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『子育てと出会うとき』

大日向 雅美19990225 日本放送出版協会 NHKブックス

last update:20100825

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大日向 雅美『子育てと出会うとき』19990225 日本放送出版協会 NHKブックス ISBN-10:4140018526 \1092 [amazon][kinokuniya]

■内容

■目次

 はじめに
 第T部 子育てに虚しさを感じるとき
  第一章 今どきの母親症候群
  第二章 互いに孤独な夫と母親たち
  第三章 子育ては母親の至福の喜びか?
第4章 母性神話からの解放と未成熟な父母たち
  第U部 再び、子育てと出会うとき 
第5章 母性神話にふりまわされないために
第6章 新しい子育てを求めて
第7章 性を超えた子育ての時代に
  終わりに

■引用

■書評・紹介

紹介:山内理恵子(立命館大学政策科学部3回生)
掲載:20020731
   3歳未満のこどものいる女性の約80%は専業主婦である。調査をしてみると、育児を楽しみ、母親としての生活に喜びを感じている専業主婦も認められる。だが、ほとんどの場合、専業主婦は育児の負担に苦しみ、社会から排除されているような不安や焦りを覚えているのである。仕事と育児を両立している母親もいろいろな問題を抱えているようだが、育児に苛立ちを感じたり、母親としての自分を受け入れることができずに悩む女性は少なく、このような現象は専業主婦特有の苦悩なのである。
 どうして現代の専業主婦は母親としての暮らしに不満を抱えているのだろうか。
 現代の女性は「男女は平等である」という教育を受け、結婚前には仕事を持ち、趣味や余暇を楽しんでいる。しかし、こどもが産まれ母親になった途端、家庭の中で専業主婦になり育児に明け暮れる日々を送ることになってしまうのである。女性も仕事をしていた時は、経済効率というものさしで努力を図ることができ、目標を持ち、それを達成することによる満足感も得られていた。一方、育児は将来を託すこどもを育てる重要な仕事であり、こどもの育っていく姿には大きな喜びや感動があるはずである。しかし、育児は精神的にも肉体的にも大変なものなのだ。手がかかる割にこどもの成長はゆっくりしていて、社会で働くことと比較すると、自分の努力の成果や目標の達成が目に見えにくい。毎日こどもと向き合う時間が長く続くと、育児の単調さや忙しい毎日に、母親としての役割を受け入れることがむなしく感じてしまうのだろう。
 だが、日本の社会には、「女性には母性があるのだから、女性が子育てをするのが当たり前で、こどもにとってもそれが一番良いのだ」という考えが根強くあり、先ほど述べた、専業主婦の育児に対する不満に目が向けられていないのが現状である。それどころか、母親一人に育児を押しつけて、その重すぎる負担の軽減に努めようとする社会体制も整っておらず、母親の努力に対しても十分に評価されないのである。それは、もっとも身近な存在である夫も例外ではない。社会から排除されているという孤立感と毎日の暮らしに満足できない思いを抱えながら育児に追われる専業主婦の胸のうちは寂しさや虚しさでいっぱいなのである。
 この本では、乳幼児をもつ女性の圧倒的に多数の専業主婦の思いに注目し、その原因と対策を考えている。
 第T部では、育児に専念している母親たちの苦悩を紹介し、それが女性一人に押しつけられている従来の母性観によってもたらされた弊害であることを指摘する。まず最初に、「今どきの母親症候群」について述べられている。ここでは調査研究や子育ての相談を例として取り上げ、最近の若い母親たちの言動を紹介し、母親をそうした窮地に追い込んでいる様々な原因を探っている。そして、育児に専念する母親の苦悩を見ぬふりをしてきた従来の母親観の問題点を取り上げ、母親観からの本当の意味での解放について考えている。
 第U部では、人々が母性神話から解放されて、人間らしいゆとりをもって子育てができる道を模索する。まず、従来の母性観がどのような歴史的経緯で作られてきたかについて明らかにしている。そもそも一般的には育児は女性の仕事であり、とくに3歳までは母親が面倒を見なければならないとする考え方が支配的であるが、はたしてそれは正しいことなのだろうか。3歳児神話の是非を問うだけではなく、歴史をたどり、また同時に育児に必要な新たな理念を提案する。また、この本の中で最も強調して主張されている「母親一人で担う子育てからの脱却」をめざす動きについても書かれている。乳幼児をもつ女性に専業主婦としての生活を強いる社会の体制を変えていくためには問題が山積みだが、身近なところから少しずつ問題に取り組んでいくことも重要だと述べられている。そして最後には、男女みんなで育児を共有していくために必要な考え方を若い世代へのメッセージとしてまとめている。従来の母親観からの解放は、性差にとらわれず男女が自分らしい生き方をもとめ、ともに協力し生きていける社会のなかでこそ実現していけるものであり、そうした理念をこれから親となっていく若い世代に伝えていく必要性をうったえている。


◎紹介:加納 亜沙美(立命館大学政策科学部4回生)
 掲載:20020801

T.子育てに虚しさを感じるとき 〜母親たちの声から
 子育てに専念している母親たちの苦悩を紹介する。まずは、いまどきの母親症候群についてであるが、地味ではあっても母親であることにどっしりと腰を落ち着けていた、かつての母親のような安定感が今の母親にはない。むしろ、母親であることに満足できない苛立ちの雰囲気を彼女たちの多くは漂わせている。いまどきのママは限りなくさみしいのだ。かつて、女性は母親であることで社会からも家庭からも認められていた。結婚して子供を産み、母として生きることしか女性の生き方はなかったといった方が正確かもしれない。母となることは女性としての存在意義を自他ともに認めさせる唯一の道だった。かつての母親の安定感はそうしたところから生まれたものだった。それに比べて今の時代は女性であっても社会で活躍することは可能であり、多様な生き方ができるとされている。社会と関わるような生きがいを持たなければ、生きている意味が見出せないという心理にかき立てられる時代だ。そうしてみると子育ての中の母親の焦りや苛立ちは、小さい子をかかえて家庭に閉じこもらざるを得ない状況を余儀なくされて、社会との接点をもてない焦りであり、苛立ちではないだろうか。自分の子育てぶりをマスメディアに取り上げてもらいたいと必死になる母親、飢餓状態のように友達を求める母親、子供の早期教育に狂う母親、子育てに使用説明書を求めたり、自分の非は一切認めようとしない母親…、いずれも今の自分の空虚さを埋めようとする必死のあがきであり、空虚さを紛らわすために自分の子育てに完璧さを追求せざるを得なくなっている姿なのである。一見非常識に見えて理解しがたい思いにさせられる最近の母親の言動であるが、それは単に母性を失ったからという理由づけで説明のつく問題ではなく、現代に生きる女性たちに共通の心の問題がそのなかに垣間見られている。母親たちが直面しているさみしさや苛立ちの問題の源は、日本社会が長くもってきた母親観の歪みにほかならない。子育ては、女性の母性にこそ適正があるとする母性観のもとで、女性に子育て負担の大半が課せられただけではなく、夫婦が向き合う必要性に目を閉ざさせ、社会的に疎外された女性は母子密着状態の中で、自らも子供化していかざるを得ない。そうした不安定な状態が最近の母親たちの言動の根源にある。
 次に前文で、夫婦間という言葉をだしたが、夫との関係について触れる。母親たちの日々のさみしさ、虚しさの一因のなかには、夫との間に対等な人間関係を築くことができない苦しみもある。昔、男性は家事育児に関わらなかった。もっぱら妻が家事や育児を担ってきたのだ。それに比べてれば最近の男性は非常に家 庭的になっている。子供の世話をこまめに見る育児パパも多いではないか。しかし、はたして最近の男性はそんなに家事をこまめにするようになったのであろうか。また子育てに明け暮れる母親の日常は、それほど安楽なものになったのだろうか。実際に多くの母親に夫の家事育児参加状況をただしてみても、男性たちは 一般にいわれているほどには家事育児をしていないのが実態である。

U.再び、子育てと出会うとき
 母親は母性本能を持っているのだから、その母親が子育てを担うのが当然だとする理念にも、近年ようやく変化の兆しがあらわれて、社会が積極的に子育て支援する必要があるという政策が打ち出されつつある。そのきっかけは少子化である。1989年の合計特殊出生率が1・57%であったと発表された。以来、出生率は低下を続け、1997年には1.39にまでなった。現在の人口を維持するためには2.08の合計特殊出生率が必要だといわれている。それから比べると大幅な落ち込みであるという危機感もあって、この数年、各方面で少子化対策が打ち出されている。もっとも、そうした少子化対策の中には、あからさまな 産めよ増やせよ政策があったり、実効性に疑問をもたざるを得ないもの、あるいは経済的発想が優先されすぎているものなど、問題点も多々指摘できる。しかしながら、少子化が議論される過程で、子育ての重要性とともに、母親の負担の大きさに社会が気付き始めたのはかなりのプラスといえよう。
 こうした少子化に対する危機感の高まりの中で、母性愛強調路線は顕著に認められる風潮である。その結果、人々の性別役割分業観にも大きな変化が見られないのが現状だ。例えば、「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業を肯定する人の比率は低下しているものの、他方で「女性は仕事をもつのはよいが、家事・育児はきちんとするべきである」という考えについて、男女とも8割前後が賛成している。ここにも子育ては母親が担うべきだという意見が、人々の間で依然として根強い実態が示されている。こうした人々の意識の背後には、少子高齢社会への危機感が作用していると考えられる。この少子化によって、世間の意識も変化し女性だけでなく男性も子育てに積極的に関わろうとする動きが見られだした。
 これからの社会を考えていった場合、男女共同参画社会の実現を目指していかなければならない。「男は仕事、女は家庭」ではなく「男も女も、仕事も家庭も」という方向である。つまり、男女ともにこれからは家庭と社会の両方に基盤を持った生活が必要である。そして、そうした男女共同参画社会に向けた人々の意識改革は、家庭を持ったり親となってからでは実際のところ手遅れであり、もっと早い時期から行われることが大切である。
 
V.まとめ
 子育てが困難になっている現状は、女性や母親の問題ではなく、男性の生き方や、職場、地域など、日本社会全体に関わる問題である。問題の多さ、根の深さに、解決に積極的に取り組んでいかなければならない。男女が対等なパートナーシップのもとで子育てに励める社会を現実するには、先ほども述べたようにまだ 多くの課題がある。しかし、男女共同参画社会のようにこれからの社会を生きる私たちは何を目指すべきかの方向性は示されたといえよう。あとはそれをいかに実現化していくか、私たち一人ひとりの取り組みが問われているときだ。各自が自分の足元の問題から取り組み始める大切さは、いうまでもない。幼い子供をかかえる母親の日々の不満や寂しさの背後には、満たされない夫婦の関係がしばしばみられる。パートナーの言動に不満を覚えたとしても、将来とも夫または妻が同じことを思い、同じ行動をとるとは限らない。むしろ、相手も自分も代わる可能性を信じて、あきらめずに互いの生き方を確かめ合う努力を続ける必要があ る。同様に、現在の自分自身の生き方に満たされないのであれば、寂しさを子供にあらわすのではなく、自身が仕事への復帰や社会との接点を見出し、動き始めてみることが大切だ。

・コメント
育児はすばらしい経験であり、多くの喜びと発見を分かち合う営みだが、なぜ母親だけが犠牲になり、生活の全てを子育てに捧げねばならないのか。子どもが可愛く思えないときもある。社会で働く夫に比べて、自分だけ取り残され、子育てに束縛されていらいらするときもある。しかし、行き場のない不全感、閉塞感に 苛まれ、自分を見失ってしまいそうな人が増えている。この本は六千人の聞き取り調査をはじめ、母性研究の成果から、子育ての実態と母親の苛立ちに迫り、母子と社会とのつながりのネットワークや、男と女が仕事と家庭を、対等に担う新たな子育てを模索している。これらをふまえ、子育てはまだ経験したことがない ため想像だけの世界であったが、たくさんの問題をかかえていることを思い知らされた。現在は少しずつではあるが、子育ての見方、考え方が変わってきている。(女性だからという考えではなく男女一緒にという考え方の変化)これからは、コミュニケーションが重要であると考える。夫婦間でしっかりとコミュニケ ーションが取れていれば、何でお互い悩んでいるのかがわかり、不満が解消される。そして、前文で男女共同参画社会に向けた人々の意識改革は早いほうがよいと触れたが、学校で学ぶことも必要であるが、一番は家庭の中で学んでいくのがよい方法であると考える。よって、あきらめずに、焦らずに家族や社会との接点を求めつづけることが、夫婦間にも子供にもいい影響を与えていくと感じた。

■言及



UP:? REV:20100825
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