『精神科医療――治療・生活・社会』
日本社会臨床学会 編 20080430,シリーズ「社会臨床への視界」第二巻,現代書館,323p.
■日本社会臨床学会 編 20080430 『精神科医療――治療・生活・社会』,シリーズ「社会臨床への視界」第二巻,現代書館,323p. ISBN-10:9784768434765 \3000 [amazon]/[kinokuniya] ※ mp
■内容
差別・偏見にまみれた医療、企業化する福祉を切り開き「娑婆での暮らし」へ――。
精神科医療の課題を探る。
グローバル化と個人・心理主義化のはざまで、教育・福祉・医療の現状を分析。
■目次
シリーズ「社会臨床の視界」(全四巻)刊行にあたって (7)
序章 三輪寿二 (9)
第Ⅰ部 精神科医療と治療・社会 (17)
第一章 精神医学と社会 石川憲彦・三輪寿二 (18)
第1節 医学・医療に生存を託さざるを得ない格差社会 (18)
第2節 自然性と人為性のはざまで人は苦しむ (26)
第3節 関係性と共有化を軸に考える (30)
第4節 エビデンス精神医学の表裏 (32)
第5節 「生命を守る」という医療の使命は「殺してはいけない」ということ (36)
第6節 子どもの「うつ」は増えているのか (42)
第7節 精神科医療における治療と適応 (50)
第8節 娑婆の世界とどこまでつながれるか (58)
第二章 病院精神医療はどう変わってきたのか――急性期治療と治療関係を軸に―― 赤松晶子・三輪寿二 (64)
はじめに (64)
第1節 コ・メディカルスタッフの変容――東京足立病院心理福祉課をめぐって (66)
一、心理福祉課誕生を生んだ、時代背景と専門業務のあり方への疑問
1 「心理福祉課」と命名……時代に先駆けて
2 勤め始めた病院の不正経営に直面
3 医師の指示で動く中、患者さんの訴えを後回しにする関係
4 何故、精神科臨床の中で技術職と事務職とに差をつけるの?
5 何故、心理テストのオーダーを出すのですか? と、医局に問いかける
二、心理福祉課がまずし始めたこと
1 各病棟に入って、患者さんの思い・希望を聞くことから
2 病棟で話し合うほどに、精神病棟の明暗が
3 職制抜きで、患者さんの生活を考えあう場を
三、 病院の縦構造に抗しつつ
1 本当のことを話し合えないのが精神病院
2 精神病者には隠すということが大事?
3 "職員さんは本当のことを言ってくれない"
4 僕のことを話すんだったら、僕を入れて話してほしい
5 当事者の会は院外で!
第2節 対談:病院精神医療の現在 (79)
一、心理職の個別担当者制はなぜ不要なのか
二、コ・メディカルの初診はなぜ不要なのか
三、コ・メディカルが分断され、医者中心が加速する
四、精神科医療は後退している
五、治療法が変わらないのに、治療期間はなぜ変わるのか
六、必要なのは「精神科的なバリアフリー」
第三章 薬物療法の問題群 三輪寿二 (108)
はじめに (108)
第1節 精神科医療における身体的治療 (110)
第2節 適応主義パラダイムとしての薬物療法 (117)
第3節 薬の副作用 (122)
第4節 薬を飲むことへの葛藤、そして依存性の問題 (128)
第5節 苦痛と自傷他害 (131)
第6節 なぜ「病」にかかるのかを問う視線 (137)
第Ⅱ部 精神科医療と生活・社会 (143)
第四章 ピープルファースト 私たちはまず人間だ――障害者権利条約と日本の実態―― 山本眞理 (144)
はじめに (144)
第1節 全国「精神病」者集団の結成とその意義 (146)
第2節 保安処分と強制入院・強制医療制度 (146)
第3節 私の体験から改めて精神保健・福祉・医療、そして地域生活を考える (161)
第4節 障害者権利条約と強制の廃絶 (169)
第5節 障害者権利条約の国内履行、とりわけ強制の廃絶に向けて何が求められているのか (178)
第五章 精神保健と地域論――排除から統合へ向けて―― 大賀達雄 (196)
はじめに (196)
第1節 進行する社会的排除と精神障害者 (199)
第2節 日本の精神科医療 (204)
第3節 ソーシャルな関係とは (217)
第4節 地域における精神保健の試み (223)
第5節 まとめ――「統合」に向けた試み (249)
第六章 街なか「オープンスペース」の八年 根本俊雄 (264)
はじめに (264)
第1節 地域が背中を向けていた時代 (266)
第2節 街の中から生まれる (281)
第3節 地域、それは幻想か希望か (295)
第4節 どこに向かうのか (308)
用語説明(五十音順) (314)
■引用
「「薬を批判的に考えてみたい」と言う筆者の聴き取りの依頼に対して、先の知人が最初に語ったのは、「自分がなぜ薬を飲むことになったか」という経緯についてだった。
……。重要なことは、「薬物(療法)がよいかどうか」ではなく、「なぜ薬を飲まなくてはならなくなるか」という、「服薬の背景、服薬に至る過程=原因」なのである。」(三輪 2008:137)
「それ〔服薬の過程=原因についての知人の語り:引用者補足〕は結局、薬を語ることから、私たちが生活している社会の中で病気や障害なるものが発生してくる事情を考えることにつながっている。それを抜きにして、薬物療法を一方的に批判するのはおかしい、と知人は言いたかったのであろう。つまり、いわば原因にあたるところを伏せたまま、そこから浮上してくる治療法を叩くだけでは、もぐら叩きなのである。
その観点に立てば、同時に、薬物療法に対する一方的な賛美もまたおかしいことになろう。
では、よく聞かされる「薬物療法はそれなりに効くから、正しい使い方を考えるべきだ」という、使い方の問題に収斂させる現実主義はどうだろうか? これも「原因となる現実」に蓋をするような意見に取って代わってしまう場合があるだろう。なぜなら、それなりに効くならば、それなりに問題が解消されているように思えるからだ。この極端な場合が賛美論なのである。賛美論も現実論も、結局“私の身に結果として起きている現前の問題の解消によって問題の全体が解決している”と思い違いしてしまうことで、それが生起してくる背景を隠蔽することになる可能性をはらんでいる。」(三輪 2008:138)
■書評・紹介
■言及
*作成:野口 陽平