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『独酌余滴』

多田 富雄 199909 『独酌余滴』,朝日新聞社,250p.


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■多田 富雄 199909 『独酌余滴』,朝日新聞社,250p. ISBN-10: 4022574364 ISBN-13: 978-4022574367 1890 [amazon][kinokuniya] ※

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内容(「BOOK」データベースより)
世界一流の免疫学者として、新作能の作者として、そして、今は亡き白洲正子を継ぐ眼と手を持つ文章家として、多彩にして深遠な活動を続ける著者の最新の成果を示す珠玉の随筆集。

内容(「MARC」データベースより)
ぬる燗の徳利を一本載せた箱膳の前に独座し、観念する。さっき観た能の舞台を、旅先で出会った風景を、そして過ぎ去ってゆく時を…。世界一流の免疫学者として、新作能の作者、文章家として多彩な活動を続ける著者の随筆集。

内容(「BOOK」データベースより) インドの弱法師、茸好き、愛犬イプシロンとの日々―能をこよなく愛す世界的免疫学者が、日本・世界各地を旅し、目にした人間の生の営み、自然の美、芸術、故白洲正子との交友などを、深遠かつ端正な文章で描く。2000年度日本エッセイストクラブ賞受賞の珠玉の随筆集。(文庫版)

内容(「MARC」データベースより) ぬる燗の徳利を一本載せた箱膳の前に独座し、観念する。さっき観た能の舞台を、旅先で出会った風景を、そして過ぎ去ってゆく時を…。世界一流の免疫学者として、新作能の作者、文章家として多彩な活動を続ける著者の随筆集。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。(文庫版)

■引用

◆「手の中の生と死」 169

 「彫刻家が大理石から手を掘り出すように、神様は指の間の細胞を死なせることによって手の形を作り出す。その細胞の死は、遺伝子でプログラムされているのだ。
 細胞の死がなければ、手の生命も生まれない。手の中の生と死のドラマである。」(『季刊銀花』104、1995→多田[1999:169])

◆「共生と共死」 186-189

 「新聞社の企画で宗教学者の山折哲雄さんと対談する機会があった。山折さんは人間が己れのサバイバルのためにノアの方舟的な意味で「共生」などというのだったら、それはまだエゴイスティックな自己生存戦略の延長に過ぎない。そこにもう一つ、共に死滅することを受け入れる「共<0186<死」というカードを入れた方がよいのではないか、と言われたのが心に残った。」
 「生物学的「共生」の根源まで遡って考えてみると、「共生」が利益を分かち合って生き延びたというような生やさしいものではなかったことがわかる。「共生」した生命は、片方が死ねばもう片方も必然的に死ぬという運命まで共有している。たとえば、死のプログラムが働いて核の方が死ねば、必然的にミトコンドリアも死ぬ。ミトコンドリアの働きが破壊されるような外力が働けば、核も生きてはゆけない。最近ではミトコンドリアの方から死んでゆく「死」と核の方から細胞の「死」がスタートするのと、二種類のプログラムが存在することもわかった。
 山折さんの言われる「共死」は、生物が「共生」を始めたときに、すでに織り込みずみだった。「共死」する運命共同体として、「細胞」という生命がスタートしたのである。」
 二十一世紀のキーワードとして「共生」というとき、そこに本当に「共死」の覚悟まで含まれているかどうかを自問する必要があると思う。そうでなければ「共生」は単なるお題目になってしまう。」(『中央公論』1999-3→多田[1999:188])

■言及

◆立岩 真也 20100701 「……」,『現代思想』38-9(2010-7): 資料


UP:20100610 REV:20110102
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