『共に生きる根にむかって――介ゴ体験を通して考える』
金盛 潤子 19990310 117p.
last update: 20190916
■金盛 潤子 19990310 『共に生きる根にむかって――介ゴ体験を通して考える』,117p. ※r
■内容
「まえがき」より(本書:1ページより)
この論文は大きく二部から成立しています。ひとつは「豊中の教育について1.2.3.」に書いた豊中の障害児教育の歴史とそれに対する考察で、もうひとつはその考察をするにあたっての私の体験とそれから引き出されたさまざまな考えです。前者のみでは私のいいたいことが伝わりにくいだろうという岡村先生の炯眼があり、後者を三ヵ月ほどにわたって思い出しながら書きためました。ですから後者のほうは時系軸にわたって思い出したつもりなのですが必ずしもそれにそったものではないこと、そして私の思い込みで書いているところがあり事実に則したものではないかもしれないことをあらかじめお断りしておきます。
私がこの論文で主張したいことはただひとつです。それは「障害者も健全者も決して分けられてはならないこと・ともに生きることがそれぞれの生活・人間観・文化をゆたかにし、かつ人間的であること」です。そのことを豊中の障害児教育を例にあげたり自分の体験から具体的に語ればどうなるのかということを伝えたい、そう思いながら書きました。
■目次
はしがき「介ゴ」と「障害」の記述について
豊中の教育について 1.
豊中の教育について 2.
豊中の教育について 3.
私と兵庫青い芝との関係
Y子ちゃんとの出会い
駅などで・階段介ゴ
「私のスペース」について
一人前扱いされない
「ありがとう・すみません・ごめんなさい」について
同性介ゴ・異性介ゴについて
つば・排泄・生理介ゴについて
あかの他人(介ゴ者)が意思を代行することについて
障害児教育を考える私の基本的立場
呼び名について
普通学級にいる障害児にとっての当事者同士の交流の重要性
止める子がたくさんいるのに
「介ゴされる」から「介ゴさせる」へ――受け身から主体へ
ノーマライゼーションについて
■引用
■書評・紹介
■言及
*作成:岩﨑 弘泰