戦後沖縄史年表
last update:20100818
※数字は月・日の順
【1945】
3−6 沖縄戦
4.5 ミニッツ布告公布(南西諸島に対する日本の行政権及び司法権が停止)
【1946】
1 総司令部覚書により北緯30度以南の南西諸島の行政、日本政府より分離。
【1947】
【1948】
【1949】
10 中華人民共和国成立
【1950】
6 朝鮮戦争
【1951】
3 社大党、人民党 党大会で日本復帰運動推進を決議。
4 日本復帰促進期成会結成(同年6月までに日本復帰要求署名は有権者の72%集まる)
9 対日講和会議
12 北緯29度以北の諸島、日本に返還
【1952】
4 対日平和条約発効
4 琉球政府発足
【1953】
1・10「沖縄諸島復帰期成会」発足
1・17「沖縄諸島祖国復帰期成会」第一回祖国復帰総決起大会
4 「土地収用令」公布(武装兵出動による土地接収続発)
4 社大党・人民党 選挙干渉を契機に植民地化反対闘争委員会を結成。
【1954】
1 アイゼンハワー米大統領 沖縄基地無期限保有を宣言
3 米民政府 地代一括払いの方針発表
4 立法院「軍用地処理に関する請願」(土地4原則)可決
5 マルクス・メーデー
10 人民党事件
11沖縄刑務所暴動
【1955】
9 由美子ちゃん事件(米兵による幼女暴行惨殺)
【1956】
6 プライス勧告
7 4原則貫徹県民大会(那覇/10万人)
7 沖縄問題解決国民総決起大会(東京/6000人)
12 那覇市長選挙、瀬長亀次郎(人民党)当選。民政府、那覇市への資金凍結発表。
【1957】
1 民政長官、軍用地問題に対する最終方針(新規接収、一括払い実施)
6 那覇市議会、瀬長視聴不信任案を可決。那覇市議会解散。
12 18歳未満の少年122名大阪へ集団就職(中卒・高卒者の本土集団就職はこのころから開始、1960年代に入り活発化)
【1958】
1 高等弁務官、教育四法を承認。
1 那覇市長選挙、民連(民主主義擁護連絡協議会=瀬長市長(9月実施)
10 日米安保条約改定交渉はじまる(防衛地域に沖縄を含めるか否かが焦点の1つ)
【1959】
1 祖国復帰促進県民大会(原水協主催/2000人)
6 石川市宮森小学校ジェット機墜落
連続3回の台風災害のため宮古島などの離島に食糧危機・ソテツ地獄
8 自民党沖縄問題特別委員会、対沖縄経済援助強化を決定
11 社会党沖縄訪問団を派遣
【1960】
1 ナイキ反対・沖縄返還要求国民総決起大会(鹿児島)鹿児島から東京へ向けて沖縄返還要求国民大行進出発(→4月28日まで)
4 沖縄県祖国復帰協議会結成
6 アイゼンハワー沖縄訪問に対し祖国復帰要求デモ。
6 日米新安保条約「自然承認」
【1961】
4 祖国復帰県民総決起大会(13名の本土派遣代表を決定)
4 自民党・社会党 沖縄共同視察団派遣決定
6 全沖縄労働組合連合会(全沖労連)結成
6 高等弁務官に招待された国会議員団沖縄訪問
【1962】
2 立法院、アメリカの沖縄支配の国連憲章違反、施政権返還要求の決議、国連の植民地解放宣言を引用(2・1決議)
3 全沖労連、本土並みの給与水準要求統一行動(初めての統一春闘)
3 米ケネディ大統領沖縄新政策:沖縄は日本本土の一部、経済援助の強化
4 講和条約発効10周年、祖国復帰県民総決起大会(数万人デモ)
【1963】
2 A・A連帯会議、アメリカの沖縄撤退と沖縄の日本復帰を要求する決議採択
4 祖国復帰県民総決起大会(二万数千人参加)、初の海上交歓
11 米国防総省、在沖縄米軍の一部に、南ベトナムへの移動を指示
12 沖縄原水協、在沖縄原爆被害者数調査結果報告
【1964】
4 祖国復帰県民総決起大会(3万数千人)、第2回会場集会
6 永積教授渡航実現のための琉大学内総決起大会(全学生参加)
8 8・15海上大会
9 沖縄県労働組合協議会(県労協)結成大会
10 日本社会党、沖縄調査団を派遣
12 復帰協(執行委)、本土社共両党に沖縄返還運動の統一を養成
【1965】
1 佐藤・ジョンソン共同声明(極東の安全に沖縄の米軍基地は重要)
2 米軍 ベトナムでの北爆開始
3 ダナンに在沖海兵隊上陸
3 陸上自衛隊初の「海外」研修を沖縄で実施
4 ベトナム紛争介入抗議県民大会(原水協主催)
4 祖国復帰県民総決起大会(8万人)、第3回海上大会(前年分裂したが、統一される)
5 沖縄でゲリラ訓練の南ベトナム政府軍10名帰国
5 沖縄の米軍用船乗組員に対し、南ベトナム行きの命令、全沖縄軍雇用員労働組合連合会(全沖軍労連)拒否
6 嘉手納基地へ「台風避難」のB52、南ベトナムへ渡洋爆撃
6 日韓基本条約調印。日本各地で抗議デモ。
7 両杜、公明、共産、各党が米機沖縄からの爆撃発進に抗議。琉球立法院は超党派で抗議決議。
8 佐藤首相 沖縄訪問2 在沖海兵隊の航空ミサイル大隊 南ベトナムのダナンに到着
8 反戦青年委員会結成
9 沖縄問題閣僚協議会初会合
11 自民党、日韓特別委員会で日韓条約を強行採決。東京で反対デモ10万人。以後各地で連日抗議デモ。
12 主席公選要求県民大会
【1966】
6 琉球上訴裁、米民政官書簡により2つの裁判の米民政府裁判所へ移送
6 裁判移送撤回共闘会議結成
7 裁判移送撤回要求県民大会
8 ロイター電、南べトナムで米軍が使用のナパーム弾の90%、その他大部分の軍装備品は日本で生産されていると報道。
9 沖縄問題懇談会(総理府総務長官の諮問機関発足、大浜信泉座長ら11人
【1967】
1 立法院文教社会委員会で与党民主党、教公法案を単独採択
2 立法院定例本会議、教公二法共闘会議2万人により中止
2 衆参両院に沖縄問題等に関する特別委員会を設置
2 沖縄民主党、教公二法案審議の立法院本会議強行。デモ隊実力行使で中止させ、実質的な教公二法廃案協定を結ばせる
3 沖縄県祖国復帰協議会定期総会、安保条約廃棄、核基地撤去、米軍基地反対の運動方針決定
7 米デトロイト市で史上最大の黒人反乱(連邦軍出動、全米各地に暴動波及)。
8 コザ市に「コザ生活を守る会」発足
8 新宿で米軍のタンク・ローリー車と貨車が衝突、炎上し、国電1,100本が運休。
8 民社党、沖縄・小笠原の施政権返還方針(本渡なみ)発表
8 公明党、沖縄の本土復帰構想を発表(70年までに施政権の全面復帰、輸送中継基地・通信基地を除き基地撤去)
8 社会党、沖縄・小笠原返還闘争方針決定(即時全面返還、日本国憲法、法律の全国適用、軍事基地撤廃など)
10 社会・公明・民社・共産4野党書記長会談 早期返還要求で合意。
10・8 佐藤首相第二次東南アジア歴訪に出発
10・8 佐藤アジア歴訪に対し反代々木系全学連の抗議デモ(1名死亡)
10 沖縄の復帰問題研究会総会、中間報告(施政権の全面一括返還、憲法の全面適用、米軍基地維持のための住民の権利制限防止等)
10 沖縄の復帰問題等懇談会、中間報告(佐藤訪米で返還時期に目途、沖縄・本土の格差是正等)
11 佐藤訪米に向けた「即時無条件全面返還要求県民総決起大会」(那覇)
11 共産党『赤旗』に論文「沖縄・小笠原の即時無条件全面返還をかちとるために」
11 沖縄・小笠原返還要求中央集会(東京)、反代々木系全学連の処置をめぐり沖縄連と沖実委系が対立して流会
11・12 佐藤訪米阻止の反代々木系全学連、警官隊と衝突
11・12−20 佐藤訪米
11・15 第二次佐藤・ジョンソン共同声明
11・20 日米両政府に対する抗議県民大会(那覇)
12 沖縄問題について本土四野党の共闘くずれる(民社党、共産党を含めた共同行動を拒否)
【1968】
1 「エンタープライズ」佐世保に入港
2 沖縄問題等懇談会大浜信泉座長の私的機関「沖縄基地問題研究会」発足
2 金嬉老事件
2 日米琉諮問委員会発足(高等弁務官の諮問機関)
2 B52嘉手納基地へ飛来(以降、常駐化)
2 B52撤去要求県民大会(嘉手納)
3 帰省4学生、入域手続を拒否して布令違反で逮捕
3 沖縄教職員会第32回定期総会 「基地撤去」方針
4 B52即時撤去要求第2回県民大会(嘉手納)
4 全軍労10割年休闘争
5 ベ平連と沖縄原水協、嘉手納空軍基地前で座り込み
5 ソ連戦車隊、チェコ領内に進駐。
6 「明るい沖縄をつくる会」(主席・立法院議員選挙革新共闘会議)発足
6 ワシントンで黒人10万人の集会(貧者の行進)。
6 全共闘系学生、神田で街頭占拠闘争。反戦青年委と学生、東京新宿駅で米軍ガソリンタンク車輸送阻止のデモ。
7 琉大反戦学生会議 陸上自衛官の研修反対、上陸阻止闘争
8 沖縄闘争学生委員会を中心とする沖縄解放8月闘争委の17名、晴海ふ頭で入国手続きを拒否し強行上陸。17名が証明書を見せずに下船。
9 琉大反戦学生会議と統一連絡会議、灘尾文相の琉大訪問阻止
10 沖縄に関する日米協議委 沖縄の国政参加正式合意
10 ジョンソン大統領 北爆の全面停止発表
11 ニクソン大統領当選
11 主席選挙・屋良朝苗当選(→12月就任)
11・19 嘉手納基地 B52墜落爆発事故
B52爆発事故に抗議する嘉手納村民大会
12 B52撤去・原潜寄港阻止県民共闘会議(いのちを守る県民共闘会議)発足
12 日米安保協議委員会で米、在日基地148ヵ所の整理案を提示、調布など返還・縮小41ヵ所を公表。
12・14 B52撤去要求県民総決起大会
【1969】
1 B52撤去要求ゼネストの成功をめざす県民総決起大会
1東大全共闘の安田講堂闘争
1・28−31 沖縄およびアジアに関する日米京都会議(沖縄基地問題研究会主催)
2 いのちを守る県民共闘幹事会 ゼネスト中止、県民大会の各組織持ち帰り案
2・4 いのちを守る県民総決起大会
3 復帰協総会 基地撤去の方針を決定
3 佐藤首相 参院予算委での答弁で本土並み返還を示唆
3 沖縄基地問題研究会 報告書に自主的対米軍事協力の強化をともなう本土なみ返還明記
4・28 祖国復帰県民総決起大会、会場大会(復帰協は那覇沖大会を主張するが、沖実委の意向で北緯27度線突破ならず)
4・28 沖縄デー 沖縄連、沖実委、初の統一中央集会(主催者発表10万人、警視庁発表5万7千人)。全国318か所で15万人が行動に参加。ベ平連、反戦青年委、反代々木系全学連など独自行動。当日の逮捕者967人(戦後最多)。
5 愛知外相訪米
6 全軍労24時間スト。
6・28 安保廃棄・B52撤去・即時無条件全面返還要求県民大会
6 南ベトナムから撤退した第3海兵師団の5千人、沖縄に移駐。
6・15 ベトナム反戦・安保粉砕・沖縄闘争勝利 新左翼統一行動
7 在日中国人青年45人、入管法撤回を要求して新宿西口広場で坐り込みを開始
7 ウォールストリートジャーナル 在沖米軍基地でVX神経ガス燃え事故報道
7 琉大反戦学生会議と沖縄闘争学生委 米民政府突入、星条旗を引きずり下ろす
8 コザ市で黒人兵と米軍犯罪捜査部員が対立
8・14 本土学生3人嘉手納空軍基地突入
9 小西誠三等空曹、自衛隊佐渡レーダー基地内で『アンチ安保』を創刊(11月1日逮捕)
11 沖縄で黒人グリーン・ベレーのアルフォンソ・ドレロ上等兵、脱走し記者会見、日本亡命を求め、即日逮捕。
11・13 佐藤訪米抗議・反対・阻止行動。沖縄官公労「主席の政治姿勢に抗議」して主席登庁阻止。
11・16−17 佐藤訪米抗議・反対・阻止行動
11・17―26 佐藤訪米
11・21 佐藤・ニクソン共同声明(1972年施政権返還合意)
12 在沖米4軍合同労働委 基地労働者1631〜2436名を1970年春までに解雇と発表
【1970】
1・8−9 全軍労解雇撤回闘争第一波48時間ストライキ
1・19−23 全軍労第二波120時間ストライキ
2 在沖米4軍合同労働委 解雇通告した労働者400名の解雇を撤回
2 東洋石油基地建設反対同盟の琉球政府前集会、機動隊導入
2 全軍労首切り撤回・不当処分粉砕県民総決起大会
3 自民党沖縄県連結成
3 沖縄工業開発調査団 沖縄訪問
3 日本政府「沖縄復帰対策の基本方針」決定
4 米軍カンボジア侵入、日本政府是認
4 沖縄住民の国政参加特別措置法成立
4・28 沖縄デー。沖縄での大会参加者は前年の半分以下、数年来例をみない低調さ。海上大会は沖実委系の単独行動。沖縄連、沖実委統一集会(約4万5千人)。新左翼系統一集会(約2万人)。全国449か所で約20万人が行動に参加。
5 沖縄・北方対策庁発足
5 毒ガス兵器即時撤去要求、アメリカのカンボジア侵略反対県民総決起大会
6 屋良主席 施政方針演説で安保反対の立場表明
6・22 安保廃棄・基地撤去要求県民総決起大会(復帰大会をはるかに上回る盛り上がり、復帰運動から反安保運動へ)
6 毒ガス・B52撤去要求、米兵の凶悪犯罪に抗議する全軍労総決起大会
10 沖縄・嘉手納基地で反戦地下新聞、"Demand for Freedom"創刊。
11 国政参加選挙
12 軍事法廷 米兵の主婦礫殺事件に無罪判決
12・20 コザ暴動
12 米軍 沖縄雇用員3000人解雇を発表
【1971】
2 防衛庁 沖縄に6300人の自衛官配備決定
3 米韓大空輪演習「フリーダム・ボールド」、沖縄の基地を利用
5・16 「沖縄反戦GIストライキセンター」主催でコザ市で米兵30名と沖縄労働者などが反戦交流集会。「平和をつくる沖縄の会」130名が参加。
5・19 沖縄返還協定粉砕ゼネストに10万人参加
6・17 沖縄返還協定 日米同時調印式
10 沖縄返還協定批准反対県民総決起大会
10・19 沖縄青年同盟の青年3人、国会首相演説中に爆竹を鳴らして抗議、逮捕。
11・10 沖縄返還協定反対のゼネスト 過激派が機動隊と衝突、警官1名死亡
11・17 衆院沖縄返還協定特別委員会 協定を強行採決
【1972】
1 沖縄青年同盟の国会での活動を支援する集会
2 沖青同国会闘争公判スタート
2・19 浅間山荘事件1 日米共同声明
3 沖縄返還協定批准書交換式典
5・12 米民政府解散式
5・15 沖縄返還協定発効、沖縄県発足
10 航空自衛隊基地開設
【1973】
1 ベトナム停戦後初の撤兵第1陣400人がホワイトビーチ入港
1・11 ニクソン大統領 北ベトナムへの戦闘全面停止命令
1・27 ベトナム戦争終結のための和平協定調印
2 那覇空港で米軍機着陸に失敗・炎上
3 自衛隊機 那覇空港で事故
【1974】
8・30 三菱重工本社ビル爆破事件(東アジア反日武装戦線)8人死亡、385人重軽傷。
9 金武湾を守る会 県を相手にCTS訴訟提訴
10 米軍 剣道104号線を封鎖し、実弾演習、阻止団が着弾地山頂に潜入・阻止
【1975】
2 全軍労スト、基地機能マヒ
4 南ベトナム政府無条件降伏、解放戦線軍、サイゴンに無血入城、ベトナム戦争終結。
7 皇太子夫妻火炎瓶事件
7 沖縄海洋博開催(〜76.1.18)
7 ベトナム南北統一。ベトナム社会主義共和国成立。
【1976】
7 4 南ベトナム政府無条件降伏、解放戦線軍、サイゴンに無血入城、ベトナム戦争終結。
7 ベトナム南北統一。ベトナム社会主義共和国成立。
【…】
※以下をもとに作成者作成
・中野好夫・新崎盛暉、1970、『沖縄・70年前後』岩波書店.
・田仲康博、2010、『風景の裂け目 沖縄、占領の今』せりか書房
・「ベトナムに平和を!」市民連合・編、1974a『資料「ベ平連」運動 上巻』1974b『資料「ベ平連」運動 中巻』1974c『資料「ベ平連」運動 下巻』河出書房新社.
*作成:作成者 大野光明