『医療・福祉の市場化と高齢者問題――「社会的入院」問題の歴史的展開』
山地 克文 20030710 ミネルヴァ書房, 234+10p.
■山路 克文 20030710 『医療・福祉の市場化と高齢者問題――「社会的入院」問題の歴史的展開』,ミネルヴァ書房,234+10p. ISBN-10: 4623038661 ISBN-13: 978-4623038664 2730 〔amazon〕 ※
■内容(「BOOK」データベースより)
医療と福祉の供給体制は、異なる歴史的展開を経ながらも、今日、財源問題を梃子として、ともに着実に市場化への道を進みつつある。本書では、その歴史的展開を明らかにするとともに、自身の医療ソーシャルワーカーとしての現場経験もふまえつつ、市場化のなかで取り残されていく高齢者の実態を高齢者の扶養問題という視点から実証的に考察する。
■内容(「BOOK」データベースより)
医療・福祉分野において現場従事者であった著者が、その経験をふまえ、現場の視点からそのときどきの制度政策を実証的に考察した論文集。高齢者扶養問題の基本的構造を明らかにする。
■目次
序章 医療・福祉の市場化の論点と課題
1 本書の構成とその概略
2 最近の医療制度改革の論点と方向
第Ⅰ部 高齢者問題への視座
第1章 高齢者問題の視点と論点
1 少子高齢社会の高齢者問題
2 家族制度からみた高齢者問題
3 戦後の経済発展と高齢者の介護問題
4 医療と福祉から疎外された高齢者
第2章 高齢者の社会的扶養の展開
1 戦後の高齢者の社会的扶養についての論点
2 高齢者の社会的扶養の展開
3 「施設の社会化か」と東京都における「ケアセンター事業」の試み
4 老後保障としての社会的扶養
第3章 老人福祉法と民間施設
1 「福祉の措置」と民間施設
2 措置施設における「費用負担」問題
3 特別養護老人ホームの現状と問題点
4 老人福祉法における「施設」機能の限界
第Ⅱ部 低成長下の高齢者問題対策
第4章 「ねたきり老人」の保健・医療問題
1 「ねたきり老人」を取り巻く問題状況
2 「ねたきり老人」の保健・医療の現状
3 「ねたきり老人」問題の発生とその展開
4 「ねたきり老人」と訪問看護事業
第5章 転換期の老人福祉政策とシルバービジネス
1 老人福祉政策の動向(昭和六〇年代初頭の動向を中心として)
2 シルバービジネスの概要と問題点
3 シルバービジネスの限界
第6章 有料老人ホームと介護問題
1 有料老人ホームの基本的課題
2 有料老人ホームの現状と問題点
3 有料老人ホームのサービス機能
4 有料老人ホームの今後の課題
第Ⅲ部
第7章 第二次医療法改正と「社会的入院」問題
1 いわゆる「社会的入院」問題の二重構造
2 第二次医療法改正の概要と問題点
3 実感としての「平均在院日数の短縮」と「退院促進」
4 「社会的入院」患者を受け入れる医療機関
第8章 介護保険制度の成立の背景と運用をめぐる諸問題
1 介護保険制度の基本的問題
2 介護保険制度成立に至る経緯と論点
3 制度施行一年の状況
4 介護保険制度の実践的限界
第9章 今日の医療制度改革の論点
1 医療制度・医療保険制度改革の流れと論点
2 今日の医療制度改革に共通した論点
3 「厚生労働省試案」(二〇〇一年)の基本的性格について
あとがき
初出一覧
附録 別表1 わが国の医療制度の編成
別表2 医療保険制度改革と介護保険制度創設の経緯
索引
■引用
序章 医療・福祉の市場化の論点と課題
第四次医療法改正と二〇〇二年度診療報酬改定
「二〇〇二(平成一二)年一一月に成立した第四次改正医療法は、従来の「その他の病床」を「療養病床」と「一般病床」に区分するという方針を明らかにし、平成一五年八月三一日までにいずれかの届け出でを義務付けた。ま6<7た、従来の医療計画における「必要病床数」という考え方を改め「基準病床数」とし、必要病床と基本的に考え方は同じであるが、当該地域にどの程度の病床を整備すべきかを目標管理させることを意図した考え方に変更された。
第四次医療法改正を受けて、二〇〇二年度の診療報酬改定では、今回の改定の目的を以下の五点とした。A医療全体の質の底上げ、B二〇〇床以上の大病院における紹介制の促進、C長期入院の是正、D介護保険制度との連携、E第四次医療法への対応を挙げている。
今回の改正は、急性期医療をおこなう医療機関については、特定機能病院に続いて第三次医療法改正で明らかとなった「地域医療支援病院」を今回の診療報酬改定で位置づけた。つまり、急性期医療機関の条件として「紹介率三〇%以上」「平均在院日数一四日」というハードルが設定され、さらに紹介率八〇%以上で、地域医療支援病院の認可対象となるように設定された。
また、慢性期医療については医療保険の守備範囲を原則一八〇日(六か月)と設定し、六か月を超える入院については、入院基本料の八五パーセントを特定療養費として給付するという方針も示された。すなわち一五%が「ホテルコスト」として、保険給付自己負担部に上乗せされることになった。
つまり、急性期を志向する一般病院は、より高い急性期評価を得るために、高度な技術を使して在院日数を縮めるる一方、長期対応を必要とする場合は、回復期リハビリテーション病院や介護保険制度に規定されている療養型医療機関や老人保健施設などと連携し、退院促進を加速させるような仕掛けがかなり明確に示された。」(6-7)
第1章 高齢者問題の視点と論点
1
「筆者は、戦後五十数年の過程で、さまざまな扶養問題に対して、すべてに適切な制度政策的対策がおこなわれたとはいえず、むしろ制度政策の消極的な対応や不備を主な原因とする生活・福祉問題(社会福祉問題)が、家庭内扶養の縮小化と重なり合って、複雑な問題状況を醸成してきたのではないかと考えている。
その典型的でもっとも深刻な問題状況が、女性労働と保育問題(女性の社会参加にともなう育児・保育問題)であり、また高齢者の扶養=介護問題(家庭介護者不在等を主な原因とする高齢者問題)である。
しかしながら、わが国においては、前者の場合、保育問題が女性労働問題として議論されず、児童福祉法に明記されているところのいわゆる「保育に欠ける」という結核条項を基本にその基本的課題を貧困問題の範疇に限定し制度化されている。後者の場合もその基本的課題が、核家族化の進行により家庭内の扶養機能の縮小化を原因とする扶養=介護問題であるという点が無視され、老人福祉法を根拠とする養護老人ホームと特別養護老人ホームに「収容保護」するという貧困・救済対策を基本とする制度体系が二〇〇〇(平成十二)年四月の介護保険制度施行まで機能していた。なお、老人福祉法の規定は現存している。11
つまり、家族機能の代替的な機能を基本としたわが国の社会福祉制度体系は、理念的には「社会福祉」(積極的防貧)という冠を被せたところで議論されてきたが、実態としては、ぎりぎりまで家庭扶養で引っ張りいよいよ限界となったところで、施設などに収容保護するというような救済的性格の強い制度体系であり、その意味では、現実として「社会事業」(国家的貧困救済事業)の域を出ていないと特徴づけることができる。
その結果、わが国の社会福祉制度・政策は、今日においても急速な核家族化の進行をくい止めることができず、児童数は少子化現象に歯止めがかからず減少の一途をたどり、また平均寿命の伸びは、後期高齢者人口の増大となって、「介護問題」を一挙に噴出させ、かつて経験したことのない「児童問題」と「高齢者問題」が全世代を対象として大きく国民にのしかかっている状況である」(11-12)
「一九一二(明治四五)年、帝国議会に提出された「養老法案」は、「七〇才以上の無産無収入かつ保護者なき『良民』たる老人に一日十銭づつの養老金を支給する」とした内容のものであった。この法案は、結果的には不成立となるが、法案提出の意図そして廃案にいたる理由をみると、当時の国家体制の基本的考え方を伺い知ることができる。
小川の評価は、「〈この法案は〉実質的には恤救規則の老人限定版というべきもののようであるが、然し、『国民の生命を保護すると言うのが国家の本旨』であるとの立場に立ち、養老金受給を以て一種の権利化した如き表現をとると共に、その提案理由において、先ず老人自殺統計を引用したあと、〈引用文は省略〉親戚隣保の相扶を強要する13>14当時の政府の方針の不当さを烈しく指摘し〈中略〉た点は、注目に値することであった。」(〈 〉は筆者が付す)と述べている。しかしながら、この法案は廃案となる。」(13-14)
「戦後50数年の歴史は家庭婦人が働かざるを得ない経済的必要性とそれを背景に資本が積極的に婦人を労働市場に引き出してきた政策に対して、雇用労働者とその家族は家族の扶養機能を縮小化することで切り抜けてきた歴史――出生の制限や老親扶養の分離という一つの自己防衛の歴史でもあったように思える。
極限を恐れずに表現すれば、家庭の扶養機能の縮小化は、自然的な現象というよりはむしろ戦後政策の影響を露骨に反映しているといっても過言ではない。第二次世界大戦後の混乱期をGHQの占領政策で切り抜け、朝鮮動乱の軍需景気を梃子に高度経済成長へ突入していく時期に、当時の池田内閣は「所得倍増計画」を旗印に、労働力流動化政策を推し進めた。いわゆる「集団就職」と呼ばれている中学卒業者の人口移動が、核家族化の進行を加速させている。この時期には、急激な人口集中が起こった都市部では、交通問題や住宅問題等「過密問題」が一挙に噴出し、地方では、働き手を失った農山村部における深刻な過疎問題が起こり、取り残された高齢者の生活問題が取りざたされていた。
さらに、次の大きな節目は高度経済成長のかげりが見え始め、それまで一〇%代を維持していた経済成長が、一九七三(昭和四八)年のいわゆる「オイルショック」「ドルショック」を契機に、一挙にマイナス成長まで落ち込み17>18経済が大混乱を来した。経済不況を乗り切るために、あらゆる合理化政策を打ち出すなかで、「中高年の雇用の促進に関する特別措置法(一九七一年)」ならびに「家庭婦人のパートタイマー化」という二つの流れは、高度経済成長期を支えてきた賃金体系――「年功序列型賃金体系」に対する問題提起となった。そして、代わる安価な労働力の供給源を家庭婦人に求め、特に婦人の母性保護と子供の養育をセットにした母子福祉対策や母子保健法等を立法化させ、婦人の労働権の確立や婦人の社会参加などの政策的スローガンとともに家庭婦人を家庭から職場に引き出す政策がさまざま登場してきた。
この結果、幼少な子供のために保育所に預けることを余儀なくされ、働きに出た家庭婦人の労働賃金のほとんどが保育料に充当されてしまうという実態や認可保育所が間に合わず、ベビーホテルや無認可保育所等に預けざるをえなくなった。その結果、無認可保育所の死亡事故の急増や鍵っ子問題が話題となり、家庭の相互扶助的な扶養機能の縮小化を原因とする児童問題が一挙に噴出した時期であった。
同時に、高齢者の扶養問題も一挙に顕在化したが、この時期は第2章で検討するように福祉見直し論が登場し本格的な緊縮財政に突入する時期である、当時は、医療が高齢者問題を吸収するいわゆる「「福祉の医療化」と呼ばれる時期にあたる。すなわち、本来、高齢者の扶養問題対策として対応すべき高齢者の介護問題を緊縮財政下、医療機関のベッドが流用され、いわゆる「社会的入院」と呼ばれる社会現象を起こした。昭和五〇年代の診療報酬は、豊かな保険財政を背景に診療報酬が右肩上がりの上昇を続けている時期であり、社会的入院患者で潤う医療機関が全盛であった。」(17-18)
4 医療と福祉から阻害された高齢者
「GHQによる戦後政策において、保健医療福祉分野における有名な「SCAPIN七七五」(公的扶助三原則)をめぐり占領軍と日本側との間に「壮大なる誤解」と呼ばれる翻訳をめぐるトラブルがあった」(19)
「SCAPIN七七五とは、いわゆる公的扶助三原則と呼ばれているもので、その第一は優遇措置禁止の一般扶助主義、第二に扶助の実施責任主体の確立、第三に救済費総額の制限の禁止の三つである。特に第二については、単一の全国的政府機関および講師責任分離という指針が示されていた。
そして、一九四六(昭和二一)年一〇月三〇日の「政府の施設社会事業団体に補助に関する件」の「b.施設社会事業団体の創設または再興に対して政府、府県又は市町村当局は補助金を交付してはならない」とし、民間社会20>21福祉への公的助成を禁止している。これらは、のち憲法第八九条(公の財産の支出利用の制限)となって明文化された。
この結果、民間社会福祉の財源を確保するために、「公の支配」に属する特別的監督(社会福祉事業法第五六条)のもとで、公益法人の中に特別法人として社会福祉法人制度を制定し、憲法第八九条に抵触しないかたちで、公金を社会福祉法人に「措置委託金」として交付し、民間社会福祉事業を社会福祉法人化してGHQによる公的扶助三原則を遵守する形とした」(20-21)
「生活保護法から順次制度化されていくわが国の社会福祉供給体制の歴史は、生活保護法を中心としながら、児童、障害者、老人等「労働力価値の希薄なハンディキャップ層」(橋本宏子)を徐々に生活保護法から切り離し、さらに一方では生活保護法から「自立の助長」の期待できる対象者を労働可能者として排除し「生活保護の適正化」政策のもと、生活保護受給者を徐々に減少させる政策を展開してきた。そして、切り離された対象者のうち、いわゆる「社会的弱者」が、「箱もの」と呼ばれる「施設」に収容され、いわゆる「分類収容」を中心とした政策が展開され今日に至っている。」(22)
「児童福祉では最低基準が憲法二五条に抵触するかしないかが論争になっているが、生活保護法や身体障害者福祉法、児童福祉法はともに表現の差こそあれ、生存権規定が憲法を遵守したかたちでそれぞれ理念として明記され、その法の目的もそれに準拠して規定されている。ところが、老人福祉法は先にも書いたように生きがい対策として抽象的な理念を明記するにとどまり、施設最低基準が論争になるような法的根拠が示されていない」(23)
第2章 高齢者の社会的扶養の展開
1 戦後の高齢者の社会的扶養についての論点
戦前以来の相互扶助的な扶養観⇒ 家庭内扶養に依存
「わが国の高齢者扶養対策は、高齢者の介護問題を社会的扶養の問題というより貧困問題として、あるいは核家族化の進行で破壊された家族不要の代替え的策として社会的な対応が展開されてきたことにその特殊性を見出すことができる」(27)
・老人福祉法―― 「老後保障としての社会的扶養という考え方よりむしろ、加齢にともなって生じるハンディキャップに対して、「福祉の措置」という行政処分を発動し、「施設収容」という方法が選択されたことにより、わが国の高齢者の社会的扶養が非常に厳格で、限定的な制度として出発したという特徴があると思われる」(28)
・1973年 「一九七〇年代に入ると高度経済成長期にかげりが見え始め、一九七三(昭和四八)年のドルショック、オイルショックの煽りで右肩上がりの経済成長が、この年を期にマイナスに転じ、一挙に低成長期に突入した。社会福祉政策にも大きな政策転換のうねりが押し寄せ、いわゆる「福祉見直し論」が政財界からいくつか登場してくる。また社会福祉領域においても、いわゆる「コミュニティ」論が次々と登場し、一定の方向転換を模索する試みが始まっていた。」(28)
「福祉見直し論以降、第二臨調答申による行財政改革論が本格化し、ついに一九七九(昭和五四)年経済企画庁より「新経済社会7ヵ年計画(日本型福祉社会構想)」が発表され、「自助努力と家庭の相互扶助機能の再生」というスローガンが打ち出され、老後保障としての高齢者の社会的扶養論が、一挙に後退してしまった」(29)
2 高齢者の社会的扶養の展開
「老人ホームへの収容保護を中心とした老人福祉法は、高齢者の貧困・低所得層対策としての性格が濃い。しかし、一九六〇年代後半には高度経済成長の歪みが都市および地方で過疎・過密問題を進行させ、同時に地域住民の多様な福祉要求が革新自治体の誕生とともに顕在化してきた。一方、このような状況のなかで、「福祉ニーズの多様化・高度化」に対応するため、より地域住民に密着したサービスを期待する動きとなって、さまざまな地域福祉活動が展開されはじめた」(29)
「老人福祉法制定以降に登場した地域政策に関する代表的な「答申」や「報告書」」(29)
・1969年9月 「国民生活審議会コミュニティ問題小委員会報告「コミュニティ――生活の場における人間性の回復」――「コミュニティ問題が提起される背景として、高度経済成長の結果、地域的な相互扶助的生活関係、すなわち地域共同体が崩壊した」(30)
・1971年 「中央社会福祉審議会から「コミュニティ形成と社会福祉」という答申が出されている」――「コミュニティ・ケア」……「社会福祉におけるコミュニティ・ケアは、社会福祉の対象を収容施設において保護するだけでなく、地域社会すなわち居宅において保護を行い。その対象者の能力のより一層の維持発展をはかろうとするものである」(32)
・1976年 「四月に社会福祉懇談会報告「これからの社会福祉――低成長下におけるそのあり方」」(三浦文夫)(33)
・「この時期、物価上昇と不況の同時進行、いわゆる「スタグフレーション」により、経済成長がゼロ、マイナス成長となり「異常な事態」のもとで、地方財政が深刻な財政危機に見舞われ、政財界から「バラまき福祉」などと酷評され、その見直しをせまる答申がいくつか出された。財政審議会答申、経済審議会部会報告、地方制度調査会第一六次答申等々である。一般的にこれらの答申を総称して「福祉見直し論」と呼んでいる」(33)
・「一九七九(昭和五四)年八月経済企画庁から「新経済社会7カ年計画」、いわゆる「日本型福祉社会構想」が発表された。この構想の考え方がもっとも端的に表現されているところ」
⇒ 「欧米先進国へキャッチアップしたわが国経済社会の今後の方向としては、先進国に範を求め続けるのではな33>34く、このような新しい国家社会を背景として、個人の自助努力と家庭や近隣・地域社会党【ママ】の連帯を基礎としつつ、効率のよい政府が適正な公的福祉を重点的に保障するという自由経済社会のもと創造的活力を原動力とした我が国独自の道を選択創出する、いわば日本型ともいうべき新しい福祉社会の実現をめざすものでなければならない。」(33-34)
第3章 老人福祉法と民間施設
「老人福祉法に規定された「老人ホーム(養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、軽費老人ホーム等)は、公立施設以外のほとんどが社会福祉事業法に規定された社会福祉法人による経営であり、その経営形態は、措置委託費により運営されるいわゆる「公設民営」方式と呼ばれている」(49)
⇒ これらは、「いわば生活保護法の補完的な位置を形成している」(50)
・「老人福祉法の成立の背景には、一九五〇年代後半から一九六〇年代の高度経済成長が、急激な人口移動の結果、核家族化の進行を早め、いわゆる過疎・過密問題を契機に一挙に高齢者の指摘扶養問題を顕在化させた。このような背景を受けて、老人福祉法は生活保護法における「養老施設」を分離独立させ、「養護老人ホーム」と規定し、また新たにすべての病弱な高齢者を対象とするという名目で「特別養護老人ホーム」を新設し、「生きがい対策」を法の理念とする「老人福祉法」が一九六三(昭和三八)年に成立した」(50)
「「老人ホームの費用徴収制度」の改定(本人負担分の新設)は、一九八一年第二次臨時行政調査会による財政再建構想の第一次答申が出された翌年の一九八二年に提出されている。当時は、財政再建を旗印に、老人医療無料53>54化が廃止され、代わって「老人保健法案」が提出され、社会福祉制度・政策の受益者負担論が本格的に議論されるようになった時期である」(53-54)
「この制度の大きな特徴は、本人からの費用負担の論拠が、今後予想される年金生活者の増加から費用徴収への期待と、施設入所者のサービス水準を、それより低いとされる在宅老人の福祉サービスとの不公平感を是正することを意図して創設されている。したがって、いずれも財政削減を目的とした受益者負担強化策であることは疑う余地はない制度改正であった」(54)
「この制度が創設される契機となった中央社会福祉審議会答申「養護老人ホーム及び特別養護老人ホームにかかわる費用徴収基準の当面の改善について」(一九七九年一一月二〇日)をみると、養護老人ホームや特別養護老人ホームを「収容の場」から「生活の場」に転化させることで、社会的に多大な役割を担うとしている。そして、利用者に対して「自立意識を醸成する」ために、「応分の費用を負担する」ことが有効であると述べている。また、現行の費用徴収制度(扶養義務者費用徴収制度)の問題点は、現行制度では費用負担額のなかに本人の収入状況が反映されないとし(高齢者控除等の税制度が弊害)、在宅老人との間に不均衡が生じているとしている。54>55
この議論については、いくつかの無理がある。まず、施設であるが老人福祉法における施設は、養護老人ホームも特別養護老人ホームもその入所については、「福祉の措置」つまり措置権の発動と言う行政処分行為であることについては、第1節で述べた。したがって、措置された高齢者にとっては、施設が好むと好まざるにかかわらずそこが歴然とした「生活の場」であるが、措置権者からみれば、行政処分として「収容保護」した「場」である。つまり、「収容の場」に措置された高齢者の基本的人権が問題となるが、この議論はあいまいである」(54-55)
「本人からの費用負担を求め、その理由に自立意識や利用者感覚の醸成を求めるのであれば、民間の有料老人ホームのように「契約」にもとづいた入所を前提とすべきであり、扶養義務者からの費用徴収は廃止すべきである。また、措置権を行使した行政処分としての入所であれば、かかる費用の負担は、原則として措置費によるものとして、入所者に負担を求めるべきではないと考える」(56)
「一九七五(昭和五〇)年に財政界からさまざまに提出されたいわゆる「福祉見直し論」は、当時の革新自治体の福祉施策を「ばらまき福祉」などと酷評し、集中的な批判が展開された。そして、いわゆる「コミュニティ・ケア論」や「施設の社会化」論などの一連のコミュニティ志向が対抗するも、ついに経済企画庁が提出した「新経済社会7ヵ年計画」(通称「日本型福祉社会構想」)が、「生活自己責任」を強調し「自助努力と家庭の相互扶助機能の64>65再生」政策の方向性を示したことによって、コミュニティ構想も「構想」の段階で終わってしまった感は否めない。」(64-5)
・「施設一辺倒の考え方ではなく、在宅サービスをもう一方の柱として、施設を在宅サービスのために柔軟に活用使用とする考え方」(65)
⇒ 「要介護老人対策のその主要な部分が「介護」にあることに異論を挟むつもりはない。しかし、その要介護状態の背景あるいは原因に疾病が介在し、何らかの医療的ケアが必要なことは、誰もが認めるところであろう。つまり別な表現をすれば、医療ではすることがなくなったから、後は介護でというようにはならない」(65)
⇒ 「国は、老人医療費の高騰を理由に老人医療無料化を放棄し、老人保健法を制定し有料化にふみ切った。つまり、老人の医療を従来の一般診療の範疇から成人病対策の一環として保険事業の対象と位置づけ、できるだけ医療機関にかからなくて済むようにという努力目標を掲げて、受診抑制政策を打ち出した」(65)
第4章 「ねたきり老人」の保健・医療問題
「老人福祉法」―― 「「相反する二つの側面」を担わされ」た。(77)
「① 低所得対策としての老人福祉法は、低所得層の規定部分をしめる生活保護階層の老人をも対象とすること。
② 低所得対策としての老人福祉法は、低所得という条件に規定されながらも、老人の生活内容、生活環境を独自の政策として問題とせざるをえなくなってきたこと。」(77)
「老人福祉法の歴史的社会的性格が貧困低所得対策である限りにおいて、政策の本質は必然的に所得対策の一翼を担わざるを得ないが、その方法は必ずしも現金給付というかたちで表れるとは限らない。」
「「措置収容」という行政手続き」――「在宅での自活能力無しの判断を意味している」⇒「老人ホームという場が、所得の現物給付として適用される」(78)
「個人と家族の自己責任も強調されている」⇒「所得制限を設けて対象を選別したり、場合によっては扶養義務者に対して徴収金を課すことを条件としている」(78)
「特別養護老人ホーム」……「経済的理由により在宅要介護老人の問題を優先せざるを得なかった」
「老人家庭奉仕員制度」……「厳しい所得制限を設けて高齢貧困低所得層を対象とした」
⇒「これらは総じて老人福祉法が救済対策としての性格を持たざるを得なかったという歴史的社会的背景があったからである」(79)
第5章 転換期の老人福祉政策とシルバービジネス
「第二次臨調答申以降のわが国の社会福祉改革は、いわゆる「措置制度の見直し」と地方への権限委譲すなわち「機関委任事務の団体委任事務化」という方向性で、社会福祉行政の事務配分の再編成が進められている。
老人福祉政策の動向についてみても、一九八五(昭和六〇)年一月の社会保障制度審議会の建議「老人福祉の在り方について」(以下「建議」と略す)以降、その傾向は特に顕著に表われ、民間活力の導入、企業参入の積極的活用などが提起され、いわゆる「シルバービジネス」への期待が高まり、老人福祉施策が大きく変化しようとしている」(108)
「建議」の「問題提起」について…… 「病院を福祉施設の代わりのように利用せざるを得ない環境と、それを利用して医業経営のうま味としてきたわが国の医療・福祉政策の貧困さが、現在の在宅医療の惨憺たる状況112>113を招いている。しかしながら、このような問題提起が出る背景は、論じるまでもないことであるが、高騰する老人医療費に一定の歯止めをかけるという政策的意図と特別養護老人ホーム等の「措置費」の上昇を抑えるという意志を反映した財政効率化論を背景とした論調であることに疑う余地はない。
そして、「建議」は、中間施設構想を柱とする今後の方策に対して、以下のような支店と立場を表明している。
「老人のニーズは、何よりもまず、自立自助の精神にもとづいて、本人及び家族自らができる限り対応するということでなければならない。こうした本人及び家族の努力にもかかわらず、必要不可欠な福祉ニーズがなお充足されない場合に、はじめて社会的な対応が必要となってくると考えてよい。」
つまり、ここでは老人の家庭介護はまず第一に本人の自立自助を、第二に家族による相互扶助および近隣の助け合い、そして最後に社会的(制度的)対応という、扶養の社会化の過程で論じられている。この考え方の背景には、一九七九(昭和五四)年八月に経済企画庁から出された「新経済社会7ヵ年計画」(いわゆる「日本型福祉社会構想」)と同じである」(111-112)
第6章 有料老人ホームと介護問題
「一九八〇年代後期は、有料老人ホームの「終身利用権方式」と呼ばれる新しい入居形態が注目を集め、この方式の有料老人ホームが民間企業の手によって次々と建設されていった。」(123)
⇒ 「寝たきり等の者の常時介護を行う場合も、疾病によって生活に支障や困難が生じた場合も、当該有料老人ホームの介護機能の内(できること)にあることか、外(できないこと)のことかという点で振り分けられてしまうことを暗に前提とした表現」(136)
「具体的には、ボケ症状が現れてきた場合や、寝たきり状態が進行して、全面介助に近くなってきた場合に、本人136>137の望むと望まざるにかかわらず、結局その有料老人ホームが文字通り終身介護をおこなえるだけの設備を有し、またその意思があるかという点で決着が付いてしまう。
つまり、この点は入居者の側から考えると非常に重要な意味をもっている。先にも述べたように、「終身利用権」という権利の中身にかかわる問題であるが、現状においては終生という不確定な利用であるにもかかわらず、入居契約時にしかその内容をチェックできない。また、契約に反するようなことがおこなわれたとしても、今のところ自治会を組織して経営者に圧力をかける以外に、異議を申し立てる回路が保証されていない」(136-7)
「有料老人ホーム入居者や入居を希望する側の期待と現実的な対応に相当なズレ」(138)
第7章 第二次医療法改正と「社会的入院」問題
「一九九二年の第二次医療法改正は、高度・急性期医療をおこなうか、長期慢性疾患を対象とする医療をおこなうか、その選択を迫ることを意図した改正であった。そして、多くの医療機関が自らの生き残りを賭け、経営の合理化と質の追求が開始された時期でもある」(148)
「急性期医療機関にあっては、第二次医療法改正以降、急性期医療の指標が入院期間を目安とする考え方、すなわち「平均在院日数」という数値目標が設定され、経営の効率化、合理化が図られるようになってきた。
第二次医療法改正が提起した課題はいくつかあるが、その中心は医療の「機能分担と連携」である。つまり、従来の医療機関が「いつでも、どこでも、だれでも同じ医療が受けられる」とう医療のフリーアクセス、あるいは医療の平等性を支える「医療保障」の原則を基礎とする医療供給体制から、医療の経費的問題を克服するために、医療の「質」と「コスト」を同時に追求する考え方に大きく変換させたことである。」(149)
「第二次医療法改正では、高度急性期医療を専門とする医療機関に「特定機能病院」、長期慢性疾患患者を対象とする医療機関に「療養型病床群」という新しい概念モデルを設定した。ちなみに二〇〇〇(平成一二)年四月一日より志向された介護保険制度では、介護保険施設にこの「療養型病床群」が、介護保険制度上の「施設」として位置づけられた」(149)
・「平均在院日数」⇒「在院日数の短縮」を図る⇒「いわゆる「社会的入院」患者が、その医療機関の「平均在院日数」の足を引っ張る元凶のように流布」(150)
「しかし、実際は川上武が言うように、もともとはわが国の「低医療費政策」の弊害として「福祉の医療か」現象を引き起こしてしまっているわけで、社会的入院患者の基本的課題は、彼らの住まう場所がなく看るべき人が確保できないなど在宅療養が続けられないという決定的な生活条件にかかわる問題である」(150)
⇒ 「医療機関の経営の安定のために「社会的入院患者」を病院に入院させておくという経営の実態があった。つまり、薬価差益と同様、不労所得を当てにした経営体質が浸透していたところにこの問題の根深さがある。社会的入院問題とは、日本の社会福祉制度の制度的制約から落ちこぼれた対象者に対して、医療がその受け皿として肩代わりしていたことを原因とした、日本の医療制度と社150>151会福祉制度の構造的問題を社会的入院患者が二重に背負わされている問題状況ではないかと考える」(150-151)
「一般的に、急性期病院というときの「急性期」とは、おそらく医学的には、その患者の疾病や事故による怪我の状態が、入院等により常時医師の管理下に置かれなければ、生命にかかわるか、改善しない時期とみて差し支えないであろう。」(159)
「筆者のかつての経験(MSW)をふまえて、急性期病院における「医療相談」の現状から、実感としての「退院促進」について述べてみよう。
大学付属病院や特定の機能をもった大規模な医療機関を除く、地域の中核的病院であったり、総合病院地域の一般・急性期病院に勤務するMSWの医療相談は、おおむね以下のような内容がその中心的な課題であろう。すなわち、その医療機関で提供されるはずの治療が、その患者をとりまく何らかの事情(環境)によって、その治療や看護が妨げられるか、あるいは、急性期段階を脱して在宅療養や機能回復訓練等の目的をもった転医(転院)につながらず、また家族の所在がわからなかったり、医療費の支払いが滞ったり、手術の承諾が取れなかったり等、当該病院の機能に支障をきたす場合がある。その際に、MSWが配置されている医療機関にあっては、その患者や家族に対して、治療を妨げる個々の原因の解決を図るために、MSWに対して相談の依頼がくるものと思われる、もっともMSWの配置がない病院にあっては、事務職員や看護婦が随時おこなっているものと推測される。
しかし、相談依頼の背景には、特に民間病院にあっては、患者・家族の問題と経営上の期待(=退院促進)と矛盾することが多い。…… したがって、急性期病院のMSWにも、できるだけ素早い問題解決の力量が求められる」(160)
「しかしながら、退院促進を促さなければならないような患者やその家族の背景には、少なからず深刻な何らかの生活問題をかかえており、単純に退院促進の対象となるような患者ではない。その意味ではMSWの専門的な介入なしには、退院・社会復帰につながらない場合も多く、退院促進の対象者リストに載ったことによって、MSWのかかわりが始まり、問題の深化拡大を未然に防げたという場合も経験上たくさんあった。つまり、患者と家族・親族との意見の調整であったり、健康保険の手続き、労災・雇用保険の知識、生活保護の受給申請、社会福祉関係施設の入所申し込みなど、いわゆる「社会資源」の活用を中心としたMSWの専門的な技量を必要とした。」(161)
「「退院促進」の対象が、帰るべき家もなく看るべき家族もいない「社会的入院」患者に向けられるとき、わが国の保険医療福祉制度・政策の基本的な不備と貧困さを露見する現実となり、現在、介護保険制度が施行されて一層その混迷さを増したように思う」(162)
第8章 介護保険制度の成立の背景と運用をめぐる諸問題
1996年4月22日 ――「老人保険福祉審議会から当時の厚生大臣に審議会の最終答申が提出」(169)
・その第一「わが国医療・福祉制度の総合的見直し」の(2)
―― 「(2) しかし、高齢社会の到来によって、現在の医療保険制度、老人保険制度、社会福祉制度では対処しきれない新しい問題が顕在化しつつある。病院は要介護状態に至った高齢者の入院の長期化、いわゆる「社会的入院」の問題をかかえている。老人保険制度においては、老人医療費の増嵩により医療保険者の拠出金負担が限界に達しつつある。また、各種の在宅介護サービスと介護施設の充実は、新ゴールドプランの目標に向けて進捗しつつあるものの、中長期的には、従来の租税による制度のままでは財政の負担に耐えきれないことは明白である。」(170)
「第二次医療法改正によってはじめて登場した「機能分担と連携」というわが国の医療供給体制の今後の方向性は、急性期医療と慢性期医療を入院の期間によって分類する考え方が明らかとなった。
そして、介護保険制度の登場によってその役割分担として、前者を従来どおり医療保険制度を財源とし、後者は、170>171介護保険施設として一部「療養型病床群」が位置づけられ、医療保険から切り離した。つまり、介護保険制度が、介護問題対策という期待とは裏腹に慢性期医療等長期療養のための財源対策としての期待であったことがわかった」(170-171)
「国は医療費抑制策として一九八五年に第一次医療法改正をおこない、地域医療計画に基づいた必要病床という概念を導入し、病床規制を開始した。その結果、いわゆる「駆け込み増床」が発生した。」(175)
「一九八八(昭和六三)年の診療報酬改定では、長期入院の是正、在宅療養の推進、老人医療費の見直し、診療報酬の評価、老人保険施設療養費の施行などを診療報酬改定の視点を明らかにしている。」(175)
・1992 厚生省 ――「「介護費用に関する関係課長会議」が内部組織され、また省内には、同年岡光序治を中心とした「高齢者トータルプラン研究会」も組織され、活発な議論が展開されるようになった。」(177)
・1993 「第二次医療法改正によって明文化された新しい施設に対して、臨時の診療報酬改定が行われ、特定機能病院と療養型病床群に対して点数上の評価が組み込まれた」(178)
・同 「六月に「高齢者自立支援保険制度」の導入を提起する厚生省内の「検討チーム中間報告」」(178)
・1994 「診療報酬改定が四月と一〇月の二回にわたって実施され、今後の医療供給体制の方向が具体的に示された。まず四月の改定では、診療報酬点数表の甲・乙一本化等による診療報酬体系の簡素化、許認可の簡素化(届出制)、在宅医療の推進、医療機関機能の体系化、特製に応じた評価、難病患者・精神病患者、老人等心身特性に応じた評価、薬剤・検査・治療材料使用の適正化(医薬分業、薬価差益の解消など)、特定療養費制度活用等患者ニーズ多様化への対応(大病院への外来患者抑制策)、一〇月改定では、看護・介護体制の充実、強化(新看護導入=平均在院日数に看護料をリンク)、看護の解消、在宅医療の推進、食事の質の向上(診療報酬から食事を除外)」(179)
「介護保険制度の創設に向けては、同年四月「高齢者介護対策本部」が設置され、さらに七月対策本文は「高齢者介護・自立支援システム研究会」を設置し、同研究会は一二月「新たな高齢者介護システムの構築をめざして」と題する報告書を提出する」(179)
「この年の診療報酬改定は、上記の項目を見てもわかるように、薬価差益や社会的入院等の質を問わない、いわば不労所得で潤うような病院経営を徹底的に排除し、質を問う医療に変換する仕掛けが完成した年でもある」(180)
「高齢者介護・自立支援システム研究会(以下、システム研究会報告書と略す)の報告を受けて、老人保健福祉審議会の最終報告書が一九九六(平成八)年四月に当時の厚生大臣管直人氏に提出される。この報告書を注意深く読んでみると、先のシステム研究会の理念や方針と微妙にちがうところがいくつか出てくる」(180)
「システム研究会の報告書ではその理念を「高齢者が自らの意思にもとづき、自立した質の高い生活を送ることができるように支援すること、つまり『高齢者の自立支援』である」と明解に述べているが、この点がいささかトーンダウンしている感は否めない」(181)
「要介護認定とは、保険事故査定のための「道具」であると述べたが、このことが現実的には、サービスの固定化を促進する結果となる。」(188)
「老人保健施設は、機能回復訓練等を実施して再び家庭復帰をゴールとするような「ケアプラン」を立てて「介護」をおこなうことを本旨とする施設である。現実的には老人保健施設のすべてが機能回復訓練を目的とする利用者ではないと思われるが、施設においておこなわれる機能回復訓練の成果は予想以上のものがある」(188)
⇒「身体機能のめざましい向上により、結果として要介護度が下がることそれ自体は喜ばしいことと考える。しかし、188>189介護保険制度は、用語介護度が保険事故査定と直結しているために、要介護度が下がれば、直ちに保険給付に反映される仕組みになっている。頑張った結果、要介護度が下がり、それが保険給付に跳ね返り、日常生活の不便さと重なりあって生活不安を呼び覚まし、生きる勇気を阻害してしまうという場合もある」(188-189)
「つまり、施設機能をフルに活用しても、その人にとって不幸な現実が待ちかまえているのであれば、無理をしてリハビリする必要はない。そのままそっとしておこうという打算が働いても無理からぬことである。
人間の身体機能のある一点を輪切りにしたような要介護認定とそれに直結した保険給付が、生活不安を招き、結果的に要介護度の高い人はサービスの既得権を主張して要介護度を下げることに消極的になり、要介護度の低い人は低いサービス給付に不安を覚え、臆病になりより高い要介護度を求めていく、自立支援とは程遠い実態が現場の日常である。」(190)
(3) 介護保険制度における「ケアプラン」について
「「ケアプラン」は、その運用において在宅サービスの場合と施設入所の場合とでは、それぞれの位置づけが違っている。前者はケアプランの作成が介護保険サービスの「前提」、つまり介護報酬明細書(レセプト)と一体化しており、コンピューターの介護報酬請求画面は、ケアプランが入力されないと次の給付管理票の画面が開かないようになっている。しかし、後者はケアプランの作成は義務づけられてはいるが、それは入所の前提ではなく、入所後一週間以内の作成が望ましいという行政指導のみである。
この違いの結果、現状ではケアプラン本来の趣旨とは別に、ある種の打算が働くようである。つまり、在宅サービスを希望するといろいろな手続きがあって面倒、施設入所は手続きが簡単だから施設入所を希望する。
つまり、利用者・家族側からすれば、そんな面倒なケアプランを作成し、在宅サービスを受けるよりは、施設入所希望を出して空きベッドの連絡がくるまで、在宅で頑張って介護しますというのが、どうも本音のようである。」(190)
「通常、民間施設はつねに一〇〇%の稼働を基準に、空きベッドをつねに確保しておくような施設運営は通常おこなわないし、またそんなゆとりもない。しかもいったん一〇〇%に到達したら、それを維持するために、つねに二〇~三〇人の待機者をリスト化する。これで一〇〇%可動を維持していくのがふつうである。
したがって、施設入所を希望を前提とした在宅のケアプランは、すでにその時点でケアプランの主導権は施設に移っており、利用者本意のケアプランは非常に立てにくくなる。残念ながら、介護保険三施設とも経営の原則は常時一〇〇%稼働である」(192)
第9章 今日の医療制度改革の論点
診療報酬体系
・1983年 「老人保健法施行にともない、老人診療報酬が別掲として診療報酬点数表に掲載」(202)
・1988年 「老人保健施設療養費(二〇〇〇年四月より介護報酬に移行)が別の料金体系で支払われることとなった。同年の診療報酬改定の主要方針として、長期入院の是正、在宅療養の推進、検査の適性化、老人医療の見直し、医療機関の特性に応じた評価が提示」(202)
・1990年 第二次医療法改正案が国会に提出 ――「技術料の重視という方針が加わった」(202)
・1994年 「これからの方向性を特徴づける抜本的な改革がおこなわれている」(202)
「一九九四(平成六)年の一〇月改定で実施されるようになった「新看護体系」」(206)
「看護婦(正看)の割合に応じて三パターンの診療点数が設定され、入院期間三〇日を基準に、超えればそれぞれの点数が一〇点減点される仕組みになっている」(206)
――「注意を要するのは、いずれも計算の前提が原則として、所有するベッドが一〇〇%可動を前提とした計算式ということである。経営上は病床稼働率が基本となることから、つねに一〇〇%可動に近づけるよう207>208な病床稼働をおこなていないと、新看護体系どおりの収入にはならない。したがって、つねに以下のような問題が日常的なノルマとなってくる。
各病院は、自院の平均在院日数(三〇日以内)を短縮しながら、病床稼働率をつねに一〇〇パーセントに限りなく近づけるという努力が必要になってくる」(207-208)
■書評・紹介
■言及
*作成:堀田 義太郎 追加者: