけですわ。そういう意味で言うと、根も葉もない話ではないと。「根も葉も【なかったら(?ない話でなかったら?)】(02:34:28)差別していいのか?」っていう…、「いけない」と言いたいけれども、「じゃあできるのか?」って話なんですよね。これなかなか難しい話ですよ。まあしちゃいけないんだ、基本はいけないんだって言ってるわけですけれども、私はね。と思ってるわけですけれども、そういうことがある。
 で話を戻すと、たとえば出生前診断っていうのは、今のターゲットっていうのは基本的にダウン症です。21番のトリソミー、染色体の21番が2本じゃなくて3本ある。これは今の高度なと言われているものじゃなくても、染色体検査で簡単にわかるわけですよ。それからいろんなやり方がある。それはもう一切パスですけど。そうするとこれは確実にわかる。で、ダウン症で、そういうこと言うとね、ダウン症でも大学に行く人はいるだとかさ、まあそういう話になるんだけれど。ま実際そうですよ、実際にそういう人はいます。いますけれども、ダウン症になる、トリソミーの人がダウン症になるってことは明らかで。で18番なんかだと、状態としては重度、もっと重度のね。で21番の人でも、まあ多くの人が知的の障害をもつってことは、まあ少なくともダウン症になるってことは100パーセント確実で、そして知的な障害であったり、内臓に障害をもつってことは確率的に非常に高いと。そういうことになるとですね、嘘八百だと、優生学は、優生思想は、っていうふうには言い切れない。言い切れないっていうか言えないわけですよ。ていう時に、じゃあ何をしていいのか、しちゃいけないのかっていう話なんですよ。問題の本体、ボディはね。むしろ、嘘こくなっていうのは、当たり前っちゃ当たり前の話で。ややこしいというか、難しいし本当に考えなきゃいけないことっていうのは、そうじゃない、嘘じゃない場合にどう考えるかってことですよね。
 ちなみに障害学会であり、それの、まあそれが流れを汲むかどうかわかりませんけれども、日本のその人たち、70年代ぐらいの人たちっていうのが「優生思想だめだ」って言った時に言ってたのは、必ずしも「嘘つくな」って話じゃないのね。自分たちは、遺伝ならいいかもしれないけど、たとえばそういうこと言ったの脳性まひの人たちで、脳性まひは基本、遺伝ではないですよ。遺伝ではないけれども、まあ先天性ではあると。遺伝子検査でわかったもんじゃないけれども、でも遺伝子検査でわかるような人たちも含めて、まあ障害をもつ自分たちっていうのを差別すんなっていう【おごと】(02:37:24)を言う時に、優生思想って言葉を使ったっていうことです。これが一つですよね。[02:37:30]
 もう一つは、その強制って話ですわ。強制的に不妊手術をさせちゃいけないっていうことに関しては、今や多くの人々が、渋々かどうかわかりませんけれども、まあ同意すると。ただね、これも本当にみんな同意してるかって言えば、どうかなっていうところがあって。まあその話もしだすと暗くもなるし、えぐくもなりますけれども。一応だめだってことにしときましょう。だめだっていうふうにみんな思ってるってことにしときましょう。だけれどもですね、たとえば出生前診断っていうのを考えてみると、そうした時に、もちろん強制的な出生前診断、強制的にさせて、んで堕ろさせるっていうか、受精卵の段階であったり胎児の 段階であったり、まあ堕ろさせるっていうこともあるわけですけれども、もちろんみなさんご存知のように、今どきの出生前診断、そして選択的中絶、セレクティブ・アボーション(selective abortion)ってものは、ほぼ自発的な、妊婦というかあるいは関係者というかそういう人たちの意思によってなされていると。そういう意味で言えば、少なくともそれを検査を受ける人に対する強制はないっていうふうに、とりあえず言えるわけじゃないですか。むしろ自己決定によってなされているってことになるわけです。そうした時に、「であれば問題ない」っていうふうに割り切っちゃうって考え方がまあ一つです。
 で、生命倫理学っていう、学問っていうか何て言うんですか、まあ学問でしょうね、バイオエシクス(bioethics)という学問はあって。生命倫理学会って学会もあって、僕も一応会員で。なんか行くたびにげんなりして帰ってきてるので、もうやめようかなと思うんですけど、こともあるんですけれども。昨日までに会費を払わないとなんか権利が失われるっていう最終通告が、昨日じゃない一昨日ですね、4月の30日に来て。うーん、しばし考えたうえで会費払いましたけど。まあそういう学会もあるんです。もちろん学会ですからいろんな考え方の人がいて、だから議論があり、論戦というか論争が起こるわけですけれども。ただそのメインストリームっていうのかなあ。ま、日本はとはあえて言いませんけれども、欧米っていうのもざっくりした言葉になりますが、に関して言えば、まあ日本語で言えば自己決定ですね。それで、英語で言えば、英語で自己決定ってあんまり言わないんだと思うんですよ、実は。ま、セルフ・ディターミネーション(self-determination)っていう言葉は一応あります。だけどこれはね、たとえば民族自決権ってわかります? その民族、ネーション(nation)っていうか、民族民族が、たとえば自分たちのことは自分たちで決められるっていうような話ですよ。植民地支配から独立しようみたいなことが1950年代ぐらいに起こるわけじゃないですか。もっと前からあるけどもね。の時に民族自決権っていうのが標語になった時に、セルフ・ディターミネーションって言葉がありました。だからセルフ・ディシジョン(self-decision)って言葉もあることはあるんだと思います。ただあんまり、実は使われなくて、オートノミー(autonomy)っていうね、まあ自律っていう、「自ら」を「律する」っていう字があてられることが多いですけど、そういう言葉は多いですけど。まあメインストリームは「まあいいんちゃう? それで」っていう、「本人がいいって言ってるんだったら」っていう、まあそういう話ですよ。で、それでいいのか?っていうのが、まあ私の長年のテーマです。だから「目に見える強制じゃなく、間違いでもなく、自分で決めるっていうんであれば、みんなOKなのか?」っていう。煎じ詰めれば優生思想の問題ってのはそこに帰着する、ということになるんだろうと思います。で、私がその考えてきたのは、まあ出生前診断っていうのは、今言った意味で言えば、少なくとも母親は強制されてはいない、のが普通なわけですよね。じゃあこれどう考えたらいいのか?ってのが第9章ってことになります。[02:43:16]
 これはいつ頃考えたんだったっけな? 1990年代の頭ぐらいに、僕が千葉大にいる頃か、そのちょっと前ぐらいでプータローしてる頃か、学術振興会の研究をしてる頃か、なんかそのへんですね。オーバードクターっていうか、ドクター終わってプラプラ…、プラプラしなかったですけど、忙しくバイトしてましたけど。その頃に江原由美子っていう、フェミニズムに関することをちょっとでも勉強してる人だったら名前ぐらい知っとかなきゃいけない、まあただのおばちゃんっていう感じもしなくもない、でも私は好きな、好きっていうか(笑)、いい感じの、ちょっとぼーっとした感じの女性研究者がいるんですけどね。私の大学院の先輩でもありますが。で、江原由美子さんが、何だったっけな、『フェミニズムの主張』っていう、フェミニズムに関する、女性とか男性とかそういうことに関して論争的な、つまり「いい」って言う人もいるし「悪い」って言う人もいると、どっちがいいんだかちょっとぐらい考えてもよくわかんない、そういうテーマについて「いい」って言う人と「悪い」って言う人と両方出てきて議論するっていう本のシリーズを作りたい、みたいな、そういうことを言ってたんですよ。で、私と江原さんと何かの時に雑談つうか何かしてる時に、そんなことだっていう、本を作るって話が先だったのか、出生前診断とか性の商品化ってのが先だったのか、ちょっと思い出せないんですけど、まあそういう話があって。そん時に僕「書きます」って言っちゃったんですね。「出生前診断についてちょっと書けると思うんで、書きます」って、80年代の2年とか3…その頃に言って、そん時はたぶんなんか書けるような気がしたんですよ。何も知らないわけじゃなかった、さっきも言ったけど89年ぐらいから看護学の専門学校で授業とかもしてたし、それはどういう技術であるのかとか、どういう人がいいって言ってて、どういう人が反対してるのかってことも一応頭には入っていた。で、まあ書けるかなと思って書いたんですけど、俺がちょっとやっぱえらいことしてね、90年代、92、3、4ぐらい。で、論文も書いたけど、でその江原さんの編集の『フェミニズムの主張』っていう本に載っけてもらった文章書きました。けどもこれは非常に難儀で、僕はなんか非常に筆が早いっていうか、さっさと字を書く人のように思われていて、そんなことはないんですよ。一日中字を書いているので、ようやく書けてるだけで。そんなに早くはないんですけど、もともと。そん時は本当に遅くって。1日何百字も書けないっていうような感じで、ずいぶん時間がかかってっていうか、なんか大変でした。大変ていうか困りましたけれども、書いて。さらに考えて書いたのが『私的所有論』の第9章ということになります。[02:47:04]
 で、出生前診断って言葉は章のタイトルに出てこないですね。「正しい優生学とつきあう」っていう章のタイトルになってます。で、ここの章だけでたぶん普通の本だったら、少なくとも新書だったら1冊分ぐらいのサイズがあると思いますけれども、正しい優生学っていうのはさっき言った、乱暴でもなく間違ってもいないそういう優生学があるとしたら、あるんだけれども、それはどう考えられるのかっていう、まあそういう話ですね。
 で今日、まあ次回の3時間何しゃべるかまだ何にも考えてなくて、その話をあんまりしたくないんですけど、するかもしれませんが、その話の続きはそこでしてます。長いですけど、そんなに間違ったことは書いてないと思うので、まあ読んでいただければ幸いです。
 で、僕は97年に出生前診断のことを書いて「もうこりごりだ」っていうか「もういいわ」と思って、「もう書いたし」とか思ってね。で、97年に本が出て、そん時に、どこだったっけなあ、原稿の依頼を受けるようになって。やっぱ本が出て、多少とも読んでいただけるようになって。最初はこの本誰も読める…、僕も含めてですけど、読まれると思ってなかったみたいで。まあ6千円だしね。最初は9千円って言われたんですよ。9千円で本買うやついるかと、いるはずねえだろと思って、まあとにかく「分量減らす」って言ったんですよね。本当に減らしたんです、これ。減らして9分の7にして、「じゃ7千円ですよね」って勁草書房のほうに言って。分量っていうかページ数をとにかく減らしたんですよ。ほんで9分の7にして7千円にして、ほんで「本1冊売れたら千円払う」っていう。印税をもらう、つまり収入はゼロはもちろんで、そのうえに本が売れたら千円払うっていう契約にして、で6千円にしてもらって、ていう本だったんです(笑)。ほんで蓋開けて、意外とというか読んでいただけて。で僕は献本も含めて200万か、もっとかな、借金から始まったんですけど。ちゃんと借金返せて。ていう本だったんですが(笑)。んなことはいいんですけれども、そういう本の話のほうがおもしろいんだよね、聞いててね。
 まあその本なんだが。でそんで本多少読んでいただけて、で原稿の依頼が来て。最初の依頼ってのが「出生前診断について書いてください」っていう本だったんじゃないかな。『仏教』っていうね、今はもうそういう編集方針じゃなくなりましたけど、いろんなテーマをけっこう野心的にやってた時期があって、『仏教』って雑誌が。ほんで「書いてください」って言われて、「もうこりごりだ」と、「もう書いたし」とか思って、ほんでまあもちろんというか、「前から気にはなっていた安楽死・尊厳死のことについてだったら書きます」っていう、「わかりました」ってことになって、書いたのが98年ぐらい。98年ぐらいに、ぐらいかな、98年にその『仏教』っていう雑誌と、それから『現代思想』っていう雑誌と、それから『ヒポクラテス』っていったと思いますけど、医学生向けの医学部受験のための受験雑誌みたいなのが前あったんですよね。それのインタビューみたいなのにたてつづけに答えたのがあります。[02:51:02]
 で、この安楽死・尊厳死っていうのも、ナチスがやったみたいなやつは普通は、定義的には安楽死じゃないですよ。ただの人殺しです。そうです。それを安楽死って言ったんで、安楽死っていう言葉の評判が悪くなってっていう。だから安楽死って言葉は日本人は、とかね、あんまり使わないようにしようっていう話になったっていう、そういう歴史的経緯があるんですが。でまあ、日本ではおんなじことをやっても尊厳死って言おうみたいなね、安楽死と尊厳死は違うとか、そういうややこしいっていうかどうでもいい話は私の本にちゃんと書いてあるので、見てください。
 とにかくその安楽死、ユーサネイジア。これでようやくこの講義の最初に出てきたユーサネイジアって言葉と繋がりますけれども。ユーサネイジア。あるいは尊厳死ですね、デス・ウィズ・ディグニティ(death with dignity)っていう。その話について『私的所有論』ではあんまり書いてない。書いてないことはないんですけど、書いてない。ていうことで、次はこれかなと。でまあ、結局そういう暗い話をして、僕それ90年、97年、98年ですから、それでもう20年経ってしまうわけですけれども。時が経ってしまったと。でも世の中あんまり変わんないかなっていうか、そんな感じですね。で、ちなみに、そのユーサネイジア、安楽死も、定義的にはナチがやったみたいな安楽死とは普通、学問的にはというか、呼ばれないものではない、普通っていうか正しい意味でのユーサネイジアっていうのは、他人に指図されず無理強いもされず、自分が決めて自分で死ぬことっていうことになりますから、うん、無理矢理でもなく、そして、あ、たとえばね、こういうこと、間違ったインフォメーションですね、インフォームド・コンセントの前提になるインフォメーションが間違っていて、実は死なないのに死ぬとか、死ぬのに死なないって言われるとか、え、なんだ、どっちだろ? ま、いいや。そういう間違った情報にもとづかない自発的な行ないってのが正しい安楽死ってことになりますから、先ほどの条件にかなってるわけです。それは普通は、だから優生思想っていうのと、優生思想っていうのは普通はあれなんですよ。生まれる方面なんですよ。ま、でもたぶん英語的にはそうだと思います。生まれる方角ですね、生まれる、産まさせないっていう話なんで、その安楽死、優生思想っていうのは、ちょっと日本独特的なところが若干あるんですけどね。若干ですよ。あるんですけれども、でもその無理強いではない正しいインフォメーションにもとづいた行ないっていう意味で言えば、まあ正しい優生思想というか、にもとづいたとも言えるし、ということになる。そして、その生命倫理学、バイオエシクスの、多数決とるっていうもんでもないですから、どのぐらいの人が、ってことになるってわかりませんけれども、まあメインストリーム、大きな勢力っていうのは「いいんじゃないの?」っていう、そういうことですよ。オートノミーっていうのがもう旗印っていうかな。
 で私はじゃあどう思ってるかっていうと、出生前診断のことは第9章に書き、それから98年以降を安楽死・尊厳死について書き。さっき言った98年、99年、2000年あたりの文章は、『弱くある自由へ』という本が、2000年ですね、ちょうど20年前に出たんですけれども、そこの最初の3章、1章2章3章がその話です。つまりその当時書いたものを再録したものになっています。よろしかったら読んでください。初版はなくなっていて、第2版を昨年同じ、これは同じです、第1版、初版も青土社、第2版も青土社ってことで出版していただきましたので、今は新版、増補新版ってふうになってますけど読むことができます。
 基本的に私の考えはその20年変わっていません。同じふうに思っていますし、それが間違っていないというふうに思っています。ですが、だから2000年で終わったはずなんだけど、なんでだろう? 2008年2009年かな、2007年2008年かな、『良い死』っていう本と、『唯の生』っていう本と、これは筑摩書房から出てるんですけれども、2冊書き。2012年に『生死の語り行い』っていう本を、これは有馬斉さんっていう今、大阪じゃない、横浜市立大学の医学部で、生命倫理の教員をしている有馬斉さん、一時期われわれの研究所の専門研究員をしてくださった方ですが、と共著で書いています。これは実は生命倫理学会っていう大会、学会の大会を2012年に立命館大学で行なったことがあり、私はその時の大会長でして、その時に「ちょっとお前ら知ってんのか?」みたいなこの話について、日本であってきたことを学者たちがどのぐらい知ってるのかおおいに疑問だったので、大会に合わせて出版してもらった、っていう本でもあります。
 それから、その2っていうの、実は誰も知らないんですけど、たぶんまだ3冊ぐらいしか売れてないと思うんですが、違うかな、5冊ぐらい売れたかな、10冊ぐらい売れたかな、わかりませんけれども、『生死の語り行い・2』っていうのが、これは電子書籍オンリーっていうかたちで、つまり紙の本はないってかたちで、実はひそかに数年前に出しております。ひそかにっていうか、おおいに宣伝してるんですけど全然売れない。それはですね、「まあいいんじゃないの」ってこと言ってる人いっぱいいるわけです。「ちゃんと説明すれば」とか、「みんなと話し合えば」とかね、「ちゃんと書面に残せば」とか、「チームで相談すれば」とか、まあいっぱいあるわけですよ。そういうことを言ってる人とか、言うにいたった人とか、もっと前にサナトロジー(thanatology)っていうね、死生学か、というもののあたりの始まりの話です。そういういろんな本がいっぱい山ほどあるんですけれども、それを僕は88年の立川高等看護学院のアルバイト以来、なんか集めてるわけですよ。趣味が悪いなと思いながら集めてきて、でそれを並べて、こういう本があるってのを紹介した本です。[02:58:36]
 で、さあ2000年で終わってもよかった話を2007年2008年でなんでしてきたのかっていうのはですね、一つは2004年かな、2005年かな、つうか2004年から2005年にかけて。その時は安楽死とは言わなかったですね。とにかく印象が悪いと、誤解されるということで、日本安楽死協会っての昔あったんですが、その安楽死協会もしばらく安楽死協会でやってきたんだが、名称変更して日本尊厳死協会っていうふうになって、今にいたるわけです。ちなみに日本尊厳死協会はけっこう繁盛しておりまして。うーん、ちょっと頭打ちかな。このままずっと増えるのかな、と思ってたんですけど、ちょっと頭打ちで、ピークより少し会員数が減ってるかもしれません。ていうような感じなんですけれども、それでも会員数10万人ぐらいはいるのかな。そういう団体がずっと日本でも、日本でというか日本でもというか、認めてちょうだいっていう、法律を作ってちょうだいっていう、そういうことをやり。でその、

[音声終了]

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