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『新しい哲学を語る』

梅原 猛・稲盛 和夫 20030108 PHP研究所,221p.

last update:20140529

■梅原 猛・稲盛 和夫 20030108 『新しい哲学を語る』,PHP研究所,221p. ISBN-10:456962538X ISBN-13:978-4569625386 \1,300+税 [amazon][kinokuniya]  ※


■内容

商品説明
大企業の幹部や政治家、官僚などの不祥事が相次ぐなかで、日本社会全体のモラルの低下を指摘する声が強まっている。ただ、そこでどんなモラルをいかに打ち立てるべきかの議論になると、イデオロギー対立が生じたりして、収拾がつかなくなる場合が多い。

本書の著者である梅原と稲盛は、日本の政治社会におけるモラルやそのもとになる哲学の必要性を、各分野で訴えてきた人物。両者は、現在の日本の「病理」は、戦後日本人が「人間は、何のために生きるのか」という問いに向き合わず、自分のなかに確固とした哲学をもたないままできたことに起因しているという見方を一致させている。なかでも、政財界をはじめ、各界各層のリーダーに対して、「自利」だけに走って、自分が不利益を被ろうとも自己犠牲を払おうとも、信念に殉じて生きようとする哲学がない、と厳しい批判を加える。そして、今、求められるのは「利他」の精神であり、それを「自利」と共存させることだと強調する。

本書では、ほかにも道徳の復興、働く意義、米国の同時多発テロをめぐる世界宗教の本質、創造性を生み出す社会の条件などのテーマを論じ合っている。両者の幼少時の体験やこれまでの活動、あるいは文学、思想、宗教、戦後の精神史などの分野から、さまざまな知見やエピソードを寄せ合って、懐の深い議論が繰り広げられている。

霊魂や、真理を見出す直感の存在を認めながら、それをビジネスの実践哲学として生かそうという視点は、非常に興味深い。国家から、社会、企業、個人までを貫く、普遍的な哲学の輪郭が見えてくる、そんな1冊だ。(棚上 勉)

内容紹介
道徳を忘れ、宗教心も失い、倫理なき社会に陥った日本。「哲学をベースにした社会」の構築こそ急務と説く憂国対論。
日本の政官民に蔓延している不祥事。それは「道徳」も「良心」も「倫理観」も喪失し、ただ「欲望」のままに日本人が生きるようになってしまった結果ではないか。また、凶悪化する少年犯罪も、学校で人間として最低限必要なルールを教えていないからではないか。一方、海外に目を転じれば、キリスト教とイスラム教の血で血を洗う闘いが続いているが、なぜ人類は「憎悪の連鎖」を断ち切れないのか……本書は、日本を代表する哲学者と経営者が、胸襟を開いて語り合った憂国対論。人間一人ひとりが生き方を変えなければ、地球は荒れ野になり、修羅場と化すと警告する一方で、人類が長い歴史のなかで培ってきた「慈悲」「愛」「仁」「自利自他」などの精神を基盤に置いた社会を早急に構築すべきと説く。人間は何のために生まれてきたのかという根本的な問題も論じ合っており、不安と混沌の世紀を乗り越える知恵が散りばめられている。日本人必読の書といえよう。

■目次

まえがき――稲盛和夫 第一章 哲学なき現代の不幸
第二章 道徳の復興こそ急務
第三章 働く意義と「利他」の精神
第四章 宗教を見つめ直すとき
第五章 宗教と人類の未来
第六章 哲学をベースとする社会を
あとがき――梅原猛
初出一覧

■引用

◆…実際には、物質的には豊かな生活を享受することができたにもかかわらず、多くの人は精神的に満たされず、虚無感や不安感を抱きながら生きています。/それは一つには、戦後、人々が人間の生き方や考え方について真剣に考えることがなく、また教えられることもなかったことに起因していると私は考えています。/日本人にいま求められていることは、「人間は、何のために生きるのか」という、最も根本的な問いに真正面から向かい合い、哲学を確立することだと思います。[2003:18]

◆じつは、こういった哲学がほんとうに必要になってくるのは、何かを考えたり判断したりするときに、その基準とすることができるからです。いわば、哲学が判断のものさしになるのです。世界情勢の動向にしても、また日本の社会、政治問題にしても、一度その基準に照らして、そこから考えるべきなのです。/このように、哲学が心のなかのもっともベースとなるところまで浸透している人は少ないのではないでしょうか。哲学や理念といったものが、心の底の部分でしっかりと固まっているのであれば、その基準となる哲学に照らせば、きちんと答えが返ってきます。しかし、ベースとなるべき確固たる哲学がなく、たんに知識として、心の上っ面のほうで、哲学らしきものがフワフワと浮かんでいるような人もいるのだと思います。そのような人の場合、その知識を一皮むけば、本能や煩悩、つまり欲や怒り、妬み、恨み、愚痴、不平、不満といったものがあり、それでものごとを考えたり、判断してしまうのではないかと思うのです。[2003:21-22]

◆いまの世の中は、本音で生きる人よりも、建前で生きる人のほうが、「世渡りがうまい」と評価される。哲学や信念に忠実に生きるのは、むしろ世渡りがへたで要領の悪いことだといわれる。そんな社会がすでにできあがっているために、日本では哲学がさらに不毛になってしまうのです。[2003:32]

◆…自分自身が不利になったとしても、またある程度自己犠牲を伴ったとしても、善のために生きるということが、人生にとって大きな価値だということを、世に強くいうべきなのでしょう。そのようなことを、いまの社会は教えていないし、そのような価値観を大切にしていません。みんな損得勘定だけで動いています。…真のリーダーであろうと思えば、損得ではなく、その哲学でまた人格で集団を率いていかなければなりません。つまり、自らを捨てて、集団のために尽くそうとする哲学、姿勢を持って、人々が心から共鳴できるビジョン、目標を指し示してこそ、その集団はリーダーのもと、団結することができるのです。[2003:40-41]

◆…人間として最低限の持つべきルール、また人間のあるべき理想の姿は、やはり教育の場で教えてもらわなければいけません。…人間が人間であるための最低条件を誰かが教えなければ、社会はさらにおかしなことになります。[2003:61]

◆私は、そもそも人間が働く目的とは、報酬を得るためだけではないと考えています。人生の目的は人間性を高めることであり、働く目的は、その自分の人間性を高めることであると信じています。/生涯を通じて、つねに人間性を高める努力をしていかなければ、人間は堕落してしまうことでしょう。…/では、生きるなかで人間性を高めていくには、どういう方法があるのでしょうか。…/私は、それが「労働」だろうと考えています。働くということは、人間性を高める、人間を鍛錬するということについて、最も基本的で、最も有効な手段だと思うのです。[2003:82-83]

◆平凡な人間が非凡な人間に変わっていくには、このようにコツコツと地味な努力を重ね、「精進」を続けていくしかないのです。どんな分野でも、名人になった人で、この「精進」を怠った人はいません。/本来、労働は苦痛であるのかもしれません。ただ、その苦痛を耐えていくところに喜びが生まれるのです。苦しい労働が終わったときの喜びはひとしおですし、ましてや目標を達成したときの喜びはたとええようのないものです。[2003:88]

◆国家や民族が異なれば、文化も価値観も違う。しかし、人間の本質は洋の東西を問わず、同じはずです。キリスト教社会では「愛」が説かれ、仏教社会では「慈悲」が説かれ、また日本では古来「情けは人のためならず」と相手のために尽くすこと、すなわち「利他」の重要性が教えられてきました。/このように、相手を思い、共に生きようとすることこそが、素晴らしい人間社会を築き上げるために大切なのです。/現在、世界で起こっている問題も、突き詰めれば、この相手を思いやるという、人間として最も基本的な倫理観を忘れ、あまりに自国の、また自分の利益だけを考え、行動していることにあるのではないでしょうか。[2003:169-170]

◆新しいことを成し遂げる原動力は、寝ても覚めても、一つのことを思いつづけるという強烈な思いと、ひたむきな打ち込みなのです。そのような九九パーセントの打ち込みという行為の果てに、ようやく一パーセントのインスピレーションがひらめくのです。[2003:183]

◆真の創造性を発揮するには、旧来の枠組みをすべて取り払うことです。難しい条件の検討を含め、冷静なシュミレーションは後でいいから、まずは制限を設けることなく、自由な発想を尊重することが大切です。[2003:196]

■書評・紹介

■言及




*作成:片岡稔
UP:20140515 REV:20140529
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